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2023-07-25 59:59

【番外編】映画「怪物」を語る延長戦 前編

1 Mention

是枝裕和監督の映画「怪物」について語る回前編

毎日映画トリビアが出演した、怪物について語る公開収録イベント「TAPROOM Vol.5」の音源はこちら

感想、質問、この作品を取り扱ってほしい、などのお便りはこちらまで

[[[今回のトピック]]]

公開収録トークイベント「TAPROOM」出てきたよ / それぞれの事実の間の齟齬 / 他者の断片 / ラストの解釈 / わかりやすいメタファー / 辻褄が合わない理由 / ぶん回されました? / そりゃないぜぇー / 中村獅童問題 / 許すまじ彼女 / 広奈ごめん / 自分の中にある前提 / 寄り添うお母さんの死角 / 自分に言い聞かせていること / 向き合い演出 / 裕和ごめん

次週へ続きます

火曜日19時更新


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サマリー

映画『怪物を語る』は、登場人物の視点や事実の断片しか見えないことを示し、人間の複雑な関係を描いています。この映画では、主人公の新海亮と川﨑舞の関係性や彼らの葛藤が描かれており、最後には二人の関係が深まり、生まれ変わった感じがします。また、映画には辻褄の合わない要素があり、子供たちの視点と大人たちの世界のギャップが描かれています。映画『怪物を語る』の前編では、映画の体験や演出の特徴について話されています。登場人物の断片的な視点やステレオタイプな描写が注目されており、深く人と繋がることを避けるテーマが描かれています。映画『怪物を語る』は、人々が他者の断片しか見ないことや自分の前提に基づいて判断すること、そしてそれによっておかしくなっていくことを描いています。主人公の母親や堀先生のキャラクターを通じて、普通であることや男らしさについての考えも表現されています。『怪物を語る』の延長戦前編では、仏壇に向き合わない母と息子の関係や、その他の登場人物の向き合うシーンについて話されています。

映画【怪物を語る】の内容
はい、毎日映画トリビアです。
トモヒーです。
今日はですね、ちょっと【番外編】ということになってるんですけど、
いつものスタイルとはちょっと違うかもしれないんですが、
先日あの、僕がですね、ちょっとトークイベントに、
他のポッドキャスターにちょっと出演しまして、
はいはい。
これまあ、もしかしたら聞いてる人で、あの知らなかった人も多いかもしれないんですけど、
ちょっとあの、出演自体が結構ギリギリに決まったので、
告知するタイミングがね、あんまりなかったんですが、
はいはい。
東中野、東京の東中野にある、あの、ポッドキャスト、スタジオ付き、
ビール、バー、ビアバー、雑談さんというところで、
えー、トークイベント、あの毎月、あの主催でやられてるんですけど、
えー、タップルームというトークイベントの、第何回だっけ、5回目?
ああ。
えー、ちょっと呼ばれまして、映画【怪物を語る60分】ということで、
えー、喋ってきたんですよ。映画【怪物】について。
おー、なるほど。
まあ、聞いてくれた方もいるかなと思うんですけど、
はいはい。
まあ、映画【怪物を語る60分】って言いながら、まあ60分少々喋ったんですが、
うんうん。
僕が全然ね、喋り足らなかったんですよ。
ああ、なるほど。遠慮しちゃったんですか?
遠慮したし。
自分がホストじゃなくて、ゲストで呼ばれたから?
そうですそうです。
あのー、真夜中コンビニの駐車場でっていう、まあユニットでやられてる、
本田さんと山口さんっていうね、
えー、ドキュメント72時間について喋る、ポッチゲストでやられてるお二人が、まあ番組ホストなんですけど、
えー、それにまあゲストという形でね、
えー、まあちょっと変則的な形ではあったんですが、僕が出て、3人で【怪物を語る】っていう回だったんですよ。
うんうん。
ただ、あのー、僕がまあ喋り足らない感じ、もう込みで、
なるほど。
あのー、良かったっていう感想をいただいたんですが、
あー。
ちょっと僕としては出し切れてない。
なるほど。
ということで、あのー、トモヒーさんにもね、ちょっと【怪物を語る】、まあ見たかったでしょ?
そう。
見たかった。
そうですね。
見たかったんだよね。
そうですよ、そうですよ。あのー、そんなに圧いただかなくても。
見たかったんですけどね、ちょっと僕なかなかタイミングが合わなくて、
あのー、今、えっともう、今日が7月18日?収録日が。
はい。
なんですけど、昨日ね、見てきたんですよ。
もうあのー、
ぼやぼやじゃないですか。
そうそう。あのー、昼の1回しか上映ないぐらいの感じになってましたけど、
まだ辛うじてあって。
はい。
で、ちょっともう日程的にこれぐらいしかないから、行こうと思い、
で、えーとー、トルビアさんもね、もちろんお勧めしてくれてたし。
はい。
うん。なんか、これで広角監督ね、あのー、僕も好きなので。
おー。
で、見に行った結果、
映画の登場人物やストーリー
うん。
これは俺も喋りたいと。
あー、よかった。
そうそうそうそう。
決してこれはあのー、押し売りではないということここで。
そうですね。
ちょっとつらかせよっていう感じではない。
あのー、俺が喋りたいから、あのー、お前来いよっていうことで連れてこられたわけではなく、
対等にどちらも喋りたいという。
そうです。
こういう体でいいんですよね。
はい。
ということでいいんですよね。
大丈夫です。
バッチリ。
バッチリ?よかったよかった。
高感度、俺の高感度があんま下がらない感じで。
そうですね。
よかったよかった。
まあまあ、あのー、そうなんですよ。
だから、えっと、延長戦、あのー、映画怪物を語る延長戦ということで、
うん。
この深めるシネマでちょっと、あのー、もう一回やろうかなと思って、今撮ってます。
はい。
なのでまあ、先行して上がってる方のね、あのー、その映画怪物を語るタップルーム、
えっと、フロム雑談っていうまあポッドキャスト名で、雑談さんがやられてるポッドキャストがあるので、
まあそちら、先に聞いていただいても全然いいと思います。
なるほどなるほど。
はい。
まあ、繰り返しになる部分もあるかもしれないし。
そうですね。
で、トモヒンさんはそれを聞いてないんですよね。
そうなんですよ。あのー、ちなみにというか申し訳ないことに、まだ聞いてなくてですね。
で、昨日見た後に聞こうかなと思ったんだけど、
ちょっとまあこう、なんかすっかく番外編中か、
あんまり準備せずに、こう、自分の印象だけでいろいろ調べたりもせずに、
うん。
だから評価とかもね、ぶっちゃけよく知らないんですよ。
いいね。
今回。
え?
