物語の危険性についての話
なな、最近何してるの?
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
このポッドキャストは、フリーランスとして活動する実の姉と弟が、お互いの近況報告がてらゆるくおしゃべりするポッドキャストです。
なな、前回の続きなんやけど、前回は、推しの科学を参照しながら、世界に能動的にかかわる手段としてのプロジェクションの話だとか、
あとは、仲間と世界観を共有するというおたかつについての話をしたんやけど、
前回の最後のほうで言ったみたいに、推しの科学の前後に読んだ本が、共感を生む物語の危険性について継承をならすような内容だったから、
ちょっとですね、今回は推しの科学とその本の話を交えながら、物語について話したいなと思ってまして、
今回のテーマは、なな、物語が危険やと思ったことある?で、いこうと思います。
はい、でもなんか物語が危険って、なんかあんまりピンとこんけどな。
そうだと思うんだけど、ちょっとその話をね、ハッとするようなものをこの本で読んだから、ちょっとその話をしようと思うんやけど、
その前に、前回の振り返りをしようかなと思ってて、前回はこう、プロジェクションってこういうもんやで、とか、
プロジェクションを実生活に温めると、こういうことはプロジェクションの例としてあげられますみたいな話。
で、その中で、研究活動だったりだとか、オタカツの話とか、二次創作の話とかをしてて、
で、最後まで読んで、俺がちょっとすっきりせんかったのが、推しがいない人への処方箋ではなかったのよね。
あー、はいはいはい。そうね、なんかあの、推しかつできる人の世界をのぞいたぐらいまでかな。
そうなのよ。推しのメカニズムについては、あー、なるほど、おもしろいね、ふむふむとなったんやけど、
じゃあ、どうやったら自分の推しが持てるのかっていうところに関しては、まあ、説明がなかったわけよね。
そうね、そうね。
で、まあ、そこはちょっと残念というか、俺としてはさ、やっぱりこう、推しをどうやって作るのかっていうところにも興味があったから、
再現性がね、欲しかったんだよね。
そうそうそうそう。そこがちょっとまだ足りんかったなと思ったんやけど、
まあ、その一つの例として、あの著者の人がさ、知り合いに連れられて、2.5次元ミュージカルを鑑賞しに行った話があったやん。
それまで、その2.5次元ミュージカルの題材になってる漫画のことは知らんかったけど、行ったらすごい楽しめた。
で、原作を知ってたらもっと楽しめただろうにも、悔しかったみたいな話があって、
で、あとはその姉ちゃんの格闘技にはまったきっかけで、格闘技のことをよく知ってる人に教えてもらったみたいな話があったやん。
そういうふうに、あらかじめ世界観を共有することで、同じものごとに熱中できるっていうのも一つあるけど、
先にもうその世界の中にダイブしていって、知ってる人に連れられてね。
で、その体験を通して世界観を徐々に学んでいくっていうことも、推し活の入り方としては一つあるんやろうなっていうのを読んでたのよね。
具体的にね、こうすれば推しできますよとは説明されてなかったけど、
ナビゲーターの重要性
おそらくそういう意味では、知ってる人と一緒に何かするっていうのは、一個手段としていいのかなというふうに思ってたよね。
結構あれよね、一番気軽にできるというか、身近な他の世界に入っていく方法かなって思ってて、
なんかはじめ私、先生が大事みたいな話したと思うんだけど、
なんかあの後考えて、先生というかナビゲーターみたいな。
そうね。
なんか最近私ね、ジムとか格闘技のスタジオとかに体験レッスンに行ってんだけど、
私ね、本当にあの筋トレって今まで全く魅力を感じなかったのね。
わかる。
なんか何を目的にしてるのかわからないのに、なんか重いものを持ったりとか、筋肉痛に苦しまなきゃいけない理由がわかんなくて、
全然触手動かなかったんだけど。
ただ苦しいことをやってるだけみたいなね。
そうそうそうそう。
で、ただなんか自宅から徒歩3分ぐらいのところにジムがあって、
