センスの哲学について考える(ダイチさんゲスト回:中編)です。
【今回の内容】
センスのあるテーマ/センスとは何なのか/言語化からの逃げ/ステルスマウント/身体的なセンス/先天的と後天的/インプットとアウトプット/ヘタウマの美学/生き別れの兄弟を探したい/コンテキストデザイナー不足/AIと欲望/かたよりフェチ/課題と問題の違い/理想像の設定こそが人間の仕事/見ている問題が違う問題/対話とコンフリクト/偶然の産物
◆センスの哲学
◆センスは知識からはじまる
【パーソナリティ】
とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。
ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。
【番組へのお便りはコチラへどうぞ!】
https://forms.gle/zGGArQTnfGuKY6Pj9
※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。
サマリー
「センスの哲学」に関する本が紹介されます。その本は、センスに関する理解を深めることができます。センスの哲学に関するエピソードが放送されています。センスの意味やアウトプットとインプットの関係、そしてヘタウマの概念などが議論されています。コンピューターと人間の違いについて考えられています。コンピューターは0と1のペアに還元される情報を処理し、全く同化しています。一方、人間は二項対立によって処理し、個人のらしさや色を出しています。問題と課題の違いや、理想像の設定についても議論されています。また、さまざまなトピックが取り上げられ、ダイチさん、ハイレベル、合意、戦争、平和、国、利益、対話、目的、白米FM、ディスカバー、コンフリクト、バンド、お金、などに焦点が当てられています。
センスについての背景
じゃあ、今回の本題ということで、センスについて。まず、なんでセンスなのかっていうところですよね。
これは、ダイチさんに何か話したいトピックとか、問いとかありますか?って話をディスコードしていて、
ここで上がってきたのが一つ、センス。この本どうですか?という提案をいただいたと思うんですけど、
これは何か、どういった背景とかあるんですか?何か関係している出来事とかあります?何でこの本に出会ったかとか。
これもシンプルに書店で見つけて、ちょっと気になったってだけなんですよね。
多分、ちょっと哲学系の本を探してて、これ、たぶん哲学のコーナーにあったんですけど、
なんかちょっとその辺の本読みたいなと思ってて、ふらふらしてて、センスの哲学か、センスか、みたいな。
先にセンスの哲学を見つけたんですかね? そうです。で、ちょっと、たぶん、これ新刊だったんで、平積みされてて、
気になるなぁと思って、で、その時は手にも取れずに、タイトルだけこう自分の中にインプットさせて、
帰ったんですよ。センスの哲学って本あったな、ぐらい。 で、その後、インスタだったかな?インスタで感想をあげてる人がいて、
結構、あの、近しい人で、ああ、あれ気になってるって思って、 なんかで良かったようなことを言ってたんで、ああそうなんだと思って。
で、センスってテーマ話すと、結構いろんなとこに飛びそうだなと思ったんで、テーマとしてもセンスっていいなぁと思って。
あと、あのもう一冊ちょっと紹介させてもらったんですけど、あ、ちなみに今話してるのは「センスの哲学」という本で、千葉雅也さんが書いた本、文芸春秋から出ていますね。
なんかそのちゃんと出版社も言うあたりがなんかプロっぽいなぁと。
空飛び猫で言い慣れてる。
ちなみに千葉雅也さんは、あの、えーと、何でしょうね、哲学者なのかな?
