みなさん、こんにちは。パーソナリティーのアルマです。
ゲームの話をさせてくれ第31回です。
今回のテーマは、お便りの話をさせてくれということで、この番組では3回目のお便り回となります。
今回のお便りは、前々回の【なぜゲームが好きなのかを考えてみる】という回をしましたけれども、
その回に対してたくさんお便りをいただきましたので、そちらを紹介していきたいと思います。
それを読みながら、改めて自分のゲームが好きな理由を考えてみようかなと思っております。
メインは、前々回に対していただいたお便りの紹介なんですが、
その前にいただいたお便りで、普通お便りが1つありますので、オープニングでそれを紹介させてください。
ちょっとね、いただいてからだいぶ時間が空いてしまって申し訳ないんですが、
こしあんさんからいただきました。ありがとうございます。では読んでいきます。
いつもラジオを聞いてます。ありがとうございます。
このありがとうございますっていうのは文面に書いてあるので読みました。私こそありがとうございます。
スクエニの回聞きました。第三開発のロゴマークは珍しいですよね。
見たような例では、セガのリュウガごとくもリュウガごとくスタジオとしてロゴマークとか派手にメディア出たり、
YouTubeもやったりしてますよね。あそこももともと第一なんとか開発部だったので。
部署研究、またやってみてほしいです。フロムとかも面白いですよといただきました。ありがとうございます。
スクエアエニックスの開発部署に関して話した回についての感想でしたね。
あの回はたぶんこの番組で一番力を入れた回なんですけど、その割には反応が安い回でありまして。
こうやってね、感想をいただけるのは非常に嬉しいですね。
この方、こしあんさんも結構こういった開発部署の話とかお好きなんですかね。
SEGA。SEGAね。
SEGAも気になるわ、気になるんですけど、自分があまりSEGAを通ってないので、
若干気持ちの医療がスクエにと比べるとね、あれなってしまうかもしれないですけど。
いろんな会社の開発部署の話はしていきたいなと思っています。
需要があるのかはわかりませんけれども。
こしあんさんに需要があるならいいか。
フロムとかも面白そうですね。
あそこって第一開発部とかそういう組織なんですかね。
その辺も全然知らないというか、スクエに以外あまり知らないですけど。
あと任天堂とかも気になるんだよな。任天堂とかもやりたいですね、いずれね。
ありがとうございます。
本当にあの回に対しての感想は嬉しいので。
もっといいんですよ、皆さん。あの回に対して感想をくださっても。
励みになります。ありがとうございます。
というわけで、本編の方では前々回に対していただいたお便りの紹介をしていきたいと思います。
それでは本編にいきましょう。
それでは本編です。
お便り回です。
前々回のなぜ自分がゲームが好きなのか考えてみるという回に対していただいたお便りです。
自分があの回で答えも出なかったし、台本も編集もほぼしてないという回だったので、
非常にあの回をあげたのは罪悪感というか、聞いてくださる皆さんに非常にお聞き苦しいものを配信してしまって申し訳ないなと思っていたんですけど、
結構皆さんから熱量の高いお便りがたくさんいただけまして、結構なボリュームになると思います。
それぞれがすごい熱量が高いので、それに対してしっかり返していきたいなと思うので、結構ボリュームがすごくなりますというところだけ最初にお伝えしておきます。
では早速読んでいきましょう。
まずはラワさんからいただきました。ありがとうございます。
それでは読んでいきます。
ゲームが好きな理由は人それぞれですね。
私も同じくゲームの世界に入り込めるように感じさせるRPGが好きです。
ストーリー重視かっこFF逆転裁判イースなどやキャラ重視かっこテイルズ乙女ゲームがすごく好きなんです。
でもストーリーとキャラにはあまり力が入れられていないゲームが自分にとってはどうしてもつまらなく感じるので、テトリスやサッカーゲームみたいなゲームをプレイできないんです。
現実逃避という理由でゲームをプレイすることって今まで考えたことなかったけど面白いですね。
考えてみれば私は自分の仕事があまり好きじゃないので、現実逃避のためにゲームをやっているんじゃないかなと思い始めました。
でもストーリー、キャラや世界観のためにもゲームを楽しんでいます。
これからのポッドキャスト楽しみにしています。
といただきました。ありがとうございます。
ストーリーとキャラ重視ということですけれども、ラオさんは。
結構自分もね、そうですね、どっちかっていうとね。
だからラオさんがおっしゃっているように、テトリスとかサッカーゲーム、パズルゲームとかね、スポーツゲームとか、
そういったあまりストーリーとかキャラというところとは関係ないゲームっていうのはありますけども、
