1. 奏でる細胞 MUSIC & SCIENCE PODCAST
  2. 2-39. ゲスト たつきさん 人..
2024-01-16 36:33

2-39. ゲスト たつきさん 人気番組「となりのデータ分析屋さん」 Part1 データサイエンティストたつきさんができるまで #科学系ポッドキャスト #お気に入りエピソード

2-39. 奏でるたっちゃん ゲスト たつきさん 人気番組「となりのデータ分析屋さん」

Part1 スーパーデータサイエンティストSDSたつきさんができるまで

#科学系ポッドキャスト #毛利衛 #宇宙飛行士

Tatsuki Sato

大手通信会社の現役データサイエンティストとして、顧客データ分析及び新規事業立案・投資戦略などを担当。KaggleのGoogle Smartphone Decimeter Challengeにおいて入賞経験を持つ。

佐々木亮と一緒に「となりのデータ分析屋さん」を発信している。

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1)たつきさん登場

2)人生を子供時代から話してもらいました

3)雑誌ニュートンで育った 「Newton」「たくさんのふしぎ」「かがくのとも」

4)サッカーに夢中

5)高校にサッカー進学 主力として活躍も全治10か月で夢を断念 

6)新しい夢は宇宙、ゼロから勉強し直して大学へ

7)大学院に行く道を照らしてくれた一人が「佐々木亮」

8)国際学会なども一緒に参加していた良き先輩「佐々木亮」との出会い

9)毛利衛さんが僕らの原点にいた


Spotify 奏でる細胞 By タツ(細胞学)ゆりか(リベラルアーツ講師)https://open.spotify.com/show/0xUhOqvpo69YiT7pmYdech

アメリカから配信する科学番組 「心を開いて相手の話を聞くことで自分の人生に役立てていく」 学びあり、笑いあり、出会いあり、科学教室の先生が様々なゲストと語り合います。 細胞の中にある音楽やリズムの研究に夢中になっているタツさんがリベラルアーツ講師のゆりかさんと細胞、老化、物理学、など様々な分野の専門家、ポッドキャスター同士のコラボ、留学や海外生活などについてポッドキャストを通して楽しく学ぶ番組です。

リスナーからの感想お待ちしています! https://forms.gle/Vsx7t9iFwC5VsxTbA (お便りはこちらフォームから受け付けています )

