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GOOD BYE MIDNIGHT RAXXAR by KURAZAMUKEIZO
こんばんは。ただいま1月11日水曜日の午前2時37分ですね。
先週の金曜日かな、今年初の番組を撮って公開したんですけども、
そこから私としては、いつものようにね、昨年のように続いていくのかなと思ってたんですが、
なんと月曜日今週ね、祝祭日、成人の日、どっちなんだ祝日か祭日かわかんないですけど、お休みでね、
撮ろうかなって気も少ししたんですけども、やっぱこう長く続けていくにはですね、
サステイナブルにするには決めたことはね、一応きっちりと守って、祭日はやらないということで、
月曜日も撮らなかったんですけどね、なんか随分と、そういうわけでこの番組に関しては、あの長いこと休んでいたなっていう感じがね、今もまだしています。
まさにだからなんていうかな、今日かな、今日が本当にこの2023年のね、このポッドキャスト、ミッドナイトラクザのスタートという感じですね。
前回のはなんかこう新年特番みたいな、全然内容的には特番でもなんでもなかったんですけどね、おかげさまでね、この番組ではない他の仕事はね、もうあの5日ぐらいからガンガン進んでいまして、
気がつけば、確か年末の放送で、今年はイベントを36回やったみたいな話をしたんですけど、気がつけば1月もね、もうすでに4本入っていまして、
それとか、日曜日は書き上げ塾の講義かな、それから今日はエフタさんとやっている執筆教室のね、これはちょっと今期なかなか筆が進まない方が多いようなので、緊急の相談会というかね、一応書けるようなお手伝いもしますということでやっているんですが、
今日は8時から、夜のね、夜の8時から始めて終わったのが11時ぐらいだったんで、3時間ずっと話しっぱなしでしたね、でその後ね、エフタさんと矢部聖子さんと3人で残って1時間ぐらいあのミーティングをしたので、終わったのが12時、午前0時ということで、4時間しゃべりっぱなしっていうね、まあまあなんとなく、あのそんなに大きな声は出してないんで、喉はいってないかなと思うんですけどね、
この最近、書き上げ塾とかこの執筆教室とかね、あと今年もすでにやったワントレとかで、ある共通の質問というか相談を受けましてね、それがその確か以前の番組で、疲れないための3つの方法というお話をしたと思うんだけど、その中の1つ目ですね、焦らないってやつね、この焦らないの反対、焦ってしまうんですというこの悩みというかね、
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で、文章を書くにしても、なんか早く完成させたくて焦ってしまって手がつかないというね、まあまあまさにそのおかしな状態に陥るんですけどね、僕らはね、この問題ちょっと今日は喋ってみようかなと思うんですね、なんで私たちは焦ってしまうのかっていうね、これ言い換えるならばですね、もうちょっと深刻っつったら変だけど大きな問題というかね、
あることに時間を費やすことにものすごく不安を感じるというかね、恐怖を感じている、ただその僕らが生きていく上でね、何をやるにしてもどこかでやっぱ時間というのはかかるんですよね、で特にこの執筆、本を書くとかね、文章を書くというのはこれは2つの選択肢があって、ささっと何でもいいから適当に書いてしまうというやり方がある、
で私がその書き上げ塾とか執筆教室でお伝えしているのはその真逆のやり方でしてね、じっくりとゆっくり丁寧に時間をかけて書く、何に時間をかけるのか、例えば言葉の選び方とかね、文章の言葉の順番であるとか、それからまあもっと大きな構造であるとかね、
それから語尾の処理だとか、まあ本当に細部にわたっていろんなことにこだわりながら書くというそのやり方をお勧めしているんですよね、で当然そうするとおそらく普通に何の意識もしないで書くのに比べるとね、1.5倍から2倍は最初かかるはずですね、もっと人によっては3倍ぐらい時間がかかる可能性もある、ただなんかここに僕は執筆の醍醐味があると思っているので、
なぜここに時間を費やすことがそんなに怖いのかなっていうそんな感じなんですよね、でももちろんその気持ちはよくわかります、そのあたりをね、今日ちょっとまとめてお話しして、できれば焦らないでいけるようなね、ところまで持っていけたらいいんですけどね、
まあまああの、要はとても単純な話でね、何かに時間をかけたら別のことができなくなるっていうそういうことなんですよ、で多くのね、その悩みを抱えている方、なかなか時間かけられない焦ってしまって、どうしてでしょう、なんで焦るんでしょう、これをやっているとね、他のことができなくなると思うと焦ってしまう、
じゃあそのやりたい他のことっていうのは何ですかって聞くと、大概ですね、その即答っていうのはないんですよね、やっぱりじっくり考えてありませんっていうか、もしくは何かをひねり出すかどちらかなんですよね、で多くの場合そこで上がるものは別の時間のかからないことだったりもしますよね、これは何なんだろうなってことなんですよ、
でももうこれもこの番組でおそらく繰り返し繰り返しお話ししてきたようにね、多分学校時代の習慣なんでしょうね、試験勉強っていうかね、いろんな教科を同時に勉強しますよね、そしてそのいろんな教科の中にいろんな問題の形式がありますよね、一番多分単純なのはマークシート方式5択ぐらいあって、ABCDEのどれが正解ですかっていうね、これを選んでいくやつ、
