森田さんの数学への興味
森田さん、呼ぼうよって言ってるMikiさんの近くにいるお姉さま方は、どんな感じなんでしょうね?数学は同じ感じなのかな?
手数学者としていいと思ってる方も、もしくはSSとか、その頭の良さみたいなところに惹かれてるんだと思います。
なるほどね。
チャンネルがこう、パッと開かれてる感じがありますよね、森田さん。
ここの目が開いてるっていうか。
確かにね。もともと、ド文系、ド文系っていうか、一応東大の文理科なんかに入ってるんで、なんて言うんでしょうね。
その、タッチ1としては、もう算数大好き、数学大好き、そのまんま数学者になるで、みたいな感じではない。
一緒じゃない。でも、プロフィールに小さい時から数が好きとは書いてありません。
これなんか森田さんが、あたしもあまりわかんなすぎて、この森田さんがした絵本から来たんですけど。
森田さんが書いたやつ、森田さんが監修してる。
あー。
文は森田さんが書いてる絵本があるんですけど、絵本のプロフィールは、
1985年東京に生まれる、2歳から10歳までアメリカのシカゴで育ち、小さい頃から数が好きで、怪我をしても足し算の問題を出されるとすぐに泣き止んだ。って書いてある。
へー。
ちょっとそれ聞くと強すぎますね、なんか。
痛みを消す能力を感じてるってことでしょ?足し算に。
あとなんか、この発表に気づいたら親凄くない?
だってたぶん転んだ顔でさ、「痛いから足し算の問題出してよ!」って言ってないじゃないですか。
だから親が足し算の問題出してみようって。
それに気づいたのがどういう過程だったのか全くわかんないですね。
どういう過程で気づいたんだろうって思いましたけどね。
なるほど。
なんで別に急に目覚めたみたいな、もともと法があって、だけどいろんな巡り合わせがあって、大人になってから数学の道に志すことにしたって書いてありましたよね。
うん、そうね。書いてたね。
私にはまずめっちゃわかんなかったっていうか、全然入ってこねー。
なんでこんなにみんな良いって言ってるものが入ってこないんだろうって思いながら読んでました。
なんか一個は、みんな良いって言ってるから雰囲気で良いって言ってる人は、別にこの本がどうこうじゃなくて、良いと言われる本界隈ってそういう人多いじゃないですか。
これわかってるって言わないと恥ずかしいみたいな。
確かに。読んだことある選手権みたいな感じですね。
絵本のプロフィールの分析
読んだことある選手権プラス、わかっていますよ、私は他の人より深く読めてますよ選手権もあるので、それの対象になりやすそうな感じはすごいした。
私の数学の漢字とかを共有すると、
はい、ぜひぜひ。
私、長野県の高校に入るときに、県立高校に入ったので、みんな共通試験みたいなやつをやるんですよ。
県立高校はみんな全員、どの高校に行こうとみんな同じテストを解くんですけど、
センターみたいなやつがあるんですね。
そうそう、長野県高校入試センター試験みたいなのがあって、
本当、足し算怪しいみたいな子から将来は東大に行く子までみんな同じ問題を解くんですけど、
私たぶんその数学の試験で偏差値50ぐらいなんですよ。
それはすごく得意ではないですよね、つまり。
全く得意ではないし、私が行った高校のレベルからすると大変苦手っていう部類に入ると。
そうなんだ。
320人ぐらい同級生いるんですけど、たぶん300位ぐらい。
まったくさっきの森田さんが言うような、足し算すると泣き止めとか意味不明。
本当ですよね。
もう何を言ってるんだと。
ただ、結局大学受験は数学でしたんですよ。文系ですけど。
めちゃくちゃ得意。受験勉強の数学も解けるし、