プレイできないわけではないですけど、確かにね、自分も積極的にプレイするかというとそうではないですよね。
だからやっぱりストーリーとか世界とかキャラクターをゲームには求めていると思うんですよ、自分も。
もっとそこを深掘っていくと、なんでじゃあストーリーとキャラクターと世界を求めているのか。
その辺って、例えば小説とか映画とか、そういったものでも得られるわけじゃないですか。
そこなんですよね。なぜそこを求めるのか。映画とかではなく、ゲームでそれを求めるのか。
というところなんですよね。
現実逃避という理由でゲームをプレイするって、今まで考えたことなかったけど面白いですね。
どうなんでしょうね。現実逃避の理由に、若干後ろ向きな理由かもしれないんですけど、
そういった理由でゲームを遊んでいる方ってどのくらいいるんでしょうね。
結構いると思ったけどな。現実逃避と考えてはいない方もいるかもしれないですね。
例えば、現実では体験できないことができるとか。表裏一体だと思うんですけど、現実逃避と。
表裏一体って言っちゃう覚えがあるかな。
現実では満足できないことを求めているという意味では似たようなものなのかな。
そういった理由でやってる方も結構いるんじゃないかなと思うんですよ。
この後の頼りでも確かあったと思うけど、考えてみれば私は自分の仕事があまり好きじゃないのでと書いてありますけど。
こうやって無意識というか、現実逃避って認識していなくても割とそういう理由でやってるっていう方も多いかもしれないですね。
やっぱりストーリーとキャラ、世界観、ここですね。
自分のゲームが好きな理由としてキーワードとなりそうなのは。
ちょっとその辺りも考えつつ、また次のお便り等を読んでいきたいと思います。
らわさん、ありがとうございました。またよろしくお願いします。
では次のお便りです。
こっしーさんからいただきました。ありがとうございます。
それでは読んでいきます。
こんにちは、こっしーです。
なぜゲームが好きなのか。
これについてまず考えることは、なぜ人は物語を欲するのかということです。
それはおそらく、知的好奇心を満たすことだったり、他人の人生を下次体験することにエンターテイメント性を感じるからではないかと思います。
これは動物にはない、人間ならではの感情でしょう。
物語を楽しむ媒体はいろいろありますが、中でもゲームの特殊なところは、介入できる物語であるところだと思います。
映像作品は再生ボタンを押したらそれっきり、漫画や小説はページをめくる程度ですが、ゲームは能動的にプレイしないと先へ進みません。
そして物語の進め方もプレイヤーによって異なります。
サクッと進めたり、じっくり進めたり、寄り道をしたり、同じところを繰り返したり。
文字を手で書くことで覚えるのと同じように、自分の手で物語を進めていくことで、人それぞれの体験として印象深く心に残るのだと思います。
それと単純に、画面の中のものを操作できること自体が楽しいのだと思います。
ラジコンで遊ぶのと同じです。離れたものを動かすことそのものが楽しいのです。
これも人間の本能なのかもしれません。
人類はなぜゲームが好きなのか、という主語のデカい話になってしまいましたが、個人的にもおおむねそんな感じだと思います。
常日頃ぼんやりと考えていたことが、アルマさんのお便り募集のおかげで言語化できたような気がします。ありがとうございました。
と、いただきました。ありがとうございます。
そうだ、これ別にあれだ。前々回の感想とかじゃなくて、私が募集してたんだった。
そうでした。
あの、そう、今、募集中のテーマ、あのね、番組では言ってないんですけど、
Xの方で募集をしまして、
現在の募集テーマがですね、
ゲームが、あなたがゲームが好きな理由という理由で募集をしていたんでした。
そうだった。
はい、あの、募集してまーす。
はい、それに対していただいたお便りですね。
しっかりとした、考えさせられるお便りをいただいたんですけれども、
さっきのね、ラワさんのお便りの時に、ストーリーとかキャラとかね、世界観っていうところ、
他の媒体でも楽しめるじゃないか、と。
でもなんでゲームなのか、みたいな話を、疑問をね、自分で言ったんですけど、
まさにそれに対する、コッシーさんなりの回答というか、
あの、コッシーさんのお便りをいただいたんですけれども、
自分で、あの、言ったんですけど、
まさにそれに対する、コッシーさんなりの回答というか、
えー、お便りですね。
で、そうですね、どっから行こうかな。
人は、なぜ人は物語を保守するのか、というところで、
それはおそらく知的好奇心を満たすことだったり、
他人の人生をギリ体験することに、エンターテイメント性を感じるからではないかと思います。
そうですね。
確かに知的好奇心は、自分は結構、なんだろう、き?
