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2024-09-15 18:08

#058_「塩田千春 つながる私」と私の過去の記憶

#高校 #国語 #教員 #美術 #声日記

 

上手くアウトプットできませんでした。話の拙さを写真で補えるのは、リッスンの素敵なところですね。(アップしている作品は全て写真撮影OKでした。)

 

▼「インターナルライン」

 入り口にある、最初に目にする作品です。

 

▼「巡る記憶」

上から水滴が落ち、水面を揺らし、音を立てます。まるで雲から雨が降るようです。糸はアーチ状に張り巡らされ、水面とほぼ地続きになっています。ですから、滴った水は、また雲のほうに戻っていくようにも取れ、全体を通して循環を彷彿とさせます。

また、この糸の張り方の複雑さは、人間の神経細胞ニューロンのようにも見えます。また無数の記憶というアクセスポイントを繋いだ集合のようにも取れます。無数の記憶というのは、自己のそれのみならず、他者のそれをも含むはずです。なぜなら、人の生とは他者との繋がりなくしては成り立たないからです。

ここまで想像力を働かせた後に、もう一度タイトルの「巡る記憶」という表現を見たとき、それがいかにも相応しく感じられます。

※これは、展示を見て、そこにあるキャプションを読み、その後声日記を収録した私の所感です。キャプションに記載されていた文章とは異なる部分があります。

 

▼第56回ベネチアビエンナーレ「掌の鍵」

https://venezia-biennale-japan.jpf.go.jp/j/art/2015

 

