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2025-01-21 52:05

【ボーはおそれている】「おそれている」とはどういうことか【ぬ】

2023年の映画、アリ・アスター監督「ボーはおそれている」について

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サマリー

ポッドキャストのエピソードでは、「ボーはおそれている」というテーマを通じて、不安神経症や妄想性障害について考察されており、その感情の表現や滑稽さが描かれています。映画やコントの要素を交え、聴衆との共感を深めようとする姿勢が見られます。このエピソードでは、映画『ボーはおそれている』について議論され、主人公のボーが抱える恐れの本質とそれが物語に与える影響が掘り下げられます。また、ボーの母親との関係から生まれる心理的な葛藤と、視聴者が映画をどう受け取るかについても考察されます。ポッドキャスト「ボーはおそれている」では、映画のテーマや視覚的要素について深く掘り下げ、恐れや過去の経験が現在に与える影響について考察されています。アリアスター監督の意図や映画の評価についても言及されています。このエピソードでは、人が感じる「恐れ」の本質が掘り下げられ、自分の内面にある恐れがどのように望みと結びつくのか、さらには過去の傷が現在に与える影響が語られています。「ボーはおそれている」というテーマに焦点を当て、社会におけるユーモアの理解や心理的な葛藤について掘り下げられます。特に、アリアスターの作品や彼の描く天才像に触れ、一般的な価値観との対比が論じられています。

作品の感想と視点
まあまあ、気が変になりそうです。
え?
日本公開時のキャッチコピーは、
まあまあ、気が変になりそうですっていうらしい。
マジか。
今、ウェイキー見たけど。
いい、いい、あれかもね。
いいキャッチコピー。
いいキャッチコピーかもしんない。
こんな風に生きられたらより全然いいよね。
全然違う。
それはパーフェクトデイズの。
いいな、キャッチコピー入れ替え選手権やりたいな。
いやでも、
パーフェクトデイズも、
美容によっては、
まあまあ、気が変になりそうですっていう。
いや、かもしんねえよな、みたいなね。
あるかもしんないね。
まあ、【ボーはおそれている】ですけども、
要するに、話すのは。
え?
今?
今頃?と思って。
公開、去年の2月とか。
そうね。
うん。
寝込んでる時に見たんだよ。
寝込んでる時に見たシリーズ。
寝込んでる時に見る映画としては、
これは正しいのか正しくないのかどっちなんだろう。
これねえ、どう思います?
っていうね。
これ映画だから、
完全に寝込んでる時は、
もう何も見れないわけだけど、
回復してきた時に、
うっすら目が開いてる時?
うっすら目が開いてる時なら、一応見えるじゃん。
見えるね。
見えるじゃん、なんか。
っていう時に、
アマプラでサブスクリプションが解禁になったの。
確か。
その時期に確か。
ちょっと前だけどね。
で、いずれ見てえな、みたいな感じで。
ホワキンフェニックスだし。
っていうので、
3時間もあるじゃん、あれ。
長いなあ。
2時間58分、59分か。
寝込んでる時くらいしか見れなくない?
時間が。
一度に全部見れたの?
一度に全部見れたよ。
おお、すごい。
一度に全部見るべきでしょ、これは。
で、まあ、あの、
言っときますけど、
俺この映画超大好きなのよ。
えー、まあそうだろうなと思ったけど。
俺はあの、
公開当時の
ちょっと前に、
アリアスターが来日した時に、
はいはい。
なんか完成披露試写会みたいなので、
お呼ばれして。
えー、行ってきたんや。
行ってきたんだね。で、見て、
これは、もうトモヒーだなと思って。
えっとね、正解。
本当に。
これはね、もうあいつじゃん、みたいな。
なって、
お前に
見ろって言ったんだけど、
そっから全然見てなかったでしょっていう。
コントとしての解釈
そうね。なんかこう、
怖かったっていうのもあるけど、
早く見れば、
でも見るべき時に見たのかもしんないけど、
まあとにかくね、この映画はね、
某は恐れているっていうか、
トモヒーは恐れているっていうので、
いいと思うよ、本当に。
だよな。
で、どう見たのかっていうね。
うんうん。
それこそさ、ジョーカーとかはさ、
感情移入して、
あれも俺だみたいな感じで、
見てるわけだけど、
悲しかったよね、ジョーカーはね。
2も悲しかったよね。
もうね、某は恐れているわ。
うん。
まずはっきり言っておきたいんだけど、
俺これコントだと思うよ。
ヤマそうだよね。
そう、ロングコント。
超ロングコント。
ブラックコメント。
お前さ、ドリフとかさ、
子供の頃あったでしょ、
テレビでさ、たまに、
ドリフの大爆笑ね。
うん。
8時からやっていたという、伝説の
コントの番組。
で、俺らは世代じゃないから、
見てはないわけ。
なんだけど、やっぱり名作番組だから、
結構テレビとかで
放映されてたよね。
うん。
特集みたいな感じで。
で、見たことがあるわけだけど、
あれにさ、もしもしリーズって
あったの覚えてる?