普通の人がどのくらいかわかんないですけど、
普通の人よりは高い知的好奇心・旺盛だと、自分では思っているんですけど、
そういうところもあるのかな。
他人の人生をギリ体験する。
そうですね、理由の一つとしてありそうですね。
ただ、自分はね、あんまり他人の人生をギリ体験するぞ、
みたいな感じでゲームはしてないんですよね。
そういう方も結構いらっしゃるのかな。
さっきの現実逃避ではないですけど、やっぱり現実で味わえないことを味わいたい、
というところにつながるのかな、これも。
あと、そうですね。
コーシーさん曰く、ゲームの特殊なところは介入できる物語であるところだと。
まさにそれはそうですね。
この介入できる物語というのは、確かにゲームだけですね。
そうやって物語に介入していくことで、印象深く心に残り、
それが非常に刺激的な体験ということで、
また遊びたくなる。
それがゲームが好きというところにつながってくると。
多分、限りなくそれに近いと思うんですね、自分の理由も。
もう少しないかな。
なんか足りない気がするんですよ、自分の中でそれは。
確かにそうなんだが、もう1ピースぐらい空きがあるというか、
そんな感覚があるんですよね。
そこがはまれば理由が見えてくるような気がするんですけど。
何でしょうね、これね。
ただ言語化できていないだけなのかな。
画面の中のものを操作できること自体が楽しいのだと思います。
コーシーさん。
それもそうですよ。
自分の思い通りに動かせるというところに快感を覚えるのは、
確かに人間の本能としてあると思うんですよね。
ある種の支配欲というか、
そういうのが意識はしてなくてもあるかもね。
例えばアクションゲームで思い通りに動かせたときの
気持ちよさってあると思うんですよね。
アクションゲームに限らずですけど、格ゲーとかでもいいですけど。
頭に描いた動きを思う通りにさせられたら、
脳汁がブシャーみたいなね。
ありますよね、それはね。
そうなると、なんか没入感とかそういうところなんだけど、
難しい。
でもコーシーさんのこのお便りはだいぶ答えに近づいているというか、
ほぼほぼこうなんだろうなという感じはします。
自分も。
コーシーさんもおおむねそうだということですけども、
私も多分おおむねそうです。
そうですね。
お便り募集のおかげで言語化できたような気がしますということですけれども、
こちらこそありがとうございます。
本当に。
私もどうにか言語化したいんですけど、
そのお便り募集のおかげで言語化できたような気がします。
本当にありがとうございます。
ということですけれども、こちらこそありがとうございます。
本当に。
私もどうにか言語化したいんですけど、そのヒントになってくれると思います。
コーシーさんのお便り。
ありがとうございました。
ではどんどんいきましょうか。
次のお便りです。
次のお便りは結構長いので、
はしょることも考えたんですけど、せっかくなんで全文読みます。
結構長いです。
もちおさんからいただきました。ありがとうございます。
では読んでいきますよ。
いつも楽しく拝聴しています。もちおといいます。
最新回拝聴しました。
そして自分の場合を考えてみました。
今回は自分がなぜゲームが好きかお話ししたいと思います。
とても長い文章ですがお付き合いください。
よろしくお願いします。
自分が小さい頃に、友人とよくゲームウォッチやLSIゲームなどで遊んでいました。
それはシンプルなゲームですが、友人たちとワイワイ楽しんだものです。
機種もメーカーもバラバラでしたが、友人たちと持ち寄ってそれはワイワイと楽しみました。
また自宅以外でも駄菓子屋、ゲーセンやボーリング場ゲームコーナーなど、
学校の学区内に遊べるゲームが多数あり、少ない小遣いを握りしめ、
上級生や地元のヤンキーたちを警戒しながらのゲームはそれだけでも貴重な体験だったと思います。
ファミコンブームになるとさらにゲームにはまっていきましたが、
同時に学校でゲーム禁止となり、隠れてゲームをするようになります。
中学・高校と年齢が上がるとともに、友人たちはゲームから離れて、
それ以外のバンドだったりバイクだったりと別の趣味に流れていき、
逆にゲームなんてダサいって言われるようになります。
以前だったら一緒に遊んでいたのに、突然手のひらを返すように、
ゲームより異性にどうやってモテるかなどで盛り上がるようになり、
ゲームで遊んでいる自分は肩身が学校で狭くなっていき、
柄がてぼっち状態となりました。
しかし、ちょうどその頃はアーケードも家庭用もPCもゲームがどんどん発展していく過程であり、
次々と名作と呼ばれる作品が出てくることになります。
自分はそんなゲームを遊ぶのがとても楽しく、