センスの哲学の紹介
小説も書いてて、えーと、そうなんですよね、文芸新人賞とか取ったりしてる方なんで、結構多彩に、マルチに活動されていらっしゃる方ですね。
あともう一冊、すごい昔、これ今そう思ってみたらめっちゃ昔、めっちゃでもないか、10年前の本ですよね。
えーと、「センスは知識からはじまる」という、グッドデザインカンパニー代表の水野学さんの本ですね。
2014年に初版が出てますね。ちょうど10年前だ。
確かに。
で、これは、当時、えーと、職場の先輩に勧められて、か、もしくは借りて読んだんですよね。
多分。
で、あー面白いなーって、その時思った記憶があって、で、今、今回ちょっと読み替えしたんですけど、
あ、そうそうそう、こういうこと書いてあった、みたいな感じですね。
っていうところで、ちょっと2冊、同じようなものを読み比べてみたら、センスとは何かが見えてくるんじゃないか、と思ったんですが。
すごい面白いテーマだなーって思いましたよ、センスって言った時点で。
センスあるなーって。
そうそうそうそう。
センスあるなと思った。
このテーマ。
いやでも、なんかセンスは知識から始まる、読んだ時に思ったんですけど、やっぱセンスって、難しいなって思ったんですよね。
はいはいはい。
こういうふうに、こういうふうにすれば、センスって、あ、これどっちもそうなんですよね、センスって身につけられるよっていう話なんですよね。
一応どっちも。
でもアプローチが結構違ってて、なんか、あ、そう、センスは知識から始まるは、結構手段とか手法によってる感じで、
センスの哲学はなんかそもそものスタンスみたいな感じだなーってちょっと思って今回ちょっと読み比べましたね。
はいはいはい。
どちらもセンスは、まあ、良くなると。
身につけられるっていうやつですよね。
それを聞いてどうですか?同意ですか?センスは良くなるものだ、身につけられるものだみたいな。
これはでもなんか、究極、究極、やっぱり芸術家って呼ばれる、天才肌だと呼ばれる芸術家の人ってやっぱ存在はすると思ってるので、
限界はあるなと思いました。どっち読んでも。
そうですね。
このレベルまでは誰でも到達できるかもな、みたいなのはなんとなく多分思ったんですけど。
なんかでもそれ聞いて、僕の感覚のセンスって、大半の人が到達できるなーみたいなまでをセンスがカバーしてて、
本当に一握りの、例えば大谷選手みたいな、一流とか、本当に一握り、世界で一人とかのレベルになる人を、
あの人はセンスがあるっていうかどうかっていうと、僕はなんかもうセンス以上のものがあって、なんかもう卓越してるみたいな。
っていう、なんか音楽家でも美術家でも、そういう風に突き抜けてる感じで、
どっちかというと、普通の8割の人がこのくらい上手くなるぐらい、そこに到達できるのがセンスあるよねと。
大体いいよねみたいな感覚で僕は結構使ってたんですけど、どうですかね、センスっていう言葉のニュアンス?
あーでも確かにそうですね。
同じ土俵に立てるか立たないかって考えたら、ってことっすよね。
そうね、プロに対してセンスあるとは言わないですよね。
言わないかな、やっぱり。
言わないと思う。
センスがあったからあんなに二刀流というかできたんだよとか、メジャーリーグに行けたんだと言わないかな、やっぱり。
俺が一つね思ったのが、誰々が、例えば「彼はセンスがあるね」みたいなことを言う人って、
自分が言語化できないけど、なんかいいなと思ってるものを、なんかごまかすじゃないけど、
曖昧に言いたい時にセンスがあるみたいなことを、何て言うかな、曖昧、何て言うんだろうな、逃げなんじゃないかなと思ったんだよね、センスがあるっていう表現は。
あともう一個思ったのが、例えば彼がセンスがあるねみたいなのって、誰か他者がいいアウトプットをしてるのを、
センスの定義とニュアンス
俺は感じ取れるんだぜっていう自分のセンスを誇示してるんじゃないかなと思った。
それはめっちゃわかるし、
それはいい時も悪い時もあると思ってます、私は。
やっぱりその業界にめちゃめちゃ詳しい人とか、その領域にめちゃめちゃ詳しい人が、彼はセンスあるって言うと、もうなんかめちゃめちゃいいじゃないですか、たぶん。
一言で言うといいっていうことを表してるんですね、いろんな例を見てきた上でのいいだから。
なるほどね、確かにそれはあるな。
でもこれセンスは知識から始まるに書いてあったんですけど、そのこと確か。
知識が深い人が、あの人センスあるよねっていうのは、めちゃめちゃ裏打ちされたものがあるよねっていう。
あるよねって。
そういうこと?