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00:02
奏でる銀河細胞。 奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人が、アメリカ・インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
この番組は地域医療に貢献し、皆様の一番近くにいるホームドクターを目指す。 働かないか?糖尿病クリニックのスポンサーズでお送りいたします。
こんにちは、たつです。 こんにちは、ゆりかです。 今回はですね、スペシャルゲストとして、となりのデータ分析屋さんのたつきさんに来ていただいた会になります。
本編の前にですね、この間までやっていた。 予言。
はい。 科学系ポッドキャストの日の、ちょっと多くの人に参加してもらったんで、嬉しかったっていう話を少ししてからたつきさんの会に行きたいと思うんですけど。
まずね、18番組、全部聞きました。 これまでのイベントの中でね、もしかしたら一番ワクワクする会だったような気がします。
っていうのも、皆さん1月の頭の企画のためにですね、年末に収録してるんですよ。
そうすると、明けましておめでとうございますっていうのを、年が明ける前に皆さん言ってるんですね。
よくよく聞くと。 それこそが予言ってやつ?
そうそう。で、なんか似てると思いません?アメリカに来てから、メリークリスマスって12月の頭ぐらいから使いますよね。
そうよね。 カード書いてみたり、あとは会う人にはすぐメリークリスマスになってくるし。
Tシャツもメリークリスマスだしね。12月いっぱいね。そういうの買っちゃうよね。
だから、ポッドキャスターの明けましておめでとうは。
今ちょっと確かめた。自分がメリークリスマスのTシャツ今着てないか確かめた。大丈夫だった。猫カフェでした。
そうそう。そのメリークリスマスのこの感じって、アメリカに来てからそれに向けてワクワクする感じってあるでしょ?
それをポッドキャスターの人たちでやってるんだなと思って。
だからそれが聞き取れてすごく楽しかったです。盛り上がったんで。
ぜひ皆さんにも聞いて欲しいし、僕は全部聞きました。完全に聞いて。
実はアワードをやるので。
これをやるので、20日ぐらいまでXで感想をポストしてもらえると、それが表になって、科学系ポッドキャスターの方々にアワードが届く形になってもらえると嬉しいです。
ということで、本編に行きたいと思います。
待ちに待ちたる。
今回スペシャルゲストの辰木さんについてなんですけど、前情報として言えるのはデータ分析屋さんというポッドキャスター。
隣のデータ分析屋さん。
隣に気軽に聞けるデータ分析屋さんがいたらどう思います?
知りたいよ。だって新しい職業に感じてるから、私はどんなことしてるのかなとか、どんなデータを分析してるんだろうかとか、やっぱり気になるから隣のってのがいいよね。
03:01
そうなんですよ。
どこかのじゃないのよ。
それをりょうちゃんと2人でやってるんですけど、僕が一番気になったのは、りょうちゃんは宇宙話の佐々木亮として有名なんですよ。
そのりょうちゃんが日本一を目指してる、りょうちゃんがパートナーに選んだ辰木さんが普通の人のわけがないんですよ。
そうよね。日本一になるための。
佐々木亮プロジェクトのキーとなる人ですよ。2人で始めたポッドキャストのパートナーですから。
分かります?だから僕は辰木さんのこと知らないわけ。番組で聞いてきたから、きっとこういうところが佐々木亮さんに選ばれたところなんだろうなっていうアイデアはあるわけ。
2人はいつもビデオポッドキャストで流してるから、イケメンっていうのは分かってたわけ。声もいいから。
だけどやっぱり内面がなかったら、亮さんの心には響いてこないと思ったのね。
それを知りたくて、今回コラボに来てもらって、その人生を語ってもらう回になってます。
覚えてます?僕らの叶える細胞の一番の根本。心を開いて、相手の話を聞いて、それを自分の人生に役立てていく。
これを本当に心から分かっていただいて、一生懸命お話ししていただきました。
素敵な人です。それだけが本当に心に残って、素敵な人です。
楽しみです。
ということで、本編に行きましょう。
それではお聞きください。
叶える銀河細胞。
ということで、データ分析屋さんのですね、亮ちゃんのパートナー。
友達ですね。
友達ですか。
佐々木さんに来ていただきました。今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そうですね。
