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2024-03-17 27:23

分からなさを生きる 前編 | Kさん(CustomerSupport) with Shin

第六回目のゲストはCustomerSupportとして働きながら台湾で暮らすKさん。留学先の変更やひょんなことから台湾の鰻屋さんからスタートしたキャリアなどKさんの働く話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろうを考えます。


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サマリー

ハタラクボクラの番組では、台湾で働いているKさんがゲストとして登場し、Kさんのキャリアや住んできた場所についてお話ししています。 Kさんは海外生活やうなぎ屋の経験を通じて成長し、新たなキャリアを模索しています。 また、大谷翔平選手のメジャーリーグでの活躍について話し合い、野球のマーケティング戦略についても掘り下げています。

Kさんのキャリア
スピーカー 2
こんにちは、ハタラクボクラです。
この番組は、毎回違う働く人をゲストにお招きして、
働くことについてのお話を時に広く、時に深く聞いていくことで、
働くって何だろう?考える番組です。
今日はですね、今台湾で仕事されている Kさんにお越しいただいて、
お話を伺っていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。
スピーカー 1
こんにちは、こんにちは。
Kです。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
日本生まれ、日本育ちのKです。
スピーカー 2
そうだね。
すごい、だいぶ長い友達なんで、別に普通に喋っていこうかなと思っているんだけど。
最初に、冒頭で2つだけ聞きたいなと思っていて、
質問の1つが、これまでのKのキャリア、どういう仕事の職歴、
仕事の編歴だったかっていうのを教えてほしいなっていうのと、
これまで働き始めてから住んできた最寄り駅、
どんな駅というか、どんな町に住んできたのかなっていうところの2つを
スピーカー 1
教えてほしいなと思っているんですが、まず職歴はどんな感じでここまで来ているんですか?
そうですね、職歴がちょっと特殊で、
大学から台湾の大学に行って、その後にこっちで現地採用で働いてるんですけど、
まず1職目がうなぎ屋で働いてたんですよね。
そこでうなぎの、主にホールスタッフというのは接客でやってたんですけど、
本当にメインでやってたのは、うなぎを焼くっていう仕事をやってて、
実際にそこで修行をして、実際うなぎが焼けるようになって、
消費者様の方に、お客様の方に提供ができるレベルまで1年半ぐらいやってました。
そしてそこを、そのまま続けて自分のうなぎのお店とかやりたいなっていうのももちろんあったんですけど、
ちょっと転職するっていうことになって、現在は、あまり詳しくは言えないんですけど、
決済に関係があるFintechの会社で、今1年半ぐらい働いてるので、
そうですね、合計今3年ぐらい台湾で飲食とそれに付随する決済サービスのシステムの会社で働いてます。
スピーカー 2
ありがとうございます。
いや、なんか乗っけから台湾でうなぎとFintechっていう、だいぶね。
スピーカー 1
情報量多めで。
スピーカー 2
情報量多めで。
そこはかなり気になるところではあるんですが。
Kさんの住んできた場所
スピーカー 2
もう一つが、最寄駅、これも多分台湾の最寄駅になると思うんですけど、何駅に住んできたんですか。
スピーカー 1
そうですね、住んできた駅、それとも駅の会社の近くってことですか。
スピーカー 2
住んでた、なんか暮らしてた。
スピーカー 1
暮らしてた、暮らしてたってことになると、台北駅の1個北にある中山っていうエリアがあって、
そのエリアの中山駅っていうエリアのところに住んで、職場まで通ってましたんで。
基本的にそうですね、臨台本とかもあったり、観光者の人のエリアで、
どっちかというとすごいローカルな場所に住んでたというよりかは、
駅的には観光者の方が住んでるホテルの近くに住んでて、
そこで一人暮らしして、そこで住んでましたね。
2社目の方も、そこからだと、タクシーとかで行くと10分くらい離れてるところなんですけど、
領天宮っていうエリアで、そこも結構台湾の観光地、台北の観光地として盛んなところで、
観光者の方も多いし、そこの近くにあるお店で働いているので、
そうですね、どちらかというとすごい変気な場所というよりは、台北の中心地で生活して、
今もそこ行ったり来たりしてる感じですね。
スピーカー 2
ありがとうございます。中山駅から領天宮駅、台北のわりと中心地で引っ越しはしたけど、
暮らしてるっていう。
スピーカー 1
そうですね。
海外で働きたい理由
スピーカー 2
ありがとうございます。
Kの場合、特になんでこの人は台湾にいるんだっていうところからやっぱり一番聞いてる人も気になってると思うんですけど、
その辺の経緯ってそもそも何だったんですか?
