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2023-02-27 47:43

088 まわりの人を評価者にするのをやめれば罪悪感と怒りも消える

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私たちが子どものころに心に作った「いい点を取る私はいい子で、低い点を取る私はわるい子」の仕組みから、罪悪感と怒りが生まれます。だとしたら、まわりの人を「評価者」にしなければいいのです。番組でお知らせした新しいグッドバイブスファクトリーのウェブはこちら→ https://goodvibes.work/factory/

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グッドバイです。ミッドナイトラクザ、 by クラザムケイザ
こんばんは。ただいま2月27日月曜日の午前2時39分ですね。
先週この番組でお話しした通り、ワントレのセッションが本当にたくさんありましたね。
今数えてみたんですけど、だいたい4日間で9本かな。やってきまして、こなしてきましてですね。
私は何度も言うようにこれは大好きな仕事なのでね。結構1本やるとお腹がすっごい空くような感じでエネルギーを使ってるなっていうのがわかるんですけどね。
そのセッション始まる前に結構食べてもね、わずか90分ですけど終わるともうお腹が空いてるんですよね。
だから間には必ず何かを食べるっていうような感じになるんだけども。
たくさんの方の相談、悩みと言うまでもいかないような相談もあるんですけどね。本当に様々な相談お話をしてきまして。
これがまた本当に9人9色というか10人10色というか、本当に私たちはですね、私がご機嫌な仕事、緑の本で書いたように80億の違いをやっぱり持っていましてね。
それぞれに似ているようでいて微妙にいろんな細部というか細かなところが違っていて本当に複雑なんですよね。
だから僕が一つ気をつけている点というのはね、こういう相談ワントリーにおいてはね、パターン化みたいなことをできるだけしないということは心がけてますね。
これは以前この番組で家族の愚痴をどう聞くかというときにね、相手をカチマックスと思って聞くっていう話をしたんだけども。
このカチマックスというのはやっぱりそのみんなみんな同じくカチマックスというね一つの見方ここはもう完全に対等ということなんですね。
で一つ意識なんでこの一つとみなすというこの価値一つの価値みたいなねこういう見方とともにその人ならではのねこの違いと個性ここを尊重する最大限にねここにもしっかりとその価値マックスという感覚を持っておくというのが大事なので相手にしてみるとね。
例えば私がその家族の愚痴を聞いているときにあーそれねあーねみたいなねあーその話ねみたいなねよくあるよくあるみたいなこれをやられると本当に腹が立ちますよね。
なんかこうほんと10歯ひとからげに扱われたような感じね。
だからまあ例えばその20人ぐらいでねみんなでグループでこう相談会グループセッションしましょうみたいなときに悩みを聞いてね。
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はいじゃあABCに分類しましたのでAの悩みの方はAのコーナーにとかってねこう分けられたら腹立ちますよね。
AはまあこういうことですねでBはこの手のやつですねでCはよくあるこれですねみたいなこれをね本当にやらないようにしようでそうになるんですけどねなんか私の中でもやっぱりこうその人ってやっぱりこうすぐに分類したくなるんだね。
まあこれは過去の過去の経験をパターン化しておいてそれをそのジャッジの代わりに使うというねこのまさにありのままの現実を見るときにものすごく邪魔になる感覚なんですけどね。
こういう人とかねこういうタイプねとかねあーこの手の仕事ねみたいなねまあこれがあることで僕らは安心を得てるんですけどもこれをその対人でやられると本当にこのなんつーのかな。
まさにその既製品というかねそういうものをポンと当てがわれてこれでも着とけみたいなねあーはいはいこれねみたいなね本当に腹が立つんでやっぱりこの一つ一つね手作りカスタマイズされたオーダーメイドというかねこの人だけのこの話という風に私はねこれは本当についつい油断するとうっかりやってしまうので気をつけているんですけどもね本当に千差万別。
と言いつつここからがまた複雑な話なんだけどもと言いつつ僕らはねそのさっき言ったこの一つ意識つまり私とあんたは同じっていうね私はあなたであるという根本は一つなのでやっぱりこの悩みというかね悩みとか苦悩とかね苦しみこういうもののその根源というかねそこはね実はやっぱり共通しているんですね。
まあその共通点がなければそもそもこういう話もできないわけだねこれが個別の一人にしかその伝わらない役に立たないメッセージであればこういうポッドキャストのようなねもしくはブログだとかそもそも本みたいなね一体他のメディアでこの情報を発信することはほとんど意味がなくなるんですよね。
まあそれなりにみんなのベースのところで確かにここは同じだねっていうところがあるからこそこの一つの情報っていうのがね多くの人にそれがその役立つものであれば役立つというねこういう仕組みが成り立つわけだからだからこそこれをその先にねこのパターンですねっていう風に出さないようにするというのがね