どこから行けますか?ちょっと僕は、小学生ぐらいから本当は来たいんですけど。
なるほど。分かりました。
データ分析屋さんになるまでに、たつきさんの人生ってどんな感じなのか教えてほしいなと。
分かりました。じゃあ、そこから自己紹介も兼ねて、
お願いします。
ちょっと自分の話をさせていただきたいと思うんですけど、
僕はですね、小学校の頃、というか生まれは北海道、札幌市で生まれていて、
小学校はちょっと天候もあって、帯広っていう、トカチ帯広っていう、すごく自然のたっぷり、お菓子が有名なところで、
小学生、中学生時代を過ごしたんですけれども。
いいですね。
一言で言えばもう、ただのサッカー少年でしたね。
もう小学校、中学校、で、高校はもうサッカーがしたくて、サッカー進学をしたっていうところで。
サッカー進学なんですか?じゃあもう中学校の時、県選抜とかなんですか?
そうですね。地域の選抜とかに選ばれるくらい、もう土日はサッカーばっかりの人生を送っていて、
06:08
本当に勉強とか二の次みたいな生活を送ってはいたんですけど、
そうですね。その先の人生にも関わってくる一つポイントとしては、
自分の家にニュートンっていう科学雑誌、ご存知かと思うんですけど、
もちろんもちろん。ゆりかさんニュートンで育ってますから。
そうなんですね。実は僕もニュートンで育ってると言っても過言ではないくらい、母親がそういうのが好きで、
よく本棚に置いてあって、僕はトイレにこもりながらニュートンの写真を見たりとか、
特にその時宇宙が好きで、もうずっと宇宙のカラー写真とかを見て座ったっていうところがありつつも、
最初はもうそんなのは一つのきっかけであって、もうずっとサッカーをしてたっていうのが幼少期ですね。
話は戻るんですけど、サッカーで高校を入学して、
そこから3年間、本当に全国大会とか出るレベルのサッカー部で身を置いてやってたんですが、
途中で大怪我をしてしまって、そうなんですよ。
地骨結合炎っていう、この疎形部の疲労割裂にあたる、ちょっと怪我があって、
きついですね。
歩くのも大変みたいなところで、ちょっとこのままサッカー続けるのは厳しいなと思って、
1年くらい休みながら、その先の大学進学とか、もともとサッカーがしたくて大学も行こうかなと思っていたんですけど、
なるほど。高校3年生の時ですか?
高校2年生の後半ぐらいに怪我をして、ちょうど進学を考えるタイミングでサッカーで行くか、
本当に大学進学を受験で行くかっていうところを悩んだ末に、サッカーはここまでにしようというところで一個区切りをつけて、
何ヶ月ぐらいの前置とかだったんですか?
前置何ヶ月?
10ヶ月ぐらいですかね。
10ヶ月ぐらいですかね。
うわ。
そうなんですよ。
けおうけが。はいはい。
最後の大会ギリギリ間に合うことはできたんですけど、フルでのパフォーマンスは出せなかったので、
心残りではありつつも、できる限りのことは明日3年間だったなというところで、
そこに悔いはないんですが、その先、じゃあどういう人生を歩んでいこうかっていうところを考えたときに、
最初に話した、小学校の頃から興味があった宇宙っていうところに戻ってくるんですけど、
宇宙に興味があるな自分っていうところを思い出して、
じゃあ宇宙の研究できるとこどこだろうっていうのを探したのがきっかけで、大学を選びを始めて、
宇宙といえば物理学が主戦場なので、物理ができる大学ってなって東京の中央大学に進学をしたと。
09:02
なるほど。
っていうところで、幼少期から進学まではそういった流れで進んでいって、
ちょっともう質問したいことがいっぱい出てきちゃったんですが、
ありがとうございます。まずね、北海道、僕は東北出身で三重県出身というかなので、
すごい親近感が湧いてて、実は北海道大学も受験はしてましたし、
そうだったんですね。
農学部なんですよ、僕だから。すごい大農場みたいなところで大学育つ間、
研究したりフィールド実習とかしたりしてたんで、北海道っていうのは僕の中で憧れの地なんですね、ある程度。
作家ってことだったんですけど、その前のニュートン、ニュートンの前にもしかして、
そのお母さんニュートン好きってことは福音館書店の科学の友とかに触れてませんか?
あったかもしれないな。そういう雑誌がとにかくいっぱいあったんですよね、本、雑誌、書籍が、図鑑とかもありましたし。
たくさんの不思議とかなかったですか?
ありました、ちょっとカラーの写真がいっぱい載ってるやつですかね。
そうです、科学の絵本なんですね。
知ってます。
