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2022-07-07 17:02

ストーリーで理解するということ

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ストーリーで理解するということ
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今、福岡市の自宅から飯兼ねパレットに向かって車を走らせております。
時刻は、朝の10時38分です。
今日何をやるかというと、飯兼ねパレットに遊びに行きたいという方がいらっしゃいます。
飯兼ねパレットを作るときに、最初に相談させてもらった建築の設計士の方なんです。
その方は元々東京にいて、僕に相談させてもらって、福岡で施工するんだったら福岡の方がいいよってなって
たまたまその会社の中に、僕の大学の後輩であり、田川出身のマッチャンというのがいたので
じゃあマッチャンを紹介しますねみたいな感じで、結局マッチャンになったという経緯があるんですけども
その時に最初にお話を聞いていただいた方が、今福岡にいらっしゃるということで
パレット見に行きますみたいな感じで
話を聞くとコテンラジオとかをめちゃくちゃ聞いてもらっているらしくて
その周りの方々も結構コテンラジオファンが多くて、じゃあ一緒に行きますみたいな感じで何人かで来ていただけるということで
嬉しいですね、こういうことを
2016年とかにお話ししたきりだったんですけども、そのご縁というのが6年後ですからね
6年経った今、改めて興味を持ってもらえて会いたいと言ってくれるというのが
シンプルに嬉しいというか、頑張ってきたなという実感があるという感じなんですけど
頑張ってきたなと言うともう1個あって
タスコーヒーという飯金パレットの中にあるコーヒーショップがあるんですよ
これやっているのも同じ田川出身の山口龍平君という、僕らは龍ちゃんと呼んでいるんですけど
龍ちゃんがテナントとして入ってパレットの中に
で、給食室だったところをリノベーションして
今、大分食堂という飲食店とタスコーヒーという時間で分けて
その2つを給食店の中で運営しているということなんですけども
この度ですね、タスコーヒーの自家焙煎された豆をですね
売るネットショップというのがオープンしましたという
これも結構感慨深い出来事で
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コロナ前までは普通に営業をもちろんしていて
その時は外でネットショップで買ってきた豆を売ったりとか
あと田川の他のコーヒー屋さんで焙煎した豆を使ってコーヒーを出してたんですね
で、コロナになって何もやることがないということで
怠慢をはたいて焙煎機を購入しまして
そこからどうせ開けれないんでということで毎日毎日研究に研究を重ねて
膨大な量のデータを取って
本当に1回僕見せてもらったことあるんですけど
冊子になっているんですよね、そのデータが
で、そのエクセルとかでバーって打って
その紙にまとめたものみたいなのを束にして
データとして持っててみたいな
温度とか時間経過とかそれによる豆の色の変化とか
味の変化みたいなものを膨大な量実験をして
この豆だったらこれくらいの温度がいいみたいなものをして
で、この度やっとネットショップで販売する流れになったということなんで
これはねマジでちょっと買ってほしいですね
で、多分ですけどTASコーヒーで検索すると
TASスペースでコーヒーは普通に英語ですね
COFFEで検索すると多分インスタ出てくると思うんで
インスタアカウントから多分飛べると思います
ネットショップぜひ買ってみてください
それはいいんですけど
僕今こうやって話した通り
ストーリー理解をしてるんですね僕って
唐突な話題があれなんで
よくわかんないと思いますけども
僕は結構ですね物事を認識するときに
ストーリー的な理解をすることが多いんですよ
例えばさっきの最初の話だと
2016年のまだ何者でもないときに話を聞いてもらって
紹介してくれた人が6年の時を経て
また興味を持って何かできないかなということで
遊びに来てくれるみたいなやつって
なんかこうそう捉えるとストーリーっぽいドラマっぽい
なんか流れになるじゃないですか
でも起こったことは別に6年前相談した
紹介してくれたっていうのと
今遊びに来たいって言ってるっていうことなんで
