奏でる銀河細胞。 奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人が、アメリカ・インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
この番組は地域医療に貢献し、皆様の一番近くにいるホームドクターを目指す。 働かないか?糖尿病クリニックのスポンサーズでお送りいたします。
こんにちは、たつです。 こんにちは、ゆりかです。 今回はですね、スペシャルゲストとして、となりのデータ分析屋さんのたつきさんに来ていただいた会になります。
本編の前にですね、この間までやっていた。 予言。
はい。 科学系ポッドキャストの日の、ちょっと多くの人に参加してもらったんで、嬉しかったっていう話を少ししてからたつきさんの会に行きたいと思うんですけど。
まずね、18番組、全部聞きました。 これまでのイベントの中でね、もしかしたら一番ワクワクする会だったような気がします。
っていうのも、皆さん1月の頭の企画のためにですね、年末に収録してるんですよ。
そうすると、明けましておめでとうございますっていうのを、年が明ける前に皆さん言ってるんですね。
よくよく聞くと。 それこそが予言ってやつ?
そうそう。で、なんか似てると思いません?アメリカに来てから、メリークリスマスって12月の頭ぐらいから使いますよね。
そうよね。 カード書いてみたり、あとは会う人にはすぐメリークリスマスになってくるし。
Tシャツもメリークリスマスだしね。12月いっぱいね。そういうの買っちゃうよね。
だから、ポッドキャスターの明けましておめでとうは。
今ちょっと確かめた。自分がメリークリスマスのTシャツ今着てないか確かめた。大丈夫だった。猫カフェでした。
そうそう。そのメリークリスマスのこの感じって、アメリカに来てからそれに向けてワクワクする感じってあるでしょ?
それをポッドキャスターの人たちでやってるんだなと思って。
だからそれが聞き取れてすごく楽しかったです。盛り上がったんで。
ぜひ皆さんにも聞いて欲しいし、僕は全部聞きました。完全に聞いて。
実はアワードをやるので。
これをやるので、20日ぐらいまでXで感想をポストしてもらえると、それが表になって、科学系ポッドキャスターの方々にアワードが届く形になってもらえると嬉しいです。
ということで、本編に行きたいと思います。
待ちに待ちたる。
今回スペシャルゲストの辰木さんについてなんですけど、前情報として言えるのはデータ分析屋さんというポッドキャスター。
隣のデータ分析屋さん。
隣に気軽に聞けるデータ分析屋さんがいたらどう思います?
知りたいよ。だって新しい職業に感じてるから、私はどんなことしてるのかなとか、どんなデータを分析してるんだろうかとか、やっぱり気になるから隣のってのがいいよね。
本当に勉強とか二の次みたいな生活を送ってはいたんですけど、
そうですね。その先の人生にも関わってくる一つポイントとしては、
自分の家にニュートンっていう科学雑誌、ご存知かと思うんですけど、
もちろんもちろん。ゆりかさんニュートンで育ってますから。
そうなんですね。実は僕もニュートンで育ってると言っても過言ではないくらい、母親がそういうのが好きで、
よく本棚に置いてあって、僕はトイレにこもりながらニュートンの写真を見たりとか、
特にその時宇宙が好きで、もうずっと宇宙のカラー写真とかを見て座ったっていうところがありつつも、
最初はもうそんなのは一つのきっかけであって、もうずっとサッカーをしてたっていうのが幼少期ですね。
話は戻るんですけど、サッカーで高校を入学して、
そこから3年間、本当に全国大会とか出るレベルのサッカー部で身を置いてやってたんですが、
途中で大怪我をしてしまって、そうなんですよ。
地骨結合炎っていう、この疎形部の疲労割裂にあたる、ちょっと怪我があって、
きついですね。
歩くのも大変みたいなところで、ちょっとこのままサッカー続けるのは厳しいなと思って、
1年くらい休みながら、その先の大学進学とか、もともとサッカーがしたくて大学も行こうかなと思っていたんですけど、
なるほど。高校3年生の時ですか?
高校2年生の後半ぐらいに怪我をして、ちょうど進学を考えるタイミングでサッカーで行くか、
本当に大学進学を受験で行くかっていうところを悩んだ末に、サッカーはここまでにしようというところで一個区切りをつけて、
何ヶ月ぐらいの前置とかだったんですか?
前置何ヶ月?