これが僕たち科学教室、僕とゆりかさんは科学教室ずっとやってるんですけど、
ゆりかさんは日本でも科学教室の先生みたいなのを博物館でやってて、
科学教育っていうのに力入れてるんですけど、子供の時から本物に触れる良い題材として、
その福音館書店のたくさんの不思議とか、科学の友とか、すごいそのシリーズを読んでると、
もう美しい科学の世界に触れながら育てるんです。
先ほど言ってたように気づかない間に染み込んでるんですね。
あります。僕一番覚えてるのがウミムシの世界っていうところで、
あれめちゃくちゃ好きで、本当に何十回も同じページを小さい時見てましたね。
すごい、もう本当にそれに情熱かけて研究した研究者の方が書いてるんで。
なるほど。
本物なんです。
大好きでした。
嬉しい、それはね。
ほとんど人生の基盤にあるものが、僕たちの科学教室とか、ゆりかさんの育ち方とか、
僕もそれなりに読んでるんですけど、そんなに僕は全シリーズ読んでるような人ではないんですが、
科学教室の子供たちもそれをやって欲しくて、絵本と実験を組み合わせたものをやってるんですけど、
同じものが根っこでつながってるのを今感じます。
擦り込まれてますね。嬉しいです。
あの本を書いた人たちはやっぱり戦争の後にいろんなものを失った日本に、
この次の世代の大事なことは科学だってことで、本物の絵本を子供たちに届けようっていう情熱であの本出してて、
実はいろんな研究者、海外で出会ったりした研究者に聞いてみると、
あの本読んで育ちましたって人多いんですよ。
12:01
そうなんですね。
よかった、つながる部分が根っこのところであるみたいで嬉しいですね。
本当嬉しいです。
で、しかもニュートンにその後夢中になって。
で、ちょっとサッカーのことも聞きたいです。僕ね、ハンドボールをやってて、僕も結構膝の怪我とか大きい怪我して、
その大きい怪我の前にやっぱり小さい怪我は何回か経験をされてたんですか?
もうそれは日常茶飯事で、なんかオスグッドになったりとか、成長痛ですよね。
肉離れもありましたし、まあそれは当たり前な世界で生きてたんで、なんてことはなかったんですけど。
3週間とか1ヶ月とか、たまには2ヶ月練習できないとかあったけど、これは本当に大きいやつだったんですね。
そうですね、歩くことができなかったので、もうどうしようもなかったですね。
動けないんですか?5ヶ月ぐらい、なんか入院とか。
入院っていうほどではなかった、そのギリギリ手前でもうドクターストップというか、
そもそも体が動かないし走れないという状況になったんで、これはおかしいってなって病院に行って、
ドクターストップになったんですけど、この血骨結合炎っていう、いわゆる血骨、
あまり馴染みはないんですけど、この本当に股の近くにある骨のところが、
疲労によってもうボロボロになっちゃうっていうところがあってですね、
結局走りすぎっていうところが原因なんですけど、
よくプロのサッカー選手とかでも、ゴン中山選手とかも現役時代に患ったサッカー病でもあるんですが、
それで僕もちょっともう車椅子じゃないと動けない状態になってしまった。
ちょっときつかったんじゃないですか?やっぱりエース選手というか、その輝きがあるところからの落差というか。
しんどかったですね。サッカーするたびに高校3年間選んでいたので、
家庭も別に裕福な方じゃなかったんで、親に頭下げて私立の高校行かせてくれっていうところもあったので、
ちょっとやりたいことが全部できなくなって申し訳なさと悔しさというところで、
大きな挫折ですね。
もうちょっとぐれるような時もあったんですが、
それでもどうにかチームのために何かできることっていうところで、
マネージャーになったりとか、いろいろとちょっと別の活動でどうにかチームのサポートを続けるっていう立場に切り替えましたね。
その気持ちの切り替えができたっていうのはすごいなと思うんですけど、
先生とかのアドバイスとかもあったんですか?
そうですね。僕が進学したところが、総合2年目のサッカー部で、
もともと女子高の高校で、教学になってから2年目のタイミングで入学しているので、
先輩も本当に数人しかいない。
ただサッカーを強くするために元Jリーグでやっていた監督を呼んで立ち上げたっていうチームだったので、
15:01
本当にゼロからチームを作っていくみたいなそういうところでスタートしたので、
やっぱりチームに対して愛着もありますし、どうにか自分たちが結果を残すってところで、
周りの友達との意識の高さというか、ゼロイチを作っていくってところにかなり熱意を注いでやっていたので、
途中で離脱することは考えなかったですね。
