今回もお風呂については、まさに絵に描いたような、あそこに出てた女の子。
橋本さんだ。
実写版橋本さんだ。
それはちょっと、訂正したほうが。
どうかそうか。
もともとは何?
上海を生まれっていうのは。
上海で、日本人で上海って思えたの?
私が、父が60歳で、母が40のときの子供なんですけど、
母がもともと中国で文化大革命があった年で、大学に行けなくなってしまって、
自分のキャリアが閉ざされたときに、悔しくて20代後半、30になってから日本に出稼ぎに出てきて、
そのときに出会ったのが父で、父と母が最初に出会った。
母は上海の人だったので、生むときは上海がいいっていうので、
私は上海に生む前に帰って、3歳まで上海で育ち、そこからずっと日本ですね。
中国と日本のハーフだ。
そうです。
なるほど。
その後ずっと日本で、ペインミーのスタートアップに入って、
きっかけとして、何で先頭なのかというと、
スタートアップといえば今時だったら、最低限どうかな、サウナとかシューシャーバーとかね、
もっと言えばAIとかITとかいろんな感じで、ペインミーになってまさにスタートアップのど真ん中じゃないですか。
そうですね。
この先頭をやりたいと思った理由が、本当にいつも説明ができなくて、
強いて言えば父がスタートアップに入って、
父の趣味がギャンブルかタバコか先頭だったんですよ。
小学生の時に父の膝の上でパチンコを打ったこともありますし、
なるほどね。
それか一緒に先頭行くっていうのが割と数少ない思い出の中にあって、
昔から自分のルーツに先頭はあったんです。
で、大人になったら、
やっぱりペインミーのスタートアップで働いている中で、
2020年の9月ぐらいですかね、
次の人生の節目は先頭を経営したいっていう感情が突然芽生えて、
突然芽生えて、
今お父さんが何歳だっけ?
今お父さんが60歳の時なんで、88歳で、
80歳の時にスタートアップを始めたんですよ。
そうなんですね。
今お父さんが何歳だっけ?
今お父さんが60歳の時なんで、88歳で、
86歳?2年前に亡くなったのかな?
なるほどね。じゃあ俺ぐらいが62歳だから、
俺ぐらいの時にできたわけですね。
そうです。
簡単に言うと、じいちゃんに育てられたような感じだね。
本当にそうです。
俺は最近もうできたから。
ということはまさにもうちょっと俺よりも1個前の世代の、
本当にタバコ吸いながらギャンブル打ってるような。
そうです。競馬で。
みんなで行くぞって。
3中央で夕日時代だね。
本当にそうです。
その辺の影響もあったっていうので、
でも普通そういうのって行きたいぐらいはあるじゃない?
懐かしいから。
俺もだから仕事にしたいとは思わない。
先頭まで行くの好きだから。
でもスーパーセンターにも先頭の方が行くのは好きなんだよね。
でもやるかって言われたらもうやりたくない。
そうですよね。別物ですよね。
でもなんかその、私PayMeに入った時は、
一番初めのきっかけは親の介護で、
それまで本当に仕事が好きでずっと働いてたんですけど、
ちょうど父が80になる、80代の時が自分の20代なので、
父の介護をしながら働けるようなスタートアップっていう時に、
たまたまお知り合いの方がPayMeにいらっしゃって、
PayMeに入ったんです。
ただ入って3ヶ月後に当時の代表が辞任をしたいっていう、
会社を畳みたいっていう話になりまして、
うよ曲折、当時事業部長だった自分がもう一人の、
当時のCFOだったものと会社を引き継ぐっていう形になるんですけど、
全くPayMeの中で何かを成そうと思って入ったというよりかは、
本当に人生の節目でどうすれば介護に向き合えるかっていうのが、
自分の目的だったので、むしろ真逆の方向に人生が振ったんですけど、
ただその中でPayMeで働いていると、
ある程度世間から見られ方だったりとか、
肩書きみたいなものがついた時の違和感がすごく大きくて、
自分としては父に向き合うために入った会社で、
たまたまそういう変化があったっていうだけなんですけど、
やっぱりこういうプロフィールにも書いていただくようなことも増えて、
日々先頭に通う中で、
見知らぬおばあちゃんと天気の話をしたりだとか、
私のことを全く知らない人とどうでもいい話をする時間が、
あまりにも私の中で豊かで唯一無二で、
そういう時間を重ねていく中で、
何となくこの時間が好きというよりも、
この時間を社会に残す側に回りたいって強く思って、
スタートアップの時間軸もすごく自分は楽しかったんですけど、
ただ先頭のような、もう少し何十年っていうスパンで
事業に向き合えることのほうが、
すごく自分に向いてるんじゃないかなっていうのを思い、
思い立ってからは、
次の節目はいつだろうなっていうのを考えながら過ごしてましたね。
最近のNHKで言うと、文言読みとかも先頭のコミュニケーションみたいな。
知ってる?見てる?