ドリフで?
そう。
リハーツ展があったみたいなやつ。
あったね。
もしも床屋が忍者だったらとかさ、
もしも銭湯が
サファリパークだったらとかさ、
そんなようなノリのやつよ。
で、イカリやチョウスケがすごい
痛い目に合うっていう。
あれちなみにみんな
イカリやチョウスケがすごい狂犬
的なリーダーだったから、誰も逆らえないで
腹立ってたからあれボコボコにしてたらしいんだけど。
カトちゃんとかが。
そんなことはちょっと
置いといて、
つまりね、ボブは恐れているは
もしもしリーズ
なわけ。
タイトルつけるとしたら、
もしも不安神経症患者の
妄想が
全部現実になったら
っていうこと。
その通りだよな。
これはね、
だからもう
なんていうの。で、つまり
皆さん何度も言うですけど、
あれは俺なわけ。
ボットキャスト
ボットキャスト界の
某が誕生した。
つまり俺ホワーキンフェニックスなんじゃないかなっていう。
ことになってくんだけど。
おもろいな。
ボットキャスト界の
ホワーキンフェニックスだ。
どう思います皆さん。
親しみが上がります?下がります?
っていう
感じなんですけどもね。
いいね。
もうあの
本当に
某が恐れてるだけ
だった。ただただ。
ただただ某が恐れてるだけだった。
恐れていることは全部
現実化していくっていう。
そうそうそうそう。
だからつまり
現実化しないわけ。
基本的には神経症的な人の
話だよね。
つけるのであればあえて
病名を不安神経症とか
妄想性障害とかになるでしょ。
になると思うんだけど
その
妄想であり不安であって現実化しない
から
シリアスなわけね。
我々患者は。シリアスなわけ。
でも
現実化しちゃったら
まあ大変
っていうことであるのと同時に
それを見たら
スクリーン越しに
スクリーン越しに見たら
こんなに滑稽なのかみたいな。
こんなに面白いのかみたいな感じ。
最高だよな。
てことで
すごいね。
浄化されたのよ。ものすごく。
もうなんか
自分見て
自分見て自分の
その
シリアスだと思ってるあれ
症状みたいなのを
見て
特徴してるんだから
健康的だよね。
自分のことを
笑えるっていうのは
すごい
救いであり
カタルシスなわけですよ。
それを
体験できるっていう
3時間もかけて
できるっていうのは
これはなんかもう
すげえ
変わったなっていう感じに
思ったけどそんな人ばっかりじゃない
と思うけどね。これ見て。
どうなんだろうね。
なんかでも世の中
結構シリアスにみんなこの映画
ジョークの重要性
読み解いたりしてたけどな。
そうじゃねえんだけどなって
俺はずっと思いながら
そういう人たちも見てた。
そういうことでもさ
考察的な
いわゆる
我々が時々批判する
考察的なものに関しては
もうやり放題じゃんこれって。
特に
いわゆる
精神分析っていわれる
臨床心理学の一ジャンルの
モチーフをたぶん
使いまくって使い倒してる
わけよね。
そういう意味で考察しようと思ったら
全部たぶん考察できるんだと思うし
全部たぶん説明がつくんだろうなっていう風には
見てて思うのね。
でもね
しなくていいよ。コントなんだから。
そうなの。もっとシンプルな話だよな
と思って俺は見てた。
いやいやだからもうほんとにシンプルな
棒は恐れているだけなんだって。
これがたぶんジョーク
ってことがたぶんあんま伝わってない
気もしてるっていう。
みんなその
ユダヤ教のなんちゃらだ
とか言って
宗教的モチーフがとか言って
アリアスターが煙巻くようなこと言ってるからさ
言ってたんだ。
お前じゃああれで
試写会で嘘つけ!って叫んだら
言えばよかったな。
ユダヤ人版ロードオブザリングだ
とか言って。
ぽい。
全部ジョークだから
っていうさ
それをさ本気になってさ
共通点探したりとかさ
するのがさ
それもう
違くないっていう。
おもろいと思ってそれ言ってるだけだと思うよ
アリアスターっていう。
だって俺らもよく言ってんじゃん
そういう超
どうでもいいデマカセみたいな
こととかさ。
そうね。
俺らはドライブしていくと
ドライブに乗っていくと
そういう冗談ばっかりするよ。
ホワイティフェニックスとかもさ本気で言ってませんからね
あれ本気で