そういうことも書いてあったんですけど、まあでも、それはなんかすごく感じますね。
でもなんかその、ちょっと遠い存在として、ああ彼はセンスがいいからねみたいなニュアンスになっちゃうと、ちょっとなんか逃げだっていうのはわかりますね。
よくわかってないことなんだけど、センスっていうことを使ってる時っていうことですかね。
ああそうそうそうですね、自分もわかんないけどみたいな。
うまく明確には言語化できないんだけど、なんかいいなって思ってる。
時にセンスがあるみたいな表現をするのかなーって思ったかな。
なんかお二人にとってこう、センスって今、ヒロさんちょっとその大谷選手みたいなものはもうちょっと、
センスを超えたものがあるっていう感覚を持たれてると思うんですけど、なんかセンスって、
質問を変えるとセンスはどこまでカバーしてるもんだと思ってます今。
どこまでカバー。
どこまでカバー。
どこまでカバーっていう意味があれ、ちょっと誤解してるかもしれないですけど、
なんか僕がこの本というかこのタイトルを見て最初に思ったセンスって、
この本で書かれていることちょっとずれてるなーって思ったんですよね。
なんか、例えばセンスって、この二つの本だと割と美術とか芸術とか、
なんていうんですかね、どっちかというと頭の中で起こっていることにフォーカスされていて、
僕はもうちょっと広い意味で、身体的な部分もあるなーって、
だからたぶん大谷選手とか野球を出したりしたのかなと思ったんですけど、
体がうまく頭とリンクして思うように動かせるとか、
スポーツとかを例えばある種目をやろうって言った時に、
なんかその一番大事な肝みたいなのをすぐ分かって、
そこを理解して体が動かせるとか、勝つためのポイントは外さないみたいな、
なんかそういうのもセンスだなーとか思ってたんですよね。
だから割とセンスっていうと、何かに引き出ているためにいろんなTIPSがあって、
その一番大事なトップ3みたいなのを割と早く見抜いて、
無意識、もしくは意識的にそれを習得できて、できてしまうっていう状態なのかなーって、
僕は思ってたんですよね。
それが答えになっているんですかね?
カバーっていう話になっていますか?
でも捉えている感覚はすごい分かりました。
ダイチさんのイメージ的にカバーしているっていうのはどういう感じなんですか?
今なんか自分はやっぱりなんか、個人的になんかその天才みたいな人っていうのを、
圧倒的なセンスがあるっていう感覚で捉えてたんですよ。
で、ヒロさんの話を聞いて、
そうか、そこはまたもう土俵が違うんだっていうちょっと考えに今至ったので、
ちょっと今揺らいでますね。どこまでなんだろうみたいな。
でもその、なんか努力でカバーできるもの、例えば、
後天的に、後付けでカバーできるものと、
カバーできないものってあるよなーと思ったりしていて、
そこって何だろうって今ちょっと思ってます。
ダイチさんの中で、後天的にできないものがセンスなんですか?
もう思ってたんですけど、でもこの本によると、
どうやら違いそうだっていう感じですね。
とよだくん的に時にはどう?センスとは。
僕的には、センスっていう言葉は、
感じるとかっていう、感覚とかっていう意味だと思うので、
どれだけのものを細かく決め細やかな情報をインプットできるか、みたいな力?
なのかなーと思ったんだけど、
さっきの大谷選手とかっていうのは、
なんて言うんだろうな、インプットじゃなくてアウトプット?
アウトプットの方がなんか卓越しているものを出す人のことを、
センスの意味とアウトプット・インプットの関係
センスがいいって言ってるような気がして、
アウトプットの方なのかインプットの方なのか、
どっちなんだろうなーと思って、
センスがあるっつってんのは、
アウトプットの話なのか、インプットの話なのか、
どっちなのかなーっていうのがちょっとわからなくなった。
なんか絵を描いて、センスいいねーみたいな。
それはアウトプットではない?
アウトプットが良かったら、センスがいいってことなのか?
