00:08
こんにちは、IKUKO Laboです。8月21日日曜日の朝、8時45分くらいに録音をしています。
今日は日曜日なんですけれども、娘は明日から営業を開始するので、今日は準備のために出勤していますし、今、家に誰もいないんですね。
私も今日は用事で、昼くらいから名古屋に行きますので、午前中がぽっかりと空いているという状況の中で、いつものようにぼんやりとですね、
Facebookなどをつらつら見ていたんですけれども、あるこれは何かな、プレジデントオンラインの記事かな、こんなタイトルの記事が流れてきまして、
それは、36歳夫が突然の引きこもり、退職で年収400万円がゼロ円に、パーと妻が見つけた家族のたれ死にを防ぐ唯一の方法、というのが流れてきたんですよ。
私が41歳で経験したこと、ずばりそのものだなと。うちの場合は当時4校上ですから、45歳夫が突然の引きこもり、年収何百万やったかな、400万がゼロ円に、私はパーとも出てなかったので、専業主婦、妻が見つけた唯一の方法みたいな感じで、そこから今に至っているんですけど、
この記事と同じで、夫さんがね、旦那さんがうつ病で、そういう家から出られなくなるというかね、出勤できなくなるストレスで、
っていう状況の中で、ここの家は子供は1人のようですが、うちは2人おりましたし、家計の内訳とかがバーっと出てくるんですけれども、
何ですかね、この時点で夫さんには小病手当金25万円とかいうのが出ていて、これはあの、勤めていたからこそもらえるものなのか、
病気や怪我のために会社を休んで報酬が受けられない場合に支給されるものっていうことなんですけど、うちの場合は経営者でしたし、そういった保険とかも入っていなかったと思われ、わかりませんけど、もしかしたらあったのかも。
03:16
で、当時も私は困り果てて、そうですね、1月の正月明けに突然引きこもってしまっても、家から出られないってなっちゃったので、その会社を引き払ったりとか、続けていくって、私本当にノータッチでしたので、前の仕事は。
1月、2月、3月末にどういうふうにしていこうっていうことは決めたんですけど、この1月、2月、3月の3ヶ月間、本当に困り果てて、あらゆる人に相談はしてみたものの、これといった解決策がアドバイスされることもなく。
で、ハローワークに行ったりとか、面接に行ったりとかもしたんですけれど、パートの口しかなくて、フルタイムでパート、勤めに出ても12万とか手取りでそんなものになったんですね。これ今も変わりないと思いますけど。
で、12万円で家族4人は無理だよねみたいな話から、私はとある東京のそういうコンサルティングっていうか、アドバイスをしている人にですね、お金を払ってお願いしてアドバイスを仰いだんですけど、その人がもう開講一番、そんな就職する必要はありませんよ、自分で商売をしなさいって、
軽く言ったんですね。で、そっからいろいろ迂回曲折ありつつも、現在も主には個人事業主、あとは会社の何ですかね、オーナーですかね、そういう立ち位置で生活をしているっていうことになっておりまして。
で、なのでこの記事はどういう結論に行くのかなというところをすごい興味深くて、バーッとスクロールして一番下を読んだんですけれども、結論的にはね、
夫に障害年金をもらう。障害者の障害ですね。それから、あと短期就労を組み合わせてやっていくみたいなことですかね。
まあ、あの夫の状況がうつのひどい時の状況で、ご飯もあんまり食べれないし、着替えたり入浴もできないっていうようなことで、精神疾患という形で障害者の判定が受けれて、障害年金をもらいましょうと。
06:03
プラス、短期就労のね、そういう多少なりとも収入を得てみたいなことでやっていきましょうねってアドバイスをしたら、奥さんも安心してそうですねって言って、解決しましたみたいな話なんですよ。
書いている方がですね、社会保険労務士、ファイナンシャルプランナーということで、そういう人がアドバイスすると、そうか、うつ病で働けない夫を障害者として認定してもらって、年金をもらって暮らそうっていう結論にいくんだなと思って、びっくりしましたね。
うちも一番症状のひどいときに手続きをしたら、もしかして何らかの受けれる年金があったかもしれませんね。
でも、そういうこと知らなかったし、また当時そこまでうつ病があんまりメジャーじゃなかったんで、うちの場合は。
そういった精神疾患用の年金が、そんな普通の人でも受けれたのかどうかはわかりませんけれども。
時代が今だとしても、そうかって思いましたね。障害者となって生きていくんだ、みたいな。
そういう方向性かと思って、超びっくりしたんですね。