撮られるとすごく
辛いよね
そのなんていうか
こう冗談なんだけどな
冗談なんだけどなっていう
うーん
ただそのあれだから
ちゃんとしたジョークはシリアスでもある
っていうかさ
ヘラヘラやったら
笑えないじゃん
やっぱり
ドリフのコントにも
本当に
イカリやチョスキが憎いっていう
こいつギャラを渡さねえしみたいなのがあるから
本気でボコボコしてて
そこが知りやすさがあって
おもしろいわけでしょ
これもデマカセだよ
信じるなよっていうね
信じちゃだめだぞっていうことではあるんだけど
そうなんだよな
冗談通じねえよなって思うよな
冗談の中にも半分
本当があるってことがたぶん
理解されてないんだよ
そこじゃないっていう
冗談ってそうだよね
まさにお前が今言ったとおりだよな
冗談って半分本気だよね
だから半分シリアスではあるし
つまり
不安神経症的な
もしくは
パラノイア的な妄想性障害的な
のの
本質もやっぱり描かれてる
わけ
映画『ボーはおそれている』の基本テーマ
最初にセラピストが書いてたじゃん
GUILTYって
わかりやすっていう
最悪
ずっとわかりやすいよなこの映画っていう
なんか難解な天才の
脳内みたいな
やっぱりアリアスターやべえみたいな
なんかすごい
自分の脳内のなんかすごい
突拍子もないものを
アーティストとして表現したみたいな
捉え方とかされてるのとか見たりするけど
いやいや
超わかりやすいじゃんだってもう恐れているだけ
なんだからっていう
そのはっきり
わかるようなことを
シンプルに繰り返しやってるっていう
だけじゃないっていうさ
手を顔しなおかえ
シンプルな
だからもう
あれなわけ
最初の方の
本当に最初の最初の方の
毒グモが出てますから
注意してねっていう
部屋に張り紙が貼ってあると
フリーがね
それを見たら
いるんだよもう
クモが
いるんだよ
俺はそういう風になってるお前を
何回も見てきた
いやだから本当そうなんだよ
そこはもう
あの時点で俺はなんか親みたいな
こうなんかクスッとなっちゃったんだけど
でもう進んでいく
につれてまさに
それだけなんだなっていう
ボーイズ
アフレイドだよね
タイトル
ボーイズ
ジャストアフレイドだよねこれは
でも現実になったら
しっちゃかめっちゃかなんだけど
っていうことなんだけどね
そうなんだよな
うん
シリアスに捉えてるんだよなみんなっていう
だから今そうか
なるほど今その
聞きながらちょっと思ったけど
みんな真剣性的なのかもしんないね
主人公の母親との関係
だから普通のことなのかな
シリアスに
捉えてるのかなみんな
そうだ
シリアスなんだよやっぱりこう
神経症的な
人の世界観っていうか
っていうのは
基本的に
あの
応用に構えてる
まあ
別になんとかなるっしょみたいな
不真面目な感じで構えてる
人の
人は
そんななんか
恐れないじゃん
でもみんな恐れてるから
ベースとして
基本として
だからこれ見ても
その恐れ
が投影されちゃう
っていうか
なんかジョークじゃなくて
ベタとして受け取ってしまうみたいな
感じなのかもしんない
だとしたらアリアスターの
術中にはまりすぎてるし
ああ
なんかあの
考察みたいので
要はまあ物語的には
その某っていう
あのおじさんがいて
でまあ神経症なんだよね
不安神経症みたいに
家からもう出るのも
怖いみたいな
でお母さんがまあ亡くなってしまって
そのお母さんは葬儀に向かう
っていうだけの話なんだけど
なんかその
で結局まああの
お母さんっていうのはすごい大企業の
社長というか
会長なのかな
某が苦しんでいたりする
原因がまあ
お母さんにあったんじゃないかっていうね
結局お母さんの
その
束縛というか呪縛から
逃げられなかったっていう
ようなことをずっと
やってるだけなんだけど
その終盤に
今までその
主人公の某が
やってきたことは全部お母さんの
その
敷いた道の上だった
っていうのはまあわかるシーンがあるじゃん
例えば飲んでる薬の
企業がお母さんの会社だったとかさ
住んでるアパートが
お母さんが作った
建物だったとか
作った当初はすごい綺麗な
感じだったね
だけどなんであんな汚いとも
住んでるのかっていう理由もやっぱりお母さんが
