1. LIFE UPDATE │ YOHEI HAYAKAWA
  2. 全て諦めない生き方|エリオッ..
2023-04-04 06:15

全て諦めない生き方|エリオットゆかりさん(料理研究家/イギリス)

インタビュー全編はこちらから↓
https://bit.ly/cm_yukarieliot-san

「Life Update CLUB」について
動画 https://youtu.be/P6EtEcDiwwI
HP https://bit.ly/Life_Update_CLUB

 ─インタビュー概要─
英国在住およそ20年。立ち上げたケータリングサービスが評判を呼び、英国と日本を股にかけた料理研究家として八面六臂の活躍を見せるのが今回のUpdater、エリオットゆかりさん(料理研究家)。
英国の家庭料理を日本流にアレンジして驚くほどおいしくしあげてくれた。そのレシピは英国の家庭で話題を集めると、日本にも「逆輸入」。いつしか来日頻度も増えていき、いまでは企業とのコラボイベントやラジオ、テレビにも出演する日々となった。

そんな彼女にお目にかかる前の印象は「なんと華やかで素敵な女性!」。

実際お目にかかってその印象が裏切られることはなかったが、いちばん驚いたのは取材冒頭で彼女が「自分はまず主婦であり母親」と言い切ったこと。そして様々な苦労を乗り越え、地味に地道に「大和撫子」ライクに生きてきたこと。実際ご自宅にうかがったときもご主人やお子さんのために、家のことを一生懸命していた姿が印象的だった。

渡英当初は環境に適応できず、うつ気味になったこともあるというゆかりさん。そんな彼女がいかにライフワークに出会い、英日を舞台に活躍し続けるにいたったのか。妻・母・ライフワーク。3つを幸せに生きるための気づきが詰まった宝石箱のようなインタビューとなった。
(2016年3月イギリスで対談)


【プロフィール】えりおっと・ゆかり/2000年に渡英して15年。料理の趣味が高じて和食&アジアン料理を中心としたケータリングビジネスを立ち上げる。ブログを通じて国境レスな料理を提案。英国大使館A Taste of Britainにてイギリスの食情報の発信、企業のレシピ開発、雑誌へのレシピ提供、web連載、イベント、ラジオ、テレビ出演など多方面で活躍中。著書に「エリオットゆかりのシンプルなごちそう」(宝島社)「ホントはおいしいイギリス料理」(主婦の友社)等がある。

(プロフィールは2016年3月の取材当時)

─聞き手─
早川洋平(プロインタビュアー) はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。 公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。