まあつるかこの裏表のいましめみたいなものなんですけどね注意点というかねそして私はそのまさにその今回先週ね結構多くの方とセッションをしながらやっぱり僕らがその苦しんだり悩んだりね困ったりするときのその根源というかな元っていうのはねやっぱある一点に行き着くっていうのはこれは確かにあるなということを
もう改めて実感しましたね今日はそのお話をしようかなと思っています
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でこれがですねまあ要はグッドバイブスのゴールというのはねやっぱりこの人とのつながりを取り戻してまさに一つ意識というかね私とあなた私はあなたであるあなたは私であるそして私は私が思うに私の私たちの本性は愛そのものであると思っているんですね
まあこの一つ意識と愛そのものであるっていうのは同時に起こることなんですけどもそのためにどうすればいいかっていうことをねグッドバイブスでは色々お話をしているゴールはそこにあるわけですね
まあ私が言うところのすべて力総力と書いてすべて力を取り戻すその方が楽で自由ですからね自力で一人でそのつながりを立って頑張るよりも楽ですから私もそこのね自力で行ってそこのなんつーのかな縁を見てきたのでねこれはもう限界あるなっていうんでこのすべて力の方に行くつながりを取り戻す方に動くという
でこのためにどうすればいいかっていう話が個別具体的にこの1話から今日までね今日は89話になるのかな89個のお話をしてきたんですけどねでもそのやっぱりその元となるのはねやっぱり3つなんですよね
一つはやっぱり恐れや不安これはまああの私たちがそのバラバラであるときの感覚ね私と他の人がバラバラであるというのはどういうことかというと体という単位でねあなたと私は完全に切り離されてますよねっていう意識これが普通とされてるんですけどね同時に僕らはねそのバラバラ意識を持っているということはこの体本体この体がね私の本体であるっていうこの意識を持たざるを得ない
だから切り離されているからバラバラなんですねでそうするとこれはあのこの番組でももう繰り返し言ってますけどものですから傷つきやすくてそして損なわれいつかねこの世から消えていくという儚い存在なのでここには恐れや不安というのはやっぱりつきものなんですねこの自分でいながらにして恐れや不安を手放すというのは至難の技なんですよやっぱり
しかもこれは多くの場合この体の反応としてやってくるのでねなかなかこの手を当てにくいだからまあ僕らが唯一気をつけるのはここからねストーリーを作り出して心象を大きくしないということなんですけどねでもこの体の反応だけは止めることができないのでやっぱり怖っていうこの感覚は消えないんですよね
でもここはだからその手が当てられない部分でもあるわけだから気をつけたいのはねそこからこの恐れや不安が僕らの心の中で2つのものに変わるっていうねここのプロセスなんですねこれが怒りと罪悪感これはなんかあの僕もどちらが先なんだろうなといつもこう見てるんですけどねなかなか追い切れないわからないですね自分の心の中でこのスピードが速すぎてね
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どっちが先だったんだろうってなかなか追い切れない時にはなんとなく怒りから始まって罪悪感に行きそうな感じもするんだけどもでもなんとなくその怒りが発生する前にもう罪悪感を持っているような感じの時もあってねまあこれはただまあなんとなくですけども僕の感じだと罪悪感から怒りに行ってるというかなそういう感じなのかな
でこの要は恐れや不安はまあちょっと置いておくとしてこの怒りと罪悪感というのがねまさにその僕らのつながりそして全て力まあ要は人間関係ですよねそういうものを難しくしている一つと思えない一つと思いたくない許したくないというねこの感覚につながっている
これをどのようにして手放していくかっていうのがねもう本当に私のテーマでもありね自分自身のテーマでもありそしてこのグッドバイブスというこの一つのね考えをまとめたこのなんつーのかな取り組みこのテーマでもあるんですよ
でここがえっとですね今日は評価というねここから生まれているっていう話をちょっとしてみようかなとなぜ僕らはねこの怒りと罪悪感を抱くようになったのかっていうこれがその評価を気にする心ここから来ているっていうねそういう話なんですよね
だからえっとたどっていくとあそうかそうかこの評価というところにとっても大きなね修正点のヒントがあるんだなっていうことがわかるわけねまあそれがね私がその自分のなんていうかな心を探求しながら見つけた答えでもあるんですけどね
でこれがあの要はあの風が吹けばお部屋が儲かるみたいなねちょっとこういろんなプロセスを経てここに至るみたいな話になるんでそこをねちょっと順序立てて私がどのようにしてこれをねあの探り当てたような気がしてるんですけどね
かみたいなその経緯というかなそのプロセスをちょっとお話しするとねまず僕らはその赤ん坊としてこの世に生まれてきますよねでこの子はおそらくこの親がね自分を見て喜ぶっていうねこの笑顔っていうのかななんか嬉しそうな顔してるこれを見て多分だけど愛されてるって手応えを得ているんじゃないかなって気がするのね