建てたとこだったからそこから
抜け出せなかったんだね
とか
この映画の
オープニングにもお母さんの会社の
ロゴが出て始まるんだけど
そうだったっけ
なんかそうだった気がする
A24って出た後のやつ
後にロゴが出るんだけど
この話自体が全部お母さんの
会社の提供
やっぱ性格悪いな
本当に
とか
セラピー受けてるカウンセラーも実は
グルだったとかさ
全部お母さんの
腕の中だった
っていうことが分かる
部分を
考察的な
ことで指摘して
本当に全部お母さんが
仕組んでいたと
お母さんがこうなるように
その
鍵を盗んだのもお母さんの
あれなんじゃないかとかさ鍵を無くしたり
とか
全部がお母さんが本当に仕組んで
いたっていう考察みたいなの
見た気がするんだけど
視聴者の受け取り方と考察
あの
ジョークが分かってないじゃん
あのさ
薬とか
飲んでる水とか
何でもいいやそういうものがお母さんの会社だった
けど
あの見方によって
お母さんが仕組んだように見える
けど本当はそうじゃないっていうのが
ジョークじゃん
本当はそうじゃないのにそうだって
思い込んでしまう某がおもろいのに
その
本当にそういうお話だとして
考察してる
のとかがあって
だから母の陰謀説みたいなことでしょ
陰謀説そうそう
違うんだって某は恐れてるだけなんだって
本当はそんなこと一句もないんだ
っていうタイトルで言ってんじゃん
言ってんじゃん ポテンシャルレイドっていう
うーん とかねなんか
うんやっぱ
考察って違うなっていう
うーんそうね
まあ
それはなんか
ある種お母さんのその手の中に
見てる人たちも
考察してる人もやっぱいるっていう
感じで
あのもうちょっと
俺の考察というか
見方で
言えば某は恐れてるだけなんだけど
これはあの
つまりそこの根本には
何があるのかっていうと
お母さんごめんなさいって
ずっと言ってんだよな話は
お母さんごめんなさいお母さんごめんなさい
ってずっとなってるわけ 言ってたからね
そうそうそうそう
で最後のなんかさもうむちゃくちゃの裁判シーンみたいな
裁判シーンってなんだよあれは本当に
とかでもこう
なんかやっぱ最終的に責められるのは
お母さんがこんなに愛情を注いでくれてたのに
お前は裏切れやがったっていう
あの
ことよね
それが根幹にある
っていうことによって
お母さんが仕組んだわけじゃなくても
お母さんが仕組んだ部分があったとしても
つまりその
拡大解釈が
なされてるわけよね
恐れすぎて
ここがちょっと一個
飛躍みたいなのがあるから
分かんないのかもしんない
ベタにお母さんが仕掛けてるっていう方が
分かりやすいっていうか
そんな痩せた話あるかよって話なんだけど
ふに落ちる
話だよね そうそう
なんだけど棒が
薬を水と一緒に飲まないと
やばいって思ってしまうのも
根本的にはお母さんごめんなさい
から来てるっていう
この感じね
だから半分本当なんだっていう
半分お母さんのせいなんだけど
全然半分は
お母さんのせいじゃないんだけど
っていうこの
複雑な
ジョークがたぶん
受け止められてないのかもしれない
なんだろうな
なんか
でもそういうものとして
受け止めたら
もう本当に
面白くしょうがないみたいな
感じなんだけどな
そうね
でも
さすがに俺は
長くて退屈だったけどねっていう
いやあそうか
さっき言ったみたいにさ同じことをずっと
描いてるからさ最初から最後まで
ずっとそれなわけ棒は
恐れているだから
そのために3時間使って
やってるから俺はもうさすがに
長いなと思ったんだけど
だからそんなに好きな映画
ではないんだけど
めっちゃいい映画だっていう
作品ではないんだけど
でも
やりたいこともわかるしまあおもろいかな
っていうぐらいの
感触だったなってでも長いな
っていう
でもなんかやっぱ
そうかやっぱそれはこう
違いっていうかさなんつったらいいのかな
こう
細かいところ考察したりとか
これはこういう意味だなとか思いながら見てるわけじゃない
んだけどなんかもうずっとあるある
してしか見えないわけ
なんか
どうあるあるなのかって見方を変えれば
これは悪夢でもあるわけ
もしかしたら棒はずっと寝てるだけ
