1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 情報転写マシンに「退屈」なし
2023-02-06 26:39

情報転写マシンに「退屈」なし

前回の配信に続き、人間は情報でできていて、その情報を他人に転写するために生きている(大雑把なまとめ)という話の続き。

それが自分のツボにはまりすぎて、自分が情報転写マシンだと定義すれば、人に会ったときに使える選択肢がめっちゃ増えるな、と思った話。

人生が楽しくなってきた…かも?😁

00:02
IKUKO Labo ワンダーランド
こんにちは、IKUKO Laboです。
IKUKO Laboの、カナダイクコです。
って言った方がいいのかな?
2月6日月曜日の9時41分になりました。
もちろん、朝の9時です。
えーと、そう、今日は、こちら愛知県地方は、天気が良くて、
そして、いつもより暖かいですね。
今日、最高気温が12度となっていて、
先日来、最高気温が1度とか言ってた時に比べるとね、
もう春のような陽気ではないかというぐらいです。
で、えーと、週明け月曜日ということで、
いつものように先週のまとめなんですけれども、
そうですね、前回の配信でお話したかと思うんですけれども、
自分の情報を転写するっていうやつですね。
私、いろいろな場所に出かけて行って、人に会う機会がある時に、
何て言うんですかね、一部の人は上手にそういう場を利用して、
自分の伝えたいこと、広めたいことをさりげなく宣伝しますね。
それが健康食品であったりとか、健康器具であったりとか、
あるいはいろいろな自分のビジネスであったりとか、
あからさまにっていうんじゃないんですけど、
多分、大体は自分の体験としてこの商品を使ってみたらどんなに良かったかとか、
そういう話を披露される方が多いかなっていう感じがしていまして、
そういう場に行って、かねてお話ししているように、
そういう他人が繰り広げる健康についての話題に全く興味がなさすぎて、
めっちゃ退屈だっていう。
だから、結果として当然ですけど、
そういう場所になるべく行かなくて済むように立ち回って、今に至るわけですけれども、
それが先週、とある動画を見て、
そうか、人間っていうのは情報でできていて、
その体も心も含めて、ものすごく細分化してしまえば、
一つのバイブレーション、波動であって、
波動である限りは、死ぬと同時にその波動が消滅してしまうのが嫌だから、
03:03
なるだけたくさん自分の情報、自分を構成しているその波動的情報といったらいいんでしょうか。
波動って分かりにくいですけど、科学的に理解したいのであれば、
素粒子。素粒子。
何でできているって言うと、現在の理論的には、紐理論って言って、
ものじゃなくて、振動するエネルギーの粒みたいなやつ。
粒っていうか、それが紐状であるっていう話なんですけど、
どっちにしても物質っていうよりはエネルギーの紐みたいなやつ。
めちゃくちゃ小さい。
それが寄り集まって原子になり分子になりみたいな形でいるだけで、
原子になったから紐が消えるっていうわけではなくて、
ただ集まって何か構成物質を作っているみたいな状態だと考えると、
その体ももちろん一つのバイブレーションであるし、
考えていることも脳内で起きている、そういう電磁波のパターンと考えると、
何らかのバイブレーションであって、
っていうような話で、自分の波動みたいな、
波動の形、バイブレーションの型って言ってもいいかな、
パターンって言ってもいいかな、
それを他人に転写したい欲でできているって言われて、
まあそうだよねって、生き物である限りはこの世に生まれてきて、
そして去っていく、死んでいなくなっていくっていう、
この壮大なる無駄というか、
最終的に死ぬんだったら生まれてこなくてよくないみたいな、
無駄じゃねって思っちゃうようなこの一生を無駄にしないために、
他の生き物たちにそれを植え付けたいって思うっていうのは、
動物的本能でそういうのがあると言われればありそうだなと、
確かになって、むしろそれ以外にすることがあるのかと、
この一生の中で、波動的存在としてはね。
今まで私そういう認識がなかったので、
生きている以上どうやって楽しく過ごそうかっていうことをずっと考えてたんですね。
楽しく過ごすのはいいんですけど、
