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2023-10-01 12:16

イタラジ#23 『豊饒の海』についてのコメント:まとめに

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何回かにわたってお話ししてきました『豊饒の海』についてのコメント、最終回はまとめとして全体のお話をさせていただきます。

サマリー

『豊饒の海』は思想的な文章であり、古典的な作品です。鑑賞する態度や九字九カナの読み方によっても異なる魅力があります。

『豊饒の海』の思想と違い
というわけでね、総合コメント。この4巻続けて、何かコメントあるかなと思いますけども。
やっぱりこの小説は思想小説のように、僕は最初、有意識の思想をどうなってるか、
この小説でどんなかアスファルトか見せろ、みたいな感じで再録したんですけど、
やっぱり違うんですね、これは。もっと違うものですね。
文章自体が思想であり、思念であり、常念であり、よくわからない物体になってますね。
4巻の長大な謎のよくわからない物体の存在になってますけど。
いや何だそれって感じですけども、読み返してね、やっぱりこれよくわからないんだ。
よく僕というか誰よりも、哲川さんの「火の鳥」とかね、
最近のやつは「君はあたりでどう生きるか」とかね、ああいうもの。
もうよくわからない。
よくわからなさが現実とはそういうものだっていう、乱暴なことを僕なんか思っちゃうんですけども。
でもよくわからないですよ、これは。
何だか絵体の白いものですね。
だいたい傑作というか、古典というかよくわからない物が出てくる。
改作というか。
何でしょう。
間違いないのはこれは非常に表面的にも面白いけど、
裏面も面白いだろうけど、かなり危険さもあるというものだと思います。
秘密がわかったっていう人がよくいますけど、わからないってないと思うんですけど、
わかんないって言ってる人のほうが、僕は信頼力が強いです。
うーんとか考えちゃって、いろいろ感想しか書けないような人のほうが、
考察とかしてる人より信用してます。
だってそんなんできないですよ、別に。
まだ50年、発表されて50年ぐらいしかたってないし。
古典タリエルとしたら、その謎を謎として認識できる人間がどれだけこれからいるかっていうことに、古典タリエルです。
これが全部わかったんだ、成功にしろ失敗にしろ傑作にしろダサくにしろ、
もう全部わかったんだっていう読者ばっかりになった世の中になったら、そんな世の中は嫌ですけど、
これは古典にはならないと思います。
別にもうわかった、処理されても、コンテンツと処理されて終わりだと思います。
難しいとか簡単とかそういうのにレベルが上がる。
でもこれはわかんないです、これは。
これわかったって言ってる人は、相当の狂気に近い、いやこういうことじゃないですけど、
その人もすごいものを持ってる人か、手前側で満足してる人ですね。
そうだと思います、これは。
そういうことは思います、今読み返してみて。
あんまり僕も言えるくらいのことはないんですけど、非常にでっかいモノローグのような気がしますね。
スケールのでかさとか色彩とか、そういうのを完全に文体に頼ってるかもしれない。
モチーフにも頼ってるけども。
文体というか文章、比喩とか証言とか言い回しとか語彙とかね。
そういうもので、だけで作り上げてる。
この表説の奥行きとかをそっちにやって、
あとは非常に思念というかでかい思想みたいな。
西洋哲学とかの夢が入っちゃうとわからないですけど、思想的なものをそういう文体で表現してる。
しかもそれを一巻二巻三巻四巻にも全然別々のものを、一巻だとでも別々のものにくっつけちゃってるっていう、
そういうおぞましき怪物の匂いがいたしますけども。
これはふけなしてるのか褒めてるのかわからないですけども、私はけっこう褒めてます。
こういうものは採読したいですね、これからもね。
こういうものを採読していきたい、読んでいきたい。
こういうものが新しく書かれるんだったらそれを読みたいし、私は生きていきたいし、
そういうふうに音楽というものは生き続けるというか。
この作品はこれで完結ということになってますけど、それ以外に続いていくって、勝手にどっかに繋がるだろうし、こういうものはね。
別にこれで終わるものではないしたい。
武将記は以上の関係でつけましたけどね。
よくこれ以上ないような終わりとか言われるでしょうけども。
そうじゃなくてその後にも続くだろうし、物語というか。
これで終わり、何かがこの中で終わり続けてるらしい。
そういうとこはあると思います。
やっぱり一巻がすごい完成度が高くて、
完成度がパッケージングされてる。
そして洗練されてるので、2巻もかなり洗練されてる。
3巻、4巻になると問題作になっちゃってね。
非常にこれは、作品自体、作家とか歴史とかを文脈とかくっつけて、思想とかをくっつけて読むのもいいし、
九字九カナの読み方と鑑賞の問題
これ自体でかなり複雑になっちゃってる。
