土井久夫さんの自己紹介
今日はイナズマキャスト第9回目ということで、 高知県、高知市にお住まいの土井久夫さんにお越しいただいております。
土井さんの方はですね、プログラミング教室を運営されている方で、 代表もされててっていう形の方ですね。
今回は高知ということで、オンラインで収録しています。
土井さんの方からですね、ちょっと簡単にサクッとでいいんで、 自己紹介してもらえると嬉しいです。
よろしいでしょうかね。
大丈夫です。
はい、土井と申します。よろしくお願いいたします。
お願いします。
井上さんとはとてもとても仲の良くしてくださっています。
自分の自己紹介といってもあれですけど、 簡単に言うと、高知で今プログラミングスクールを運営しております。
大体小学生から高校生まで来ているプログラミングスクールですね。
いろんなことをやっているんですけども、 そこはおいおい話せばいいかなとは思っているんですが、
一般のプログラミングスクールというよりも、 ちょっと変わったやり方で運営しています。
土井と申します。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
プログラミングの始め方
土井さんと僕が出会ったのはね、
僕もプログラミングで、無料でボランティアでコーダー道場っていうのをやってますけど、
僕が始めたのが去年の4月か5月かぐらいですけど、
それよりも前ぐらい、ちょっと前ぐらいかな?にネットを通じて知り合うことができたんですけど、
まあその時も、僕もプログラミングのね、コーダー道場をやろうかってなって、
そこで、まあやったことがないし、子供たちと向き合う方法とか、
どんな感じなの?みたいなのとかわからずっていうところで、
いろいろね、細かく教えてもらったりして、何とか今は。
とりつけで。
そうですね。歳を越せてって感じになって。
もうコーダー道場、もう1年経つんですね、そろそろ。
えっとですね、今年の確か4月かな?3月か4月。
で、1年目。
で、1年経つっていう感じな気がします。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
まあそんな感じで、ネットを通じて知り合ったんですけど、
プログラミングっていう共通点があったのと、
どいさんも割と話しやすくて、いろいろ愉快に話を聞いてくれるので、
そうですかね。
いつも頼ってるんですけど。
ありがとうございます。
どいさんが今、そうですね、プログラミングを実際に子供たちと一緒にやってるというところの、
まあきっかけというか、そこもちょっとお話聞けたらなと思ってるんですけど、
教室を始める前っていうのは、プログラミング経験とかやってるのはあったんですか?
もちろん全然ないことはなかったですね。
でも多分普通の思いよりは結構遅い勉強の始まりだったと思いますね。
僕がプログラミング勉強し始めたのは、今が43歳。
ラジオで年齢言っちゃった。
勉強し始めたのが、それこそ24歳か5歳の時なので、
もう何だったら学校で勉強してきてとかそういうことではないという形ですね。
現場で揉まれながら勉強してやっていった。
システムエンジニアとか真似事みたいな感じですけども、
やりながらやってきたっていう感じでしょうかね。
なるほど。
実際プログラミングその最初、仕事として選んだんですか?まずは。
いや違います。全然違います。
全然違うんですか?
うん。仕事としてそれを選んだわけじゃないですね。
たまたまうちの社長が、その時の社長が、
お前パソコン得意そうだな。ちょっとこれやってみろよと。
これめんどくさいから毎日やってるこの業務を自動的にできるようにできないか考えてみろと言われたんです。
そうなんですか。
そこでいきなりC言語ですよ。
そこからもうそういう高度な言語を。
いきなり。
そうなんですね。C言語っていう言葉が出ましたけど、
C言語っていうのはプログラミングの中でも難しいと考える言語ですね。
かなり難しいですね。そうですね。
じゃああれなんですね。そのSEというかプログラマーとかっていう職種として働いてたわけではないんですね。
そうですね。僕は設計業、CADを使った設計の業務に関わっていたということですね。
この中で、業務にはいろんな業務がありますので、
煩雑な業務を自動化させたりとかさせたい。
そういった社長の鶴の声ですか、鶴って言うんだかわからないですけれど、
そういう声をいただいて、いきなりそういう言語から始めたっていう感じですね。
なんかその業務系でちょっと便利にしたいねとかだったら、
ExcelとかVBAとかそういうのから入りそうな気がするけど、
いきなりC言語を使わなきゃいけなかったんですね。
そう、CADですからね。CADを自動的に動かさないといけなかったんですよ。
機械系CADって言うんですけども、そのCADを動かすにはちょうどC言語が必要だった。
Visual Basicってこれも言語の名前なんですけども、
Visual BasicとC言語、そしてVBA、この3つが必要だったんですね。
これをとりあえず3ヶ月か4ヶ月かずっとうんうん唸りながら勉強してたのを覚えています。
その3ヶ月はどうでした?最初、本買ったりとか。
四国のようですね。
本買ったりしたんですか?