楽しく過ごそうと思えば思うほど他人が疎ましくなるんですね。
っていうか、他人がいろいろ押し付けようとしてくるように感じるので、
それは売り込みであったりとか、売るまでいかなくても、
自分はこれがいいと思ったのよって言ってくる人は、
そうなんだねって言ってほしいだけでしょ。
いや、そんなの良くないよとかって言われたくないじゃん。
だからイエスが欲しくてそういう話を。
なので、そういう圧の強い人とはなるべく会いたくないなと、
06:04
思うし、逆に私はこのポッドキャストが楽しくてっていうのは、
私が思っていることをそのまま、
忖度なしに喋れるからでしょ。
そういうのを共有してくれる人であれば、
別に会って話したら楽しいだろうなと思うし、
だから何もかもとは言わないけれども、
少なくとも私が好きで興味があって、
そして経験もたくさんあるウェブの分野で
お話できる仲間が欲しいなっていうふうな順番で、
去年1年、いろいろやった結果、
そういうふうに考えてきたんですね。
ただ、私が経験して楽しいことだけやっていたいっていうと、
ものすごくできないことの方が多いですね。
これ楽しくない、これも楽しくない、
これもいいや、あれもいいや。
残ったやつが好きなことってなって、
確率的にはそんなものかとも思うんですけれども、
これが前提を見直して、
そうではないんだと、
私は楽しいことをするために今生きているっていうよりも、
他人に自分の情報を転写するために生きているんだとしたら、
ちょっと待てと、楽しいの意味が違うじゃない。
他人にたくさん転写できたときが楽しいわけで、
具体的に考えると、
例えばウェブの話をして、
よくわかったとか、役に立ったとかって、
あるいはそうだよねって、
同じ話題について盛り上がることができたとき、
私は自分の興味のある話を他人に転写して、
それを受け取ってもらえたっていう意味だから、
楽しいじゃない。
私はそれをやりたいって言ってるだけで、
要は自分の転写したいし、
転写されてくれる人に出会いたいみたいな、
これって言うともう身も蓋もないんですけど、
そうだなと思ったんですね。
であれば、ウェブじゃない集まりの中で、
ウェブじゃない情報しか相手は興味がなさそうだってなったときに、
自分の中にあるいろんな情報の中で、
彼らが受け取れそうな情報を植え付けたらいいんじゃないのかと。
つまりその場で喋ればいい、喋れるその場で、
その場を何て言ったら、
かっさらって自分の話題に持っていくみたいなことができたら、
それは楽しく終わるよねって、
というふうに、
当然ですけどそうだろうなと思って、
前提のところを、
この生きている意味みたいなのを、
自分の情報を他人に転写するんだっていうふうにざくっと捉えたら、
この情報は何でもいいわけですから、別にウェブに限らず、
それ以外のことでも何でもいい。
09:01
となったら、もうどんどん転写していくしかない。
しようとしてできなかったってことは当然あるでしょうけど、
どうせこの人たちに言ったってわからないわって言って、
自分の話したいことを話さずにいるのが、
私の中のデフォルトなので、
もういつからかわかんないけどっていうか、
まあ転校生続きだった、
たぶんその10代の頃に、
そういうスタイルが出来上がっていて、
うーん、自分の話をしようと思うと、
そこにやっぱり、
その序列っていうか、
クラス内でのね、
転校生立場低いので、
あるいは、
転校生ということを利用して、
注目が集まってますのでね、
そこで自分を打ち出していくっていうような、
立ち回り方もあるとは思うし、
できる人もいるんですけど、
なんか自分の場合、
そこまでする気力もなくて、
当時、
本当に疲れてて精神的に、
中一の話ですけどね。
なんで、もう生きていくのが精一杯だったんで、
もう本当に圧力が嫌だったんですよね。
なので別にも、
自分が言いたいことを我慢することで、
圧力が避けられるなら、
それでいいと思って、
あとは、
人生をいなしてたんですね。
あのー、
全部こう、
なんて言ったらいいんだろう、
その場だけ聞き流して終わる、
自分の爪痕残そうとも思わないし、
だってどうせ私、
高校出たらこの街を去るから、
この人たち関係ないし、
ってずーっと、
思って結構ね、
5年と2ヶ月ぐらい、
もっとか、5年4ヶ月ぐらい、
