00:08
こんにちは、IKUKO Laboです。 今日は3月24日木曜日の朝9時15分ぐらいに録音をしています。
昨日はなんか雨、一昨日か、雨で、昨日もちょっといまいち曇りで、みたいな。
今日は朝からすごい、あの日差しも、なんか春っていう感じになっていて、
ちょっと元気の出やすい感じかなと思います。
3月24日っていうことでね、もうちょっとすると4月ですね。 昔でいうとこの24日っていうのは、修行式とか。
失礼。 昔っていうのは、その20代で学校の先生をしてた時の、その
スケジュール感覚が、もうなんか体に染み付いているので、3月の24日ぐらいって言うと、
楽器の終わりっていうよりも年度の終わりになるので、その1年間受け持ったクラスとかから開放されるんですよね、完全にね。
それでも、1年が2年に、2年が3年に、みたいな感じで、またちょっとすると新学期になると、同じメンバーに会うわけなんですけど、
それでもまあ一応、自分のクラスとかからは開放されるので、すごく嬉しかった思いがあります。
一番嬉しかったのは、123と持ち上がった学年が卒業式で、卒業した時ですね、卒業式当時は3月の頭の方にあったので、
本当にまるっと2週間かそれぐらい、クラスの受け持ちのクラスっていうのがなくていたんですけど、その時の幸せな気持ちすごい覚えてますね。
本当に開放されたくて、っていうぐらい逆に常になんかそういう束縛されているっていうか、なんかこう責任を負わされているっていうか、
何もないんですけど、何事があった時にはすぐに呼び出されるからみたいな、そういう状況なんですよね、学校の担任ってね。
本当に今にして思えば、60歳を迎えた今、その20代の自分っていうのを思い出して、
当時は、学校の先生なんだからちゃんとしなさいとか、担任のクラスの子たちからはね、先生のくせにしっかりしろよみたいな感じだったし、本当につらかったですね。
身の置きどころがないというか、居場所がないというか、どうでしょうね、100%楽しいことがないのに、
03:04
7年間ぐらいいたのかな、ひとえにここで負けたら終わりだみたいな、負けず嫌い精神がバネとなって、ひたすら耐えたんですけど、本当につらかったです。
だから、なんか自分がね、絶対できない仕事ってあるじゃないですか、高所恐怖症の人が飛び職になるとか、もう毎日が苦痛ですよね、多分。
でも周りの飛び職の人は高いとこが好きだったりして、で、そろそろそろっと高いとこ登って、イエーイみたいな、むしろ楽しいみたいな、私にとって学校の先生もそんな感じで、周りの先生たちはなんやかんや愚痴は言いつつも、すごく嫌じゃないというか、子供が好きみたいな、あるいは先生である自分が好きみたいなね。
あの、私ほど先生であることを嫌がっていた人は一人もいなかったと思うし、で、適正的にもほとんどなくて、ただこの負けず嫌いであるとか、やらなきゃいけないことはちゃんとやろうとするとか、そういうとこが適正だっちゃそうですけど、他の仕事にだって行かせるしっていうような、で、何より私が、
適正云々以前に、もう学校っていうそのもの自体がむちゃくちゃ嫌いっていう、もうトラウマの塊みたいなところで、だから行くこと自体がつらくて、しかも自分が学校の先生であるっていうことがつらくて、あの、そのこと人に言うのも嫌で、みたいな、どうですかね、この世に生き地獄っていうのがあるんだとしたら、
意外とあの頃が一番つらかったかなって。比較対象としては、41歳の専業主婦のときに、いきなり夫が引きこもって、子供二人抱えて、生活費の収入が突然ゼロになるっていう、そういう状況が今に続く、そこから今が始まってるんですけど、その延長線上でね。
でもね、その時の、その時は何て言ったらいいのかな、確かに大変だったんですけど、確かにパニックだったんですけど、自分ができないことを無理やりやらされているっていう感覚ではなかったんですよね。どうしていいか分かんないから困ってただけで、じゃあどうしたらいいんだろうっていうのを探して走り続けた20年っていうことなんですけど、
学校の先生の時は、とにかくできないし、やりたくもないし、行きたくもないとこに毎日毎日行った上に、すごく共感できるのは、学校になんか来たくないって言ってる子がいるんですよね、中学でしたからね。で、そいつらが授業飛び出してきて廊下を走って逃げていくのを追いかける立場だったんですけど、一緒に逃げたいぐらいのものすごい共感を感じましたね。
06:06