スピーカー 1
本当に流れに身を任せてしまったっていうのが結論になるんですけど、
時系列でいくと、最初はそうですね、高校ぐらいから戻った方がいいのかな。
高校が日本の高校に行ったんですけど、その時に英語科に行ってたんですよね。
そういう経緯もあって、漠然と中高生ぐらいから海外にいつか行って働いてみたいなーとかやっぱり思ってて、
それで理系とかではなく、普通文系理系とどっちか行くっていうイメージだと思うんですけど、
その文系の中でも英語に特化した高校に行ったんで、英語を専門的に勉強して、
その時に僕は英語科にいたんですけど、中国語学科みたいなのもあって、
えー中国語もやってる人いるんだって。
すごい中国語学科を選んでる人は3人ぐらいしかいなくて、そのクラスの中で。
僕は英語科の方だったからその37人の方だったんですけど。
そしてその時から留学生とかもやっぱりいたので、何かいずれ海外行ってみたいなーっていうのはすごく思ってて、
自分もいつか日本出て、まあよくある、何て言うんですかね、若気のイタリーじゃないけど、海外でビッグになってやるっていうような形で思ってました。
その後に大学で人が勤とかもいただくことができて、一回最初アメリカの方に行ったんです。
そこでそうですね、2年半ぐらいいて、途中でまあお恥ずかしい話なんですけども、円安の関係もあり、
ちょっとこう大学、高校、あとまあそのまま続けてギリギリこう卒業するタイミングの時ぐらいまでお金が持つかとか学費が持つかとか、
いろいろやっぱり心配もあって、ちょっと1回休学しようっていう1年間、休学をした時に台湾に来たっていう形なんですよ。
その時はまあ正直なところ台湾の大学に入れる能力もないから、まずは1年間語学学校を通おうと思ってて、
その時に聞いてたらまあ外国人枠っていうのもあって、台湾の大学に外国人を栄養入試のような形で受け入れるシステムもあるということで、
それがあるならこのチャンスを逃すのはもったいないなと思って受け、そしたらやっぱり台湾の大学になんとか、
まあアメリカの大学に行ってたっていうのもあって英語はかなり得意になったので、台湾の大学もその英語が強い学校に行って、
結局それで台湾の大学に行って、そして卒業後は日本に帰国することも考えてはいたんですけど、やっぱりその当時、
このまま日本に帰ってまた海外にキャリアを作るっていうのは逆、日本にいつ帰ることはいつでもできるなと思ったんですけど、
そのまま一回台湾で残って、もしくは台湾以外の国でもチャンスがあれば自分の興味がある領域のことを学べるし働けるっていう貴重な経験だなと思って、
まあ日本に帰るのはいつでも帰れるから逆に言うと、今のうちは海外で生活も、生活というよりはどっちかというとやっぱり海外で働いてみたいなってのがやっぱりその15歳ぐらいからずっと続いてたので、
その流れに身を任せてるっていう感じで、今もうそうですね30になるんですけどいますね。
スピーカー 2
それでいくと、僕は普通にケイと知り合ったのがもう17歳か18歳ぐらいなんで、もう11年12年ぐらいの付き合いなんで、あれなんだけど。
意外とその、なんで海外で働きたいって思うようになったのかって、なんかあんまり聞いたことなかったのかなって。
なんで海外で働きたいと思うようになったのかなっていうのはなんかすごい結構源流な気もしてるんですけど、それってなんでだったの?