で面白いことに最初はこの親が喜んでくれる顔ってのはねえっと例えば初めて何かを食べたとかね初めて立ったとかもしくはおついに歩いたとかねでも言葉なんか発した日にはめちゃくちゃやっぱりをママって言ったみたいなねそんなもうなんかもう本当に大喜びですよねだから最初はねとても単純なんですよね食べたり歩いたり喋ったりするだけで喜んでくれる
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だからとても楽ですよね今僕らが普通にできることをやるだけで大きな驚きっていうでここから年を取るに従って僕らは学校に行きますよねそれから今だと塾も行くそして学校塾以外のバレーとかねなんかピアノとか習い事もしますよね
でここでどんな成績を残したかとかねこれが結構あの大事になってくるわけねで次あとは例えばその家でゲームばっかりしないでちゃんと勉強したかとかねあるいはそれぞれの家にそのマナーとかルールしつけみたいながありますよねそれをしっかり守ったかとかね
例えばなんだろう自分の食べた食器は自分で流しに持っていくみたいなルールを作ってあるお家だったらそれがちゃんとできたかとねそれをせずにパーッと遊びに行ったりしていないかみたいなねこの生活の態度みたいな
でこういうものが最初はその食べる歩く喋るだったのがこういうちょっと複雑なものに変わってくるわけですね
ハードルがどんどん高くなっているってことですね
まあ要はこれはあの僕がこの番組でよく言うその人が作った仕組みの中に出ていくってことなんですよね
でこの話をするときにあの私はですね決してこの人の仕組み作った仕組みが悪いと言ってるわけではないんですね
言ったところでしょうがない
で実際私には好きな仕組みもたくさんありますからね
例えば音楽なんか大好きだしそれをやるコンサートも大好きだし私がやってる仕事セミナーとかねワントレとかこれも多分人が作った仕組みなんでしょう
全然その良い悪いの話じゃないんですね
しかもこの私がよく言うこの昭和から見たら結構人も頑張っていてね完璧ではないですけどもかなり良い仕組みになってきてるんですよ
昔に比べればね
だからここをなくそうとかねこの人の仕組みが良くないんだよとかね
よく時間とか罪や罰の仕組みみたいなことを引き上げ出すんだけど
そこをなくした方がいいとか攻撃したいとかいうそんな意図は全くないんですね
ただこのような副反応があるよね
そこに僕らはもし気づいてねこれがこれをなんか僕に適用しなくてもいいんじゃないかって思ったやつは自由にその自分の意思でね
ここに入るかこのルールに従うかこの仕組みに沿うかみたいなことを選べる自由があるっていう
ここはなんか全くないような感じで捉えておくよりはね
少なくともこのパーソナルな自分の生活の中でそれを自分で適用するかしないかは
選択の余地があるっていうそういうお話がしたいだけなんですね
これが要は人が救った仕組みと僕が言ってるやつ
要はここに入っていくからどんどんどんどんその親が喜ぶ顔っていうのがハードルが高くなるんですね
親を喜ばせるっていうハードルこれが高くなる
そうするといつしかね僕らの中にはいい点を取る私はいい子とね
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そして悪い点低い点を取る私は悪い子っていうね
この図式というのが出来上がりますよね
これが多分僕らが最初に抱くその恐れや不安の種なんじゃないかなと思うんですね
この種はいろんな種があるんでもっと他にもあるでしょうけど
だいたい僕らが共通して持つこの恐れや不安の種ね
なぜここで恐れや不安の種ができるかというと
最初に言いましたけどもこの結果はですね
愛されているかどうかのこの感触にものすごく関係してるわけね
つまり結果が良くなければ親は喜んでくれません
それはつまり私はこの人たちに愛されていないっていう
もう本当に一番避けたい状況ね
ここに今いるんだってことを意味するのね
だからこれはとても怖い基準なんですよ
いい点を取る私はいい子で低い点を取る私は悪い子
そして悪い子になったってことはもう愛されていないってことね
これはとても本当に厳しい厳しい仕組みなんですよ
不思議なことにこの親元を離れて大人になり社会に出るという
この大人になるというこの時にでも私たちは
この仕組みを心の中に持ち続けてるんですね
ここがちょっと何でかっていう理由が聞き慣れない話になると思うんだけども
私が主にこれは最初にお話ししたこのバラバラ意識で生きてるからだと思うんですね
バラバラ意識で生きてる僕らの中からこの愛されたいという願望が消えることはないんですよ
だからこの愛されたいという願望が消えないということは
やっぱりいい点を取る私はいい子で低い点を取る私は悪い子というね
この仕組みをやっぱりこの自分の中に持たざるを得ないんですね
一方の先の一つ意識他の人と私が一つであると
この意識を持っている時私たちはまさに愛そのものでいられるんですね
そうでなくては他の人と自分が一つであるというふうには認識できないんですよ
で私はあなたと一つであるとこの意識を持った瞬間に私は愛そのものになるというふうに僕は感じている
そして自分が愛ならば自分自身が愛そのものですからね
愛であるものが誰かから愛をもらう必要はないんですよね
だからなんだろうな私がその水だとしますよね
私が水だったら水が欲しいと思わないですよね
私自身が水だからね