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でこういう問題っていうのはもうサクサクサクサク解いていけるわけですね、でその次に記述式っていうのかな、括弧が抜けててそこに言葉を埋めるとか、何かその文字で答えを書くっていうね、でその次あたりに、僕はあんまりこの微数系に弱かったんで、もしかしたらその計算問題をね、方程式を解いていくようなやつとかがその次あたりに来るのかな、
この辺は本当もう中学ぐらいまでしかやってないんでね、なんとも言えないんですが、そしておそらく一番時間がかかるのが例えば小論文とかですよね、これも例えば国語のテストとかだったら昔は一つのテストの中にね、小論文よりももっと小規模な200字ぐらいで書きなさいみたいなやつがありましたね、
完全記述式っていうかね、この穴埋めでもなく文章を書いていくっていう、でこういうものが並列に出てきたらやっぱり最初は時間がかからないものからさささっと攻めていくのが手ですよね、もしかして最初に一番最初に小論文に手を出したら簡単に解けるはずのそのマークシートっていうのかな、選択肢ABCを選ぶみたいなものに手が回らなかったとしたらこれは損な選択ですよね、
だから手っ取り早くできるものから手をつけて、そして時間がかかるやつはとりあえず後ろに下げておくっていうこういうやり方がまずある、それから勉強の仕方にしてもね、同じ何かを記憶するのにもおそらく効率の良い覚え方っていうのがあるんですよね、
私ももうずいぶん昔ですけどね、高校生だから17歳ぐらいの時だとすると40年以上前になるんでおそらくもっともっと今進歩していると思うんだけどその当時でも私はの代々木ゼミナールってところに書き講習とか行ってたんだけども、
家が千葉の清水というところだったんで通うのはちょっと難しくてね、夏休みとかだけ冬休みとかだけ利用していたんですけども驚きましたね、なんて簡単に覚える方法があるんだって、確か僕は古文の助動詞とか助詞とかを覚えるのが苦手でね、それが本当にこの1回の授業で歌にしてあって、
その歌を暗記すれば全部頭に入るみたいなね、そういうのが随所に散りばめられていて、すげーなこのシステムっていう感じだったんですよね、そういう技を求めるこの心というのはね、どう考えても何かにじっくり時間をかけようなんていうのは選択肢に上がりもしないってことですよね、
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そこに時間をかけてる奴はやっぱりバカだ、要領が悪いってことになるので、僕らはやっぱりこの自然と自然と時間がかかるものは悪だとみなすような、こんな習慣がついているんじゃないかと思うんですよね、ここにやっぱり大きな原因がありますよね、
そしてそのなんていうのかな、例えばその試験勉強全体の攻略にしてもね、ある程度のそのノウハウが蓄積されているので、このようにしてこのようにしてこのようにすれば最も効率よくこの勉強が終わるみたいなね、なんというかこの攻略法の世界っていうかな、こういうところで僕らはずいぶんと長い間生きてきたはずなんですよね、
そうなるとこの反対側にあるやつね、つまりこの攻略法がない世界っていうのかな、小論文とかも実はいろんな攻略法があったりするんだけどもね、今日もその執筆教室の相談会でこの小論文の攻略法の話が出たんだけど、結構盛り上がってね、面白かったんですけどね、人生で大事なことは3つあります、1つ目はみたいなこんな書き方はあんまり好きじゃないんですみたいなね、
確かにね、でもこれがいいとされているみたいなそんな攻略法はあるのかもしれない、でもやっぱりね、その文章を書くという世界はね、基本的にゼロから何かを作る世界なので、先言ったようなその受験勉強のね、分かりやすいシステムとか攻略法とかこれとこれとこれをやっておけば大丈夫、で必ずこうやってこうやってやれば必ず何かができるみたいな世界ではないはずなんですよね、
ここがおそらく僕らはすごく苦手になっている、そしてここに時間をかけたくないと思っている、多分このあたりにね、その焦ってしまう時間をかけたくないみたいなね、原因が潜んでいるんだろうなと思うわけです。
よくそうなんですよ、この番組でね、この子供の時代のその教育の話とかね、それから親子の話をよくしますよね、その親子のやり取りの中で怒りの種が生まれたんじゃないかみたいなね、愛されたかったみたいなそういう話をするんだけど、僕はね、これに関してその教育とかね、親のしつけがどうこういうつもりは全くないんですね。
これで教育改革をしなくちゃいけないとか、もっと勉強の仕方を改善しなきゃいけないとか、そういうことを言うつもりは本当にないんですよね。
というのも、私はその昭和の時代に今よりもっとひどい教育を受けてきてますんで、殴る蹴るが普通に横行していた時代だったんでね、いつの時代も多分人が作る仕組みですから、教育だろうとなんだろうとね、必ず穴とか欠点とか問題はあると思うんですよね。
ある家に生まれたら、そこの親が完璧とは限らない。というか完璧な親なんてこの世に一人もいないですよね。別にその教育者というのかな、子供を育てる資格みたいなのがあって、それを取った人だけが子供を産んでいいなんて世界ではないわけですからね。
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ごくごく普通の、本当に普通の人たちが自分ができる範囲で子供を育てていくとしたらね、そこに正解なんかないし、もう究極的にはその人がこうだろうなと信じる方法で育てていくしかないんですよね。
ここに何か目くじらを立てて、それは間違っているとか、その育て方はおかしいとか言い出すと、おそらくもう僕らは怖くて子供なんか育てられなくなりますよね。
そんなことは僕は全然望んでいなくて、むしろおかしな癖、大歓迎みたいなそんな感じなんですよ。