これ別に繋ぎ合わせなかったら
ただ一個ずつ起こってる事象に過ぎないんですよね
りゅうちゃんの話もパレットでコーヒーショップ始めた
焙煎機買った売ってるっていうただの事象なんですけども
そこに人間が感情を込めてストーリーをつけて
そこでそれを聞いてもらった人に感情を沸き立たせるような
ストーリーテリングをするから
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それやったらちょっと興味を持つなっていう風になると思っていて僕は
最近知った話なんですけど
人間の認識の特性みたいなものに大きく2パターンあると
僕が言ったストーリー的な物事の捉え方っていうのと
もう一個はデータベース的な物事の捉え方っていうのがあるしですね
逆なんでその名の通りなんですけど
データベース的な物事の捉え方っていうのは
データをデータとして客観的に捉えるような捉え方やと
ストーリーはストーリーの中でつなげて考えるみたいな捉え方なんです
これ多分パッと聞いても
自分がどっちなのかっていうのは分からないと思うんですけども
それが一番分かりやすく判定できる質問があって
それっていうのが映画や小説、ドラマ、漫画などで
ネタバレを嫌いますかっていう質問ですね
ネタバレするの嫌ですかっていう質問に対して
嫌だって答えるとストーリー認識型らしくて
別に大丈夫ですよって答えるのが
データベース型の認識の仕方らしいですね
へーって感じですね
僕とかだと絶対ネタバレ嫌で
映画どころか僕はM1とかキングオブコントみたいな
ネタ番組とかでも録画で見る時って
誰が優勝したかを知らずに見たいと思うんですよ
そこに人間のドラマみたいなものを感じて
勝手に感動したりするので
っていう形で判別できるらしいんですけど
このストーリー認識型っていうのも
結構ねもちろんですけど
メリットデメリットというか
いいところと悪いところがあると僕は思っていて
いいところで言うと
やっぱり感情に密接に関わってるというか
出来事と感情の距離が近くなるって言ったらいいかな
ひも付けをするので
より深く心に残りやすいんですね
いろんな出来事が
何かしてもらった時も
この人はこういうことでこんなことしてくれたんだ
本当にありがとうございますって思えるし
嫌だったこととかも
本当にこういう流れでこういう時にこうされたのが
こういうことがあったのが嫌だったので
二度とこれを繰り返さないようにしようみたいな感じで
カツンと記憶に刻み込まれるというか
体験として脳内に刻み込まれるというのが
ストーリー型のメリットというか
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いいところとしてあるし
あとは多分同じようにストーリー型の
受け取り方をする人に
ストーリーテリングをする時にもおそらく
組み立て方っていうのが分かると思うんですよね
意味付けをして
感動的に伝えるというか
感情を込めて伝えるみたいなことがおそらくできやすい
発信する側としてその感覚が分かっているから
それやりやすいっていうのがまずありますよと
これデメリットで言うと
そんなことないのに誤解をするみたいなことがありがちっていうのがありますね
どうしてもストーリーでつなげちゃうんで物事が
全然別の出来事
つながっていない出来事を勝手にストーリー的につなげちゃうので
とてもなんていうんですかね
本当はそうじゃないのにそうであるように見えるっていうことが起こりやすいんですね
例えばですけど
幼少時代にいじめられたっていう人と
大人になってとても仕事を頑張っているっていう人がいたとするじゃないですか
これもしかしたら本来別の事象かもしれなくて
事象っていうか別のことじゃないですか
幼少時代にいじめられたっていうことと
仕事頑張っていることって別に何ら関係ない可能性があって
その人に対して過去にいじめられたことが
仕事を頑張ることに影響してないかもしれないのに
例えばですけど僕の中で勝手になるほどと
いじめられたっていう経験をバネにして
何か見返してやりたいとか
自分とは何かっていうものを
自分で自己認識するために
仕事という形で頑張ることによって
そこを取り戻そうとしてるんだな
みたいな認識をしちゃいがちなんですよね僕
これって本来その因果関係があるかっていうのって
とても診断が難しくて
それを党の本人に言った時にですね
そうなんですよっていうパターンもあるけど