その時の高校の時の数学の先生がめちゃくちゃ良かったんだと思うんですけど、
その先生はめちゃくちゃ数学する神体な感じなんですよ。
何かというと、私は記号とかを全く取り扱えないんですね。
みきさんやったかどうかわかんないですけど、ここからここまでの数字を全部合計するシグマみたいな記号とか。
やりました。
ああいうのにされた瞬間に全然頭に入らないみたいな。
なんですけど、なんとなく数学得意になったのが微分とかの授業になると、
その先生はいろんなところを教室のいろんなものを一緒に触りましょうとか言い出すんですよ。
机の角とかあるじゃないですか。
机の角とか触りながら、いやこれ微分できますねとか言うんですよ。
え、何それ。いい授業じゃないですか。
8割くらいの人はポカンとしてるんですけど、私は超イメージがワクワクですよ。
連続していない関数、つまりピンって尖っちゃってる90度直角ピンってなってるみたいなやつは微分できないんですよね。
滑らかな曲線とか微分ができるわけですよ。
確かに曲線に視線が出てくるっていうのをやってみました。
積分とかだと連続性っていうのがすごい大事なんですよね。
だからタンジェントとかのグラフのぶつ切りになっちゃうみたいなやつとかなると積分ができないんですけど、
これみたいなやつを視覚とか触って気持ちいいとか、
これに近いみたいな、私たちの視覚とか聴覚とか触覚で感じているものと
紐づけながら数学をある種教えてくれるっていう先生。
確か早稲田の理工の院から出身の人なんですけど、めちゃくちゃいいじゃんと思って、
その人に教えてもらったことをきっかけに数学がなんとなく好きになり、
数学への興味の喪失
そのまま経済学の大学院まで行ったので、数学をゴリゴリやってたんですけど、
結局でも大学院の経済学ぐらいまでになると記号マックスみたいになるので、
そのレベルになると、
いや、これって単純な記号の操作やなみたいになって、
なんかおもろないなと思うようになり、
もうこのままやっていくのは無理だなと思ってやめたんですけど。
なんかすごいな、いろいろ教知が。
何週もしてますね、数学に対しての向き合い方が。
部分的にここはなんとなく感覚に合うなとかいうのはあったりするわけですよ。
さっきの空間ベクトルみたいなやつも野球やってる時に
ストライクゾーンをどうボールを通らせるかみたいな時に
空間ベクトルっぽいやつって使えるなとか。
そういうギリギリ攻めた方が気持ちいいっていう感情とか。
そういうような感情を思い出しながら、
この森田さんの本を読むっていう非常に主観的な読書を今回しましたね。
いいですね。楽しめてそうですね、私よりは何百倍も。
めちゃくちゃ楽しかったですよ。
そういう数学する身体っていうことが分かる体験が幼少期にあるんです。
確かに身体で数学してたわっていう気持ちがあるんですね、森田さんには。
あるし、数学者の身体大事話みたいなのたまにあるじゃないですか。
日本の有名な古くからあるチョーク会社が倒産しちゃうことになり、
世界中の数学者からチョークの書き心地がめちゃくちゃいいって言われてるから
倒産することが決まってから、世界中の数学者から注文が相次ぎ
すごい人は何万本か買って
僕が死ぬまでは全部使えるように買い溜めておきましたみたいな人がいたりとか。
それって扱ってるものは記号とか難しい抽象概念かもしれないけど
なんとなくこの身体性ってことがその人の数学能力と紐づいてるっていうことなんだろうね。
兄さん大人になってから数学とか数とかをもう一回触れ直すみたいなことって何かあったりした?
ないですね。数学?