そんな感じでこの一つ意識にいる時の僕らというのは
もちろん愛されることが悪いことではないしそれは嬉しいなと思うんでしょうけども
それがなくては生きられないというような感覚ではないんですね
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そこを渇望することはない
前確かその愛することと愛されることは同じだというお話をしたと思うんですね
それも愛そのものであるからなんですよ
でも僕らはねそのようには生きていない
やっぱりこの体が本体とみなして自分と他の人が完全に分離していると感じていますよね
この時私たちはその愛そのものであったというね
この自分が何だったかを忘れているってことなんですよ
そうすると何が起こるかというと自分はこの愛ではないので
でもね面白いことにこの本来愛そのものである自分というこの認識はあるんですよね
うっすらと思っているんですよ
だから何かが足りない
でも自分と他の人は分離している分離しているから自分は愛そのものとは感じない
でも本性である愛そのものっていうのは残っているので
それが足りないっていうふうに感じるわけね
そうすると愛は外から供給してもらうものっていうふうにやっぱり思わざるを得ないんですね
この外というのは他の人ですね
まさに私たちがその子供の頃に親が喜ぶ姿を見て愛されているなというこの安心を得ていたように
大人になって外に出ても周りにいる人たちから愛を供給してもらわなければならないというふうに感じるっていうことね
そうするとどうなるか
とても不思議な流れなんですけどね
この流れの中で僕らは今会社とか家庭とかもしくは友人とか趣味の集まりとかね
どんなコミュニティであっても周りの人たちを評価者に見立てるんですよ
つまり私に愛を供給してくれる人たち
その供給者はさっき言ったように条件があるんですね
相手が喜んだら僕たちは愛してもらえる
私の言動によってね
私の言動が相手を喜ばせられたら相手は私を愛してくれる
反対にもし私が何かをすることによって嫌な顔を相手がしたとしたら
私は嫌われているっていうね
これ全く同じ仕組みですね
いい点取るといい子悪い点取ると悪い子っていうこの仕組みをそのまま持ち込んで
相手が喜べば愛されている
つまり愛されたいわけだから相手が喜んでほしいっていうことですよね
つまりそれはどういうことかというとその相手は私を評価する人になる
だからこのすべて周りにいる人たちを評価者に見立てて暮らしてるってことなんですよ
これはある意味人間が社会で生きている以上逃れられない仕組みのように見えるんだけども
私は必ずしもそうなるわけではなくて
ここにやっぱり分離の意識というかバラバラ意識というのがあるから
これが自然に発生してしまうというふうにみなしてるわけね
どんな人も評価者にしてしまう自然の流れですよね
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要は親の代わりにしてるってことですねかつてのね
で面白いことにかつてと同じように私たちは子供の頃
じゃあ毎回成功してたかって言ったらそんなことは絶対ない
だからその嫌われたって感じを持つ持ってるんだよね
つまりいい点を取れなかったれない時がある
親が望むような結果をこの親が望むような結果というのは私の予想に過ぎないんだけども
こうすると親が喜んでくれるだろうなというこの予想に基づく結果をいつも出せるとは限らないですね
つまり頻繁にこの試みに失敗するんですよ
それは大人になってからはもっと多分失敗するでしょうね
以前は相手は憎しんでしたからね血のつながった
でもここから先は大人になった後は血のつながりのないね
そういう人たちなんでさらにこの自分の手応えとしては失敗したなっていう方がどんどん増えていきますよね
そのためにここは仕組みが同じなんでね自分を悪いことを見て
ここで罪の意識を持つここで罪悪感が登場するんですね
すでにこの前にあったんですけどね
子供の頃からその良い点を取れない自分というのに罪悪感を持っていたんだけども
大人になるとさらにここで失敗するたびにつまり相手に喜ばれなかった愛されなかったっていうこの失敗をするたびに
自分に罪の意識を持つわけ
でこの罪悪感というのはね僕の感覚だと自分の中にやっぱりコップっていうのかな
何か入れ物のようなものがあってねこれは人によって大きさは違うんだけども
自分の中に貯めておける制限つか限界みたいなのがあるんですね
しばらくの間はやらかしたなまた失敗したな
罪の意識だって俺がダメなんだ悪い子なんだつって貯めておけるんですね
何もせずに俺が悪い自分を責めながら貯めていける
でもこの要領を超えるとねもう抱えきれなくなる
もうこれ以上自分を責めるとやばいぞっていうことになった時には
これをね外側に投げなきゃならなくなるんですね
これが厄介なんですよ
罪悪感を人に投げるっていうことをやる
そうするとこの相手は誰だってことになると
つまり自分にこの罪悪感を抱かせた相手なんですね
今回で言えば評価者です
私のやったことを見て喜んでくれなかった評価者
ここに自分の罪悪感を投げたくなるんですよ
要はそれは不当だろうってことなんですね
最初はこの評価者をねリスペクトしながら
この人は厳正なジャッジを下すというこの前提において
僕はいい子になろうとするわけね