なんかそこの、そこってめっちゃなんかマシーンがすごくたくさんあって、結構こだわりのマシーンって、
なんかあの神級の資格を持ってたりとか、柔道制服士の資格を持ってる人が作ったジムなのね。
そんな資格あるんや。
そうそうそうそう。
だからなんかその人は、なんかマッチョになるとかダイエットになるとかじゃなくて、
まずは健康的な生活を子供から大人まで過ごせることっていうのを目的にしてそのジムをやってるから、
体験の時にどこの筋肉を動かすとどこに効くのかとか、
なんか実際にこう2,3回マシーンを使っただけで自分の姿勢がどう変わるのかみたいなのを教えてくれながら、こう体験レッスンをしてくれたんだよね。
で、まあなんかそれ聞いてたら、あ、結構筋トレおもろいかもってなってきて、
なんか今それはね、ちょっと入会をねかなり検討しているところだね。
いいナビゲーターを見つけた。
そうね、そのナビゲーターがあると面白どころというか、その勘どころみたいなところを見せてくれるから、
とっかかりやすいよね、きっと。
で、たぶんそのオタカツというかオシカツで対象がアイドルとかの場合ってさ、
例えばじゃあ曲がいいとか、見た目が好きとか、ダンスがかっこいいとかっていう、
ある種どんな人にとっても入りやすい入り口があるのがオシの対象になりやすい、
確かにね。
ゆえんなんやろなというふうに思ってたよね。
で、その世界観、さっき言ってた世界観を共有して、
共有することで同じことに熱中できるっていうのが、オシカツのコミュニティ感が生まれる要素の世界観の共有だと思うんだけど、
それ自体がプロジェクション、もしくは物語の力と言えると思うよね。
で、それが俺が読んだ本につながるポイントなんだけど、
ほうほうほう、どんな本を読んだんですか?
ストーリーが世界を滅ぼすというタイトルの本で、
著者がジョナサン・ゴッドシャルっていう文学研究者なんだけど、
推しの科学の著者の久保奈美子さんが言ってたので、
研究活動もプロジェクションとして解釈できると。
物語によって人同士が引き裂かれる可能性
で、拡大解釈すると、プロジェクション的な行為が、
世界の理解とか、運命の発展に寄与してきた可能性もあるわけや。
うんうん、もちろん。
ジョナサン・ゴッドシャルの本は、
それは確かに人と人とつなげる力を持って、
同じ未来を共有することで、それに向かって頑張っていこうっていう、
プラスの力を持っていると同時に、
物語によって人同士が引き裂かれる可能性もあるよというのを、
この本の中で言ってるよね。
ほうほうほう。
で、本の中でも結構な量を裂かれてるのが、
いわゆる陰謀論みたいな話。
はいはいはい。
で、あれなんか本当に物語の例としてわかりやすいんやけど、
例えば、ピザゲートって知ってる?
知らない。
これはね、アメリカの大統領選挙の期間中に起きて、
トランプが勝った選挙、トランプ対クリントン、
ヒラリー・クリントンの選挙期間中に起きた事件で、
これも陰謀論とされて、
陰謀論と言っていいと思うんやけど、
共和党トランプ支持者の人たちが、
ネット上に出回ってたデマを信じちゃって、
そのデマの内容はどういうものかというと、
クリントン側、民主党側の人たちとかが、
人身売買とか児童買収に関わってるという都市伝説を信じたわけよ。
で、その舞台は、実は一見無害なピザ屋なんだけど、
その地下で民主党を主導する闇の組織が、
そこで人身売買を行ってるみたいな噂をが、
ネット上で出回ってて、
で、それを信じきっちゃった人が、
子供とか、人身売買されちゃってる人を救うために、
銃を持って、そのピザ屋に押し入ったっていう事件があったよね。
結構怖いね、これ。
結構ヘビーな事件やん。
でも、おそらく犯人で、
加害者であると同時に、被害者でもあるわけよね、きっと物語の。
誰とも知らん人から流れてきた情報を信じきって、
これは何とかせないかっていう、
正義感もかなり大きなモチベーションを占めてたと思うんだけど、
で、いわゆる子供とか人を救うために、そのピザ屋さんに押し入ったら、
そもそも、彼の正義感の根拠となっていた物語が嘘でしたという話。
