2022-05-07 20:47

81. 漫画家・藤子不二雄史⑤ トキワ荘と漫画家たち〜少年サンデー創刊

第81回は聖地・トキワ荘とそこに集ったメンバー、そして藤子不二雄の漫画家としての再起について。

数々の漫画や書籍で語り継がれ、現在はトキワ荘マンガミュージアムとしてその軌跡を残しているアパート・トキワ荘。無限の可能性をもつ若手漫画家たちが共に暮らし、共に遊び、共に漫画に向き合った伝説の場所ですね。

1955年の正月に大きな挫折を味わった藤本・我孫子両先生にとって、再び訪れたもう一つの青春時代と言えるかもしれません。

藤子不二雄A先生著「まんが道」などで有名なこのお話、まだまだぼくら二人にとっては入り口に立ったばかり。是非みなさんのコメントやお便りで色々教えてください!

トキワ荘マンガミュージアム https://tokiwasomm.jp


【今回登場した作品】 小学館版学習まんが人物館 藤子・F・不二雄〜こどもの夢をえがき続けた「ドラえもん」の作者


☆番組ではお聞き頂いた皆様からの感想をお待ちしています

藤子不二雄先生のファンの方々、より詳しい方々など一緒に番組を盛り上げて下さる皆様からの補足情報、ご指摘、アドバイスも有難く頂戴します! こんなテーマで話してほしい!等のテーマリクエストも頂ければ、とても嬉しいです

