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2023-07-30 13:44

#553 他者に対する期待とは、愛のようなふんわりとした香りをまとった、意味と価値のただの押し付けである

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お互いに、「こうあるべき」みたいな期待はしないけど、双方に最善を尽くしていると捉え合える関係(相手に対しても「相手なりに最善を尽くしているね」と見なす態度)が僕は好ましい。


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▼上水優輝(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Twitter @y_uemizu⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠) 作務衣を着た悪魔。株式会社現象 代表取締役。 ・YouTubeチャンネル『⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠現象⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠』に各種Podcastをまとめています。毎曜日異なるPodcas番組を配信中!ぜひチャンネル登録お願いします!

サマリー

彼は他者に対する期待を、愛のような優しい香りをまとったものと考えています。彼は単に意味や価値を押し付けることではなく、期待と現実のギャップにがっかりすることも考えています。彼は自分自身でそのギャップを埋める必要があると話しています。彼は人間関係の中で関わることなく押し付けることなく、共に生きることができる人と一緒に生きていきたいと思っています。また、これからも新たな出会いを通じて楽しく生きていきたいとも考えています。

他者に期待することとがっかり
みなさんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、他者に対する期待とは、愛のようなふんわりとした香りをまとった、意味と価値のただの押し付けである、というお話をしたいと思います。
最近ちょっといろいろあってですね、他者に対して期待することについて考えさせられました。
まずですね、期待というのは、期待と現実のギャップがあったときに、そのギャップにがっかりしちゃうよね、ということを前提として今日のお話はしていきます。
なので、そんなことないでしょって思う方とかはですね、もしかしたら根本的に何言ってるかわかんないみたいな話になっちゃうかもしれないですけども、
僕はやっぱり誰かに期待するということは、その期待と実際その現実とのギャップに何らかね、がっかりしてしまうというものかなというふうに考えています。
そのがっかり、がっかりではないかもしれないけど、そのマイナスなものの現れ方としてはまた感情としてね、悲しみだったり怒りだったりとかっていうことで現れるし、また行動という意味ではそれを自分自身でなんか消化するという形と、
もう一つはその期待している対象、相手にですね、そのがっかり感、悲しみとか怒りとかを相手にぶつけてしまうみたいな形になると。なので感情としても結構激しいのから元気なくなっちゃう感じのもの、行動も自分自身で完結するものから対象にそれをぶつけてしまうという激しいものまで様々あるかなと思うんですが、
とにかくその期待をする、他者に期待するっていうことはそのギャップに何らかがっかりする、苦しむものかなというのを思いますね。
僕自身ですね、現在はほとんど人に期待してないっていうふうに言えると思うんですけども、昔はですね、めちゃくちゃ期待してたなと思うんですよね。
期待とのギャップによく悲しい気持ちにもなったし、怒りもせたと。エピソードとしてはですね、数え切れないほどあるかなと思うんですが、とにかく若い頃はよく切れてましたね。
それはやっぱりその相手とか社会とかが、この世にあるべきだと自分の中で思っているのにそうじゃないみたいなギャップですね。
期待に苦しんだ、怒った、悲しんだのかなというふうに今振り返ってみて思いますね。
経験を重ねるにつれてですね、他者じゃなくて自分を変えるんだなとか、他者に対してあるべきとかいう気持ちではなくて、
あったらいいな、ないならないで仕方ないなっていう程度の期待の仕方みたいなのをだんだん覚えてきて、
