友人との再会
ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今日はですね、我が家がある地域は朝から大雨でして、もう雨音で途中目が覚めて、窓閉めてもう一回寝るってなったぐらい、もうすごい雨降ってたんですよね。
我が家の寝室の2階なんですけど、寝室の窓がめちゃくちゃ天井に近いところにあって、これ完全に設計ミスしちゃったなと思ってるんですけど、
もうベッドに乗った状態で手を伸ばして、全力で手を伸ばして、背伸びして、クルクルクルクルって回して開けたり閉めたりしないといけないんですよ。
今は腰も曲がってないし、手伸ばせば何とか回して開けたり閉めたりできるんですけど、これが年取って腰とか曲がっちゃったりなんかしたら、窓開けられへんでと思って。
これどうすんのって今から思ってるんですよね。
窓を増やしたり減らしたりする工事、どれぐらいするのかなと思って調べてみたら、とんでもなく高くてね。
どうしようって今から思っております。
家建てられる方、窓の位置とかすごい気をつけてください。
そんな大雨の今日なんですけど、旦那さんの月一のバス釣り有給の日なんですね。
そんな素敵な制度が会社自体にあるわけじゃないんですけど、
彼が勝手に月一ぐらいで有給を取って、その日を丸一日朝から晩までバス釣りに行く。
ちょっと遠くの駅か沼川だか知らないですけど、行ってバス釣りをするという日なんですよ。
それが今日。
昨日まではめちゃくちゃ天気も良かったし、あったかかったし、あったかいというかむしろ暑かった。
ですけど、今日だけ大雨なんですよ。しかも寒いし。
これバス釣れるんかな?
ちょっと分からないですけど。
分からないですけど、昨日とかだったら良かったのになぁと思ってね。
でもそういうことが多いんですね、彼はね。
先月もその日だけ雨とか、雨っていうのも釣れるからいいのかな。
ちょっと分からんけど。
そんな感じで、意気揚々と出かけていきました。
バス釣り朝から行くんやったら、末っ子の幼稚園を送って行ってなという交換条件。
それと引き換えにOKを出したんですよね。
我が家車一台しかないので、バス釣りでめちゃくちゃ早い時間から車を使われると、
幼稚園に何かあって送って行きます、迎えに行きますとか、学校送って行きますってなった時に、車がないわけですよ。
それは困るから、それやったら、もう末っ子と相談をして、
今日は、幼稚園バスには乗らずに早めに幼稚園に送って行くっていう、
それやったらいいでっていう話になったんです。
そこからは、パパと末っ子の交渉ですよね。
パパが末っ子に交渉をして、ちょっと明日、朝早く幼稚園行ってみん?みたいな話をして、
そしたら、その提案を末っ子が一旦持ち帰りまして、
幼稚園に行って、朝早く来ているクラスのお友達と相談をしたみたいなんですよ。
それをまた家に帰ってきて、
だれだれちゃんも明日早く幼稚園に来るらしいから、だからいいよ、みたいな感じで、
お返事があって、じゃあ早く行こうということで、
いつもよりもだいぶ早い時間、いつもよりも1時間以上早い時間かな、
早朝保育になるんですけど、早朝保育を利用して、末っ子はパパと嬉しそうに登園していきました。
それに土作草に紛れてね、大雨降ってたしということで、長男、長女も車に乗って送って行ってもらってましたね。
なので、今日はいつもよりも早い時間からね、家の中に誰もいないという感じになって、
すごく清々しい朝を過ごしておりました。
一応言っておくけど、みんなが家にいることは嫌じゃないんですよ、別に。それは嫌じゃないよ。
嫌じゃないけど、やっぱり一人になった時の開放感みたいなものがありますからね。
静かと思って過ごしておりました。
今日も朝からコラボの収録をさせてもらっていて、めちゃくちゃ楽しかったんですよ。
近くなったらまたお知らせしますけど、配信は来月の中頃になるかなと思うんですが、
すごい楽しかった。コラボ楽しいですね。
私一人でずっと喋ってるからさ、こうやって。
コラボってなると、Zoomを使ったりするし、楽しいんですよね。
楽しかった。その話はまたできたらなと思っております。
今日のテーマなんですが、
今日のテーマは、社会に出たら忘れがちなことということについてお話をしようと思います。
とか言う私はですね、そんなにちゃんと社会に出たことがないんですよね。
大学卒業してすぐ結婚出産してますし、
その後社会に出る言うても、パートとか、
正社員になったこともあるけど、本当に短期間だったし、
ちゃんと社会に新卒で出るみたいなことをしたことがないから、
社会を語るなっていう感じなんですけど、
社会に出たら忘れがちなこと。
結論から言うと、条件なしで自分を受け入れるということを忘れてしまいがちなんじゃないかな、
というふうに思うんですよね。
なぜこのテーマでお話ししようと思ったかというと、
少し前に大学時代の友達と久しぶりに会ってきたんですよ。
そのお友達はずっと海外アメリカに住んでいたので、
何年間か。
LINEとかでのやりとりはできましたけど、
なかなかコロナ禍も重なって、
何年ぶりやろう?
