そうそう、わかりやすいよね。
できる、自分がその仲間に入っていけるような感覚になるような作品だと思いました。
舞台がデイケアっていう場所で、
デイサービスとか。
ご老人たちが集まるっていうのも、ちょっと精神疾患があったりとか、
一般的な社会みたいなところで、ちょっと行きづらくなった人が集まる場所で、
基本的にそこにケアされるためにみんな集まってきて、
日常が行われていて、そこにセラピーとして登場するのがこの戸畑先生なんですね。
臨床心理師みたいなね。
そうそう。なのでそこのストーリーがめっちゃ面白いんですけども、
内容的にはどういうことが書かれてるんですか?
デイケアで暮らす人たちの日常から始まって、
基本的にトランプをやったりとか、昼休みソフトボールをやったりとか、
そういうことの繰り返しなのね。
毎日毎日同じことの繰り返しみたいな。
デイケアの利用者さんと、それをサポートするスタッフがやってることはそういうこと。
ずっと同じところでタバコを吸い続けてる人とか、
同じリズムでトントントン叩いてると安心するとか、
だから簡単に言うと、一見無駄みたいな。
ソフトボールとかもやってても、別に大会に出るわけじゃないんだけど、
バットミントンやったりバレーボールやったり、レクリエーションがあって、
それをこなして家に帰って、また翌朝やってきて、それをこなして家に帰るみたいな。
デイケアっていうのは、そういう時間、それに安心するみたいな。利用者さんは。
変わらない日常みたいなこと。ここがストーリーとしてずっと続いていくのね。
心に傷を負う人たち。
それがケアの概念で、そういう人を優しく否定せず受け入れていくのがケアだと。
で、反対の概念としてセラピーって言葉が出てくるんですけど、
これはトウハタさんはセラピーの人としてやってきて、
その利用者さんの話を聞いて、何か悩みありませんか?みたいなこととか、
そういうのを聞いていくっていう行為なんだけど、
セラピーっていうのは、実は変わらない日常からちょっと頑張って外に出ていきましょうっていうことを促す行為なのね。
だからさっき言うちょっと心シビアなことというか、
本当は突きつけられたくない、いつまでこれやってるんですか?みたいなことをやんわりと言っていって、
もうちょっとこういう仕事だったら頑張ってやれますか?みたいなこととか、
デイケアに来る日を減らしませんか?みたいな、そういうことを促していくストーリーなんですね。
先生みたいな?
保健室の先生みたいなポジションで、社会に復帰していくためのプロセスであるというところのやり取りがすごく面白いんだけど、
今の話につながるんだけど、時間っていうのは2種類あるって話があって、
線的時間、線っていうのは直線の線ね。点と線の線。
もう1個は円環的時間っていうんだけど、円環っていうのは丸み環境の環。
ぐるぐるぐるぐる回っているっていう。
基本的にさっき言ったデイケアの時間っていうのは円環的時間なのね。
ずっと同じ日常がぐるぐる回って変化がありません。
でもそこに安心するものもある。
子育てみたいな。
そうなの、そうなの。そういうことなんです。
子供もやっぱり毎日同じリズムで心が安定して育つみたいなことを言われる。
線的時間っていうのはもうちょっと物語性をもたらすっていうことなんだけど、
山あり谷あり、ありながらだんだんと成長して進んでいくみたいなことなんです。
凸凹な道。
この例えがちょっと面白くて、線的な時間っていうものの代表例は映画のドラえもんだみたいな話がちょっと例えとしてあって、
日常の生活の中に急に恐竜の卵が裏山に落ちてたりとか。
あーあるね。
日常的な時間の、え?みたいな。ピースケ出てきたみたいな。
急にね、なんか卵落ちてピースケして。
恐竜を回収しに来るさ、未来から来る悪い集団とかさ、わからないけど一気に物語が進んで、
最後さ、また日常生活に戻るわけ。ピースケと別れて。
この前見たけどさ、最初ののび太は坂上がりをずっとしてて、そこから始まって、最初は坂上がりできてないの。
でも一夏のピースケを巡る冒険みたいなのが終わって、ラストには坂上がりができるようになってるみたいな。
美しい。
美しいでしょ?