当然だけども、それぞれの家でいろんなマナーでいろんな正しさのもと、いろんなやり方をしつけられたり教えられたり、そして学校でも今言ったような時間をかけるのが苦手だなと思うような、そんな枠組みの中で勉強をするんだけども、それはそれでいいと思うんですよね。
いろんな僕らが一人一人どこで生まれ、誰に育てられ、そしてどんな学校に行きっていう、その一個一個がその人の個性とか役割とかにひも付いていて、僕はある意味これは必然と思っていいんだろうなというふうに考えているんですよ。
ただしここから学校を卒業し親元を離れたときに、どんな癖が自分の中に残っているのか、どんな怒りの種が自分の中に植え付けられているのか、そういうものはどこかで大人になったどこかのタイミングでしっかりと自分で向き合って、ここからは僕はやっぱり自分自身でトライする分野なんだろうなと思っています。
そしてこのトライもまた何かのために多分必要なものなんだろうな、そういう感じがするんだよね。
僕は一つものすごくそのお金に関していろんな苦手意識があるっていうのがあってね。
これはもう間違いなくその親の育て方の問題なんですよ。
商売やって忙しかったですからね。
なんか僕らがちょっと寂しい思いとかね、その親の手が届かない、面倒を見れない、見られない時間帯みたいなのに、なんかそのお小遣いをポンと渡して、なんか買ってきなさいみたいな、そういうこう足らひをされてたんですよね。
そうなると当然だけども、そのお小遣いが月にいくらで、これを何等分すると今月しっかり亡くならずに30日均等に過ごせるかみたいな計算は一切しないですよね。
なんかこんな感じでこうやってつまんなそうにしてたら小遣いもらえるのかなみたいなね。
もう本当にいい加減なんで、ものすごく僕の中ではもういろんな意味でね、いろんな分野でとにかくお金に対する苦手意識というかね、そういうものがある。
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これを自分で解消するのにやっぱりものすごい時間がかかりましたね。
もしかしたらまだ今もそれを続けている最中なのかもしれない。
でもその中にいろんな気づきや学びがあってね、失敗もあったし、これが原因で大変な目にあったことも何度も一度や二度じゃないんですよね。
でもこれが私の人生であり、これが私が自分を形作っていくプロセスには必要なもの。
なんかそれが僕の個性にすごく合ってる感じもしますね。
グラゾノという人間がなんか知らないけどお金というジャンルに疎いというかね、無頓着というかね、しかも稼ぐのも貯めるのも使うのも下手みたいなね。
これは悪くないなっていう感じがするんですよね。
悪くないなという裏にはここがちゃんとできてたらどんなにいいだろうなっていうのはあるんだけどね。
だから受験勉強も別に何の問題もないんですよね。
ここをなんか僕は攻撃しようなんてつもりは全くない。
逆に言うとここをしっかり認識すればね、私のこれから修正していくポイントはどこなんだとかね、
私がいつも心の中で苦しみを生むこのポイントはどこなんだろうっていう風に見ていくことができる。
だからいつもこの原因としてね、この受験勉強の話をするわけですね。
だから本当にこの私のする話を聞いていただきながら、
自分が今子育てしているこの感じは間違ってないんだろうかみたいなね、
そういう心配は本当に無用だと思いますね。
1点大切にできる範囲で愛を込めてね、育てていけば、
もうそれぞれのね、これはどっちを選ぶんだとかね、
ここをやらせた方がいいのか、それとも禁止した方がいいのかみたいなことはね、
本当に自分がこれでいいんだって信じる方を選んでいけばいいと思います。
あとはね、さっき言ったようにその本人が大人になってからそこをね、
いろんな形で修正していくお楽しみが残っているっていうことでいいんじゃないかなと思いますね。
そういうものがあるからこそ、例えばそのパートナーがね、
そういう部分に引き付けられたりね、自分にしてもそういう人に興味を持ったりする、
まあまあそこは本当複雑怪奇なものだから、
一概にこれこれこうするのが正しいみたいな四角四面な発想では全く語りきれないんだろうなと思います。
いいんですよ。だからそんな感じで僕らは時間をかけることと急ぐことを習慣にしてきたっていうね。
もう一つあるなと思うのは、これは人生は短いというね、
そういうなんていうのかな、常識みたいなもの。
僕は全く常識だとは思ってないんですけどね、人生はちょうどいいと思ってるんだけども、
ちょうど良い以外にどう測ればいいんだろうっていうね。
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前も言いましたけど、長い短いってのは相対な基準なのでね、誰かと比べるしかないんですよ。
そうするとこの平均年齢が80前後みたいなところが短いと言うんであれば、
亀か鶴と比べているのかなみたいなね、そんな感じですよね。
まあまあそこはいいとして短いとしたら、やっぱりこの短い人生でいろんなことを経験しておきたいっていうね。
これもどこどこでそうなったのかなってよくわかんないんですけどね。
これはなんか受験勉強とはちょっと違うのかなって感じがするんだけど、なんか損をしそう、人生で損をしそうな感じがする。
当然これでいろんなことをやる方が人生は華やかだしハッピーだし、
海外旅行もいろんなとこ行ってね、できれば世界一周とかやって、
それから新しい家電とかね、新しい電子機器みたいなのが出たらガジェットですよ。
全部それを使ってみてね、それを享受するっていうこのやり尽くしてこその人生だみたいなね。
この価値観っていうのかな、これも僕らの中にもしかしたら根強くあるのかもしれない。
だから一つのことに没頭したりね、熱中したりして何十年もそこに、それしかやらないみたいな人生はつまんないんじゃないかなっていうそんな感じですよね。
