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多様性を受け入れるか?なんかこう、最近流行りじゃないですか、ダイバーシティだ、SDGsだって。
ダイバーシティ&インクルージョンね。
インクルージョン、流行りじゃないか。
なんだろう、受け入れるか。
前、アサイ・リョウさんが性欲の話をした時にも、自分の作った枠組みの中で、秩序を保って多様性を整えるとそれは気持ちいいよな、みたいな。
筋肉があったりとかして、結局、どこまで多様性、多様性、尊重、尊重って言っても、自分の枠の中で秩序を守られているだけすぎない。
だったとしたら、自分の思っていることだけを言っていくみたいな方がいいんじゃないか、とか思ったりとかね。
なるほどね。
全然、あさっての方向を向いているかもしれないですけど。
ダイバーシティ&インクルージョンみたいな取り組みをしていて、すごく不思議だな、というか、思うことがいくつかあるんですけど。
さっきのミキさんの架空の風評で話していないですけど、人間って元々多様じゃないですか。
全く同じ人って多分、世の中にいないっていう意味で多分多様だと思うんですよね。
それは、よくある性的指向とか、ジェンダーとか、民族とか、いろんな切り口あると思うんですけど、いろんな切り口で見て多様だと思うんですよね。
とはいえ、ホモ・サピエンス全史とかの中にあるように、我々ってこういう人たちだよね、みたいな想像の共同体っぽく捉えるっていうことが、ホモ・サピエンスの脳の構造としてあるわけじゃないですか。
ファクトとして多様なんだけど、どうしても集団集合みたいので捉えたほうが、人間の認知負荷が低いっていうのも多分あると思います。
で、多様性を受け入れるっていうのは、つまり何を言っているんだろうかっていうのが、これはすごく自分の心の中にあるワンテーマで。
例えば、そういう人っているよね、普通にっていうことをまず理解するみたいなのがファーストステップな気がするんですよね。
当たり前の人間って多様だよねっていう、一様じゃないよねっていうことがある気がしていて。
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もう何回もある気がするんだけど、とある人を社会から排除しようかって思わないっていうのも多様性を受け入れる、多様性を受け入れないということはないっていうふうになるかもしれないですけど。
ということは、もうちょっと進んだアクションとしてある気がしていて。
トランプおじちゃんとかまでいくと、究極じゃないですか、多様性を受け入れないまんとして。
すべてを受け入れるって逆に言った時に、それは何を言っているのかっていうことなんだよな。
そう、だからそれは何も言っていないのと同じなのではないかっていうのが、私のなんとなく思っちゃっていることですね。
何も言っていない、でも言う必要がないことではあるんじゃないですか、みんな多様なんだもんっていう意味で言うと。
言う必要がない状況だったらいいんだけど、言いたくなってしまう感じがする。
そうですよね、言わなきゃいけない状況って個別にめちゃくちゃあるんですよね、確かにね。
例えば、よく見かけるのって、女性活躍推進カンファレンスみたいなやつで登壇する人の9割ごぶ男性ですみたいな。
ああいう時にそれを受け入れるかどうかっていうのは、さっきの人間ってそもそも多様だよねみたいな、何も言っていない一般論と全然次元の違う話だと思うんですよ。
そもそもそれおかしくないかみたいな話って言ってもいい気がするというか、言うべき人はいる気がするんですよね。
個人的に思うのは、例えば、めちゃくちゃ危険な作業をすることがあったとするじゃないですか。
重労働で危険でみたいなことがあったときに、そこにジェンダーイコーリティを求めるのって正しいんだっけみたいになると、果たしてどうだっけみたいな。
言う言わないっていうのがある気がしていて。
何も言ってないのと同じ、どうなのかな。
言うべきシーンはある気がするんですよね。
そうですよね。構造レベルで偏りとか分野が見えたときに、すごい言ってもいいかなって思うんですけど、
でもそんな構造レベルでもどう言う立場に私は基本的にないし、
個人レベルで人間と人間っていう感じの交流が多いときに、
その考え方あるよね、私たちが考え方だなって思ったときに、
どうか、こういうことを思いますかね。
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構造レベルも難しいよね。
もう一個思ったことが、この本、才能のない普通の人を愛しく思うみたいな本だと思うんですけど、
それはすごいリテラシーが必要な話じゃないですか。
分からないものを分からないものに留めて、
それでもそこに何かしらを言い出すことってすごく難しいし、
私も普通の人が普通のままで面白いって思うんだけど、一方で、
それが絶対的真実かって言ったらそうじゃなくて、
この本は面白いけど、普通の人が普通のままで面白いんですよねって言って、
取り留めもない、読むのも苦痛なぐらいの文章がたくさん世にあふれてくることとかが良いとは思わないっていうか、
才能を感じるキラキラした文章とかもあって、
こういうキッサーみたいな本もあって、キラキラしてないってわけじゃないんですけど、
なんか言葉が難しいな。
こういう系の本で普通につまんない本とかもあるじゃないですか。
これとキッサーの本とこのつまんなさを分けているものは何だと思いますかってことがすごい。
言葉を選ばないとそういうことなんですけど。
こういう断片を面白くするリテラシーってのはどういうところにあるんだと思いますか?