ニュースレターをご登録いただくと、最新情報を漏れなくお伝えいたします。
https://yoheihayakawa.substack.com/

#インタビュー #イギリス #エリオットゆかり
#英国 #料理研究家  #海外起業

00:09
今のライフワークってどんな感じなんですか?
ライフワーク、一応、主婦で、母親で、
なので、まず家事とか、お家のことがメインなんですけれども、
あと、私の日本でのこういうお仕事のきっかけっていうのは、最初ブログだったんですね。
で、イギリスに来たのが2000年で、
その時、子供も3歳と3ヶ月で、すごい小さかった。
めちゃくちゃちっちゃいですね。
なので、なんかやるにもなかなかできない状態で、
で、日本に住んでいるお友達に、緊急報告のつもりでブログを始めて、
で、それをアップしていって、毎日結構時間があるので、
そんなことをしていって、そこからお料理ブログになって、っていう形で、今に至るんですけれども。
そういう意味で、小学校の先生をやめられて、イギリスに戻ることは決まってたっておっしゃいましたけど、
それはつまり、結婚するときから、そういう話になってた。
そうですね。でも、私も日本が大好きだったので、
でも、まだこうね、いつ帰るかわからないけどって言われたら、
もうね、耳がちくわ状態で、はいはいはいって、もう聞いてるようで聞いてなかったんで、
本当に帰ることになったときには、ちょっとびっくりして、びっくりしましたね。
そうすると、当然言うまでは国際結婚で、
そうですね。
お母様も亡くなられたということで、
お父様は、かわいい娘が、
それは相手が日本人であろうが、そうでなかろうがだと思うんですけど、
なんかそのへん、結婚に至って、何かお父様はどういう感じだったんですか?
全然もうウェルカムだったのか?
いや、ウェルカムではないんですね。
っていうのは、私も一人っ子なので、本当にね、なんか父にとっては大事な娘だったと思うんですよね。
でも、結婚するって言ったときに、主人の母が、その頃はイギリスのまだ植民地で返還前だったんで、
母が香港で仕事してたんですね。
なので、わざわざ日本まで来て、うちの父親のところまで来てくれて、きちっとした形をとってくれたにもかかわらず、
イギリスだったら、もうよくてもだめでも、一応おめでとう、コングラチレーションってハグをしたりとかするのが、一応流れらしいんですけど、
うちの父はもう口を閉ざした貝のようになっちゃって、
なので、お母さんにしてみたら、なんて愛想のないっていうか、こんなちゃんと来てるのにっていうのもあって、
もう私なんかヒヤヒヤしてたんですけど、で、父親が考えさせてくださいって言って、
考えるね、でもやっぱりその辺は欧米なんかだと考えるっていうか、自分の人生ですからね。
そんなの人に親であろうが、やっぱりそんなっていう考えがある。
03:02
主人にもあったと思うんですけどね。
でも結局は最後はね、許してくれて、結婚したわけなんですけどね。
その辺結婚してからは、徐々にそういうのは溶けていった感じ?
もう本当にその辺は、主人が日本語できるっていうのもあって、その辺のわだかまりというのはすぐになくなって、
本当に後々は逆にこんな変わった子を認めてわかってくれるのは、彼ぐらいしかいなかったんじゃないのって言ってましたけどね。
そうか、そしてお子さんにも恵まれて、その後にちくわで聞いてたイギリスですかっていうか、いわゆる現実になったときっていうのは、どういう心境だったんですか?
もうちびまる子ちゃん、ちびまる子ちゃんのたらーんってのを冷やして、
今一瞬意味がわかりました。
えー、そんなこと聞いてないよとか思って、
自分が聞いてなかった。
自分が聞いてなかった。
だけど、もうしょうがないじゃないですか。
だから私も何でも、今もね、物事決めるとき全てそうなんですけど、
やってみてダメだったら、やめればいいじゃんって、そんなぐらいなスタンスだったんです。
だから結婚もね、本当に大事だけども、でももしかして日本でうまくいっても、イギリスに帰って、
もし私がもうどうしても息苦しくてどうにもならなかったら、別に戻ってくればいいじゃんって、
あの、そんなぐらいに軽く考えるようにして、
で、あの、イギリスに来たんですね。
で、そしたら大変でした、やっぱり。
大変でした。
大変でした。
それは、どんな?
まず、本当にすごいホームシックですよね。
ホームシックというよりは日本シックっていうんですか?
うん、やっぱり文化が全く違うのもあって、
私、あの、東京生まれの東京育ちなんですけれども、
あの、最初に住んだのが、あの、ケント州っていうところにあって、
あの、ガーデンオブイングランドなんて呼ばれちゃってるぐらい、
あの、カントリーサイドが広がる、とっても今考えてみれば素晴らしいところなんですけども、
で、あの、牛なんかもいたり、
本当に牛がモーって鳴くと、モーって鳴きたいのはこっちだよって、
本当に一人ごとでつぶやいてしまいましたけど、
うん、そのぐらい中で、もう、なんか、
あの時は本当にちょっと軽い、なんて言うんだろう、ちょっと鬱っぽくなっちゃって、
何やっても楽しくないし、
でも、本当に帰ろうとか思って、
あの、なんか、数えて3回ぐらいは本当にすっくりしたこともあったんですよ。
あ、本当に?
うん。
で、まあ、私を脅かしのつもりで、
まあ、半分で今考えてみればね、
で、なんかやってたんですけど、ある時ね、主人が若干、
06:15

コメント

スクロール