一方で、それでやってないポイントみたいなものがもちろん存在をしていて、
そこに対しても褒めてあげないとダメな人がさ、ずっと俺外でやってるからっていうのが何よりも切り札みたいな。
そうだね。なんか妻には言えなくても、自分の心の中で固くなに叫んでる感があるよね。
そうそうそうそう。
なんかそこをやっぱり明確にしなきゃいけないのかもしれないなと思ってて、
この前さ、知り合いの男性の人と話してて、結婚して友働きだったんだって。
まぁフィフティフィフティぐらいで家事をやってたみたいな。家事くじやってて。
だけど奥さんがもうちょっと仕事疲れたから専業主婦になるねって言ったら、わかったと。
でも専業主婦になるのはいいけど、もう専業だから、俺今まで50やってたけど、ゼロにするからって。専業主婦でしょって。
奥さん100、俺ゼロだからみたいな。これはさ、数字上は正しいのよ。ポイントの振り分けとしてはめちゃくちゃ正しいんだけど、極端じゃん。
極端すぎるけど奥さんは。
奥さんは別にそれでいいみたいな話。本当のとこはわかんないよ。
なんかそれってさ、あまりにも可視化されているもの。結局友働きになって働くことと家事育児みたいなものが2つ重なっているわけじゃん。
フィフティフィフティであれみたいな風潮があると思うんだよ。全体的な流れとして。
だから男性は家事育児レベルを上げなきゃいけないし、女性は手伝ってもらって家事育児レベルを下げて、
お互いその空いた時間で外に働けるようにみたいな流れなんだけど。
なんかそこのフィフティフィフティが最高みたいなことはわかるんだけど、何か大事なものが抜け落ちている。そこの夫婦の話を聞いてて。
フィフティフィフティが正義みたいな。
そうそうそうそう。だからそれはポイントっていうことを、この数値を信じればそうなるよ。
でもなんか私のポイントは1000で、あなたのポイントも1000で、私たちってすごいお互いやってるよねっていうことは正しいんだけど、何か抜け落ちてるものがあるんじゃないの?みたいな。
数字では表せないものがあるよね。
そうそう想像力があると思うんですね。
私の勉強した話というかしたいんですけど、哲学者のピーターシンガーさんという人がいて。
あーなんか聞いたことある。
この人はすごい極端な主義主張の人で、アメリカとかだと寄付文化があって、ビルゲイツとかいるでしょ。
ビルゲイツさんとかビルゲイツ財団みたいな。
お金がたくさんあるので寄付するわけなんだけど、ビルゲイツとかにめっちゃ影響を受けさせている人みたいな。
ビルゲイツもこのピーターシンガーさんの話、めっちゃすごいスーってなって、僕寄付頑張るスーってなったわけなんですけど。
めっちゃ頑張ってるじゃん。
それが面白くてね、基本的に考え方としては効果的立派主義とか言うんだけど、効果的であれってことなんだよね。
寄付とかボランティアって結構共感から始まるわけ。
自分がアフリカの子供たちのムービーを見て、ここに寄付したいなとか、
例えば自分の親戚がボランティアみたいなのをやってて、一緒にサッカー活動をしたからとか、
自分の両親が足が不自由で、だから車椅子の募金をみたいな。
そういうところから立派って始まるんだけども、それだと本当に効果が出ないっていうことを提唱していて。
なるほどね、効果が限定的。
だから、君が5000円盲導犬の募金にかけるなら、盲導犬だからそれを扱う目の不自由な人の一人にしか効果は出ませんよね。
だけどその5000円でアフリカでワクチンを使えば10人の命が助かりますみたいな。
つまり、量とか数とかスピードとか、非常に近代の資本主義的な考え方で寄付とかボランティアみたいな、
リタみたいなことを扱っている人で、これが結構アメリカとかで受けて、若い人とかNPOとか多いんだけど、
ちょっとこれでかい話だったんですけど、このポイントとか50-50、私が出している労力とあなたは全く一緒みたいなことが担保されてたらいいのかと。
数字だけじゃ見れないところが抜け落ちるところがたくさんあるでしょ?
そうだね、ボランティアにしても多い数を救えればいいのかっていう。
そういうところの論点はちょっと抜けてるよね。
だからもちろん数字的には幸福を最大化するみたいなことを心情としている流れを組んでるんだけど、
最大化すればいいのっていうところがあって、一方で弱い人がそこには入れなかったり、寄付される側のマジョリティ側はいいけど、
マジョリティ側は共感がなくて、たくさん救えるっていうふうになると、一方で失うものもあるし、
っていうのがリタとは何かっていう本で書かれたりとか、
あとこれは世界は雑魚でできているっていう、この前塚内祐太さんっていう人の勉強会みたいなとこ行ったんですけど、
そこでちょうど出てきた話だったので、結構でかい話なんだけど、何だか数字があればいいのかっていう。
資本主義自体が数字教みたいなところがあるよね。
そういうことをちょっと考えると、このテーマも面白いなと思って。
だから世の男性批判っていうのが、この流れでいうと家事育児ポイントが全然貯められないじゃん、こいつらっていう批判。
特に女性は今働くようになって、家事育児ポイントも貯めるし、外でしかも働いてさ、
短い時間でめちゃくちゃ生産効率上げて頑張って、ヘトヘトで帰ってきて保育園行ってみたいな、すごいことやってるわけ。
すごいよね。やらざるを得ないっていう状況に追い込まれるから、できる。
でも男性は家事育児ポイント貯められてない人は外に行って、
俺は外の仕事が忙しいからっていう風になりがちで、それを改善させるためにどうしたらいいかってことをカジラジーではよく考えてるんですけど、
僕もそういうところからなんとなく徐々に改善していった経緯があるので、
やっぱりあなたポイント持ってないですよね。数字家事育児ポイント持ってないですよねっていうことを否定ばかりする、ディスってばかりいても、
あんまり男性側は動き始めないような気がしてて、
数字の裏に隠れている、実は男性側も外では違うポイントをある程度稼いではきているわけで、
そこを認めてあげるみたいなことがまず第一歩なのかもしれないよね。
どうしても外でのポイントっていうのは日本の平均の男女の給与で言ったら男性の方が高いので、
多くの場合は男性の方が高い。まず女性の方が時短とかになっちゃったら低くなっちゃうし、そこの構造がもうあんま良くないわ。
男性は外でポイント稼いでるって思っちゃう満身というか、満身がありますよね。
だからお互いポイントの裏にある想像力をちゃんと汲み取って、
なんかあったかい言葉かけようよと、ねぎらおうよって、結局ねぎらいだわ。
そうだよね。そういうことなんですかね。ねぎらいをかけていきましょう。
これはね、カジコの中ではポイントをつけられる。感謝のスタンプとかをくれるんで、そういうこともあると思うんだけど、