いいですね。
いい、いいんだ。
そういう話を僕はしてきたつもりでもあるし。
そういう話?
嫌なんですよ。
どういうこと?
いやだからそのー、なんだろうな。
まあ先にこうね、人の評価見るよりも。
あーはいはいはい。
中身の話をね、やっぱこうしたいから。
純粋に見た、トムヒさんが感じたことをちょっと僕も聞きたいなという。
なるほどなるほど。
感じなんです。
そうですね。なので今回は、あのー、うってつけっちゃうてつけかなっていう感じですね。
そうです。
うん。
じゃあちょっと簡単にまああらすじというかね、説明をしませんと、
まあ映画とかですけど、まだまあギリギリやってるかなって感じだと思うんですけど。
うん。
えー、2023年の今年のね、映画です。
えーと、舞台は大きな湖のある郊外の町。
えー、息子を愛するシングルマザー麦野沙織は、ある日息子の様子がおかしいことに気が付き、
このことを発端に学校の教師、そして子供たちを巻き込んだ大事件へと発展していく。
監督は万引家族などで知られる小枝博。
脚本は花束みたいな恋をした。
いや、ドラマ大豆田トバコと三人の元音などで知られる坂本隆一が担当し、
音楽を選出高いした坂本隆一が担当した話題作。
ということです。
はい。
カンヌでも脚本賞取りました。
えー、すごいことなんでしょうね、これは。
脚本賞とクイヤ賞ですかね、クイヤパルムっていうのを取りました。
クイヤパルム?
クイヤパルムっていうのは、なんか。
アイスの名前じゃないですよ。
パルムの方がね、どうしてもね。
そうです。クイヤパルムって、クイヤLGBTQを題材にしたというか、
そういった人たちが登場する作品の中で優秀な作品に贈られる賞ですね。
結構前からあるらしいんですけど、僕もあんまりよく知らなかった。
へー。
ということで、トムヒさんどうだったんですか、怪物。
そうね。怪物ね。
一言で。
一言で。
いや、絶対言えねえやつ。
いや、難しいよね。一言で言えないけど、いい映画だったと思うんよね。
ほう。
で、ただ、見てて心地いい映画ではなかったよね。
あー、はいはい。
そうね。
あのー、なんていうか、ずっとこう、居心地悪い感じがするというか、
あのー、考えてたことが次々覆されていったりするじゃない。
あー、はいはい。
ね。有名な、映画用語で言えばラショウモンスタイルとか言われる、
それぞれ、一つの事件をそれぞれ、別の登場人物の視点で描くっていうやつですね。
あのー、こう、時系列が戻って、視点が変わって、それ繰り返されるっていう。
はい。
そんなようなね、形だから、その、なんていうのかな、見てて、だから、
こういうことなんだろうなって思ってたことが。
うん。
あのー、ひっくり返される。
わけよね。
何回もね。
でー、そう、何回もそれが。で、そのうちに、そのなんていうのかな、
どういうことなのかが、分かんなくなってく、分かんなくなってったんですよ。
うん。
見てて。
ほう。
でー、だからそのー、何回も見れば、お話の筋みたいなのもはっきり見えるんだろうけど、
あのー、一回見ただけだと、本当に何が起こったのかっていうのを、
あのー、なんちゃう、時系列中にそれぞれの視点で考え直して、
あ、これはこうでこうでこうでっていう風に、あのー、組み直すのは難しいし、
多分それはできないように作ってんだろうなと思った。
あー、はいはいはい。
うん。
こう判断させないようにしてるっていうか。
あー、なるほど。
つまり、ある登場人物が見ている世界、事実でも真実でもなんでもいいんだけど、
映画の解釈と意図
と、他の人が見てる世界、事実でもなんでもいいんだけど、
の間に、あのー、明らかに層がある。
層がありすぎるっていうところを、あのー、意図的にガンガン見せようとしてたし、
うん。
その、見せようとするけども、解決できないような場面とかも、多分あったと思うし。
例えば、どの辺、そのどういうところ?
えっとね、あのー、パッと思い出したので言えば、
うん。
あのー、ヨリくん。
うん、ヨリくん。
ヨリくんが、お手洗いに、トイレに入ってて、
うんうん。
あのー、閉じ込められた。
はいはいはい。
で、えっとー、他の子たちがやったんだけど、
あー、ミナトくんが、入ってきて、出てったのを、
うん。
先生が見て、
うん。
で、あ、これはミナトくんがやったんだなっていう風に、
うん。
まあ、あのー、これが事実なんだなっていう風に先生は思う。
うん。
よね。でかい、まあそっち先に見せられてた、俺らも。
うんうん。
あのー、映画の時系列上。
うん。
なんだけど、やっぱ、あのー、それはー、違うわけよね。
うん。
それこそ、ヨリくんの、あのー、体験した事実とは、
うん。
あのー、違う。
うん。
だけど先生はそこに確信を持ってるみたいな。
うん。
うん。
ところー、とかね、
うん。
そういう、そういうのがいっぱいあったような気がする。
うん。
だから、そこを、
うん。
なんじゃない。
俺にとっては多分、メインで見せてるような、
うんうん。
気がしたーのね。
これなんか、つまり何なのかって言ったら、
うん。
あのー、人間、我々人は、
うん。人は。
人は、我々ヒューマンビーンは、
人は。
つって。
我々は。
うん。
我々は、宇宙人ではない我々は、
怪物だけどね。
うん。怪物。
は、つまりその、他者の、
うん。
断片しか、実は見てないんだっていうことを、
はい。
を示してる、
うん。
あのー、映画だと思った。
うん。
他者が、
うん。
何を知ったのかっていうのを、
全部見ることはできない。
うん。
から、
うん。
あのー、断片断片しか、
うん。
あのー、知ることができない。
うん。
し、見ることももちろんできない。
うん。
っていうことで、
そ、それが、
うん。
あのー、問題を複雑にするというか、
うん。
関係を複雑にするというか、
うん。
っていうのの、原因なんだっていうことを、
もう一回みんな確認しましょうよっていう風なことを、
あのー、訴えてる映画なんじゃないかなっていう風に。
改めて。
うん。
うん。
これには見えた、
うん。
のよね。
うん。
まあそうだよね。
うん。
一番伝えたいことではある。
うん。
あのー、映画のまあラストが結構いろんな解釈を生んでて、
あー。
そのー、要は、あのー、二人のお友達、
うん。
えーと、ミナト君とヨリ君が、
うん。
二人がまあ、あれをまあ亡くなってしまったということを表してるのかとかね。
あー、そういうこと。
えー、どう見ました?これね、僕も結構聞かれるんですけど。
うん。
どう見た?