ゲーム以外の趣味はやってみても別に楽しくもなく、やはりゲームに戻る状態。
さらに、輪をかけてテレビゲームだけでなく、海外製アナログゲームやTRPGなど、
自分の知らなかったゲームの楽しさにも気づき、
かっこ、たまたまイエローサブマリンなどの専門店にフラッと入ったのが運のつき。
なんてゲームの世界はたしたようで、奥の深い世界なんだと思い知らされます。
極めつけは、ゲーセンでのバイトとPCゲームのデバッグ参加の経験です。
仕事としてゲームと違う形で関わることにより、
それぞれのゲームにはさまざまな人々が関わっており、
いろんな思いが交錯し、そして面白い、つまらないの非常にシビアな審判が下る世界。
これにより、自分が見てきたゲームの世界の見え方がまた変化します。
すべてのゲームは、ゲームの中にあるゲームの中で、
つまらないのではなく、自分に合わないだけ。
もしくは、作成者の技術、配慮などが足りないだけ。
それぞれのゲームは、どこを楽しんでもらいたいか。
自分はそれを受け止めることができているか。
ゲームを通じて、作者側と対話がちゃんとできているか。
そんなことを思うようになり、
そして気づけばずっとゲームが好きなまま、
就職時の履歴書の趣味にゲームと書くようになる大人になりました。
今でも、バカゲーあれどクソゲーなどなしの気持ちでゲームと向かい合っています。
ゲームが嫌いになったら、過去の自分も嫌いになってしまう。
そんな気がするので、好きなんだからしょうがない。
普通にゲームを楽しんでいきます。
長文乱文失礼しました。
ご視聴ありがとうございました。
これからも配信頑張ってください。
といただきました。ありがとうございます。
これだけ熱量のあるお便りをいただけるというのは、
非常に番組をやっている側としては嬉しいですね。
ありがとうございます。
内容を全部追っていくとあれなので、
ポイントポイントで触れていきたいと思うんですけれども、
ポイントポイントと言いつつ全体的な話になってしまうんですが、
もちろんさんは学生時代からずっとゲームを遊んできているという過去があった上での今のゲーム好きというところですよね。
さっきコッシーさんのお便りでも、
ゲームが好きな理由としては、
ゲームの持つ魅力の部分について考えられたお便りだったと思うんですが、
もちろんゲームの魅力があってこそなんですけど、
これまでゲームが好きだったからと。
そう言ってしまうとちょっとあれなんですけど、
それだけ思いが込められるジャンルであることで、
それを嫌いになることは過去の自分を嫌いになることであると。
そういった部分がゲームが好きな理由として大きいのかなという風に受け取りました。
確かにゲームそのものが持つ魅力というものもゲームが好きな理由として非常に重要ですけれども、
これまでの人生ですごくいい思い出があるからということも、
一つのゲームが好きな理由ですよね。
なので、自分はゲームの内包する魅力みたいなものをずっと見つめて、
自分の中の理を見つけようとして言語化しようと思っていたんですけど、
その外にある思い出とか、
ゲームにまつわる思い出とか、
もちろん実際にゲーセンでバイトされたりとか、デバッグ参加をされたりとか、
そういった仕事の面でもゲームと関わりがあるというところで、
もはや人生の一部ですよね。
仕事としてなくても別にそうなんですけど、直接的に人生の一部になっているというか。
言い方が難しいな。
実際に中の人として関わってこられたという経験がある。
そういった経験によって、過去のゲームで楽しんだ過去がさらに増幅されて、
ゲームへの思いも増幅されて、結果より好きになっている。
ということで、何を言いたかったのかは…
自分は何を言いたかったのかって感じですけど。
ゲームが内包する魅力以外にもあるよね、ということに気づかされたお便りでした。
前々回はそんなところにも触れたような気もするんだけど、
もちおさんほどではないにしろ、自分もゲームをずっとやってきていて、
ゲームに熱中していて、そういうところもやっぱりあるなと。
過去にずっと遊んできて、すごいいろんな体験をしてきたっていうところももちろん、
ゲームが好きな理由としてあるんだろうなっていうのを改めて思いました。
だからさっきコシーさんの時にね、一つのピースが足りないみたいなことを言ってましたけど、
まさにそれがこういうゲームの思い出というか、いい思いをさせてもらったというか。
そういうところがハマって、それとゲームが内包する魅力と絡み合ったものが、
自分のゲームが好きな理由なのかもしれんなと思ったりもしました。
ちょっと細かく触れられなくて申し訳ないんですけど。
もちろんアナログゲームとかTRPGとか、そのあたりにも手が伸びているようですね。
