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2024-07-29 15:41

038 聞かない・理解しない・踏まえない

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コミュニケーションがヤバい/聞かない/理解しない/踏まえない/YESか関係終結か/適切に距離を取る/我慢ではなく逃げる/

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皆さん、こんばんは。上水優輝でございます。
完全招待制の晩餐会を開催したり、公演にレジャーシートを敷くなど、存在としての公演コンセプトに様々な活動を持っています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
ここ最近ですね、やっぱり自分はコミュニケーションに関してすごく理想があるというか、こだわりがあって、
それゆえにですね、コミュニケーションがやばい人というのに対して、すごくネガティブな印象があります。
印象というか、実際問題ですね。コミュニケーションがやばいと、破滅的に状況が悪くなると。
関係性の中で状況が悪くなっていくというのを、この38年間ですかね、経験の中から革新レベルで思っていると。
もちろんね、人生のどこかで考えが変わるかもしれませんけれども、この38年間生きてきた暫定的な答えとしてというか、
現状の結論としては、コミュニケーションがやばい人と距離感を間違って関わると大変なことになるよと。
ある意味、今日の会はですね、注意喚起というか、人生を棒に振らないでくださいという思いでお話したいなと思っています。
コミュニケーションがやばい人とかっていう言い方をすると、じゃああなたできてるんですか?って問われるかもしれないですけれども、
僕もできていないかもしれません。それはね、結局は関係性によるというか、相手から見てできていると思うか思わないかというところもあるので、
僕が絶対的な評価者だと言いたいわけではなくて、僕の中の基準においてコミュニケーションがやばい人というのがいるというお話ですね、あくまで。
そのやばい人みたいなことを言うと、ふわっとしているので、もう少しだけ具体的に説明すると、
3つに分けて考えられるかなと思っていて、まず1つ目、人の話を聞けるかっていうところ。
2つ目、聞いたことを理解できるかということ。
3つ目、そして聞いて理解したことを踏まえて発言できるかということ。
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プロセスになっているけれども、この3つがやばいとコミュニケーションがやばい人というふうに僕は言っています。
なので、印象でコミュニケーションがやばいなという話ではなくて、全然話は聞けない人とか、全然理解できない人とか、
話をね、全然話を理解しようとしていない人とか、しようとしていてもできていない人とか、
あとは全然話したことを踏まえた発言をしない人とかですね、このあたりをですね、やばいなと思っているって感じです。
まず聞かないみたいなところで言うと、分かりやすくやばいですよね。
コミュニケーションしているのに、僕の話を聞いていないのであれば、僕とコミュニケーションもはやしてないよねってことになるので、
シンプルに分かりやすくコミュニケーションがやばいというやつだと思います。
聞いていたとしても、理解力がないみたいな場合、ここはかなりグラデーションがありますけども、
なので、完璧に理解するとかそういう話ではなくて、全然理解しないとか全然理解できないとかだとまずいよねぐらいの感じですかね。
3つ目、その発言を踏まえた発言をしない、できないってやつですね。
これは会話の内容によるかなと思ってて、雑談みたいなやつですよね。
井戸端会議みたいなときに全然踏まえずに話す、前の話を踏まえずにスライドしていくみたいな会話ってよくあるなと思うんですよね。
例えば雑談苦手だからちょっと例題がわかりませんけども、
昨日どこどこに行ったんだよねみたいな話をしたときに、その話に食いつくわけでもなくて、
昨日食べたものの話をしだすとかって感じで、全然前の話関係ないじゃんみたいなこととかが起こる。
これは前の会話を踏まえずに発言するってやつなんですけども、
そういった雑談とかでは全然、むしろ言葉を発することに意味があるみたいな場合もあるから、