スピーカー 1
そうですね、なんか自分の場合は中学校2,3年生ぐらいまでずっと地元で、いわゆるその新学校に行って、
学校の良い大学に行って公務員になるとか良い会社に入るっていうのが漠然と良いものという。
その時になんだろうな、中学校2年生の時に、それも町のプログラムだったんですけど、ニュージーランドの交換留学プログラムの1ヶ月だけ行って、
その時に全く価値観の違う人たち、その時はニュージーランドのオークランドってところに行ったんですけど、
そのニュージーランドのオークランドで、やっぱりなんだろうな、自分とは全く考え方が違ったり裸足で学校の中走り回ってたり、
カルチャーショックな経験があって、そして日本に戻ってきた時に、日本で就職して働いてる人たちがどんよりして見えたっていうのがどこかあって、
もちろんその人たち一人一人もすごい頑張って会社に行って疲れて帰ってきて、そこで疲れてどんよりしてるっていうのもあるんだろうけど、
やっぱり根本的に違うなってその時、現体験として、中に乗ったニュージーランドで感じた、
なんかその、なんていうんだろうな、別に海外がいいっていう意味で言ってるわけではないんだけど、
そのなんかはつらすとした生き方みたいなところに、やっぱり結構衝撃を受けたっていうのもあったり、
もっとこう、人生を謳歌してるなっていうのが正直な気持ちで、
もちろんニュージーランドの方も悩んでることは絶対ある。日本の人だけが悩んでるわけじゃないけど、
そういうところはすごい強く感じて、それがやっぱり自分は、なんかここでこのまま生活していくと、
どっちがいいかなって天秤にかけた時に、まあ簡単な話、海外と日本国内、
海外生活への憧れ
スピーカー 1
じゃあ海外行ってみよう。ダメだったら帰ってこようぐらいのチャンスではいたんですけど、
それがこの15年ぐらいフィットしてるっていう感じで。
その当時はなかったけど、そのノマドな生き方、今ちょっと死後になってるのかな、
そういうのが若干憧れがあり、英語と中国語できれば海外どこでも大体暮らせるのかなっていうところではあり、
スピーカー 2
それがやっぱり現体験になってますね。
あんまりじゃあ、アメリカ時代を含めるとトータル、今何年ぐらいの海外生活になるんだ?
スピーカー 1
12年目に入ったかな、もう。
スピーカー 2
あんまり普段帰りたいな?
スピーカー 1
帰りたいな?そこまではあんまり強くは思わないけど、
やっぱりコロナの期間中3年ぐらいは帰れなかった時期があったから、
その時はちょっとだけやっぱり、日本帰っておいしいご飯食べたいなとかはあったけど、
それよりも今はどちらかというと、台湾からもっと近い東南アジアとかオーストラリアとか、
もうちょっと行けばインドとか、
そういうところに短時間でもいいから1週間ぐらい行ってみたいなっていう、短期間で。
なんか旅行というよりはそこで生活1週間してみたいなっていうところはあるので、
なんか別に今台湾に8年9年いるのかな、9年ぐらいいるから、
逆に台湾にいるのも海外感があんまりないというのもあるんだけど、
やっぱり常になんか違うところに行っていろいろチャレンジしたいし、
なんだろうな、誰も経験したことないことを経験していきたいっていうのはすごく強くあるかもしれない。
スピーカー 2
うーん、そうか。台湾の大学を卒業する時に、
さっきあったように日本に帰るかっていう選択肢も多分ちょっと迷いつつ、
最終的に台湾を選んだと思うんですけど、
うなぎ屋での経験
スピーカー 2
なんかその時になんでうなぎ屋さんを選んだんですか?
スピーカー 1
最初はもともとは映像制作とかそっちの方に行きたいなっていうのが思ってて、
その当時からYouTubeを少し動画編集とか撮影とかしてたから、
なんかYouTubeの映像とかTikTokの映像とかを通して、
発信活動の事務所みたいなところに入ってそこのサポート入ろうと思ったんですけど、
そこの企業でちょうどその内定の取り消しではないですけど、
インターン制を本当は募集してたのに、HRの人が間違って本配属を探してたというので、
ちょっとズレがあり、あ、君インターンじゃないの?っていう話から、
それでちょっとこういきなりその手職活動も方向性が変わり、
その時に、まあよくある話かもしれないですけど、
ちょうどうなぎ屋さんでアルバイトをしてたっていうのもあり、
そうするとそっちの社長さんから、ちょっとうなぎ捌いて焼けるようになれば、
海外で今後暮らしていく時にやっぱり5泊以上に生きてくるものになるっていうことを自分も感銘を受け、
そして実際なかなかそのうなぎとかお寿司屋さんっていうので、
海外で最初からキャリアを築くっていうのはなかなか難しいっていうのもあるし、
そういう意味では最初の経験としては、これもやっぱり希少性ってところに飛び込んだっていうのもあって、
やっぱりなんかじゃあ英語、中国語できて、もう一つ何か力があればいいなっていうのはすごく感じて、