そうやって過ごしたんですね。
今にして思うと、
10代の頃ね、
そんな風に過ごすのはと思うけど、
たぶん今同じ状況に戻っても、
同じ選択をするだろうと思います。
実際そこの街を出て、
二度と戻ってませんし、
うん、
でも、
なんか自分の生活の場は、
名古屋だったり、
で、
まあ要はその、
場所に縛られない生き方がしたいな、
っていう、
場所とかその、
その土地のネットワークっていうか、
遅延みたいなやつね、
それがなかったら生きていけないようなのって、
結局、
がんじがらめになるだけだから、
そういうのに巻き込まれずに生きよう、
みたいなことをたぶん10代で、
思っていて、
で、そしたら35の時ですけど、
インターネットができてきて、
それこそ、
この場所に、
ボディーはここにいながら、
この交流は、
どこにいるかわからない人たちと、
交流ができて、
まあ一つのバーチャルワールドですよね、
だからインターネットにはまったんですね、
で、
以来インターネットはなくなっていないので、
なくならないどころか拡張する一方ですので、
12:00
私の時代が来た、
みたいな感じで、
10代で願っていた通りの、
展開になって、
今に至るわけですけれども、
それにしてもこの、
だからバーチャルワールドとか好きで、
で、
YouTubeとかも好きで、
なんですけど、
リアルワールドは、
もう相変わらずなんですよね、
私のその10代で、
中1で転校してた頃と、
全く変わらなくて、
で、
その場のなんか発言力強いやつが、
バーッと喋って、
で、
対決するか復讐するか、
みたいな感じですよね、
で、
復讐してもいいなと思うような人は、
当然ですけどいないので、
じゃあ対決するかって言ったら、
対決する意味もめんどくさいし、
大人のいいところは、
嫌だなと思ったらそこ行かなきゃいい、
っていう選択ができるのが、
とても素晴らしいですよね、
そういう選択ができるのが、
とても素晴らしくて、
結果としてどこにも所属せず、
どこにも行かず、
巻き込まれることなく、
過ごして何十年もいるんですけど、
そうは言っても最近はね、
リアルで会って話をしないと、
みたいなお付き合いも若干あったりして、
まあそのあるたびに憂鬱だったりするんですけど、
その、
生きてる理由っていうのは、
自分の情報を、
いかにたくさん他人に転写するか、
という前提に、
前提を置き換えると、
ちょっと待てと、
そんなバーチャルだ、
リアルだ、
言ってる場合じゃないじゃないかと、
どこにいても自分は転写するんだ、
以前は、
自分の情報を話すっていうことは、
何らかの目的があれば、
例えばこの商品を売りたいんだとか、
宣伝がしたいんだとか、
なんか見返りがある、
売れたら自分にお金が入るわけで、
見返りがあることについては、
やるべきだ、
やらないといけないと思ったけど、
普通の、
なんてことない集まりの中では、
何のメリットもない、
自分の思っていることを喋ってもね、
それでお金が儲かるわけじゃないし、
って思って、
無駄だわって、
別にそんなやらんだって、
どうだっていいわと思ってたんですけど、
お金の問題じゃなくって、
生きる意味は、
自分の情報を人に転写するんだって、
なると、
ちょっと待って、
いかなる場であっても、
機会を捉えて、
必ずちょっとの機会でも、
パクッと捉えて、
一言でも、
自分を売り込むんじゃなくて、
自分の思っていることを他人に伝えて、
そうだね、みたいに言わせるっていう、
思わせる、
という、
ゲームだとしたら、
人生がそういうゲームなのだとしたら、
15:00
そうだったら、
いろいろまだできることがあるわと、
思ったわけです。
今日もね、
ちょっとそういうギリでやっている、
活動の中で、
えーと、
喫茶店で集まるっていうところに、
顔を出さねばならないわけですけど、
私はどうしてそのギリのところが嫌かっていうと、
退屈だからなんですね。
なんで退屈かっていうと、
そのことにあんまり興味がない。
自分の話をする機会がない。
自分が楽しいなと思うことについて、
話す機会がない。
ただ聞いているだけ。
こりゃあ、退屈でしょう。
今、私の話を聞いただけでも、
皆さんも、
そりゃあ、
退屈だねって思うでしょう。
本当に退屈なんですよ。
で、
だから行きたくなくなって、