なのかもしんない
ボーイズスリーピングっていう
すごいこう
平和なねあれなのかもしんなくて
でもなんていうかな夢っぽいんだよね
でもこれ
不安な人が
不安神経症的な
気質がある人が
見ている悪夢みたいな
俺もう結構ね
夢見るときはほぼ悪夢だったりすんの
言ってたね
最近ちょっと和らげてきたけど
でもあの
こう理不尽な
上手く
いかない
場面とかが結構
序盤のほうは特に多いけど
カードが
切れなくなってるとか
鍵が
取られるとかね水が出なく
なってるとか
ずっと水なんだけどね
ずっと水なんだよ
ボーイズ対象は
バスタブの中
ここはトリビアさんの考察が入りますよ
やめろやめろ
なんか
普通に見たらわかるくないっていうくらい水
最後も水で死ぬし
過去の記憶の中でバスタブに
いる自分と
の記憶があったり水かけられたり
水がないとか水が
染み出してくるとか水ばっかり
水に恐怖心を
感じてるっていう
あるそれもさ
冒頭でさたのやがちゃ
されてるっていうかさ
恐れの起源
あれはもうだから出生時の
不安みたいな
外傷的記憶になるんだ
生まれるということがみたいな
説もあったりすんじゃん心理学に
っていう冗談だよね
冗談なんだけど
あんなに怖い主殺シーン
見たことないけどね本当に
頭ペーンっていう
そうバーンっていう
水が何なのかっていうと
洋水から出てくるので包まれてて
音とかもさ水の中にいるような感じの
怖い不穏な音
から始まってるっていう
ところからも
一貫してんだけどね
でもやっぱりね
半分シリアス
なところもあるというか
シリアスな意味でもあるのは
やっぱり
水のさ記憶も
そうだけどつまり
過去の
罪悪感とか怖かったことに
縛られている
っていう
ことが原因であるっていう風に
明確に
示してるわけよね
過去の出来事が
現在の
某を制限してるわけよね
っていう
のから
自由になれば
シリアスな話なんだけど
自由になれませんでしたつって
最後船がバターンつって
あのひっくり返し方も面白いんだけど
バーンつって
映画のテーマとメッセージ
俺あのやっぱり
あのシーンとかも見たときも
バッドエンドの
トゥルマンショーだなっていう
やってみたけどね
結局
抜け出せませんでした
そうね外側に出れませんでしたっていうね
あっちは割とお父さんとの
関係性っぽかったけどこっちはお母さんとの
関係性だっていう
そうだよね
果敢賞で
ある種
俺が私が言うようにやるように
お膳立てした通りに
やっていなさいやってればいいんだ
っていうそこから
抜け出すのがトゥルマンショーね
今回は同じような
動画の中でペチーンつって
抜け出せずに溺れ死ぬっていう
溺れ死ぬ
そうだから抜け出せないと
こんなことになっちゃいますよ
っていうけけけみたいな
感じのコントの
オチなんだけどなぁ
でもなんか
ずっと描いてる話として
やっぱり絶対に起きて
欲しくないことが起きるっていうのはさ
絶対に起きて
欲しくないことを実は望んでいたりする
っていうことの裏返しでも
あるじゃん
まあねそうね確かに
お母さん死んで欲しくない
死んで欲しいとかさ
そういう
家族欲しい欲しくないとかさ
なんかずっと
そういうアンビバレントな
感覚というか感情が
ずっと起きてて
起きて欲しくないってことが起きるっていうのも
望んでいるのと同じだし
この映画が結構退屈だな
って俺がさっき言ったけどさ
長ぇなっていうのはさ
トリビアイスボーリング
っていう
俺のタイトルつけていい?
なんか退屈だな
っていうのを
そういう見方するとおもろくてさ
俺多分わざと
アリアスターはこれ長くしただろうな
って思ってるの
なるほど
途中のさ
森の中での劇のシーンとかさ
明らかに長いじゃん
長いね 退屈じゃん
なんかずっと
セリフで説明され
なんかずっと
長々と
なんかあったかもしれない
自分の人生みたいな
ようやくお母さんの手から離れて
森みたいなさ
森みたいなところまで行って
劇見てて
もっと自分に慣れるかも
これは俺の物語だとか言って
言いさせられて
でも俺童貞だったわ
子供とはいなかった
って聞き戻されるんだよね
あれな言われちゃった
あそこ最高だよな
じゃあどうやって僕ら生まれたの?