10ヶ月ぐらいですかね。
10ヶ月ぐらいですかね。
うわ。
そうなんですよ。
けおうけが。はいはい。
最後の大会ギリギリ間に合うことはできたんですけど、フルでのパフォーマンスは出せなかったので、
心残りではありつつも、できる限りのことは明日3年間だったなというところで、
そこに悔いはないんですが、その先、じゃあどういう人生を歩んでいこうかっていうところを考えたときに、
最初に話した、小学校の頃から興味があった宇宙っていうところに戻ってくるんですけど、
宇宙に興味があるな自分っていうところを思い出して、
じゃあ宇宙の研究できるとこどこだろうっていうのを探したのがきっかけで、大学を選びを始めて、
宇宙といえば物理学が主戦場なので、物理ができる大学ってなって東京の中央大学に進学をしたと。
なるほど。
っていうところで、幼少期から進学まではそういった流れで進んでいって、
ちょっともう質問したいことがいっぱい出てきちゃったんですが、
ありがとうございます。まずね、北海道、僕は東北出身で三重県出身というかなので、
すごい親近感が湧いてて、実は北海道大学も受験はしてましたし、
そうだったんですね。
農学部なんですよ、僕だから。すごい大農場みたいなところで大学育つ間、
研究したりフィールド実習とかしたりしてたんで、北海道っていうのは僕の中で憧れの地なんですね、ある程度。
作家ってことだったんですけど、その前のニュートン、ニュートンの前にもしかして、
そのお母さんニュートン好きってことは福音館書店の科学の友とかに触れてませんか?
あったかもしれないな。そういう雑誌がとにかくいっぱいあったんですよね、本、雑誌、書籍が、図鑑とかもありましたし。
たくさんの不思議とかなかったですか?
ありました、ちょっとカラーの写真がいっぱい載ってるやつですかね。
そうです、科学の絵本なんですね。
知ってます。
これが僕たち科学教室、僕とゆりかさんは科学教室ずっとやってるんですけど、
ゆりかさんは日本でも科学教室の先生みたいなのを博物館でやってて、
科学教育っていうのに力入れてるんですけど、子供の時から本物に触れる良い題材として、
その福音館書店のたくさんの不思議とか、科学の友とか、すごいそのシリーズを読んでると、
もう美しい科学の世界に触れながら育てるんです。
先ほど言ってたように気づかない間に染み込んでるんですね。
あります。僕一番覚えてるのがウミムシの世界っていうところで、
あれめちゃくちゃ好きで、本当に何十回も同じページを小さい時見てましたね。
すごい、もう本当にそれに情熱かけて研究した研究者の方が書いてるんで。
なるほど。
本物なんです。
大好きでした。
嬉しい、それはね。
ほとんど人生の基盤にあるものが、僕たちの科学教室とか、ゆりかさんの育ち方とか、
僕もそれなりに読んでるんですけど、そんなに僕は全シリーズ読んでるような人ではないんですが、
科学教室の子供たちもそれをやって欲しくて、絵本と実験を組み合わせたものをやってるんですけど、
同じものが根っこでつながってるのを今感じます。
擦り込まれてますね。嬉しいです。
あの本を書いた人たちはやっぱり戦争の後にいろんなものを失った日本に、
この次の世代の大事なことは科学だってことで、本物の絵本を子供たちに届けようっていう情熱であの本出してて、
実はいろんな研究者、海外で出会ったりした研究者に聞いてみると、
あの本読んで育ちましたって人多いんですよ。
そうなんですね。
よかった、つながる部分が根っこのところであるみたいで嬉しいですね。
本当嬉しいです。
で、しかもニュートンにその後夢中になって。
で、ちょっとサッカーのことも聞きたいです。僕ね、ハンドボールをやってて、僕も結構膝の怪我とか大きい怪我して、
その大きい怪我の前にやっぱり小さい怪我は何回か経験をされてたんですか?