どうにか最後まで卒業までやりきりたいっていうところで切り替えましたね。
なるほどね。大きな減退犬というか、そうですね。なるほど。
でもチームのためにっていうところに行き着いてよかったですね、そこは。
そうですね。結局そこでの出会いが、今でもすごく仲良い友達にも恵まれましたし、つい先日結婚式を僕あげたんですけど、
おめでとうございます。
ありがとうございます。そこの札幌の時の仲間がすごいいっぱい来てくれて、
多分今でもかなり人生を結構熱く共にした時間だったので仲良くさせてもらってますね。
なるほど。ありがとうございます。
で、そこでサッカーでの入学ではなくて、勉強し直してって感じなんですか、中央大学。
いや、まさにゼロから勉強でしたね。
結構大変だったんじゃないですか、そこは。
結局一浪して、1年間がっつり勉強して僕は入学したので、浪人を経験はしたんですけど、
ただもうがむしゃらに勉強するしかないし、やりたいことをやるためにはゼロからやるかっていうところで、
ちょっと1年発起で頑張りましたね。
そしたら、ちょっと僕の同級生を思い出しちゃうんですけど、同じように浪人した方がいるんですけど、
そしたらなんか体が調子よくなっちゃって、大学入ってからまたスポーツに戻った人がいるんですけど、
それはなかったんですか。
でも趣味としてサッカーは続けていて、大学入ってからもサークルでやったりとか、今は社会人サッカーやったりとかで、
なるほど。
なんか気分転換程度の運動っていうところで、僕はそこまで振り切りはしなかったですね。
ありがとうございます。
実は僕の高校の同級生で、入学年度は一緒なんですけど、僕は途中でオーストラリアとかに留学して、
帰ってきたら自分の高校のエースになっていて、江尻さんって言うんですけど、江尻慎太郎は県で注目ピッチャーみたいになって、
だけど夏の講師で負けちゃって、二浪するんですよ。二浪してちゃんと勉強で早稲田大学に入って、
その間に体動かしてあんまり動かしてなかったら、めちゃくちゃボールが速くなってて。
そんなことあるんですか。
肩が休ませたことがすごい良かったみたいで、2年間休んでたんですけど、そしたら早稲田でエースになって、
ドラフト1位で日ハムに入って。
すごいっすね。
そうなんですよ。で、最後ソフトバンクで最年長まで投手やって、
トミージョンとかももちろん肘もやっちゃって、シューズとかもされてるんですけど、
18:07
結構波乱万丈なんですよ、その辺は。
トミージョンしてサイドスローに変えたりとか。
僕がアメリカで苦しんでる時に彼は2軍に落ちたり、2軍でまた頑張って早がって1軍戻ってきてとか、
先発から中継ぎ転校して横浜にトレードなって、みたいなね、いろいろあって。
でも励まされたんですよね、その頑張りとかにね。
確かにすごいですね。
そんなしくないけど、それでも何とか頑張ってる姿を見て、
勝っても負けても僕はその時の気持ちに重ねてね、やってたところがあるんで。
すごい話だな。
今度ね、ゲストに来てもらおうっていう話をしていて、
僕のポッドキャストにプロ野球選手が来てくれるかもしれないと。
ビッグですね、それは。
でも江尻君は本当に、一回母校に戻ってトークショーをした時があって、
その時の司会がまだアナウンサー時代の栗山さんだったんですよ。
監督になる前の。
そう、だから栗山監督でニチハムでってことなんで、
多分札幌同文が新条が来て超盛り上がってた時のピッチャーの一人なんですよ、江尻。
じゃあ僕見てるかもしれないですね、たまにニチハムの試合を見に行くこともあったので、
そうしたら見てたかもしれないですね。
そうそう、だからあの頃の何かを思い出しました。
しかも北海道っていうキーワードが多分。
そういうことですね、すごいな、アローニーしてプロ野球選手。
めちゃくちゃ本気で勉強してね、やっぱね、早稲田大学帰りたかったらしいんですよ。
だからそれ以外の断って受験で行ったっていうね、ちょっと変わり。
いや、かっこいい。
ありがとうございます、それを思い出しました。
で、ちょっとその後物理学の方でどんな研究されてたんですか?
そしてその後、りょうさんと出会ったりするとこと、
そうですね。
ポッドキャストまでちょっとお話ししていただきたいんですけど。
はい、で中央大学に入った後は、理系の大学って結局研究室の配属、やりたい宇宙の研究って4年生になるまでないので、
はい。
僕はどうにか行きたい研究室に入りたいなって思いで、どうにか宇宙の研究室。
で、そこでこの佐々木亮と出会うことにはなるんですけれども。
え、ちょっと待ってください、そうなんですね?