これもおそらくその本を書こうとした時に本当にここだけに時間をかけていいのだろうかっていうね、やっぱ疑問、疑念が浮かんで当然ですよね。
この人生いろんなものを経験しておかなきゃ損だっていうかね、これもやらないと、これもやらないで、あれもやらないで終わるなんてありえないみたいなこの感じね。
これにとどめとしてね、もうとどめのような感じで未来志向っていうのが加わってくるんですよね。
これもこの番組で何度もお話ししましたが、未来に達成したい目標とかね、実現したいその夢、希望みたいなものを置いて、
そしてそれを実現するために今頑張るっていうこの感じね。
これは前にもお話ししましたが、多くの場合、いわゆるサウナ型になるんですね。
サウナ型でないとあんまり意味がない。
どういうことかというと、まさにサウナと同じでね、サウナというのはものすごく暑くて、要は不快なんですよ。
不快な時間を5分なり6分なり過ごして、そこからドアをパッと開けて水風呂に入ったときにものすごく開放感とそれから清涼感っていうのかな。
何かからこう開放されてとても気持ちいいというね、この感じ。
これをその僕らはその生活の中で目標を立ててそれに向かって努力をする。
この努力は楽しかったり楽だったりね、なんかスイスイとできるようなものではサウナにならないので、やっぱりそれなりにこう圧がかかる方がいいわけですね。
本当はやりたくない、でもこれをやらないと実現しないっていう心攻め以外の中で辛い方を選ぶ。
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辛い方を選び続けて2年頑張る、3年頑張る、そしたらそれがバンと手に入る。
まさにね、サウナから出たときと同じような効果がここにあるわけですよね。
これはこれもやっぱり最初に言った受験勉強が最初の体験なんでしょうね。
これはあの私たちの頃は高校ぐらいから始まるんだけど、今はねもう小学校とか中学校が当たり前になってきてますからね。
随分と小さい頃にこの快感っていうのかな、味わうんでしょうねきっとね。
ここを細かく丁寧に紐解いていくと、何をやっているかっていうのを細かく見ていくと、やっぱり欲しいのは未来にぶら下げた人参ですからね。
達成したいこと、実現したいこと、この開放の瞬間、そしてその開放感を味わうために必要なプロセスといえども、やっぱりこの辛い時間は長くはいたくないですよね。
だからやっぱりここは早く終わらせたいんですよね。
ここで僕らの中に一つ一つを終わらせていくっていうね、これもやっぱり習慣なんですけどね、体感覚というのかな。
何かが振られてきた自分にやらなきゃいけないことが今僕の中にある。
これをいかに早く終わらせるか、そして終わらせた状態というのを手に入れること。
これこそがなんていうのかな、幸せなんだみたいなこの感じ。
これを随分と僕らは身につけている感じがするんですよね。
次、次、次っていう感じ。
この未来思考になれば必ずそうならざるを得ないんですよね。
プロセスが辛い、そして達成して終わった、よしじゃあ次って言ってね、またプロセスが始まる。
早くこれが終わればいいのになっていうね。
私もその編集者時代、編集長時代にね、管理職の立場にいたんだけども、
編集の仕事というのはまさにその答えのない仕事ね。
これとこれをやれば終わりというのがあるようで全くない。
例えばある記事を企画してこういうのを作りましょうと言って、
その編集担当と私が打ち合わせして、これでいいよ、これでいこう、号を出しますよね。
いくつか取材がある、もしくは製品を借りて試して使ってみるみたいなことがその記事の中に含まれているとする。
ただ予定していた目玉の取材相手がスケジュールが合わなくて今後はインタビューが取れませんっていうことが起こる。
借りれるはずの新製品が発売が遅れて今月はまだサンプルというか使用品というのかな、そういうものが届かない。
だから実機がないので使ってみたレビューを見たら何か書けないみたいなことがガンガンガンガン日々起こってくるわけですね。
それをなんとかしのぎながら、その代わりに別の人をインタビューしようとか、別の製品に変えてみようとかってその編集者の采配の中で、
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あまりにひどい場合は報告がきますけど、ある程度は任されているので、記事をそれなりに自分なりに作って僕に持ってくる。
提出した編集者はこれで終わりだと思っているね。
その人がもし早く終わらせたいというさっきの習慣を持っていたとしたら、ここで終わらないと相当アンハッピーなんですよ。
でも僕はそれを見て、いやいやいや、この人のインタビューじゃ弱いでしょうみたいなことが起こるわけね。
もしそのインタビューをしたとしても、なんでこの質問をしていないのみたいなね。
ここ入れようよ、もう一回追加でやろう取材みたいなことが起こるわけ。
そうすると当然だけども終わったと思ったのに全然終わらないじゃん。
それどころかもっと大変なことが降ってきたみたいなことが起こって、
人によってはここですごく落ち込んだりやる気をなくしたりするっていうケースがありましたね。
手厚くそこはケアするんですけどね、そういうものだからさって言って。
この時に僕はいつもいつも何度も何度もこの仕事に終わりはないんだよっていう話を繰り返しした気がしますね。
これも取りようによってはちょっとそのブラックな話に移るのかもしれないけどそうではないんですよね。
もうそれなりにしっかりと完成させて提出してくれたのに終わったからつって、
じゃあお前これもやれ、お前これもやれって追加でガンガンガンガン仕事を出すとかそういう世界じゃないんですよ。