いや、でも感じ取る力も相当重要ですよね。
インプットの。
正しくインプットする。
感じ取る力のことを褒めてるのかな、センスがあるっつってんのは。
いやー両方だな。
両方だと思うね。
作ってプロセス自体どっちもやってるしね。
描きながらインプットして、描いて、インプットしてっていうのをやっていて、
だからどっちかには寄らないんじゃないかなとは思ったけどね。
どっちも。
例えばなんかめちゃめちゃすごい決め細やかに感じ取ってる人でも、
それが表現できなかったら、
その人はセンスがあるっていう風に評価されないんじゃないかなと思って。
そうだよね。
だから人が評価できるのはアウトプットされたものしか評価できなくて、
アウトプットされたものを見てセンスがあるなしみたいなことを評価するんだが。
そうですね、確かに。
なんだろう、インプット。
センスがあるかないかって人のパーセプション、
だから人の評価でしかないよね。
自分はセンスがあるかどうかを決めるもんじゃないってことだよね。
確かに自分じゃ決められないですよね。
自分では決めないと。
で、相対的に決まるもの。
いくつか他の人とかと比べて、データポイントがいっぱいある中、
なんかちょっといい方、ある軸を取っていい方に入っているみたいな、
ヘタウマの概念
こういう評価が下っているのかな。
なるほど。
でもさ、面白いのが、この哲学の方でヘタウマの話があったと思うんですよね。
はいはいはい。
これがだからこの本の面白いところかなと思って、ヘタウマでいいんじゃないかみたいな。
ヘタウマの定義としては、
音楽とかを、例えばピアノとかバンドとかでプロを真似をしようとしているんだけど、
どうしても基本からずれているみたいな。
真似しようとしているけど到達していない、どうしようもないギャップみたいなのがあるんだけど、
それは自分の持っているもの、能力とか特性から生まれてしまっている歪みというか差分であって、
それをでも肯定しようよと。
それには意味があるわけじゃないというか、そこに評価をしようとするんじゃなくて、
それを受け止めて、その行為自体楽しければいいんじゃないかみたいな。
そういうヘタウマ、ありのままを受け入れるみたいな。
なんかそういうのを提唱しているんだよね、確かこの先生。
白米FMの創造とオリジナリティ
そうですね。コピーをするんじゃなくて、不十分な再現性化っていう表現しているとか。
そこでね、俺思ったのがさ、この白米FMってもともと超相対性理論をモデルにして始めたんだけど、
その超相対性理論を再現しようとしてもできないんですよ。
だからそれを再現しようとすると、僕はヘタになるんじゃないかなと思って、再現しないっていう選択をしたんですよね。意識的に。
結局的に肯定したわけね。
そうそうそうそう。で、それが多分こうそうして、ヘタウマの方に、
ヘタウマだよね。
意図してなかったんだけど、ヘタウマの方になってんじゃないかなと思って。
本当では同じことをメモったよ、僕も。これヘタウマって出てきた瞬間に、これは白米FMのことだって。
そうそうそうそう。
なるほど。
例えば超相対性理論みたいにやっちゃうと、なんかこう変な感じになるって、なんていうのかな、不自然な感じになるって思ったんですよね。
うーん。
なんかぎこちない感じ。
確かに。
それを意識しすぎると。
それをしないようにっていうことを意識してやって、なんかそれがうまくいった例なのかなと思ったんだよな、この白米FMが。
なんかここはわかるなと思った。
あーなるほど。
ダイチさんの文学ラジオとかペアリングトークって、そういうモデルって言うんですか?もともとそういうのってあったりしたんですか?
いやー、多分ない。
ない?
ない。
ペアリングトークはまずない。
ない。で、文学ラジオも、なんか俺リサーチとか全くしなかったんですよね。その時。やる時。
台本のフォーマット作ったの私なんですけど、だいたいこの順番で話しましょうみたいな作品に。
それはいろんな流れを経て今も変わり続けながら多分やってるんですけど、モデルはなかった気がする。
なるほど。
ポッドキャストは聞いてたんですけど、いわゆるコンテンツ紹介系のポッドキャストってそんな聞いてなかったんで、結構自分で考えましたね。
自分たちのやってるポッドキャストを積極的に肯定するみたいな過程はあんまりなかった感じですか?
モデルとかベンチマークがあって、その差分が気になって、これでいいのかみたいな葛藤というか、そういうのはあんまりなく、本当に自分から出たものを出し続けてる感じなんですかね?