踏まえなくてもいい場面ってあると思うんですけども、結構大事な話をするときっていうのは、
双方が関係していて、そこで何か一定の合意を得るとか、
もしくはどこでつまづいているのかを確認するみたいなときには、
当然ながらお互いの発言を踏まえて話をする必要がある、対話みたいなやつですかね。
ときにはお互いの発言を踏まえて会話をしなければいけないのにも踏まえないみたいなことが起こると、
コミュニケーションがやばいみたいなことが起こるという感じですね。
聞かない、理解しない、踏まえないっていうところなんですが、
繰り返しますけども、聞かないっていうのはもう分かりやすくやばいので、
例えば何か発言しようとしたらひたすら遮られるとか、
もう全然上の空で話を聞いてないとかっていうのは、
もうコミュニケーション成立してないなっていうのが分かりやすく成立してないので、
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実はそこまで立ちが悪くないなって思ってますね。
もうどうしようもないなっていうのは分かりやすいので。
次に理解しない、工夫でわりとどうにかできる。
小学生だから、例えば知識があまりないと、
勉強まだね、履修してないものとかあって、
知識がなくても小学生が分かるような説明の仕方っていうのがあるかなと思いますので、
知識に差があったとしても、説明の仕方で共有できる部分っていうのはあったりするし、
ということで、理解問題に関しては工夫で多少改善できるというところで、
謙虚な姿勢があれば大丈夫な感じはしますけど、どうでしょうね。
理解しないほうがトラブルになるのかな。
相手を責める姿勢でなければうまくいく気がしますね。
そんなことも知らないのかよみたいな態度だとまずいけど、
相手の認知のレベルというか認識しているレベル感と、
自分が認識しているレベル感とすり合わせていくってことをしっかりやれば、
理解してない問題、理解できない問題っていうのは意外と解決できそうな気がしますね。
3つ目、踏まえない問題。
前の発言踏まえない問題はこれが一番立ちが悪いなと思ってますね。
どうでもいい会話なら踏まえなくていい、雰囲気でいいから。
ていうか、もう言葉を発しているだけなので、それはもういいと思うんですね。
雰囲気で会話すれば。
たださっきも言った通り、やっぱり大事な話でお互いの認識をすり合わせないといけないみたいなときには、
お互いの意見とか、何を見ているのか、何を感じているのか、どう解釈しているのか、
みたいなことを踏まえて話を進めていかないと、
お互いにとっての着地点にはたどり着かないと思うんですよね。
ナットコネクット着地点には。
踏まえて発言できない理由、しない理由っていうのが大体大きく2つあるなと思っていて、
1つは明確に相手を言いまかそうとするとか、相手を騙そうとしている場合ですね。
こっちは踏まえないけど、あなたは私の言うことを踏まえてねっていうことをわざとやっていくという形で、
自分の主張を通していく。
自分の主張にイエスと言うまでひたすら浴びせるという方法があるかなと思うんですけども、
この騙すの方だと、何ていうのかな、
ちょっと頭を使えば、相手の意図というか狙いみたいなのがわかるかなと思うんで、
騙そうとして相手の発言を踏まえないみたいなのは、さっきの話を聞かないほどではないかもしれないけども、
わかりやすくやばい人って感じがするんで、すぐに気づけるのかなと思います。
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そういう意味ではね、意図的に騙そうとして相手の発言を踏まえずに発言する人っていうのは、
あぶり出せるので問題に、騙されたらすごく問題になるんだけども、
警戒心を持ちやすいというか、見破りやすいなと思います。
一方でね、わざとじゃないみたいな人がいるんですよね。
本人は踏まえてるつもりで話してるみたいな、
聞いてるつもり、理解してるつもり、踏まえてるつもりでコミュニケーションしてるみたいな人が、
めちゃくちゃ立ちが悪いですね。本人に自覚がないから、すごく危険。
もうコミュニケーションが不全なのに、コミュニケーション続いていく。
本人はわかり合おうと思って対話しているつもりになっているから、聞いてるつもり、理解してるつもり、
踏まえて発言しているつもりになっているだけで、
そこに対峙している相手はずっと自分が何度も伝えることが加味されずに、
さっきそれ言ったよねとか、さっきうんって言ったよね、みたいなことがなかったことにされて発言が続いていて、