言われてみればそうかもしれないですね
っていうパターンもあると思うんですけど
党の本人が言われてみればそうかもしれないですね
って言ってる時も本当にそうなのかって
党の本人すら分かんないと思ってるんですよね
党の本人は今この瞬間
仕事頑張りたくて頑張ってるわけじゃないですか
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でもそれがどこに起因してるかって
本来いくら分析しようとしてもできないはずなんですよね
なんとなくやってるので
でもそう言われるとそうかもしれないな
みたいな感じで思って
党の本人の中でも今までストーリー的に
繋がってなかったところが
一瞬繋がった風に見えちゃってるので
そうかもしれないですねっていう
パターンってあるじゃないですか
そうすると僕としては
やっぱり間違ってなかったって言って
このストーリー理解をより強める
みたいな形になるんですよね
こういう現象が起こっているような気がしているというか
でも分かんないですけどね
本当にさっきの質問で言うと
本当にそうかもしれないですねと言った相手が
本当にそうかもしれないので
というかこれって難しいですよね
物理現象だったら因果関係というものを
繰り返し行うことができる実験の中で
測定することができるんですよ
例えば重力があるところだったら
重力と空気があるところで
羽を上から落とすと
ふわふわと落ちて
鉄の玉よりゆっくり落ちる
みたいな事情があった時に
これがゆっくり落ちるのは
空気抵抗のせいかもしれないってなった時に
空気がない真空の状態で
試すっていうことができるじゃないですか
それで試して100回試した時に
鉄の玉と羽が一緒の速度で落ちたってなったら
これは空気の影響だっていうことが
実験の中でできるんですけども
そういう人の過去と今を繋げるみたいなことって
繰り返し起こして実験ができないので
これを検証しようと思うと
過去にいじめがない状態で
今の人生で仕事を頑張るみたいなことが
起こるか起こらないかみたいなものを
実験しないといけないんですよ
それは他の条件を完全に一致させた状態で
そのいじめられているかどうかだけを
変えた状態で実験しないと
本来因果関係があるかどうかって
証明できないはずなんですけども
人生ってそれできないので
人のストーリーとかって
そういうことってできないじゃないですか
この世ってそういうふうに
繰り返し実験を行うこととか
できないことの方が多いので
全部想像でストーリー理解をするしかない
ということが起きるんですよね
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どっかで話したかもしれないですけど
因果なのか相関なのかみたいなところも
本当に厳密には調査するのめちゃくちゃ難しくて
でも僕らは勝手にストーリー理解の中で
因果関係をつけて
その中で物事を認識するということが
とても多いですよね
それで間違ってるかどうかは
ちょっと曖昧なんで言わないですけど
例えばジンクスみたいなのができることもありますよね
毎回毎回定期試験の前に
カツ丼を食べてたら点数が良かったから
カツ丼を食べた方がいいみたいな
ジンクスとかって完全に人間の勝手な
なんていうか
ストーリーテリングだと思うんですけども
こういうことが起こったりすると
別にそれ自体はただの間違いはないので
悪影響を及ぼしているとは言えないんですけども
間違った理解っていうことは多いですよね
例えば胸に手を当てて
ダイスを二つ握ってぎゅっと祈ると
鉢が出やすいとかね
まあまあそういうことって
多分確率的に考えたら別にそんなことないよってことはあるかもしれないんですけど
人間はストーリーの中でバイアスをかけて認識する
みたいなことができる生物なんで
ただそれができるから発達したっていう説もあるらしいですけどね
サピエンス前紙とかを読むとそういうことが書かれてるらしいんですけど
僕それ読んでないんで分かんないですけどね
そういうふうに人間ってストーリー理解っていうものをする
生き物なんだなっていうことを前提に生きとくといいと思います
僕はおそらくストーリー理解をし続けます
し続けるんですけども
まあ所詮そのようなものだ
検証不可能なものだって認識しつつ
そっちに寄っちゃうのは仕方ないことなんだなとは思ってますね
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