00:05
はい、昨日今日とですね、古典ラジオの収録および、古典ラジオリアルオフ会というのをですね、一泊二日でいいかねパレットでやってましたよと。
で、今それが終わって、高尾から福岡に向かう途中でございます。時刻はちょうど深夜1時かな、でございますと。
で、古典ラジオって毎回ゲストを呼ぶんですけども、今回呼んだゲストはタカチンっていう方なんですよ。
で、この方何が得意かというと、人の才能を見抜くっていう才能がめちゃくちゃあるんですよね。
で、今回実際一人ゲスト、タカチンとは別にまたゲストを呼んで、その人の才能を見抜くっていう実演をやってもらったんですけど、またこれが死ぬほど面白くて、バシバシやってるんですよね。
あなたはこうこうこういう質問に対してこう答えるっていうことは、こういう才能があると。
で、こういう才能がある人っていうのは、こうこうこういうところに自分を持っていくのが、やっぱり一番才能を発揮できますよみたいなことをバシバシ言っていくんですけど。
いやー面白かったですよ。これあの、だから今からまた本編が始まってその後に番外編なんで、お聞きできるのは1ヶ月後とかになるんかな。
なんでまあ、交互期待という感じなんですけども。で、当たり前なんですけども、人間ってこう才能を理解すれば、それの才能が活かせるところにいたほうがいいわけですよね。
例えば人をめちゃくちゃ笑わせる才能があるっていうことがわかってるのに、黙々と誰とも喋らない工場勤務の仕事ってやっぱりなんですかね。
向いてないんですよね。向いてないっていうか才能が発揮できないんですよ。
みたいなところがあるんですけども。で、まあ当たり前なんですけど、そのタカチンの基本姿勢っていうのが、やっぱ才能っていうのはストレスなく活動することができる状態っていうのが才能がある状態ってことらしいんですよね。
これはすごい納得感がありますよね。
例えば僕将棋がめちゃくちゃ好きなんですけども、やっぱ将棋を楽しむ才能っていうのがあるんですよ。将棋が強くなる才能じゃないですよ。将棋を楽しむっていう才能があるんですね。
だから将棋を指すことが全然嫌じゃないんですよ。
強くないんですね、別に。ということは、子どもたちと一緒に将棋をする教室を開くみたいな才能がもしかしたらあるかもしれないんですよ。ずっと指し続けられるんで。こういうふうに考えていくんですよね。
そういうのをずっと考えていくとですね、僕なりにちょっといろいろ思うことがあって、今日はその話をしたいなと思うんですけども、まず僕、一回ちょっと才能の話と離れますね。
03:12
あえて離れたいんですけども、文人っていう考え方がすごく好きで、その通りだなと思ってるんですね。
これ文人って何かっていうと、人間っていうのは確固たる自分の個性とか性質みたいなものって実は究極的にはないんだっていう考え方なんですよ。
でも言ったらあるじゃないですか、ある程度この人は明るい人だとか、この人はこういう人だみたいな性格づけみたいなのあるじゃないですか。
それはなんで決まってるかっていうと、その瞬間の環境によって決まってるだけだって僕は思ってるんですね。
つまり僕という人間が10人と付き合えば、じゃあ一番AさんBさんCさんDさんと付き合うとするじゃないですか。
だからAさんと付き合うときはAさんと付き合っている自分という存在がいて、Bさんと付き合っているときはBさんと付き合っている自分という存在がいてみたいな。
それが100人と付き合ったら100通りあるし1000人と付き合ったら1000通りあるみたいなイメージなんですよね。
これちょっとピンとこない方はイメージしてもらいたいんですけども、例えばじゃあ飲み会に行くとするじゃないですか。
合コンがいいかな、合コンに行くとするじゃないですか。
例えばじゃあ盛り上げ役がいないっていう合コンに行ったときに、じゃあ自分が盛り上げ役にならないといけないなと思って盛り上げ役になったりとか。
あとじゃあめちゃくちゃする友達と一緒に行くじゃないですか。
