00:04
日々、駐妻。この番組は、アメリカで駐妻として暮らす私、かやこが、日々の暮らしや、その中で感じたことなどをありのままシェアする番組です。
不定期ですが、たくさん配信しようと思うので、番組をフォローしてもらえると嬉しいです。
少し前に、Xでとあるポストを見まして、今日はそれについて思ったことを話したいなと思っています。
そのポストは、とあるテッドトークの内容を一部抜粋した動画のリンクを貼って、それについて言及してました。
まずポストの内容を読みます。
海外に住んで、差別されたって悲しんでる人がたまにいる。もちろん良いことではない。でも一度この動画を見て、少しだけでも気持ちが楽になるといいなって思う。
と書かれていました。
じゃあその抜粋された動画の内容がどんなものかっていうと、先ほど言ったようにテッドトークで、ある日系アメリカ人3歳の男性が話しています。
彼はアメリカのカリフォルニア州のとある高級住宅街に住んでいて、自宅の家の前の生垣を手入れしていたと。
その彼が手入れする様子を見かけた、白人のおばあさんが話しかけてきて、あなた芝刈りもできるの?と聞いてきたと。
で、それを受けて、彼はあなたは僕が日本人だから庭師だと思ったんだろう?と返して、で、おばあさんはいやいや、あなたが生垣を手入れするのはとても上手だから庭師だと思ったのよ?と返したというエピソードです。
で、彼はこのエピソードをご自身のお父さんにこういうことがあったとシェアしたそうなんですね。
お父さんは日系アメリカ人2歳の方で、米軍にもおられたと話してました。
おそらくご年齢から察するに、日米が戦争していた時代から米軍にいて、日本人の姿でアメリカ軍の中にいるっていうのは、おそらく相当な扱いを受けてこられた方だなと、まあ察することができます。
で、実際に彼のお父さんはそういう差別に対してものすごく厳しい態度をとる方なので、こういうことがあったよとシェアしたら、きっとものすごく怒って、なんだその白人女性はと。
自宅の生垣を手入れするお前を見て、アジア人だから日本人だからって言うだけで庭師と決めつけるなんてどういう差別だって、きっと怒るだろうと思ってたのに、お父さんの反応は正反対だったと。
お父さんはいいかよく聞け息子とカリフォルニアのあの高級住宅街で日本人の見た目をしたお前が庭を手入れしていたら、まあ論理的に確率的にどう考えてもそれは庭師だと思うよと言ってきたと。
そして彼のお父さんが続けて言ったのは、そんなことは乗り切れと、いちいちそんなことを偏見だとか言って問題するなと、そんなことをいちいち問題にしてたらこれからの人生生きていくことできないぞって言ってきたと。
03:05
でそれを受けて彼がテッドトークの場で、ここで皆さんに伝えたいメッセージがあると、この世の中に新しい価値を生み出したいと思っているなら、そういった怒りやネガティブな気持ちを持って人生を過ごすべきではないっていうメッセージだったんですね。
でこの動画を受けて、私が冒頭に紹介したXでポストした人は、差別されたって悲しんでる人はこの動画を見て気持ちが楽になるといいなと思うと話してました。
で私はこの動画の内容にも、それを引用してXにポストした人にも、とりわけすごい思うことがあったわけではないんですが、このポストがすごくバズって、いろんな人がコメントや引用リツイートをしていて、
なんかその中によく見られた一つの意見として、やっぱり物事をネガティブに捉えててもしょうがないよね、ポジティブに捉えなきゃ、とか、
私もこういう差別みたいな目にあったことがあるけど、なんかくよくよしてたってしょうがないんだなと思いました、とか、
私もこういう目にあったことあるけど、なんか差別されたって騒ぐ人の気持ち全然わかんない、そんなこと言ったってしょうがないじゃん、みたいな意見が散見されたんです。
で、私自身は割と差別とかに対してすごく敏感です。
特にアメリカに住んでから、この仕打ちは私がアジア人だからなのか、英語が下手だからなのか、それとも私がそごわない行為をしたからなのか、どれなんだろうっていうふうに考える場面が何回もありました。
で、そういうことをいちいち差別かもっていうふうに夫に言うと、
夫は割とこのポストに近い考え方じゃないんですけど、必ずいると差別してくる人は、もうそれはそんな人たちのことをいちいち気にしてたってしょうがないよ。
