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2023-02-14 07:24

60歳からの海外起業|清水建宇さん(豆腐屋/バルセロナ)

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動画 https://youtu.be/P6EtEcDiwwI
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 ─インタビュー概要─
体はひとつでも、その人の人生に制限はない──。元ニュースステーションのコメンテーター清水建宇さんは伊能忠敬の生き方にあこがれたひとり。 忠敬は事業家として成功した後、50歳で学問の世界に飛び込み日本地図をつくった。 清水さんも60歳になって日本を離れてスペインで起業した。

豆腐アドヴェンチャーと彼が名付けるチャレンジは「意外とうまくいっている」という。 顧客の6割はスペイン人! ここまで日本文化が現地に溶け込めた秘訣とはなんなのか? 外国人として生きるのになんの息苦しさも感じないという清水さん。その言葉の裏には何があるのか? 遠くバルセロナで活躍するUpdaterにはなしをきいた。
(2013年10月バルセロナで対談)

【プロフィール】しみず・たてお/バルセロナの豆腐屋「東風カタラン」店主。1947年生まれ。神戸大学経営学部卒業後、朝日新聞社入社。社会部の事件記者として主に殺人事件を 担当。警視庁キャップも務め、ロス疑惑事件も経験した。『週刊朝日』副編集長、『論座』編集長などを経て論説委員に。テレビ朝日「ニュースステーション」 コメンテーターも務めた。2009年より妻・美知子さんとバルセロナ在住。
(プロフィールは2013年10月の取材当時)

─聞き手─
早川洋平(プロインタビュアー) はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。 公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。