行ってって減らす傾向にあるんですけど、
まあ、
先週そういう気づきを得たからには、
今日から私は別の私なので、
どんな場であろうと関係ない、
その場で通用しそうな話題を見つけては、
注入する。
そこにいる人全員に。
そして、すっきりして帰ってくる。
これだけでいいんじゃないのかと。
それ以外にすることなんかないんじゃないかと。
そういうことができるんだったら、
どんな場にも行って、
常にそれをするぞと、
いうことでしょ。
そしたら退屈っていうことから、
解放されるわけだし、
うん。
と思っていまして、
うん。
なんか、
だからすごい、
人間は情報でできていて、
それを他人に停車するために、
人と交流してるんだみたいに思うと、
ものすごいブレイクスルーじゃないんですけど、
今までの人付き合いの方法論がもう逆転するぐらいの
感じです。
うん。
でも、
基本的にね、
なんでここにいて、
なんで生きてるんだろう、
生きるにしてもさ、
いろんなところに生まれる可能性があったわけじゃん。
それは今、
あの時、あの場に、
日本に生まれて、みたいな。
で、今はここに住んでいて、
で、
なんかいつも同じようなことを考えていて、
で、あっという間に、
こう時だけが過ぎていって、
で、自分の願ったこと、
思ったことが、
あの、
うんと、そっちに向かいつつはありつつも、
かといって全部が叶ったわけでもないし、
といって、この人生ってなんなの?
ね、大きな
ところで言えばね、
そういうね、漠然としてうっすらした疑問っていうのが、
なんなんだろうなって、
ことを、まあ常日頃から漠然とはあるわけですよ。
18:01
特に、特に、
60を超えてきて、
で、子供も本当に大きくなってっていうか30、
下の子が30なので、
あの、まだ同居してますけれども、
そうとは言っても、もう全然子供じゃないでしょ。
そうしていくと、
えっと、まだ子育てをしていた時、
時期、
には、そんな人生が何だろうと関係ないと、
とにかく、この子たちを大学に行かせてとか、
ね、ちゃんとするまではと思って、
仕事の質もあんまり、
選べなかったとか、選んでる場合じゃないっていうか、
でも、謝任に、
必死に、
ただ、もがいて、
いたんですよね。
だけど、
なんかそのもがきもね、
さすがにその動機、
必要性がなくなってくると、
そんなことは続けられなくて、
もがきながら、
あれ、私何やってるんだろうって、
思うわけですよ。
これ本当に必要なのかなって。
で、言ってるうちに、
体の方が正直で、
やっぱり腰痛で動けなくしてくれたりとかね、
その、このことによって、
二つ三つ、
嫌だなと思っていたことを、
全部解放されたりとか、
体は正直で、
あの、
背負ってきた、
背負わなくてもいいような荷物みたいなのを、
どさっとそこで、
全部落として、
で、去年一年は、
本当に何も背負わないようにしながら、
遊んで暮らしていたわけなんですけど、
うん、
あの、
それで、
何て言うかな、
差し引きゼロっていうか、
ゼロの状態、
本来の基本の状態に戻ったかなと思って、
でも、
ゼロの状態で、
それで楽しいかっていうと、
多少物足りなくて、
もっとこう、
外に出ていきたい、
打って出たいというか、
うん、自分の主張をしていきたい、
みたいな気持ちに、
一年ぐらいかけて、
だんだんそうなってきた時に、
その、
人間は情報で、
他人に情報を転写するんだ、
みたいな話を聞くと、
うん、なるほど、みたいな、
このタイミング的にも、
とても受け入れやすいタイミングで、
生きてきたわけですけれども、
えっと、
うん、
今までずっと信じていた、
人と付き合うっていうのは、
こういうことだよ、
こういうために、
面白い人だから、
付き合うんだとか、
そういうことではなくて、
面白い人と付き合いたいと思って、
ずっといるんですけど、
そうしたら、
付き合える人がほとんどいない、
っていう感じになってきて、
特にこの年まで来ると、
もうね、
ろくでもないことを言っている人たちにも、
21:01
付き合うね、
時間の無駄、
こうしたらうまくいきますよとか、
いろんなセミナーとかやっている、
見ても、
もう聞く耳がないですね、
本当、
一瞬それでよくてもすぐダメになった人とか、
自分も含めて、
いろいろ経験してくると、