なんでそんな毎回騒ぐんだ、みたいな感じなんですね、夫の言い分としては。
私はその夫の言い分だったり、今回のこのテッド統合の人が言ってることやそれに対していった感想を聞いて、
まず個人が差別だったり、いろんな嫌なことが起きて、どう受け止めるかっていうことにおいては、本当にそうだなと思うんです。
嫌なことが起きて、それにずっととらわれて、そのことに時間を割いて悲しい気持ちでいるよりも、さっさと切り替えてポジティブに人生生きたほうが絶対いいんですよ、個人としては。
ただ私は、それを他の人にまでそうしろっていうのは違うかなと、まず思う。
自分自身の受け止め方に対して、そう考えるのは全然いいんですけど、それを他の人たちにもそのようにした方がいいって言ったり、
社会全体としてそのような態度が望ましいと思うことは、私の考えとは相反するなと思って、今日これを喋っています。
だって言ってしまえば、一人一人が、例えば今回の例は差別ですけど、別に差別じゃなくてもね、何か嫌なことを他の人から言われて、
じゃあそれは受け手がポジティブに解釈すればいいんだよと、いちいち気にしたらしょうがないよって言ったら、何も問題は解決しないじゃないですか。
06:04
例えば分かりやすい例で言うと、セックハラとか、もうこの10年で社会のセックハラに対する考え方って様変わりしてますよね。
昔は女性の賞味期限はクリスマスケーキだ、みたいなことが平気で言われて、
彼氏いるの?いないの?結婚してるの?してないの?子供はいるの?いないの?とか、いない?結婚してない?とかだったらどうするんだ?みたいなこと言うのが平然と行われていたり、
養子に言及したり、みたいなことが当たり前だったわけじゃないですか。
でもそれは、今の時代セクハラだし、するべきことではないっていうのは、みんな認識してますよね。
何なら最初はセクハラって、おじさんから若い女の人みたいなイメージがあったけど、若い男の人だって彼女いるの?いないの?とか、
何ならなんか性行為の経験があるの?いないの?童貞だ?とか言っていじるとか、そんなのだって全然良くないっていうのが認識が広まってるじゃないですか。
でもこれは、今までそういうことをされてきた人たちが、そんなのこと気にしてもしょうがないってポジティブに受け止めて忘れてたら、この変化って起こらなかったわけなんですよね。
その人たちがこんなのおかしい、嫌な思いだっていうことを発信し続けてきたからこそ、アクションし続けてきたから、今の現状になっているわけで、
だからなんかそれをネガティブに捉えてとか、いちいち問題にして、そういうのどうなの?もっとポジティブに生きればいいじゃんっていうのは、なんか私は違うよなぁと思ったんです。
私個人の体験でいくと、マルディグラっていうキリスト教のお祭りがあります。
ちょっとね、ここでマルディグラが何かを説明すると長いし、全然正確な説明ができないと思うんで省くんですが、マルディグラが何をするお祭りかっていうと、
だいたいパレードがあって、パレードで出しがどんどん回ってくるんですよね。
もちろん楽器弾いたりダンスしたりする人もいるけど、基本はなんかディズニーのエレクトリカルパレードみたいな感じで、
大きな車とかに乗って、人が上に乗ってて、その上に乗る人たちが何するかっていうと、パフォーマンスすることもあるけど、
大概は出しの上からプラスチックのネックレスを沿道に向かって投げるんですよ。
パレードの脇にいる、たくさんいる人々に向かって投げて、そのネックレスがプラスチックでできたチャッチーやつなんですよ。
100均とかで10本100円とかで売られてそうなやつ。
子供はお喜びするけど、大人はお金出してこんなもん買わんやろってやつなんですけど、
そのお祭りの日だけはそれがすごい価値のあるもんなんですよ。
たくさん首にジャラジャラ下げてるのが、なんかすごい楽しんでる雰囲気があって、いいねっていう感じで、
なのでそのお祭りの間は、その出しからどんどんどんどんプラスチックのネックレス投げるし、
なんならそのパレード以外のところでもね、お店とかで2階のテラスからバンバン投げてる人がいたり、みたいな感じなんです。
実際そのネックレスとかで、またお店とかでも買えたりするんですけど、
やっぱ買うより投げられたのをどんどん取りたいし、
なんなら大きいの投げてる人がいたらその大きいの取りたいし、珍しい柄のがあったら珍しいの取りたいし、みたいな、