えーとね、いや、俺はすごいこう、分かりやすく、
うん。
二人の関係性と葛藤
あのー、二人の関係性がそのなんていうのかな、
えー、ちょっと複雑な、あのー、お互いをどう思えばいいのか、
うん。
向こうがどう思ってるのかっていうのが、
うん。
分からないっていう葛藤、まあこれ一つの話の筋、
うんうん。
でもあると思うんだけど、
そう。
が、あのー、まあいわば二人の心が通じ合ったみたいな、
ほう。
形で、そのー、生まれ変わったみたいな、
うん。
感じのことを、
うんうん。
もうセリフでね、あったと思うんだけど、
そう、生まれ変わりは何回も言葉として出てたね。
そうね。最後さ、あのー、閉じられてた、閉ざされてた線路みたいなところが、
なんか開いてて、そこに向かってバーって行くじゃん。
そう。
そうね。
で、あのー、あれ途中でも出てきてんじゃん。
うん。
あの時は閉じてた。
そう、行けないねーって言ってたのが、
のが、
開いてた。
うん。
っていう寸前で終わるよね。
うん。
あ、そうか、行ったわけじゃねーのか。あれって。
走ってって、ゲートがあったところに、
うん。
たどり着く直前でバッて安定して終わったはず。
あー、そう。なんか急、確かに結構急に終わったよな。
いやだから、俺は別にあれはなんか天国を表してるとかそういうことじゃなくて、
うん。
そのー、二人の関係性が、
うん。
こう、一つ、
うん。
うよ曲折あったけど、
うん。
ぶつかり合ったおかげで深まって、
あー。
そのー、
あー。
これから未来に、
うん。
一緒に向かっていくんだよっていう、
うん。
ね、あのー、あれー、なんか、電車?から、なんかこう、
出てくる、
うん。
穴蔵みたいな感じになってるとこから出てくるっていうのも、
うん。
まあ分かりやすく、
うん。
誕生のね、
うん。
メタファーみたいな感じじゃない?
うん。
そうそう。
ちょっと話それるけど、
うん。
あのー、分かりやすいメタファーすごい多かったよね。
例えば?
えーとー、
メタファーっていうかその閉じてるっていう、そのー、
うん。
ゲートが閉じてるあのー、電車のね、さっき言ったところが、
辻褄の合わない要素
うん。
開いてるっていう風になってたりとか、
うん。
あとあのー、嵐の夜に、
うん。
えーとー、お母さん、安藤さくら演ずるお母さんと、
うん。
先生データ、あいに出てる2人が、
うん。
あのー、見つけに、えー、探しに来る、
うん。
うん。
んだけど、電車の窓をこう、吹こうとすんだけど、
うん。
あのー、泥が被ってて、
うん。
あのー、磨けど磨けど、
うん。
見えないっていう、
うん。
そのー、
あれもいいし。
なんか、ねー、めっちゃいいシーン。
うん。
あのー、もがいてももがいても、なかなかやっぱり、
人の心が見えないみたいな、
うん。
そういうような、
でも、すごい、そのなんちゃうん、親切なっていうか、
うん。
あのー、言われてみればあーみたいな、映像表現じゃなくて、
うん。
かなり、あのー、分かりやすい、
視覚的だよね、そういうのって。
うん。
うん。
だから、なんか親切なそういうメタファーが多かったようにも思うし、
あのー、さっき言ったその、それぞれの視点っていうのの、
まあ辻褄が合わないようにできてるのかなっていうのをさっき言ったと思うんだけど、
うんうん。
それが特に僕は、あのー、感じたのはやっぱ、ラストなんだよね。
あー、ラストで、
うん。
あのー、そのさっき言った、えー、お母さんと先生が、
子供たちと大人たちのギャップ
うん。
えー、そのー、倒れた電車の窓をこう、
うん。
ガッて開けたら、あのー、カッパ、子供が着てたカッパだけ落ちてて、
うんうんうん。
で、中、空っぽだったじゃん。
うん。
うんうん。
で、誰もいない。
うん。
で、そっから第3部、その子供たちの視点に行くんだけど、
その、最後のこの、えー、その子供たちが、実際にその、あの電車の中にいて、
うん。
土砂崩れに巻き込まれて、その地下の中、水路みたいなのにこう降りて、外に出るっていうシーン。
うんうんうん。
が、その、子供たち、あの2人がこう、下に降りるときには、その奥のその出口は、もう朝になって光ってて、晴れてんの。
あー、そう、そうね。
ってことは、その、あのお母さんと先生がガラッて開けたときに、あの列車の中にいないとおかしい、わけじゃん。
あー、ま、そうか。
その列車から下に降りるところから、
あー、そうか。
子供たちの視点は始まってるんだけど、
うん。
あの、そのときにはすでに外は明るくなっている。
ってことは、
そうね。
そのまだ暗いときにガラッて開けたときには、中にいたはずっていう、明らかに辻褄が合ってない。
あー、確かに。
そこはすごく、
なるほどなるほど。
あの、俺はすごく好きなところというか、ま、それで、あの、怒ってる人もいるっぽいんだけど。
あー。
そのようは、ほんとにその辻褄が合ってないイコール、要するにこの世の、この世じゃないっていうさ。
あー、なるほど。
ふうにも見れるわけ。
そうね。だから、あの、子供たちのその光あふれるその朝の、あそこに出てったっていうのはもうすでに、えー、天国なのであるっていう。
だから辻褄が合ってない。
生まれ変わった、あのビッグクランチっていう言葉が出たけど、
うん。
その宇宙が、えー、ね、収縮してまた、あー、もう全部終わってしまう。
うん。
で、もう一回やり直すっていうのが起きたっていうことになってるっていう。
うん。
だから、そんな子供たちが死んだことにするなんてひどいって怒ってる人もいるっぽい。
あー。そうか、ひどい。
ひどい。
うーん、なるほど。
俺はそう、全然見なかったんだけど。
あー。
辻褄が合ってないからこそ、これ映画だから、その、簡単にあの辻褄って合わせれるじゃん。
その、要は、倒れた列車の下に、なんかもう一空間あって、そこに子供たちは実はいた。
でも、それに気づかずに大人たちは去ってった。
うん。
で、そっから、子供たちが朝になって、外に出たっていうことにすることもできるんだけど。
うん。
そうさせなかったっていうところに、その現実との断裂があるっていうことかなと思って。
あー、現実との断裂って。
要は、この世の中で、あの二人が本当に無邪気に走って、あの二人の関係性を邪魔するものは何もなくて。
はぁはぁはぁ。
っていうような世の中に今なってないじゃんっていうことにとれる。
あー、なるほど。
で、その、そこに断裂があるっていうことを、あの、ま、表している表現にも、その、辻褄が合わないことによって成り得るっていうことか。
うん。それは多分、辻褄を合わせることに後ろめたさがあったのかなって俺は見たんだけど。作り手側が。
あー、なるほど。なるほどな。深い読み合わせだな。
いや、だからその、ストレートにあれ、あの話を美談というか、その、ハッピーエンドにするんであれば、本当に子供たちは実は隠れていてとか。
もしくは、大人たちと和解して終わりとかね。
うん。確かに確かに。
あれはできるじゃん。
もしくは、その、じゃあ悲しい、この世の中が本当にその、その、あの子たちのためにできてないじゃんっていう問題点をもっとするんであれば、
あの、実際に、まあ亡くなった子供たちを出して、それに、まあお母さんとか本当に悲しむっていうシーンで、まあね、むなくそう映画的な終わり方もできるんだけど、
そのやっぱどっちにもできないっていう悩みが、その筆の乱れみたいな。
あー。
あるじゃん、その。
なるほどね。
どっちかなっていう、でもやっぱり希望を、この子たちには希望を持たせたいっていう願望がかった、その辻褄が合わない、あのラストは僕はすごく芸術としてというか表現としてすごくいい。
うんうんうん。
なのかなと思ったんだけど。
なるほどな、だから異界王にもできたはずなのに、あの断絶があるっていう、その現実と理想というかその、この子たちが味わってきた世界と、この子たちにとっての理想的な世界にすごい差がありすぎる。
そう、この子たちが、というかもう今俺たちが住んでるこの世界、この社会が、と、あの子たちが希望を持って生きるためのその社会にすごく断絶があるから、なんか嘘つけないなって思ったんじゃないかなとか思ったりしたんだよ。
あー。だからそれ、それがもう要するに筆の乱れみたいに。
そうそう。
なんかなったっていう読みなわけ?