いや、本も買ったし、
しかも教えてくれる人も周りにいないし、
そもそも知ってる人いない。
なるほど。
え、どいさん一人でやるってことなんですか?
そう、その時は僕が一人でした。
なので、そこの会社の最初にできたシステムとか、
自動化されるプログラムとかは全部僕作。
あ、そうなんですね。
すごく会社に貢献したつもりなんですけどね。
給料上がらなかったんですよ。
でも、貢献はしたというかね、今の仕事にもつながってますよね。
そこはね、きっかけというかターニングポイントとして。
そうですね。
それがなかったら、もしかしたら今やってないかもしれないですか。
そうですね。
その時にプログラムを楽しいというふうには思わなかったけれども、
やりがいは感じていた。
楽しいよりもやりがいを感じていた。
プログラムをシステムを作った時に、
そのシステムによって1ヶ月とか2ヶ月とかかけて
ちまちま数字を見ながらやらなければいけない仕事が
数十分でボタンを押せば勝手に計算されていって
設計もされちゃうみたいなプログラムが完成した時に
やっぱりその辺のドヤ顔感というかね。
周りの人に対するね。
あと、何でしょうね。やっちゃった感。やったった感ですね。
これはかなり得ましたね。
達成感?
達成感。ありがとうございます。きれいな言葉です。
そういうことですね。
それはかなり得ましたね。
それなりの評価もその時に周りからいただいた。
すごいね。ありがとう。こんなの作ってくれて。
社長からはいただけなかった。
いただけなかった。
けれども、まあまあそういうのがあった。
そうですね。
まあでも、そうやって、やっぱり僕もそうでしたけど
プログラミングの言語を覚えたのは、僕は大学の4年生の時でしたけど
研究室に入ってね、研究するためにC言語を書かなきゃいけなかったんですよね。
僕の場合はその大学の研究室に同時に入った同期とかがいたんで
そのまあ同じようにね、研究室の先輩とかから課題が出されて
それをそのC言語で組んで、課題提出しなきゃいけないみたいなのがあったんですけど
その時はね、まあ僕一人でやらなきゃいけなかったわけじゃなくて
悩める人が一緒にいたんで、まだマシだったんですけど
まあそれでもつらいっちゃつらいですね、C言語とかはね。
とはいえ、やっぱそのさっきどいさんが言ったその達成感みたいな
ちゃんと自分が組んだのが動いたりとか
まあ僕の場合研究が進んだりとか
まあ毎月ね、アップデートされていって研究成果が出てきたりとかしてくると
なんかこう、楽しいというか、なんか嬉しいという感じはしたんですけどね。
なるほど。
結構大きな原動力になりますよね、その時の気持ちって。
そうですよね。
子どもたちへのアプローチ
やっぱりプログラム、今はプログラミングに関して子どもたちと向き合ってると思うんですよ、日々ね。
はい。
で、子どもたちはそのプログラミングっていうキーワードに対して反応して
来てくれてる子もいたりすると思うんですけど
でもなんかこう、興味があるなみたいな感じで来てくれた子どもたちに対して
そのスタイル側、メンタリングスタイル側はやっぱり
プログラミングのその醍醐味とか達成感とかっていうのを
感じてることが大切な、感じたことがあるかどうかっていう経験が必要なんじゃないかなと
僕も高田道場もやってみて思ったりするんですけど
その辺はやっぱどうですか、なんか
自分のその、なんか悩んだ経験、辛かったなって経験がありつつも達成感があったなっていう体験を
その子どもたちにフィードバックできてたりしますか
そうですね、達成感と同じように悩む瞬間もとても大事だというふうにやっぱり思っていますね
達成感を手っ取り早く得る方法もあるんですけれども
悩んでなかなか答えを導き出せない、なかなか完成できないという瞬間をできるだけ
僕の方では一緒に楽しむようにしてますね
楽しむよね
苦しい苦しいっていう時間を続けるわけではなくて
その悩んでる時さえも、なんでこんなことできないんだろうね
面白これどうなってんのみたいな感じで
そんな感じですごく、その悩んでる時さえもなんだか楽しいよね
という空気をなんとか大事にしているっていう感じですね
やっぱその、まあプログラミング自体が好きな子もいるだろうし
プログラミングをしてゲームを作りたい子もいるだろうし
まあ様々だと思うんですけど
何かしらのその、まあ目的なりきっかけがあるけど
そこをこううまく後押しする人がこれからも求められるのかなと思っていて
ね、その辺ももう2017年から始めてるんですよね
