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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、「させられない幸福」という話をしたいと思っています。
現代社会は、「させられている」みたいな感覚に対して、すごく敏感になった時代だなと思っています。
例えば、働き口がなかった時代みたいになってくると、
仕事をさせていただいている、みたいな言い方をする人って多かったんじゃないかなと思うんですけども、
今では、させられている、したくもないことをしている、みたいな感覚でやっている人も一定数いるんじゃないか、
何ならそっちが多数派なんじゃないか、とさえ思うことがあります。
幸い、僕が直接接する人達っていうのは、すごく前向きに自分でやりたいことをやっている人が多かったりするんですけども、
いろんな世間を眺めていると、させられている被害者みたいになっている人が多くて、
それはさせられているというふうに認識してしまうと、誰だってさせられたいんだ、みたいな人ってあまりいないと思うから、
モチベーションも下がるし、モチベーションが下がれば生産性も下がるし、
生産性も下がれば、もちろん結果が伴わないわけなので、
2つが上がらないということになってしまうというふうに思うんですけども、
それをさせられ続けている人生っていうのは、やっぱり幸福ではないなというふうに思うので、
今日はさせられない幸福についてお話ししたいと思っています。
何でさせられているかというと、タイミングの問題なんですね。
まず前提として、しっかり仕事を例に話しますけども、前提として、現代社会でほとんど需要って満たされていると思うんですよね。
特に日本みたいな先進国においては需要って満たされていますよね。
例えばコピー機を売る営業マンがいるとして、その営業マンが今すぐ辞めてもこの世界は何も変わらないし、
その営業マンがコピー業界でものすごい有名なセールスマンですごい業績を上げているとしても、
別に世界は何も変わらないし、コピー機を売らなかったからといって地球温暖化を食い止められるわけでもないと。
その営業マンが一人頑張ったところでSDGsですというわけにもいかないと。
どこかで売っても売らなくてもいいものを売って何とか評価されて生きているみたいな人が結構いるんじゃないかなと思うんですね。
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実際僕の会社にもコピー機の営業に来る人がいて、いまだに飛び込み営業をしてくると。
コピー機かとかって言ってくるんですけども、こっちはこっちでですね。
コピー機あるしなんならコピーあんましなくなってるなって思うので、
よく仕事しているところに入ってきてコピー機いりませんかって言えるなって思うんですけども、
かたやね、それを言いに来ている彼のことを考えると、
おそらく、おそらくというかどう考えても会社、上司がですね、行ってこいと売ってこいと言ってるんだろうなというふうに思うんですね。
で、もしもね、その人がコピー機大好きでコピー機愛してて、
一人でも多くの人に自社のコピー機を届けたいってそういう厚い思いを持ってね、
飛び込み営業してるんだったら、僕は迷惑だけども、その人を否定することはしない。
好きにしてくださいと、むしろその厚い思いを胸に抱いて生きてくださいと、
むしろさせられていない使命感でね、やってるんだから、すごい幸福な仕事をされているなというふうに思うんだけども、
おそらく自社のコピー機がこの世になくても困らないなってどこかで思っていて、
かつ、自分自身いなくてもコピー機を誰かが売るだろうなと思いながらコピー機を売りに来ると、
それはしんどいですよね。
もちろん生活費を稼ぐための手段と割り切ってですね、
しんどい思いしながら、今言ったなんか重要じゃないなと思いながらも、
自分の生活にとって重要ということで頑張って歯を食いしばって働いてる人っていうのはいるんだろうなというふうに思うんだけども、
問題はすでに需要が満たされてしまっているという根本的な、そのシステム的な問題とは別にですね、
それはもう大前提としてあるんだけども、それとは別に、たとえ生活費を稼ぐための手段だったとしてもですね、
させられていない気分で働く方法があると僕は思っているんですね。
じゃあどうやってそれをやればいいかっていうと、
タイミングを自分のタイミングにするっていうことなんです。
私は知る限りですね、今の日本で奴隷商人に売りさばかれて強制労働させられてる人っていないと思うんですよね。
少なからず自分の意思でそこにいると、生活のためかもしれないけれども、
会社のそのビジョンとか目的とかとは別に共感していないかもしれないけれども、
自分の意思でそこにいると、させられていないんですよね、前提として。