そうなんです。
同じ研究室の先輩後輩の関係なので。
なるほど。
で、最初から佐々木に2校上ですかね、学年で言うと。
なので、僕が大学4年生、で佐々木亮が、佐々木さんっていつも言ってるので佐々木さんにしますけど。
佐々木さん、はい、亮ちゃんが。
M2ですね、大学2年生で同じ研究室に配属することになって出会って、その時は別にめっちゃ仲良いってわけでもなくて。
何人ぐらいいるんですか、研究室に。
10人ぐらいですかね。
あ、サッカーチームみたいな。
21:02
そうですね。
はいはいはい。
特に仲良いわけでもないんですが、あのユニークなキャラなんで、歯を回してるというか研究室を回してる感じのやんちゃな兄ちゃんみたいな感じで。
仲良く喋るなーくらいでいたんですけど、僕が最初に佐々木亮を認識したきっかけがありまして。
はい。
僕その後大学委員に進学するか就職するかで悩んでいた時に、内部推薦。私立なので受験がなくて内部の推薦で進学できるよっていう、そういう説明会があってですね。
で、そこで佐々木さんが講演者として後輩に内部推薦ってどんだけいいんだみたいなところをプレゼンする機会があって、僕はそこに参加したんですけど。
普通プレゼンする人ってこういう研究ができるから面白い、学会に行くとこんなことがあるとか、その先の進学こういうところにも行けるよみたいなメリットをいっぱい語るのが普通なのかなと思うんですけど。
その佐々木さんのプレゼンはそんなことは全く触れずに、とりあえず奨学金を取るためにはどうすればいいかっていう金の話で1時間話し続けたんですね。
いましたね。
はい。
佐々木亮の実力がここでできましたね。
そうなんですよ。で、奨学金を取れば大学院でかかる授業料は全部免除になるし、免除になるためにはこれくらいの成果を残せばいいみたいな逆算的に考えて、じゃあこういうコミットの仕方をすればうまくいくっていうのを説得させられるみたいなそんなプレゼンをされていて。
うん。
なんだこいつと思ったんですけど、僕は妙に踏み落ちて、で、僕その時たまたま大学院に行くときの1つのボトルネックとして学費っていうところがあったんで、じゃあ奨学金取ればいい話だと思って、妙にすっきりして内部推薦行こう、それを目指そうっていうモチベーションで大学院に進学して、そっから佐々木さんとめちゃめちゃ喋れるようになって。
なるほど。
っていうきっかけでしたね、佐々木さんの1つなんか僕の人生の分岐点にいたのが佐々木さんだったっていう。
それはちょっとね、わかる。
わかります。
すごいわかるっていうのは、僕とりょうさんとれんさん3人で初めて会った日があるんですね。
はいはい。
忘れもしないですけど、僕が2人を招待して、僕のZoomの中で3人で会って、最初に僕が提案したのは、まずお互いのいいと思うこと褒め合いましょうって言ったんですよ。
はいはい。
で、そこで僕がりょうさんに言った褒め言葉が、この人お金の話上手いって言ったんですよ。
研究者の中でお金の話上手い人って結構いいところポジション持ってるんですよ。
24:04
そうなんですね。
佐々木りょうの宇宙話だけど、あの人佐々木りょうのお金話でも結構いいとこ行くと思うんですよね。
なるほど。
お金の話を僕がして、ちゃんとれんさんは毎日続けるあの熱量って、りょうさんのいいところをしっかり捉えるし、言葉も上手。
僕情熱だけで、お金の話できるとこがすごいって言ってて。
でもそこですよね。そこですよね。
そこです。
あの人なあ、お金への情熱があるのかな。
あるかもしれないですね。
まさにお金のところで、腑に落ちたっていうのがきっかけで、大学院に進学して、一緒に研究をやりつつ、手伝ってもらいつつ、先輩だったので、本当におんぶり抱っこでいろいろ教えてもらえながら過ごして、
で、学会に参加したりとか、あとは国際学会にも、りょうちと二人で行くこともあったりとかですごい仲良くさせてもらった2年間で。
かなべる銀河細胞
はい、聞いていただきました。いかがだったでしょうか。
やっぱりね、子供の頃に心が柔らかい時に、ニュートンがあるのね、と思ったところが嬉しかったです。
あとはたくさんの不思議。
そう、なんか僕たちとつながっているところもあって、そういったところが良かったし、もちろんサッカーっていう、サイドバックでもつながってましたよね、ゆりかさん。
そこをお話ししなきゃいけないのかしら?
代表選手ですからね、そこもね、二人とも。
そこも?
そうでしょ?
まあまあまあ、またさ、ちょっと話が20人も30人もなっちゃっていいのかしら、それって。