これ今スタッフアットリー
スクール自体は
スクール自体はね
で、今となってはその文科省とかが
プログラミングの教育に関して推進してきてると思うんですけど
2017年当時は僕の記憶ではそんなに
そのクローズアップされてたかっていうとそうでもなかったような気もしたんですけど
はい
その辺始めた当時はどんな感じでした?その雰囲気というか
2017年当時開校時に
開校時に
プログラミング教育というのが必要だろうという雰囲気があったかどうか
そうですね
ないです
なかったんですね
ないですね
これは全然ないですね
プログラミング教育ってこれから必要だねって
僕は言い始めてた時なんですけど
その前に安倍首相とか元首相とかが
読み書きソロ版プログラミングみたいなことで
言い始めてそして有識者会議などが開かれるんだとして
ような年がその前にあったんですね
そういうのも情報としてはあって
あと昔のデジタルディバイド
情報格差の問題がアメリカの方で提唱されたりとか
これは元大統領の時かなっていう
そういう時の情報もあって
あと日本は出遅れてるね頑張らないと
これからずっとパソコンと
パソコンと勉強は違うっていうようなことじゃなくて
パソコンITとかを取り込んだグローバルに生きていく人材とか
やっぱ必要だよねっていうようなことを言ってたんですけど
上手いこと言えなかったんですけどその時は
あんまり上手いこと言えなかったんですけど
言おうとしてたんですけども
あんまり熱はなくて
それを聞いた人たちからの反応としては
そういうこともあるよねって
パソコンが得意な人もいるし不得意な人もいるし
パソコンができる人がやればいいよね
なので今極端に生徒たちとか子どもたちが
やる必要は特にないんじゃないかなと
というような感じでしたね
そういった中で
会社勤めされててプログラミングをして仕事をして
プログラミングを活用した業務改善みたいなことをやって
プログラミングに触れた後
さあ起業しようっていうその起業っていうことに
いきなりたどり着いたんですか
いやいやいや
もうそこはねバックグラウンドがいっぱいあるんですよね
子供時代の選択肢のなさ
いきなりその起業っていうことはなかなか難しいのかなと思ってたんで
そうなんですよ
ちょっとやそっとプログラムがちょっとわかったからといって
いきなり起業っていうような形にはならないですね
これは子どもからのもう本当に小学生からの
の時からのこのバックグラウンドがやっぱり効いていますね
それもねぜひ聞きたいんですよね
これ話しちゃっていいんですか
全然いいんです
長くならないように言いますね
子供の時僕はそれなりに貧しい家庭でしたね
将来何になりたいのか
先生に聞かれて作文に書きなさいと言われた時に
周りに僕の町は漁師町だったので漁師しかいなかったので
漁師っていう職業しか知らなかった
それしか教えてくれる親はとか大人とかいなかった
選択肢がなかったんですね
なのでそれは嫌だったので
反骨精神からどこかの友達の親が大工をやっているらしいという情報をつかんで
大工と書いて作文を書いたんですね
つまり何か選択肢がないことに苛立ちを覚えてたんですね
自分が選ぼうにもそれを教えてくれる人がいない
いろいろ勉強したくても
その時パソコンを買っている友達がいたんですね
PC98ですかね
すごく古いパソコンです
でもそれが羨ましくて
ものすごく羨ましくて
それを買えないけど
それにパソコンを誰かに教えてもらうことなんて
その街ではできなかったけれども
本でマイコンベーシックみたいな本
これもね分かる人は分かるんですけれども
井上さんはいと言っている
僕は分かりますね
僕は周りにいましたもん
お医者さんの家庭とかね
そこの友達とかは
いいパソコンね
当時はかなりパソコンっていうPC98とか
かなり流行った時期ですね
非常に高いですけどね
非常にね
それを羨ましくて
パソコン雑誌とかを自分で子供ながらに
お小遣いで買って読んでたりとか
でもそれを教えてくれる人はいなかった
将来自分が何になりたいのか
何をしたいのかとか考えるときに
その選択肢を与えてくれる方が
その周りになかったんですね
一方で成長していって
中学高校
その高校の先に行っていくときに
僕は上京することになりますね
大阪や東京の方に行くようになるんですね
それはいろんなことを知りたいからですね
行ってみると都会というのはとても
いろんな可能性に満ち溢れてて
時給も高くて
アルバイトしてもなかなかいいお金もらえたりとか