多分そうなんでしょうね。あんまり意識してないってことはそうですよね。
でも細かいところでめっちゃ気になりますよ。あのポッドキャストここがすげーなーみたいな。こういうふうに紹介すればいいのかとか。
作品か本紹介してるコンテンツっていくつかあると思うんですけど、ポッドキャスト以外にも。そういうの見ながら参考にしたりする瞬間はありますね。
なんかそのいわゆる模倣していたがゆえに、模倣しきれないことを肯定するみたいな過程はなかったかな。
そもそもなんか文学ラジオはもう30点でもいいからやりましょうみたいなとこから始まってるんで。
だからあんまり他を気にしたいかもしれないですね。でもそういう意味ではヘタウマでいいかなっていうとこか。
だから我々もそのきっかけは超相対性理論だけど、超相対性理論に寄せようとしてやってるわけじゃないので、なんかフォーマットだけちょっと借りてきたみたいな感じだから。
まあでもダイチさんと同じなんじゃないか。その自分たちしか見てないみたいな。その別に外部の何かと比べてどうとかっていうのは全く考えてないので。
まあそうですよね。おそらく超相対性理論をパクってるっていうか、模倣してる番組って結構ある気は、探せばある気はするんで、その中での順位とか絶対気にしないですもんね。
何だろう、差分?
むしろそういう番組俺もいっぱい聞きたいなーと思ってて。
ありそう。
こういう方向でやるんだみたいなのがちょっとすごい興味ある。
いやーあれはすごいよ。
ちなみにそうだこれもダイチさんに聞いてみたかったんですけど、
白米FMがもっとこうした方がいいんじゃないかみたいな感じのところ?
例えば超相対性理論と比較して、ここがちょっと白米の足りない部分だなーみたいなところを感じる部分とか、
もっとこうなったらいいんじゃないのかみたいなのがあったりします。
それで言うと毎回聞いてて思うのは、
だいたい一つに対して3回分けてるじゃないですか。
だからやっぱ2回目3回目の時にやっぱその冒頭に超相対性理論で言うとこの渡邉康太郎さんがやるまとめがあるとめちゃくちゃわかりやすいなって思うんですけど、
あの能力を持ってる人はそういないんで。
前回話した話をまとめて、こうだったよねと。
そこからの続きをこれから話すんだよっていうのを伝えられる力ってことですよね。
そうですね。あれすごいですよね。
そうだよねー。僕もそう思いますよ。
でもそれはねー難しいんだよなー。
でもあれに近しいものはなんかあるといいなーと思うんですけど、
それがもしかしたら白米のオリジナリティを持っていける部分なのかもしれないですよね。
逆に。
なんかあれに変わる要素で、
あれって一週間空いてる間にリスナーはやっぱ忘れるじゃないですか。
そうですね。
何の話したっけなこの人たち。
そうそうそうそう。忘れますよね絶対に。
康太郎さんが最初に全部言ってくれるから、あ、そうだったんだろうじゃないですか。
あれはあの要素がなんかうまく、あの機能、要素を入れられたら強いっすよね。
なるほどー。
頑張って振り返ると、2人で。
でもなんかそこにコスト使うのまたちょっと違うわけでしょきっと。
そうなんですよ。流れをぶった切りたくないですよね。話してる2人のピンポンのラリーを
ぶった切りたくないので入れてないんですけど、
もしくは後から後取りとか、なんかそういうのでももしかしたらいいかもしれないですね。
まあまあそうですね。
話の流れはぶった切らずに後からなんかちょっと振り返ってちょっとまとめるみたいな。
なるほどねー。
ありがとうございます。
いいっす。
ちょっとセンスの哲学の話に戻すか。
はいはいはい。
個人的にちょっとセンスの哲学を読んでて、ちょうどあの白米FMの欲望回のときに
AIの欲望の話してたじゃないですか。
ありましたね。
でこれで0と1の話が出てきたときがあって、すごいとよださんのこと思い出したんですよね。
0と1?