この一本の記事を作ってこれが出来上がったと思っても、
コラボレーション大勢でその仕事をしている以上そこにダメ出しが来たり修正依頼が来たりするのは当たり前なんですよね。
だからこれとこれをやったら終わりっていう受験勉強感覚でこの仕事に臨むとね、やっぱりここですごく大きな葛藤を抱くことになるんでしょうね。
僕はやっぱりこの学校を卒業したからにはこちら側にその終わりはもしかしたらないかもしれないっていうね、そちら側に合わせないと結構きついんだろうなと思います。
これもやっぱり一つの焦ってしまう、早く終わらせたい、一つのことに時間をかけたくないっていうことの要因になってますよね。
今お話ししたような諸々の体験というのかな。
要はこれは何かというと僕らの時間との関わり方なんですよね。
時間の捉え方っていうのかな。
簡単に言えば今という時間は基本的にはいつだってあまり良いものではないと。
だからここに使わないで取っておこうとする感じですよね。
なんかに似てますよね。お金かなやっぱりね。
お金は使ったらなくなる。だから無駄なものに使わずにいつか本当に自分が欲しいものを買うために取っておくみたいなね。
ちなみにこの感覚がさっき言ったね、私の中に完璧に欠如しているそのお金の感覚なんですよ。
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そんなこと一度も考えたことがないんですよね。
でも多くの人はねやっぱり時間をこのように捉えてますよね。
将来もうちょっと、近い将来なんだけどね。
明日か明後日かわからないけどそこでもっといいことがあると。
だからそのために時間を取っておかなくちゃいけないっていうね。
でもお金と違って時間というのは貯金もできないし貯めておくこともできないんですよね。
だから一つのことに時間をかけずに早く早く終わらせて余らせておこう。
余らせておこうっていうこの感覚なんでしょうね。
でもこれよく考えるとね、例えばものすごく自分が好きでハマることを見つけたとしますよね。
当然だけどもそこにはハマるわけだから多くの時間をかけてしまいますよね。
この時に僕らはその時間を過ごしながらあれやばいぞっていうねちょっとした恐れや不安を抱くんですよね。
これやってて大丈夫かなっていうね。
あれそういえばここにハマると他のことができなくなるんだったよなみたいなことがねボバボバっと頭によぎっていかんいかんいかんここに時間をかけすぎちゃいけない。
つまり好きなもの、熱中してしまうもの、自分がハマりそうなもの、そういうものを無意識に避けてしまう可能性がここに出てきますよね。
だからよくここで耳にするのが過集中って言葉なんですよね。
なんかこの文章を書くのは楽しいんですけどもなんかあまりハマって書きすぎると過集中になってものすごく疲れて翌日影響が出るんですみたいな話があるんだけど
集中というのは僕に言わせればしているかしていないかの2つに1つなんですよ。
というのも集中している状態って何かって言ったらそれ以外のことを考えていないってことですよね。
つまり例えば文章を書くのであればこの後テレビ見たいなとかYouTube見たいなとか今ソーシャルはどうなっているんだろうかということを気にしていないということなんですよ。
前にもお話したけどその脳はシングルタスクなんで1つのことしか同時に考えることはできないんですね。
その1つのことが目の前に今向かっているそれだけになっているっていうのを集中と呼ぶとしたら
そこに過ぎるとか過ぎないとか深くとか多くとか量はないんですよね。
しているかしていないかだけなんですよ。
もちろんそれを長く続けるとどうなるかみたいなのはあるかもしれないけども
1つのことしか頭に考えていない状態をどれだけ長く過ごしたとしても
それが終わったらまた別のことを考えているわけだから
これが何かその悪いことをもたらすはずがないんですよね。
これを徹夜でやったり3日未満寝ないでやるっていうのはまた別の話でね。
これはその集中云々じゃなくてね睡眠不足というまた別の話になるわけで
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だからここを心配する必要は本当はないんですよね。
でもなぜかそういう風なね集中しすぎたらいけないみたいなねそんな感じの不安もありますよね。
で結果としてはねあまり深くはまらないあまり多くの時間を費やさない
から熱中したり没頭したりしにくいものみたいなことを選んでいくとしたらね
やっぱり手軽にパパパッと終わってパパパッと終わって
次のこと次のことってできるものを人生の周りに集めていくとしますわね。
そうすると当然だけども私は一体何が好きだったんだっけってところに出くわしますよね。
これはもう必然。
こうやって生きながらやりたいことが見つからない
なんか手応えのある仕事につけないっていうのは
ちょっとやっぱりその戦略とゴールがずれてますよね。
好きなものっていうのはやっぱり自然にはまってしまうし
手応えのあるものにはやっぱり時間をかけてしまうしね。
でもそれは良くないんだってことになると
なんていうのかなそこそこ好きでそこそこはまれるものを集め始めてしまうんじゃないかな。
それしか僕はないと思うんですよね。
あるいはねものすごく穿った見方なんですけどね。
もしかしたらこの一個のことにあまり深く時間をかけさせないようにするという習慣をつけることに
何か別のメリットがあるんじゃないかみたいなこの疑いを持ちたくもなりますよね。
なんか一人の人間が一つのことにはまらない方が何かすごいいいことがあるのかもしれないみたいなね。
この辺はどうでもいいんだけども
もしそういうものがあるとしたらね
なんか僕らはあえてその好きなものから外れる。
