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2024-12-02 19:30

(96) 小学校の話から自分の内面へ

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  • こたつを出す作業
  • トラファルガー・ローとシーザー・クラウン
  • APTダンス
  • 窯焼きのピザ
  • 実装者の言葉
  • 小さなケガをしながら
  • 保身のために浮かんでくる嘘

#声活

 

サマリー

今回のエピソードでは、松本市内の公立小学校で授業を手伝った経験が紹介されており、特に児童たちとのユーモラスなエピソードやプログラミング学習の進展について語られています。また、ピザを焼く授業やデジタル技術の活用に対する期待も述べられています。このエピソードでは、小学校時代の人間関係の衝突が自己成長やレジリエンスにどう寄与するかについて考察されており、さらに自己防衛のために嘘をつくことが心に与える影響についても話されています。

児童との楽しい交流
純朴生活へようこそ。どうも、純朴です。
2024年12月2日、月曜日ですね。
今日は、松本市内の公立小学校に、授業のお手伝いに行ってきました。
小学校行った日はね、話したくなる、録音したくなることが多いですね。
そんな気がするな。他の平日と比べて、小学校行った日に、純朴生活をとっている率が高い気がしますね。
まともに計算したことないけどね。たぶんそうじゃないかなと思います。
今日話したいことは、3つぐらいかな。
まず、ある一人の児童が、すごく大味なエピソードトークをしてくれて、それがおもしろかったので、その話から行きます。
まずね、じゃあちょっと、児童が話してくれた感じで紹介しますね。
ねえ、じゅんじゅん、昨日さ、うちこたつがしたんだよね。
お兄ちゃんとお母さんと3人でやったら、10分、15分ぐらいで終わるかなと思ったら、7時間かかったっていう話があってですね。
僕これすごい好みのエピソードトークでしたね。
でかい数字で殴るっていうタイプのね、細かいテクニックというか、技巧よりは腕力みたいな感じのエピソードトークで、すごくおもしろかったですね。
こたつ出してセットアップするのに7時間かかったという話でした。
はい、次の話題です。
これまた別の児童ですね。
ある児童がですね、なんか今日ビー玉を持ってたのかな?
いつも筆入れ?筆箱?筆入れにビー玉が入ってるのか、今日たまたま持っていたのかわかりませんが、
あのビー玉をね、綺麗なビー玉を持ってる児童がいて、その児童がね、
純先生って言うから、何?って言ったら、そのビー玉をね、どっちかの手の親指と人差し指でね、こうつまむ形にして、
これが純先生の命ねって言ってきたんですよ。
追うと思いながらね。僕の命ねって言ったら、その児童がそのね、ビー玉をね、こう机の天板の上に向かって、
カンカンとね、打ちつけるわけですよね。ビー玉を机の天板に向けてね。
それで、それ僕の命なわけじゃないですか。
ここは素直にいけばこうだろうなと思って、ちょっと心臓のところをね、手で抑えながら、
うっ、やめろ!って言いながらね、心臓かなと思って、そういうことをやって、
カンカンってね、僕の命と呼んだそのビー玉を攻撃してくるから、僕が苦しがる、痛がるというのをやって、
まあやった後に、いやそれトラファルガーローがシーザーにやったやつっていう、
まあ自分としてはこれが正解だろうなっていうツッコミをね、割とちゃんとやったんですよ。
いや結構偉いなと思って、こういうね、ツッコミをちゃんとやるんですよ、僕は小学生と接するときにもね。
ただまあ、僕にとっては正解だな、いやこれはもうその通りっていうね。
筆記試験だったら丸つくだろうなっていうツッコミをやったときにね、
まあそれが小学生に受けるかどうかは全然別で、なんかふーんって感じだったんだけど、
まあそれを近くで聞いてた別の児童が、え、ジョン先生、ワンピースわかるの?って言ってきてね、
僕としては笑ってね、バカにしてもらってよくて、笑ってほしいんだけど、感心されちゃうっていうね、ちょっと恥ずかしい言葉が起きて、