彼が喜ぶ彼女が喜ぶ言動を何とか頑張ってしようとするわけ
でもそれに失敗し続けるとそこでひっくり返るんですね
今度ねいやいやちょっと待てよ
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これ俺が悪いんじゃなかったんじゃねえかと
ジャッジが不当なんじゃねえのっていうこの感じに変わるわけ
これが罪悪感を投げているってことなのね
そしてこれがまさに私たちの怒りの正体だと僕は思います
評価者にまず第一は何だろうな
評価者にする周りの人を評価者にする
それはなぜかというと愛をその人たちから供給しなければいけない
つまり愛されたいと思っているからね
そして成功は喜んでもらって愛されること
失敗は嫌な顔をされて嫌われること
で多くの場合この失敗をすることが重なったりする
そうするとそのたんびに僕らは罪悪感を抱く
第2が罪悪感ですね
第1に評価者にする第2に失敗して罪悪感を抱く
でこれが溜まっていって抱えきれなくなると
これを第3相手に投げる
お前ら評価が不当なんだっていうふうに罪悪感を投げる
そして最後4第4ステップかな
それが怒りに変わるっていうね
だからどこが始まりになってるかって言ったら
つまり愛されたくて周りの人たちを評価者にしてるっていうね
ここが修正点だってことがわかるんですよね
だから何をすればいいかというと
まずはその周りの人々を評価者にするのをやめるってことですね
評価を気にしないではないんですよ
評価を気にしないってことは周りがまだ評価者のままですからね
そうではなくて私の周りにいるのは評価者ではないってことです
これなぜそうした方がいいかっていうと
今のようなこの罪悪感怒りというのを抱く
ここを何とか修正するということにもつながるんだけども
もっともっとわかりやすく言うと
オーディションを受ける人と審査員の関係っていうのをね
イメージすればわかるんだけども
僕らは評価者と見なした人にはやっぱり絶対に弱みは見せられないんですよ
例えば演劇のオーディションを受けに来た役者さんが
セリフを忘れたとしますよね
一緒にオーディションを受けるその仲間
仲間じゃないんだけどねライバルか
このライバルと楽屋で
すいませんちょっとセリフ忘れたんで教えてください
これは行けるんですよまだ
でも審査員には聞けないんですよね
ステージにパンと立って
すいません飛びましたセリフ何でしたっけって絶対に審査員には聞けない
なぜか弱みを見せられない相手なんですよ
だから見せられないんですね
それからこれが一つね
それから彼らからその愛されないという
最悪のジャッジを下されないように
やっぱりいつもですね
この相手の心を想像して
この想像がまた癖もんなんだけど
本当のことはわからないからね
ほぼほぼ間違ってるんですけども
この想像力を働かせながら
よく言いますよね想像力をたくましくしろみたいな
これは僕は大間違いだと思うんだけど
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想像力を働かせて
自分の行動を制限しなきゃいけないですね
コントロールしなくちゃいけないんですよ
つまり彼らに
ダメだというジャッジを下されないように
どう動けばいいんだってことを
終始気にしてなくてはいけない
ある種そのビクビクしてなきゃいけないってことですよね
この評価者には弱みを見せられない
評価者に気に入られるように
自分の行動を制限しなきゃいけない
この2つによってね
これを生活の中に落とし込むと
何が起こるかというと
僕らは一旦この評価者とみなした人には
助けを求められないっていうね
この後期追従去にまず落ちる
それから2番目
自分の評価者に悪い評価を下されないように
コントロールすると
自分の行動をコントロールするっていうことによって
この評価者とみなした人に
リクエストとか提案をできなくなるんですね
簡単に言うと言いたいことが言えなくなるってことね
これを言われたら嫌われるんじゃないかっていう
意識が働くからですね
つまりこれによって僕らは
周りの人を評価者にしながら
助けてもらえる人を1人失ってるってことね
それと同時にリクエストとか提案ね
こうして欲しいんですけどっていう
言える人をまた1人失ってるってことね
この2つのことを失ってるんですね
2つの自由を失ってるって感じかな
面白いことにこの1つ意識ね
あなたは私、私はあなたというこの1つ意識にいれば
誰もが助けてくれる人
誰もが助けられる人なんですね
私が助けることができる人だし
相手も私を助けてくれる人
そのように見ることができる
なぜか1つだからですね
あなたは私、私はあなただから
ここには利害が完全に一致してるからなんですよ
それから私があなたであなたが私ならば
こうして欲しい
こういうふうにやってくれないかなって
リクエストや提案なんて簡単にできますよね
だからこの2つは1つ意識にいればね
もうほんと呼吸をするぐらいに
当たり前に得られるものなんですよ
これを私は全て力と呼んでるんですね
これができないから自力でやるしかなくなる
これが1つ意識にいて呼吸をするようにできれば
この2つは私は手にすることができる
だから全て力って呼んでるんですよ
これをこの2つこの失った2つのね
自由というかな
助けてもらえる人
そして何でも言える人
この2つを失うということ
これを起こさないように