4年ぶりぐらい?
4年?もっとかな?もっとかもしれない。
ちゃんと会って、ちゃんと喋ったのって本当に久しぶりで、
しかも子供が生まれてから、
大学の友達と会うってなっても子供を連れて行くことが多かったから、
結局、話してても途中で子供がトイレってなったりとか、
子供がガチャガチャなったり、
社会に出たら忘れがちなこと
お茶こぼした?何落とした?これ食べたい?あれ食べたい?みたいな感じで、
ガチャガチャなるから、ちゃんと喋るみたいなことすらできなかったんですよね。
だから本当にちゃんと喋ったのって、
いつぶり?っていうぐらいの感覚だったんですよ。
だけど、全然変わってなくて、
これはいい意味でね。
全然変わってなくて、
アメリカでずっと過ごしてたから、
もっとアメリカナイズドされて、
帰ってくるのかな?とか思ってたんですけど、
いい意味で、めちゃくちゃ日本人のままだったんですよね。
それが私は嬉しかったし、
全然変わってないやん、みたいな。
それがいいところやな、みたいなふうに思ってたんです。
彼女とは大学が一緒で、
私が一人暮らしで、彼女は実家暮らしをしてたんですけど、
なので、私の一人暮らしの家によく遊びに来てくれたりとか、
めちゃくちゃ真面目だから、
そして私はダラダラの大学生だったので、
私の分まで出席のやつを出してくれたりとか、席取ってくれたりとか、
レポートのね、
これこれレポート出さなあかんで、
これこれ出なあかんで、
ここに行かなあかんで、
いろいろ本当にお世話をしてくれてたんです、私の。
彼女だけじゃなく、私の周りにいるお友達っていうのは、
本当に私のお世話をたくさんしてくださっていて、
私、高校まではめちゃくちゃ真面目に頑張ってたんですよ。
だけど、もう大学に行った瞬間、
いろんなものが弾けてしまって、
その真面目さを1ミリも残さないまま、
本当にダラダラした大学生もバイトをして、
学校をサボってみたいな、
なんかもうそんな感じだったんですよね。
そんなダラダラの私をサポートしてくれたりとか、
してたお友達の1人なんです。
で、彼女は私から見たら、
本当にキャリアもすごいし、
これまでしてきた仕事もすごいし、
そこからアメリカに行って、
もう一度学び直しをしたりとか、
資格を取ったりとか、
そこでのキャリアももちろんすごいし、
いや、本当にすごいなって、
めちゃくちゃ頑張ってるなっていう、
尊敬できるなっていう存在なんですよね。
だけど、その彼女と話していると、
私から見たら、すごい魅力的な人だし、
人格としてもすごい素晴らしい人なんですよ。
だけど、なんかこう、ここが足りてないとか、
なんかコンプレックスがあるっていう話を、
ずっとその子がしてて、
いや、そんなんさ、
全然コンプレックスじゃないんやけど、
って私からしたら思うんですよね。
で、というかそのコンプレックスって、
大学の時からあったよねって思う。
このコンプレックスの内容を話すと、
彼女本人の話なので、
プライバシーの関係もあって、
詳しくは言わないですけど、
なんかそのコンプレックスって、
今もあるかもしれへんけど、
大学の時からあったよなって思うんですよ。
で、私はなんならそこが好きやったんやけど、
って思ってるんですよね。
本人はそのコンプレックスを嫌だなとか、
そのコンプレックスのせいで、
今までうまくいかんことがあったなとか、
って思ってるかもしれへんけど、
私はそこが好きなんやけど、
ていうかあなたの魅力そこなんやけど、
と思って思ったんですよね。
で、そういう会話をして、
すごい楽しくて、帰りながら考えていたのは、
社会に出て仕事をするってなったら、
結構条件付きで自分を採用してもらったりだとか、
〇〇だから採用しますとか、
〇〇ができるから評価しますとか、
〇〇できる人、〇〇のスキルを持っているから、
この部署に配属しますっていう風に、
自分自身というよりも、
自分自身の背負っているスキルだったりとか、
性質だったりとか、
そういうものを評価される機会の方が
圧倒的に多いよなって思ったんですよね。
で、もちろんそれって良い悪いの話じゃなくて、
お客さんがいて、
その方からお金をいただいてっていうことだから、
ちゃんとそれに対する対価が必要なわけじゃないですか。
だからそれが社会の仕組みというか、
なんだろうなって思うんですよ。
適材適所で会社の中でも、
これできる人はこの部署で、
これできる人はこの部署で、
みたいな感じでね。