そしたらめちゃくちゃする友達に乗っかって自分もめちゃくちゃしてしまうとバカめちゃくちゃになるから、
じゃあ自分はあえてまとめる立場にいって、まあまあまあという立場にいないといけないから自分はそうなっちゃうみたいなね。
仕切る人がいれば仕切らなくていいんですけども、じゃあ仕切る人がいなかったらそろそろじゃあ締めて二次会に行きましょうかっていう役を演じるというかこう担ったりとかってあるじゃないですか。
もっと言うとお笑いでいうところのボケたツッコミとかもそうだと思うんですけども、
めっちゃボケる友達と一緒にいたらついついツッコミ顔でずっとやっちゃうみたいな。
逆にめっちゃ突っ込んでくれる気持ち良い友達がいたら伸び伸びとずっとボケていられるみたいなのもあると思うんですけども。
つまり環境によって自分の性格って変わるんじゃないかっていう考え方がまずありますよと。
さっきの才能の話とまた繋がってくるんですけども、じゃあ今の環境にいる自分が好きか嫌いかっていうことは結構考えてみる価値はあると思ってるんですね。
06:03
もしこれ万が一今の自分が嫌いだなって思う人がいたとするじゃないですか。
これ自分を嫌いになるって考えると結構辛いと思うんですよ。
でもちょっと一歩引いて考えてこう思ったらどうかなっていう。
今の環境にいる自分が嫌いだっていう。
だからそこに前提条件をつけるんですね。文人という考え方を使って。
ってことは嫌いになる自分の部分っていうことを限定的にできるんですよ。
じゃあどうすればいいかというと、好きな自分でいられる環境に持ってければ、じゃあ自分のこと嫌いになる必要ないじゃないっていう発想になるんですね。
これ分かりますよね。理論的に間違ってないですよね。
自分嫌いだなーって思うと、自分のこと嫌いになる必要ないじゃないっていう発想になるんですね。
自分嫌いだなーって思うと、もう一回言いますよ。今の自分が嫌いって思うんですよ。
じゃあ今の自分を作り上げている環境をもっと分解するんですね。因数分解をするんですよ。
したらこうこうこういう自分が嫌いだと。
ただその自分を作っている環境っていうのは、いつも朝遅刻してしまうっていう自分が嫌いだと思うじゃないですか。
じゃあなんで朝遅刻するのが嫌いかっていうと、
シンプルに朝起きれないから、それに対してみんなは朝起きれてるから。
だから自分だけ起きれないっていうコンプレックスを感じちゃうんだと。だから自分が嫌いなんだと思うじゃないですか。
じゃあですね、朝起きなくていい環境を作ると、朝起きなくて悩む自分っていう自分に出会わなくていいじゃないですか。
僕結構実はそうやって会社員をドロップアウトしてフリーランスで始めたみたいなところがあるんですよ。
これ僕の実はというか実例ですね。朝起きれなくて本当に悩んでて、通うのが嫌だったんで僕はフリーランスになったっていう。
で、自宅勤務できる仕事ということで音楽制作を始めたということなんですけども。
なんかこの考え方って全ての人ができると思ってるんですよね。
だから好きな自分でいる時間をなるべく多くして、嫌いな自分でいる時間をずっと少なくしていくんですよ。
だから嫌い、この人といると嫌だなって思う人となるべく付き合わないようにすると好きな自分といる時間が増えるじゃないですか。
そうすると自分のことを好きになれるんじゃないかなっていう。
なんかこれは結構ね、そのタカチンの収録、もうほんと目の当たりにしたんですけども、それでいろいろお話を聞く上で改めて思ったっていう感じですね。
09:11
もっと言うと、嫌いな自分と直面した時に逃げれる人と逃げれない人がいるんですね。
この時にある種ね、嫌なことから逃げるっていうのは忍耐力がないっていう風にマイナス面として言われることも多いじゃないですか。
でも逆に言うと忍耐力があると嫌なことから逃げれないっていうデメリットがあるんですよね。
だから忍耐力がない人と実は好きな自分に出会える確率が高いかもしれないみたいなことを考えると、何が良くて何が悪いかっていうのが結構わからなくなるなっていうのもありますね。