そういった世界を見ることができたんです
都会ってすごいなとか
ひどしきりの遊びも遊んでみたりとかして
そしてひょんなことから高知に戻ってきたとき
この小学校のときの思いがまた返ってくるんですね
高知に戻ってきたときに
高知そのときは就職氷河期だったんですけど
高知の就職先というか
働き場所そのものはあんまり選択肢がなかったんです
何にしても働くのに
すごく働き場所を探すのに苦労するような状況でしたね
そんな中でパソコンというのは一つの選択肢として
都会で見てきてるから余計に
パソコンを習ってせめて事務職とか
せめて何かという形で
パソコンの勉強をし始めているんですね
CADの勉強とかも自分で独学でそこで始めて
そして設計会社に就いていく流れです
全部一貫して言えるのは
選択肢がないということの悲しさ
そして未来を見据える
自分で見つけていけるような力とか
そういった力を教わることのなさ
今までの
それを感じてきてたんですね
周りの大人がもっと未来を見据えるためには
こういう考え方をした方がいいとか
あるいは選択肢を見せてくれたりとか
もうちょっとヒューマンスキルに近い考え方とかも
教えてくれたりとかするような
そんなことがあればよかったんですけど
そんなことはほとんどなかったんですね
そういうのをとても体験してきている中で
将来自分の周りにいる
自分はもう結構20歳半ばも過ぎていく中で
将来子どもたちは
今目の前にいる高知県の子どもたちは
あの時の僕のように
もしかして選択肢というものを与えられる機会というものを
得られていないんじゃないか
というふうに思い始めました
子供たちの未来への不安
でそれを何か僕が
その子どもたちに資することができないのか
何かを使ってできないのかと考えた時に
たまたまプログラミングスキルとかも
だいぶ上がってき始めた頃だったので
自分の武器となることはたまたま今はプログラミングかな
というところと
ちょうど安倍首相元首相のこの言葉とか
情報格差という言葉とか
プログラミング教育を取り入れようかどうかというような
時制がちょうど合致して
じゃあプログラミングを通して
選択肢を自分で学び
掴み取る力などを教えられる
寺小屋のようなところも雰囲気として作れたらいいな
というところが始まり
どうでしょう繋がりましたかね
大丈夫です
だからその
寺小屋
いわゆるその
学習塾みたいな
学校の成績を上げるためっていう
形ではなく
子供たちによって興味分野も
違うやりたいことも違うけど
それをこう
寺小屋ってその
いろんな興味を持った子が別々の
いろんなことをやると
多様性にあふれている場所みたいな
印象なんですけど
そういう場所であってます?
いいですね
もちろん勉学をするのも寺小屋で大丈夫とは思いますけれども
寺小屋のこの
僕のイメージとしては
そこに行くと
いろんな大人とかにも出会えて
他のいろんな仲間にも出会えて
そして
夢中になって勉強をすると
将来すごい俺は立派になれるんだっていう希望にあふれてる
ですね
助け合えたりとか
そんなこともできたりとかする
そんな明るい学びの場所を
イメージとして持ってて
ただただ点数だけを追い求めるのではなくて
そこに目に見えない
生き抜く力って言いますかね
将来を生き抜くために
はっきりと文明化されないようなスキルとか
そういったものを感じ取って
もらう
そのうちの一つが選択肢を
自分で探し求めて
ちゃんと見つけられる力
そういうのを大事にして
やっていけないかと
そうですよね
やっぱさっきお話しいただいた
土居さんの現体験っていう選択肢の狭さみたいなのを感じていたっていうところを
今の子どもたちに向けて
広げるというか
まあ選択肢を
こういう大人がいるよっていう
大人と出会うことも多分選択肢の一つの広がり
な気もしますし
まあね、その子どもの頃に
大人の姿がどう見えてるかっていうことも多分
子どもの将来に
重要なファクターになる気がしてて
大人、その時に大人が輝いて見れているか
あるいはこの人がやってる仕事はなんか好きかもなとか
面白そうだなとかっていう人と出会えたかとか
っていうのは僕もとても大事だと思ってて
なのでその土居さんがやってる活動もね
すごくいいなと思って
ありがとうございます
ありがとうございます
なんで、まあ
今はそのコーチっていうところを
ベースにやられている活動が
まあ今5年目に入るんですか?
はい、そうですね
2022年になって
そうですね
よく持ちました
ほんと最初2人だけだったんですよ
2人だけ?