でも立場上、引き止めなきゃいけないので、本当に胸ぐらつかんでね、あの、取っ組み合いみたいな、あの、その時の気持ちを思うと、その、飛び出していく子供に腹が立っているのもありますけど、私だって本当に行きたいのに、行けないのに、お前は出てくるのかよみたいな、なんかよく分かんないけど、
もうむちゃくちゃ変な、そういう個人的感情もないまぜになった感情だったことを覚えていて、でもそうやって、こうバトルというかね、あの、取っ組み合いしてまで、こう、何かこう表現できるというか、そういう時の方が実は楽で、ある程度の発散ができてたんですよね、こう腹立つことされると腹立つし怒ったりとか、
バトル、毎日がバトルだった時っていうのは、それなりに過ごせてしまいますね、大嫌いな場所でもね、でも持たなくなったのは、一回転勤して、あの、次の学校行ったら、むちゃくちゃ平和な学校だったんですよ、授業中に席立つ子なんて本当にいないし、騒ぐ子もいないし、
でもその苦の中では悪いって言われてたんですけど、一時的にその悪い子たち出て行っちゃって、後の平和が来てる時に、私行ったんだと思うんですけど、もうね、そうなった時にね、自分がもう持ちこたえられなくなっちゃって、毎日が辛いしかなくなっちゃったんですよ、ここにバトルがあれば、こいつちくしょうみたいな、なんか制圧しないといけない相手がいればね、歯向かってくるやつらとか、
そうしたらもうこっちも防衛しないといけないので、あの、そういうスタンスで、なんとか持ちこたえてきたのが、亡くなった時に平和になって、本当に普通の一般的な学校の先生と生徒みたいな関係性が、もうどこでも成立してる場所に自分が行った時に、もう先生の、普通のいい先生の姿しか演じることはできなくて、
で、なんか辛すぎて、つまりこう思い出の中で、その時が一番辛かったんですよ。演技ですからね、こっちは全然先生なんかやりたくないし、興味もないし、授業自体も全然興味がないし、上に、そもそも子供にあんまり全然興味がないんですよ。どうでもいい、関係ない。
そんな、もう本当に時間が無駄な、早く帰って好きなことしたいな、みたいな、不登校の子供みたいな感じ。これってあれですよね。でも本当に私多分、学生の、自分の学生の中学高校とかが、むちゃくちゃ嫌いだったんだろうなと思って、学校が。
もしあの時、だから学校の先生にならずに、一般のところに就職してたら、あの嫌いさの度合い、マックスのままずっと大人になっていて、子供が学校に行くのも嫌だっただろうな、みたいな気持ちですけど。
09:20
生徒側からと教師側からと、2つの立場で学校っていうのを体験することができたので、まあね、先生が先生で大変な一面があるなと、理不尽な目にあってるなっていうこともわかるし、かなり中和はされたんですけど、さりとって自分がいた、今でさえ、もうあれですけど、何か機会があったって絶対、先生と生徒みたいな、
興味がないし、教えることも好きじゃないし、子供も嫌いだし、塾でありフリースクールであり、何でありボランティアである、絶対そういうのに関わりたくないですので、
世の中で一番嫌いな仕事に、貴重な20代をそこに費やした、みたいな感じはしてまして、で、今日はそういう話じゃないんですよ、何で、10分もそういう話をしましたけど、じゃなくて、
まあそういうわけで、この40歳からずっとこの方っていうのは、自分のことフリーランスのウェブ制作者っていうところを基本に、でもいろんなこと他のこともやるよ、みたいな、手でずっと来て、それっていうのはもちろん40歳の、41歳の時に、自分でこうしようと思って作り上げた、こういう設定なんですよね、もちろん。
で、途中で会社作ったりしたので、その後は何だろうな、でも経営っていうほど全然あれなんで、ウェブショップの運営をしているショップオーナーみたいな働きっていうか立ち位置もありましたし、
で、もう3、4年前からそういうのも終了してしまって、パート出て遊んでたりとかいろいろしたんですけど、他の仕事もちょっとしましたけど、去年の腰痛以来、全ての仕事を今、お休み状態っていうところで、肩書きが本当になくて、
でも最近無職ですって言って、そうなんですねとか言って、全然無職って名乗って何のあれもないし、専業主婦ですとか言う必要もないですね、これくらいの歳になってくるとありがたいですね、本当に。
肩書き必要ないんですよ、今働いてないんだけどね、みたいな、で、ユーチューバーとか言ってて、えーって言ってそれでね、済んでいくっていうことに気がついちゃって、いやーありがたいな、30代くらいでね、そういうふうにしてると、