それはグッドクエッションですね。
普通の人を取り上げたテキストが仮にあったとして、
それが面白くなるときと面白くないときで何が違うんでしょうかっていうこと?
そうそう。
なるほど。
それはみきさんとしては書き手の話と読み手の話と両方あるよねっていうことですよね?
そうですね。
何だろうな。
直接のあれになんないかもしれないですけど、
NHKの72Hoursっていうドキュメンタリーが超好きなんですよ。
とある一箇所のところにカメラを置いて、
そこに来た人を取材するみたいな。
例えば新宿歌舞伎町の夜だけやってる薬局とか、
港にある蕎麦とうどんが食べられる自動販売機みたいなのが72時間いたりとか、
それもすごい断片だと思うんですよね。
印象深いところで言うと仙台の福島にある定食屋さんとか、
新宿のほぼ24時間営業を打つところとか、
そこに来る人ってよく言われる普通の人がたくさんいるわけなんですよね。
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どういうものの作り手として何が面白いの?
何だろうな。
まず読み手とか受け手の方から考えると、
それって大抵の人からしたらつまんない気がしますよね。
そうそうそうなんですよ。
でもそういうもんなんじゃない?
多くの人に面白いと思わせようと思うと、
そういうコンテンツじゃないんじゃない?映画みたいな感じですか?
コンテンツの視点としてはそうで、
それを面白いと思う人と思わない人の何が違うんだろう?
ディーテラシーって書いたのは、
2巻前くらいに取り上げたひまと退屈の倫理学でも、
結局最後の方に、後半の方に、
この本はいきなりここだけ読んだ人は楽しくなくて、
ここまで通読してきた人だけが面白いです、
みたいなこと書いてあったかなって思って、
通読できる人、通読しようと思う人はどういう人なんだろうか?
みたいな感じっていうか。
なんだろうね。
この乱平でけもの社会学を社会学を理解したいとか、
思っている人が読んでも全然面白くなくて、
どういう人だったら面白く読めるんだろうか?
キッシュさんが。
なんだろうね。
文章も素敵なんだろうし、
うまく自分の中に適切な距離感を持って、
考えられる文脈がどれくらいあるかっていうことなのかな?
なんて言うんだろう。
たとえばキッシュさんが、
沖縄とか東京とか大阪のことじゃなくて、
わからないけど、
イギリスの田舎の人たちの断片を仮に書いたとするじゃない。
それを自分がどれくらい楽しく読めるだろうかって思うと、
この本より楽しく読めない気がするんですよ。
自分の中に重ねられる記憶とか、
経験みたいなものがどれだけあるかっていうことと、
それを重ねる力みたいなのもある気がする。
沖縄のことだから自分関係ないよっていうところで、
シャッターがシュンってなっちゃうと、
ダメだしね。
それを考えたときに、
1ヶ月くらい前に読んだのが森博さんの言葉集みたいなのがあるんですよ。
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学ぶとか考えるっていうことって、
大前提に自分が変わろうとすることに対して、
どれくらいオープンであるかっていうことが大前提だよねみたいな話が書いてあって、
これをダイレクトに引いたほうが良さそう。
森博さんの言葉集の私なんかハマることがめちゃくちゃ。
森博さんすごいバランス感覚が優れてますよね。
すごいんだよね。
そろそろいいなと思ったのが、
影響を受けるつもりで聞かなければ意見を聞くことはできないっていう。
めちゃくちゃいいなと思っていて、
こういうコンテンツを読むときに、
影響を受けようっていうことを自分のスタンスってあるじゃないですか。
それをどれくらいある強弱は少なくとも受け手にとってはある気がしてて、
例えばこのアートとかの展示もそうだし、
いろんなことを考えたときに、
影響を受けるつもりがゼロの人っていると思うんですよ。
意識的にでも無意識的にでも。
私を楽しませてください。価値観は固定です。
私はフィックスですっていう人っているじゃないですか。
私っていうのは固定された存在であって、
その固定された存在に対してどういう刺激をくれますか?