周りの人々を評価者にしないというね
これ面白いことにオーディションの場合は
審査員はお前ら審査員じゃないっていうのは無理なんだけど
僕らが暮らしていて
周りの人を勝手に評価者にしてるわけだから
心の中でね
この人に愛されるためには
この人が喜ぶような言動をしなくてはいけないという風に
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見ているわけだから
これは僕らの意思の問題なんですね
心の問題なんですよ
だから周りの人々を評価者にしないという
メソッドは成り立つんですね
これそんな無理だよってことであればね
言っても意味がない
でもこれは僕らの心の中で作った
どうやってできたかをさっき冒頭からお話した通りね
そもそも親の喜ぶ顔によって
僕らは愛を確認していたっていう
この仕組みの中から
これを大人になっても
コミュニティの中に持ち込んでいる
これをやめましょうということですね
それにあたってね
なぜ私がこの風が吹けば
お部屋が儲かるの話をしたかというと
ここにこの始まりというかね
ここに実は大きな修正点があるんですね
これは何となくこの話だけ聞いたら
そんなもんで変わるのかなって思うかもしれないんだけども
これはすっごくでかいなと
僕は思っているんですね
要は多分僕らはね
一つ大きな誤解をしていたってことをね
受け入れる必要がある
要はこれはいろんな親がいるでしょうけど
どういうふうにこの認識し直せばいいかっていうとね
なるほどと
悪い点を取った時
この低い点を取った時に
親が渋い顔をした
これは事実だと思うんですね
それは私が嫌いになったからではなくて
私に多分このいい点を取ることによってね
おそらくこの子はいい学校に入れるだろうし
学歴みたいなものも手に入れられるだろうから
そうしてほしいということは
僕に安全な人生を送ってほしかったんですよきっとね
だからそれがこの渋い顔の正体であって
愛されなかったってわけじゃなかったっていうね
これはおそらく大人になった今であれば
そのように捉え直すことはできるはずなんですね
子供の頃は無理だったかもしれない
つまり彼らはね
私の親はどっちの自分も愛してくれていたんだなっていう
この大きな誤解を解くってことです
僕らは低い点を取ったら愛されない
いい点を取れば愛されると思い込んでいた
親の顔色でこれを見ようとしていたからね
でもそうではない
そこで渋い顔したのは別の理由があったんだよねと
僕を心配して僕を思ってのことだったのかもしれないと
これは本当かどうかわからないんですね
本人に聞いても覚えてないだろうし
本当のことは言わないだろうし
私のようにですね
もう母親がこの世にいないと
高いした場合には確かめようがない
だとしたらこれは本当のことがわからないので
そのように捉えてあげればいいというね
このぐらいでいいのかなって気が私はしてます
これがね
つまりこの大きな誤解についてね
自分と両親を許すということですね
なるほどちょっと誤解してたなと
誤解してた自分
そしてそのように見えていた両親
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これを許すということ
これによって僕らは随分とね
この評価者という仕組みから逃れられるんじゃないかと思います
しかもここがすごく極端に差があるとかね
厳しかったっていう
これはそれぞれの家庭の環境になるんですけどもね
このパワーというかな
この影響っていうのは
それぞれの人によって違うと思うんだけれども
大きければ大きいほどね
ここを許しておくというのは
非常に効果があると私は思いますね
まあ難しいなと思うんであればね
私はいつも思うんだけど
そもそも親という職業はないんですね
養成機関も学校もない
プロもいない
保育士さんとかね
その職業的なものはあるんだけど
すべての親はその職業についているわけじゃない
私と同じ
私と同じ
皆さんと同じ
普通の人間がそれを担うんですよ
だからこの結構多分相当高度な技術だとか
忍耐だとか体力だとかね
ものすごいものを要求されるにもかかわらず
選ぶことができない
やらなきゃいけないっていうね
普通の人間がそれをやらなきゃいけない
ここに完璧を求めるのはそもそも無理だよね
ここを大人になったら受け入れるべきだと
私は思いますね
これだけでも相当許せますよ
機嫌の悪い時もあったし
体調がよくないこともありますよね
自分を振り返れば分かる
それから環境がものすごい激減して
例えば自分が営んでいた会社が
ちょっと傾きかけているとか
社長さんとか経営者であれば
そういうこともあるでしょう
ものすごい恐れや不安に変わられていることも
あるわけですね
こんな時に不機嫌な顔の一つをしたからといって
それを愛されていないと
みなす必要はないわけですよね
それからテストの点にしても
僕らも人間ですから
他の親に見栄を張るために
子供の成績を気にすることもありますよ
うちの子の方が点数がいい
みたいなことで気分良くなる
これも私たち人間の差がじゃないですか
それから子供がいい成績を取らないということは
自分の育て方に問題があるんじゃないかみたいな
そんな恐れや不安を抱いて
子供を叱ることだってありますよ
これも私たち人間の差がですよ
こういう諸々の
本当に複雑な世界の中で
僕らは関係を結びながら