だからそこはやっぱりさっきコシーさんがおっしゃってたお便りは、
前提としてビデオゲームがあったんですけど、
もちろんさんはそこ以外にも、アナログゲームも楽しんでたということで、
やっぱり遊びとしての面が、もちろんさんの場合は非常に魅力的に映っているのかなと思ってますね。
自分はあまりアナログゲームとかしないので、
アナログゲームもたぶんやったら楽しいなとは思うんですけど、
実際にやったことはないから、どういう感想を抱くのか。
そこで抱いた感想がまたこのゲームが好きな理由に近づくヒントになるのかもしれないですね。
書くの大変だったでしょ。
本当にこんなお便りを送っていただけるのは本当に嬉しいです。ありがとうございました。
では次のお便り行きましょうか。
次は、うめまるさんからのお便りです。
アルマさんこんにちは。いつも楽しく拝聴しています。
最新回は壮大なテーマでしたね。
ゲームが好きな理由に近づくヒントになるのかもしれませんが、
アナログゲームも楽しんでたので、
アナログゲームも楽しんでたので、
アナログゲームも楽しんでたので、
アナログゲームも楽しんでたので、
壮大なテーマでしたね。
ゲームが好きな理由、今まで深く考えたことはなかったのですが、
配信をきっかけに改めて自分でも考えてみました。
なんかあれですね、私の回を聞いて自分はどうなんだろうって考えてくださる人がたくさんいて、
そこはすごく嬉しいですね。
続き読んでいきましょうか。
アルマさんの言うように複合的で複雑な理由が根底にはありそうです。
以上、長文失礼しました。
こうして真剣にゲームについて考えるのも楽しいですね。
と、いただきました。ありがとうございます。
梅丸さんも、コッシーさん、コッシーさんのお便りは次々と引き上げに出して申し訳ないですけど、
コッシーさんが語られたように、ゲームに介入すること、要するにね、
自分の立ち加減で物語が進んでいくこと、鑑賞できること、そういった娯楽だからこそ、
ゲームが自分が好きなんだろうなと。
二人三脚的な物語だし、いい言い回しですね。
そうですね、やっぱり介入できる、鑑賞できるっていうのはやっぱりめちゃくちゃデカいと思いますね。
やっぱりそうなのかなぁ。そこなんだろうな、やっぱなぁ。
限りなく答えに近いと思うんだよね。そこなんでしょうね、ほんとにね。
そうか、そうか、そこかね、やっぱ。
梅丸さんも言ってるんですけど、やっぱりね、それでも100%しっくりきているかといえば、
なんなんだろうな、この欠けたピースは。
やっぱりそこもさっきの持代さんのお便りに繋がってくるのかなぁ。
外部の、ゲーム内部じゃなくて外部の要因っていう。
でもやっぱり、関係的にね、
ゲーム内部の要因というか、
ゲーム内部の要因というか、
ゲーム内部じゃなくて外部の要因っていう。
でもやっぱり、鑑賞できるっていうのは、
あ、でそうそう、この鑑賞についてこう、
鑑賞介入ね、物あたりへの鑑賞介入について、
考えた時に、ちょっと疑問に思ったのが、
例えば、サウンドノベルとかあるじゃないですか。
選択肢とかある場合もありますけど、
基本テキストを読み進めるだけのゲームっていうのもあるじゃないですか。
例えばこの番組で紹介した、最近の日常的不可思議とか、
ノベルゲームですね。
そういったものも自分は好きなんですけど、
あのゲームは選択肢とかなくて、本当に読み進めるだけで、
作者の方は、それをゲームと呼んでいいのかっていうところで、
確かビジュアルノベルとかって、
あえてゲームを使わないって言い方をしてましたけど、
あれもゲームだと思うんですよ、自分はね。
そこのゲームかゲームじゃないかっていうところから、
もう議論は始まるかもしれないですけど、
自分はビデオゲーム、デジタルゲームだとして遊んでるんですよね、あれはね。
そういったものを好きなんですけど、
言ってしまえばそういうゲームって、
自分が介入できるかといったらできないわけですよ。
やれることとしては、ボタンを押すだけ、マウスをクリックするだけなんで、
なのに小説でよくないっていう人もいると思うんですけど、
小説ではなく、そういうものがやっぱり好きっていうのは、
なぜなんでしょうね。
絵とか音楽が一緒にあるから、
ボタンを押すっていう操作自体がある種介入しているから、
次の会話に進むためには自分がボタンを押さなければならないというところで、
すごい浅くですけど、介入していると言えるのかな。
で、梅丸さんがおっしゃるように、
そうやって自分がボタンを押さないと物語は完結しないと、
物語は完結しないというところが、
それを言ったら、梅丸さんは作者の方が執筆を続ければとおっしゃってますけど、
本って基本執筆終わったものじゃないですか。