それって、結局嘘でしたっていう結論まで出てる事件なの?これって。
出てるんだけど、そいつがピザ屋に押し入る前に、
どっかに移動したみたいな話をする人もいる。
だから、っていうのは、すごい極端な例ではあるんだけど、
その物語が、言ったらね、大統領選って、特にアメリカの盛り上がりを見てるとさ、
本当に党派性が強いというかさ、共和党支持者と民主党支持者、敵対してるように見える時もあるわけやん。
で、そういう風な、それぞれが、おそらく自分が支持してる政党が、
物語の力による影響
正義であって、相手が悪だみたいな、完全調和っぽいストーリーを信じてると、
こうなっちゃうという、一つの極端な例として出てて、
で、ルワンダ虐殺自体も、そういうところがあるらしいのよね。
ルワンダ虐殺ってさ、ホテルルワンダのあれは、ルワンダ虐殺。
そうそう、あの父族と父族のね。
で、それ自体もそうなんだけど、その事件が起きた後で、
オランダのNGOが、ルワンダ市民と共同でね、あるドラマを作ったらしいよね。
ほうほう。
そのドラマの内容っていうのが、部族の壁を越えて、
愛を誓う、誓い合う恋人たちの物語、みたいな話なんよね。
で、それを見た後にアンケートを取ると、
それまでいがみ合ってた部族間で、部族の壁を越えた結婚に賛成する人とか、
他の部族への信頼度が増した人が増えたりだとか、
暴力ではなくて、対話によって、違いを解決する必要ってあるよねっていう風に考える人が増えたという調査が出た。
ほんと使いようなんだね、ストーリーって。
ニュースにおける悪者像の影響
そうそう、だから物語自体に、プロジェクションと一緒で、いいも悪いも多分なくて、
ただその力があまりにも強いから、悪用もされるし、いいことにも使われるしという風な話がね、
いろんな例を取り上げつつ、この本の中で出てきたんだよね。
確かにね、このストーリーの作り方ってさ、今の話よりはかなり粒度がちっちゃいんだけど、
マーケティングとかさ、メルマガとか、情報商材とかの売り方でさ、
よく神話の法則って使われるじゃん。
ああ、そうね、ほんとそう。
だからあれもさ、人によっては、それを悪用すると偉いことになるぞっていう人もいるし、
ほんとああいうことなんだろうね、それが実社会にも影響が出てくるというか、
特にピザゲートなんてさ、なんとなくSNSでふわって立ってた波紋が、
もうなんか銃を持って乗り込むところまで行ってるわけだから、
どんどんどんどん影響って大きくなるもんだろうね。
だから完全な作り話を信じ切った人が、実世界に影響を及ぼしちゃうというふうになって、
この2つは結構極端というか、象徴的な例なんだけど、
そういうのはね、人間の生活には日常にも潜んでるよみたいな話も、本の中では結構出てくるのよね。
物語の危うさというか、物語が牙を剥く瞬間みたいな話に絡めて、
プロジェクションの話をしたときにさ、認知レベルの話だみたいなことをこの間言ってたやん。
認知バイアスに絡めて言うと、人間ってポジティブな出来事に比べて、
ネガティブな出来事の方に関心を寄せがちっていうのは、いろんな実験で明らかになってるらしいんだよね。
記憶にも保存されやすいと。
ある実験とか調査だと、フィクションをたくさん消費する人は、ニュースをたくさん消費する人に比べて、
自分が悲惨な世界ではなくて、いい世界に生きてるっていうふうに考えてることが強いっていうことが分かってるらしいんだよね。
で、そのネガティブなニュースって、結局何かっていうと事件に関するニュースで、
その中には悪者が存在しがちやん。
誰々が、この悪い奴がこういう事件を巻き起こしたみたいな、悪者が出てきがちで、
物語の作用と可能性
それって結局、そのネガティブなニュース、そのニュースにひも付く物語をひもといていくと、
結局は悪い人がいるっていう、自分と相手の間に線を引くような行為が生まれてくるわけよね、物語として解釈することで。
で、結局人を引きつける物語には、何かしらの解決すべき問題があるわけで、
その問題があるということは、それを起こした犯人なり悪者があるっていうのが、物語のすごく基本的な形としてあるから、