そう、生徒が
最初の1年目ね
最初生徒自体は2人目
まあでも1年目から要するに
県庁のお仕事を手伝わせていただいたりとか
するような縁に恵まれて
なんとかやっていけてたんですけれども
生徒だけで言うと最初は2人だけだったんですよね
これはね、すごかったです最初は
まあでもそこの
最初ね、最初1にして2にして3にしてっていう
積み上げでいくと思うんですけど
たぶん一気にギュイーンって来た時があったり
ありましたね
これはコロナですね
新型コロナウイルスの影響ですね
新型コロナウイルスの影響で
オンラインレッスン生っていうのはとても一気に増えましたね
オンラインレッスンを受ける生徒たちというのは
もちろん教室に来る生徒たちもそうなんですけれども
このコロナ禍の中で
やっぱり親御さんも含めて
将来に不安を感じてこられるんです
例えばこのまま
いつもの塾に行って
点数を上げるだけの勉強をして
それと言い方が悪いですけどもね
勉強をして
いい大学に出てだけで本当にいいのかな
会社とかはリモートになったりとかするし
外交でさえも
休校になったりとかもするし
オンライン授業だからといって
オンライン授業をやろうとしてもパソコン
ちゃんと触れないし子供たち
そんな中で
このままではどうなのだろうと
親御さんの視点から考えて
このままパソコンと全然無関係でいていいんだろうか
そういった不安の中で来られる方がすごく多いですね
そういった煽りというか受け皿となって
生徒が非常に増えましたね
そうなんですね
やっぱその保護者の方から見て
その自分の子供の将来に関して
すごく心配懸念があるっていう方が多いんですね
そうですね
単純にこのパソコンがどうとかっていうよりも
その漠然とした不安といいますか
そういったところが強くて
プログラミングスクールなんですけれども
僕がそういった考え方でやってるものとか
どこから聞いて入ってこられて
うちの子とか塾とかあんまり行けなかったりするんですけれども
あんまり勉強ついていけなかったりするんですけれども
という形でやらせてみると
3Dグラフィックスとか触ったりとかやり始めたりとか
3次元的な思考がすごくよくできる人だなとか思われたりとか
そういう特徴を見つけ始めるんですね
それがまた他の友達を連れてきたりとか
そんな感じで広がるっていう感じですね
土井さんが今やってるベース基地も
ベースとなるリアルな場所も当然ありつつ
オンラインっていう場所も増えて
子どもたちも集まってきてっていう形で
コロナっていう環境下で
オンラインっていうのが非常に注目されましたけど
今後ね
親の保護者の方たちが気にする
生きていけるのかどうかっていうところが
やっぱり気になるっていうことですよね
生きるっていうことについて
そうですね
僕は生きていくための力とか
選択肢を見つける力とか
そんな言い方をしてますけれども
親子さんからすると本当に漠然とした不安ですね
このままでいいんだろうかっていう
漠然とした不安があって
これはもう多分皆さんもって
そして頑張っておられることなんだと思いますけれども
そういったものに応えるには
プログラミングスクールの活動
要するに点数を上げる勉強というよりは
目に見えない底力のような
人間力のような
そういったところこそ必要かなと
たまたま僕はプログラミングというツールを使って
そのツールを通して
生きる力などを学んでいってほしい
というふうなやり方をしているという感じですね
ロイさんが
小さい頃に抱いたパソコンに対する憧れみたいなのが
最初にあって
やっぱ
やっぱその時の記憶って
すごく鮮明に残ってると思うんですよね
だから
仕事をする
仕事として今プログラミングというものに向き合っているけれども
やっぱその時の思いがあるから
続けられてるっていうのもあるんでしょうねきっとね
そうですね
そのうちの一つはね
子どもたちの違い
確かに単純にパソコンが好き
単純にプログラミングで何かこうするのが好きになり始めた
とか
そういったものがありますね
自分で個人で
プログラムを受け負ったりとか
そういうこともやってましたので
なるほどね
要するに単純に好きなんですね
それは確かにありますね
そうですね
あとコーチで先ほどオンラインっていう話も出ましたけど
そのオンラインでなると
国内問わず海外もっていう形になってきている
ありがたいことに
話も聞いてて
僕が一つ
高田道場とかやってますけど
僕が今住んでる地域の子どもたちとは向き合ったことはあるんですけど
海外の子どもとは向き合ったことがないんですよね
はい
日本の子どもたちと海外
いろんな海外の子どもたちいると思うんですけど
共通することとか
あとは
やっぱ
住んでる環境によって違うなみたいなことを感じることがあるとか
そんなことって何かあります?