それが美しくないって思うんだけど。
あー。なるほどな。
いやまあ、うん。
うん。
確かになーっていう風にしか、ちょっと1回しか見てないけどやっぱあれだよね。
あー。
で、その普通にトモヒーが見たときに、その、序盤から普通にこう、あ、要するに最初は教師がいじめているっていう視点だったじゃん。
うん。
何先生だった?堀先生ね。
堀先生ね。
堀先生がひどいと。
うん。
だから堀先生の立場になると、あれ、このお母さんもやばくない?みたいな。
うん。
あの、えー、要するにモンペ?
あー。
モンペなんじゃないか説みたいな。
うん。
こうになって、で、えー、なんか校長もやべえし。
うんうん。
あれって。
あれ、みな、みなとくんもやべえじゃんみたいな。
そうそう、みなとくんもいじめしてんじゃんみたいな。
うん。
っていう風になるっていうのを、あの、ストレートに全部信じながら見た。
あー、いや、それはね、あのー、そうは見てなかったの。
うん。
なんでかっていうのは難しいけど、なんかね、不自然なんだよな。
うん。
うん。
うん、不自然なんだよ。
俺も、なんか、あのー、結構それに本当にのった人もいるっぽくて。
その。
あー。
だからやっぱこう、こういう、その価値観揺さぶられる系映画をあんまり見てない人とか。
はいはいはい。
ね、あのー、実は、てかまぁこれら作品見てたらなんとなくもうわかるじゃん。
あー、まぁそうだね。
うん。
そのー。
それはそうなんだよな。
そうなってるんだけど、まぁ本当に、なんかすごく面白そうな怪物だーれだ、みたいな。
うん。
あのー、予告とか見て、面白そうって言って、これは誰だか。
犯人探しのサスペンスみたいな。
そうそうそう。
で、思ってみた人は。
うん。
やっぱり、その、ひどい、みたいな感じになって。
うんうん。
そのー、要は先生、こんな学校、やっぱもう腹立つよね、ってこういう、なんか謝罪のやり方とか。
うんうんうん。
あそこ。
飴舐めてんじゃねーよ、みたいな。
なに飴食ってんだよ、みたいなんで。
ははは。
そのー、キレイ、ガチ、で、で、それがまた自分にブーメランで返ってくるじゃん、次のパート見たら。
あ、やってたって。
そうだね。
で、さらにもう一回ひっくり返る、みたいな感じになるから、そのぶん回されて、あのー普通に傷ついてるっていうのもあるんだと思うんだけど。
あー。
あのタップルームではね、それー、あのまあ、えっとー、ホストの本田さんからも聞かれて、俺もやっぱりそのー。
うん。
やっぱ明らかにその序盤の、あのー。
うん。
不気味な教師たちが、不気味すぎて。
うんうん。
そうね、不気味すぎんだよ。
あれで本当に学校が悪いっていう話だったら、本当にただの、あのなんか昼ドラみたいな感じになっちゃうじゃん。
うんうんうん。
だから、まあなんかあるなって思ってこっちを見ながら、その聞いた目で見てたから、その。
うん。
えー、ね、あのー。
うん。
映画体験と演出の特徴
本田さんからはウガタ見方してます、みたいなこと言われたけど。
あー、そうなのか。
だから本当に。
いやでもなんか。
一般的な人はやっぱあそこで本当に、あのグッて持ってかれてるっぽいんだよ。
あー。
わかんない?