だから、物語は使いようによっては、人と自分、物語を受け取っている人の間を裂くことにつながっていくよという話をね、してるよね。
そうね、そうね、結構なんかこのニュースのネガティブな、ショッキングなニュースってさ、多いじゃん。
いつもさ、川にあざらし出たよみたいなニュースがあるわけじゃないからさ、
子供が親に殺されてしまったとかさ、なんかそういう時に、やっぱ多分自分たちの中で、そのニュースを見てる人たちそれぞれの中に物語がバーって組み立てられるんだろうね。
SNSでじゃあ、実名を公開しろとか、なんかこの人は親としてどうなんだとか、周りの人はこうやらなかったのか、自治体はどうなんだみたいな、こう感じでSNSでバーって叩く傾向ってあるけど、
なんかそれってじゃあ実情を本当にその親が100%悪かったかっていうと、なんかいろいろさ、その問題が起こるまでのさ、背景があるわけじゃん。
そう、やっぱなんかこうちょっと短絡的というか、なんかそんなに匿名だからって、そうなんていうのかな、決めつけていいの?みたいなところは、こうやっぱTwitterとか見てて、うってなるとこではあるよね。
実際、まあなんか自分もそうならないように気をつけると思いつつもさ、何かしらの事件の概要を見たら、きっとこうでこうだったんだろうな、みたいな書かれてないことってつい想像しちゃうやん、勝手に。
そうだね、しかもなんか自分とさ近い状況の人だったら、よりさ、こう自分に寄せてこう想像しがちではあるよね。
なんかそういうのって、どうやって人間って身につけていくんやろうってちょっと思ってて、なんかそういえば、ファースト&スローでもそんな話なかったっけと思って、ちょっと日書き直してみまして、
ありましたね、これ。
1個目が、いかに早い段階から人間がそういう認知の癖を持ってるかっていうのに関する実験で、ファースト&スローの中で紹介されてたのが、生後6ヶ月の乳児に連続する出来事を見せると、相関関係じゃなくて因果関係として認識する。
だから、Aが起きたからBが起きたっていうふうに、6ヶ月の乳児がもうすでに認識してるみたいで、例えば最初にAが起きてBが起きたってなったら、乳児はAのせいでBが起きたって考えるんだけど、考えちゃうから、その順番を逆にしてBとAを逆にするとびっくりしちゃうっていう実験の結果があるらしいよね。
ちょっとかわいいよね、これ。
そんなことあるの?ってなるでしょ、これ。
そうそう。
だから、そのくらい人間の現実の認識の仕方としては、もう本当に生まれた時点でというか、外界をちゃんと認識できるようになった時点で、ほぼそういう考え方が身についちゃってるというのがまず1つあって、
あと、思い込みの怖さに関してもう1個、ファースト&スローの中で紹介された実験が、これちょっとね、俺はものすごくまとえた実験やなと思ったんだけど、
ある文章を被験者に読ませて、その文章の中に出てきた単語をどれだけ覚えてるのかを後でチェックするみたいなテストをしたんよね。
その文章っていうのが、1日中ニューヨークの混雑した通りを散策し、名所見物を堪能したジェーンは、夜になって財布がなくなっていることに気づいたっていう文章だよね。
ふむふむって感じだ。
この短い文章を読んだ後に、その単語をどれだけ覚えてるかっていうテストを受けてもらうと、名所っていう単語よりもすりの方をね、覚えてたという被験者が多かったんだけど、実際にはすりっていう単語って文章の中に出てこんだよね。
それはなぜかっていうと、結局その混雑した通りで、観光地を歩いてて、財布がなくなってたっていうことは、すりに財布を取られたんであろうというふうなストーリーを被験者がこの短い文章の中で組み立ててたから、本当はなかったすりという単語を覚えてたというふうに間違って記憶してた。
すごいよね。これ、自分から作っちゃったんだもんね。
そうそう。だから、本当にそういうふうに理解して、多分、俺もこの話を知らんで、この文章を読んだら、いろんな可能性はあるけど、レストランに送らせたとか、ただ落としちゃったとかっていうのもあると思うんだけど、