ワンピースね、102巻までは読んでるよって言ってね、全部は読んでないけど102巻までの内容はわかるよって言ったらね、
やるねみたいな感じで、お手並み拝見みたいになって、おもしろかったですね。
結構こういう瞬発力が求められるね、謎の絡みっていうのがね、小学校行ってるとね、すごくあって、
そのために、今ここで自分なりのいいプレイをしたいなと思いながらね、対応を考えて、
今日は良かった、自分的には気に入ってますよ。
素晴らしいピザ体験
いやそれトラファルドアローがシーザーにやってたやつっていうのは、自分的には結構良かったんじゃないかなと思っています。
受けなかったですけどね。
結構こういう小っちゃいコツがいっぱいあるな。
あとはね、APTが松本市内の小学生に届いてるのかっていうのをちょっと、
先週ぐらい気になって、そういえばあんまりブリンバンバンボンほど聞こえてこないなと思って、
松本市内の小学校に届いてるのかなと思って、
APT、APTをね、ちょっとやったら、みんな知ってましたね。
なんか口ずさんでないだけで、みんなちゃんと知ってて、
あるちょっとませた感じの児童がね、ショート動画用の振付を教えてくれましたね。
こうだよって手をね、交互に。
左右の手をね、交互に。
振付を教わりました、今日。
ショート動画とかね、撮れるといいんでしょうね。
それ良かったですね。
あとはね、あとあれかな、どっかの6年生のクラスかな。
総合の総合っていう科目、授業で、
どうやら今日ね、釜でピザを焼いてたっぽくってあるクラスがね、
その近くをね、たまたま通ったときに、
先生も良かったら食べていきませんかって声をかけてもらって、
こういうのはね、大汁って決めてる。
変な遠慮とかで断らないって決めてるんで、
じゃあお言葉にはまいて、ありがとうございます。
声かけありがとうございますって言って、ピザを一切れいただいたら、
これめちゃくちゃ美味かったですね。焼きたての手作りピザ。
びっくりしたなあ。
最近食べた食べ物の中でも、だいぶ上位に入る気がするなあ。
ピザ美味しかったですね。
まああれ、4時間目だったからな。
4時間目の時間、もうすぐランチって、
この後ランチっていうような時間帯だったんで、
お腹空いてたのもあると思いますけど。
めちゃくちゃ美味かったですね。
あれをね、授業でやってるのいいですね。
その過程でいろんなこと、いろんな知識が必要となるだろうし、
体験で学んで、いやあ、総合の授業。
他の学級の、多分学級ごとに何やるか選んでやってると思うんだけど、
総合の授業でね、釜でピザ焼くって、めっちゃいいですね。
うーん、感心しちゃったな。
プログラミング教育の未来
美味しかったです。ごちそうさまでした。
あとは、スクラッチ、
ビジュアルプログラミング環境って言ったらいいんですかね。
MITで作られたスクラッチを使って、
ゲームを作ってる児童の友達が一人いるんですけど、
最近ここ2ヶ月くらいかな。
僕が行く度に進捗を共有してくれるんだけどね。
今日見せてくれたら随分、先週と比べても随分進んでいてですね、
いろいろ遊べるようになっていて、
ゲーム何種類かね、その児童が作ってるゲームが何種類かあるんですけど、
そのうちの一つが、なんかいろんな技を繰り出して、
敵の体力をゼロにするっていうやつですね。
見たらね、画面にね、自分の体力、相手の体力みたいなインジケーターがあって、
その下に相手の体力をゼロにした回数って書いてあって、
これ実装者の言葉だなと思いましたね。
僕とかもよくやるというか、プロダクト開発やってる時に、
実装者から見た物の名前、呼び方とかロジックを、
そのままユーザーインターフェースにも漏れ出させてしまって、
普通の利用者からしたら、ちょっと分かりにくい表現になっちゃうってね、よくある。
体力をゼロにした回数って、実装ロジックがそうなってるんでしょうね。
でもなんか、敵を倒した回数とかじゃなくてね、
体力をゼロにした回数っていうね、ラベルになってるのが実装者のこと。
僕はすごく親近感を覚えたし、
この人実装をやってる人だなって感じでね、すごい嬉しかったな。