そしてなんか熱中するものから外れる。
なるべく一個のことに時間を費やさないようにするみたいな
本当は望まない生き方をしているのかもしれないっていうね。
時間との関わり方をしているのかもしれないっていうこんな
まあなんつーのかなこう疑念というかねそういうものも僕は時々こう思ったりもするんですよ。
だからやっぱりここでね時間との関わりっていうのかな
前も言いましたけど時間というのは人が作った道具にすぎない。
ここで自分の人生とどうすり合わせていくかそれぞれの自分の個性やね
80億分の1の違いを持った存在としてどのように関わっていくかっていうのを
もう一度自分で決め直すということがね必要なんじゃないかな。
まさに私がさっき言ったこの学校を卒業して親元を離れ
世の中に出て自分で何か仕事をするその時に
もう一回だけねこの習ってきた身につけてきたこの習慣になってきた
この時間との関わり方みたいなのを見直す必要があるんじゃないか。
そうでなければやっぱり一冊の本をじっくり腰寄せで書くとかね書き上げるとか
本だけじゃなくて何か自分がやりたいことをねそこにこう深くはまっていくみたいなことは
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どうやっても無理じゃないかなと思うんですよね。
それをやろうとすれば必ずまだ終わらない。
まだ終わっていない早く終わらせたい。
そしてこの一つのことにはまっていたらあまり良くないんじゃないかみたいな疑念恐れや不安に襲われますよね。
ここをこことその自分が書きたい本をじっくり書くっていうのと
どう折り合いをつけるのかっていうねここが大きな課題になってくるわけです。
でも結論は一つしかなくて実在する時間は今ここしかないっていうここに尽きると思うんですよね。
この今ここって話をするとね結構今私はいろんなソーシャルとかメディアとかいろんなものを見ている中で
今ここっていう言葉が以前よりも結構注目されているなって感じはするんですよ。
多くの人がこの今ここというキーワードを気にしていると。
でもじゃあどうするかといった時にやっぱり座禅とか瞑想とかね割と特別な行為としてそれを捉えてね座って今ここにあるんだと。
これも悪くないと思うんだけども僕はここでいつもね山の行より里の行っていう言葉を思い出すんですよね。
これは要は修玄者かねその山で修行しますわね。
これをその山の修行して身につけたねまあなんていうのかな技とかねそのまさにマインドセットみたいなものをその山だけで使っててもしょうがないだろうっていうね。
だったらそれを身につけた身として里に降りて行ってそこで行かせようよっていうそんな意味合いもある。
これはいくつかもその意味があるんですけどね。
私はですねこれをどう捉えているかというともちろんそのね修玄者として山にこもって修行するのも悪くないんだけどもこの日々の生活の中で今ここの修行っていうのはできるっていう風に思ってるんですよ。
別に座禅瞑想も私もやりますからねえっとそこを否定はしていない。
でもそこが目的ではないということですよね。
例えばそのまあ瞑想しますわね私はその一度もそんな体験はしてしたことがないんだけど超越意識みたいなねなんかいつもと違うなんかすごいすごいみたいな感覚になったりその神秘な体験みたいなことをしてねうわーなんかやばいぞと思っているときに家族がねえっとねえっとねえあんたみたいな感じで呼ばれたとすると
そうするとなんだよ今いい感じで瞑想してるのによつって腹を立てているみたいなことでは多分台無しなんですよね。
今ここっていうのはそういうもんじゃないんですよね。
そうじゃなくてあんたと呼ばれたこれが今ここなんでパッとその瞑想なり座禅なりを中断してなんだっていう風にそこのその現実に対応していく今ここ呼ばれたなっていうねこれがまさに今ここなんですよ。
だからまあまさにね私もまあ1日朝晩10分ぐらいはね静かに目を閉じて夜は長いときは下手すると1時間ぐらいやるときもあるんだけどねこの瞑想するというかね頭の中から考えをすべてこう出してねこう賑やかなねこの頭の中でガヤガヤガヤとしゃべっているこのおしゃべりをねしばし止めてまさにねその未来のこと過去のことそこ頭の中からねすっと手放したときに
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今ここにいるなっていうこの感じはしっかりと味わえるんですよね。
でもそれが終わってねパッと目を開けた瞬間から焦ったりね急いだりね早く終わらせたいなとか思って時間をかけるのが難しいというこの感じになってしまってはもったいないというかねこれをやっぱりこの目をパッと開けたときからそっか今ここにあればいいんだなっていう感じに使いたいなと僕は思ってるんですね。
これを里の行というふうに読んでるんだけどね。
もっと言えばその瞑想とか座禅をしなくてもね日々この今ここでしっかりと目の前のものに目の前のものに向き合っていればねほぼほぼそれと同じ平安を得ることはできるはずなんですよ。
だからこのね時間との関わり方っていうのかな僕らと時間との関わり方ここにおけるね最も大切な発想の転換というのは例えば今日のテーマであるね本を書くであれば本を完成させることではないんですね。
本を書くというのはねまさに今ここで一文字一文字タイプしているこの一文字一文字を書いているこの瞬間こそが本を書く行為なんだというふうに捉える必要があるんじゃないかなと思う。
ここに執筆のねすべてがあるってことですね。
今書いているこの瞬間に本を書くというこの執筆のすべてがある。
辛いこともここにあるし楽しいこともここにあるし手応えもここにあるし悩ましいこともここにある。
今ここにあるんですよ。
それを味わうということがまさに本を書くということ。