ページをめくる手が止まれば、その物語は自分の中で完結しない。
そういう意味では、マウスクリックしないと物語が進まないというのと似てませんか。
そこの違いはやっぱり絵とか音楽なのかな。
まさにビジュアルノベル、サウンドノベルですね。
そういう要素があるのがいいのかな。
確かにボタンを押すだけとはいえ、物語の展開に合わせて音楽も絵も変わるし、勝手に。
そういったインタラクティブ性、インタラクティブなのかな。
ボタンを押すことで表現が変わるというのはインタラクティブと言っていいと思うんだけど、
そういったところもやっぱりあるのかな。
小説と比べるとね。
とはいえ、介入できるというのはやっぱりデカいポイントだと思いますね。
大なり小なり介入できる。
それによって画面の中で世界が動く。
世界が動くっていうところは、
介入している感を得られて、ある種の気持ちよさがあるのかもしれない。
ここが、言葉もあれかもしれないですけど、中毒性を帯びるのかもですね。
100%しっくりきているかといえば妙ですね。
とはいえ、うめまるさんの自分がゲーム好きな理由を送っていただきましてありがとうございます。
これも考えるヒントになりました。
また何かこれだという答えが見つかったら、
これだという答えが見つかったら教えてください。
ということで、では次のお便りに行きましょう。
では次は、長谷川さんからいただきました。
文中にも書いてありますが、ブライトビットブラザーズの2P長谷川さんですね。
では読んでいきたいと思います。
投稿フォームでは初めまして、BBブロスの長谷川です。
第29回、なぜゲームが好きなのか考えてみ、拝聴しました。
まとまりのない文章ではありますが、拝聴して思ったことをお送りします。
自分にとっての娯楽コンテンツは、ゲームのほかに総合格闘技観戦、
漫画や小説などの読書、映画鑑賞、音楽やポッドキャストを聞くなど様々ありますが、
結局のところ、自分の金銭に触れるポイントがあればグッときて楽しむし、なければ続けることができません。
改めて金銭、コトの銭ですね、という言葉の意味を調べてみると、
物事に感動し共鳴する、胸の奥の心情と説明されていました。
共鳴の心情ですので原稿化するのは難しいのですが、
自分にとっては情熱に触れることと好みの視覚的デザインが重要なようです。
自分でもよくわからないのですが、こういうのグッとくるなという経験は何度もしていて、
そんな経験をした漫画、小説、映画、試合、過去相互格闘技、ゲームは心に残っているように思います。
ゲームというコンテンツを特別視していないのですが、
ゲームは映像や音楽で構築された世界のキャラクターを自分ごととして操作できるコンテンツなので、
近戦に触れたときに自分ごととして感じやすいのかなと思いました。
受け身のコンテンツではないので、無理して続けるのが難しいとも思っていますが、
その面倒を乗り越えて、あるいは面倒を感じずに最後まで楽しく遊べたなら、
強い印象が心に残って特別な存在になるのかなと思いました。
次、推進ですね。
ポッドキャスト内で他番組の話は控えるというようなことを話されていたので、
投稿は紹介されなくても結構です。
番組を聞いて思ったことを個人的にアルマさんに伝えたかっただけなので、読んでもらえれば十分です。
ゲーム系ポッドキャストは昨今のゲームについて話すことがほとんどで、
PS2以降あまりゲームを遊ばなくなった自分が定期的に聞いています。
聞いているゲーム番組は少ないのですが、
ゲームの話をさせてくれさんは全部聞いています。
その中でも最新回が一番良かったです。
アルマさんの本音が聞けた感じで、情熱に触れる感じがしたんだと思います。
今後もゆるゆる聞かせていただきます。
と、いただきました。ありがとうございます。
まずですね、先に推進のところから触れていいですか。
推進のところ、もしかしてそこは読まないで欲しいということだったら申し訳ないですが、
その場合は削除しますのでおっしゃってください。
まず、ポッドキャスト内で他番組の話は控えるということを話されていたのでと書いていただいているのですが、
自分としてはオススメ番組を紹介するということは控えるという意味でしたので、
別にこうやってお便りでいただいたポッドキャスターさんの番組を紹介するというのは
別に自分の中のポリシーとしては全然ありですので、お気遣いいただいてありがとうございます。
それでいうと、紹介し忘れておりましたが、
もちおさんと梅丸さんもそれぞれポッドキャストをやられていますので、
気になる方は聞いてみてください。
もちおさんのほうは誰かと誰かのゲーム話。
梅丸さんのほうはゲームクロッシングですので、聞いてみてください。
この長谷川さんもブライト・ビット・ブラザーズというポッドキャストをやられています。