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ところが会社が言ってくる、上司が言ってくる、今月末までにいくら売ってこいと言ってくる、
それはですね、会社のタイミング、上司のタイミングですよね。
そのコピー機の営業マン個人のタイミングではない。
その営業マン個人が今月末までにいくら売りたいって思っているわけではない。
もしかするとその営業マンは来月末までにこれぐらい売りたいっていう気持ちだったらあるかもしれない。
タイミングを勝手に人から設定されて、それによって、いわゆる会社で働くこと、コピー機を売ることにはコミットしてるんだけども、
毎月いくら売るっていうことにはなんとなく自分のタイミングと合ってないみたいな。
そういうタイミングのずれがさせられている。
人のタイミングでやるということがそもそもさせられているということなんじゃないかというふうに思うんですね。
もっと言うと、それは今社内の話だけども、コピー機を買う人にもタイミングがありますよね。
コピー機を買いたいタイミングの人のところに、自分が売りたいタイミングでたまたま行って、たまたま売れる。
そしてそれが会社が言っているタイミングと上司が言っているタイミングが一致する。
そうすれば会社も喜ぶ、上司も喜ぶ、自分も喜ぶ、お客様も喜ぶということになるわけですけども、そんなことは世の中ほとんどないですよね。
だいたい誰かのタイミングに誰かが合わせている。
だから誰かがいつもさせられている。
これはですね、全てを解決しようと思ってもちょっと難易度が高すぎるので、おそらく社会というのは常に誰かが誰かに合わせている。
誰かがさせられている状態にある。それが社会なんじゃないかなというふうに思います。
自然な状態という意味ですね。
もちろん、だからさせられていて、当然だからさせられていたらいいんじゃないというふうには僕は思わなくて、
個人レベルで言うとさせられていない状態というのは作れるんじゃないかなというのが僕の考えです。
ただし、それには勇気がいるなと思っていて、自分のタイミングを大切にするという勇気がいると思うんですね。
自分のタイミングを大切にすると、それを貫くと、それはやっぱり周りのタイミングからずれるということでもあるので、
周りから批判を受けるかもしれないし、調整が必要になるかもしれない。そういった意味で別の困難が付きまといますが、
させられているメンタルではなく、自分でしているというメンタルになるので、精神衛生上はとてもいいんじゃないかなと思います。
具体的に言うと、締め切りがある。今月末までにこれをやってくれと。そういう何か案件を自分は持っているとする。
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それは相手が設定した期限ですよね。もちろん一緒に決めたかもしれないけれども、多くの場合、降ってくる締め切りというのはありますよね。
自分がその締め切りにしたかったわけじゃなくて、いろんな兼ね合いの中で、その締め切りが決まっていて、その締め切りが降ってくる。
そういう場面というのはよくあると思うんですけれども、その締め切りを守りたければ守ればいいし、守りたくなければ守らなくていいと。
締め切り、ノルマ、全部無視したところで死刑にはならないんですよね。
日本の企業で言うと、正社員であれば、クビにすらなかなかならないかもしれないですね。
なので、やりたくないんだったら、やらないというのも一つの手で、もちろん約束を破っているわけだから、約束を破った人間として周りからは見られ、そういう対応を受けると。
そこまで含めてやりたくないと思うときは、やらなくていいんじゃないかと。
そこまで踏まえて認識しているのであれば、やらなくていいと思うんですよね。
現実的じゃないよと、そんなこと無理だろと、やっぱり約束守らないとやっていけないよと思う人が多いと思うんですけども、そこなんですよね。
締め切りが近くなってくると、究極、約束を破って信用を失うか、締め切りまでに終わらせるかっていう選択肢が出てきて、
締め切りまでにやりたい、もしくは信用を失いたくないとかっていう主体が生まれてくるんですよね。
少なくとも、信用を失いたくないからやるっていうのは、させられてないんですよね。
信用を失わないためにやるっていうのは、ある種の能動的。
今すぐやれってやるのはさせられているけども、自分自身が信用を失いたくない、やろうっていうのは、やろうだからさせられてないんですよね。
やれって言われたタイミングでやるからさせられているような気持ちになるんだけども、自分がやろうって思うタイミングでやればさせられていないんですね。
それは社会の構造とか、仕事を振ってくる方の言い方とか、そういう話ではなくて、
自分自身がそこに対して望むタイミングのお話だったりすると思うので、タイミングを調整すればですね、させられない幸福っていうのは手に入ると思います。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。