本を完成させるのはそれをそのそれをねこの今ここを連ねていけばいつか終わる。
その時に完成っていうのは来るんだけども面白いことにその瞬間に執筆も終わるんですよ。
僕もその何冊も本を出したことがありますけどね。
書いてる時は本当に辛いな早く終わらないかなって思いますよね。
今みたいにあんまり今ここを意識しないで書いた時はね特にそう思いましたね。
終わった終わったって終わった瞬間もなんかやっぱりサウナ型の開放感得られますよね。
でそこから何が始まるかって言ったらちょっとこの販売営業みたいなね。
筆者といえどもそれをやるんだけど僕はそこは大して好きでもなんでもないんですよね。
で思い出してみるとそういえばもう書くという行為は終わっていたんだなっていうそんな感じ。
なんかやっぱりこうねじれてるっていうかね何かを誤解してますよねそのやり方っていうのはね。
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本を書きたいのか書きたい。
じゃあ執筆しよう書きます。
その今ここここに執筆ということのすべてがあるってことですよね。
デートするんでもそうですよ。
今この大好きなパートナーと一緒に街を歩いているこの瞬間にデートの醍醐味デートのすべてがあるわけですよね。
家に帰って今日もつつがなくデートができたなって。
これはもう終わってきてデートではないんですよ。
でもなぜか多分僕らはねこの余韻の中に幸せとかね達成感とかそういうものがあると思ってるんだけど違いますよね。
今ここに達成感もすべてあるんだと僕は思います。
書けたっていうこの感じね。
おーできたぞこの一文ずいぶんと苦労したけどなんとか形になったなっていうね。
そこに多分幸せもあるんですよ。
だからそうやってみるとねここに時間をかけずして人生はどこに時間をかけるんだろうっていうねそういうことになりますよね。
とてもこれは単純な話だと僕は思います。
まあいろんな話をしてきたんでねまとめてみるとね。
要は僕らの中にねもう子供の頃からこの時間に対してね今ここに時間をかけてはいけなくて。
なんかその将来のもっといいことのために時間をとっておかなきゃいけないっていうこのおかしな感覚とっておくことはできないですからね時間というのはね。
そもそもそんなことはできないものなんだけどなんとなくそんな感覚をまといながらね生きてきたっていうその経緯がある。
そして一つ一つ一つのことを終わらせていくことがなんか気持ちいいんだっていうこのこれもちょっとした誤解だと思うんだけどね。
そういうものがあるということを認識しつつねちょっと待てよと時間との関わり方っていうのはその教わったやり方だけじゃなくていくらでも自分で決めていいんだなっていうね。
ここに立ち返りそしてそっか何かをするというのは今ここでそれをしていることが全てなんだなっていうふうに発想を変えるわけですね。
もちろんそこに期限があったり締め切りがあったりする場合もね少なくないと思います。
でも関係ないんですね。
だとしても今ここで何かをやっているという事実は変わりない。
そこだけがリアルなんですよ。
それ以外に多分リアルなものは何もない。
だからそこで味わい尽くさないと僕らはきっとその氷の上をねスルスルスルスルと滑るように多分日々を暮らしてしまう。
だからそうではなくて一歩一歩ザクッザクッとねこう爪痕を残すようにそれをやっているこの瞬間にその全てがあるんだっていう認識で取り組むということかな。
でさっき言ったようなその昔の習慣を持って暮らしているのでね意図的に意図とですよ。
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意図して時間をかけていいんだっていうことを自分に許さないとダメですよね。
やっていいよっていう感じ。
これもなんかやっぱりこう親が子供に言ってあげるような感じなんでしょうね。
子供はなんかここに時間かけたら良くないことが起こるとかね集中しすぎちゃダメなんでしょうみたいなことを思っているわけね。
そういう自分がそういう自分が自分の中にいる。
そこに対していいからいいから安心して落ち着いてじっくりと取り組みなさいっていう風に言ってあげられるかどうか。
ここがとても大切なポイントなんだと思いますね。
そしてもっともっと重要なのはそれをやってどうだったかっていうことを味わうことですよね。
なんかいいこと全然なかったっていうんだったら今まで通り氷の上を滑りながらね。
このここに時間かけないでもっといいことに使うみたいな感じでやればいいんだけど。
おそらく僕はこの今ここでね筆筆なら筆筆この書くということこの瞬間に何を味わえるんだろうということを体験してみる。
おそらくこれに勝るものがあったらあったとしても僕らはそれは味わえないんですけどね。
今ここで味わえるものしか味わえないんだけどもこれ悪くないなと思えたらそういう今まで得てきたね。
身につけてきた習慣というのをそれに変えていくことができるんだろうなと思いますね。
そして最後にね佐々木さんと協調で書いた不安ゼロで生きる技術というね。
三笠書房さんから指摘生き方文庫というシリーズでね出した本があるんだけどここにもこのテーマの話を一つ書きましたね。
要は本当に僕らはたくさんのことを経験する方が幸せなんだろうか。
それとも一つのことをじっくりとね探求し追求する方が幸せなんだろうかってこの問いなんですよ。
これは僕は結論としてどちらも同じであるというふうに書いたんですね。
なぜならば深く掘っていけばいろんな景色が見えるんですよ。
これはいろんなところに行っていろんなものを見る景色と実は同じじゃないかと僕は思っているのね。
