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2024-11-26 17:26

邪気ゼロコミュニケーションオバケミュージシャンがヒッピータウンからやって来る

「遊ぶように働き、働くように遊ぶ」のお手本、カナダ人の話です。

英語コンプレックス 遊び呆けてた留学と英語から逃避していた話。👇
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【ゲストハウス開業ヒストリー番外編】
①夫は寿退社でした。20代ブラック企業勤め、結婚願望ゼロの私👇
https://stand.fm/episodes/6667c7b21f7e7370bb2a1707

②寿退社で無職多めな夫は好きなことをとことん突き詰める人👇
https://stand.fm/episodes/66686f41b408144a5060a116

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00:07
こんにちは、東京でゲストハウスをやっているジュリーです。
週末ですね、宮見アルプスの横山僧侶の宿望に行ってきました。
そのおもてなしがすごすぎて、横山僧侶がすごすぎて、余韻に浸っております。
月曜日のですね、横山僧侶のボイシーの配信のタイトル、
遊ぶように働き、働くように遊ぶ、でした。
いいですよね、憧れます。
私はですね、それを目指しているように、今努力中なんですけれども、
そのお手本のような友人がおります。
その人はアーロンというカナダ人です。
今回は彼について話したいと思います。
アーロンとの出会いは、私がですね、マンツーマン英会話スクールGABAで
たまたま彼のレッスンを取ったことが始まりなんですね。
今から15年くらい前ですね。
教え方が丁寧かつ楽しい。
彼のレッスンばっかり取るようになりました。
トーイックオタクシリーズという音声配信をですね、このスタイフでやっていて、
その時にも話したんですが、英語コンプレックスだったんですね、私は。
この英会話スクールに行ってた頃は、まだトーイックオタクでは全くなくて、
英語コンプレックスの使徒っていう感じだったんです。
前職した会社が外資系で、英語を使ってプレゼントだったりスピーキング、スモールトーク、
できることに越したことはない。
でも怠けてばっかり、英語から逃げてばっかりだった私が英会話スクールに行くようになりました。
でも全然ですね、予習復習しない不真面目な生徒でした。
カナダからワーキングホリデーで来ていたアーロンはまだ21歳くらいだったんですよね。
彼とのおしゃべりがただただ楽しくて、レッスンを受けていました。
教えることが上手で、でも明らかに教えてやるっていう感じじゃなくて、
私がしゃべったものをですね、間違いをキャッチして指摘してくれる。
外国人だからといってやったらテンションが高いわけではなくて、
マイルドにやや高いテンションで常に優しく私を迎えてくれました。
多分私だけでなく他の生徒さんにもそういうレッスンをしていたはずです。
おしゃべりなんで彼のことも聞くわけですね。
普段何してたのとか、何やってんの普段とか。
そうするとですね、彼はそのワーホリデー日本に滞在しているそのすべてを楽しむっていうことに全力だったんです。
若いってこともあると思うんですが、基本的にですね、物事をポジティブにしか考えないんですよね。
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ルックスがですね割と良かったんですよね、彼は。
だからガバの講師の他にモデルの仕事もしていました。
だからといってね、俺かっこいいだろうとかいうかっこつけではなくて、
モデルになりきる俺を楽しむみたいな感じで、
いろんなポーズを得意げにしていて、なりきっているんですよね。
そういう雑誌を見せてくれて、どう見て見てなりきってるでしょ僕みたいな感じで、あくまでも楽しむ感じなんですよね。
その他ですね、彼は音楽を作ることにも専門にしていて、自分で作曲演奏してCDなんかも作っていました。
私もCD、自分で自作したCDをプレゼントされたりして、ずっと聴いてたんですよね。
そんなアーロンのですね、ご両親がカナダから東京、日本に遊びに来るということを知ります。
で、せっかくご両親来るんだなぁと思って、いつも私は夫にアーロンの話はしていたんですけども、
夫にも紹介ができていなくて、2人でね、夫と私とで彼ら3人を居酒屋接待みたいな感じで招待するのはどうでしょうかって夫に提案してるんですよね。
そしたら夫は、え、何それ面白そう、いいじゃんいいじゃんと言って大変の力になってくれて、渋谷の個室居酒屋を予約してご招待しました。
まだですね、今と違ってインバウンドも激しくなかったんでね、メニューも英語がなかったので、彼らが食べたいものをね、ヘルプして注文してあげたりして、
夫は英会話を勉強したことはなかったんですけども、適当にですね、コミュニケーションとってましたよね。