いやでも、なんか2点あって、それはあのー、なんていうのかな。
そう見たんだとしたら、素直に。
うんうん。
だとしたら、全然あのー、俺らより楽しめてるじゃないですか。
そうそうそうそう。
あのー、素晴らしい、あのーなんていうのかな、映画体験。
うん、してるよね。
できたんだろうなっていうのがあるのと、で、そういう風に俺らが、俺らがっていうか、まあ少なくとも俺が見れなかったのは。
うん。
でも、これも演出側っていうか、その脚本なのか監督なのかわかんないけど、が、やっぱ意図的に、明らかにおかしい感じに撮ってるじゃん。
撮ってるね。
なんか、あんなのない、あんなのない。
あんなのないぜ。
ははは。
そりゃないぜ。
そりゃないぜ。
そんなに紙読むなんてないぜ、みたいな。
これださーん。
ははは。
そんな、あの、実際、めちゃくちゃ感情を失った校長先生、いないよ、みたいな。
いないいないいないっていう。
ははは。
あるんだけど。
でも、これは相当、あの、言ってみれば親切に作って、あの、この映画親切だと思うんですよ、結構。
そうだね。
それが、あの、賛も悲もあると思うんだよね。
うん、その通り。
俺の中でも賛も悲もあるし、やっぱり。
だから、あの、明らかに、その、現実ではありえないような、セリフの言い方だったり、あの、行動だったりっていうのを、撮らせることによって、
あの、現実だけど現実じゃないんだよ、これはっていうのを、匂わせている、匂わせ続けてるっていう。
うん。
ことだと思ったから。
うん。
うーん、なんちゅうかな。
賛も悲もあるの、そこに。
あー、ま、そうね。ひ、ひはそんなにないけど。
うん。
なんかや、やりすぎじゃねえかなっていうのはあるよね。
うん。
うん。
うん、ある、わかる。
なんか、なんちゅうの、あ、えっと、中村指導とかさ。
俺もね、それ。
お父さんね。
この前、あの、タップルームでそれの話もしたけど。
あ、ほんとに。
あそこがやっぱめっちゃいびつになってるよなっていう、その。
いびつになってる。
やっぱ、自然体で有名な高齢化作品だったわけ。
はいはいはい。あー、ま、そうだね。
あ、そう考えると。
で、そこで今回、その、違和感の原因というか、ま、あの、要は脚本を書いてるのが佐野本雄二。
この、この人はま、やっぱドラマの人なわけ。
はいはいはい。
20年近くトップで走り続けてる。
まだに全然現役っていうのでも恐ろしいって言われてるんだけど。
うーん。
やっぱテレビだから、多くの人に伝わるような描き方になってるんだと思うんだけど。
そうね。
俺もま、そんなに佐野本雄二のことよく知らないから。
うん。
あれなんだが。
あのー、いやだから中村志郎のキャラはほんとに。
うん。
ね、このー、あのー、ど、だ、大丈夫なのかなっていうのはあって。
なるほど。あのー、強めのアルコール入ってる、あの、ストロングゼロ的な、こうね。
ストロング。ロンガン。
あれロンガン飲みながら現れて、あの学歴をぐちゃぐちゃ言って、よくわかんないけど水をバーって撒くっていう。
はいはい。
ま、現実には確実にいない、あのー、なんちゅうか、人。
だからあれ、あれでしょ?その、新説があって、さっき俺が言ったのは、つまりその、構図をわかりやすくするっていうか、そのメッセージをわかりやすくするために、あのー。
わかりやすい、悪いやつ。
確実にわかりやすい悪いやつっていう、こいつは悪いやつっていうのが出てくるっていうのは、
あの、これまでのコレイダー監督の作品だと、あの、マジで、なんか、万引き家族とかと比べたら超わかりやすいけど、
あの、ケイジさんとかですらすごいこう、あの、リアリティのある意気揚げ地図のさ、感じとかさ。
ちゃんとわきまえてる感じのね。
そうそうそう。
あれだよね。
感じだったのに、でもやっぱメッセージをこう、どうしても伝えたかったのかなとかは、もう思ったんだけど、あの、好意的に解釈すれば。
そのことによって、あの、なんていうのかな。
まあ、俺にとってはあんまり好きじゃない、こう、こいつは明らかに悪いやつっていうと判断して、あの、差し支えないし、
あの、実際そういうシーンしか出てきてないっていう、その、引き。
永村志郎?
そう。
永村志郎ちゃんとほら、台風の中でこけてたじゃん。
ああ、そうね。
あれでこう、あの川のワンシーンで、
ああ、でも確かにな。
その、彼もかわいそうだなっていう、その、描き方になっちゃったじゃん、つって。
ああ。
まあ、なってないんだけど。
なってない。なってないけど、確かにでも、あの、あれ見たとき、あのシーンで俺ちょっと笑っちゃった。
笑うよね。
のはあるな。
あれは、うん。だから、あれでオッケーっていうのが、まあ、すごくドラマっぽいなって思ったのもある。
うーん。
俺の中で。その、さっき言った親切さっていうのはやっぱり、そのテレビでいう、やっぱその幅広い層に見てもらって、幅広い層にこのメッセージを伝えるためにはどういう手法を取ったらいいのかっていうので選択した、まあ、やり方なんだと思うんだけどね。
登場人物の断片的な視点
うんうん。だからそのためにこう役割分担で、あの、中原指導にはその役割が与えられたっていうことなんだろうけど。
まあ、なんかあんまりやっぱりそういうこうわかりやすい悪役みたいなのが好きじゃないのと、あの、あとはその、さっき言ったコツにちょっと戻るんだけど、それぞれの人の断片しか我々は見ることができていないっていうメッセージなのだとしたら、中原指導的なああいう悪役、あとその教頭先生とかさ。
はいはいはい。
あとまあ、鳥巻の、東京ゼロファンの角太がやってた、鳥巻の先生たちとかさ、あの、そういう人たちがすごくわかりやすく描かれることによって、あれ、なんかこういう人たちの断片、こういう人たちのことも俺らは断片しか見てないっていうことなんじゃなかったんだっけっていう感じが出てくるから、
だからなんか、まあわかりやすくせざるを得ないだって伝えたいからっていうことなんだとしたら、わかりやすくすることによってメッセージが既存されるっていうことに。
一人相撲じゃん。
ああ。
いや、まあまあな。
いやでも本当にその通りだと思う。
うんうん。
ね、あの、構造上やっぱその、ね、無茶だなっていうのはあるし。
うんうんうん。
ああ、なんだけど、
うん。
まあ特に俺がもう一番腹立ったのはあれ、あの。
おお。
だから、あの。
あるんだ、腹立ったシーンとかもやっぱ。
いやもう堀先生の彼女。
あははは。
高畑美月。
ああ、そうね。
あれはやばいよ。
あれ、あいつは悪いやつだよね。
あいつは悪いやつ、あいつがだから怪物だっていう話をこの前タップルームでやったの、なんかみんなポカンとされたから。
嘘でしょ。
ああ。
あれは良くない。
ああ、まあ良くないね。
で、彼女は別に台風の中でこけてるシーンはなかったじゃん。
ああ、そうね。
一緒になってこけとけば良かったかもしれないけど。
ああ、じゃあ中村志郎と一緒になんかバタッとこう横からなんか。
なんか突っ込んでいくみたいな。
だったらその分かるんだが。
ああ、だとしたら制作側のみそぎみたいになっちゃう。
そしたら。
ごめんなさいっていう。
もう全員ね。
あ、だとしたら校長先生も、あ、校長先生じゃない、教頭先生も一緒にこう三人でバタッって。
ああ、そうそう。
急にあの、やっぱコントっぽくなっちゃう。
なっちゃうんだよなっていう。
だからまあその辺のその、やっぱあの違和感というか、
ね、無理したシワ寄せみたいなのはなんかいっぱいある映画なんだけど、
俺にとっても。
まあ4回見た上で別になんかめっちゃ超傑作とかいう風な感じでは僕も思ってないっていうのは正直なとこなんだけど。
なるほど。
まあね、あの堀先生の感情は本当に許すまじ。
いやーだからもうねー。
痛いとか言うじゃん、あの帰るときにさ。
ああああああ。
ステレオタイプな描写とテーマ
あれさ、あるよね。
ああいうなんか、ああいう感じはあるよな。
経験があるんですか?
