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2025-01-24 17:12

167 前提の共有

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前提が共有できない言語コミュニケーションは「どっちが強いの?」に収斂し、支配の構えになる。

「存在としての公園」

現象は、上水優輝(うえみずゆうき)のソロプロジェクトです。「存在としての公園」をコンセプトに、完全招待制の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、場づくりを中心にさまざまな活動を行なっています。自らを公園的なるもののシンボルとすることで、あらゆる空間を公園のように多様な人々を包摂する場へ。一体どんな現象が起こるのか、あなたもぜひ現象の公園に立ち寄ってみませんか?

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皆さん、こんばんは。上水優輝でございます。
完全招待制の晩餐会を開催したり、
公園にレジャーシートを敷くなど、
存在としての公園のコンセプトに、
様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
最近ですね、コミュニケーションについて、
わりとテンションが下がっている感じですね。
公園活動におけるコミュニケーションは、
現状ですね、そんなバズってるわけでもないですから、
十分にですね、
僕の存在を理解した上で来てくださる方が多いので、
公園活動全般においては、
そんなコミュニケーションに困ることはないというか、
テンションが下がることはないんですけども、
もっと広い意味で生きていく上で、
この社会の一員として社会に参加する上で、
コミュニケーションにテンションが下がっているという感じですね。
あまり明確に言語化したことはなかったかもしれないですけども、
コミュニケーションでとても大事なことって、
前提の共有だと思っているんですよね。
全く違う人生を歩んできた人同士がコミュニケーションするということは、
違うということなので、
一緒だよねってことにはならないんですよ。
何をどうしても違うんですよね。
人生が別の人生であると。
けれども、その会話をしている前提みたいなものを共有すれば、
部分的に一緒だねとか、合意できるねとかいうことがあると。
合意できないにしても、合意できなかったことを合意できるというか。
ポッドキャストを通じて、
ポッドキャストを聞いてくださった方と出会うとか、
そういう出会い、コミュニケーションっていうのは、
基本的に一定の前提を共有できている。
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文脈を共有できている。
僕はこういうポッドキャストをやっているとか、
他にどういうポッドキャストをやっているとか、
人生の話をしている回を聞いた方なんかがいれば、
僕が過去こういうことがあったとか、
そこでこういう影響を受けたんだとかっていうことを共有している。
その上で話すから、
例えば僕がサムウェイを来ていることにも、
さほど違和感がなかったりとかする。
だいぶ前提を共有している人なんかで言うと。
とか、講演をやっている意義みたいなことを共有できていたりする。
そうすると、何もない、何もないというか、
ページャーシートを敷いているだけ。
時を過ごすだけ。
ということが、
だけなんだけども、
だけだからこそ意味があるよね。
意味がないから意味があるよね、みたいな。
意味がないことによって生まれている価値ってあるよね、
みたいなことが共有できたりする。
けれども、前提を共有していないと、
まあ、何でしょうね。
もうすぐ40のおじさんが真っ昼間から
サムウェイを来てレジャーシートを敷いている不審者ということになると。
前提をどうするかによって不審者にもなり得るし、
一つの表現にもなっていると。
とか、活動になっているということ。
見る人によってその意味が変わってくるのは
価値観みたいなものもあるけれども、
その価値観、つまり解釈するための
価値基準のもっと手前に、そもそも情報として
持っているか持っていないかというのもあると思うんですよね。
まあ、みたいな情報量の差もあれば、
それを解釈する価値観もあれば、みたいなこともあって、
結局前提がずれていく。
前提がずれていくと、その対象をどう見るかということが変わってくる。
ちょっと後編を例にしたというか、ちょっとややこしくなってきてますけど、
今、いろんな社会で起こっていることに対して、
SNSで簡単に自分の立場を表明できるようになった。
声なき声を上げることができるようになったというのは、
一部の人に独占される社会ではない、
いろんな人が声を上げる社会になったという側面では
いいと思うんですけれども、やっぱり前提を共有しないまま、
敵対構造になっているみたいなことをよく見かけますね。
