ココ・シャネルの背景
おはようございます。蜜のあじ子です。 今月も科学系ポッドキャストの日に参加することにしました。
8月のテーマは、女性の活躍。 私たちが今、社会で活躍できている
その背景には、 たくさんの女性の先輩方の活躍があったんじゃないかな?
って考えてます。 香りに関わる
大活躍した女性 といえば
今回のテーマは ココ・シャネル
シャネル、知らない人はいないと思うんですが 世界で最も売れた香水
No.5を世に出した フランスのファッションブランドです
その創始者の ココ・シャネルこと
ガブリエル・シャネル 12歳で母を亡くしたガブリエルは
行商人だった父に捨てられて 孤児院で暮らしたそうです。
日曜日ごとに もしかしたら父親がやってくるかもしれない。
そう思い待ち続けたのですが 一度も父親に会うことはなかったようで
「日曜日は 大嫌い」
そう語ってたそうです。 18歳になり孤児院を出て
お針子として働くようになったシャネルは 歌手を目指してカフェで歌うようになり
その時の持ち歌が 「ココを見たのは誰?」
という曲で その頃から
ココというあだ名が定着したようです 。ただ人気者ではあったようですが
そんなに歌は上手ではなかったので 大きな舞台のオーディションを受けても
仕事を得ることはできなかったようです。 その頃資産家のエティエンヌ・バルサンと出会い
彼と生活する中で シャネルのデザインの基礎が
シャネルのデザインと復活
生まれていくんです。 当時のフランスの女性たちは
窮屈なコルセットに 足の見えないロングスカート
飾りのついたつば広の帽子をかぶり とても実用的とは言えない格好です。
シャネルにとって 乗馬や自転車に乗る際は
こんなもの着てられない ってとこだったんでしょう
自分の体型に合わせて 仕立て屋にズボンを作るように頼んだんだそうです。
その後 バルサンの家に出入りする女性たちのために
帽子をデザインするようになり バルサンの友人アーサー・カペルに資金提供してもらって
初めてのブティックを開業します 。その後
女性たちを開放する つまり
動きやすい 働きやすい洋服を作ったことは
あまりにも有名です 。そのきっかけは
第一次 第二次
2つの世界対戦です 。第一次世界大戦の時は
資材がなくなったために サテンやレースではなく
ジャージ つまりニットを使った
ドレスを考案し 動きやすい 活動しやすいデザインは
多くの女性たちに支持されることになります 。そして第二次世界大戦
実はドイツナチスの諜報員として シャネルの名前があったそうです。
告発され逮捕されるのですが 数時間後に開放されて
その後スイスへと亡命します。 この開放劇には
イギリスのウィンストン・チャーチルが関わったとも言われています。 15年後
フランスのファッション界に復帰するんですが
70歳を超えた シャネルの作るデザインは
古臭く 見向きもされなかったそうです。
しかしここからシャネルは復活します。 1956年
シャネルスーツの発表です 。襟なしジャケットとひざ丈のスカート
今や女性のスーツとして定番のデザインになったこのシャネルスーツは 彼女のポリシーである女性の自立と自由
男性に媚びない ストレートでフォーマルなデザインです。
女性が活躍するために 生まれたスーツ
と言っても過言じゃないと思います 。今回話すにあたって
映画を2本見ました。 一つは
「ココ・アヴァン・シャネル 」アメリで主演した
オドレイ・トトゥーさんがシャネルを演じてます。 もう一本は
「ココ・シャネル 時代と戦った女」 晩年のシャネルも出演してます
ドキュメンタリーです 。どちらを見ても思うのは
女性としてその時代 自分の境遇と戦う
シャネルの姿に圧倒されます。
できれば一緒に働きたくない そんなタイプの女性です。
しかし彼女の 作る服には
女性らしい優しさや可愛さもたくさん詰まっているような 気もしてます。
シャネルスーツ いつか本物着れる日が来るのでしょうか?
ハジメテアロマは香りのサブスク連動型ポッドキャストです 詳細は概要欄をクリックしてみてください。
#科学系ポッドキャストの日 今回は
サイエントークさんが取りまとめてくださってます たくさんのポッドキャストが
同じテーマで話しています ぜひ聞いてみてください。
お相手は蜜のあじ子でした シャネルNo.5の話は次回する予定です.。
お楽しみに!