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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、命令禁止はきれいごとなのか、という話をしたいと思っています。
6時までに帰ってきなさいとか、静かにしなさいとか、勉強しなさいとか、子供の頃、10代の頃っていうのは、
親とか学校からですね、よく命令系の言葉を受けていました。
それを受けてかわからないですけども、同級生とか子供同士でも、
お前やれよとか、やめろよ、みたいな感じですね。
命令口調での会話っていうのが、結構まかり通ってたなと思うんですね。
この命令っていうのは、確かに人間になりきれていない動物のような、
まだ社会のルールなのか、よくわからない子供の頃に、ある程度強制力を働かせるために、
必要とされて、その命令系の言葉っていうのが使われていたのかなというふうにも解釈するわけですけども、
同時にですね、僕は35歳、36歳ぐらいの世代なんですけども、
僕がちっちゃい頃っていうのは、まだ子供に叩くとかね、暴力的なもの、大罰みたいなものもまかり通っていたという時代でした。
なので、命令系と暴力と大罰とっていうのがですね、
同時に存在する形で教育というか、質系を受けてきたような世代ではあるんですね。
ところがですね、僕は他の会でも言いましたけども、
体育会系のおじさんが大嫌い、特に体育教師の命令口調とか、軍隊っぽい感じとかがすごくアレルギーでですね、
そういう命令とか、上から立場が上のものが下のものをコントロールするみたいなものをですね、
コントロールすることは別に悪くないと思うけど、その仕方ですよね。
命令で力でねじ伏せるみたいなやり方っていうのがすごく嫌いっていうのは、
僕の個人的な思いっていうのがベースにはあるんですけども、命令っているのかなと思うんですよね。
このご時世ですから、やっぱり大罰とかっていうのはもうね、まずいじゃないですか。
子供叩くとかっていうのはまずいと思うんですけども、
でも未だに命令系の言葉っていうのはまかり通っているなと思っていて、
身体的な暴力はないけども、精神的な暴力みたいなものはやっぱりまかり通ってるなと思うんですよね。
僕自身は最後に命令を受けたのは、20代前半の頃に働いていた宅急便のアルバイトですね。
そこにはですね、貧性という言葉がですね、最もに使わないそういった環境で、
みんなね生きるように必死でですね、偉い人は偉い、弱者は弱いってことで、
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本当は奴隷と奴隷の長みたいな感じで、すごいヒエラルキーがあったなと思うんですよね、あの時代は。
そこにですね、本当にもう絵に描いたようなジャイアンみたいな人がいて、
もう常にね、命令口調、喋る言葉全てが命令口調っていうですね、
ある意味そういう喋り方なんじゃないかっていうぐらい全てが命令の人がいたんですけども、
最終的にはその人とも仲良くなって別に良かったんですけども、
命令口調というのがまかり通ってたんですね。
で僕はそこを専門学校に行き出して辞めたのかな、
それは27とか8で、なので僕の中で命令系の言葉を聞いた最後が、
直接言われた命令系の言葉が最後だったのは、
20代、その27、8ぐらいの時に聞いた自分の上司から命令されてたことが最後だったかなって思いますね。
それ以来何か今働いている会社とかでは命令みたいなことはされないし、
その時通ってた専門学校でも何々してくださいとかね、
要請はあっても命令はされなかったんですよね。
だから本当に今の僕の生活の中に命令というのはないし、
強制というのはなくて、あくまで自分の意思でいろんなことを、
それを受けるか受けないかということも自分の意思で選んでいいというような環境にいるということで、
自分はねその命令というものを避けて生きてきたんだろうなぁということを思うんですけども、
なので命令ってもう今この世に存在しないよねって感覚に時々陥る瞬間があるんですが、
それは自分が単純に避けてきただけであって、
やっぱり世の中にはたくさんの命令とか強制みたいなものはあるんだろうなと思うんですよね。
自衛隊とかそういう命令されることをあらかじめ了承してそこに入るみたいなことについては別にいいと思うんですけども、
例えば親子とかっていうのは別に親に命令される体でその子になったわけではないから、
だから子供が命令されてるのとかって結構ね心が痛むというか、
心が痛むって言ったらちょっとなんか前輪みたいなけども、
心が痛むというよりは自分の解釈の中ですごく腹が立つんですよね。
何命令してんだろうって思うんですよね。
でそれはなんだろう、自分は子育てをしたことがないから、
命令をしなければどうしようもないんだっていう子育て上の事情とかもあるのかもしれないし、
そこはねただの切れ言になってしまう部分もあると思うんですけども、
命令してわかるんだったらそもそもやってんじゃないかなと思うんですよね。
要請で十分なんじゃないかっていうのが僕の考えです。
言葉で伝わる人間に対して命令をするっていうのは、
それは相手のことをバカにしてると僕は思うんですよね。
言葉が伝わるという時点で、もう命令じゃなくて要請でいいと僕は思うんです。
これはやっぱりね、子育てをしてる人からするとやっぱり切れ言に聞こえると思うんですけども、
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いやいやそれは言葉が通じてないんだと思うので、
言葉じゃないコミュニケーションで分からせるってことも確かに、
養育者として責任を持っている立場として必要なことはあると思うんですけども、
それは逮罰じゃない形で何らかの形で伝えないといけないと思うんですけども、
命令で伝わるんだったら要請で伝わるっていうのが僕の考えですね。
切れ言かもしれないですけども、
僕は命令系の言葉っていうのが本当に嫌いです。
もしね、自分の周りに、皆さんの周りに命令系の言葉っていうのがまかり通っているのであれば、
それはね、それだと思うんですけども、
僕はそういうことが聞こえてくるだけで、
自分が命令されているわけではないにしても、聞こえてくるだけでとても不快な気持ちになります。
これはね、正義感とかでもなんでもなくて、
やっぱり以前話した大会系のおじさんに対するアレルギーがもとで、
命令とか偉い立場を利用して弱者に強制するっていう、
そういう力を振りかざすような態度で僕はとてもアレルギーがあるんだなということを、
改めてね、このゴールデンウィーク、いろんなところ散歩をしながら、
いろんなところで聞こえてくる命令口調に対して嫌悪感を感じたことからですね、
改めてね、自分に気がついたという感じでした。
別にね、だからダメだって話じゃないんだけども、
自分はそういうふうに思ってますというお話でした。
命令系をこの世界からなくすことはできないのでしょうか。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。