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#インタビュー #海外起業 #定年後の仕事

00:09
驚いたのは、朝日新聞でずっと論説委員を務められて、ニュースステーションにも出られてて、その新聞記者、朝日新聞の記者があって、そこから東平さんっていうのは、僕はまずすごく驚いたんですけども、いつ、どんなきっかけで、まずお聞きしたいなって思うんですけども。
直接的なきっかけはね、仕事で、世界名画の旅という日曜版の連載をやると言われて。
ずっと社会部っていうかね、その畑ですよね。
しかも僕は社会部の警視庁記者クラブの殺人事件担当をずっとやってて、全然そんな美術とか知らないし、畑違いだし、務まらないと思った人は、いや業務命令だと、明日から行けと言われて行ったんですね。
その仕事が1年半ぐらいあって、その間に結局20カ国ぐらい取材であちこち行かされたわけですよ。
結局そういうところをずっと回ってみて思ったのは、バルセロナが一番いいなと。
会社を辞めたら、できればここで住みたいなと。
それがね、38歳か39歳の頃ですよ。
ただ、自分一人ではいけないし、神様に一緒に来てもらわなきゃいけないでしょ。
たまたま金属25周年っていうから、年齢で言うと47、8歳の頃に会社から夫婦でどこか温泉か旅行かなんかに行ってくださいという呼びかけがあったのね。
神さんと一緒に来たんですね。
その時に当然スペインへ行きました。
マドリッド、それからバルセロナ。
神様も気に入ってね。バルセロナいいねって。
じゃあ丁寧になったら一緒にここで暮らすかと。
それもいいわねということで、やっと夫婦で合意ができて。
その時にね、豆腐がないなと。
僕は豆腐と油揚げが大好きでね。
大好きだったんですか。
それがなくて、外国で暮らすっていうのはちょっとしんどいなと思ってて。
その頃からですね、漠然とバルセロナに行って豆腐を自分で作ると。
豆腐屋になるということが漠然と頭の中に浮かび上がった。
定年退職をして60歳を超えてから海外起業。
そしてもちろん生きた部分はあると思いますけど、でも今では新聞記者とは全く違う仕事。
その3つゼロからっていうのをやっぱり決断。
そんなにしそうなものはなかったのかもしれません。
でもやっぱり何か決め手となったターニングポイントとか何かきっかけってあるんですかね。
あるんですけどね。
一つには新聞記者だけど、僕は社会部でしょ。
実は専門性がないというところなんですけど。
でもないんだよ、その専門性が。
でも社会部記者は僕はこれ宿命だと思う。
一層全く違うことをやるっていうことが可能でしょ。
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たまたまそういう時にね、僕は雑誌の編集者もやってたんですけど。
10年向け雑誌を作っててね。
井上忠敬っていう人の特集をして、この人の生き方にすごく惹かれたのね。
日本の地図を作った人ですけど、彼は大変成功するんですよ。
特にね、米丼屋をやってる時に競作を予測して、早めに米を買い占めて。
で、それを自分が住んでる村では安く範囲内に分けて。
そうでないところに高く売って。
お金も儲けてね。
その頃記事を書いたので、今のお金で言うと何億円かの利益を残して。
で、50歳で彼は家業をみんな譲って。
隠居しちゃうんですよね。辞めちゃうんですよ。
これで第一の人生終わりと。
それから彼は江戸に出て、当時最高峰の天文学者とか、歴学。
小読だよね。小読の歴学者について勉強して。
そして地図作りを始めて。
で、ついに日本地図を作り上げるんです。
第一の人生と第二の人生と全く違うでしょ?
そうですね。全然違いますね。
二つの人生を生きるわけですよね。
それはいいなと。
一つの体で二つの人生。
一心二生というふうに言いますけど。
井上忠敬みたいに全く違う後半生を生きるっていうのはありだなと。
というのは僕の中で最後に背中をポッと押したんですね。
味を、これ多分根本のところにかかると思うんですけど、
全員の人に合わせるとか、そういうことを考えずにやっぱり日本の味をそのままっていう。
その辺はどういう感じなんですか?
ヨーロッパの人たちっていうのはお豆腐ってことは前から知ってて、
スペインの人が大きな豆腐工場を持ってスーパーでも売ってますよね。
豆腐自体はスペインの人も知ってるんだけど、
それを買って食べるとね、僕も知ってる日本の豆腐と違うんですよ。
もっと硬くてね、かまぼこみたいな。
油で揚げるかフライパンで焼くかという食べ方を想定してるわけでしょ。
日本人は違うよね。冷ややっこという豆腐だよね。
そうですね、一番そのまま。
それに合う食べ方ができる豆腐はないんだよね。
もちろん中国の人が作ってるお豆腐はすごく近くて食べられるけど、
安全性っていうか日本人はやっぱりその日作った豆腐をその日食うというのが普通でしょ。
毎日お豆腐屋に買いに行くよね。豆腐屋も毎日作るでしょ。
そうですね。
そういう仕組みがないんだよ、ここはね。なかった。
僕はここで毎日作って、できたてを冷ややっこでそのまま食べてもらうか、
あるいは油豆腐にして食ってもらいたいわけだから、あるいは味噌汁でね。
それをスペイン人が美味しいと思うかどうかは彼ら次第。
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当然宣伝ができないというか、どうやったらっていうところもあったと思うんですけど、
その辺口コミにしてもどうやって今のところまで来たのかなっていうのがちょっと気になるんですよね。
こういった豆腐を本当に手作りでその場で作ってっていうお店はヨーロッパで一つしかないんじゃないかと思ってましたけど、
後からやっぱり知ったことですか?最初調べたんですか?
最初調べて、彼のところはヨーロッパ各国に輸出してるよとか、
フランスのパリにはやっぱり日本人の人が豆腐屋さんをやってて、
だけどそれはレストランへの卸し中心で、一般の人はなかなか買えないし、売ってないらしいよとかっていうことは知られますよ。
当然事業をするわけだから、マーケティングの商法だよね、そういうことでありました。
だけど日本の街の豆腐屋さんと同じように毎日作って、油揚げとか厚揚げとか岩戻木まで作って、納豆も作ってるんですけど、
そういうことまでやって毎日作って店で売るというのは経済はないってのも知ってました。
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