あなたは?とかそのものは?っていうスタンスでいうと、
そういう人って意見を聞くっていうことはできないってことだと思うんですよね。
断片的なもの、特に断片的なものがあればあるほど、
影響を受けるつもりっていうのがない人だとそもそも難しい。
たぶんそれはリテラシーの高っていうのももちろんあるし、
意志ってこともあると思うんですよね。
影響を受けるつもりを聞かなければ、
意見を聞くことができないっていうことから見えるもろもろっていうのがあるのかもしれない。
でもそこで、作品とか文学とかになった瞬間に、
影響を受けるつもりの読者にしか開かれてないってことは、
それはそれで狭い感じがしますけどね。
そうね。
つい影響を受けるつもりにさせる入り口っていうのは、
どういうふうに作ったらいいんだろうかっていうことか。
グッドクエスチョンだね。
だいたいの人って影響を受けるの嫌だからね。
しんどいし、影響を受けて変わるのって。
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それは本当にそうなんだよな。
あらゆることにおける問いですね。
影響を受けるつもりにさせる入り口の作り方って、
全ての仕事とか、私たちのプロジェクトワークとかでも生きるという気がします。
影響を受けるつもりがない人とやる仕事って、つまんないですからね。
クライアントしかり、我々はこういう意図を持っていて、
市場を理解したいと思っていて、できることを教えてくださいみたいな、
それはあなたたちが変わらなきゃいけないと思いますよ、
みたいなことを許容しない人と言っていて、
まあそういう仕事は、ちょっと全然違う話かもしれないけど、
コンサルファームにいたときに、新卒採用の面接さんとやってると、
みんな口を揃えて素直な人がいる。
それが大前提だって言うんですよ。
能力の高もあるけど、素直さっていうのが何より大事だよね、新卒採用においては。
それ超わかるじゃないか。
多分それって、影響を受けることに対する意思とある種の覚悟だと思うんですよね、それって。
でも俺って超優秀なんで、別に言わないまでも出てる人って言っていて、
東大なろうと海外の大学の博士なろうといて、
そういう人って取らないじゃないですか。
取らなくて、どっちかっていうと優秀だろうと、ちょっと能力に賭けはあるけど、
新しい自分を変えなきゃいけないっていう覚悟が強い人は取っていくっていうのがすごくあるなと思ってて。
逆に言うと本当は、めっちゃ優秀なんだけど変わらず覚悟はないっていう人にアプローチできた方がいいんでしょうね、それはね。
そういう覚悟が作れる人はプロフェッショナルですね、本当に。
いつもこっちに持って行っちゃって恐縮なんですけど、
オーディション番組でも結局、生き残る子って素直な子なんですよね。
自分がいい成果が出せなかったりとか評価が低かった時とかに、自分の意見に肯定になっている子が落ちちゃって柔軟に変わらなきゃ。
お手を合う子がどんどん伸びていって生き残るんで、めっちゃそういうことを思い出しながら聞いてました。
今、社会学部に至る卒論各課はオーディション番組めちゃくちゃ良さそうな気がしますよね。
確かにね。今流行ってますからね。
いろんなところであるから、オーディション番組って一個一個放送されていくし、中のドキュメンタリーも放送される部分と、
TikTokで出てくる部分と、インスタで出てくる部分と、YouTubeで公開されている部分と一個一個言いながら、
その中にある構造とか関係性みたいなことを分析すると、卒論レベルだったら超楽しい何かが出てきそうな気がします。
書けそう。しかも中の人のことを書けるし、この前レッドワーウォーキングで話したみたいな、
若者を消費する心理みたいなところでも書けそうだし。
良い素材ですね。
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めちゃくちゃ良い素材な気がする。全然違うあれかもしれないけど。
話変わっちゃったけど。
単純的に言うと、断片的なもの面白いなっていうことなんですけど、
キッズさんのコンテンツはもちろんそうだし、
一般論っぽいものがどんどんそういうものに対する興味が失われていってしまっていて、
B2Bマーケティングのやるべき60のことみたいな一般化した何かとかあるじゃないですか、
25くらいだったらすっげー楽しかった気がする。
そういうものに対する関心がどんどん薄まっていっていて、
若かりし時に、今もおっさんなんですけど、
おっさんです、我々は。
偉いパートナーとかがどういう本読んでるんですかって聞くと、
すごいめちゃくちゃディープなものを読んでるんですよ。
経営者の立志伝みたいなやつとか、
あと18世紀に生きていたアーティストのこういう本読んでるんですよ。
パートナーとかシニアパートナーの人めっちゃ読むので、
なんでなんだろうなと思うと、
そういう人って断片的なものを面白いと思うアンテナがめちゃくちゃ立っている。
逆に言うと、断片的なものをくだべた適当に張った何かっていうものは、
もういずれあってお腹いっぱいになってるのかなと思っていて、
最近は私もそこまで全然いけてないですけど、
断片的なものがやっぱり楽しいなっていうのはすごく大きくなってて、
今週、成分献血に行ってきたんですよ、献血センターに。
みきさん、献血ってしたことあります?