どこだろう。
リズムの話がこれ結構多いじゃないですか。
リズムで捉えてて、0と1っていうのでリズムを作るとしたら、
まあ情報なんでもいいんですけど、
ChatGPTとかAIは0と1があったときに0と1って情報しか、
というものしかただ見なさないと。
でも人間はこの0から1に対して意志みたいなもの、力、引力みたいなものを感じるようなことを書いてあった。
209ページかな。
センスとアンチセンスのくだりで。
はいはいはい。
第八章ですね。
コンピューターと人間の違い
コンピューターには反復の必然性が重要だみたいな話があって、
主体性か。って話になっていて、
コンピューターは全ての情報が0と1のペアに還元される。
そのとき0と1は全く同化であり、0において無とか決定の意味などないと。
でも人間においては二項対立で処理していて、
そこに生きようとする向きと関係する何らかが偏りがあり、
っていうところですね。
これがコンピューターと人間を分けてるんじゃないかって話になっていくのかなと思って。
はいはいはい。
この間もAIが欲望を持つのか持たないのかみたいな話をされてたと思うんですけど、
繋がるなーってちょっと思ったんですよね。
ここをとよださんがどう読んだかはちょっと気にはなったというところですかね。
AIでも必然性、反復の必然性...
はいはいはい。
これ前しおくんとAIの回とったときに、
GoogleのビジョンからGmailを出してくるときには
何らかの人間の偏りとかがないとそんなの出てこないじゃんみたいなことを言ったのと
もしれないなーと思ったんですけどね、これ。
あとは何かよくとよだくんが言うのが、
人間はやっぱ偏りがあってその人らしさが出るみたいなことを言ってるような気がするんだよね。
こだわりとか。
人間らしさがどこからくるかっていう話で言うと、
この人が言ってる0、1っていうのが等価じゃなくて、
0の方に偏ってたり1の方に行きがちとかそういう揺らぎとかが、
それぞれ個人のらしさとかを出してるんじゃないっていうので繋がってるかなーとは思ったね。
そうそうそうそう。そうですねそうですね。
何かそこが僕すごい好きなんですよね。人間の偏り的なところが。
それが何かその人の色を決めるような気がしていて、
何かね、その0とか1とかって何か白黒っぽいんですよね。
モノクロ?
じゃなくて偏りがあると、
そこのそれが何0と1じゃなくて何か色がついてる感じがして、
その色が何かあるのが俺が好きだなーと思ってるとこですね。
あーなるほどなるほど。
何か何だっけな、ここ読んで、
あ、そうだ思い出した。えっとですね、
ここの読んだ時に、この後なんだっけな、問題の話になってくるんだっけな。
問題を持つ問題が繰り返され、偶然性があると思うんですけど、
あれなんかでも、もしかしたら同じような話を、
以前、白米でされてたかもしれないですけど、
何かAIとかコンピューターは課題は解決できるけど、
問題は解決できないんじゃないかみたいなことを、ここ読みながら思ったんですよね。
何か全然センスとあれとまたちょっと変わってくるんですよね。
センスとあれとまたちょっと変わってくるんですけど。
課題と問題の違いというのはどういうことですかね。
何だろうな、何か課題っていうのは、
えっと、なんかすごく言語化が難しいんですけど、
しかも多分このセンスの哲学で言っている問題とまたちょっと変わってきちゃうんだけど、
何か課題っていうのは、何か解決しなくてはならない、
解決できないものっていう性質が強くて、
問題っていうのは解決しなくてもいいものみたいな。
伝わるかどうか。
問いって感じですか?