見てないです。
それを結局残したいみたいな感じで、
次の人たちが引き継ぐって感じなんだけど。
そうなんですね。拝見します。
いいやいいや。
でもまあ、先頭自体はお風呂だけじゃなくて、
みんなとのコミュニティがっていうところが結構自分が惹かれるところなのかな。
そうですね。
なんかよく先頭は小さい社会だっていう話をするんですけど、
高円寺のコスギュウだと、
30代以下の方で全体の半分なんですよ。
すごい若い方が多いんですけど、
ただ、変わらず65歳以上の方も多くいらっしゃって、
赤ちゃんからおばあちゃんまでいらっしゃるんですけど、
それだけじゃなくて、
20代のご夫婦が2,3万円のタオルケットをポンって買って帰ったりもすれば、
生活保護の方がいらっしゃったりもして、
元気そうな方もいらっしゃって、
自閉症だったり発達障害で、
一人でずっと喋りながらお風呂に入っちゃう方とか、
認知症の方も一人で来れる場所なんですよ。
結構認知症の方が、
人生で最後に一人で行ける場所が先頭だったりもすることが多くて、
そういうのを見ていると、
普段自分が接することのない、
普段だったら遠ざけてしまうような方と、
ただお湯を共有するっていう中で、
小さい社会の中に、
自分が所属しているような感覚が、
すごく心地が良くて、
なので、私は若い方が集まる、
サウナっぽい先頭は、
あんまり得意じゃなくて、
通えないんですけど。
おしゃれなジームラボが作れるようになるように。
それも好きなんですけどね。
日常的にはなかなか、
使いがないんですけど。
公園で残すときみたいな雰囲気が、
居心地が良いです。
いやいや、うちなんかも田舎なんで、
片山存線とか、
山下温泉とかって温泉場なんでね。
そういうのがあるんだよね。
だいたいそういうところで、
山中温泉とか、
みんなお風呂で、みんなが会うという。
みんな家に風呂あっても、
そういう風に来るんだけど。
その中でも、
噂話が出たら、
みんなに広がるぐらい、
おばちゃんたちのコミュニティーがすごい。
やっぱりそうなんですね。
田舎なんかは結構そういう場所で、
やることが多いんだけど、
でも確かに都会っていうのは、
そういう全く年齢の違う人たちと出会う場所っていうのが、
今はないよね、あまり。
いや、全くないですね。
俺も昔、
ギャラクシー時代にこっちに来た頃は、
まだ銭湯に行ってたんだけど、
そういう時だと本当に、
家に風呂なかったのもあったけど、
毎日行って、
いろんな人と会うっていうのがあったけど、
そういう風に、
そこも何年かぶりに行ってみたら、
もう無くなってたからね。
そうですよね。
銭湯はどんどん無くなってるよね。
1960年代のピークの時って、
東京で2800件ぐらいあったんですけど、
今のセブンイレブンと同じぐらいなんですよ。
そうだね。
でもあったよね。
だって、
銭湯行ってコインランドリー行って、
帰ってくるのが日課だったから。
そうですよね。
風呂好きがっていうよりもね。
今何件ぐらいなの?
今450件なんですけど、
それでも、
東京でマクドナルドとモスバーガー、
足した数ぐらいはあるって、
いかに計算すると、
意外とあるねって、
いつも思うんですけど。
たまに三陰予党で行って、
タオル一本買って入ったりすることはあるんだけど、
ただ、
本当にやりたいとは思わないけど、
行きたいなと思って。
よくそこに入ったなと思ってね。
いろいろ言うと。
今の会社に、
今の小杉さんに入られる前に、
そもそも独立されてるんですもんね。
そうです。
先に態度を立とうと思って、
結構銭湯業界って、
すごい社用産業なこともあって、
最近でこそ若い方が銭湯をやりたい、
っていう声が増えてるんですけど、
逆にそういう5人ぐらいが、
そういう声を上げただけで、
若い方が急に入ってきた、
みたいな見え方をするんですよ。
そうだろうね。
その時に、
過去そういう風に言ってた子たちが、
さっと去ってしまって、
やっぱり外部の人ってダメだね。
家業じゃなきゃいけないよねっていうのが、
いまだに銭湯業界は、
年々強くなってる感覚があって、
なので、やるからには、
生半可な気持ちで入ってしまうと、
多分受け入れてもらえないだろうな、
っていうところもあったので、
先に会社の方を、
自分で立ち上げて、