プログラミングを通して
一緒に楽しんでる時間を過ごす中で
もちろん違いはありますね
どんな違いかって
いろんな地域がそれぞれあって
その地域によって
ドイツならドイツとか
インドネシアならインドネシア
アメリカならアメリカ
カナダならカナダみたいな感じで
あったりとかするんですけれども
大きく言えるのは
海外在住の子どもたち
大体僕はインターナショナルスクールとかに通っている子どもたちとか
どちらかが日本の
日本人のご夫婦の子どもたちとか
そういった方に
教えたりすることがばっかりなんですけれども
すごくアグレッシブですね
これからプログラミングしましょう
イエーイ
これをクリックしてあれをクリックしてって言っている
こっちから教えようとしている間に
2個のことを教える間に
5個ぐらいの操作をしている
ちょっと待ってちょっと待ってって
いうぐらいに
前向きに前のめりに
やろうとしている
ところがこれは日本の場合は
通しまやかなっていうか
緊張しているというか
そっちが強いというか
慣れてくるとそうなりますけれども
やっぱり最初は
とても
よろしくお願いします
本当に動かしていいですか
本当にやっていいですか
みたいなところはやっぱり感じたりします
そこの辺の
積極性の違いというのは
ちょっとやっぱりありますね
全部が全部じゃないですけどね
そうですよね
ただあれですか
子どもたちの興味とか
例えばスクラッチ使って
ゲーム作りますよとか
マイクロやりたいですとか
あるいはその
マイクロビットみたいな
基盤使ってみたいですみたいな
その興味の分野的には
似通ってるところはあるんですか
日本海外とか問わず
いやこれはですね
違ったりするんですか
これは
あんまり感じたことはないですね
ただ
ずっと言ってる
のことに繋がるんですけども
選択肢を
持ってるか持ってないかって
そんなに変わったものじゃない
ですね
例えばマイクロビットって
知ってるって
言ったところでイギリスの子に
言うと知らない
うお?ってなるんですけど
ってなるんですけど
マサチューセッツの子にスクラッチやったことある?
って言うとやったことない
っていう感じ
で
選択肢を必ずしも全部
知ってるわけだったりとかするわけでは
なかったり
もちろん選択肢なんて
数え切れないほどありますけど
ありますけれども
その
なんでしょう
この興味関心を
子供たちから引き出して
持っている興味関心を
見たりとか
しようとするときに
その
なんでしょうね
子供たちの諸差とか
感情とか
見なければいけないところいくつも
あって
およそ
星の数ほどの選択肢を
棚を持っていて
それを提供
できるというか提供って言ったら
言い方おかしいですけれども
示せる
見せることができる
ようになることは
重要だなといつも
思っていますね
要するに
それだけの興味関心の
種類とか形とか
そういったものは違うので
大人が
選択肢を
この選択肢もあるね
あの選択肢もあるねって3つか4つ表しただけで
それが選択肢すべてじゃないよね
学びの重要性
ってなることは
よくありますね
なるほどですね
これなんか今話まとまってないですね
まあいいや
でもその
国内の
そのコーチっていうところだけ
だとやっぱ
見えないところっていうのがやっぱり
海外の子供たちと触れ合うと
見えてきたりもするっていうことは
確かにたくさんある
僕も勉強になりますね
僕も勉強になりますね
まあそれを
まあなので
僕もその
国内でその
他にもプログラミングを
教室というか
運営してるところはたぶんたくさん
これからも
今もすごく増えてると思うんですけど
その
これからその
土井さんのスクールというか
サパっていうところに関して
今後のその
こんな風にちょっともうちょっとしたいな
みたいなところは
どんなことがあったりします
今後の展開というか
そうですね
あの
今スクールでやっていることが
もう本当に広がりすぎて
いろんなことを
やりすぎてて
もうこれは困ったものになってるんですね
ああ
そうスクラッチユニティ
えーと
Java JavaScript HTML
WordPressに
あとAndroid
Studioとか
分かる人だけ分かればいいのかなと
思うんですけれども
マイクロフィットとか
ロボット系とかドローン系とか
とかですね
そういったものとか
と含めて
いろんなスキルとかを
示せるようになっていきたいです
で
そうなると
僕とあと今スタッフが一人
いるんですけれども
甲先生っていうね
子がいるんですけれども
いろんな人の
力を借りながら
もっともっと
再現をここまでしかできないよねって
決めるんじゃなくてどんどん広げて
いって
固まったコース設計とか
テキストとかそういったものにとらわれないように
していきたい
あくまで対話を大事にして