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どうもお疲れ様です、いかです。この番組では、高校の国語化教育をしている私、いかが、仕事のことや仕事以外のことをゆるくおしゃべりしていきます。
今日は三連休の中日、日曜日ということで、比較的穏やかな過ごし方をしていましたね。
午後からはですね、美術館に行っておりました。大阪にあります中之島美術館ですね。
今回のお目当ては、塩田千春 つながる愛、私という漢字を書いて、愛と呼んでいます。
この展覧会を見るために、大阪中之島美術館へ行きました。
この塩田千春さんの作品の特徴は、赤い糸を使った巨大な空間全体を使ったインスタレーション作品ですね。
ちょっと想像してみてほしいんですが、天井から赤い糸が無数に数えきれないほど、まるで雨が降っているかのように吊り下がっているんですね。
そこに例えば布であったり、あるいは紙であったり、鍵であったり、いろんなものが編み込まれている。
これがすごく特徴的で、彼女がよく用いる手法であります。
今回もその展覧会に入る、入場料がいる直前の部分ですかね。
入るところで、まずその今言ったような赤い空間が広がっていて、すごく鮮烈な印象を受けますね。
その赤い糸の中を通れるようになっていまして、道ができているんですね。
そこを進んでいくと、入場料がいるようなスペースに入っていきます。
入ると次は、一面白と黒の空間なんですね。
もう少し具体的に言うと、先ほどは赤の糸が無数に吊り下がっていたんですが、
次は白い糸が天井を覆い尽くすように、天井というと上面だけになっちゃうんですが、
どちらかというとアーチ状にですね、側面も少し覆うような形で、また白い上側の空間が広がっています。
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糸がさっきは直線的に吊り下がっているものだったんですが、
次は蜘蛛の巣のように、蜘蛛の巣はもっと幾何学的な模様をしていると思うんですが、
これはですね、もっと複雑に絡み合っている、まるで人間の脳の神経細胞みたいな、
そういう複雑さを持った形状をしている糸がありまして、それがどっちかというと画面上側、見た時にね。
その下には黒い水槽じゃないんですけど、プールというか水を張り巡らすスペースがあるんですね。
そこに上からですね、多分ホースなんかも巡らしていると思うんですが、ポタポタと少しずつ水滴が落ちていくんですね。
で、初めは先ほど言った、このあまりに白い空間、そして黒い水の水面、この空間自体に圧倒されてしまうんですが、
徐々に水の動きであったり、そこから水面が揺れたり、あとは音に耳をすませてみたり、その滴る水、水滴にね。
あとは、これは一体何を表しているんだろうと、思考がだんだん深まっていくという、そんな不思議な体験をしましたね。
これは塩田千春さんがテーマとして、不在の中の存在というのを大切にされているそうなんですね。
この不在の中の存在っていう言葉だけを言うと、どういう意味というふうになると思うんですけれども、
空間、場所とか何かもの、そこにある景色なんかは、人がいない状態だと一見何もないように見えるんですけれども、
でもそこには確かに人々が暮らしていて、誰かの記憶があって、人はそこには不在なんだけれども、その不在の場所やものの中には存在があったはずだと。
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その現実に不在であるけれども、記憶が確かにあるものとして可視化していく、そこにある真実というものに触れようとする、そういう営みが表現されているんですね。
あんまり考えたことのないテーマでしたけれども、例えば、学校にいても、私の学校は年々クラス数が減ってきていて、もともと全ての学年が5クラスあったんですけど、それが徐々に4クラス規模になっていって、今はどの学年も4クラスになってるんですね。
だから使われなくなる教室とかもあるんです。そこの教室ってすごく入るとガランとしていて、人の気配はまるでないんですけれども、でもよく景色というか、ものや黒板や床や天井や壁やいろんなものを眺めると、そこには確かに生徒たちがいたり、先生が授業をしたり、
何かしらの記憶があるはずなんですよね。だから今は学校を例にとりましたけれども、そういう空間っていうのは無数にある。
特に特徴的なのが、彼女が今ベルリンに住んでいる、ベルリンを拠点として国際的に活躍しているというところなんですね。
ベルリンはベルリンの壁が壊された土地ですけれども、その展示の中で作品を作る経緯を見ることができる映像も流れてたんですけれども、
そのベルリンの壁も紹介されていて、そこにもやはり今そこで抗争をしていたり、乗り越えようとしている人っていうのがいるわけではないけれども、でもそこには確かに当時の記憶があると、そんなふうに言ってました。
そういう不在の中の存在っていうのをテーマにして塩田様作品を作られているそうです。
そういう記憶っていうのは、自分以外のものとのつながりによって形成されていると。
今回の展覧会っていうのは、私たち2020年を機にコロナを経験して、コロナは人とつながることができない。
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分断されることによって、改めてそのつながりの重要性というか、私たちはつながって生きていたんだなということを嫌わなく意識することになったわけですが、それを経験した塩田さんがつながりをテーマにさらに創作していったような展示になっておりましたね。
今、すごく彼女の思考や、私が今回得た情報をもとにお話ししていきましたけれど、そこに現れている思想っていうのはすごく信用で難しそうなものに思えるかもしれないんですけれど、
最初に言ったように、空間全体を使ったインスタレーションなので圧倒されるというか、まずずどんと考えるよりも先に視覚が支配されて、感覚が支配される。
そんな突発的な感動っていうのもちょっと違う気がするんですが、心の動きっていうのがあるんですよね。
それを体験するだけでもすごく価値のある展示だったと思いますし、さらにコロナを経験した自分との響き合いというか、
同じ時代を生きた今生きている作家が作っている作品と自分とが対話するいい瞬間、いい時間だった気がしますね。
実はこの塩田さんの作品を現物、実際に生で見たのは初めてだったんですが、以前から実は知っておりまして、
というのも私、大学生の時に3回生ぐらいだったかな。一般教養の授業として、現代美術とトラウマのことについて教えてくれる授業があって、それを受けてたんですね。
正直ですね、その授業、トラウマなんかも扱って小難しくてですね、半分ぐらい寝ちゃってたような気がするんですけど、
大学の授業、高い授業料払って、せっかく親にも半分お金を出してもらい、自分でも半分奨学金を借りて行っているのに、
もうちゃんと全部受けなさいよという話なんですが、寝てたんです、半分ぐらい。
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ただですね、起きている時間も一応あって、その中ですごく印象的だったのがこの塩田さんの作品で、
その作品は手のひらの鍵でしたね、確か名前が。
最初に言ったように、無数の赤い糸が上から吊り下がっていて、その中に鍵が編み込まれているんですね。
その下には船、木でできた船が浮かんでいるというか置いてあるんですね。
当時はトラウマと一緒に扱われていたので、そういうこともあって、詳しいその作品の文脈みたいなのは覚えてないんですけども、
受けた印象としてはちょっとグロテスクだったんです。
血を表現しているように見えたというか、すごくおぞましいような感じがして、印象的だったんですね。
ただ今回そのおぞましさというかグロテスクさが、その作品で表そうとしていたことは100%そうだったかというと違うと思うんですけども、
穴勝ち、全然関係ないことでもなかったなと思ったんですよね。
というのも、塩田さんご自身がお腹に赤ちゃんがいたんだけど、何ヶ月か目でその中の赤ちゃんが亡くなってしまって、5ヶ月ぐらいって言ってましたかね。
そのまたすぐ何ヶ月後か、1年後ぐらいって言ってたかな、ちょっとごめんなさい、正確なことは忘れちゃったんですけど、
塩田さんのお父様も亡くなられてしまって、すごく精神的に来るものがあったとおっしゃっていて、
映像がね、そういう映像を見てて、その中で感じたことというか、ものも踏まえながら、先ほどの言っていたビエンナーレ、
ビエンナーレの話をしてませんでしたね。
さっき言ってた、船があって鍵が編み込まれている作品は、2015年の第56回ベネツィアビエンナーレっていう国際的な芸術祭があったんですけど、
そこで展示されている作品で、そういう経験をされたすぐ後にビエンナーレのお声がかかったそうで、
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繋がりは今回のテーマですけども、
人の記憶であったり、大切なものであったり、身近なものであったり、
そういう過去の大切なものとの響き合いみたいなのもありながらの作品だったんだなと、今回認識を新たにできたというよりかは、
当時の私の印象と彼女自身が語る作品への思いや経緯が繋がって、それがすごくよかったですね。
美術展を見たときって、すごくインプットの量があまりにも多くて、その時は黙ってずっとインプットし続けるんですけども、
それを自分の中で噛み砕いて、1日や1週間や2週間かけながら、頭の中で解釈をしていくんですが、
だんだんそれを自分の中で溜めていられなくなって、外に出す、アウトプットする。
そのアウトプットの方法が私の場合は書くことになっていて、インスタグラムではよくインスタグラムとは思えないほどの長文を投稿したりすることがあるんですね。
これは今、小絵日記でインスタで表現というか書く作業をする前段階、ぐちゃぐちゃの状態、まだアメーバみたいな状態のものを出しているもので、
何を言っているのか自分でも整理つかぬまま放出していて、ちょっとお聞き苦しいような感じになっちゃった気がするんですが、
うまくアウトプットできなかったような気がするんですが、今の自分の感動や彼女の作品に対しての感想というか、自分とのつながり方を残しておきたいなと思ってお話をしました。
美術展、作品展大好きで、今後もこういうことを楽しんでいけたらなと思っているんですが、皆さんもよかったなと記憶に残っている作品展、美術展があればぜひ教えてください。
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非常に長くなってしまいましたが、今日はこれで終わります。最後までお聞きくださりありがとうございました。
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