みたいな
でも童貞じゃんって言われてるさ
え?みたいな
あれさ矛盾がある
ああいう夢も見んだよね
ああいうスペクタクルみたいな
すげえ長い本当に
一生が描かれてるような
長い長い物語の夢
見たわみたいな
思い出してみると矛盾だらけなんだね
っていう
でもお前童貞じゃん
っていう
俺の話じゃなかったっていう
あのオチのためにさ
あんだけ長い話してさ
そのささすがに長いなみたいな
まあそうか
でもさそれも
なんかわざと
わざとっていうかなんか
さっき言ったそのアンビバレントな
感覚みたいな
感情みたいな心の動きみたいなのと
照らし合わせると
なんか俺のこれ勝手な読みなんだけど
その
アリアスターってさなんか
もう今超有名な
あんまり映画見てない人でも
見てない人でも
なんかアリアスターの名前
お気に入りとしてあげたりとか
やっぱミッドサマーでね
大ヒット日本でもしたよね
ね、なんかもう社会
テレビとかでもなんかそういう言葉とか出たりとか
なんかするぐらい
お茶の間にまで浸透して
もう全世界的にそうなわけ
なんか
でもそれ長編2作目でさ
ああそうね確かに
でしかも1作目の
エレディタリー継承ってやつの
翌年にも公開されてるのミッドサマーって
だからもう作ってる
うちからもう
あのどんどん有名になっていく
みたいな
であの人の本質は
なんかもっとこう気持ち悪いものばっか
撮ってる人でさ
まあ十分長編も気持ち悪いけど
なんか短編映画とかも
その決して大衆に受けるものじゃないじゃん
なんか
いわゆるプログラムピクチャー的なものなのか
いやもっとこう
もっとこうなんつーの
下手者感がある
見たことないんだがその辺は
いやもう本当に不条理みたいな
気持ちの悪い不条理みたいなの
のが多いんだけど
なんかそれ
そういうのを作ってた人がいきなり長編版で
任されてそもそも
あすごい人出てきた
でもう次にはもう時代の
アイコンみたいな
この人みたいな感じになって
なんか何俺が
その行った関西広視社会
みたいなのにもなんかコスプレしてる人とかも来たり
とかしてて
熱狂的なわけ
そんなそこまでなんだ
そうなんかミッドサマーの格好
して来てる人もいたし
すごいわけ
でそれの後に
でこの某は恐れている
を当時の
A24の
映画の中では一番予算かかってんのよ
市場一番
予算かけられてんの
とんでもない金かけて
作っていいよって言って作らされてんの
アリアスター監督の影響
そうなった時にさ
多分さ
苔させてやりたいって
これ働いてないんだと思ってんの
うわー
有は苔させようとしている
そうそう
えーなるほど
だってさやっぱ
そこまでヒットする
作品を撮って
受け入れられたことで絶対不安になってる
と思うわけなんか
ああそういう意味なるほどな
その大衆に受ける
っていうことと
あのお前らなんかに
わかってたまるかっていう
心が多分働くと思うんだよ
そういうタイプの人って
でそれが
そこが
あのクソ長い
部分に
入ってんじゃねえかなって俺は
読んだんだけど
なるほどな
そうか
俺の考察なんだけどこれ
っていう
普通に考えてさ
なんかあの
あのその劇のシーンとか
そんなに長くいらないじゃんっていう
振りとしても
であそこ
さらにおもろいのが
自分が監督してないんだよ
あのアニメーション
ストップモーションアニメみたいなところ
あの劇の部分って
違う監督が監督してんの
アリアスターって基本的に
人にあんまりこう仕事任せるみたいな
タイプじゃなくて
小さい細かいところまで自分で手を
加えたいっていう人なのに
なんかその人に任せて
でアニメーションの
監督のね
チリのなんか監督コンビみたいな
任せてんだけど
で基本的にあんまり
ノータッチみたいなの任せて
まあ自分の注文は言うけど
自分がやるわけじゃないから
でその部分が
一番あのすげえ
冗長だなみたいな
長えなみたいな
てるのがなんかすげえ
自分のせいじゃなくしてるみたいな
感じで
なんかそう捉えると
すげえ負に落ちるなって俺は思ったんだけど
なるほど
だからつまり狙って
そこを長くしてるし
そのなんか
その分かりやすいよね
だって明らかにいらねえんだもん
っていう
のを
任せることによってちょっと分かるようになってる
みたいな
はあ
っていう見方を俺はしたんだけど
なるほどな
そんなに不安なのかな
でもそう考えると
いやだって棒は恐れているみたいな
映画を作る人だよ恐れている
ありやすさは絶対
なるほどな
で見事にこけたっていうのもこれはもう
棒は恐れていると一緒で恐れていることは
怒るっていう
評価低いもんねなんかね
いやとんでもない
悪味出してるんだって
ああそうなんだ
だって相当お金かけてんのに
本当に
当たんなかった
ミッドサマーが大ヒットしたから
ミッドサマーが多分
制作費の5倍ぐらい回収できたのに
多分半分も
稼げてないの
制作費の
それはでもなんというか
望んだのか
恐れているのか
問題みたいなのが
その劇中でも
外でも
ちょっとこう通ずるところがある
という風な見方ってことね
退屈じゃなかった?