その時に、そうだな将来的にうなぎ捌けて焼けたら本当にいろんなところで働けるな、
自分のお店を持つ以外でも、雇われても違う国に行きやすいのかなっていうところで、
自分に武器を持とうとしたのはやっぱり本音かなっていうところで、
やっぱりなんか面白いなと思ったらそっちに動いてしまうっていうのが自分の今までの生き方だなっていうのはちょっと思います。
スピーカー 2
そうか。
でも、うなぎ屋さんで一生懸命働くって聞いた時に、すごいかっこいい選択だなっていうのは結構思った記憶があって、当時。
正直言って、あんまり海外の大学に行った後で、飲食業という道で自分の職に手をつけようみたいなのってあんまりイメージがなかったから、
あとシンプルにうなぎ捌けて焼けるのいいなっていうのも何か思ったんですけど。
スピーカー 1
そうだよね、やっぱり。今もうね、1年以上離れてるから、あんまりできないかもしれないから、またね、修行しないといけないと思うけど、
基本的なことはできるっていうところまで。
スピーカー 2
うなぎ屋さんで働く中では、どういうところが面白いなとかってありました?当時。
スピーカー 1
やっぱり結構繁盛店だったので、並んでる人たちが帰ってくるときにおいしかったよって窓越しに行くってしてくれるところの達成感っていうのはすごく感じたし、
やっぱりそうだなと、いろんな人が携わってこういうビジネスってできてるんだなっていうのを肌で感じれた。
例えば一つ撮ってみると、座ってた調味料のお店、調味料を作ってる方々の人たちとか、器を作ってる人とか、
いろんな、今まで自分がお店に行ったときとかレストランに行ったときに気づかなかった領域って結構いっぱいあるんだな。
氷屋さんがいたり水道設備の人がいたり、もちろんパッと思いつくのはうなぎ、ご飯、そして大屋さんがいてそっちにお金を払ってとか、
そっちのその流れっていうのはなんとなく消費者でもわかるけど、実は裏を返せばすごい手間暇かかってるし、
これってうなぎだけじゃなくてハンバーガー屋さんでもそば屋さんでもお寿司屋さんでもどこでもやっぱそうだと思うけど、
それに対して正しい対価を自分は払えるような人間になっていきたいし、
安いものに飛びつくだけじゃなくて、やっぱり丁寧な仕事をしているとこはそれだけおいしいし、それだけコストもかかってるし、
そういうの裏側から見れたっていうのは何よりも今後生きていく上でいい経験になったなっていうところと、
物事を見るときに裏側というよりは朝早くから仕入れをして、朝早くから準備をして、
俺らが食べる時間には11時半とかかもしれないけど、朝早くからの準備とかもあるから、
職人さんとか飲食業じゃない領域にもすごくこれを作ってるのはすごい労力がかかってるんだなっていうのは裏側を見るようになって感じたので、
それはすごいいい経験だったかなと思います。
スピーカー 2
たしかに、その話を聞いてみると、ちゃんと良いものをこだわって、もちろん全部ではないのかもしれないけど、
こだわりたいものはちゃんとこだわって、それに対価を払うっていうのは、
昔日本に僕のように遊びに来たときにも、コーヒ屋さんでコーヒー豆買ってたな。
スピーカー 1
あ、そうだったっけ。
スピーカー 2
そうだね、結構通停してるなっていうのを今聞いてて思ったな。
スピーカー 1
そうだったね。
海の近くで買ったね。
スピーカー 2
買いましたね、湘南でね。
スピーカー 1
たしかにね、それはなんだろうな、今のやっぱり、
これ社会とか言ってるら、ちょっと社会学的な感じになってる。
やっぱり簡単に手に入って楽に安くとか、そっちの方にみんなは行きがちだし、
俺ももちろんコンビニでコーヒーも飲むし、おにぎりも食べるけど、
でもやっぱり冷静になったときに、これでいいのかなって思うときとかもあって、
その裏のタクシーされてる人とか、それができるってことはそれだけ何か裏があるわけだから、
やっぱ適正価格っていうものに対してはすごい敏感になったかなと。
スピーカー 2
ある種自分で提供する側として働いたからこそみたいな。
スピーカー 1
そうそうそう。
スピーカー 2
ありがとうございます。
そこから実際に、なぎやすさんで最初どれぐらい勤めてたんだっけ?
スピーカー 1
アルバイトの期間を入れると2年ぐらいなんですけど、
そのビザをいただいて正社員で働いたのは1年と、そうですね、8年ぐらいですね。
スピーカー 2
なるほど。
それで今その2社目が、2社目に転職したタイミングで台北駅から行天宮駅に引っ越したんですか?
スピーカー 1
そうですね、引っ越したというよりは通ってるので、引っ越しはしてないですけど、通ってるって感じです。
なるほどなるほど。
スピーカー 2
その、ある意味アルバイトから続けてきたうなぎやさん。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
2年ぐらいのタイミングで転職して次のチャレンジをしようって思ったら、どういうきっかけがあったんですか?