いやでも僕が心に残ったのは、そこで大きな怪我をしたけれども、チームの力になりたいというところで、その役割を買って出てですね、もう悔いが残ってないと。
そして結婚式で仲間たちがやっぱり来てくれて、やっぱりその人生でコアになるような部分を共に過ごした仲間たちだから。
サッカーのね。
だからすごくいい仲間として今もその関係が続いているという話とかもすごく良かったなと思います。
いいですね。
そして佐々木亮さんと出会ってっていうのが続いていくんですけど、やっぱり今回は何と言ってもそこですね、ニュートンのところですね、ゆりかさんは。
私はね、科学教室をやるときに子どもたちにどんな子ども自体を送ってほしいのかなと、一応先生の気持ちと、また母の気持ちっていうかな、親の気持ちで考えたときに、
学校で楽しいことは山ほどあるかもしれないけれども、家に帰ってきてちょっとお菓子なんか食べて、その後にめくる本とかめくる雑誌とか、そういうときにとっても幸せを感じることが一番心をカルチャーするっていうのは、カルティベートするっていうのはそういうことかなって思ったときに、
27:10
科学教室はそういう心の柔らかいところに寄り添いたいなって思ったのね。だからそこの基本にあるものは、たくさんの不思議っていう福音館書店が出している科学雑誌にして、ちょっとレベルが高くなっていくけど、ニュートンまでの、ニュートンを読み始めたらもうこっちのもんだからっていうふうに思っていて、科学教室のその設定をそこに置いたんです。
だからとても大切なキーワードがこのインタビューで聞けるとは思わなかったので嬉しかったんです。よくぞ引き出しました、達さん。ありがとう。
そもそもユリカさんはニュートンをいつぐらいに読んだんですか?
中学1年ですね。
中学1年のときに読み始めた。
中学1年のときに、たぶん間違っているかしら、毛利守さんが宇宙に飛んだのね。そのときに宇宙飛行士で科学者が飛んだのよ。それがものすごくダイレクトに心に響いたわけ。
あ、学者になって宇宙に飛べるんだって思ったのがちょっと衝撃。宇宙飛行士っていうのはパイロットみたいな立場だと思っていたわけよ、田舎に住むものとしては。それが、ああ、科学者が乗れる乗り物なのねっていうふうに思って、その中でたくさんのミッションをこなすんだけれども、ちょっとね、ちょっと違う意味で私は感動してたの、実のことを言うと。北大の先生だったよね、毛利守先生はね。
いや、覚えてる。もしかして特集をやってたの、ニュートンで。
そうよそうよ、宇宙からの写真だとか、今手元にないから全部私の記憶だけれども、特集はあったと思うんだよね、服装だとかも。
なんかさ、僕も毛利さんの説明で宇宙飛行士がどんなふうに日常を送るか、水をどうやって飲むかとか。
そうそうそうそう、なんかね。
そりゃそうだな、毛利さんの話でちゃんと最初に聞いたかもしれない。
多分私の年齢がちょうど合致した時だったと思うし、毛利さんっていうこのスターがね。
いや、来なかった?そのさ、宇宙から帰ってきて全国あんやみたいなのしたのよ。
え、あなた会ってるの?
僕じゃない、僕のいとこが実は今ジャックさんに勤めてるんだけど、新聞の一面に載ったの。
一番最初に毛利さんが来た時に手挙げて、質問した人にもう真っ先に手挙げて。
でもジャックさんのあの子結構私たちよりずっとずっと若いから、もっとちっちゃかったのかしら?
だから行って帰ってきての。
小学生ってことかな。
そう、小学生で多分2年生か3年生ぐらいの。
すごいね。
わかる?真っ直ぐに毛利さんに手挙げて聞きたかったの。何かどうしたら宇宙飛行士になれますか?って聞いたの。
あら、素敵な質問。
全国誌じゃないかな。あれ県の新聞かもしれないけど、一面。
あ、そうね。そうすると、そっか、小学生から中学生、高校生といろんな子たちがいろんなところで回答したわけね。
30:07
ちょうど私はそのとき中学生になったかならないかぐらいで、そのときに、これはニュートン買わねばならぬと思って。
定期交読をお願いして、そっからずっと、高校卒業するまで毎月定期交読してもらってた。
たつきさんはね、トイレにこもって読んでたって言ってたね。
ほんと、オールカラーなのよ。
そう、その鮮やかさに。
そう、宇宙なんか、もうとにかく鮮やかなわけ。こんなに鮮やかで綺麗なんだって思って感動した。毎月毎月そんなのが届くのよ。
いやー、嬉しいね。同じところがね、土台になってるっていうのは嬉しいよね。
なってる、なってるね。
僕もね、あれ、細胞の回もあって、なんか細胞もバーってカラフルになってたのを覚えてて。