あの劇のシーンとか
いや俺はもうだってずっと
こういう夢あると思いながら
見てたから
あれだったんだけど
あそこのシーンも
ドリフトっぽかったもんね
セットが立っててさ
ステージのセット
セットが動いてみたいな
あれだよな
恐れと望みの関係
恐れていることが
起きてしまう
某には起きてしまったわけよね
寝てたかもしれないけど
起きてしまった
という
それは望んでいるんだ
っていうのが
伝わるとより
つまり見やすくなる
よねきっと
そこの部分だから
恐れているだけなんじゃなくて望んでいるんだ
っていうこと
過去の影響
カギも
無くしたかったんじゃない
っていう
本当は行きたくないみたいな
お母さんに会いに
行きたくない
でカギを
無くすと
行けなくなるってのは分かってて
そうだよな盗まれたら免罪される
わけだから
カギとカバンね
あとフロス
フロスをさ
フロスさ
一回荷物整理してさ
入れるときにさフロス一回見てんだよね
あの人ね
でちょっと悩んで置いて
置いて
出て取りに帰ってくるの
あとフロスいるみたいな
感じになるよね
あのフロスはたぶんお母さんの会社のやつだよ
だった
だからまあ
ある種
恐れていることが
FGに現実になってるんじゃなくて
恐れていることは
望んでいることなんだっていう
これはつまり
外から来た災厄じゃなくて
災害
じゃなくて
自分が
招いているっていう
ことになってて
なんでそんなことするんだよって話じゃん
おかしいじゃん変な話じゃん
変な話なんだけどこれは
心の奥底にやっぱり
最初に言った通り
災厄感があるから
あの罰されねばならん
っていう
信念が
無意識にあるわけよね
だからここが
めんどくせえっていうかややこしいところ
だしちょっと聞きじゃ
意味がわからないのよねたぶん
でも本質なんだよねこれが本当に
本質だしこの問題ってすごい切実なわけ
でもそれをジョークにしてるっていう
性格の悪さではあるよね
お前みてえだなって
俺は思ったけどね
本当に
しかもさちょっと細けいところだけどさ
細けいところっていうか
最後さお母さんが
生きてたってさ
判明して
でなんかお母さんが
バーッと喋り出すんだよね
つまり某に対する
不満みたいなことを
とうとうと語り出すんだけど
お母さんも
ああいう感じの人だから
ヒステリックな
っていうかどんどんかかっちゃって
お母さんのお母さんに
もういじめられていて
みたいなそれを止めたくてみたいな
こととか世代関連さん
みたいなことではあるんだけど
そんなようなことを
自由に
あれはカウンセリング的だよね
バーッつって
吐き出していって
お母さんが先にっていうか
お母さんだけ
ああそうかみたいな
あたしは某を憎んでたんだっていう
その確信の部分に
たどり着いちゃうっていう
お前がたどり着いてんじゃねえよ
っていう
主人公某なのにね
そう憎しみ
みたいな感じになるとこあるじゃん
そうか
あそこですげえなんか
うわーっつってなっちゃって
でもあれは某も
あの言葉を待ってたとも言えるよな
っていう
ああ待ってた
お母さんから
憎まれてるっていうこと
ある意味罰だしね
そう言ってくれた方がいいな
っていう でもそうか確かに
でも確かにそれのおかげで
指絞められたんだよね
嫌いになれっていう
ようやくもう殺せるっていう
憎まれてんだっていう
愛されたい憎まれたいっていう
まあ愛してる殺してる
だからあれよそれこそ最初のさ
冒頭のカウンセラーの医者かな
セラピストとのシーンで
お母さんをこう殺したいと思ったこと
はあるみたいな
そういう愛反することを
抱くものだし
それをこう
ちゃんと言うのが大事だよみたいな
感じのことを言ってて
ある意味だからあそこで
一個
救われたとも言えるわけよね
そう全然救われないけどね
それでも そう結局救われないんだけどね
それがおもろいっていう
そうだなあ
救われたらシリアスな話なんだよ
救われたらいい話になるしね
いい話になるしね
でもジョークだからこれ
全然いい話じゃないんだよね本当に
うーん
そうなの
そういう意味で
本質的な
神経症的なっていうか
恐れを抱くような生き方
っていうのの
成り立ちと
シリアスな
本質的な部分っていうの
を使って
冗談をしているっていう
だからやっぱ
ジョークが効いてるんだよね
半分ジョークで半分本気っていうか
そう だからおもろいんだけどな
っていう