全然やってないですね。
あるいは数とか図形とか。
私はまだいまだに真数学ってパズルの一環というか記号としか思えてなくて
そういう何だっけ、脱出ゲームとか行くとたまに虫食いさんとかさせられる時あるじゃないですか。
っていう時にしか使わないですね。
絶対できない自信があるな。
現代人だと思います私。この染め上げられた数学は数字は記号だっていう価値観に染め上げられて
森さんの本はそこから揺り戻しをかける本だと思うんですよ。
でも違うじゃん。もともと数学って記号じゃなかったじゃん。ほらほらって揺り戻しをかけてくる本だと思うんですけど
その特化値が何もなさすぎてガラスみたいな。揺り戻しされずみたいな。
確かに本の構成も最初の方は数を数える時に
例えば人間の手って指が5本ずつ両手にあって合計10本だから受信数になったよねとか
とある民族は全身を使って33までの数を数える方法を作ってました。文字なしでとか。
身体っぽい話から始まりだんだんに
照明っていうものにお向きを向くっていう文化が出てきたり
計算がしやすいアラビア数字っていうものが出てきたりする中で
身体性というか普遍性とか絶対性みたいなことを求めていく数学っていうものが
立ち上がってきましたっていうのが序盤にあった。みきさんはそのルートをそのまま突き進んでる感じの
突き進むかその末端のとこだけをインストールされた人なので
最初から記号なんだから何か分かんないっていうか
確かに10じゃ数えられないから数字ができたんじゃんって言われて
そうだなって思うんですけど分かんないというか言ってることが
なるほど
なんか前もみきさんにこの話をしたかもしれないけど私その社会人になって他人から勧められた本で
素数の音楽っていうのを読んで
なんだそりゃ
ちくま学芸文庫なんかねなんかの本で
新潮文庫だ
素数の音楽っていう本めちゃくちゃ良かったんですよ
これ正確かどうかは全く覚えてないんですけど
その本の中に
とある数が素数かどうかを一発で確かめるにはどうしたら良いかみたいなのとか
次の素数を発見するためにどうするかみたいなことを
何ですか人間として定式化する取り組み
例えばこの方程式のxに1個1個1234って入れていくと素数が出ますみたいな
でも次の数でこれ出てきた素数じゃないわ失敗これとかっていう
歴史が序盤に書かれていって
だんだんにこの幅の中に素数はいくつあるかをできる限り
いい感じに推定しようみたいな例えば1000から2000の間に
素数が何個あるか2000から3000の間に素数が何個あるか
1000から4000とか1万から2万とかその幅に素数がどれぐらいあるかっていうことを
探そうっていう風に変化しましたと絶対数当てるのも無理だから
幅で何個あるかということを計算する方でアプローチしましょうみたいな
楽波が出てきましたと
数学と身体の関連
すごいいい感じに出てくる近似値の方程式だか分布図だかっていうのを取りますと
そうするととある太鼓を叩いた時の波動と全く同じ形になるみたいなのが途中で出てくるんですよ
すごい
だからそこで音楽が出てきて素数は音楽を奏でてるみたいな話しかなかったんですけど
これ今すっごいウロ覚えなんで全然間違ってる可能性あるんですけど私それ読んですっげえ面白えと思ったんですよ
なんか数字というか数学ってすごく美しいものだなっていう感じがその時して
そう言われるとなんとなく好きな数字とかあるわけですよ
本の中にも17と18が並んでる時に全然意味が違って17の方が全然大事だとか
いう話出てくると思うんですけどちょっと分かるみたいな
17の方が特別な感じちょっと分かる
全然分からない人の反応じゃないですか
全然分かんない
そんな話あったっけって今思ってますからね
実用上17と18はどっちが優れてるとかないけど
理論上は17が特別だってやつですね
そうなんですよ
この感じを見てたりすると何て言うんだろう
なんか数学の単体じゃないですけど
例えば収益のシミュレーションとかエクセルでやってるとするじゃないですか仕事で
なんか出てきた答えが美しくないと違うなみたいな