続けてちょっと追伸に触れたいんですけど、
この長谷川さんのお便りが、みんなお便り嬉しいですよ、嬉しいですけど、
特に自分はこのお便りめちゃめちゃ嬉しくて、
というのがこの追伸に書いてある言葉ですね。
この番組は全部聞いていますが、その中でも最新回が一番良かったです。
この最新回というのが、なぜゲームが好きなのか考えてみると、
一番良かったですとおっしゃっていただいて、
その29回でも言っているんですけど、
台本もなしで、編集もほぼなしで、
配信した回なので、
めちゃめちゃ罪悪感というか、
こんなものを出してしまったみたいな、
なるべくやらない方がいいなというふうに、
こんなことはやるべきではないなと思っていたんですね。
それに対して、
この番組については、
私のお気に召し上がりです。
この番組については、
もし、この番組を本当に楽しんでいただければと、
それは本当にそれは自分が楽しんでいただけるために、
これからも本当にこれからもこれからも、
これからもやりたいと思っていただければなと思っています。
それに対してね、一番よかったです。
アルマさんの本音が聞けた感じで、情熱に触れる感じがしたんだと思いますと
おっしゃっていただいて、それがめちゃくちゃ嬉しくて
これがポッドキャストの音声収録とか編集とかに対して考えるきっかけにもなって
これも全然本編の話と横道に反れて申し訳ないですけど
ポッドキャストの自分が喋ることに対して考えるきっかけになったんですよ
これまで台本を作って、しっかり作って、編集もしっかりしてっていうことをやってたんですけど
何でしょうね、それでも台本なし、編集なしの回が長谷川さんにとっては一番よかったと
なんでかなって考えた時に、やっぱり台本がないからゆえの自分の言葉に乗った感情とかが
より音に現れているだろうし、台本があると結構読んじゃうんで
なるべく台本を読んでないかのように喋るみたいなスキルレベルが上がってきてはいるものの
やっぱりどっかで台本を読んでる感というのが出てきてると思うんですよね
それが多分なかった、だからよりダイレクトに感情が伝わったのかなっていうところと
あと、編集で結構間を切ってるんですよね
自分は結構言葉が出てこなくて間が空いたりするんですけど
そういった間が無駄だと思っていたので、なるべく聞いてる人がストレスないようにスパスパ切ってたんですよね
で、そこもある種情報、ある意味間があるっていうことも感情の一部というか
ある種の情報があったと思うんですけど、そこを削ぐことによって
聞きやすいかもしれないけど、感情を伝えるには乏しかった部分があるかなと思ったんですね
で、このお便りをいただいてから、とある、全然関係ないですけど
とある対談動画、インタビュー動画っていうのをYouTubeで見てて
それを見てた時、映像だからっていうのもあると思うんですけど
そういう話してる方の間とか、言い間違いとか
話してる言葉が出てこないのに悩んでるとか
そういうところが全部収録というか、映ってて
で、もちろんそれを音声にも映像にも載ってると
それを見た時に、その間とか言い淀んでる感じというか、何だろう
言葉が出ない感じというか、そういうところもすごい面白いなってその時思ったんですね
で、多分そういった面白さを感じていただけたのかなと
自分では思ってるんですけど
だから、むやみに間とかを削ったりとか
言い間違ったところをカットするとか
そういうのやりすぎない方がいいのではっていうふうに意識が変わっていって、今
あまりにも長い間は放送事故みたいな感じになるんで
そこは少し短くしたりとかするとは思うんですけど
なるべくそういう生感っていうかね
を出した方がいいんじゃなかろうかと
もちろん話すテーマにもよると思うんですよ
その29回は自分が考える回だったんで
よりそういうテーマと台本がないこと、編集をしないことっていうところが
合致したというかマッチしたと思うんですけど
そこはある種狙っていたところなんですけど
なので、例えばプレゼンをする
このゲームの紹介をするみたいな回があったとして
そこは多分そういう間とかじゃなくて
聞きやすいように情報が入ってきやすいように
聞きやすさを優先して編集する方がおそらくいいのかなって思ったり
こういうふうにお手ありの回とか
自分が思っていることを話す回
ゲームの感想回とかもそういう中に入ってくると思うんですけど
そういった回はなるべく台本も編集も最低限の方が
よく思ってもらえるんじゃないかなと思ったりしました
これ完全に全然違う話になってますね
こういうのがいいのかわかんないですが
とにかくこの長谷川さんのお便りすごい嬉しくて
今後のことを考えるきっかけにもなって
めちゃめちゃありがたかったです