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00:02
はい、みなさんこんばんは。ゆうすけです。
さっぱです。
よろしくお願いいたします。
お願いします。
漫画家・藤子不二雄史ということで、5回目ぐらいになるのかな、これでね。
うん、はい。
2人の子供時代の出会いから順番に、
東京に来て、トキワ荘というところにね、来るところまで話が進んでおりますと。
はい。
で、前回、まあまあ衝撃的な展開で終わりましたね。
うん、そうですね。
お正月にね、やっぱり忙しい2人は、ご実家に帰ってゆっくり過ごしたと。
ただ、その時にね、持って帰った仕事に、なかなか手をつけることができずに。
わかりますよ、気持ちは。
6本もの仕事を失ってしまうという。
はい。
そういう事件がありましたと。
はい。
で、まああの、慌ててね、東京に帰ってごめんなさい、ごめんなさいってね、ご迷惑をかけしましたっていうことで、
こう、なんとかね、事態は収まったものの、これまでコツコツとね、気づいてきた信頼をすべて失ってしまい、
はい。
こう、仕事が全くこなくなってしまったという、まあそういうところで、前回は終わっておりますと。
はい。
で、その後ですけども、時和倉というところに、この2人は住んでるっていうふうに言いましたね。
うん、はい。
で、えっとね、この時和倉というところについて、改めてちょっとお話をしたいなと思ってるんですけども、
はい。
前回もお話ししました、2人が住んでる14号室というところは、もともと手塚治虫先生がね、こう暮らしておられたところだと。
はい。
起こりとしては、手塚先生の時代の出版社の提案みたいなところで、同じところに連載を持ってた作家さんを集めて一緒に住まそうと。
うんうんうん。
うん。これね、今考えると結構合理的というか、
はい。
原稿取りに行ったりとかするのも楽ですよね。
まあそうですね。
で、お兄さん的存在ということで、寺さん、寺田博夫さんという方がいたんですよって話をしたんですけども、
はい。
この人が語るにはですね、
はい。
この空いた部屋には、この若い同志を入れて、
うん。
ここを言ったら、新人の漫画家たちの共同生活の場にしていきたいと。
うんうんうん。
そういう思いがあったそうですね。
なるほど。
うん。
で、そういう同じ境遇、同じ夢を追いかける人たちが一緒に暮らすっていうことで、
はい。
励まし合うこともできるし、切磋琢磨してね、負けないぞみたいな。
うんうんうん。
そういうことで高め合うこともできると。
うんうんうんうん。
まさにね、こういう状況で藤子、藤代漁師も志気を高めて頑張っていったっていうところがあるわけですけども、
03:03
はい。
これね、実はですね、漫画家側のメリットだけじゃなくてですね、
うん。
あの、編集者のほうにも結構メリットがあって、
ほい。
お正月事件ですよ、1955年の。
うん。
こういうことも起こりうるわけですよね。
うんうんうん。
あの、誰かが、なんていうんやろ、親密に守れないとか、体調崩すとかで、
うん。
この、もらえるはずだった原稿がもらえないみたいなね。
うん。
で、なったときに、臨時でもいいから他の部屋から仕事を回収するみたいなね。
はいはいはいはい。
他の部屋にもほら、漫画家さんが暮らしてるわけやから、
うん。
やったらそこに、この助けを呼べるっていうのもあるわけですよ。
うんうんうんうん。
うんうんうん。
ま、実際結構ね、その、寺さんがフォローしてくれたっぽい事情はあるみたいですけども、この正月のときに。
はいはいはいはい。
うん。
あと、さらにさらに、
うん。
ま、よったら夢を追いかけて上京してきた人たちばっかりなので、
うん。
こういう誰かのフォローをするっていうのは、1個チャンスでもあるわけですね。
うん。
この、自分という存在を売り込むチャンス。
うんうんうん。
ね、このときにペルプで入ったら、その人が書いた漫画っていうのが、もしかしたら担当のない身に留まるかもしれないし。
うん。
というわけで、ま、書くほう、書き手と、あとは編集側と、あと実際にね、住んでる人たちの生活環境とっていうところで、結構この時はそうっていうのは、システム的にもメリットとメリットとメリットで成り立ってるみたいなね。
うんうんうんうん。
結構合理的なね、場所だったんだなっていうふうに、後々ね、言われてますね。
はいはいはいはい。
うん。
で、ま、ここに入ってきた漫画家さんたちっていうのは、一応ま、あの、基準みたいなのがあったみたいで、さっき言ってたテラさん、テラダさんが、ま、どういう人を入れるかみたいなことは、いろいろと考えてたみたいですね。
うんうんうんうん。