学生の時に解いてた問題でこの回やたら複雑すぎるから
多分答えじゃないなみたいな風に感じてた感覚あるじゃないですか
あれと同じように仕事やってても多分この数字全然美しくないからなんか違うなみたいな
美しくないからなんか違うっていう
利用してる感じがすごくするよ
そういうとっかかりがある人はこの放送とかし面白かったでしょ
本当にみきさんなかったんだなとっかかり
まず絵本誌で読んでるでしょ
結構やっぱり無理だと思って思ったのが
数学生の時代読みました全然ピンとこないなと思って
計算する生命も読みました
数学者になった間に絵本読みました
絵本はさすがに小学校中級かなって書いてあるから
さすがに少しはわかりまして
何回も同じ人の著作を連続して読んでるから
言いたいことは分かってくるんだけど
この絵本で写真でも送ってるけど
例えば数学者は数とか図形とかを研究してますと
数学の普遍性と広がり
数や図形は体とかと違って内の交差が知ってもないです
3本のペンとか3本の羊とか言ってるけど
3そのものっていうのはどこにもないですねと言ってるですね
この3は青いねとかそういうことないですねと
それでそこから脳みその中と同じなんですと
人間は喜んだり悲しんだりするけれども
脳みそはただの細胞の集まって
どこにも喜びそのものはないですねと
そのものがないと同じように
嬉しいとか悲しいとかっていうのはないですねと
それでも3があると思えるのと同じように
喜びや悲しみはありますよねっていう風に続けてるわけなんですよ
なるほど
別にそれ自体は分かるじゃないですか
分かるんだけれども
日本語の意味は分かるんですけど
なんで突然数字と喜びが同じ
3と喜びがなぜ同じ場所に出てきたんだろうみたいな
そこに詰まっちゃって
分かんねーって思って置いていかれてる感じがしました
なんで急に同じものみたいな感じで話し始めるんですかみたいな
分かんなくなっちゃいましたもうそこで
なるほど
7ページ目なんですけどね絵本も
なるほどかなり
ミキさん絵本に振り落とされてますね
絵本の2回めくったら出てくるところで
ちょっと無理かもしれない
そうなるほど
そういう感じで
言ってることって
日本語の意味がありがたができなくはないんですけど
やっぱり入ってこないっていうか
例えばミキさんが
すごい先鋭的な現代アートの展示を見に行ったとするじゃない
その時に何これ意味分かんねーっていう意味分かんなさと
この3というのと喜びって一緒でしょっていう意味分かんなさと
同じか違うかで言うと
全然違くてアートだと
私のチャンネルで表現するとこうなります
あんたに分かんないかもしれないけどみたいな感じがあって
じゃあ教えてくださいみたいなマインドになるわけですよ
知りたいですみたいな
私のチャンネルに関するとこのような表質が一番適切なチャンネルだったら
こういうものになりましたって話じゃないですか
どういう仮定でそうなったのって何を思って教えてってなるんですけど
森さんは厄介で
スマートすぎる上に私にも分かる言葉でもうすぐに書かれてるじゃないですか表質が
だからこう書いてあったら誰でも分かるでしょみたいな感じがより厄介というか
分かんないしってなります
なるほど
誰でも分かる前提でしたみたいな感じがすごいあるというか
森さんはもう似合って笑ってやっぱりなんか小学生みたいだよなって
終わりの話をみんなに分かるように書いた一冊の本になりましたみたいな話だと思ってて
分かんないしその本読んでもみたいな
分かんないんじゃない分かんのかな
いいって言ってる人が多いし面白がってる人っていっぱいあるじゃないですか
その面白がりできないっていうか
なるほどね
面白がるっていうのと数学って進退だよなっていうのはちょっとまたトーンの違いがあるじゃない
何をこう思っていたかで言うとさ
この本の次にみきさんと一緒に読もうって私が言ってるあの地の技法っていうやつあるじゃない
東大の教養学部科なんかの授業基礎演習が何かのサブテキストとして使われているのか
使われていたのか分かんないけどっていう本があってその地の技法って3部作なのよ