あの児童はなぁ、すごい楽しそうにスクラッチでプログラミングするんですよね。
ロジック組むんですよね、器用にね。
結構指で、画面のプログラミングのUIにも慣れててね、
しゅびしゅびしゅびしゅび指を動かして、どんどんロジック組んでデバッグして、
こうなっちゃうかって微調整してっていうのをね、すごいしゅびしゅびやっていて。
プログラマーなんだよな、もう完全に。
僕が仕事とかでやってることと一緒なんですよね。
あれ見てると、すごい嬉しい気持ちになるな。
そういうね、小学生のうちからそういう環境にいて、彼女ら彼らがね、
ビジネスとかやったり、いろんな活動して社会の中核を担うようになる20年後とかには、
何の工夫もなくその頃には、
デジタル活用とかプログラミング的な発想で社会が動くんだろうなって。
今なかなかそれが進まなくて、やきまきすることがなくはないんですけど、
今このDXみたいなのをどう進めるかって、
2024年のね、今で言うとすごい頑張ってもなかなか進まないみたいなところでね、
虎王に感じたりすることもありますけれども、
逆に言うと20年後になると彼女ら彼らが30歳とかから、
20年後になると進めたくなくても進むよなっていう楽観的な展望もあります。
小学校に行くようになってからそれはすごく重いようになりましたね。
みんなタブレットでいろいろやって、小学校3年生ぐらいからタイピングの練習してるし、
ウェブ検索とかも普通に使ってるのを見ると、
この人たちがちゃんと活躍する時代を待てばいいだけだなと思うんですよね。
今年すごい頑張らなくても、20年後にはそうなってるから。
待つっていうのも大事。
あるいは彼女ら彼らが社会の中核を担うようになっていったときに邪魔なものが残ってないようにする。
お片付けをやっていくっていうのが、自分の世代の役目なのかなと思ったりしますね。
彼女ら彼らに普通に考えたらこうやるよねっていうふうにやってもらえればね、
ちゃんと前に進むと思うんですよね。
続いてが最後の話題かな。
小学校と人間関係の衝突
小学校にいると結構人間と人間の衝突、揉め事を見る機会が結構ありますね。
陰湿なやつじゃなくて本当に叩かれて叩き返すみたいな。
そこがガッとエスカレートしちゃって、あれすんな!みたいな感じになっちゃうのがあって。
それを見てね、人事だからってなるけど、なんかいいなと思って。
友達としたもんだあって、そこから担任の先生とかが話聞いて、
謝ろうみたいになったりしてさ、謝って仲直りしてまた一緒に遊ぶみたいなのを、
一連を体験している児童たちを見ると、一度もこういうのを経験せずに生きていくより、
こういうのを経験しながら生きていった方がレジリエンスが高いというかしなやかな状態になっていくだろうなっていうのを見てすごく思いますね。
大怪我させたくないっていうのはもちろん思いますけど、擦り傷とかちょっとしたね、
膝、肘をぶつけたりすりむいてちょっと血が出たりとか、そういうのを適度に経験しながら生きていけるっていうのはすごくいいしね。
大怪我しない範囲で怪我をしながらたくましく生きていける環境みたいなところを考えていけるといいんだろうなってすごく思いました。
自分の小学校、こないだの沈黙生活でもそんな話した気がするけどね。
自分の小学生の頃どうだったかなっていうのをすごく思い出すんですよね。
小学校行く前まではもう忘れてて、30年前のことはきっかけがないと思い出さないんですけどね。
小学校行ってね、いろんな場面、いろんな状況を見てると、
あー自分も小学生の時こういうことだったなーとかね、うっかり記憶の引き出しが空いて中からこんなのあったねっていうのがポロポロこぼれ出すことがあって。
今日はね、自分が小学生の時って結構とっさに嘘をついちゃう。
自分の身を守ろうとして、保身のためにとっさに嘘をついて取り繕ろうとしちゃうことが結構あって。
自分結構そういう人間なんですよね。これすごく残念だと思っている自分のことを、そうであるということが。
まあ生きてると、妻とかね、妻がわりと一緒に暮らしてるからさ、10年以上さ、根っこみたいな部分が見えるのってさ、妻ぐらい。