そうすると仕方ないって思えるようにもなったし、一方でその時に相手にどうしてもらうんじゃなくて自分がどうするかっていうふうに考えるようになったんで、
全然怒るようなこともなくなってきました。
他者に期待しないから、他者に怒ったりしないという感じにいつぐらいですかね。
だんだんではあるんですけども、明確なのは多分30ぐらいですかね。
30以降とかそんなに他者に期待して怒ったみたいなことが記憶としてないかなと思います。
自己消化と対象へのぶつける
よしよしは別としてですね、そういう状態であると。
世の中を見渡してみると、結構ね、他者に期待してめっちゃ怒ってるみたいなとか、めっちゃ悲しんでるみたいなのをよく見かけますね。
昔自分がそうだったから、気持ちはわからないことはないんですけど、しんどいだろうなと。
だって他者は思い通りにならないから、期待と現実のギャップがあるって悲しんだり怒ったりしたところで、
相手はそのギャップを埋めようとしてくれるわけではないから、自分自身がそのギャップと向き合う必要がある。
向き合った上で別に離れてもいいと思うんだけども、期待しないっていうことを覚えてもいいと思うんだけど、
自分自身が向き合う必要があるかなというふうに思いますね。
なのであんまり期待しすぎると人生しんどいだろうなというふうに思ったりします。
各自それこそ自由にすればいいと思うんですけども。
ところがコミュニケーションっていうふうに考えていくと話がややこしくなるんですよね。
今は人それぞれが期待することは勝手だよね。各自好きにすればいいよって言ったんだけど、
期待される側もいるわけですよね。
他者に期待して、その期待とのギャップに怒ったり悲しんだりして、
かつそれを自己消化できないタイプの人っていうのは、その期待を期待した相手にぶつける、
つまり対象者を攻めるっていうようなことをするんですよね。
お互いに期待し合って同じ量、同じ質で、そしてお互いにある種監視し合って、
お互いを攻め合うんだったら機能するんだと思うんですけども、
多くの場合ですね、お互いの期待みたいなものが同等であるみたいなことはまだないと。
だいたい通り合いであるから、
そのアンバランスさでね、
コミュニケーションと期待
全然フェアな関係みたいなものは存在してないよなーみたいなことを思ったりするんですよね。
僕は人に期待しないっていうふうに言ったんですけど、
期待しないっていうのは厳密に言うと、そこまでがっつり期待しない淡い期待しか持たない、
ないならないでいいやと思えるレベルの期待しかしないっていうふうにしているんですけども、
例えば相手から自分を期待してもらったときに、
相手がその期待と現実のギャップで、僕に対して怒りないし悲しみないしね、
そういったがっかりした気持ちを、
ましては自己消化できずにぶつけてくる場合があると。
これに関してはやっぱり話はちょっと別なんですよね。
僕は期待をしないけれども、期待をしないっていうのは僕のスタンスの話で、
相手から期待されてそのギャップの悲しみや感情みたいなものをぶつけられることを許容するかどうかとか全然違う話で、
正直許容できないって感じなんですよね。
あなたの都合ですよねって思うので、
あなたが勝手に期待したギャップに勝手に怒ったり悲しんだりしているものを、
なぜ僕が埋めなければならないんだっていう、
そのギャップを僕に埋めてもらおうとする甘えのように僕は思うので、
一定の距離を取ろうとしてしまうというところですかね。
そういう意味では僕は根底ではですね、期待しないことを期待しているのだと思いますね。
期待はされたいけど、そのギャップを責められたいとは思わないっていう感じかな。
ぜひ期待はしてほしいと思ってますけども。
いずれにしても期待したのは本人、
僕が誰かに期待する時もそうだし、相手が僕に期待する時もそうで、
期待したのは本人ですから、
それをなぜ相手側が消化しなければいけないのか、
自分自身で消化すべきじゃないかなというふうに思うんですね。
こういう話をすると、期待しないとかって寂しい人生ですよねって言ったりする人がいるんですが、
別にそんなことはないと思ってるんですね。
お互いにこうあるべきだみたいな意味と価値の押し付けはしないけれども、
双方にベストを尽くしていると、最善を尽くしているというふうに捉えることができる関係ってあると思うんですね。
僕自身は別にその相手に何かをしてほしいって思ってるわけじゃないけども、
でも相手はベストを尽くしてるんだろうなと思えるみたいな、
僕基準で見た時によくやってるように見えないにしても、
その人なりにベストを尽くしてるんだろうなって僕が思えれば、
それはその人のベストだから、期待はしてないけどいい関係だと思うんですよね。