09:01
なんかこうお祭りの狂った雰囲気のある感じなんですけど、
で、それをね、まあ日本ではないお祭りなんで見に行ったことがあるんです、家族で。
沿道でパレードを見ながら、わーちょうだいちょうだいこっちちょうだいとか言ってしばらくやっててね。
で、ある程度落ち着いた時に、私は気づいたんですよ。
私たちの両隣はアメリカ人の家族だったんですけど、
もう明らかにネックレスの投げられる数が違うんです。私たちとその両隣の家族と。
私たちが取るのが下手で、両隣の家族が上手いとかそういうわけじゃなくて、
圧倒的に投げられないんです、私たち家族に。
なんなら投げてくれる人と目が合ったなって思うんだけど、投げてくれないみたいなこともありました。
逆に、私たちに目がけて投げてくれる、みたいな人もいました。
私はこれを受けて、別にそのダシに乗ってる人たちが、みんな差別主義者でアジア人が嫌いで、
あえて私たちに投げないようにしてるんだとか、そういうことを言いたいわけではないんです。
私は別に彼らにそんな明らかな悪意があったと思ってないんです。
むしろ彼らの中に、無意識に差別とまでは言わなくても区別する心があって、それに本人たちも気づいてなくて、
そしてそれは長いパレードのたくさんあるダシに乗ってる、たくさんの人々全員に少しずつあるものなんだなと思ったんです。
だから私たちは全員の無意識に区別する心によって、結果としてネックレスをそんなにたくさんもらえなかったということなんですね。
実際はたくさんもらったんですよ。
全然2本、3本しかもらえなかったみたいな、そんな悲しい結果じゃなくて、全然10何本とかもらったんです。
だけど、周りを見たときに明らかにもっともらってるし、投げて投げてってずっと来るダシを見てるわけじゃないですか。
絶対なんかちょっと我々を恐れるなっていう体験を何回かしたんです。
で、これは私のことをいつもなんか差別差別って騒ぎ立てると思って、そのことについて私が言うたびにやれやれっていう態度する夫も、
これは明らかに少ないよねって言ったら、まあ少ないねとは認めてました。
で、この件を受けて考えたのは、じゃあ自分が向こう側にいたら、ダシに乗って投げる側だったとしたら、
例えば日本でこういうお祭りがあって、みこしに乗って周りの人にいろんなお菓子とかキャンディーとかこういうネックレスとか投げる立場だったとして、
そして沿道にいる人たちの顔がはっきり見えるときに、本当に何の忖度もなしに平等に、ただただランダムに投げることができるだろうか、私はって思ったんですね。
で、私はそういうときに一切の忖度を入れずにランダムに投げる人間でありたいと常々思ってるんですけど、
でもじゃあ自分が本当にそういうときになって、日本人もいる、アジア人もいる、アメリカ人もいる、ヨーロッパ人もいる、東南アジア人もいる、アフリカ人もいる、みたいになったときに、
やっぱり何かの忖度が自分の中で働くんじゃないかって思うんです。そうでなくありたいと思っても。
12:02
で、それが、そんなのダメだ、絶対忖度するなっていうのも難しいってのは分かってるけど、
それを分かってて、自分の中ではそれはすごく難しいことなんだけど、心がけなければいけないって思いながら生きることが大事かなと、私は思ってます。
嫌なことがあったときはね、個人としてはポジティブに捉えて生きていくのがいいなと私もすごく賛成するんですが、
それを他の人が差別されたっていうふうに、例えばあなたにとって騒いでいるように見えたとして、それはなんか非難すべき行為では私はないと思うし、
そうやって声を上げていくことが10年後、20年後の社会を変えていくと思っているので、
いいじゃん騒いだって、いいじゃん悲しんだって、いいじゃん誰か話したって、と思ったという話でした。
本日は以上です。聞いてくださりありがとうございます。
ご感想は、Xでハッシュタグ日々ちゅーずま、漢字四文字日々ちゅーずまでポストしていただくか、
概要欄にお便りフォームのリンクを貼っておりますので、ぜひぜひ何でもいいのでよかったらお便りいただけるとめちゃめちゃ嬉しいです。
ご質問とかいただいたら日々ちゅーずまで回答できたらなぁと思っております。
あとは番組のフォロー欲しい子のレビューもめちゃくちゃ喜んでおります。
みなさんいつもありがとうございます。というわけで以上です。じゃあねー。