そういう場面で、SNSを例にいたしましたが、
例えば人間関係で3人、4人といるときに、
AさんとBさんとCさんがちょっとギクシャクしているところに僕が入って、
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この渡辺りをどうにかしようとするときにはどうするかというと、
やっぱり3人の、まず前提から確認して、前提を共有するところから始めるんですよね。
前提が違うのに、その後の話って全部おかしな話になる。
例えば、大学に行きたいっていう話をしているのに、
1人はハーバードに行こうとしていて、1人は福岡大学に行こうとしていて、
1人は東京大学に行こうとしているっていうその前提を共有していなくて、
大学に行きたいんだよね、そのためにみたいな話をしても、
やるべきことが変わってくるし、目的地が違うという意味ではね。
もっと言うと、その手前で自分自身が今どういう状況なのかっていう現状みたいなものによっても変わってくる。
それは自分の学力かもしれないし、家庭の経済状況みたいなものかもしれないし、
みたいな現状とか理想みたいなものがそもそも前提としてどうなっているんだっけみたいなことを揃えずに、
せーので話しても、何の話ってことがあるわけですよね。
世の中のニュースも情報量がまずみんな違ったりするし、
その情報量が仮にね、同じような情報、同じ記事を見て意見をするにしても、
その前提となる知識を持っている人、持っていない人、経験として何かそういう場に行ったことがある人、ない人とか、
文章を読める人、読めない人もいますよね。
読めていても、事実と憶測みたいなことの判断がつかない人もいる。
あと家庭ですね。まだ憶測の段階は出ないんだけども、もしそうだと仮定した場合には、みたいな話とか、
家庭、あとは未定の状態、何もわからない状態、そして決定している状態、みたいなことの差もわからない人がいる。
そうした人が入り混じって前提を共有しないまま意見を表明して、意見と意見がぶつかっているみたいな状況ってよくあるから、
なんかもう収集がつかないなと思ってますね。
そういう時にはやっぱりさっきも言ったけど、そもそも前提が何なんだっけっていうことを一旦揃えていくことによって、
その後の議論がうまくいくかどうかわからないけれども、
少なくとも最低限前提が揃わないと議論すらできないっていうことだと思うんですよね。
なので、それが共有し得る関係性であれば、ちょっと待ってくださいと前提が共有できてないよねと、
そんな言い方はしないけど、全然共有しようとするコミュニケーションっていうのが多分始まると思うんですが、
始めなければ結局その後のコミュニケーションも全部不毛になってしまうので、
どっちかがどっちかを何らかの形で支配するという、それは何ですか、
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必ずしも分かりやすい暴力だけではないと思うんですが、無視することで支配するのかもしれないし、
他の人の影響力を使ってやるのかもしれないし、やり方はいろいろあるけれども、結局支配の構造で、
対話的に相互理解が生まれるとかではなくて、どちらかがどちらかを支配するという形で決着する、
コミュニケーションと言っていいのか分からないですけど、支配みたいなものが結局することがすごく多いなと思いますね。
今のSNSとかを見ていても、一応言葉でやり取りしているから、一件一件と意見を戦わせて、
正義が勝ったとか、世論が勝ったんだとかいう言い方をしたりしますが、前提バラバラだから、
よく分からないものとよく分からないものと戦って、よく分からないものがよく分からない形で勝ったけれども、
よく分からないものが残りました、みたいなことになっているなと思って、どっちの側にも付けないし、
付くだけの情報量もないし、前提も共有していないしという感じで、やっぱりポジションを取らないということが起こりがちだなと思います。
当事者としての意識を持てるような、いわゆる前提が共有できるような案件に関してはですね、
やっぱり自分なりのポジションとか自分なりの意見というのは持てるし、
例えばこれをそうだと仮定した場合にどう思いますかとかだったら意見は言えるんだけども、
いろんなものを覆束の段階で、あの人はこうだとか、この件はこうだというのはすごく難しいなって思いますね。
で、そういう前提を共有できないと結局分からないんだから、分からないとしか言えないよねと、
分からないんだからポジションは取れないよね、みたいなことを言うと、すぐね、冷笑系みたいな感じでね、また冷笑してるみたいな感じでやゆされるんですけれども、
別にね、感情的になっている人をバカにしているわけでもなければ、
物事を必ずしも俯瞰的に見るのがいいとも思っていないんですよね。
やっぱりグッとね、フォーカスして現場目線で何かを言うとか、やっぱり気持ちを乗せて物を言うっていうのは大事なことだと思うから、
別に感情的になっていることだとか、俯瞰的に物を見れないことを外からね、バカにしているわけではなくて、