なので、誰でもよかったわけじゃなくて、
はい。
やっぱりこのある一定の、こう、技量のある人。
うん。
これから、ま、伸び率じゃないですけどもね。
はい。
テラさんのお眼鏡にかなった人、みたいな人が、ま、選ばれてきてたっていうようなこともあるみたいで。
うん。
うん。
なので、フジコフジオだけじゃなくて、いろんなね、漫画家さんがここから排出されるっていうふうになっていくわけですけども。
うん。
入居してる時点で、ま、そういう可能性のある人たちばっかりだったっていうことも言えるわけですね。
うん。
うん。
で、ま、言ってもやっぱり情熱ですよ。
自分は、こう、漫画家になって成功したいっていう情熱を持ってる人たちばっかりが集まってるっていうところがあるわけですね。
うんうんうんうん。
で、前も言ったんですけどね、ぼくここの時はそう、漫画ミュージアムっていうところにね、ずっと行きたい行きたいと言いながら行けてないっていうのがね。
06:00
はい。
現実でございまして。
うん。
たぶん、これを聞いてくれてる人で熱心な方は、もう行ってるんちゃうかなっていうところも若干こう、悔しいとこでもあるんですよね。
まあまあまあ、行かれてる方はね、はい、いらっしゃるでしょうね。
まあ、でしょうね。
うん。
でね、ぼくここの時はそうに言ったらやりたいことがあって。
はい。
これね、漫画道とか、その、A先生ね、アビコ先生が描かれた自伝的な漫画とかにもよく登場するので、ちょっと聖地みたいになってるんですけども。
はい。
えーと、近所にマツバっていう名前の中華料理屋さんがありましてね。
はい。
あの、ここのラーメンをね、この藤子藤代先生がよく注文して、この出前とってたんですって。
へー。
いや、これは行きたいでしょ。
うふふふふ。
あの、時はそう自体はもう1回、つぶれてというかもうなくなってしまって、今はその復元というかさ。
そうですよね。
漫画ミュージアムとして復元されたものがあるだけなので、実際の建物はもうないんですけども、このマツバさん、今でも営業されてるんです。
あ、すごい。
そうそうそう。これはね、聖地になるよねっていう話ですよね。
うーん。
で、あの、ラーメン大好き小池さんって言い張るじゃないですか。
はいはいはいはい。
あの人がこうずるずる吸ってる、あのラーメンはここのラーメンらしいですよ。
あー。
あー、はいはいはい。
そうそうそうそう。なので、僕のこのね、聖地ときはそう訪れたときにやるもうトゥードゥリストにもうマツバのラーメンをいただくというのは入っておりますので、そのときをね、あの夢見ておりますよ、私。
うーん。
で、えっと、ちょっと話を藤子藤代氏に戻しましてと。
はい。
まあ、漫画家としての再起をかけてもう一度ね、こう一から頑張るぞっていうことになったお二人ですけども、なかなかやっぱりね、現実は厳しくね、こう、復帰するに結構時間かかったみたいですよ。
まあ、そりゃそうでしょうね。
で、この頃にですね、えっと、時はそうに集ってきた人たちっていうのがいらっしゃいまして、えっと、鈴木真一さん、はい、角田二郎さん、石ノ森翔太郎さん、赤塚富士夫さんと。
ね、まあ時期はそれぞれバラバラではありますけども、今となってはね、すごくもう誰もが知ってるような人たちですよね。
そうですね。
まあ、第二の青春的な感じで、この人たちと本当にこの楽しくすごさあるわけですよね、漫画をそれぞれ描きながら。
はい。
うん。で、よく出てくるのがさ、藤本先生とか阿部子先生とかいたずらが好きなんですよ。
はい。
で、みんなでじゃあ、おやつ食べようって、ちょっとね、休憩しようってなるわけですよね。
うんうんうん。
ほんで、あのピーナッツを持ってくるわけですね。
はい。
09:00
食べるぞって言って食べるわけじゃないですか、そしたら。
はい。
うえ、これローザイクでできた偽物だっていうね。
はっ。
ふふふ。
あー。
ひっかかった、ひっかかったみたいな。
食品サンプル混ぜてる的なね。
そうそうそうそう。
なるほど。
とか、あとはまあ映画がね、こう皆さんやっぱり好きで、後にね、この人たち、スタジオゼロっていうアニメーションを作るやつを立ち上げるんですけども、
あの映画見た?みたいなことで、こう盛り上がって自主映画を撮ったりとかね。
うんうんうん。
まあなんかほら、上映会したりとかって子供時代もやってたじゃないですか。
はい。
ここで漫画家を志す若者たちが一緒になって、またなんていうか、この大人になってからのこの青春を送るというか。
うーん。
この辺りはね、あの時和荘のお話だけで、もう多分一つ番組できちゃうんじゃないかなっていうぐらいたくさんあったりするので。
はい。
またね、詳しくね、語れる時間を作りたいなと思っております。