確かに、今思うと細胞も宇宙も同じ熱量で同じ広さを持って語られてたから、たつさんの細胞が宇宙、宇宙が細胞っていうのは、もしかしたらニュートンでインプットされてるかもしれない。
細胞と宇宙がつながってるっていうのは、じゃあ発信の中でもそう。でも宇宙が強かったイメージがあるんだよな。
そんなイメージで語らないといけないじゃないですか。私、毎月読んでるんですから、そういうのやめていただけないでしょうか。
ちゃんと見た方からすると、モーラ的です。
満遍ないです。とにかく満遍ないです。
生き物のすごい能力とかもやってなかった?
あの、古生代の恐竜の姿とかね。
そうそう、恐竜も大きかったよね。
オールカラーだから、なんていうかな、白黒じゃないから、もう鮮やかにそれが生きてた時代に入り込めるのよ。
すごいよね。これ嬉しかったのが、ちょうど朝日新聞ポッドキャストの方で、今のニュートンの編集とかをやってる人たちがゲストで。
それすごい。そっか、そういうふうに生の編集の声も聞けちゃう時代だと思って。
すごい時代でしょ。やっぱポッドキャストちょうどいいよね、そういう裏話みたいなのを聞くっていうのが。
そうね。
意外と編集の方々、偉い方々、小さい時は読んでなかった。
育てないっていうのがね。そっか、でもそれと客観的な視点で見られるのかしら。
多分そこのポジションというか、そこは雑誌をいかに魅力的に売り出していくかっていうところだから、子供の時読んでたかどうかは大事ではないんじゃないのかな。
でもそこに引き出してるポッドキャストすごい楽しくて、全部聞いちゃった、僕は。
朝日新聞の方の話ね。
これからね、たつきさんの、僕がそこで嬉しかったのは、サッカーっていう大きな夢がね、うまくいかなかった時に、宇宙っていうものがもう一回心に移って、
33:02
その新しい宇宙っていう夢に気持ちを切り替えて、そこに向かっていった結果、データサイエンティストのたつきさんが今いるってことだね。
わかる?
で、これ、それで僕、えじりしんたろうくんのこと思い出したんだけど、うちに唯一ある有名人のサインが、えじりしんたろうくんのサインだったんだけど。
そういう海を渡って、インディアナまで来てるんだからね。
えじりしんたろうくん、27のサインなんだけど、当初のね。
だけど、彼もね、いろんな挫折とかがある中で頑張り続けたのとかって、やっぱりこう、いいなと思って。
彼はサッカーのことは挫折っていうふうに言ったの?
挫折とは言ってないね。
でしょ?だからそこは、私はそういう話でまとめるのが、昔からのすごい悪いところで、そういうことじゃなくて、
高校時代に全力を尽くせるものがあった。そしてさらに大学時代でも全力を尽くせるものがあったっていう、ただそれだけなんじゃないかっていうふうに認識した方が、より豊かなんじゃないか。
だってこれからだって全力を尽くすものが現れて、それは宇宙じゃない、サッカーでもない、なんでもない、わからないものかもしれないと。
ただ子供の時にね、心をとっても耕しておくと、何でも生むことができるっていうところに私はまとめたいんです。
あ、いいね。
でも2つの道がある、いくつかの道があるって言ったら、その人の可能性を奪ってしまうことになるから、
私はそんなこと思っていなくて、なぜニュートンっていう言葉とたくさんの不思議っていうところに私は敏感に反応したかっていうと、
先ほどに戻るけれども、子供の時に学校から帰ってきて、一人の時間お菓子をぼりぼり食いながら雑誌をめくるっていう私服の時、私服の時が何だったのかって知りたいのよ私は。
そこにはゲームだったりとかもあるし、その傍らに読書があったり、その傍らにニュートンがあるってどんなに幸せなことだろうかと思って、それを想像できたの私は。
なるほどね。いやわかる。科学教室の子供たちがある子はさ、例えば植物の芽が出たり花が咲いたりするところに胸をワクワクさせたり、化石を見てね、このインディアナの今マイナス20度になってるけれども、
これが何万年前は温かい海の底で珊瑚の化石がボロボロ出てくることに想像してね、ワクワクする瞬間があったりしていくことによって、この世界がとても魅力的なものだって気持ちになるわけじゃん。だからそういう基盤を子供たちに持っててほしいってことでしょ。
ということで、たつきさんが心を開いてすごい良い人生の話をしてくれました。本当に素晴らしいので。で、パート2にも続くんですけども。
36:04
はい。次回のお楽しみに。
以上、お相手は科学教室の先生たつと、ゆりかでした。
バイバイ。
36:33

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