12:00
ユーチューブで生活できてんの?とかそういう話になったりもするかもしれないですけど、一般的にはもうそろそろ年金生活かぐらいの歳なんで、もちろんまだ年金入りませんけど、そんな感じ。
気楽ではありつつも、自分自身が自分が自分に対して抱く私は何者であるみたいなそういう定義がまあちょっと曖昧だっていうか、本当にこのままずっといくつもりはないみたいなところがちょっと問題かなと。
20代はそういうわけで、まあ学校の先生っていうのが嫌で嫌で嫌すぎて、違う肩書きが欲しくて欲しくて欲しくてなんですけど、30代を無駄に専業主婦で過ごしつつ、インターネットに目覚めて、だから40歳以降をウェブ制作者とか言ってたんですけど、まあそのウェブ制作ができないっていうこの現状っすね、やりたくもないしですね。
で、名乗れなくなっちゃって。
で、YouTuberって言うほどYouTubeやってないっていうか、そもそも収益化してないんで何言ってんのって感じだし。
で、言ってるうちに、このこないだお話ししたように、踊ってみた動画を撮って、ダンサーデビュー、勝手にダンサーデビューみたいに自分で思っていて、今まで使っていたインスタのね、アカウントをイクコラボって言って、
そういった教材を販売するとかセミナーやるとかっていうイメージで作ったイクコラボっていうものがあったんですね。
インスタはイクコラボっていうアカウント名にしてたんですけど、インスタってすごいですよね、アカウント名さら変えられるんですよね。
不思議猫かなんかに変えて、ちょっとダンス方面のものを投稿する場所にしようかなと思って変えちゃったんですね。
で、変えてる作業中にもう一個別のアカウントを自分が持っていることを発見してですね、そっちをイクコラボにして使うっていう風にしたりとか、要はね、なんかダンサー的な自分を演出する場所を作り始めている自分っていうのがいてですね。
何してるんだろうって思いつつ、でもダンス動画を流すにはインスタが一番いいですよね。YouTubeに投稿するほどのものでもないし、ダンサーの人とかダンススクールやってる人とかはもう本気で今やってますので、
素人が踊ってみたみたいなのはもうちょっとカジュアルな媒体が向いてるなと思って、TikTokとインスタ以上終わりって感じですね。にしても、自分の中の自分はこういう人っていう定義が非常に揺らぎ始めているっていうのは現状です。
15:01
話ちょっと触れるんですけど、そういうわけで昨日は、昨日じゃなくて、ダンス動画をよく見るようにしてて、次何を踊ろうかなみたいなこともありつつの見てて、可愛らしいそういう踊ってみた動画ね、TikTokとかで人気ののいくつかが、ゲーム由来のダンスだっていうことに気がついたんですね。
フォートナイトっていうゲームの中で、そういうダンスのアニメーションですかね、ダンスを踊らせることができるっていうのかな。それで使われている有名な楽曲が結構、ドジャーキャットとか、K-POPのアイコンの曲もあるみたいだし、
私本人たちが踊る、人間が踊っているそのような振りをよく見てて、ゲーム内のキャラクターがそれを踊っている動画も見たときに、あっこっちが先みたいな、どっちが先かわかりませんけど、オリジナルの人たちが先で、それがアニメーション化されている。
ゲームに取り込まれたんだろうなとは思うんですけど、でもきっとゲームを見た人がそれを真似していると思うので、その本家を見たというよりは、そういうことねと思って、いや楽しいじゃないって思ったんですね。
自分あんまりゲーム全然やらないで来ている人なんですけど、この世の中にはゲームっていう世界がぽっかりと、私が手つかずの領域として残っているんだなっていうのを昨日突然思ってですね、一番近いところで言うと、
2007年にセカンドライフが始まったときにやってて、あれが一番自分の中ではゲーム世界に近いんですけど、当然ですけど、セカンドライフって何もないので、そこにセットもなければストーリーもなくて、自分たちで作ってねっていうようなものなんで、
対戦型ゲームっていうのはほとんどないって言える状況ですね。
で、ああそうかと思って、そうかゲームこれやったら、もしやって楽しかったらそれであと10年ぐらい暮らせるじゃんって思っちゃったわけですよ。
そういうのもいいなって。なんかこのままいくとゲーマーになるかもしれないみたいなね。分かりませんけど。