僕もね、あの表面的なところしかわかってなくて、いろいろと深掘りしがいのあるところなのでね。
うーん。
で、この頃に他の漫画家さんたちだけではなく、もう一人時和荘に来た人がいるんですよ。
はい。
えっとね、藤本先生のお母さん。
あ、はい。
うん。
そう、藤本先生が別に部屋を借りて、お母さんも一緒に住ませるんですね。
へー。
そうそうそう。これ僕知らなかったんですけど。
うーん。
で、安彦先生の方は、お姉さんが上京してきて、こっちはお姉さんと一緒に住んだそうです。
あ、そうなんだ。
そうそう、身の回りのことやってくれたりとかね。
あー、はいはいはいはい。
で、このお姉さん、後に安彦先生が藤子スタジオっていうのを作られるんですけども、そこの社長さんになったんかな。
うーん。
うん。
ということで、言ったら寮みたいな感じの生活ではあるんですけども、少しずつ2人とも環境の違いというか、そういうものを迎えながら生活のスタイルも変えてっていうところで、こう漫画家の仕事をしながら暮らしていくっていうふうなことが起こりますと。
はい。
で、前回のお話に出てきた新漫画棟というやつがあったと思うんですけど、
はいはいはいはい。
あの、若手の漫画家でね、この月に1回集まって、漫画のこれからを語り合ったりとか。
はい。
それのね、第2弾をこの頃結成してますね、この人たち。
うーん。
先ほど、あのね、登場した石上翔太郎さんとかね、赤塚富士夫さんとか、つの田次郎さんとか、もちろんね、寺さんも含めて。
うん。
あの、新漫画棟というものをもう一度結成して。
はい。
ああだ、こうだと、漫画はこうあるべきだとかね。
12:01
うーん。
これからの漫画はこうだとかね、こういうことを語り合ってたようです。
うんうんうんうん。
ね、もう僕の大好きな子の青春っぽいエピソードですよ。
はい。
あとね、あの、お母さんがペン入れとかベタ塗りとか、ちょっとね、ここをこういうふうに塗ったらいいのだね、みたいな感じで手伝ってくれたりとか、そういうシーンも出てきて面白かったですね。
えー、そうなんですね。
だから手伝ってくれるんですね、この身の回りのことをやってくれたりとか。
うんうんうんうん。
まあ、生活の部分っていうか、そのあたりをアビ子先生のほうはお姉さん、藤本先生のほうはお母さんがこう一緒に暮らしながら、このフォローしてくれるというような。
うんうんうんうん。
うん。
で、この後に、まあ、みなさんもよく知ってる、1959年の出来事になるんですけども。
はい。
えっと、漫画週刊誌の創刊の話が持ち上がるんですね。
うんうんうんうん。
あの、「少年サンデー」という雑誌なんですよ。
はい。
今でもありますよね。
はい。
これが、えっと、この1959年に創刊の話が持ち上がって、で、この創刊号に連載を持たないかということで、藤子不二雄に話がかかると。
へー。
うーん、でね、週刊、週刊ですよね、みたいな感じ、これ。
うん。
あの、月に1回の月刊誌でもヒーヒー言ってるのに、僕らに勤まるでしょうか?みたいなところで、ちょっと焦りがあったようで。
あー。うんうんうん。
で、ね、あの、僕たちも二度と失敗できないから、みたいな。
うーん、そうですよね。
そうですよね。
で、あの、ちょっとずつね、この仕事も戻ってきてる中で、週刊連載をしないかということで。
うん。
ね、こう、白羽の矢が立つわけですね。しかも創刊号からですよ。
うんうんうんうん。
うーん、どうしようかなーって、できるかなーっていうことで、ちょっと考えさせてくださいっていうふうに返事をしまして。
はい。
で、あの、相談するわけです、手塚先生に。
うん。
こんな話が来たんですよって。
うんうんうん。
そしたら、えっとね、手塚先生のほうも、少年サンデーに連載をするっていうことを知ってね。
うん。
あ、先生もされるんですねと。
はい。
うん。
で、先生に言われるわけです、手塚先生に。
毎週漫画が読めるなんて、こんなに楽しいことってないと思わない?って。
はぁー。
ねー、もうこんなこと言われたらね。
うーん、そうですねー。
突き動かされるよね。
うんうんうん。
よし、じゃあ、頑張ってやってみますということで。
はい。
こうね、ふるい立たされて。
うーん。
で、この週刊少年サンデーに連載された作品。
はい。
これが、えっとね、海の王子という作品ですね。
うーん。
うん。
ちょっと、あの、藤子不二雄のね、大全集とか、そういうのに興味ある方は、もしかしたら知ってるかもしれないし。
15:02
うん、はい。
あの、後に、あの、藤子不二雄ランドというのが。
はいはいはい。
召喚されるんですけども、そこにもね、あの、CMとかで、あの、今週は海の王子みたいな、あったんで。
うーん。