ありがとうございます
というところでお便りの本題に入ろうと思うんですけど
すいませんね、全然関係ない話をして
めちゃめちゃありがたいですという気持ちが伝わればOKです
長谷川さんが思うゲームが好きな理由ですけど
そうですね
自分の金銭に触れるポイントがあればグッと聞いて楽しむと
長谷川さんいろんなもの、媒体が好きと
総学等期観戦とか漫画、小説、読書、映画、音楽、ホットキャストが好きと
いうふうに書いていただいていて
そこは結構自分もそうなんですよね
ゲームだけしか好きじゃないっていうわけではないんですね
結果的にはお小遣いとか時間とかそういった制限があって
ゲームしかしてないみたいな状況になりつつありますけど
本学も好きですし、映画も好きですし
ドラマも好きですし、漫画も好きだし
だから長谷川さんも書いてますけど
特別視、ゲームというもの特別視はしてない
で、自分の金銭に触れるポイントがあればグッと楽しむということですけど
まさに自分もそうですね
だからさっき言ったように特別視をしてないから
割とフラットにいろんなものを見てるつもりなんですけど
その中でグッとくれば好きっていう
まさに長谷川さんと同じですね
で、だから自分も自分の金銭に触れるポイントがあるものが好きだと言えます
で、自分の金銭に触れるということがどういうことかっていうところを長谷川さんは書いていて
自分にとっては情熱に触れることと好みの視覚的デザイン
この2つが重要だと
そうなんですよね、基本最初はグッとくる中から始まるんですよね
で、それが情熱に触れること、好みの視覚的デザインというものに行き着いたと
情熱に触れること、そうですね
この金銭に触れるものがどういうものかっていうのは人によって違うと思うので
自分の場合を考えてみるんですけど何でしょうね
うーん、情熱かな
そういう意味で言うと若干ちょっとこの言い方何様って感じかもしれないんですけど
よくできたものが好きかもしれないです
クオリティの高いものというか
クオリティが好きなんじゃないかなって自分は思いましたね
もちろんクオリティが低いものとか高いものってどういう基準っていうのもあるんですけど
クオリティの低いものが一概に嫌いかというと別にそんなわけはないんですよ
でも自分がこれグッとくるなって思うものはクオリティが高いものが多い
なんかよくこんなの作ったなっていうどんだけの苦労があったんだろうなとか
もしくはこれをよく作品としてゲームとしてまとめたなとか
そういうところにグッとくる気はします自分は
このシステムとこのシステムの噛み合い方とかなんだろうな
取捨選択とかね
システムの取捨選択とかそういったものが上手くまとまってるなとか
この物語よく思いついたなとか
こんなキャラクターの心情よくかけたなとか
あとはこのゲーム多分めちゃくちゃ大規模な開発だろうけど
よくぞ破綻なくチームをまとめて開発しきったなとか
なんかそういうところにグッときてる気はしますね自分は
そこから考えるとやっぱり作り手側の思いというか
作り手側のことも考えていそうだなって思いますね
そうだなでもそれはゲームに限らないか
ゲームに限らないって話かこれは
映画でもそうだし
このワークションよく撮ったなとか
小説だとか文章ものだとこの表現よくかけたなとかね
ある種の作り手側へのリスペクトみたいなものがあって
そういう作品を楽しみたいと思っています
そういうものの中でゲームっていうのは
一番作り手側のことを自分は調べてるんですよね
他のジャンルに比べて
インタビューとか読むの大好きですし
こういうふうに開発されたんだっていう話って大好物なんですよ
やってるゲームのインタビューとかもめちゃめちゃ読みますけど
全然やってないゲームのインタビューとかも読むんで
とか会社ゲーム開発会社の社長のインタビューとか
なんかどうやってこのゲームこの会社ができたのかみたいなね
そういうところも含めて好きなんで
そういったところへの興味関心っていうのも
ゲームが好きな理由としてあるのかなと思いますね
そういうものに高校生ぐらいから
そういう作り手のインタビューとか言葉に
高校生ぐらいから触れてきている
そういったコンテンツは確かに他にはないじゃないかな
どうかな
他のジャンルよりは多分多いんですよね
その触れてる量が
それが積み重なってゲームへの思い入れが強くなっていると
これがさっき言った
ゲームが好きな理由の外部要因になるのかな
なんかそんな感じはするな
これで確定っていう感じじゃないけど
ほぼほぼそんな感じな気がするな
後でちょっとまとめますけど
そんな感じで自分が金銭に触れる部分
っていうところについて考えてみました
そういったきっかけになりましたね
この長谷川さんのテオリは