になってくると、そうすると、今まで自分はこういう人でこういうふうにしていくんだって思ってたものが、
経済的状況さえ許せば、もしかしてやらなくていいかもって思うようなものがいくつかあったりするんですよね。
18:06
努力してやっていこうって思っていたいくつかの項目の中で、本当は別にやりたくないけど、経済的なこと考えてやらなきゃなって思ってるに過ぎないっていうようなものがいくつか浮き出てきて、
やらなくていいかもって思っちゃったっていうような話あります。
多分だけど、前からそう思ってたんですけど、本当にこの今の世界からゲームを取り去っちゃったらかなりのカルチャー的なものが崩壊するぐらい、
ゲームカルチャーと、アニメっていうよりもゲームかな、ゲームと、それからいろんな音楽とかダンスとか、あとはコミュニケーション、
何らかの体験みたいな、みんなで共通している体験みたいな、昔に例えると、8時だよ全員集合を毎週見るみたいなやつ、
それは老若男女問わず、どんな性格の人間かも問わず、とりあえずその時間になったらテレビつけるとそれを見る。
なんとなくそこにチャンネルがあっているので見るんですよね。見たくて見るっていうよりも、やってるから見るって言って、それが共通体験になるわけで、
似たようなことを言うと、20代でディスコブームがあって、私はそんなにディスコに通ってないんですけど、それでも、
ディスコ行ってこうやって踊る、こんな曲が流行ったよね、みたいな、なんとなく知っている世代、みたいになってくる、
というような体験を、ゲームってもうちょっと幅広い世代で、共有しながら進んできているのかな、
この私でさえ、ポケモンの最初の種類は100個ぐらいは知っているっていう、見れば分かるっていうか、見たことあるっていうか、
その後ずっと増え続けているみたいなんで、最近のは知らないんですけど、子供が小学生ぐらいの時にあったポケモンの種類は、なんとなく分かるっていうぐらい、
共有してて、あれっていうのは何ですか、やっぱりゲーム由来の話なんで、そういうゲームがもう本当に有名なのがたくさんあって、
そういうところでみんなが体験をして、大きくなってきているっていう人たちが、30代、40代、50代って、今どんどんどんどん数が増えているっていうことを考えると、
そういう過去に遡ってそれを体験することはできないんですけど、これからどんなことに、どんな人生体験を自分の人生の中でしていこうかっていうのを考えたときに、
21:16
ゲームっていうのが手つかずだなっていうのを感じたっていう、気がついたっていうことですかね。今までやってきたことをそのままやり続けて、80なって90なって死んでいくっていう、そういうのがうちの親世代とかだったらそうなんですよね。
若い頃からやっていたお茶やお花や踊りみたいなのをずっとやっていくとか、ただ自分の人生設計っていうんですか、そういうのの中では、過去にやってきたことをやり続けるような何かっていうのはほとんどないですね。
やっぱり何ですかね、このインターネットができたっていうことは、いろんな通信が便利になったとか、情報がたくさん探せるようになったっていうこと以上に、何かを根本的に変えているような気がする。
インターネットがなかった時の自分たちの暮らしっていう、つまり35歳以前ぐらいの、人間関係のあり方だって違うもん。
職場とか入ったらその職場の関係が、もう一生続くとは言わないけれども、とても大切な関係性になって、転職とかもあんまりしなかった世代なので、多くの人はそのままずっとその世界にいて、
丁寧に退職し、退職後もまた関連のところに働きに行って、でなっていくんですよね。他の世界の人と関わるっていう人はあんまりはいないですね。
に比べて、そういうわけで本当にいやいや耐えていただけの私だったので、29歳で飛び出して、それから後は本当にゼロから自分を見つけていくみたいなことですね。
仕事をすることで自分のこんなことができるんだとか、私はこういうことに向いてるんだとか、こういうことが楽しいとか、そういうことを発見しつつ、で気がついたらもうできることをやり尽くした感じになっていて、
で、なんかダンス動画出してみたいになってるんですけど、もちろんそれが私のメインの活動になるわけでは当然ないですので、さりとって今のYouTubeがそうかっていうとやっぱりそれも、だって自分の言いたいことを言えてるわけじゃないじゃないですか、朗読チャンネルって本当にただひたすら読む一生懸命だけなので、どうですかね。
24:03