まあ、僕らよりも少し年上の方で、それのテレビCMとか見た方にとっては、もうこのね、作品の名前はよく知ってるのかもしれないですね。
うーん。
なので、この1959年に召喚された週刊少年サンデー。
うん。
ここに、まあ、藤子先生だけでなく、手塚先生とか、まあ、他の漫画家さんとかが、こう、よりどりみどり揃った状態でこう満を持して、雑誌が始まったと、いうことになります。
はいはいはいはい。
海の王子は、えっと、確か合作だったような気がします。えっと、先生、藤本先生と、安彦先生と。
うんうんうんうん。
このね、海の王子の話も、ちょっと別の時にしっかりしたいなとは思ってるんですけども。
うーん。
で、そんなわけで、今となってはね、結構、小学館の漫画家さんっていうイメージが強くなってる藤子藤男っていう人ですけども。
はい。
まあ、ここが、まあ、後に知られるキャリアのスタート地点でもあったって感じでしょうか。
うーん。
まあ、そんなこんなでようやく、ようやくというか、まあね。
はい。
あの、漫画家としての復活を遂げた藤子藤男ということで、今回の話はここまでにしようかなと思っております。
はい。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございました。
はい、ということでですね。
はい。
週刊、少年サンデーが創刊されまして。
うん。
で、こっからね、改めて藤子藤男としてのキャリアがスタートするよっていうところまで今日お話ししました。
はい。
うーん。
ちょっとね、あの、藤子藤男の話はもっともっとしっかりしたいなっていう気持ちもありつつ、
あんまり、この、なんやろ、深掘ってない状態で触れるにもファンがすごく多い、ね、あの、領域なので。
はい。
今回若干ね、こうさらっと目にこなした感じはありましたけども。
はい。
あの、このあたりは、あの、詳しい方、どんどんこのフォローというか、ね、お便りとかにいただけたら深掘っていきますんで、どうぞよろしくお願いします。
教えてくださいっていう感じです。
はい。
はい。ここまで、あの、さっぱさん1回挫折を味わった藤子先生がこうやってまた復活していくわけですけども。
うんうんうん。
今回のお話、どんな印象ですかね。
いや、そうですね。まあ、その、まあ、実際どうなっていくかっていうのは、もう、その、最終的なとこは見えてるわけじゃないですか。
18:02
そうですね。
で、まあ、ここが本当に、なんか、その、私とかが知ってる、その先生たちの形っていうか感じに入り込んできたところなのかな、みたいな。
ああ。
っていうふうに思ってて、あとは、あの、憧れだった人と同じ雑誌に自分の漫画載るってすごくない?みたいなのはめっちゃ思いましたね。
そうやね。それはだいぶ、なんか、ときめくよね、胸がね。
うん、そうですね。
ああ。ほんでね、あの、相談してね、あの、週刊連載を心に決めるっていうのもいいエピソードですよね、これ。
うん、ですね。
確かにね、この世間一般的な感じで言うと、この後のキャリアのほうが全然、この知名度的には高いので。
はい。
さっぱさんがね、こう言ってくれはったみたいに。
イメージする藤子藤代像にちょっとずつ近づいてきたなっていう時期ではありますよね。
うんうんうん。
全然だって、ここから先、一般的にほら、ドラえもん、パーマン、オバキューとかね、キテレツ大百科とか、全くまだ登場してない時期なので。
そうですね。
この先ね、どんな感じでこういうね、有名な作品が生まれていくのかっていうところも、もしかしたら聞きどころとしてね、楽しみにしてくださる部分かもわからないですね。
はい。
はい。じゃあ次も、その次もね、追っていこうと思いますので、ぜひ聞いてください。
はい。
少し不思議ないと、この番組では皆様からの感想、反応、藤子藤代作品への愛、いろいろね、お送りいただけたらと思っております。
さっぱさん、宛先の方よろしくお願いいたします。
はい。
メールアドレスはfushigi7110 at gmail.com。
ツイッターのアカウント名は少し不思議ないと。
ハッシュタグは、ハッシュタグ不思議な、不思議はひらがな、なはカタカナで検索してみてください。
はい。それからお名前だけで送っていただけますメールフォームの方もご用意しております。
はい。
エピソードの概要欄、もしくはツイッターの少し不思議ないとのアカウントのプロフィール欄ですね、そちらにリンクがございますのでご活用ください。
はい。
というわけで終わっていきます。皆さん次のお話でお会いしましょう。さよなら。
またね。
20:47

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