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2024-01-26 09:13

44 - 愛は感情?それ以上のもの?

聖書が説く愛と、私が思う愛。


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日々、駐妻。この番組は、アメリカで駐妻として暮らす私、かやこが、日々の暮らしや、その中で感じたことなどをありのままシェアする番組です。
不定期ですが、たくさん配信しようと思うので、番組をフォローしてもらえると嬉しいです。
こんにちは、ご無沙汰しております。
日本にね、約4週間一時帰国してたので、ほぼ1ヶ月ぶりの更新となってしまいました。
また聞いてくださっている方々、もしいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
まだちょっと時差ぼけですね。
もう夜の8時過ぎたら、エンチ切ったみたいにもう寝てしまいます。
娘に読み聞かせしてても、私の方が寝落ちで、お母さん起きて、とか言われる始末でございます。
久々にね、日本に行ってきたんで、日本の話もしたいなと思いつつ、
今日ね、日々駐妻ではおなじみのクロスインカルチャーに行ってきたんですよ。
教会でアメリカ人のおばあちゃんたちがやってくれているESL的なやつなんですが、
そこで今日やったことが面白かったので、
久々の更新ながら、いつものごとくアメリカの日常ありのままお話ししようかなと思います。
というのが、クロスインカルチャーのコンテンツの中に、バイブルスタディって言って、
聖書についてちょっとみんなで学ぼう、みたいなコーナーがちょびっとあるんですけれども、
今日のね、バイブルスタディのテーマは、ラブだったんです。愛だったんですよ。
私がやってるもう一つのポッドキャスト、謝り続ける女たちでも、
最近放送したエンゲージメントカードの謝りかな、の中でも、
愛ってなんだろう、みたいな話がね、ちょうど出てきてて、
別にそこにつながりはないんですけど、あ、テーマ愛なんだ、ってなりました。
そんなに深く、バイブル、聖書における愛について話すわけじゃないんですけど、
いくつかのバイブルの中で、ラブ、愛に言及している章を読んで、説明を受けた後、
クロスインカルチャーでは、テーブルが今日の場合は3つぐらいに分かれてて、
各テーブルでどう思った、とか分からないことある、とか話し合うんですね。
クロスインカルチャーの運営側から、質問が最初から提示されてて、
プリントが配られて、そこに質問が3つ書いてあって、
その質問についても、お互いどう思う、とか話し合うんですけど、
その3つある質問のうち1つ目が、愛とは感情だろうか、っていう質問だったんですよ。
英文をそのまま読むと、
っていう英文でした。
私たちが他者に示す愛っていうものは感情だろうか、そうじゃないとしたらなんだろうか、っていう。
1コーナーで話すべきトピックなんていうぐらい大きいものなんですけど、
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このバイブルスタディ、聖書の中身を勉強する回の方向性としては、
愛ってただの感情じゃないよね、みたいな。
愛は感情みたいに揺れたり、アップダウンしたりするものじゃなくて、もっと深いものだよね、と。
例えば、恋に落ちて、この人のことがすごい好き、みたいな、そういうラブではなくて、
なんかもっと親切さとか、寛容さとか、慈悲の心とか、もっとそういうものだよね、みたいなところが落としどころなんですよね、聞いていた感じ。
なんですけど、私は説明聞いたり、みんなの意見聞いたりしながらも、
私は愛は感情だと思うよな、ってその時思ってたんです。
いちいちそれを言って議論を紛糾させる意図はなかったんで、今日その回では言わなかったんですけど、
やっぱ愛って、私たちの気と愛楽みたいな形で、心から来て感じるもので、揺れ動くものだと思うんですよ、不安定で。
揺れ動くもので、不安定だからこそ、愛情っていうものを維持するためには、努力が必要だよな、っていうふうに思うんです。
誰かを愛することっていうのは、自分の心から感情のように生まれるものであって、
その感情を維持することっていうのは、それなりに自分自身、何かの工夫をしなければ維持することができないものだよな、っていうふうに思うんです。