いやいやなんか分かんない、あるのかもないのかも、あったとしてももう辛すぎて欲滑すると思うけど、
あの、無理に忘れようとするような。
押し込んで押し込んで。
俺はでもああいう人とお付き合いしたことはないけど、なんかいるよなっていうか、その単に俺はあれはその、えっと、まあジェンダー的な話でもあるけど、
ジェンダーがもし逆だったら堀先生と逆だったら、
明らかなその、俗に言うかのクソ男みたいな感じになる、その安っぽいあのなんか紐の男みたいな感じに映ると思うんだよ。
そのDV、あれDVじゃんだって。
まあ、うーん。
結構その、さあなんか、あの、じゃれ合ってるんだけど、その例えば家に帰ってきて、そのソファーの上でじゃれ合ったり。
ああ、まあまあ、そうかそうか。
足でこう蹴ったり、でなんか笑いなよ、もっと笑いなよみたいな。
いやそれは多分気持ち悪いみたいなこととか言うし。
でなんか、深刻に仕事のことで悩んでるのに、なんか飴とかを口にグッてこう触りながら入れたりとか。
普通に嫌なやつ。
しかも堀先生はそのせいで、そのせいで謝罪のところで飴食った。
あれもなんかこう、ああそういうことかってなったりとかね。
もあったりするけど。
そんなに真面目にしなくていいよっていうのを真に受けちゃってるっていうやつ。
まああれはもうさ、要するにその深刻な悩みとか話とかは、私は聞きませんよっていう。
あの面倒くせえから。
なんていうのかな、こう、都合いい時だけ楽しく過ごすし、なんか都合悪くなって面倒くなったら。
みたいに言って帰っていく。
でこう、こうしたら黙るだろうっていうことでこう、チューしてね。
で去るみたいな。また今度は嘘とかなんか言ってましたけどね。
ずっと舐めてんじゃん、堀先生のこと。
舐めた態度でなんか、プロポーズってなんか夜景の綺麗なところでするんじゃないの?って。
で、もうそのまま歩いていく。
一個も真剣にあの相手の話を聞いてないし。
普通にステレオタイプなクズ。
でもそこまでは思わなかったけどな。
ほんと。
それはもしかしたら、それこそこの映画で描かれてたからっていうこともあると思うんだけど、
あの人はあの人で、なんか病んでんなっていう感じがしたけどな。
病的だなっていうか。
ただの軽薄な感じというよりは、態度の表現というかさ。
浮き沈みとかも含めて、すごいなんかこう、人と、
言ってみれば深刻な悩み聞くとかもさ、人と深く繋がるっていうことじゃん。
あーなるほどね。
結婚がそれだとは全然思わんけど、象徴的だったりするよね。
それは茶化すっていうようなこととか、
なんか相談してきたら、雨を口に入れるとか。
めんどくさいね。
なんかこう、何がしかのこれまでの人生での人間関係に傷ついた結果、
深く人と繋がるのは避けるんだっていうふうな、
そういう傷の表出みたいには見えたかな。
他の映画だったらわかんないけど、断片しか見てないから。
だからこの映画のテーマが、それで判断しちゃダメだよっていうものだから、
やっぱそう、読みし始めちゃうっていうのもあると思う。
そうね。
テレビドラマで普通に見たら多分普通のステレオタイプっていう感じかな。
でももっと多分ステレオタイプに描かれてると思う。
なんか、もっとその手のひら返した時に、写真週刊誌が来た時に、
あの手のひらの返し方ももっとこう、
分かりやすく感情が乗ってる感じで、もう終わりだかんねみたいな感じの、
そういう、なんかそういう感じに済んじゃねえかなと思って。
あれはすごい、高畑光輝の演技は割と逆に良かったと思うんだよ。
他者の断片と判断
なんかすごい、あの、ちょっとおかしくなってる感じがしたからさ。
確かに目に光はなかったね。
うん。そう、なんか目死んでんじゃん。
目死んでた。
うん。そうそうそうそう。
ごめん、なんか。
え?いやいやいやいや。
いやでも、俺先生の彼女。
名前、なんか名前はね、ついてんのかね。
鈴浦博奈って書いて。
博奈ごめん。
謝罪しちゃった。トリビアさんが。
俺はだからもうずっと腹立ってたから、あれ見ながら。
4回目とかもう本当にもう。
もうふざけんじゃ、ふざけんじゃねえ。
俺堀先生の、どちらかというとこの中の映画の中で、
俺堀先生に一番、あの感情が乗ってた。
あーなるほど。
だからかもしんないんだけど。
なるほどな。
ま、だとしたら一番ひどく映るが当たり前だなっていう感じではあるけどね。
なんていうのかな。
今の話でちょうどよく、
この映画のキーワードっていうか、
何について描いてるのかっていうのの、
一つは断片。
人は断片しか、人は人の断片しか見られない。
見ることができないっていうことなんだけど、
もう一つは、その断片を見てるっていう風に、
自覚的なのであれば、
あんななんかこう、ごちゃごちゃになったりしないじゃない。
大事件に発展しないじゃない。大事件に発展しない。
あらすじ。
大事件に発展したのかなっていう感じもするけど。
まあまあいいや、ちょっと置いといて。
これだから思ったのは、
人の、
自分が見た他者の断片っていうのを、
自分の中にある前提みたいなので判断して、
勝手にストーリーというか、
を作ってるんだなって思った。
あの、自分の中に前提があるっていうこと。
判断するための様々なこと、特に他者を判断するための前提っていうのがあって。
それをと紐づけてるみたいなことだよね。
そうそうそう。だからその断片しか見れない。
で、断片それだけを見て判断してるわけではない。
つまりその、
本当にわかりやすく言えば、
こんなちゃんとスーツ着れてない先生は、
あのー、
しょうもない奴だし。
そうそうそう。
とか、
なんだろうな。
で、しかもキャバクラ行ってる、あ、ガールズバーか。
ガールズバーに行ってるらしいっていう、
あれも途中でキャバクラに変わってんだよね、言葉が。
あれもすごいリアリティがあるっていうかさ、
あのー、話が噂が広まっていくうちに、
ディテールがどんどん変わっていって、都合がいいようになってくっていう。
いやでもガールズバーとキャバクラってそんな違うの?