その状況証拠で、混雑した通りを歩いてて、観光地ってすり多いよねとかって自分の経験ともね、重ね合わせつつ、あ、そうか、すりにそられちゃったのかというふうに覚えてしまっていたんだろうと。
確かに、なんかこれ、この実験からするとさ、若干知ってるぐらいってさ、結構危ないよね。
いや、そうなんだよね。
私はさ、ニューヨークに行ったことないから、なんかこれ読んだところで、すり、すりってあんま出てこない気がするんだよ。
なんか日本ですりに会うことってあんまないじゃない。だから、なんかニューヨークでどれぐらい混雑してて、どのぐらいの頻度ですりが起こるのかっていうのはわかんないから、なんかそれって、こう、ニューヨークを体験したとか、なんか動画で見たことあるとか、なんかそれによって、こう、思い込みの深さも変わってきそうな気がしたね。
それはね、すごくね、いい指摘だと思うね。ほんとなんかその、例えば単語でポンポンポンポンって出されたら、それはそれで多分その単語のつながりに関係性を生み出そうとして、物語を無理矢理作ろうとするわけやん。
ってなると、そこの埋めるべき空白ってめちゃくちゃ多いから、自分のバイアスとか、これまでの経験とかが反映されちゃうから、むしろ下手にちょこっと知ってるほうが、いらん情報を追加しちゃう可能性っていうのは多いよね。
物語と認知バイアス
あるよね。やっぱなんかこう、アイディア出しとかするときにさ、こう偉大なる素人って結構必要じゃん。何にも知らないでポンって、なんかみん、こうその専門知識を知ってる人からすると、斜め上からアイディアが出てくるみたいなときって、なんかそこに違いがあるような気はするね。
だから、この辺は、ちょっと認知バイアスっぽい話、さっき言ったように。
言ったら、さっきの文章の話で言うと、この文章を読んで、自分の中に協商イメージが作られて、ある種の物語が作られて、それを投写してるわけで、プロジェクション的に言うと。
で、本当はないものをそこに見てて、見てるわけで。っていうのは、これはまあ認知の誤りというか、認知バイアスに基づく事象なんだろうね。
いや、確かにね。
なんか、これってもっと身近にもあるなと思ってて、私あの去年さ、登壇した問いを立てる学校を置いたっていうの、登壇したって言ったじゃん。
はいはい。
その2日間、登壇して、2日目の最後に受講生から私に問いを投げるっていうコーナーがあって、
で、なんか私はそのナラティブを理解するみたいな話をしてた。
はいはい。
人間関係系の問いが多かったのね。で、その中で今日話してる内容に一番近いなと思うのは、なんか気難しそうとか、自分のことを嫌いそうな人とどうやって関係を築けばいいですか?っていう。
あー、なるほど。
質問があったのね。
言ってることはすごくわかる。
要は怖いんだよね、相手のことが。
うんうん。
なんだけど、その人に対して一つ回答したのは、一時情報を取りなさいっていう。
その人が本当にあなたのこと嫌いですって言ったんだったら、こう距離を取るとか、なんかそれを信じて別の対策を取ればいいけど、
なんか相手に確認したわけでもない、さらに誰かからあの人は気まずかしいらしいよ、みたいな噂話を聞いてその距離を取ってるんだったら、直接話した方が早いと思うよっていう回答をしたんだよね。
で、その人自身もあまり自分から相手の中に飛び込んでいくみたいなのが、そんなに得意なタイプではなさそうだったから、もちろん勇気はいることかなとは思うんだけど、そこで飛び込んでみないと、さっきのちょっとニューヨーク知ってる人と同じ感じで、その人の表情から今まで出会った人でこの表情する人は大体私に怒ってきたとか、
なんかそういう想像で自分の中に相手の物語を作ろうとしてる直前だった気がするのよ。
そうね、あとまあ過去のその人とのコミュニケーションの中で、あ、これお願いしたときはなんか冷たい態度と言われたし、あの時はこんなメッセージ返ってきたし、いろいろ積み上がっていて、やっぱり、
やっぱり嫌われてるんだ、みたいなね。
あの人私ほんと嫌いなんだっていう風にね。
そうそう、でもなんか人のさ、表情とか行動って本当に人それぞれで、なんかゼロ地点って違うじゃん。