だけど、学生時代ってそういうのじゃないじゃないですか。
なんか、この子は英語喋れるから友達になろうとか、
なんかこの子は…
なん…なんやろう…
全然思い浮かばんけど…
この子は計算早いから友達になろうとか、
そんなんじゃないじゃないですか。
その年齢が日付ければ低いほど、
その年齢が日付ければ低いほど、
ただこの子が好きだからとか、
ただ気が合うからとか、
ただ相性が合うからとか、
なんやったらもっと言ったら、
ただ席が隣だったからとか、
なんかそれぐらいの感じで友達になって、
で、そのままお互いに好きだから、
友達同士でいるっていう、
もうただそれだけのことだと思うんですよね。
だけど社会に出ると、
ただ好きだから、ただ合うからっていうだけでは、
やっぱり仕事をしていったり、
稼いでいくっていうのが難しくなったりとかして、
会社に属すとね。
自分の持っているものだったりとか、
条件付きで自分を評価されるっていう機会が、
自然と多くなるわけですよ。
だから、条件なしで自分自身を受け入れるってことも、
親子関係と自己肯定感
すごく難しくなるんだろうなと思ったんですよね。
〇〇だから自分はいいみたいな、
これができるから自分はいい、
これが得意だから自分はいいっていうような、
条件ありきで自分を受け入れる、
自己肯定感を保っておくみたいな感じになるのかなって、
すごく思ったんですよね。
だけど、これを親子関係で、
自分と子供とかに置き換えると、
子供たちって、私たち親が、
例えば、めちゃくちゃ稼げるから、
好きでいてくれるとか、
めちゃくちゃ料理がうまいから好きでいてくれるとか、
めちゃくちゃ家事が上手だから好きでいてくれるとか、
そんなんじゃないじゃないですか。
どんな自分でも、どんな状態でも、
料理がうまくても下手でも、母乳が出ようが出ないが、
子供たちにはめちゃくちゃ求められるんですよね。
お母さんとして。
これは、これこそ子供がちっちゃければちっちゃいほどですけど、
別に子供って、私が母親として、
頑張ってるか頑張ってないか、
仕事と子育て両立できてるかできてないか、
料理がうまいか下手か掃除ができるかできないか、
そういうとこで測ってないんですよ。
どんな状態でも、ただお母さんが好きっていう、
本当にその純粋な気持ちで、
こちらを求めてくれてるわけなんですよね。
それはもちろんさ、料理がうまい方がいいだろうし、
仕事ができた方がいいだろうし、
稼げた方がいいだろうし、
掃除ができた方がいいだろうし、
できることに越したことはないと思うんです。
だけど、だから、それができないからといって、
お母さんのこと嫌いやわ、お父さんのこと嫌いやわ、
っていう感覚では、最初の頃はないはずなんですよ。
本能的に、お母さんを求めて、お父さんを求めて、
親を求めて、
お世話してくれている、そこに対して愛着を持って、
好きだっていう感覚なんですよね。
だから、〇〇だから愛されてるっていうわけでは、
私たちはみんななくて、最初はね。
そこがやっぱり、子供が大きくなって、
子供もいろんな親とは違う価値観を持って複雑になってくると、
そこがこじれてきたりとか、ねじ曲がってきたりとか、
っていうことも全然ある話だろうなと思うんですけど、
だけど最初の最初、子供たちがちっちゃい時っていうのは、
〇〇だから愛されてるっていうわけじゃ全然ないんですよね。
社会での受け入れ
だから、社会に出て、特にどこかの会社に属して、
そこで評価をしてもらって、お金を稼いで生きていくみたいな、
その流れに乗っていると、どうしても自分を条件なしで、
受け入れてあげるっていう機会が少ないから難しいように感じるし、
なかなかその感覚になれないなと思うんですけど、
でも子供たちはもう条件なしで私たちのことをめちゃくちゃ求めてくれているし、
愛してくれているし、
頑張ってても頑張ってなくても、
好きでいてくれるんですよね。受け入れてくれるんですよね。
でも許してくれるしかも。
めちゃくちゃ怒ったりとかしても。
めちゃくちゃ怒ったりしても許してくれてる子供たち見たら、
すいませんってなりますよね。
っていうか子供たちの方が人間できてるなと思っちゃいますよね。
そんなことを大学時代の、学生時代の友達と会って感じてました。
私はその友達がいい意味で変わってないことがすごく嬉しかったし、
本人は変わってないんだけど、
やっぱり社会の荒波に私と違ってきっちりと揉まれてきている子だから、