どっちかというと、でもね、その要素もやっぱりなくはないというか、その感情とかが邪魔したり、
俯瞰的に見れないことが邪魔して前提が共有できないこともあったりするから、
そういう意味ではですね、感情が邪魔している時もあれば、俯瞰的に見えていないことが問題になることもあるんですが、
いつもね、俯瞰的でないこととか感情的になっていることをバカにしているわけでもないと、
だからそもそもバカにしているというよりはね、コミュニケーションが不能だなと思っているって感じですね。
なんで不能だと思っているかというと、別に感情的だからとか、俯瞰的に見れないからではなくて、前提を共有できないからなんですよね。
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前提を共有できないからポジションを取らないだけであって、別に冷笑しているわけでもないと。
何が言いたいかというと、前提が共有できる人とは結構踏み込んだ会話というのはできるなと思っているし、
難しい問題であっても、その難しい問題であり、お互いの立場も違うし、何ていうのかな、意見が異なることもあるかもしれないけれども、
いろんな前提を共有した上で、そのような前提を共有した上で、お互いの意見を知りたいから今対話をしてますよね、
みたいな前提を共有した上で言う意見交換とかっていうのは、やっぱり本音でというかね、語れると思うんですよ。
だからポジションを取らない、ポジションを取るのが今いいことみたいに若干なっているような気がするんですけど、世の中的にですね。
むやみやたらにポジションを取るのもちょっとどうかなと、やっぱり覚悟を決めて取らないといけないと思うし、
そしてそうすると別の意見の人がぶつかってきたりすると思うんですが、その時に前提を共有できているんだっけ、できていないんだとしたら、
前提を共有しながら会話できる、コミュニケーションを取れる相手なんだっけってことはよく考えないといけないなというふうに思いますね。
前提が違うと話にならないと、これ別に切り捨てているわけではなくて、それは別に僕がというよりは、
全人類がですね、前提を共有できていない時にそのコミュニケーションをする相手と同士がですね、前提を共有できていない時、
だいたいそのコミュニケーションっていうのは、コミュニケーションの不利をした暴力、支配でしかないと思いますので、不毛であるというふうに思います。
前提を共有するということ、何かすれ違った時には、意見が違うのはもちろん違うかもしれないけど、その手前で、
そもそもっていうね、この話ってっていうね、僕たちは何を問題と思ってるんだっけとか、何を伝えたいんだっけっていうことをですね、
ちゃんと立ち返らないと、意見のご利用しみたいになってるなーってのを感じることが多いですね。
そういう意味でも、最近やっぱりこの社会に対する、社会に参加してコミュニケーションを取っていくという、
何でしょうね、モチベーションというか、期待感というか、そういうのがどんどんどんどん下がっていってるなと思います。
で、ますますね、そういう意味でも、自分はね、自分のできる範囲のことで、自分の影響し得る目と手が届く範囲で対話を重ねていきたいし、
違った意見の人とも前提を共有しながらですね、丁寧にコミュニケーションしていきたいと、前提が共有できない人とはコミュニケーションはしないっていう、
切り捨てというよりは、現実的に難しいと思うのでしないというふうに、改めてね、最近のSNSとか見てて思うところでございます。
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なんかこれは、僕はそういうスタンスですってことも一つ大きな、何ていうかな、今日の主張なんですけども、
もう一方でですね、前提を共有しないとコミュニケーション成立しないよという、これはね、僕の意見でもあるが、そうだよねっていうことだと思ってますんで、
多分そうだと思いますんで、前提を共有できないコミュニケーションは一度ね、何ていうかな、
それこそ俯瞰できないにしても、一旦じゃあ休止するとかね、距離を取るなどして、一旦冷静に考えてみることが重要、
それをコミュニケーションに取る意味があるかどうか考えてみることが重要かなと思います。前提は共有できないと、それはきっと暴力や支配というね、
結局は、そこになってしまうんで、暴力か支配がしたいんだったらまた話は別ですけども、そうでないのであれば、
一度ね、立ち止まる、ないし、俯瞰的に見ることができるのであれば、俯瞰的に見るとかね、いうふうにして、とにかく冷静に状況を見定めなければならないんじゃないかなというふうに思います。
本日は以上です。
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それではまたお会いしましょう。さようなら。
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