個別の
学びとか
そういう発見とか
そういったものをしっかり
大事にして
1対1
をとても
重要視して
日々勉強しながら
教室を
徐々に徐々に
ワクワクするような
ここに来たら何か選択肢が
ここに来たら何か新しいことが見つかる
みたいなものにしていきたいので
もちろん
普通に教室は増やしたい
ですし
増やしていきたいですし
その教室の在り方は
もっと広い新しい
テラ小屋とか新しい
第三の居場所
みたいなそういった意味合いも
兼ねていくように
広げていきたいなというふうには思います
なるほどね
僕も
ソフトウェアの仕事をずっと
やってますけど
日々新しいことが
美術も出てくるし
っていう中なので
増え続ける一方ですけど
そこのこれだけっていう
枠を決めた瞬間も
古くなっている場合もあるんですよね
たぶんね
なんか
あるいはもう決めて勉強し
ちょっと
運営する側が
学んでっていう
時間を使ってしまうと
追いつけなくなる
みたいなところもあったりするんでしょうね
そうですね
今教えていることで
たぶん子どもたちにとってはとても古い
情報になるんですよね
おそらく子どもたちがあと10年経って
自分たちが成人してくる頃
とかには
前に教えてもらったことって
とても古い情報なんですよね
じゃあ今教えていることって
絶対正義なのか
絶対ここから
万年使えるものなのか
絶対そうでもない
やっぱり教える
教えるとか示すとか
見せていくものっていうのは
結局
もちろん学力とか
それでも大事とした上で
そのプログラミングの
基礎的なスキルも
とても大事にした上で
上でですけれども
目に見えないところに大きな
対話と成長
ウェイトがかかるものが
あるんじゃないかなというふうには
思っていますね
なんか色々
キーワードが出てきましたね
あの
ちょっとなんか
僕の方で
残った言葉っていうのは
その対話の大切さとか
いうこととか
あとは生きる力っていうこととか
そうですね
あとその
見えないことの大切さみたいな
そうですね
3つぐらいが
出てきたなって感じがしたんですよね
まあでもそういう場所があるっていう
多分僕が子供の頃
そういう場所があったらきっと
行ってただろうなと思うので
今からでも遅くないですよ
冗談ですけど
大人でもいいんですかね
大人で来てる
今最高齢で80歳の方が来てます
そうなんですね
80歳の女性の方が
学んでてその方は
今ですね
VBA
やってますね
そうそう
まあでも
いつ始めてもいいわけですからね
そうなんで
本当に若宮さんの
話ではありませんけれども
そうですそうです
それこそデジタルをということで
ね
あの
Appleの
iPhoneアプリを作って
おばあちゃんがひな壇っていうアプリでしたっけ
覚えてない
確かひな壇ってアプリだったと思うんですけど
それを作って
Appleの本社にまで
招待されてますよね
日本のおばあちゃんがね
もうね
デジタルは
デジタルっていうか技術っていうのは
なんでしょうね
年取れば取るほど重要だなっていう風には
もう本当に
それはもう本当に激しく同意する
ところですね
僕とかが多分体を動かさなくなって
多分ずっと病院にいなきゃいけなかったら
多分片手に
まず任天堂スイッチの
新しい
ゲームキーを持って
片手にはパソコンを持って
それで多分余生を
過ごしますね
成長するって大事だなというか
思いますね
その
人は成長していくんだ
っていうところが
それは自分自身もそうで
自分の目の前にいる
あの人もそうでっていう
形で
この人も
成長してきたなっていう
思っている以上に成長してたりとか
することもあったりとか
してそれを
一緒に会話をしてたりとか
対話って言ってるんですけど
会話している中で
気づかされるときに
すごく大きな喜びになりますね
いや違うんだよ先生
ちょっとそこはそう考えた方がいいんだよ
というような反論が
返ってきた時ですね
ものすごい嬉しいですね
悔しいけど
なんか言いくるめられた感じがするって
悔しいけど
でもなんかちょっと嬉しいんですよね
そういった答えとかそういった
考え方ができるようになっていくと
何もない
未来であっても何かを
見つけられる力が
そこにあるのかもしれない
何かがないように見えるよ
でもそこに生きていくための
手段とか
そういったものを勝ち取っていけるだけの力
そういったスキルといった
目に見えないところを
持つことができるような人が
いっぱい増えると楽しい世の中になるだろうな
みたいな
そうですね
という感じでですね
だいぶ
今の取り組み内容とか
これまでの経緯とか
含めて
キーワードとかもいくろいろと出てきた
ところでですね
最後にですね
このラジオ、ポッドキャストで聞いてるんですけど
クリエイティブの捉え方
クリエイティブであろうっていうのを
僕は