いろいろ学ぶこと感じること葛藤することあるんだろうなって思ったんですけど、
でもそれにしたってその魅力、その彼女の魅力みたいなものは何も変わってなかったし、
私からしたら大学の時に、この子ほんますごいなとかめちゃくちゃ尊敬できるわとか、
人格が本当に素晴らしいなみたいなふうに思ってた感覚と全然何も変わってないんですよ。
だからそういう意味でも、
学生時代の友達と定期的に会うとか話しするってすごい大事だなと思いましたね。
友情の大切さ
なんかちょっと話逸れるんですけどね、
最近私がコラボさせてもらってる方々って、
結構その学生時代から友達で、そのまま今もポッドキャストしてますみたいな感じの方々の中にポンって入れてもらうことが
最近続いてるんですよ。
それもあって、大学時代、大学時代に限らないですけど、
その学生時代の友達ってやっぱりいいなとか、
この学生時代何もこう、なんていうのかな、
比較的雑念にまみれていなかったあの頃から知っている中って、
やっぱりその空気感って安心感があったりとか、
お互いに信頼し合ってるんだなっていうことが外から見ても分かったりとか、
なんか空気感としてすごいあったかかったりするから、
なんかそういう人たちの中にポンって入れてもらう機会が最近ちょっと続いてることもあって、
なんか友達っていいなっていうところに行きましたね。
男性なんですよ。
私がその収録を一緒にコラボさせてもらっている方々って、
お友達同士、もともとお友達同士でその中に入れてもらうっていうのは、
全部男性のグループなんですよね。
そう思うと、やっぱりこれは男性女性であんまり語りたくないというか、
そこは分けたくないんですけど、
でもやっぱりどうしても女性の方が地元を離れることが多かったりとか、
女性の方がその妊娠・出産とかそこから仕事するのかしないのかっていう風に、
道がたくさん分かれているから、
どうしても最終的には交わると思うんですよ。
また子供を産まなくても結婚してもしなくても、
最終的に交わっていくと思うんですけど、
でもやっぱりそこで道が分かれるから、
なかなかずっと学生時代の友達とずっとみたいなことは難しかったりもするよなって、
私自身も結構思ってるんですよね。
意識的に連絡をするとか、意識的に連絡を続けるとか、
意識的に会うみたいなことをしないと、
女性はやっぱり難しいのかなっていうのも考えたりしてましたね。
でも本当に元気そうでよかった、その友達。
日本に帰ってきてくれて、私は嬉しいなと思ってますね。
ということで、今日は社会に出たら忘れがちなことということについてお話をしました。
条件なしで自分を受け入れるっていう機会が、
社会に出ると少なくなってしまうから、
どうしても自分の背負っている肩書きだったりとか、
自分の持っているスキルとかの方に目を向けてしまいがちなんですけど、
でも実はそんな条件がなかったとしても、
私たちはもうすでに家族とか子供とかに受け入れられている。
受け入れてもらってるんですよね。
めちゃくちゃ愛してもらってるんですよね。
子供たちに求めてもらってるんですよね。
そういうことを考えておりましたので、シェアをさせていただきました。
これまたちょっと違う話になっちゃうけど、
最近、ゆる言語学ラジオでさせていただくっていう言葉について話されてたんですよね。
そう聞いてからね、させていただくっていう言葉をすごく使えなくなってる。
でも私よく使うから、何て言ったらいいんやろって今思いました。
ということで、今日も最後まで聞いていただきまして、本当にありがとうございます。
ご意見、ご感想、あなたのエピソードなどがございましたら、
LINEの公式アカウントにぜひメッセージをいただけたら嬉しいです。
URLは概要欄に貼ってあります。
そして先日ティーチャーティーチャーというポッドキャスト番組とコラボをさせてもらったんですけど、
実はインスタでもティーチャーティーチャーの世界をまわる先生のアカウントでダンスをされてる動画があるんですけど、
その動画と私のコラボもさせてもらっているので、
動画でね、リードでね、ショート動画でね、リミックスっていうのかな、あれは。
とにかくコラボをしているので、ぜひその動画も私のインスタから見てください。
めっちゃくちゃ可愛いので、見てください。
可愛い顔になってますので、ぜひ見てください。
インスタのURLも貼っておきます。
ということで、今日も素敵な一日になることを願っております。