言っていることの浅さ、
表面的なこととかが、
一瞬でわかってしまうので、
これでもなお、
この人すっごい面白いな、
付き合いたいな、
と思うような人と、
出会えなくなっていく、
面白さを感じなくなってくる、
っていうのが、
年を取るということなのかな、
と思ったりするぐらい、
面白さで人付き合いをしようと思っていくと、
どんどんどんどん縮小するわけですよ、
みんな飽きてきちゃって、自分がね、
今、話題として面白いなって感じるのは、
それこそ、
チャットGPTの話とか、
それを作っている会社がこうとか、
その会社のね、
なんかほら、
日本生まれの中国人の、
なんとかっていう人が、
日本の担当、
その会社の、
日本生まれの中国人の、
なんとかっていう人が、
日本の担当、
なんとかっていう人が、
日本の担当、
だったりとかっていう辺の話は、
ちょっと、なにこれ、
すごいと思いますけど、
それって日常で出会う人たち、
というわけではないので、
そういう面白い話が、
ハイエンドな感じになればなるほど、
日頃出会える人たちが、
クソ退屈ってなっちゃうわけで、
比較するとね、
だってそう、
インターネットの話とか、
全く知らないで、
生きてて、
多分そのまま一生終わる人たちが、
ほとんどなんですよね、
ふらーっと出会うとね、
みんなLINEも使えば、
インスタもやりますよ、
インターネットだと思ってないですもん、
これ携帯って思ってますからね、
携帯の機能だって、
いいですけど別に、
そのような人たちと、
どうやってチャットGPTのことを、
このすごさみたいな、
すごいよねみたいなの、
どうしたらいいのか、
全くわからないですよね、
面白さを求めていると、
人間関係は縮小する一方で、
だけれども、
私の情報を、
その人たちに転写するんだと思ったら、
チャットGPTについての話し方も、
変わってきますよね、
教えてあげるね、
ぐらいの勢いで、
すごいのよって、
わかんないけど、
わかんないけど、
わーって一緒に盛り上がろう、
みたいな気持ちは捨てて、
相手はどうせ知らないんだから、
全部私の情報を、
この人に注入する、
みたいに思って、
そのために人に会う、
みたいなことだと思えば、
結果的に自分のしたい話が、
できたりとか、
24:01
例え、
すごいよねって思って、
もらえなかったとしても、
いいわけですよ、
情報とさえ転写できれば、
どこに行っても、
誰と会っても、
同じ話、
自分が今興味を持っている話、
っていうのができさえすれば、
少なくとも退屈はしないで、
帰ってこられるのかな、
と思うので、
今日から、
私はそういう人ってなって、
そしてずっとそういう人であって、
生きていこうかなと思います。
まあ、
私は、
いかに人付き合いが嫌いだったか、
っていう話ですね、
これはね、
私がね、
人付き合いが嫌いすぎて、
一日ずつ家にいて、
気がつくと、
ポトキャストをやって、
YouTubeをやって、
ってなってるわけで、
一概にその人付き合いが大好きで、
社交的で、
っていう人がいいとも限らないわけで、
そういう人って家に一人でいる時間がないし、
一人で何事かを、
練り上げるみたいな、
集中力がないので、
自分のコンテンツは作れないですね。
どっちがいいか、
って言って、
比較なんかできなくないですかね、
その人が何をしたいかっていう、
ただそれだけで、
世の中一般にそういう、
社交的で知り合いが多くて、
っていう人の方がいい、
っていうような価値観があるのだとしたら、
それはどうぞっていう感じですけど、
自分はそれに当てはめる必要は全然ないし、
だってやろうったってできないし、
なんで私の貴重な人生時間を、
そんな無駄なことに、
費やさないといけないのっていう、
それぐらいのことですから、
でもこの生き物としてね、
私もちょっと目を覚まして、
いやそうではないんだ、
自分を他人に転写するんだって、
生きている以上、
それはそういうもんなんだよ、
人生は。
で、自分が思えた時、
違う振る舞いをするようになっていくだろうな、
っていうような、
そんな話でございました。
はい、本日は以上です。
お聞きいただきありがとうございました。
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