そうですね、問いですね。
答えがないとか、すぐに出さなくてもいいもの、
解決できないかもしれないものみたいなのを放射で言ってるんですかね。
例えば、
それを聞いて思ったのは、何か課題はどっちかというと何か他者から与えられているものみたいな感じがして、
問題って何か自分で設定するものみたいな違いがあるのかなとちょっと今聞いて思いましたけど。
いや、でも課題も自分で設定しがちですよね。
そう。
問題っていうのは結構、
もしかしたら課題も含まれるのかもしれないですけど、
どうしようもないレベルのものも含まれているっていうか。
どうしようもない。
例えば、
環境汚染とかってなるとちょっと大きすぎちゃうのかな。
例えば環境汚染の問題がありますと、
それを細分化していくと、
例えば廃棄量を減らさなくてはいけない課題がありますよね、みたいな。
そんなふうなイメージ。
何でしょう。
うまく言えてる感じは全然しないんですけど。
ちょうど仕事で問題と課題の違いみたいなのを話したんですよ、会社の人と。
その時言ってたのが問題は理想と現実のギャップが問題だっていうふうに言っていて、
何らかこうありたいみたいな理想像があります。
でも今現状こうなってます。
その間のギャップが問題になります。
課題っていうのはその問題を解決するための現状から理想像に行くまでに、
ある障壁?障壁のことを課題。
でそれが問題と課題の違いだよみたいなことを言っていて、
あーなるほどって思ったんですけど、そういう感じとはちょっと違います。
ダイチさんのイメージしてるのと。
いやでもなんか近い気はしますね。
で、なんか、あそうAIと人間の話もあるんですけど、
AIは課題は解決できるかもしれないけど問題は解決できないようなイメージがあるんですよ。
なんかちょっと飛び飛んじゃってるかもしれないけど。
はいはいはいはい。
その。
うん。
なんかそれで言うと問題っていうのはどこに理想像を設定するのかによっていかようにでも変えられるものだと思っていて、
理想像をどこに持つかっていうところが僕は人間にしかできないんじゃないかなと思うんですよね。
うん。
だから問題はAIには解決できない。
その問題が設定された後に、じゃあその問題を解決するために障壁になっているものは何だろう?っていうのが課題で
うん。
問題が設定されたら課題っていうのは自動的に決まるような気がしていて。
で、問題が設定された後に見えてきた課題をAIっていうのはクリアすることができるかもしれないけど、
そもそも何が理想像なんだっけっていうところを設定するのは
そこからその問題がどういう問題かっていうことを、
あのクリアすることができるかもしれないけど
そもそも何が理想像なんだっけっていうところを設定するのは
人間にしかできないことだと思うので
問題は人間にしか解決できない
問題と課題の違い
っていうことだと僕は思ったんですけどどうでしょう
ああ
すごくあの同じような意見を持ってますで
全然センスの話にもう行かなくなっちゃって
申し訳ないんですけど
あのえっとその問題に対して
結構共有するのも結構すごい難しいなって思っていて
これえっと
あのAさんとBさんが思ってる問題って
ずれてる可能性があるじゃないですか
あの同じ問題に向かってると思っていて
しかもそこから抽出されてきている
表に出てきている課題も同じだから
同じものに対して向かってるって思っていたけれども
課題解決をしていって
多分問題に対してアプローチしたいんだけれども
そこで何だろう
得たい結果みたいのが
ちょっとずれたりする時ってあると思うんですよ
はいはいはいはい
なんかこれって
なんだすごく人間臭いというか
なんていうのかな
あの
あの往々にして起きてる
組織の中で
起きてることだなってなんとなく
今思ったという
その理想像は
やっぱり具体化できないというか
将来のことだったり
現実じゃないものだから
そこに誤差が出るのは
やっぱ結構現実いっぱいあるよねっていうことですよね
ああそうそうそうそう
最初のあのいいもの
タンニン、ワインのタンニンがいいよねって言いながら
タンニンはそれぞれ違うものイメージしてたりすると
だからこういう組織がいいよねとか
こういうのを解決しようって言っていても
頭の中では実は違う
ToBeというか理想像を想像してると
そうですね
でなんか
あーもうまたここで
また問題って言葉を使うと
なんかややこしくなっちゃうんですけど
それで問題になりがちなのは
AさんとBさんが同じ問題を
自分たちは追いかけてるんだって思っていながら
全然違うものを追いかけているけれども
あのもうお互い誤解しちゃってるから
でその誤解がわからないまま
ぶつかり合うみたいなことが
いろんなことで起きるなーっていう