とは思う。
いやまあどうなんだろう。そんな違わないのか。
まあでもなんかちょっとこう、そういうスリップしていくっていうか。
スリップね。
ズレていくみたいな。
でもなんかガールズバーって言うよりさ、
ガールズバーって言うとイメージしづらくない?なんか。
あんまりこう、特に女性とかさ、行ったことない。
行ったことない大人もそうだと思うし。
でもキャバクラって言ったらもうあの、
メディアでも描かれまくってるし。
そうなの、確かに。
もうわかるわけよ。
で、また紐づいてるわけ。
キャバクラに行くやつっていうのはどういう、
寂しいんじゃないの?みたいなことをさ、
主婦同士の会話でお母さんとお友達、
ノロカヨパターンが演じてる。
2人が喋ってたり、つまりその、
限定で他者の断片を判断して、
で、そういうことかっていうのを、
もうあの、なんていうのかな。
膨らま、勝手に自分の中で膨らませていくっていう。
あの、だから、
お互いが考えてることとか、
本当は何があったのかっていうことを、
追求できないっていうか、
考えていくことができないっていう風になってるっていう、
そんな風なことを描いてる映画なんだなっていう風に思ってる。
断片と、他者の断片と自分の前提によって、
それぞれにおかしくなっていく、
その、事実関係の確認みたいな。
母親と堀先生のキャラクター
ちょっとごめん、なんか上手いこと言えてないんだけど。
でも、それが一番現れてたのなって思うのはやっぱり、
みなとくんのお母さん。
麦野沙織&桜が演じてた。
彼女のキャラクターが一番それを表して、
さっきの噂話もそうだけど、
やっぱり正しい人じゃん、あの人って。
主人公として、一番最初に観客が入るっていうか、
感情移入しやすい。
シングルマザーだし、夫を事故で亡くしていて、
一人で働きながら子供の世話もすると。
で、いいお母さんじゃん、あの人。
そうね、いいお母さん。
息子の様子がおかしいってなってからも、
必死に寄り添って、
全然、いわゆるステレオタイプな昭和のお母さんみたいな。
あんた何寝てんの?みたいな。
学校行きなさいみたいな感じの態度も取らない。
部屋荒らしても、そういう時もあるよねって。
訳は聞かずに、必死に寄り添ってるし、
めちゃめちゃ共感力があるんだと思う。
それが、それでも、やっぱ一面的なものしか見れなくなってるし、
それ故に分からないことが出てくるっていうのを、
一番分かりやすく表してたのかなっていうのがあって。
自分の息子の抱えている悩みっていうのは、
自分の範疇にあると思ってるんだよね。
自分が分かるものであると。
自分がしてもらいたいことを相手にすれば、
相手は癒されるんだっていうことという原理で、
めちゃめちゃ優しい考えじゃん、それって。
それによって動いてるんだけど、それ故に、
自体の方向というか、
息子のミナト君が抱えている問題の方向に気づくのが遅くなってるっていう。
っていうのを結構、もう序盤から、オープニングのシーンから出てるなって思ったのが、
火事のシーンとかで、
火事を消そうとしてる消防団に対して、
頑張れって声をかける。
近所迷惑だよとか言われながら。
言われながら、全然大きい声で言うっていうのも、
相手のことを思うがゆえに、自分だったら応援してほしい。
なるほど。
相手は絶対ここで頑張れって言ってもらったら、頑張れるんだ。
だって私もそうだし。
自分が消防士で火を消そうとしてたら、頑張れって言ってほしいってことだよね。
そうそう。だからそれが出るんだよね。
この映画大体そうで、
登場人物が人に投げかけてる言葉って、
全部自分に対して言い聞かせてる言葉ってできてるなと思う。
なるほど、確かに。
堀先生も、男性性、トキシックマスキュリニティとか言うけど、
悪い、悪いというか、男らしさ、男らしくあるべきみたいな。
苦しんでた過去が絶対あるはずで。
序盤のほうで、卒業文集みたいな、作文みたいなやつか。
小学校5年生のときに、先生が自分で書いたやつを生徒に読んでるときに、
西田光と結婚するんだみたいな。書いてた。
それも、自分はもう生まれ変わったんだっていうことを書いてたね。
ああ、そうやったか。
メジャーリーグのノモ選手のようになって、
もう自分は生まれ変わって、西田光と結婚するんだ。
っていうのは、男らしくなったんだ、自分はっていう。
弱い自分を捨てて、自分は生まれ変わったんだっていうことを、
小学校5年のときにすでに彼はもう感じてたっていうことだし。
だからこそ、授業の最中とかに、男だろうとか言ったり、
男らしくとか、あとトイレのシーンもさ、
みなとくんがトイレからパーって出てたときに、
おお、出たかとかさ、がさつな、デリカシーないみたいな。
それはやっぱり、彼が自分で自分に言い聞かせていること。
男らしくないといけないっていうことが、やっぱり人に出ている。
それは別に悪意も何もない。
男らしいほうがだって幸せになれるんだもんっていう。
で、彼の見た目も、やっぱり画体がいいわけでもなくて、
どっちかというとひょろっとしてて、
で、同僚の先生とかからも舐められてるっていう。
明らかにその、角下だと、真人だからなのかわからないけど、
明らかに舐められてるし、
遊ぶのはキャバクラだけにしましょうねとか言われたりとか。
ああ、そうね、言われてたな。
だからやっぱり、彼は自分で自分に言い聞かせてることが出ている。
で、学校の校長先生、田中裕子が演じてる。
もう何があったかは本当にわからないんだけど、
実際に事故の詳細がどうなったのか本当に最後までわからないけど、
その堀先生と記者会見みたいな、記者会見というか、
学校の集会みたいなので事情を説明する会みたいなのに行くときに、
あなたが学校を守るんだよって言うんだよね。
ああ、確かに。
堀先生に。
唐突に言うよな、あれ。
そうそう。
あんたがこの学校を守るんだよっていうのは、
あれは、あの校長自身が自分に言い聞かせてる言葉なわけじゃん。
だから、その何も、何があったか本当にわからないか、
お孫さんを車で引いてしまったのは自分なのか、
それとも嘘をついて、嘘をついたってことは言ってたから何についてなのかって言ったら、
自分がやって、学校の校長じゃない夫に罪を着せたということ。
2人で競合して自分がやりましたっていうことが言ったのかわからないけど、
だからあれも本当に、自分こうあらなくちゃいけないっていうのが外に出るタイプ。
で、やっぱあの最初の安藤さくらもそうで、
普通であることと男らしさ
やっぱりシングルマザーっていうその、いわゆる普通、
普通なんてものはないんだけど、普通の家庭から外れたと思ってる。
だからこそ頑張らないといけない、自分が。
息子のために自分が必死に頑張らないといけない。
だから普通であれっていう言葉を自分に生かしてるから、
息子に対しても、
白線から出ちゃダメとかね、
白線から出たら地獄だぞとか言ったり、
やっぱ普通であると。
普通に幸せになってほしいみたいなことを車で言ったりとかね。
あれは自分が普通じゃなくなったから、
夫が事故で死んで、しかももしかしたら浮気してたのかわかんないけど、
明らかに自分の人生設計から外れたっていうような行為があった、
事件があったからこそ、普通で普通でって思うが、
あまりそれが息子に出ちゃう。で、それが息子が、
やっぱりその、じゃあ結婚するまで面倒見ないととか言って、
お母さんが言うんだけど、いや自分、
そんな女性と結婚するかなんかわかんないのにってなった時に、
やっぱその息子は息子で悩むわけよ。
全部それで繋がってるなって思う。
なるほど。
いやあれなんだな、息子をさ、最後は明らかに、最後の方が明らかになるけどさ、
お父さん、車で、
最初の方送り返されてる、家に帰ってる時?行方不明に一回始めなって。
うん。
で、
助手席から飛び降りる時?
