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2021-02-23 10:40

#285 人はなぜ傷つくのか

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人はなぜ傷つくのかについて語り合った。語り合って気づいたのは、私は傷つかないということだ。みんなの傷ついてきたストーリーを聞いても、いまひとつピンと来ない。「やっぱ、サイコパスだわ」とあらためて実感したのだが、「サイコパス」の一言で片付けてしまうと単にウヤムヤになってしまうだけなので、あらためてここで言語化しておこうと思う。/うえみずゆうきが毎日書いているエッセイ【脳内議事録】もよかったらぜひご購読ください!  https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5  マガジン購読者限定の特典として「サイコパスの裏ラジオ(音声)」を毎月プレゼントしています。

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、人はなぜ傷つくのかについてお話ししたいと思っています。 先日、人はなぜ傷つくのかというテーマで語り合ったんですけども、
語り合って気づいたのは、私は傷つかないということだったんですね。 参加しているいろんな人たちが、その傷ついたエピソード、どんな時に傷つくんですかって聞いたらですね、いろんなエピソードをお話ししていただいたんですけども、
どのエピソードにも共感できずに、全くその傷ついている意味が僕にはわからなかったと。 やっぱり自分はサイコパスなんだなぁというふうに改めて実感したわけなんですけども、
サイコパスだから、片付けてしまうとですね、ちょっと雑だなと思うので、ここで少し言語化してみようかなというふうに思っています。
傷つくっていうのは、ちょっと辞書で調べたら、心にね、心に痛手を負うみたいな意味合いがあったんですけども、まさにその参加されている皆さんが言っていたエピソードっていうのは、
皆さんは心に痛手を負っていたっていうお話だったなぁと思うので、傷ついていたんだなぁと思うんです。 ただその話を聞いて、僕は心に痛手を負うような案件ではないというふうに思ったので、僕は傷つかないということになりました。
で、傷つかないというと何も感じていないっていうふうに思えるかもしれないんですけども、
むちゃくちゃ会話をしてて、イラつくこととか困ることとかっていうのはあるんですね。 なので別に会話をしてて、心が動かないとかいうことではないんですけども、
イラついたり困ったりという、どっちかというとその、ネガティブだけども、あんまりセンシティブではないというか、具体的な課題として捉える傾向があるというかね。
例えばイラつくっていうのは、なんかこいつの顔ムカつくわとかそういうことではなくて、具体的にこういう感じでちょっとイラついているという、なんかうまくいかない何かがあってイラついていたり、困っているのもそうですね。
具体的に何か、本当はこうあってほしいんだけども、それがそうでないから、そのギャップに困っているっていうことがあるという、具体的な何かね、ものだったりするんですね。
心が板手を負うとかそういう話じゃなくて、具体的な事象としてというか、課題として困っているということが起こっているわけで、心は板手を負っていないと。そんな状況に僕はよくなります。
で、なんでこんなことになるのかな。なんでこういう差が出てしまうのかなと思ったんですが、それはですね、傷ついてしまう時っていうのは、
心に板手を負っている状態なので、要は感情が優位になっている時だと思うんですけども、言い換えるならですね、論理的思考が働かなくなったマイナスの状態だと思うんですよ。
心に板手を負う、つまり感情が優位になっている状態なんだけど裏を返すと、論理的思考が働かなくなった状態、かつそれがマイナスの状態にあるっていうことが傷ついているってことなんじゃないかなというふうに思うんですね。
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例えば、太ってるねって言われたとする、そこで傷ついたとする、それは太っているねって言葉に対して感情がパンと反応してしまって、なんかすごい辛い気持ちになっている、心に板手を負っているっていうことだと思うんですけども、
そもそも太っているねっていうことを論理的に考えようと思うと、まずその客観的事実として、同年代、自分と同じ身長とか同じ体格の人、そして同じ国の人で統計的に見てね、非満傾向にあるのかってことがまず一つありますね。客観的事実として太っているのかっていうのが一つある。
そして太っているねって言ったその観測者の主観的な事実としての太っているねっていうのがある。
そしてそれを言われた自分自身が自分のことを太っているという認識を持っているのか持っていないのかという自己認識としての主観的なその事実がまたあると、言われた側としての事実があるという感じで、この3つは全く別物なんですよね。
全く別物なんですよね。それらが一致することはあります。統計的に見て太っていて、見た人もそれを太っていると認識し、そして太っていると言った。
そして言われた本人も太っているという自覚があって、太っていると言われたことに傷ついたっていう流れっていうのは当然あるんですけども、
別個のものがたまたま一致していたという話であって、それだけなんですよね。太っているということが万情一致で太っているということになりましたというだけの事実がそこにはあると。
3つの視点から見た事実がそこにはあるというだけで、傷つくかどうかまた別の話なんですよね。
みんながみんな太っているということを認めたとしても、自分自身は太っていることを今度どう解釈するか。
痩せたいと思っているのか。もしくは太っているそのままでいいと思っているのか。そのままでいいと思っているのであれば、太っているねと言われて太っていますが何でしょうという話なんですよね。