だけど、そう言いながらも、例えば私の娘への愛っていうものが、そういう心の奥底から沸き上がってくるもので、
維持するのに努力が必要なものか、それはそういうアンステイボーな不安定な感情なのか、っていうふうに問われると、
私はもう何があっても娘のことを愛するって思ってるから、それは感情ではないのか?だったら何なんだろうね。
だとすると、私は絶対にこの子のことを愛するって決めている私の意思なのか?みたいなふうに考えてたんですね。
じゃあ、愛って感情じゃなく意思なのかな?とか、突き上げてくる思いみたいな感情がなくなったとしても、
例えば家族を愛していきたい、両親とかパートナーとかを愛していきたいっていう意思がそこにあるなら、やっぱそれはラブなのか。
聖書が言うように、ただのフィーリング、感情じゃないんだと。それよりももっともっと深いものなんだっていうことなのかな?
っていうふうにも思ったんですけど、でもやっぱり私はこれからの人生、ずっと娘のことを愛して、それは絶対に変わらないって今は思ってるけど、
わからないですよね、人間関係。もしかしたら娘が大きくなって、めちゃめちゃ私と娘が対立してしまうっていうことがあるかもしれないし、
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そういうことがないようにしたいなと思いますけど、娘がどのように変わっていくかわからないし、もしかしたらね、
そういうようなことがないように私も努力したいと思いますけど、私に暴言を吐くようになったりとか、お金を無心してくるようになったりとか、
私の大切なね、私の夫とか両親とか傷つけるようになるとか、そういうことがあった時にも、私は意思の力でこの子のことをずっと愛するって決めたから、
愛し続けるんだっていうふうにできるのだろうか、みたいなふうに考えると、やっぱり愛って感情ベースじゃないっていうふうに思ったんですね。
クロスインカルチャーの運営メンバーに最近加わった若い女性がいるんですけど、彼女のことはここではTと呼びますが、
今日このラブの話題の時にね、Tは結婚しているんですけど、義理のお母さんがなんかめちゃくちゃ意地悪らしいんですよ。
具体的に話聞いてても、それはなかなかな疑問に当たってしまったねっていう感じだったんですけど、
彼女はそれでもやっぱり義理のお母さんだから、すごく意地悪なことをされて、彼女に対して愛を示すのは難しいと思うけど、
それでもやっぱり愛は示さなきゃいけないんだ、みたいなふうに言ってて、この場合の愛ってやっぱり感情じゃなく意思だよなと、
そこにTの中に義母への愛は、フィーリングとしての愛はないんだけど、意思として愛を示していこうと努力してるんですよね。
すごいなぁと思いつつ、やっぱそういう感情の伴わない愛っていうのは、持続可能性がない気がするっていうふうに思ったんですよ。
やっぱどこかで自分の中の気持ちに支えられてない愛っていうのは限界が来るんじゃないかなというふうに思ってて、
じゃあ愛は何なのかっていうことに、ここで結論が出るわけじゃないんですけど、
私の意見としては、やっぱり心から湧き出る感情としての愛っていうものがそこにないと、
親切さ、寛容さ、慈悲の心みたいな、感情じゃないよね、もっと深いものだよねっていうふうに例えられる気持ちも続かないんじゃないかなと思った、
というのが今日のクロスインカルチャーで考えたことでございました。
いやぁ愛って何ですかね、本当に難しいです。
でもこういうことを考えるきっかけをくれる聖書の勉強は楽しいなというふうに思っています。
ということで以上です。今回も聞いてくださりありがとうございます。
よろしければ番組の感想やご質問などは、ハッシュタグ漢字四文字で日々チューズまでつぶやいていただけると嬉しいです。
そしてですね、お便りフォームを作りました。
概要欄にリンク貼っておりますので、ご質問でもご感想でも、こんなこと話してほしいみたいなリクエストでも何でも大歓迎ですのでお待ちしております。
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ではでは。
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