助手席で、そうそうそう。
の時に、お父さんっていう時にトラックがちょうど来て、
聞こえないっていう、
お父さんみたいにはなれないって言ってた。
でもあんたがお父さんって言って、
話がそっからちょっと詳細は覚えてないけど、
普通に幸せになってほしいの?みたいな。
結婚して、子供がいて、
なんか特別じゃなくてもいいから普通にどうのこうのっていう風に、
言う場面になったりして、
だから本当にそのあのお母さんは、
同じ方向向いてんの。
それが息子とちゃんと同じ方向向いてんだけど、
はいはい。
これも堀田監督すごい上手いなって思ったのが、
やっぱその画角的に本当に同じ方向向いてるシーンがめっちゃ多い。
その家事を見る時も同じじゃん。
あーなるほど。
で、車乗ってる時も同じ方向向いてる。
うん。
で、仏壇に手を合わせる時も同じ方向向いてる。
はいはいはい。
ずっと同じ方向向こう向こうとしてるけど向き合ってない。
向き合ってないね。
うん。
なるほどね。
で、会話をする時も奥でお母さんがキッチンで作業してて、
手前のね、みなとくんがご飯食べてるとかテレビ見てるとか、
仏壇に向き合わない関係
その仏壇に手合わせてる時も、
息子は仏壇に手合わせてるというか、仏壇の方向いてんだけど、
うん。
あの、お母さんは奥の方にいるとか。
うん。
っていう風にずれてん、全部。
その、2人の位置関係。
うん。
っていうのが本当に、その、本当に向き合ってなくて、で、
本当に向き合うのが、あの、その、車の助手席から、
あの、みなとくんが飛び降りた後に、
うん。
CTかなんか取って、病院から帰る時に、
うん。
あの、道路、路上でさ、
あんた、な、何なのって、何が起きてんのあんた一体って、
詰め寄ろシーン、あんじゃん。
うんうんうん。
だからもう最終的なその、詰め寄る時は向き合ってんだけど、
それはもう遅いっていうか、それは向き合ってることになってないじゃん。
あー。
もう問い詰めてんの。何があったの、この絵は何、あれは何、どうなってんのっていう、
問い詰めモードになってる時に初めて、あの、向きがこう、
お互い向いてるっていう、目の前。
相対してる。
相対してるんだけど、それはもう最終的な決裂でもあるし、
それ以外のその、もうこの、お母さんと息子だけじゃなくて、
登場人物、だいたい本当にそういう向き合うシーンが本当になくて。
うん。
で、あるのはその、学校のあの形式的な謝罪のシーンとか。
あーはいはいはい。
校長室でね、あの頭、顔首揃えて。
めちゃくちゃ、めちゃくちゃ下げるって。
そうそうそう。
あの、あれもやっぱ不自然だしね。
そう、あれとかなんだね。
で、これもまあタップルームでお話ししたんだけど。
うんうん。
唯一あるその、画角的に本当に2人が向き合ってるっていうシーンが、
あの怪物誰だゲームのシーン。
あーなるほど。
あの、みなとくんとよりくんが、向かい合わせのシートに座って、
お互いのこの額にね、ある怪物カードみたいな。
まあ動物だよね。
うん。
あれをお互い当て合ってるっていう時だけ、がっつり向かい合わせで、
同じサイズで2人が映ってるっていうシーンがあって。
うん。
で、本当にあそこはその、要は対話になってる。
何々ですか。
うんうん。
うーん違うかなーとか。
うーん。
なるほど。
そのお互いのそのアイデンティティを、
その探り合ってる2人なわけよ。
うん。
めちゃめちゃいいシーンじゃん。美しいシーン。
そうね。
だから質問して、それに対して、
それは違うのか、そうなのか。
っていう対話なわけじゃん。
それが何なのって詰め寄ってもないわけよ別に。
丁寧に1個1個質問して、
丁寧に1個1個返して、
うわーなるほどね。
うわーすげーなー。
なるほど。
すごいんだよ。
本当にそういうところは、
その他の向き合うシーン
あの、まあさっき言ったその、
わかりやすく撮られてる作品ではあるんだけど、
その全体のテイストが。
でもやっぱり、
そうね。
その、そういうところにちゃんと、
これが監督がもうおそらく考えたであろう、
まあ坂本優次さんが考えたのかもしんないんだけど。
うーん。
画角的にそれを視聴者にどう見せるかみたいな、
そこまで考えて組まれてると思うんだよ。
いやもうごめんなさいっていうあの、
なんかわかりやすさのあれが、
口座位がありますねみたいなこと言ってごめんなさい、
全然わかってなかったですっていうね。
まあでもこれはでも本当に、
ちゃんとね、
何回か見ないとわかんない。
そこがすごいいい映画ではあると僕も思うんだよ。
その、やっぱいろいろ、
あの、変なところはありつつも、
きちんとそういうところは見せてくれているし、
伝えようとしているというか。
うーん。
ただまあ全然そこについて語る人はいない、
っていうのも問題だよなっていう話もたっぷりもしたんだけど。
あー。
いややっぱその、
対話、あの、
なんだろう。
さっきの俺の話に寄せる感じでちょっと恐縮っていうかあれだけど、
あの、
まあ要するに対話ができてないっていうのは、
うん。
やっぱ何らかのこの人の前提があって、
それにとって物事を捉えているから。
後編へ続きます。
59:59

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