手が一本なくなってしまったとか、立ち上がれなくなって車椅子になっちゃったとか、物理的障害の場合って、それはやっぱり何らかの保障をもらわないと、普通には生活自体ができないわけですから、全然いいと思っていて。
むしろもらうべきだと権利があるのであれば、その上でできる仕事をしていけばいいと思うんですけど。
精神疾患のうつの一番ひどい時の状態で、あなたはうつ病ですから、じゃあ認定しますねって言って、年金をもらっていたとしたら、
あの時うちの元夫が、そういうことで良しとしていたならば、その後の展開は一つもなかっただろうなって思います。
その後の展開っていうのは、筆文字を販売して筆文字作家になっていこう、みたいなことですね。
これも最初からバーッと有名になるわけじゃないので、作家とは言いつつ、東急ハンズ等の雑貨店に商品を置いてもらって、そこから注文できたものを書くっていうことで、
本人的には全然こんなのはアーティストの仕事じゃないとかいう感じで、超嫌がってたんですよ、当時。もったいない話ですよね、今にして思えば。
東急ハンズ全国展開させてもらったので、本当に毎月何十万という売り上げが当時上がっていたのに、そういう態度だったっていうことをね、今振り返ると、本当に未熟だったなって思うんですけど、
09:15
にしても、そういうわけですので、もし彼が本当にその年金等で最低限の生活が保障されていたら、多分そこまでしてね、自分のプライドをね、金繰り捨て手間で、
あちこちの東急ハンズで実演販売をしてみたりですね、そういうことしなかっただろうなって思いますね。
それをしなかったらば、その次のステップで現在やっている、教室とそれから教室をできる講師を育てるという仕事もできてなかっただろうなと思います。
やっぱり長い10年にも及ぶ、そういう作家活動っていうんですかね、人のいるところに出て行って書くっていうような体験をたっぷり積んだからこその今っていうのがあって、家でただ書いてましただけではやっぱり、
なんて言うんですかね、手に入れられない何らかの自信というか、確信というか、そういうものがない状態で教室をやらなきゃいけなかったので、やったにしても今とは全然違うことになっていると思うし、
それはやっぱり、体調も悪いのに鬱でね、人前に出て行くっていうこと、それ自体がまずハードルが高かっただろうし、
何ですかね、それでもやっぱり生活があったので、無理やり出て行かざるを得なかったっていうところで、彼は一つ大きな何かを乗り越えたんじゃないかなと思うんですよ、今振り返るとね。
その最中は本当に大変なことばっかりで、全然安定もしなかったですね。本人はいやいややってましたし。
方や私の方もそういうわけで、自分が何かしなきゃいけないんだというふうにその日以来ずっと思っていまして、筆文字で何とかするっていうのを3分の1と、残りの3分の2をそれぞれ全く別の業態の関連しない何らかの収入源というのを作っていこうって、そういえば41歳の時に決めたんでしたわ。
今しゃべりながら思い出したんですっかり忘れてたんですけど、そのコンサルティングをお願いした方によると自営業でやってきなさいよなんだけど、経験もないのに一つのことに全力で注力してこけたら再起不能になってしまうので、3つぐらいに分散しなさいっていうことは言われたんでしたわ。
12:01
一つが筆文字だとしたら、もう一つはあなたホームページが作れるんだったらそういう仕事とかみたいな感じで、もう一個はわかんないから自分で考えてって言われたんでしたわ、そういえば。
だから私もそのウェブ制作っていうか、フリーランスでウェブ作りますみたいな方向性を捨てずに、それはそれとして続けていたわけなんです。
まあどうですかね20年ぐらい細々と一応看板を上げているみたいな状況で、措置方面続けていたのはやっぱりその3つの柱が欲しいみたいなところの初期設定があったので、その癖でっていうか続けてたんですね。
今現在っていうとその3つどころか私の自覚的にはこの無職みたいなことで一つも仕事をしていない状態なので、当時のその誓いはどこへ行ってしまったんだなんですけど、現実をじっと見てじゃあ私の生活費はどこから流れ込んできているかなって言ったらやっぱりメインのところは筆文字関係のところからいまだに生活費をもらうっていう形ですけど、
もらっておりますし、あとお小遣い的なことはその筆文字ともウェブとも全く関係のない健康器具販売のお仕事の権利収入として時折運満円入ってくるみたいな感じになっているので、その3つ目の僕はわかんないから自分で探してねって言われた
そこの部分はもう無意識にというかそんなことすっかり忘れちゃってて、だけど自分の中でなんか違うことしないとダメだなこれはって、沈没していくなみたいな感覚が4年ぐらい前にあったので、その時にたまたま声をかけてもらったその仕事に参加したということですね