で、3人はですね、東京に入って関西、大阪、京都とか、あと宮島の方までですね、旅行して行ったんですよね。
で、ご両親もすごくフレンドリーで、もう一気に打ち解けたんです。
そしてその時ですね、とっても印象的だったのが、アーロンのお父さんがですね、息子のことをプラウドオブマイサンって言うんですよね。
で、日本語に訳すと誇りに思うっていう感じで、まあね、お父さんもそこまで重い意味はね、意図してないとは思うんですけども、
まあうちの息子すごいんだよとかね、彼と一緒だと本当に楽しいんだよ、嬉しいんだよ、みたいな話をね、お父さんがして、お母さんも横でニコニコニコニコしてるんですよね。
もうアーロンだけでも、もう邪気がゼロでニコニコなのに、ご両親まで、だから3人揃ってですね、ニコニコのめちゃめちゃフレンドリーで良いご家族だったんですよね。
で、そのね、初対面の私たちに息子のことをね、まあ褒める、ポジティブに語るっていうね、この絵面に夫も私もね、軽くショックを受けたんです。
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で、外国人ってそのね、家族とかもそういう風にポジティブに褒めたりするじゃないですか。
で、それ基本だと思うんですけども、やはり私たちがですね、育った環境は違いました。
特に夫の親はね、子供のことは絶対に尊重しない、意見は絶対に否定する、他人とめちゃくちゃ比べる、そういう家で育った夫、
そしてそれを知ってる私は、もう全然違うんだなぁということに本当にショックを受けました。
で、まあその飲み会がもう本当に楽しくて、まあね、そのアーロンの親子がすごく素敵だったからというのもあるんですけども、
当時はですね、将来、将来っていうのは今ですけども、私たちがゲストハウスをして外国人をね、おもてなすみたいな仕事をするなんてことは全く想像してなかった。
15年前なんですけども、やっぱりね、この外国人とその交流することの異文化で交流することの楽しさの原点はそこにあったんじゃないかなと今でもよく思い出します。
その日をきっかけにですね、夫はアーロンに英会話の個人レッスンを受けることになりました。
で、スタバでですね、定期的にやって、彼はアーロンにね、レッスンを受けていたんですね。
で、その年の秋にもう短いワーホリが終わって、カナダに帰るよということで、うちにも遊びに来たりして、交流をしてたんですけども、ちょうどね、会社を辞めて無職だった夫は。
ちなみにですね、夫というのはですね、たびたび無職になったり、あと彼はことぶき退社したりとかですね、そういう20代30代だったんですね。
で、その無職にちょうどなっていた夫がね、アーロンを追いかけるようにしてね、カナダの彼のお家、実家、アルバータ州に遊びに行って、彼ら、彼のね、自宅に泊めてもらって、ジャグジーに入れてもらったりして、大歓拝を受けてたようです。
で、ジャグジーに入れてもらったよとか、バンフにも一緒に行ったよとか言ってね、もうめちゃくちゃね、遊びまくってたんですよね。
私はですね、残念ながらその時は会社があって行けなかったんですけれども、こうやってですね、私たちはアーロン先生と一緒にいると完全に子供、めちゃくちゃ楽しい気分になるんです。
その後ですね、結婚したアーロンは、奥さんもですね、カルメンという女性なんですけども、彼女もアーティストで、二人でキャンピングカーに暮らしていて、カナダをね、横断キャラバンをしてたんですね。
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で、何しながら横断してたかというと、カナダのあちこちのフェス会場みたいなところに行って乗りつけて、カルメンがキャットハットっていうね、猫の形をしたモフモフの帽子なんですね。
大きい耳で猫のしっぽがギューンと垂れ下がっているようなキャットハットっていうね、帽子を作って売っている。アーロンはアーロンで音楽を専門にクリエイティブ活動をして、二人でそうやって暮らして、たまにインドに行ったりして、メールでやり取りする彼らは自由そのものだったんです。
そんなね、自由人アーロンとカルメンが3年くらい前にですね、ついに定住したということをフェイスブックの投稿で知ります。
アーロンがね、この写真を投稿してたんですよね。ここに住みますとか住んでますとか言って。その写真風景見てね、なんかね、見たことあるなぁみたいな。山でしょ、湖が映っていて赤い橋。なんか岸間だなぁと思って場所を確認したら、そこはカナダのネルソンという町でした。
えー、ネルソン?アーロンマジ?ネルソンにいるの?って驚いたんです私は。なぜかというとそのネルソンという町はですね、私が高校卒業して留学していた場所なんです。ものすごい偶然。
だってね、広い広いカナダでね、それまで定住しないで車でね、こうキャラバンしていた彼らが生まれ育ったアルバータ州ではなくて、ブリティッシュコロンビア州のね、ネルソンという町。なんでその町で暮らし始めたのかっていう、なんという偶然っていう感じだったんですよね。
それで私がその高校卒業した後にネルソンというところにね、留学した時は、まあ普通のね、まあ大変美しい町ではあるんですが、小さい山合いの小さい町で、高齢者の多いですね、町だったんですね。