おそらくきっと大きな誤解をしたんでしょう
だから本当のことは分からないんだから
実はどちらの自分も愛してくれていたっていう
このぐらいで終わらせておくのがいいと思いますね
これが一つ目の修正点
そもそもの始まりのところを消してしまうということ
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大きな誤解をしていたね
そんなことはなかったね
そんな感じで誤解を解けばいい
これが最初の一つ目の修正点
そして二つ目は
途中でポツポツ挟んでいたんですけども
一つ意識
私はあなた、あなたは私
この一つ意識でいれば
愛そのものでいられるんですね
そうするとさっき言いましたけど
愛である自分が
愛を供給してもらう必要はなくなるわけ
これはこんな風に話すと
ものすごく高尚な話に聞こえるんだけども
つまり人を評価者にしないということで
たぶんこのものすごく近くまで行けるんですよ
評価者だからバラバラなんですよ
評価者は基本的に敵なんですね
そういう世界はやめませんかっていう
その感じを心の中に持つだけで
随分と私とあなたの距離は縮まると思います
どう見られてるかを気にしてる相手
なんか私の言動一つで
顔色が変わる相手
私を嫌う相手
そんなものと一つと思えるはずがない
でもそれは相手がそうなのではなくて
自分がその人たちを評価者にしているという
ここをしっかりと
そうだったと思ってやめることによって
随分とこのあなたと私の距離は縮まるんですね
縮まれば縮まるほど
さっき言った愛そのものである自分に近づいていって
そっかなんかこの自分って別に
そこを渇望しなくていいんだなって
愛されてるっていうことを渇望しなくていいんだな
っていうことにも気づけるし
何よりもおそらくもっと愛せる自分になるはずなんですね
そうするともうこの本当に供給はいらなくなる
面白いことにここにもやっぱり鏡の法則が働くんですね
僕らは自分を見るように人を見て
人を見るように自分を見て
この法則から逃れられないので
自分が周りの人々を評価者にして
そこからどう思われるかっていうところで
そこを非常に気にしているということは
自分も常に相手の評価者になっているってことなんですね
だからこの周りの人たちを評価者にしないという
試みをやるためには
その裏側ね
私は人々のこの人たちの言動とかね
そういうものをいちいち評価して
そしてこうしたからこいつは悪いやつ
こうしたからこいつはいいやつ
みたいなことをしないということね
これをやめながら
そして同時にだから周りの人たちも評価者にしないという
この二つのトライをしていくことが大事なんですよね
これをやるとさらにさらにだけども
一つ意識に近づいていくはずですよね
評価者になって相手を厳しく見ている間は
とてもじゃないけどやっぱり一つは思えないですよね
39:00
だからこれは大きなキーワードなんですよね
人の評価者に自分がなっているのか
人を評価者にしているのか
やってると言うんであれば
それをやめてみると
やめても多分何の損もないはずなんですよ
これは全部心の中で行われているものなのでね
これがそのだから世界にボンと形になって現れて
何かその困ったことが起こるとか
そういうものではないんですよね
だから安心して僕は両方やめていいんじゃないかなと思います
だから私はね
そのGood Vibesのこの取り組みを通してね
やっぱりこちらの修正点
目指したいなというふうにいつも考えてるんですね
最後にソーシャルっていうのはね
実はこの仕組み今日お話ししたね
周りを評価者にする仕組みというのを
結構強化する力を僕は持ってるなと思っていてね
要はこのいいねなんですよ
ソーシャルのいいねって気持ちいいですよね
つくとね
これ何かっていうとやっぱりこの評価者から
愛されてるというね
ほんの小さな印なんだけどね
やっぱり自分が何か投稿したりブログを上げたり
それからYouTubeに動画をアップしたりした時に
このGood、いいねがつくということは
つかないよりは
なんかそのコンテンツが愛されてるって感じがしますよね
それは同時にそれをつくった
そのメッセージを発信した自分に向けられてるってことになるんで
まさにやっぱりね
このいいねがつく私は愛されてるっていう
この感覚があるんですよね
だから多分だけど
いいねポン一発でほんの微量だけど
0.何ミリグラムぐらいアドネラリングが出てる感じがする
僕頭からねスッとね
だからこれもやっぱり愛されたいを満たす行為なんで
結構やっぱり病みつきになるなと思ってます
だから僕もこれはね
もうなんていうのかな
そこを無視することはできないなというのは分かってる
気になる
この番組もどのぐらい聞かれたかみたいな数字はね
ついつい見てしまう
1日に何でも見てしまう
いいねがつくかどうかって気になりますわね
でもこれはさっき言ったね
失敗もあるんですよ
つかないっていうこともあるんだよね
その時にやっぱり
同じように評価されなかった罪悪感を抱き
そしてそれが溜まっていくと
このいいねをしてくれない人たちに対して
それを投げたくなり
ここに怒りを抱くという流れを作っちゃうんですよね
だからこれをやめるということは
もう多分僕らはね
ここから先
このなんていうの
2023年のこの今暮らしている
この自分の世界からね
これを取り除くことは非常に難しいと思います