そんなちょっと友達ぐらいの距離感だとなかなかその人の根っこの部分みたいなのは見えてこないですけども。
妻に関してはね、妻はね、保身のためにとっさに嘘をつくみたいなことがないですね、僕から見ててね。
そもそもあんまり嘘を、とっさに思いついた嘘をつくとかってことができないから、
なんかあったら、あわわーとか、ごめーんとか、ジェームさんこんなになっちゃった、ごめーんみたいな感じだから、
なんか取り繕ろうとかって感じは全然なくてですね。
一方自分は、なんか自分にとってまずい状況が起きたときに、
なんかね、一瞬でね、いろんなことがね、浮かんでパパパッとね、
いやこれ自分がやったってことになっちゃうの嫌だなとか、
なんか自分は悪くないってことになりませんかね、みたいなそういうパスはね、浮かぶんですよね反射的にね。
そういう癒やしいところ、心の弱いところをね、すごく残念に思ってます、自分のこと。
今は41歳で、さすがにここで嘘ついても絶対バレるし、通じつまん合わなくなるし、
嘘を守るためにさらに嘘をつくとかって、めちゃくちゃコストが高いし、リスクも大きいし、
まあいいことない。正直に生きるっていうのが結局一番いいっていうのが、もう経験からわかってるんでね。
今はそういう反射、自分のこの体の反射としてはすごい癒やしいこともたくさん浮かぶんだけれども、
意思のレイヤーでそれをねじ伏せて、頭で考えて一番いい選択はこれ、みたいなのを選んで、
なんとかこう、やばい選択をしないように、なんとか保ってるって感じなんですよね。
小学生を見てると本当に、30年前の自分を思い出すような、なんかね、とっさに嘘ついちゃうってね、あるんですよね。
何なんでしょうね。なんか10歳ぐらいでも、とっさに嘘をつくっていうやり方を退屈している人間っていますよね。
自分もそうだったんですよね。自分はいつからそうだったのかな。物心ついた時はそういうところあって、すごい嫌だったんだよな。
それやるとね、なんていうか、すごいテンション下がるしね。自分のこと嫌いになるしね。やっちゃうとね。
そんなことできない体に生まれたかったって思うけど、残念ながら自分はそうじゃないんでね。
なんとか、40歳ぐらいになると、意思の力みたいなものでそれを抑えることができるけど、小学生ぐらいだとね、なんか嘘ついちゃう。
あれってどうしたらいいんだろうな。嘘をついちゃう子供にどう接したらいいかって、なんか研究されてそうだな。調べてみようかな。
これはなんか、自分の心を救いにいく取り組みになるかもしれないね、それを。
こういう言葉をかけるといいのかとか、こういうふうにやっていくと、だんだん反射的な嘘みたいなものとうまく付き合っていけるようになるのかとかね。
ちょっと興味持ったから、調べてみようかな。
そうそう、ちょっと前のね、なんだっけ、想像力の欠如っていうエピソードでも話したけど、
ちょっとこの純木生活だったり、日記では自分の残念なところとかをもうちょっと開示していったほうがいいなというテンションですね、最近ね。
うまくいってることとかね、そういうことを話したくなりがちだなと気づいたので、
自分の残念なところとかね、嫌いなんだよなと思うところとかももうちょっと出していけるといいかなと最近は思っています。
2024年12月2日月曜日。寒いね。あと12月だね。今年も終わりますね。
また次のエピソードでお会いしましょう。
お相手は純木でした。
良いお年を。
19:30

コメント

小1のころから抱えてしまった悩みごとが「自分がない」ということでした。嘘を言っちゃう自分とつきたくない自分、やりたくないわけじゃないのに、みんなと同じことができない自分を、「嫌だなあ」と客観視することもできなくて混乱し、自分の異常さを恐れていました。でも、その心を救いにいくことは、何十年もたってしまってからでもできるんですよね。 学校エピソードをお聞きしていると、じゅん先生が昔の私とも友達になってくれているように感じて、今の私もにこにこしちゃいます。

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