はいはいはいありますねありますね
でもこれって意外と気づかないでやってるなーっていう
こともあるなーってなんとなくちょっと今思います
どういう時にそれは気づくんですかね
理想像の設定
いやーどういう時に
具体的な例を思い浮かべないとあれかもしれないですけど
でもなんか渦中では気づきづらいですよね
例えばそれこそ戦争とかそうやって起きるのかもしれないですし
あー
うーん
で戦争始めた時はわかんないけど
多分途中であれあれ
もしかして些細な
些細な掛け違いだったかこれみたいな
こととか多分絶対あると思うんですよね
大河ドラマとか多分見ててもたまかそういう瞬間あるし
うんうんうん
それなんかちょっと曲解というか無理矢理戻してるような感じなんですけど
このセンスの哲学で感動を二つに分けるみたいな話ってあったの覚えてますか
なんか大きな感動とか本とか映画とか読んだ時に大きな意味でこれは
戦争をやめようって言ってる話だとかなんか悲惨な話だとか
一言でまとめられる感動と
小さなこの言葉で言うと構造的感動って言ってたんですけど
大河ドラマ 構造って言葉しか出ましたね
あちこちのなんかちっちゃな意味の絡み合いとか
あとリズムのニュアンスっていうのかな
同情するならセンスをくれ!「センスの哲学」について考える
なんかそういうのを拾って感動しようというかそれに注目してみようみたいな
で今言ったダイチさんのハイレベルって言うんですかね
かなり理想的な一番上の大まかな意味では
みんな同意できると
でもなんかこう1個2個下って具体レベルで行くと
実はみんな違うとこに意味を満ちだしてたりとか
違う感動なのか違う課題を解決したいと思ってるとか
なんかそういう対的には合意だけど
極論ではみんなやっぱ違う合意できないみたいな
なんかそれ戦争もそういうことなのかなって
平和はいいよねと
でも平和、その国Aにとっての平和と
国Bにとっての平和っていうのが意味が違ったり
なんかするとかそういうことですかね
そうですねそれもあると思いますね
あと例えば企業とかで言ったりすると
なんか売り上げを上げるっていうことに対してどうするかとか
なんか100万円の利益を上げればいいと思っている人と
いやいや300万の利益必要でしょって思ってる人とか
そういうとこにもあるかなと思った
同じ利益を上げたいと思ってるけれどもみたいな
とかもありますよね
そういうのはもう対話をするしかないと思ってはいるんですけど
そもそも対話できる関係性じゃないとか
なんだろうね
そうですね
おそらく勘違いしてるから一緒だと思ってるんですよね
目指してるものがぶつかるまでは
だから対話しても気づかないんじゃないですかね
そういえばずっとワインの話でしたと
ワイン美味しいよね美味しいよねって言ってて
でこのワインってタンニンが頭の中で
タンニンのこれぐらいの感じがいいから美味しいんだよなぁって思ってるけれども
相手はこの温度で飲むのがちょうどいいんだよなぁと思ったりとか
なんか違う方向性でいいって言ってるけどでもいいはいいじゃないですか
それを細かく言う瞬間っていうのが
どのタイミングで訪れるんだろうみたいなことですよね
なんか前あのこの白米FMで
何だっけ読書か読書について考えるの回で
なんだったかななんか俺はこの白米FMに対して
なんか新しい発見とか気づきを得られることを目的としてやってるんだけど
しおくんはそうじゃなくてなんか
上手く喋れるようになることをなんか目的としてるみたいな
でそこで違うんだみたいなところに俺が気づいて
なんかディスカバーしてたと思うんだけど
それとは何が違うんだろう
それもでも対立はしてないくって
大まかなハイレベルでは目的とか理想像は向かってる方向は一緒なんだけど
実は行動レベルでは違ったりとかっていう話だよね
で我々は別にそれで問題起きてないけど
問題が起きちゃう場合があるってことなのかなダイチさんが
そのコンフリクトがある場合があると
分かんないけどそれこそなんか
あのなんかすごいあれあれですけど
なんかバンドが解散するときそういう時なんでしょうねきっとね
そうかそうかそうか
分かんないですけどね
ちょっと誰かがもっとなんかお金を稼ぎたいからとか
いろんなかあるかもしれないけれども
まあいろんな要素が多分あるのかもしれないですけど
なるほどそうかそうかそうか
ここもなんか別にコンフリクトしないから続けられてるわけですよね
白米FMが
そうっすねそうっすね
そっか
そこが何かしらの
あそうたまたまかみ合ってるわけですよね今
それはいろいろあるでしょうね
ちょっと何かやってる時はそうっすよね
次回へ続く
42:54
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