なんか無愛想な顔してるけど、実はめっちゃ喜んでるとか、あのテキストではすごい無愛想なんだけど、全く本人そんなつもりなかったみたいなことってよくある話だと思ってて、
なんていうのかな、不安とか恐怖って自分の中で持っておくだけだとどんどん大きくなってて、なんかよくわからない黒い怖いものに育っちゃうから。
そうね。
だからまあ彼女はそうやって質問してくれたから、まあもしかしたらね、次からちょっと違うアプローチをしてるかもしれないけど、
なんか自分の中に持っておくだけだと、この人は嫌いなんだ、じゃあなんか私もこの人とはもう話さない、でだんだん人と距離が離れていって、あの私は孤独なんだみたいな感じになると、
まあ一番初めみたいにそのストーリーが人との間に分断を生むみたいなことにつながっていっちゃうかもしれないね、それは怖いことね。
プロジェクションと信念の危険性
しかもなんかそれでさ、自分は高校にいたときもそうだった、大学にいたときもそうだった、ここにいてもそうだった、
そういうことは自分は愛されてはいけない存在なんだみたいに自分のほうに刃が向いちゃうとさらに心配よね。
いやーそうそう、それがね、やっぱネガティブを覚えてるから、それを全部点を線でつないじゃってストーリーができちゃうんだよね、やっぱもう経験する事項ね、記録していったほうがいいね。
そうなのよね、この本、プロジェクション、おしのかがくもそうだし、このストーリーが世界を滅ぼす、でも読みながら何回も思ったのは、結局妄心することは危険よね、という話でして、
プロジェクションがさ、社会を解釈する、世界を解釈する、意味づけをする営みなのだとしたら、それって結局悪く見たら、自分の都合のいいように環境を理解することにもなり得るわけやん。
そのピザゲートの話もそうだし、自分が支持する政党と敵対してる政党が悪いことをしているっていうふうな、ある種自分にとっては都合のいいストーリーに基づいてアクションを施してしまったという意味では。
で、あとおしのかがくの、明日の女王観賞会の実験で言うとさ、こうペンライトを、自分がペンライトを応援してるように振った選手が勝つと、その選手の魅力が上がるっていう、結局自分が応援したから、その選手は勝ったんだ、自分の応援が何かしらの形でそのキャラクターの勝利に貢献したんだっていうふうな、因果関係が勝手にそんな物語ができちゃってるわけね。
で、それが二次創作とか、創作の世界の中に収まってればいいんだけど、なんかファスト&スローで紹介されてた実験とかを見ると、必ずしもそうとは言えんということで、そのなんか強い、なんか信念の強さって頑固さと裏表だから、つまりは絶対この人は信用できる、この考えは絶対正しいとか、
自分は間違ってないとか、あの人は間違ってるみたいな確信っていうのは、どういうシチュエーションであっても、あんまり信じきらないほうがいいんだろうなというふうに思ってたのよね。そんなにパッキッと世の中って切り分けられないよねっていう。
なんか最近さ、ネガティブケイパビリティってよく出てくるじゃん。グレーを良しとするみたいなやつ。グレーをグレーのままで置いとける精神的な強さというかね。なんかあれはもしかしたら、この何かが間違いないとか、必ず正しい正しくないで分けちゃうとか、なんかそれに対しての、こうなんつーのかな、ポスト的な考え方なのかもしれないね。
なんかこれ難しいなと思うのがさ、間違いないって思ってる人が周りにいた時に、他の可能性もあるよって言ったとて受け入れられないことってあるじゃん。
そうなんだよね。そこなんですよ。
これはね、結構難しいんですよ。なんかもちろん自分もそうだろうしね。自分が絶対間違いないって思った時に、周りから、いやそんなことないよって言われたら、なんか自分は間違ってないって思ってんだから、いいじゃんって思う可能性って十分あると思うのよ。
人間関係とストーリー
めちゃくちゃあるし、身に覚えもある。
あるじゃん。
ある。
なんか危ないってことは、今頭の中では分かってるわけで、なんつーのか、その固くなさをちょっとなんかゆるくする方法っていうのは、なんか推しの作り方と一緒で、もう少し知りたいなーって思うとこではあるね。