この中のあれこれを考えるだけでも、かなり複雑。
そういうふうに読み返すために読んでいきたいと思いますけども、私も。
そうやって地道にテキストを解釈してどっかにしていくしかないでしょうかね。
妄想とかもふくらんじゃいますよね、どうしてもね。
妄想というか、言葉にならない言葉が出てくる。
思念が出てくる。言葉にならない思念が出てくる。
非常に詩的なもの。詩で書かれた長説みたいな。
よくわからないですけど、自分で言ってよくわからないです。
和歌とかは全然出てこないですね。俳句とかは全然ほとんど出てこない。
それもなんかありますし、今現地語辺りを読んでもう少し読み終わるんですけども、
そういうものに対する返答というか応答というか、そういう部分もありますし、
意識して書かれたものは間違いない。
モチーフとか、処理の仕方とか、文体とかも、かなりいろんな現状物語の現代枠にも含めて、古典の世界から。
何とか物語からテンションの物語を取ったっていう研究とか、自分を見縛りしたのも言っているようですけども、
そういうものもあってね、好きか嫌いかで言われたらどっちでもないですけどね。
これの作品はね、どっちでもないんかーいって感じですけど、好きとか嫌いとかって感じじゃないですね。
現状物語でも好きとか嫌いとかってないんで、ああいうような古典中の古典みたいなのは。
政治とかも好きとか嫌いじゃないと思うんですね。誰しも。進行するかしないかとかあるかもしれない。
何とも言えないというか、圧倒されるかされないかは別として、
えーって衝撃を受けるというかね。
我々が生きてる間に体験してる間に、ある種の文学とか芸術以外では漫画でもアニメでも受けられないような体験をしてしまったっていう感じ。
生きてる間にする人もいるかもしれないと思います。体験としてね。
これ虚構のものでね。大虚構、大嘘、大嘘で、こんな衝撃を受けるっていう。
あんまりそういう作品っていうのは相性にもありますけどね。ないとは思うので。
非常におすすめという感じもしますし、おすすめしないという感じもすごくする。
これを読んだ後どうなるか。このイタラシ自体を聞いてね、読みたくなる人がいるかどうかわかんないですけど、結構ネタ悪くしちゃってるし。
それでも読みたい方に一つ言っておくと、もしかしたら、これを言おうとしたんですけど、
古本で九字九カナのね、三島由紀は九字カナの九カナで基本的に書いてたので、そのバージョンも手に入れて読んだんですけど、
『豊饒の海』の鑑賞の異なる魅力
やっぱり九字九カナで読むとまた違うっていうか、そっちのほうが多分より本来的なんだろうね。
この場合はね、原点主義とかじゃないんですけど。
九字九カナのほうが、ジズラとかもそうだけど、何かうねりというか独特のニュアンスを含んでいて、
非常にそこはもう、完全に当然ですけど意識して書いているというか。
もしかしたら新地震カナになったときの、九字九カナになったときの、地下一丁の三島由紀たちおっしゃるから、
九字九カナのニュアンスっていうのを質問文に発揮して書いてるんだなっていうのは後で、そっちもちらちら読んだんですけど、思いますね。
今度は九字九カナで全部読んでみるかなと思いますけど、別に発見があるとかじゃなくて、ニュアンスの問題、鑑賞の問題、鑑賞する態度の問題。
私の鑑賞する態度の問題ですけど、そういうのがありました。
九字九カナで読むのはいいとは言わないですけど、それでもやっぱり違う書数。
今、文庫で読む人が多いと思うんですけど、4巻ね。
全集で読む人もいるかもしれない。
でもそっちだと九字九カナですけど、文庫で読む人も、
これで、いいなーって、この場所いいなーって思ったら、九字九カナを読んでみるといいかもしれないです。
そういう文章です。そういう小説です。
文章で作った、モーリス・ラベルは白鳥の歌をドンキホーテにし、デルシナーをドンキホーテにしましたけど、
三島由紀の白鳥の歌が通俗的な言い方ですけども、
北条美人だとすれば、非常に複雑なものを残したなと。
最後というものと、近づいてるかないんですけども、
そういうコタンというものとほど遠いような、でもやはり最後を見るとそうでもないような不思議な感じがしますけども。
非常にね。そう考えると、何だろうな。
名もなき人が書いたある文字の連なりとして読んでも、これはもしかしたらみなさんの心に残るかもしれない。
これを聞いてみなさんの一人の心にも残ったら、それは面白いことです。
幸福か不幸かわからないですけど、とにかく面白いことで。
何か始まるかもしれないし、何か終わるかもしれない。
そういうことだと思います。
非常に面白いね、音楽。
音楽の世界は面白いと思わせる作品でございました。
非常にいい時を過ごせることができました。
原曲を読んだら、またその感想を言ってあげますけども、
今回は新しい、これぐらいにしてまたお会いできる日を楽しみにしております。
北条美四巻のレビューでした。
ありがとうございました。
12:16

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