で地の技法地の論理地のモラルっていうのがあるんだけど
その地のモラルってやつを昨日読んでたのね
で地のモラルっていうのは非常に難しい側面を持っていますと
何を言ってるかっていうと地のっていうこの知るっていう地っていうのは何かしらの意味合いで
普遍性っていうものを求めたくなるじゃない学問だからね
一方でモラルっていうのは絶対に人間の個人から離れることができないと
精神とか身体から離れることはできないから
普遍性の対極にあるとだから地のモラルっていうのは
そもそが矛盾してるんじゃなかろうかみたいなのが序盤に出てくるわけ
そうだよなって思って数学する身体というものに帰ってくると
同じように数学って何かしらのこの普遍性を求めるじゃない
論理の中にもいろんな論理があると思っていて
その例えば数学っていう学問の中で求められる論理と経済学の中で求められる論理と
文化人類学の中で求められる論理って全然この普遍性っていう概念で言うと
強度が全然違うと思うわけですよ
身体的な視点からの数学
数学っていうのが超硬い論理
普遍性って見て硬い論理を求めてる感じがするじゃない
求めてる感じがする
一方で身体ってそんな普遍性なんかアホみたいなこと言うなって話じゃない
だって2秒前の体と今の体も違うし
とある人がミキさんが面白いと思わないもので私が面白いと思うもの
私が面白いと思わないものでミキさんが面白いと思うっていうのが
身体としては普通じゃない
だから数学に身体を持ち込もうなんて意味わかんねーよっていうのって
すごい自然だと思うのね
じゃあ自然だ肯定された
だから肯定だそうね
だから数学するには身体だよなうんとか
私はなんとなく森田さん自身も別に
それが全てであると思ってるわけではない気がするし
何を言っているかというと
なんて言ったらいいのかな
普遍性を求めるのももちろん数学だと思うんだけど
それだけじゃないもっといろんな広がりが
数学っていうものにはあるはずですよって言っているだけだと思う
まあそれはそうね
だからそう思うと私なんかその
いや身体だよって言って
分かった気になる人とかは
言いたいだけじゃねみたいな感じがするけどね
ミキさんの数学に対する関連って
すごい正直なんだと思うけどね
普遍性っていう観点から考える
その関わり合い方としてすごい真っ当だと思う
そうね
いや良かったです
でもこの私のような数学館の面白がるってどういうことなんだろうって
なりましたけどね
その数学館のまま面白いと思うか
数学との距離感ってみんな同じようなもんだと思って
大人になってから私と同じような仕事をしてたら
消費税の計算ぐらいしようみたいな
やることといえばみたいな
うーんなるほど
なんかその数学の側面が
そのなんて言うんだろう
計算とかに限定するとそうだと思うんだけど
例えばさっき一緒に話してた
化学の形とかさ
なんて言うんだろう
私新卒で入った会社でさ
最初全然エクセルができなくて
その時に私が編み出した解決策の一つがさ
なんか俺はエクセルだって思い込むっていう
解決策を採用したのよ
え、すごーい
なる、まるでエクセルになるところから始めるっていう
私がパソコンを介して
エクセルというアプリケーションを開き
で、その中でとあるブックを扱って
シートの中にのセルを扱ってとかなると
私もうダメなのよ
全くもうなんて言うんだろう
記号としてとあるそういうアルゴリズムの中にこう
入るっていうのがもう全く私はもうできないのよ
なんだけど俺がエクセルだって思うと
すごいできるようになるのよ
なんかわかんないけど
だからエクセルの中から
記号性をできる限り排除して
なんかね、なんて言うんだろうね
これは私の身体性だから
一切共感してもらえないとか
言語で伝えづらい側面があるのを
100承知で言うけど
なんかこのセルにこういうの入ってるの
気持ちいいみたいな
なんて言うんだろう
そういうものを目指して
エクセルになってるわ
俺が気持ちいい構造を
シート感でのエクセルと数学する身体
シート状とかシート感で作ると