太っているよ、確かに太っている認めるよと。で、って話なので、傷つくことでも何でもないと。で、今度痩せたいと思っているとしますよね。
で、太っているねと言われた。で、痩せたいと思っている自分がいる。痩されていない自分がいる。それだけなんですよね。傷つく必要なくて、そうなんですよね。太っているんです。
今ちょうど痩せたいと思っていて頑張っている途中です。以上だと思うんですよね。なのに傷ついたひどいみたいになっている人がいるっていうのはもうね、僕からちょっと全く意味がやっぱりわからないんですね。
客観的事実として太っている。例えばね、その3つが一致していた場合を今話しましたけれども、客観的事実としては全然太っていない。むしろ痩せ方であるけれども、観測者がね、太っているね、最近太ったね、みたいなことを言ってきたと。
で、言われた自分が普通に太っていたと思ってなかったのに太っていると言われてショックだった。ましてやこの人に太っているねと言われてとてもショックだった。傷ついたってことはあるかもしれない。
このパターンで言っても、いわゆるその人から太っていると思われたことが嫌だったとか、自分で太っていると思っていないのに太っていると思われて嫌だったっていう、他人の解釈にイチャモンつけているんですね。
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他人の解釈にイチャモンつけだすと、この何十億人という人たちがいる何十億の解釈にいちいちイチャモンつけないといけないので、生きていけないと思うんですよね。
というか全てに傷つかないといけないはずなのに、その発言だけに傷ついている状態になっているっていうのは、何か太っているねっていう言葉が刺さったがために、入ってきたがために傷ついているけども、
70億人ぐらいの人たちがみんなそれぞれあなたの傷つくようなことを多分どこかで思っているよという太っているねじゃないにしてもね、思っている可能性があるよと言語化されてないだけで思っている可能性があるよっていうことまで考慮すると、
とてもこの世界で生きていけないんじゃないかなと、生き続きっぱなしでね、とても耐えられないんじゃないかなと思うんですね。他人がどう解釈するかまでは変えられないと思います。
もちろんそれをね、なんだろうね、ブランディングをしてね、こう思わせるってことができるのかもしれないんだけども、痩せているブランディングをすればできると思うんですけども、
それはかなり徹底した相手の認識のコントロールというか、こういうふうに見られるための、こうであるということをかなり設計されたものである、もしくは信念レベルでそれをね、貫いてブランド化していく必要があると思うんですけども、
たかだか太っているねと言われただけで、そのこの人に言われて傷ついたとか、そんなふうに言われて傷ついたみたいなっていうのは全くちょっと僕には意味がわからないと。
ただそれは、これサイコパスの視点だからそうなだけで、一般的には気持ちっていうのは反応させたくなくても反応してしまうものであって、別に今言った話は頭ではわかるけども、その時に傷つくものは傷つくんだからしょうがないでしょって、皆さんは多分思うんだろうなっていうことを、その時いろんな方とお話しして気づきました。
気持ちが反応するものにはどうしようもないんだと思うんですね。論理的に考えればそうだから、別に傷つくことは傷つかないとかじゃなくて、どう対処するか、もしくは自分がどうしたくて、それを別にそれでしかない、相手がそう思った以上の話なんだけども、そこになんか自分の気持ちまで乗せてしまって、傷ついてしまっているっていうのが正常なというか、大多数の人間なんだなと思うととても大変だなと思いました。
何ていうのかな、サイコパスが嫌われる理由ってここだと思うんですよね。やっぱり共感できないっていうのも一つあるんだけども、確かに共感できないの一つの現れ方なのかもしれないですけども、あまり傷つかないですね。気持ちと理屈みたいなのをスパッと分けて認識しているところがあって、気持ちの動きは気持ちの動きとして、それもある種、合理的にちょっと解釈するし、その事象は事象で合理的に解釈するしっていうことで、
もちろん衝動性があったり暴力性があったりするとちょっと話が違うのかもしれないんですけども、僕みたいにそういうのが低くて、かつサイコパス的な要素があると、そういう気持ちとか理屈とか、いろんな発言とかいろんな視点とかっていうのを全部分けて解釈するので、全く傷つかないんですよね。
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そういう感じだと、やっぱり傷ついている人に寄り添うにしても、なかなか適切な寄り添い方ができないというか、今みたいなこと言っちゃうとね、神経逆撫でしてしまうので、なかなか嫌われてしまうんだろうなというふうに思ったりしますね。
はい、全く傷ついている人の気持ちがわからないっていうことが改めて自覚できた出来事でした。で、人はなぜ傷つくのかっていうと、単純に感情が反応しているから傷つくっていう、傷つくから傷つくんだってことになってしまうんですよね、結論としては。
傷つくから傷つくと、そこには別に今言ったみたいに、論理的に考えて客観的事実と相手が言った主観とこっちの主観っていうのは別々で、別々に解釈すれば傷つくことでも何でもないんだよとか言ったところで、何の意味もないのかもしれないなというふうに思った次第でございます。
しかしね、今日僕が言ったことに、それわかるわ、客観的事実と相手の主観と自分とは分けて考えるべきだし、みたいなことを平常時は割とできると思うんですけども、論理的に考えることが得意な人はできると思うんですけども、結構ショッキングな出来事が起こってもそれができるかっていうところで、それができる人は割とサイコパスな要素が強いというかサイコパスに高めだと思いますので、僕の仲間として一緒にサイコパス道を歩んでいきましょう。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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