いや技術的にできるから、機材とかそういう面でやったんですけど、そこで自分の持ってるものが何パーセント表現されてますかみたいなことを言い出すと全然あれなんで、ダンスもそうですよ、自分の持ってるものをこれでどれだけ表現できてますかって言ったらダンスっていう手段自体が全然ね、自分の中でそんなに表現できないっていうか、
振り踊るので精一杯なだけですから、ただ楽しいのでね。やっぱりね、いやいやいやそれでもないこれでもないって思いますよ。じゃあ何なのっていうところなんですけど、で全然何なのかわかんないんですけど、多分ですけど今のこの喋ってるやつ、ポッドキャストみたいなことが全てなんじゃないかなって、
ただ日々思うこと、自分の話を語ることができれば、まあ私多分それで十分満足をして、で生きていけるんじゃないかなって思ったりしています。
本当のことを言うとこの現在ですね、3月24日っていうのはテレビをつければウクライナの紛争のあれですね、ロシアとの話題が今本当に深刻になっていて、多分問題的に言うとそのことをトピックしないわけにはいかないみたいな話なんですけれども、
こういったポッドキャストとかっていうのはリアルタイムで聞かれるっていうことよりもずっとそのうち聞かれるかもしれないみたいな時差があるものなので、あえてそのことに触れる必要があるなと思うまでは触れる必要はないかなと思って何も語らずにいますけど、世界はそんな風なことが起こっているっていう状況の中で、
去りとて、そういった何か大きな出来事が起きたから、それに巻き込まれて自分が右往左往するっていうことでもないだろうと、それはすごく思っていて、やっぱり内側が自分の内側が平穏で平和で満ち足りていることで初めて外側の平和や平和?幸せ?
みたいなことを願うことができると思うんですね。自分のことをなおざりにして、自分は苦しい状況に置かれたままで、今もっと困っている人がいるからって言って走り回る、それはいい美談ではありますけれども、それで走り回った結果が今の私ですから。
本当に。やっぱり自分のことをケアしてあげれる人っていうのは自分しかいないし、私が今どんなことを感じているかっていうことがすぐ隣にいる人にさえ見えないんですから、一つのことがあってそのこと私が楽しいと思っているのか、嫌だと思っているのか、それすら全然周りの人には感じ取ってもらえないんですね。
27:23
もらえないっていうか。だから人も羨む学校の先生っていう地方公務員で、首にもならない、倒産しない、年金も出る、安定した、そういう意味で羨む人の方が多いと思うんですけど、そんな恵まれた職業に就いていてさえ死ぬよりつらい地獄だったって言ってる人もいるわけで、
この人をどうやって幸せにしてあげようかって言ったときに、外からの助けなんて千年もあったってこないわけですよ、だってわかんないんだもんみんなには。だけど私は自分がつらい思いをしているっていうことを感じている唯一の人だった。
今にして思えばね。だから私は自分をケアしてあげるために、自分を助けてあげるために、あるいは自分を守るために行動してあげる必要があったんだと。つまりそこに勤めるのは嫌だって言うとか、やめるとか、いろんな現実的に自分が開放されていく、幸せになっていく、楽になっていくっていうことを目指して何らかの行動をとってあげるべきで、
でも今言ったのは自分を守ってあげるために、大切にして幸せにしてあげるために行動をするべきであって、自分はそういうふうないろんな道、満たされないのを埋めるために他の人に尽くすみたいなこともよくあることなんですけど、
それも効果はあるかもしれないんですけど、それでもね、やっぱりあえて言いますけど、そういった人たちが育ってしまう、いなくなってしまう。私で言うと育ててた子供が育ってしまって、手元からいなくなるっていうときに、やっぱり何が残りますかって言ったらそうやってケアしなかった自分っていうのがそのまま残されているだけなんで。
とりあえずやることがあるうちはなんとかなっていた、ごまかせていたことがごまかせなくなって、やっぱりあるものはあるので、いつかそれを自分で解消しなきゃいけない時が来るのであれば、今解消する方に動いたらいいんじゃないかなと思ったりします。はい、以上です。
お聞きいただきありがとうございました。
このチャンネルはリクコラボの日常のおしゃべりを配信しています。
30:01
よろしければフォローお願いいたします。
コメントもお気軽にお寄せください。お待ちしています。