で当然ですけど、どの仕事についてもしょうがなくっていうか生活のためにねなんかしなきゃしょうがないじゃんっていうところからのスタートですので、なければないにこうしたことはないみたいなことですね仕事として、だからほとんどなるべく労力を割かないでやっていけるという風にしていった結果、毎日の生活が無職の人みたいになっているということです
健康器具の方もすでに私は何も動いてないんですけど、私の紹介した人がむっちゃ火がついて頑張っちゃってるっていう状況がここ半年ぐらい続いているので厳密には2年間続いてるんですけど、やっぱりこう成果が出てくるのにね多少時間がかかるんで身を結び始めているのが最近この半年ぐらいって感じですかね
よく知らないんですけどね実際は、とにかくお金が入ってきているっていうことですわ
15:05
ウェブ制作に関しては辞めちゃったっていう話なんですけど、人のを作るのは辞めちゃったけど自分のは辞めてるわけじゃなく、それが今のYouTubeとかに、あとゆでみ作るみたいなところに形を変えて
ホームページを作るっていう当初のところからはずいぶん形を変えたんですけど、でもやっぱりYouTubeとかっていうところに変化しながらたどり着いてきているのかなって
あれは私にとっては朗読はしているけれども、私の朗読すごいでしょとかそういうんじゃなくて、私の朗読を聞かせたいのとかそういうノリでは実はあんまりなくて、ただこうなんかアルゴリズム的に何とかして1000人を目指すみたいなところでやってるんで、本当ブログのSEOとよく似てるんですよノリとしてね
あんなにいろいろ打つ手がないっていうだけなことで、リスナーさんとの交流みたいなのを感じつつ続けてるっていうことですけど、ざっくり言ったらウェブ関係ですよね
で、さっき言ったように筆文字もうやめるとか言ってる筆文字やめた、ほとんどやめてほぼウェブサイトの管理だけになっている筆文字関係ですけど、やっぱり収入はそこがメインで入ってきているので、やめたけどお金はもらってるみたいなことですかね
やっぱりやめたとは言い切れないっていう、だいたいそういう収入源を確保するっていうのが私の市場命題だったわけですから、それに関してはほぼほぼ細々なりとも達成できているって言えるのかなと思いました
なのでですよ、確かに20年もの時間が経過したして、それで振り返っての話ではありますけれども、20年前のスタートの時点に、この社会保険労務士&ファイナンシャルプランナーであるこの方に私がたまたまアドバイスを仰ぎに行ったならば
商売をやりなさいだの、3つの柱を作りなさいだの、ということを一言も言われることなく、障害年金が受けられますよって言われたら飛びついただろうと思うし、だってその時点で私専業主婦ですから、商売とか絶対できないと思ってましたからね
なんで年金をもらっただろうと、年金をもらうことが悪いんじゃないんですけど、それで最低暮らせてしまうがゆえにチャレンジをする機会を失ったっていうことですよね
18:05
無茶なチャレンジですよね、筆文字で作家になるとか、素人なのにホームページ制作で仕事をくださいとか言いに行くっていう、で実際やってみるっていう、それ本当に無謀なチャレンジだったとしか、今考えても思えなくて
もうワンクッションあるのが普通かなって、私のウェブ制作に関して言えば、いずれかのウェブ制作会社に入って働いてみるとか、当時はまだねウェブの学校なんかなかったんですよ、ほとんど、もうこの界隈ではなくて
習えるところがほとんどない状態だったんだけど、制作会社は多分あったので、半年でもいいからそういうところに入ってみて、で実務やってみた上でのフリーランスっていうのが自然な流れだったに違いなく
今だったらちょっとそういうことを考えるだろうと思うんですけど、当時本当子供も小さかったですしね、メイド見てくれるはずの夫はうつ病で引きこもって部屋から出てこないっていうふうですし、当てにならないってことですね要するに
この子供を抱えつつ遠く名古屋まで行って、そんな下積みの仕事からっていう、しかも年齢は41歳っていう感じだとね、もう本当にしょうがない、他にどうしようもなくてしょうがなく一人でやり始めたっていうことなんですけど、その崖から飛び降りる的な最初の1回2回ですよ
それができたのは追い詰められたからこそであって、当時はすっごい自分のことを不幸だと思っていて、なんで他の家の旦那さんはちゃんと働いているのにうちだけがあって、ずっと思っていましたけど、そのとりもなわさずそのその事実それ自体が私にとってむっちゃチャンスだったんだということを今になってようやく理解するっていうことです
そういう、突然奈落の底に突き落とされるみたいな出来事がなく、平和に過ごしてきた同い年の女性たちっていうのは、本当にいろんなことを実行してきた経験がないので、何らかのことを自分で起こすっていうことができないですね、ほとんどね