だから結果としていろんなところに行っていろんな体験をするのと一つのことを掘り下げることっていうのはおそらく同じことを味わえるっていうことになる。
そのぐらい深く掘れば掘るほど違う景色が見えてくるんですよ。
だから実はこれ違いはないんですよね。
そして面白いことにこれは私ももう官歴になったからねなんとなく実感として言えるんだけどもどちらを選んだとしてもあー反対側をやったけばよかったなって思うんですよ。
だからもういろんなことに手を出さなきゃと思ってね時間をなるべく短くして100個200個300個いろんなことをやったって言って生きてきたら
後で振り返ってみるとねそこの隣にねなんか一本道を極めた人を見た時に将棋でも料理でもスポーツでもなんでもいいんだけどもね
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あーもしかしたら僕はこんな風にいろんなものに手を出さずにここの一本道を極めた方が良かったんじゃないかっていう風に思うわけ。
逆もそうですねなんかずっと音楽一筋これ一筋でやってきたけどもっといろんなことを経験しておけばよかったんじゃないかって同じように思うんですよ。
だからここにおいても実は結果は何も変わらないんですね。
なのでえっとその将来どうなるかとか周りの人がどう生きてるかとかね何がハッピーだよと言っているかとかそういうものに惑わされずこれは本当に個人個人違うんですよ。
本当に一つの探求者のように生きた方がハッピーな人もいればねもう年中海外を飛び回ってるぐらいじゃないと俺は飽きたりないっていう人もいる。
これはどちらもokなんですよその人がそれでハッピーならばね。
でも忘れてはいけないのはそのどちらだとしても一つの道の探求者であろうとねいろんなことに手を出してたくさんのことを経験したいという人であっても
このどちらであってもそのね楽しさ醍醐味手応えを感じられるのは今ここしかないということなんですよ。
そして僕らが探し求めている幸せも今ここで感じるしかない。
だとしたらここにいる時間を急いだり焦ったりすることに何の意味もないってことですね。
味わい尽くせないそれをやっていると。
そしてそうだもう一つね忘れてはいけないのは僕らはそんな感じでね今お話ししたようにこの何かに時間をかけるということをねなるべく避けてもし生きてきたとしたらここに慣れてないってことかねここを忘れてはいけないんですね。
だからおそらく時間をかけ始めるとちょっと苦しい感じがしてくるはずです。
もともとこんなところに時間をかけちゃいけないんだよ。
次行かなきゃ終わらせなきゃっていう感じで生きてきたんでね。
少しでも日頃よりもまさにねこの今ここで何かにクッと入ってきて入り込んでねちょっと時間かかってるなでもなんかあんまり進んでないなっていうこの感じがものすごくまどろっこしく感じるはずです。
ここにね惑わされないというかね騙されないようにすることが大切ですよね。
おそらくここであつれえななんかもうこれをずっとここにこれを続けていたくないなみたいな感じがこう押し寄せてくるとねすぐに僕らはそうだだって他にやることあるもんとかねこれこれ以降にこんな時間かけてるのは効率悪いもんみたいなことを頭で作り出すからねこのまさに今まで僕らが辿ってきたロジックに戻ってしまうんでここを少しねちょっとだけ我慢してみるっていうのはね大切かもしれないね慣れてないからね。
もしかしたらちょっとね恐れや不安怖いなって感じもするかもしれないこれに時間をかけてる自分がね何やってんだ大丈夫かこんなにこれをやっててみたいなねこれにも騙されないようにした方がいいかなと思いますね大丈夫だからやろうぜっていうこの感じねここもまあ一つちょっと注意しておくポイントとしてね挙げておいたほうがいいのかなと。
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そんな感じですかねまたこのテーマも何度も何度も繰り返しお話しすることになりそうな感じがしますけどね今日のところはこの辺りにしておきましょうかね。
そしてあのエフタさんとね去年の9月ぐらいからね始めた執筆教室まさに今日相談会をやった執筆教室が2月期をね募集を今しています。
これが1月の28日に初回講義がありますのでこれ最近ですね継続の方が3、4期からの継続今回5期になるんですけどね4期からの継続の方が半数以上ね申し込まれることが多いので定員が結構きっちりと決まってますんでご希望の方は早めにぜひお申し込みください。
それから同じエフタさんとですねその翌日1月29日にあの年末にあったトークライブでこれを定期開催することにしましてエフタクラゾンのクリエイティブ講座と題してね創作と自分を発信する人のために役立つ話というのでね。
なんかエフタさんとはこの先あのクリエイションをテーマにしたある種のコミュニティのようなものもねやろうという話で今日盛り上がったんで割と具体的なことがもう今日上がってきてますんでねこのトークライブと執筆教室をまあ皮切りにクリエイターの方々ね何かものづくりをする方をこの今のね2023年のトレンドの中で応援したいなというそんなまあいろんな企画をね今考えてますのでね。
まずはこの執筆教室28日から29日渋谷ファクトリーというね前回と同じ会場でトークライブをやりますんでねえっとよかったらぜひご参加ください。
ではそんな感じでんっとですね今日は今ここでこれをやっているこれこの瞬間が全てなんだこれが仕事を執筆自分のやりたいこと遊びなんでもいいですね風呂に入るあらゆることこれを今ここで味わうというこれが人生でありこれが幸せでありこれが醍醐味でありこれが全てなんだという感じでね。
焦らずに急がずに全くその必要はないんだ時間かけていいんだよって自分に言い聞かせながらね許してあげながらいい1日をお過ごしくださいありがとうございます。