ね。
そう、なんかそういうバーがあることはすごい大事なんだろうなと思うよね。
だからその、同じ考えを持ってる人たちが集まる場におるとさ、結局自分の意見とか考えが否定されるチャンスが少ないわけやん。
うん、そうそうそうそう。
だから、そうじゃない場に身を置くこととか、自分とは意見をことにしてる人の文章だったり、映像だったり、ポッドキャストだったり、触れるとか、っていうのも大事なんだ。
沸騰した時にはもう遅いんだな、これは。そもそもそこまでいかないように、普段から調整してなきゃいけないけどね。
そう、だからその凝り固まっちゃう前に、ぶん殴って一回自分の信念を壊しといて、っていうことをしなきゃいかんのだなと考えると、やっぱり新しい場に身を置くとか、自分の感覚に近いものだけを取り入れるっていうのは危険なんだなと。
いやー、確かになんかこれね、最近私、うちの社員のこと喋ってて、うちの会社さ、最低の週3勤務なのね。
終わんなかったらもうちょっと残業しましょうみたいな感じだけど、デフォルトは週3勤務、でフルリモート、フルフレックス、でみんな副業してるから、かなりフリーランスに近い会社員なんだけど、
その自由度の高さっていうのを忘れがちだなっていう話をしてたんだよね。
普通に週3社員って珍しいし、なんかこのフルリモート、フルフレックスも普通にやってるけど、それってフリーランスの名残があってできるだけで、
一般的な、世の大多数の会社員からしたら、ちょっと変わった環境ではあるじゃない。
なんか私たちは世界の片隅でいるっていうことを、マジで忘れないようにしなきゃいけないねっていうのを、社員のこと喋ってて。
だからね、今月か来月には、今まで自分たちが働いてたのと全然180度逆、
なんか都内のWeWorkとか、なんかああいう環境で、周りにいつもと違う人たちがいる話を聞き耳立てられるような場所で、ちょっと一回作業会でもするかみたいな話をしてる。
新しい環境に身を置く重要性
いいね、そうね、確かに。WeWorkと日の出はかなり違いそうだね。
違うやん、そうそう。
あの、都内の空気もあんまりみんなで感じるってことはなかったし、なんかもしかしたらちょっと背中がシャンとするきっかけになるかもしれないなと思って、
なんかそういうイベントをしようかなと思っているところ。
いいね、いいね。ちょっとその、それをした後に何か感じるものがあったのかみたいな話も聞きたいね、その社員の人たちがね。
ああ、そうだね、確かに確かに。というか一回集合オフィスで働くとかしてみても楽しいかもしれないね。
しんどいかもしれないけどみんな。
というようなね、チャレンジもあまり妄心しないためにやっていこうと思います。
本当に意識的にやらんと、こり固まっちゃって、その自分の普通みたいなものがどんどん壁を作っちゃう。
意識しててもそうなっちゃうから。
よっぽど気をつけんといかんね。
そうそうそう、いかんなというふうに思った話でした。
自由意志について考える
2回に及ぶプロジェクションとか物語の話でしたけど、そんな感じです。
いや、でもこのテーマ面白かったね。
自分のニュースレターでもちょっと書いたんやけど、この辺の本を読んでると、人間の意志ってどこにあるの?って。
ああ、わかる、わかるよ、わかるよ。
常に何かが操られてるよ、みたいな。
っていうのを今ね、ちょっと興味持ってて、自由意志に関する本とか、公演のYouTubeの動画とかを見てるから、ちょっとその辺の考えがまとまったら、
確かに。
1回話にしようと思う。
いろいろそぎ落とした時に残るものは何なのかってことで、本当に残るものがあるのかっていうね。
あるのかっていうね。
しばらくしたらその話もしようと思います。
はい、楽しみにしてます。
では、今週はこんなところで。
このポッドキャストでは、姉のあさみ、弟のあっちへの質問も大歓迎しています。
概要欄のお便りフォームからご連絡いただければ、次回以降にご紹介や題材の参考にさせていただきます。
ということで、今度はまた次回。
はい、じゃあねー。
ばいばい。