だから日常は変わってないのよ。ジャイアンとスネ夫とか静香ちゃんとの関係性は変わってないんだけど、
自分がちょっとだけ成長してるみたいなことが戦的時間、物語があると。
一方で円環的時間ってグルグル回る時間っていうのはサザエさんの世界だっていう風に書いてて、
日常ずっと変わんないじゃんサザエさんって。
急にナミ兵が急な病に倒れるとか、サザエさんがもう私も家事行く時いいわみたいに言ってヨーロッパに旅行していなくなっちゃうとか、
そんなのないじゃん。
相変わらずナミ兵はさ、自分で着ればいい羽織みたいなのを船に着せてもらったり、
自分で片付けてればいいカバンを船に預けてやってるわけでしょ?昭和パパは。
相変わらず。
あったよね。そういう話。
その話かじらじでもありましたけどね。
だからこれがもう違うわけ。
里野さんが言ってくれたように、子育ては円環的な時間なんですよ。
ぐるぐるぐるぐるずっと進歩も成長もあんまりない。
何かが危機的に急に、昨日までハイハイしてたのに急にすくって立ち上がることはない。
昨日までおむつだったのに急に今日からパンツでいいっすみたいなのはならない。
成長して戻って成長して戻って、ほんと3歩進んで2歩下がるみたいな感じ。
そう、ほんとそうです。
ちょっと進んだと思ったらあれもうできなくなったみたいなこととかもあるし、時間が遅いんですよね。
もう一個かじらじのテーマでもある家事みたいなことって、もはや変化はなくて、もう永遠とやり続けなきゃいけない。
食洗機を買うとかルンバ買うみたいな進化はあるかもしれないけど、それでもやっぱり作業はずっと変わらないわけなんですよね。
急にれいわパパは円環的時間に放り込まれちゃったわけ。
今までやってなかったっていう点ではね。
もっと物語的なさ、会社の時間とか外の時間っていうのは基本的に島工作の会でもあったけど、
企業っていうのは成長し続ける使命を持っていて、絶対今年よりも来年の成績が良くないといけないようなプレッシャーもあるし、
それでいて仕事っていうのもどんどん増えたり、部長になったり、課長部長、役員みたいになっていけばレイヤーも上がっていくみたいな、
全然円環的なぐるぐる回る家事育児と全然時間が違うんですよ。
僕の日記があったのは時間が足りないし、直線的なイメージ、成長していくイメージがこんなに湧いてるのに、
このぐるぐる回る家事育児子育てに追われているっていうことのギャップに耐えられないんですね。
それはでもね、母親も一緒。その現実に突きつけられるのは女性も一緒ではある。
女性は先輩なんですよね。これは完全にいわゆるワーママみたいな言葉があったときに、
でも仕事もできる。
だけどどっかで抑えて、その気持ちを抑えて、
なんかみんなグッと耐え忍んでるよねみたいな感じの、
嵐を耐え忍んでるっていう仲間意識が、俺は勝手に感じちゃってるわけ。
でもやっぱり今でこそチラホラ出てきたけど、
3,4年前の美容師さんにはパパ友なんていなかったし、
パパ友欲しいぐらいには言ってたけど、
やっぱりそういう人が身近にいるっていうのはなかなかない。
だから本当に3,4年前は美容師さんともう一人レストランやってるパパさん。
それも前の仕事の仲間だったんだけど、
その2人だけだったんだけど、最近この同じレベルの会話ができる人めっちゃ増えた。
それがちょっと冒頭にも言ってた1984年から90年ぐらい生まれの人は、
確実に波長が合うので、なんとなくそういう世代が増えてきて、
私もうすぐ40になりますけど、39で40になって。
こういう世代が上に上がっていけば、それはそれで気持ちがわかるから。
これ社会変わると思ってるんですよね。自然と。
この苦しさをわかってるってことがすごく大事で、
女性側の気持ちもわかるし、男性パパの新米パパが苦しむこともわかるから、
それに手を差し伸べたいっていうのが今回の収録でもありますけどね。
何もならんけど言ってるわけですよ。めっちゃ辛かったからね。
それがきっかけでこういうラジオをやってるようなものだもんね。
エワパパメタ認知みたいなものは、ここでしか聞けないコンテンツな気がしてます。
そんなことないのかな?いろいろいるけど。
はじラジオが面白いのは、この後解決策をちゃんと提示しますので、第3回では。
どうやったら時間のギャップとかメンタリティとか、時間の使い方がこうすればよかったかなっていうのを、
過去の自分に会えたなら言いたいなみたいなことを、ちょっとまとめて夫婦目線で話ができたらなと思っております。
もしね、今周りにそういう人がいないなって悩んでいる人がいたら、
まさにこの回が助けになってくれるといいなって思います。
この3回そうなってほしいよね。
あとは止まらない雨だと思っているけど、いつか止まるので、それを信じましょう。
本当にそれは言っていこう。
希望だよね。
このトンネル抜けないんじゃないかと思ってるけど、終わる時が来ます。
まだ僕らは終わってませんけど、ちょっと抜けかけてきたよね。
そうだね、抜けかけては来てるかな。まだ終わってないけど。
そんな話は次回も行きたいと思います。
今回もありがとうございました。
次回へ続く!
続く!
続く!