POSシステムへの興味
スピーカー 1
そうですね、きっかけとしては、その時に、正直昔からなんですけど、
決済って結構多様性が最近増えてきてるなってのが、自分もそのキャッシャーのところに立ったと思ってて、
それこそQRコードの決済やICコード付きICカードとかゲストカードの決済とかいろいろ増えてきてるので、
なんかこのPOSシステムって言うんですけど、そのPOSシステムって何でこの10年ぐらいで一気に流行になったんだろうなってやっぱり思ったときに、
やっぱりどこかスマートフォンの普及、みんなが各自手元にあるインターネット端末を持っているということで、
それこそApple Payとかどんどん普及してきて、もう最近はそういう決済系が、
この勢いってやっぱり自分でも体験してみたいなっていうところで、そういう会社をちょっとずつ調べてはいたんです。
で、今自分が入っているところがそのシステムの一応かなり大きなところだったので、入ってみようってそれも勢いで入ったんですけど、
やっぱり自分がやってて、すごい知らなかった世界ってやっぱ広いんだなっていうところで、
いろんな加盟店様と働いて一緒にやっているので、飲食でまた得た知識ももちろん活かせているし、
それ以外のその接客業だったり、そちらの方が活かせているので、自分としては結構連続性があるなっていうふうに思っていて、
そうですね、先ほども言ったようにやはり興味の赴くままに動いてしまったっていうのがあって、
ちょっと短いキャリアではあったけれども、転職をしてしまったというような形ですね。
スピーカー 2
確かにそっか、もともと今決済のFintechの会社でお客さんにあたる、直接対峙する人たちの立場が自分の一社目の時の立場に近いから、
より何を考えるかとか。
スピーカー 1
困っていることも分かるし、やりたいことも大体見えてくる企業で、例えばこういうの見たいんですよねっていうときに、
そうですね、その場合じゃあこういう設備が必要ですねということを言うときとかにも、
マニュアルだけの対応ではなく、やっぱり自分の経験をもとにした、本当に加盟店様のことを考えるとこうしたほうがいいんではないですか。
加盟店様の消費者様のことを考えるとこういう動線のほうがいいんじゃないですかっていうことを提案するというよりは結構役に立っているかなと。
スピーカー 2
どちらかというと、そのもう実際に導入をしているお客さんからのトラブルだったり困ったときに問い合わせが来て、それを対応するっていう感じ。
スピーカー 1
どちらかというとそっちが多いんですね。
Kさんの経験と過去
スピーカー 1
あと2、3割は新規で、今後使っていったらどうしたらいいですか、全くわからないベースから実際に使えるようになるまで。
スピーカー 2
さっきちょっと聞いてた話でいくと、お客さんは日本の人からが多いけど、今まで英語を使う機会もあって中国語を使う機会もあるんですか。
スピーカー 1
そうですね。社内的には全部使いますね。英語、中国語、日本語全部使うので。
そうですね。日本語の割合が少し高くはなってはいるんですけれども、その場では結構中国語もやっぱり使うんで。
そのときに通訳もしたり、社内の。
全て今までの経験が全部一致しているっていうのはありますね。
スピーカー 2
まさにだなと思いましたね。アメリカで、そして台湾で留学して、日本人として。
ベンリアみたいになりました。
スピーカー 1
簡単に言うとベンリアになった。
スピーカー 2
3カ国語できる人いればそれはベンリアにもなるだろう。
スピーカー 1
僕それはそこまで苦ではなくて、人から頼られることはあんまり嫌いではないというか好きな方なので。
やっぱりそういう形で。
あと即時レスポンスするっていうのはすごく最近心がけ出て。
なるべく返信は早く、正解は早くっていうところで。
できないっていうときでもできるまでちょっと10分かかるんで待ってもらえますかというような形のレスポンスをしたり。
やっぱりレスポンスが早い人っていうのはすごく大事だなって思います。
スピーカー 2
ありがとうございます。
そしたらまずは前半、このけいが台湾に行ってから、学生時代から。
うなぎ屋さんを経て今の会社でのお仕事っていうところまで伺ってきたんですけど。
後半はもうちょっと台湾っていう町に暮らして働くっていうことがどんな感じなのかとか。
あと結構ずっとYouTubeで動画を撮ったりもしてると思うんですけど。
その辺の話も一緒に聞いていけたらなと思っています。
じゃあまずは前半はこの辺で。
引き続きお願いします。
はい、ありがとうございます。
27:23

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