2回あります。
どんな、とにかく血をバッて抜くみたいな献血ですか?
なんか400ミリリットルくらい取る、2時間くらいかけて。
結構、結構やつですね。
献血って、ただ血を取る、200、400ミリリットル取るやつと、成分献血っていう、何ですか?
抜いて戻すやつですよね。
そうそう、血小板だけ取る献血。
そちらのほうが時間がかかるんですよ。
初めて、成分献血に行って、1時間半くらいいたんですよね、献血センターに。
そうすると、いろんな人が来るわけですよ。
いろんな、普段会わないような人たち。
ベッドで寝ながらやるんですけど、隣にいた超ギャルみたいな人が、成分献血やってるんですよ。
ずっと素直にゲームしてる。
こういう人のメンタリティーは何なんだろうと想像したり。
横にいる人は、私と受付が同じくらいだったんですけど、
100何回とか来てるんですよ、受付の人の話とか聞くと。
献血フリークみたいな人が、この人はどういう、あれなんだろうって。
見た後に、大好き、72hoursのNHKの過去回を見た献血センターがあってですね。
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兵書をとにかく読んでる人とか、そういう人がいたりして。
やっぱり、面白いなあ、こういう生活になるんだよ。
最近、将棋熱がずっと高いんですけど。
最近っていうか、ずっと高いですよね。
ずっと高い。
藤沢君が3冠を取りました、最年少だみたいな、また一盛り上がり。
私は日本全国それがトップニュースだと思ってるんだけど、どうやらそうじゃないらしくて。
初めて知りました。
残念、非常に残念なんですけど。
私が将棋が好きな断片の1個が、プロになれない人たちみたいな群がいるんですよ。
将棋って基本的にプロで、26歳までにプロ養成期間の中のリーグ戦みたいなところで勝ち残って、一定の成績を上げてプロにならなきゃいけないんですけど。
辞めてる人っているわけですよ。
規定の成績を上げられなくて、プロになれなくて、年齢制限でダメでしたっていう。
その人たちって、小学生のときはこうやって将棋しかしてないんで、高校行ってないとか、全然いるし、学校ほとんど行ってないみたいな人めちゃくちゃいるんですよ。
その人たちが大会した後どうなってるかっていうのを追ってるドキュメンタリーみたいなのがあって。
もうね、断片ですよ。めちゃくちゃ人生。
だろうね。
もう自分とは全然違う世界。めっちゃ考えることをやってるんだけど、履歴書上は中卒になっていて、26歳でできることはほとんどない。
かもしれないっていう状態で、これからどうやって成長を立てていこうかみたいな。
そうですか。
簡単な一言で言い表せない感情みたいなのが独豪感として残るんですよね。
かわいそうでも全然ないし、すごいなでもないし、憧れるなでもないし、頑張れでもないし。
本当にただの棋士さんが言うと、断片が目の前にポンと置かれて、あなた田中さんこれから人生を歩んでいってくださいって言われてる。
うんうん。
こういう感じですね。
そういう時でも、そういう人が私、重ねられる部分が、重ねて何が見えるのかっていうか、あまり好点が見つからないかもって思っちゃう。
強度に圧倒されて終わってしまうかも、その人生。
たぶん私は将棋っていう。
好きだからね。
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三木さんだったら、アートっていうものにすごく歩んできたんだけど、うまくいかなかった人たちみたいなところが近い。
将棋を頑張ってきた風景とか重ね合わせることができるから。
どれくらい大変なのかとか、もちろん私はそういうところにいたわけじゃないですけど、将棋っていうものの難しさとかは素人なりに理解してるところなんで。
ちょっとした好点があって、その先はすごい広い。ギャップはもちろん大きいんですけど、好点は少なくともあるっていう風になると、私としては受けてなりに影響を受けるっていう、少なくともドアはこうやって開くという感じがしますね。