ベストを尽くし合ってるなって思えたら、
そのベストを尽くし合ってる中で成り立つ、
何というか、バランスで関わっていけばいいじゃんって思うから、
変に期待しまくって、お互いにハードル上げまくって、
人間関係の理想
お互いを締め付け合うみたいなのは、なんかね、窮屈だなと思いますね。
人間関係みたいなものは、生まれてから今に至るまでずっと、
いろいろ考えさせられ続けているんですけども、
現時点で思っていることとしては、
やっぱり双方に期待はしないけれども、双方にベストを尽くしていると
捉え合える関係の人と関わって生きていきたいなあと思うんですね。
普通これぐらいやるよねとか、そんなことを求めない。
この人はこの人は何やってんだろうね。
僕は僕は何やってんだろうね。
そこで交わる点で関わっていけたらいいね、ぐらいの感じを理想としています。
それはある意味ですね、押し付けたりしない。
いわゆる暴力的でないですね。
人の人権を侵害するような態度でないっていう意味で
優しい世界でもあると思うけども、
その距離感に留まるという、ある種の厳しさというか、
人間関係で自分を利用するみたいな厳しい世界でもあるかなと思ったりするんですね。
それは感情コントロールもさることながら、
お互いの人間みたいなものをよく観察しないといけないし、
いろいろ考えるとね、経験則で考えればめちゃめちゃハードル高いなあと思ったりするんですね。
ただそれでも、今現実にそう思える人っているんで、何人か。
だからこの世界に何人かいるんだったらもっといるだろうと思うし、
その人たちと関わって一緒に何かやったりとかね、
すると楽しく生きていけるんじゃないかなというふうに思ってます。
これからもですね、こういうポッドキャストも中心にやってますけども、
いろいろ発信を通してですね、
期待はしないがお互いベストを尽くせるよね、みたいなことを思い合える関係の人たちと一緒に、
そういう人たちとたくさん出会って、そういう人たちと一緒に語ったりね、
面白かったりして生きていけるような、そういう人生をですね、
そういう人間関係をですね、
築いていけたらいいかなということを最近は考えています。
そのためにですね、いろんなものを捨ててもいいかなと思っていて、
例えば社会的地位みたいなものを捨ててもいいかなと思っているし、
ビジネスパーソンとしてランキングを上げていくみたいなことはどうでもよくて、
どっちかというと、
今言ったような人たちと出会っていけるのはどのような選択肢だろうかとか、
ということを考えながらですね、
自分に必要ないものはどんどん捨てて、
そういった生き方に集中していきたいなというふうに考えています。
他者に対する期待
タイトルにも言ったようにですね、
僕にとって他者に対する期待っていうのは、
愛のようなふんわりとした香りをまとった、
他者に対する意味と価値のただの押し付けであるっていうふうに思っています。
だからといってですね、期待すべきではないと言いたいわけではない。
自分のパートナーに期待する、自分の子供に期待する、
自分の職場の人に期待するとか、親友に期待するとかっていうのはね、
人間誰しもあると思うんですよ。
僕自身もさっき言ったみたいにゼロじゃないし、
ふんわり期待したりするんですよね、
友達に期待したり、仕事仲間に期待したり、
バンドメンバーに期待したりとかするわけですよ。
なので決してね、期待するなって言いたいわけじゃなくて、
期待するってことは、
他者にですね、自分の勝手な意味とか価値を押し付けていることなんだよっていう自覚を持って、
その暴力性みたいなものに自覚を持った上で期待できたら、
いいんじゃないかなって思ったりするんですよね。
そしてそのギャップ、期待した気持ちと、
実際に現実とのギャップで、
がっかりもするかもしれないし悲しむかもしれないけど、
その対象を責めるんじゃなくて、
自分自身で飲み込む、消化するっていう、
なぜなら自分が勝手に意味と価値を押し付けているんだから、
自分自身で飲み込んで消化するってことが、
いいんじゃないかなって思いますね。
もちろん、
できっていうようなね、
ほど強く思ってるわけじゃなくて、
僕自身はそう考えているっていう話を、
ここではシェアさせていただきました。
もしそうだなって思う方は、
心を挙げてもらえればいいと思うし、
そうじゃないなって思う方は、
期待しまくれば、
良いのではないかというふうに思っております。
本日は以上です。
またお会いしましょう。さよなら。
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