結果的にめっちゃいいエクセルになるのよ
っていうことを発見したときに
あ、俺今
体で数学してるって
確かに
この本読んだとき
確かもう会社辞めちゃってたからあれだけど
読んでたら俺そう表現しただろうね多分
なるほどね
いい話だね
私ばっかりエンド話する気がするけど
今もやってるのかな
ロマンティック数学ナイトっていう
イベント昔六本木かな
やってて
六本木のクラブを貸し切って
自分の好きな数学の話をして
100人ぐらい人が聞いてるみたいな
不思議なイベントだったのね
みきちゃん何言ってんだと思うと思うけど
折り紙ってすごい数学的に面白い対象なんですよ
その幾何学
何かを折りたたむっていう概念って
よく高等数学とかでも出てくるんだけど
逆に数学から折り紙に戻ってきて
折り紙アーティストやってる人とか
あとは
この人本当に頭おかしいなと思ったんだけど
ゼータ関数っていう関数があるんですよ
ググってもらうとゼータ関数出てくるんだけど
なんていうんだろ
3Dで表現されていて真ん中がね
ピョーンって飛び出てるみたいな
すごい険しい山みたいな形になってる
関数があるのね
でもその関数がすっごい好きな人が出てきて
その世界にいたいって思ったんだって
ニコニコ超会議で発表されたその人の作品があるんだけど
VR作品でゼータ関数の中を旅するみたいな
ずっと中を探検してたんだ
真ん中にバーンって山があってみたいなやつがあって
その人すごいエクストリームだから
ゼータ関数の中にいるだけじゃなくて
食べたいとかも思うんだってゼータ関数を
だからクックパッドかなんかに
ゼータ関数のケーキを作りましたとかいうレシピをね
投稿しててそれ発表してたりしたんだけど
あれは数学する身体だった
折り紙、ゼータ関数、岡清さんの業績
ギリン化する必要ない?ギリン化するだけで
ギリン化というか身体なのかそれは
身体なんじゃない?感じたいってことなんじゃない?
ゼータ関数を
この話の中で岡清さんとかっていうのが
後半の方に言ってた情緒って
いろんな情緒の捉え方ってあると思うんだけど
ゼータ関数みたいなものが美しいから
触りたいとか食べたいとか
私なんか結構それも立派な
この岡清的情緒だと思う
なるほどね
美しくなんとかっていうのが美しいと感じるとか
この記号パツってマイナスより綺麗ですよねみたいな
そういうものだけじゃなくて
3のクッションと4のクッションがあったら
3のクッションの方がなんか気持ちいいよねとか
なんかそのレベルでも
岡清がなんとなく言っていた
情緒の同じ文脈の中にはあるような気がするけどね
確かに3のクッションと4のクッションがあったら
4のクッションの方が気持ちよさそうですね
そう?3じゃない?
マジ?
アホだ
っていうことなのかもしれないよ
俺が数学する身体の
確かにまだ記号の側面を捉えた
記号に取られすぎた
だってさ3は素数だしさ
ポリッとな感じがするじゃん
固そうじゃん
4は懐が深いっていうか
そう?そうか
4の方が懐が深い?
受け止めてくれそうじゃん
4?
マジか
なんか俺4の
なんていうんだろう
後ろに飛び出てるみたいな部分あるでしょ
あるね
4キュッキュッって書くときの
後ろに飛び出てる部分あるじゃん
あれ俺毎回イライラしたんだよね
えー
あれを短く書いているフォントとか
短く書いている人すごい好き
そう?
じゃあ4も一筆書きみたいに書く人が一番いいね
あーそうね
そうかも
でもそのタイプの人好きだわ
ほらみきさんの中にもあるじゃない
数学の数学というか数の情緒が
ビジュアリーに考えてる時だけどね
でもそれも大事なんだと思うよ
この岡清がすごい大きな
数学的業績を残したのも
関数っていうものを記下で解くっていう
方程式みたいなやつで表示されていた
記号で表されてたやつを
記下平面とか立体で表現される
ビジュアル化するっていうことをすると
一気に解けるようになるっていうので
この人すごい大きい数学的業績を挙げたのよ
多関数なんだっけなんちゃらって
ビジュアルで捉えるっていうのも
すごい大事なことなんだろうしね