会話を続けても続けても永遠に振り出しに戻り続ける、みたいなことが起こると。
相手は一方的に同じ主張を続けている、みたいなことが起こって、
発言を踏まえずに発言する人と、発言を踏まえて発言する人が対話をずっと続けていくと何が起こるかというと、
相手の発言を踏まえて発言する人っていうのは、いつかもうコンマケして、
イエスって、もう相手の言ってることはもうわかったよと、受け入れるか、もしくはもうこいつ無理だなと思って、
関係を集結するかっていう極端なこの二択しか選択肢がないんですよね。
一方で、聞いてるつもり、理解してるつもり、発言を元に発言してるつもり、発言を踏まえて発言してるつもりになっているけどもできてない人っていうのは、
対話をしてるつもりだから、イエスって言われたら、やっと自分の言ってることが伝わったって解釈するし、
相手が関係集結というか、もう去ってしまえば、自分は対話するつもりだったのに、相手が逃げたみたいな解釈になっていくと。
なので、自分が全然話を聞けてないとか、理解できてないとか、相手が言ってることを踏まえて発言できてないんだってことを学習することもなく、
また、そのヤバいコミュニケーションが再生産され続けていくみたいなことが起こってるなと思います。
正直、そういう人が変わる、変わらないみたいなことについては、僕は正直分からないので、
僕の経験上、何度コミュニケーションしても変わる印象はないというか、すごくスローペースで変わっていく。
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例えば、分かる人であれば1回言えば分かることを3年言ってようやく5%分かるみたいなことが起こったりするので、
それぐらいのスピード感の成長を成長として捉えられるならば、関わり続けてもいいのかなと思うんですけれども、
分かる人なら5秒で分かることを3年かけて5%分かるっていうことを許容できるかできないかっていうのが1つ基準かなと思うんですが、
それをもし許容できないっていうことであれば、正直ですね、忍耐強くコミュニケーションするよりも関係集結したほうがいいというか、
関係集結はちょっと言い過ぎだね。距離感を上手にとっていくってことが大事かなと思いますね。
そういった議論をしなくていい距離感に関係を持っていくということはとても重要かなと思います。
イエスか関係集結かを迫られるようなコミュニケーション、相手の言うことを一方的に受け入れるか、もう諦めるか、
少なくとも自分の言い分は聞いてもらえないという状況を受け入れるっていうのはシンプルに良くないですよね。
シンプルに良くないと思うんだけども、意外とそれやってる人いるんですよね。
タッチが悪いタイプの人っていうのは聞いてるつもり、理解するつもり、踏まえて発言してるつもりになっているから対話をコミュニケーションするんですよね。
だから相手が諦めずにコミュニケーションしているのに自分が諦めてしまっては失礼だとか、
この人とコミュニケーションしても無駄だって判定してしまうのは残酷だみたいに思って、
結局そのコミュニケーション付き合わされているとか付き合っている人って結構いるなと思うんで、
さっき言った通り多くの場合不毛なんで距離を適切にとって議論しなくていいような、
そういうものを共有しなくていいような距離感を築いていくっていうのが一刻も早く、
そういう距離感にいくってことが大事かなと、精神衛生上大事なことかなと思います。
それが上手に距離をとるとかが難しいっていうのであればシンプルに関係集結ですね。
もうあっさり逃げてしまった方がいいかなと思います。
自分の人生を大事にする気がある方は、ちょっと残酷な話に聞こえたかもしれませんけれども、
でも話を聞かない、理解しない、踏まえて発言しないというのは、
あなたのことを大事にしていない人なので、そんな人を大事にする必要があるかっていうことも改めて考えてもらって、
そんなに残酷なことですかねっていうことも今一度考えてもらって、
自分を大切にしていってほしいなというふうに思います。
握ってください。
本日は以上です。
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15:03
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15:41

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