もうそれは日常茶飯事で、なんかオスグッドになったりとか、成長痛ですよね。
肉離れもありましたし、まあそれは当たり前な世界で生きてたんで、なんてことはなかったんですけど。
3週間とか1ヶ月とか、たまには2ヶ月練習できないとかあったけど、これは本当に大きいやつだったんですね。
そうですね、歩くことができなかったので、もうどうしようもなかったですね。
動けないんですか?5ヶ月ぐらい、なんか入院とか。
入院っていうほどではなかった、そのギリギリ手前でもうドクターストップというか、
そもそも体が動かないし走れないという状況になったんで、これはおかしいってなって病院に行って、
ドクターストップになったんですけど、この血骨結合炎っていう、いわゆる血骨、
あまり馴染みはないんですけど、この本当に股の近くにある骨のところが、
疲労によってもうボロボロになっちゃうっていうところがあってですね、
結局走りすぎっていうところが原因なんですけど、
よくプロのサッカー選手とかでも、ゴン中山選手とかも現役時代に患ったサッカー病でもあるんですが、
それで僕もちょっともう車椅子じゃないと動けない状態になってしまった。
ちょっときつかったんじゃないですか?やっぱりエース選手というか、その輝きがあるところからの落差というか。
しんどかったですね。サッカーするたびに高校3年間選んでいたので、
家庭も別に裕福な方じゃなかったんで、親に頭下げて私立の高校行かせてくれっていうところもあったので、
ちょっとやりたいことが全部できなくなって申し訳なさと悔しさというところで、
大きな挫折ですね。
もうちょっとぐれるような時もあったんですが、
それでもどうにかチームのために何かできることっていうところで、
マネージャーになったりとか、いろいろとちょっと別の活動でどうにかチームのサポートを続けるっていう立場に切り替えましたね。
その気持ちの切り替えができたっていうのはすごいなと思うんですけど、
先生とかのアドバイスとかもあったんですか?
そうですね。僕が進学したところが、総合2年目のサッカー部で、
もともと女子高の高校で、教学になってから2年目のタイミングで入学しているので、
先輩も本当に数人しかいない。
ただサッカーを強くするために元Jリーグでやっていた監督を呼んで立ち上げたっていうチームだったので、
本当にゼロからチームを作っていくみたいなそういうところでスタートしたので、
やっぱりチームに対して愛着もありますし、どうにか自分たちが結果を残すってところで、
周りの友達との意識の高さというか、ゼロイチを作っていくってところにかなり熱意を注いでやっていたので、
途中で離脱することは考えなかったですね。
どうにか最後まで卒業までやりきりたいっていうところで切り替えましたね。
なるほどね。大きな減退犬というか、そうですね。なるほど。
でもチームのためにっていうところに行き着いてよかったですね、そこは。
そうですね。結局そこでの出会いが、今でもすごく仲良い友達にも恵まれましたし、つい先日結婚式を僕あげたんですけど、
おめでとうございます。
ありがとうございます。そこの札幌の時の仲間がすごいいっぱい来てくれて、
多分今でもかなり人生を結構熱く共にした時間だったので仲良くさせてもらってますね。
なるほど。ありがとうございます。
で、そこでサッカーでの入学ではなくて、勉強し直してって感じなんですか、中央大学。
いや、まさにゼロから勉強でしたね。
結構大変だったんじゃないですか、そこは。
結局一浪して、1年間がっつり勉強して僕は入学したので、浪人を経験はしたんですけど、
ただもうがむしゃらに勉強するしかないし、やりたいことをやるためにはゼロからやるかっていうところで、
ちょっと1年発起で頑張りましたね。
そしたら、ちょっと僕の同級生を思い出しちゃうんですけど、同じように浪人した方がいるんですけど、
そしたらなんか体が調子よくなっちゃって、大学入ってからまたスポーツに戻った人がいるんですけど、
それはなかったんですか。
でも趣味としてサッカーは続けていて、大学入ってからもサークルでやったりとか、今は社会人サッカーやったりとかで、
なるほど。
なんか気分転換程度の運動っていうところで、僕はそこまで振り切りはしなかったですね。
ありがとうございます。
実は僕の高校の同級生で、入学年度は一緒なんですけど、僕は途中でオーストラリアとかに留学して、
帰ってきたら自分の高校のエースになっていて、江尻さんって言うんですけど、江尻慎太郎は県で注目ピッチャーみたいになって、
だけど夏の講師で負けちゃって、二浪するんですよ。二浪してちゃんと勉強で早稲田大学に入って、
その間に体動かしてあんまり動かしてなかったら、めちゃくちゃボールが速くなってて。
そんなことあるんですか。
肩が休ませたことがすごい良かったみたいで、2年間休んでたんですけど、そしたら早稲田でエースになって、
ドラフト1位で日ハムに入って。
すごいっすね。
そうなんですよ。で、最後ソフトバンクで最年長まで投手やって、
トミージョンとかももちろん肘もやっちゃって、シューズとかもされてるんですけど、