私とかも本を書けばね
レビューとかつきますしね
星がつきますからね
だから5つの星がついた時には
アドレナリンがぴょっとぴょって出てるんですよ
42:01
これは今日のお話しした通りに
一つ意識じゃなくて
バラバラ意識の方にいるからなんですよね
これもなんていうのかな
一つ意識にいきながら
なんていうのか
このゲームのようにね
見られるようになるといいですね
なんかおまけのようなものかな
僕はなんかこの前も言ったけど
何かを作ったり
仕事をしたりする
そのリアルタイムにやっぱり報酬を得るという
こちらでアドレナリンを出す方がいいなと思ってるんですね
だから出した後に
いいねとか評価がつかれるのは
おまけのようなもの
まさにこのね
宝くじに当たったようなもの
おラッキーみたいな
そんな感じで受けておく方が
心の平安にはいいと思いますね
だって今日のお話の流れで言うと
このいいねをね
すごく自分にとって重要なものだとみなすとね
このソーシャルメディアにいる人たちが
全員評価者になりますからね
これはやっぱりさっき言ったね
この全て力失いますよね
助けてもらえない
言いたいことが言えないっていうね
この2つは当然だけども
なんとなくとてもとても難しいものに
さらになっていくんじゃないかと思います
だからこの辺もちょっとね
ここは付け足しみたいなものなんだけども
少しだけ注意しながらね
ほどほどにしておくといいんじゃないかなっていう
そんな感じがしますね
今日はこんな感じです
要は結論をまとめるならばね
何かその自分の中にやっぱり
怒りと罪悪感が消えないなと
これに随分と苦しめられてるな
っていう時に
一つの修正点としてね
この評価者というこのキーワード
周りの人を評価者にしていないか
そして自分がいつも周りの人を
厳しく評価していないか
ここをチェックすると
ここを変えることによってね
面白いことにこの罪悪感と怒りが
見事に消えていく
なのでぜひよかったらやってみてください
それから以前ね
この番組でグッドバイブスファクトリーのね
お話をして
実は裏技があって
初月無料で入ると
さまざまなね
私のやってるイベントとかワントレが
割引になるんで
これは一回そこ経由するとお得ですよ
みたいな話をしたと思うんだけど
さすがにねこれをやっぱり
この表にちゃんと
評価してないってのはまずいだろうと思いながら
しかもこのグッドバイブスファクトリーの
ウェブサイトというかね
ご案内もしくは申し込みページというのを
もうね確か2年ぐらい
更新してなかったんですよね
その間にコンテンツも変わり
それから私が思う
このファクトリーの役割というのがね
随分と変化してきて
以前はやっぱなんかこの
グッドバイブスの理解を深める場所とかね
相談とか質問ができる場所
っていう風に捉えていたんだけども
今はねもうちょっと
大きな意味というか深い意味があって
まさに私がその
よく言う外の世界でね
人の仕組みの中で
この傷つき
45:01
自分の価値を見失った時にね
子供の頃は買えるホームがあった
まさにその
そのままでいいんだよお前って言ってくれるホームがあった
これを僕らはね
大人になると自然に失っていくんですよね
パートナーと
そういう関係が必ずしも
進めるわけではなかったりもする
だからなんとなく今ね
私はこのグッドバイブスファクトリー
っていうのは大人になった
私たちが自分を取り戻すために
買えるホーム
この役割をね作りたいなと
できてるかなって感じもするし
まだまだな部分もあるんだけども
なんかこのここに来れば安心だよね
安全だよね
俺価値マックスだって感じするよねみたいなね
そんな場として
今ね成長しつつ
あるというかね
そういう場に育ちつつあるか
成長じゃないな育ちつつあるっていう
そんな感じがしています
なので
100分は一件にしかつでね
だからといって何にもしてないんですよ
何もしないというところが
ホームなんだと僕は思っていてね
ここに来てあれしろこれしろとかね
週に一回何かを
求められるとか
質問をする時にはこんなフォーマットで
こんなマナーでやらなきゃいけないとかね
24時間以内にコメント返さなきゃいけないとか
そんなルールがあったら
ここはまさに
人の作った仕組みになってしまうのでね
なんというか
なんとなくなんかここって
一つ意識っぽくないとかね
なんか全然ルールも
縛りも全くないんですけど
だから何もしないっていうのが
僕は一番だと思っている
でも私はいろんなコンテンツをね
配信したりね
佐々木さんも出してくれたりしてますんでね
何かが何にも得られないわけではないんですが
不思議な空間なんで
これは本当に
百聞は一見にしかずなので
ぜひぜひお試しください
そしてリニューアルしたページをね
今日アップしますんで
よかったら見てみてください
中身は全部書き換えてね
ちょっと綺麗に作り変えましたんでね
じゅっくり丁寧にギフトモードで
まずレベルの
一応私の中で言うまずレベルの
コンテンツに仕上げてみました
ぜひご覧ください
ではそんな感じで
今日はね本当に分かりやすい
自分の周りに評価者を作らないでね
自分もできれば
いろんな人を
いちくいち評価せずにね
いい一日を
お過ごしください
ありがとうございます
47:43

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