キースローガンとして
このポッドキャストは始めたんですけど
クリエイティブでありたいっていう
僕自身もクリエイティブでありたい
と思っているんですけど
クリエイティブっていう
日本の語で言うと想像的みたいな
っぽいですけど
それについてどいさんはどういう風に
捉え方をしていますか
っていう質問をしてるんですけど
なるほど
これラジオ始まる前に
このポッドキャスト始まる前にですね
そうだ
それ考えておかなきゃいけなかった
聞かれるんだみたいな
感じでね
今焦って
どう言えばいいんだろう
とか考えちゃったんですけど
クリエイティブって言葉
難しいですね
スキルとか
技術
目に見えるものですね
同じこと言いましたね
スキルとかそういったもの
のことをクリエイティブというのではない
じゃないかな
っていう風に
大事ですけども
それもじゃないかなという風に
どちらかというと
僕の意見からすると
ずっと言ってるように
目に見えない部分
の
さっき想像性とかいうこと
言ってましたけれども
あるものとあるものを繋げるだけの
力であったり
0から1はなかなか難しいんですけれども
あるものを参考に
自分で
それは独創性
っていうんでしょうかね
想像性
そういったものを
考え出していける力であったり
とか
あとはあるいは
自分を批判できる力
でしょうかね
何か考え出した時に
本当にそれはそうなのかな
とか
それって
本当に何の目的のために
それを僕は考えてるんだろう
とか
例えばビジネスだったら
金持ちになりたいだけ
かなとか
金持ちになりたいだけで
それって本当に僕の本当に求めてることなのかな
とかそういうことですよね
批判的に捉えることのできる
批判的思考って言うんでしたっけね
そういうの
そういったこの目に見えない
目に見えないスキルのところに
こそ
なんでしょうね
クリエイティブ
その後の輝きが
生まれてくるんじゃないかな
というような
ふうに思いますが
いかがでしょうか
ありがとうございます
人間の特徴
かなり苦しいですね
その話をちょっと聞いて
思ったのは
人間にしかできないこと
っていうのがあると思うんですよね
それは
目に見えること
っていうところで言うと
手段とか手段として
プログラミングをするとか
っていう意味で言うと
いろんなところで使われてると思うんですけど
何の目的のために
プログラミングを
組むのかするのか
っていう目的を
作る力とか
そこを
こういった人の
お困りごとがあるよねっていうことも
推測で
想像して
まずは想像して
その結果調べて
こういうお困りごとがあるんだと
だったらこういうことをやってあげれば
お困りごとが解決するんじゃないか
っていうところも
たぶん
コンピューターの箱があるだけだと
解決できないんじゃないですか
だからそこも見えないところなのかなって
思ったりしましたね
そうですね
愛ですね
愛ですね
何かやろうとしたときに
優しい気持ちでいれば
いろんなものが思い浮かんだりとか
すること
これ名言じゃないですか
優しい気持ちでいれば
いろいろ思い浮かんだりすることも
ありますけどもね
私はこれがやりたいんだ
何かがやりたいんだ
だけを考えているうちは
思い浮かばなかったり
とかしますよね
やっぱり
思いやりとか
人に対する思いやりとかね
そんなときにいい発想が浮かんだりとか
する可能性はありますよね
はいはい
でもそういうことをね
土井さんが考えられているので
そういったことも
大切だなって思える
子どもたちがどんどん出てくるのかな
ってちょっと思いました
土井さんのスクールから
嬉しいですね
いやでも
それをやっぱり実現してほしいな
って思いましたね
僕もね
高田道場とかやってますけど
そういう子どもたちも
どんどん出てきてほしいな
っていう願いが常にあるので
それがやっぱり
活動を続けていく上での
力になるので
自分も
アップデートしなきゃいけないけど
それよりもね
子どもたちの方に
どんどん
選択肢を広げる
っていうこともあるし
いろんな価値観に触れるっていうこともあるし
見えないことに気づくこともあるし
見えないことに気づく力とか
あるいはその人への
思いやりを持てるとか
愛とか
そうですね
いきなりなんかちょっと怪しくなってきたな
まあいいや
まあでもテラコヤっていうところの
キーワードからすると
そういったこともね
含まれるってことですよね
そうですね
まあでもクリエイティブとは
っていうキーワードに対して
お答えもいただいたので
最後名言も
出ましたけど
今回も楽しい会になったと思います
ありがとうございます
ということで
えっと
今回で
9回目になるんですけど
稲妻キャスト9回目のゲスト
鳥居久夫さんにお越しいただき
お話しいただきました
ありがとうございました
ありがとうございました