で、今はというかここ何年かはアーティストに人気のヒッピータウンになってました。
場所はですね、そのカナダの一番西側の州のブリティッシュコロンビア州のですね、バンクーバーとカルワリのほぼ中間あたりにある山合いの町なんですね。
で、自然豊かで、緑豊かで、大変良い場所なんですけども、場所が良いからというのもあって、そこにその町がですね、アーティスト、ミュージシャンだったりヨガだったり、オーガニックフードみたいなそういったことをですね、推奨するようなアクティビティをしたら、
ヒッピーというかそのアーティストですよね、がどんどん集まってきて、そういう町になったという感じなんですね。
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あーだからかと、アーロンたちが住み着くのも納得という感じがしました。
大変とても美しい場所ではあるんですけども、私にとってはですね、苦い苦い思い出の場所でした。
で、これね、英語コンプレックスっていう音声配信の会があって、そこでも喋ったんですけども、高校出て留学して英語を身につけてやるんだというね、志高く海を渡った私だったんですが、
もうね本当にダメなダメな人間で遊びほうけていたんですよね、その小さなネルソンという町で。
親の金で留学させてもらってるにもかかわらず、真面目に英語を向上するような勉強もせずにディスコに通って、ブクブク太って、そんな1年でした。
だからね、自分の中で黒歴史で、自分がね、そんなネルソンに留学したから自分の家族がね、その時病気になっちゃったんじゃないかとね、自分を責めるほどね、本当に苦いというか、辛い思い出の場所でもあったんですね。
だから夫にもね、そんなにネルソンのことはね、多くを語ったことがなかったんですよね。
それでもですね、やっぱり死ぬまでにもう1回はですね、あのネルソン留学は私にとって一体何だったのかね、言ってみたいなぁとは漠然とは思っていたんです。
でもアーロンが住んでいると知って、いやーアーロンに会いたい、ネルソンに行きたいっていう感じになって、尚さんに話をして提案して、昨年ですね、ネルソン訪問が実現しました。
ネルソンというのはですね、大変、東京なんかと真逆なんですよね。
もう交通機関もないし、市内はね、バスがぐるぐる回っているだけなんですよね。
だからバンクーバーから行くんですけれども、なかなかアクセスが大変で、トレイルっていうね、空港がネルソンからね、車で1時間ぐらいの場所、80キロぐらいあるんですけども、距離としては。
そこにアーロンが迎えに来てくれてね、14年ぶりに再会したんです、私たちは。
彼は今ですね、カルメンと子犬のスンジャとネルソンに暮らしていて、音楽プロデューサー、クリエイター、講師として活躍している。
そして相変わらずですね、再会した彼はナイスガイだったんですよね。
彼はですね、朝起きると、家の近所にですね、あるフリスビーゴルフっていう、フリスビーを的に投げ入れる。
それがゴルフみたいに、パー3、パー4、パー5みたいになっていて、フリスビーゴルフ場があるんですね、彼の家の近くに。
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当然無料です。ここにスンジャっていう子犬と行って、朝ハーフラウンドするのが日課なんですね。
朝それをやって家に帰ってきて、ご飯を食べるのかな、それで音楽活動したり、講師業をしたりって言って暮らしているんですよね。
実はこのですね、スタイフのサムネイルの絵があると思うんですけども、これはこのアーロンがね、ネルソンで撮ってくれた。
ネルソンっていうのはその壁画がね、アーティストがたくさんいて、その壁画を推奨してるんですよね。
なのであちこちに壁画があるんです。家だったりブロックだったり塀だったり、そのある壁画と撮った写真をベースにしたものです。
これもアーロンが撮ってくれた写真がベースなんですけれども。
そんなですね、ジャキゼロのコミュニケーションお化けミュージシャンがですね、ヒッピータウン、カナダから日本にやってくるんですよ、今週。
なので彼がですね、15年ぶりに東京に来る。約1ヶ月滞在するんですけども、何でもこのリミックス東京っていうプロジェクトを出そうで、彼のね、旅ブログと音楽制作を融合させた作品を作るらしいんですね。
東京の都市の音や文化にインスパイアされたオリジナル楽曲だったり、パフォーマンスを東京に来て日本でクリエイトするらしいんですよね。
夫も尚さんと私はおそらくそれをサポートする形で参画することになるんですが、
とにかくね、アーロン先生が来る、あの自由人アーロン先生が来ると思うと、もう興奮冷めやらぬっていう感じで楽しみすぎるんです。
はい、ということで、アーロンとのですね、クリエイティブ活動をまたこの音声配信で続けていけたらなと思っております。
はい、長くなりました。聴いてくださりありがとうございます。ではまた。
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