誘えばやってくれるんですけど、ほっとくと何も動けずに終わってしまうみたいな、受け身っていうんですかね、受け身な人が多いなっていう印象
それは多分長い、それまでの20代30代40代50代っていう30年もあったその時間を何一つ無謀なチャレンジっていうことをする必要がなく幸せに暮らしてしまったがゆえに、やったことのない初めてのことにチャレンジできないっていうか成功体験がないので
21:16
そういうの、歳をとればとるほど、ハードルは高くなる、そもそもの実行力も落ちてくるわけだし普通に、それからこのいい歳してなんとかかんとかみたいなね、プライドみたいなものも高まってくるわけですし
というわけで、私最近自分をふっと振り返り見て、しゃべりたいことはしゃべってるし、YouTubeもできてるし、踊ってみた動画もできてるし、なんか踊ってみたチームはなんか増えちゃって、初心者の人まで入ってきてレッスンしないといけない風になってるみたいなこととか
いろんなこと、状況を自分の周りの見たときに、何かをするときに誰かにお伺いを立てないといけないことが全くないっていうところですね
自分のできる範囲でできることしかやりたいと思わないし、それに関しては誰かにこういう風にしたいと思ってるんだけどどう思うとか、意見を求める必要もなければやっていいですかって聞く必要もないっていう、これを何と呼ぶかって言ったら自由だよなって
この自由が与えられているってすごい
自由っていうのはただ何をしてもいいよっていう状況だけじゃなくて、しようと思ったら自分の力でできるっていうところまでないと自由とは言えないですよね
お願いして誰かに協力してもらわない限り自分で何もできないって言うんだったらそれはちょっと自由とは呼べないですよね
誰も邪魔しないから自由っていうんじゃなくて、邪魔なしようもないぐらい何かしようと思ったことが勝手にできるっていうのが自由だと思っているので、かなり今の状況が自由に近いわと思ったときに、なんでこんなにありがたいことになったのかしらって
さかのぼっていくと、そうか41歳の時に元の旦那が引きこもって収入がゼロにね、それまでやっていた会社とかも潰しちゃったしその時に
でそれまでは俺は会社をやってるんだぞみたいな風だったんですよ、お前なんか専業主婦のくせにみたいな
何もできへんじゃんって言われてたんです本当に
それこそが地獄であって
そういう旦那がなんか自分のプライドが地に落ちちゃってみたいなね
そっから先に天国が始まっていたんだなっていうことがようやく今にしてわかってきて
24:05
だからその一見ピンチに見える出来事が実は本当に大きなチャンスだったっていう、あるなと思ってですね
でも安全に生きるってことしか考えてなかったらさっきの記事の人みたいに
まあ年金もらってみたいな
どうですかね
年金もらいつつ、そういう年金をもらいつつチャレンジできたら一番
それが一番理想ですけど
いや多分暮らせる、ギリギリでも暮らせるお金があったら
しかもずっと入ってくるっていうね、見通しが何年かにわたって
あったら絶対そんな無謀なチャレンジはやらなかったと
私だってやらなかった、そんなにチャレンジが好きでやったわけではない
チャレンジは好きですけど
無謀なね、無理くりみたいな
冒険が好きすぎてっていうそういう人ではないので
いやーありがたいことだったなーって
あれがなかったら今頃どんなに制約の中で生きてるだろうと思ったらゾッとしちゃうので
現状いろいろ不満のこともあるんですけれどもね
思ったほどは稼げてないとか
私のその理想によればもう今頃こんな風になっていたよねみたいな
理想からは程遠いので全然ダメじゃんって普段は思うんですけど
いやでもでもでもでも
そうじゃないんだって
本当にピンチにこそ感謝すべきで
またそのピンチの時にこういう常識的なことしか言わない
アドバイザーの人に出会わなくてよかったということも含めて
超自分ラッキーかもしれないと
いうふうに思ったことでした
そういうわけで
私の今月のカレンダーの中でも
いやーこれは行きたくないなとかね
いやいや行くような仕事がいろいろあるわけなんですけど
そういうことも含めて
全てが私にとってはチャンスであると
私をよりさらにさらにより自由にしてくれるために
こういった障害があるんだと
いうふうに思って
本当に笑顔で前向きにチャレンジしてトライして
打ち破っていきたいと思います
以上です
お聞きいただきありがとうございました
このチャンネルはeekコラボの日常のおしゃべりを配信しています
よろしければフォローお願いいたします
コメントもお気軽にお寄せください
お待ちしています