そうね
いやだから本当
救われて欲しかったっちゃ欲しかったけど
本当に救われなかったおかげで
めっちゃ笑えたからもうなんか
俺もうすごい
前向きになれたもん
あれ見てからさらに 元気が出る
そう
なんか常に恐れてるわけ俺も
取り越し苦労が多いわけよね
ずっと恐れてるよ
でそれが実現しちゃうことも
あるし
お前の言った通り
完全に実現しちゃうみたいな
遅刻したくなかったら遅刻するみたいな
ことが起きたりとか
なんかトラブルに
巻き込まれたりとかっていうことも
あるし
なんていうのかな
でもそうならない時の方が多いわけ
基本的には
飛び込んでみたら何も起きなかった
みたいなことばっかりなわけ
基本的には
だから
なんか恐れてる時に
これは棒と
棒だなっていう棒は恐れてるだけ
っていう棒は恐れてるって
思ったら
棒は恐れてるだけだから
大丈夫だよ
っていう風に思って
生活しやすくなる
しやすくなる
心配事は起きないから基本的に
基本的には起きないんだけど
起きた時
起きたことだけ覚えてるから
そうね
そうなんだよな
だからやっぱ過去に縛られるんだよな
過去の傷のついた
体験に
引っ張られるっていうか
支配されるっていうね
なかなかな
しかもそれをさ
生きてるつまり罪悪感を植え付けた
お母さんも
傷ついていたっていうことが描かれてるわけだから
それもすごい
シリアスで本質的なわけよね
泥だから
でもやっぱ外側から
見るとこれ全部滑稽だよねっていう
なんか空中戦じゃん
何もねえのにっていう
言ってしまえば過去とか
もうないからさ
もうないのよ
現在しかないんだけどね
本当はね
本当はそうなんだけど
現在以上に現実を縛ってきたりすんのよね
過去が
だから
ちゃんと薬を水で
ジョークとの関連
一緒に飲んで
新卒通って
セラピストとカウンセリングなりね
通って
過去にさよならをしようねっていう
メッセージが
込められてる映画です
でそれができなかったら
大変なことになるよつって
また恐れちゃうじゃん
いやでも伝わってないな
多分
このジョークの感じが
多分伝わってないんだろうな
って思いながら
2回目俺も最近見たけど
なんかおもろいんだけどな
でも伝わんねえな
っていう
このジョークの中に
半分本当の部分があるっていう
なんかジョークはジョーク
シリアスはシリアス
っていうのは本当に
世の中の人を見ると最近思うな
っていう
難しいね
俺らの番組もそうじゃんだって
半分ぐらいふざけたことしか
言ってないんだけど
本気の部分はもう入れてるっていう
なんであんなに
ふざけるのってゆっくり言われる
こともあるけど
番組始めたときとかに
言われたりしたよ
なんであんなにこう
相手の話で残しとか
おるのみたいなさ
ちゃんとした
批評が聞きたいみたいな
あー
えー
邪魔って言われるっぽいんだけどね
やっぱその
今の感覚だと
そうか
やめませんよ俺らは
今のスタイルを
意地でも俺はこれが一番
面白いと思ってんだから俺らは
だって本当に
ヘラヘラしてないんだもん
なんて言ったらいいのかな
いやてかね
冗談
えーと
ちゃんと真面目にも話しているから
冗談のときにめっちゃ面白い
言い訳じゃん
ずっとヘラヘラしてったら
面白くないし
ずっとシリアスだったらやっぱ面白くないよ
緊張と緩和とか
言うじゃんなんかこう
がしたいみたいな
なんで俺らが済んだよって話ではあるけど
それが好きでしょうがないんだよ
だからまさに
俺らの会話とかもさ
ちゃんと議論して
結論を出すみたいな
ことで考えたら
ふざけるのとか
ユーモアと心理的葛藤
いらないじゃん
俺らはじゃあずっと
あの
某の
闘技場みたいなところに出ようと一生懸命
してるんだね
そうだよ
だからやっぱ
なんとかして転がり出てやろうと思って
やってるっていう
真面目にやってやるもんか
みたいなところがあるよね
でもそれは
なんていうのかな
気をてらってるとかじゃないし
あえてやってるとかじゃなくて
普通に
人生観としてそうしたいみたいな
すげえ真面目だな
こう言ってるのがすでに
やばいやばいみたいな
でもなんかそうなんだよ
普通にいろんな
昔からの友達じゃない
友達たちと喋ってるときに
そういう笑いが通じたりする人と
全然通じない人と
いるんだよな
全然通じない人増えてるね
確かに
すごい冷たい目をされる
人出なしみたいな
人の心ないみたいな感じのこと
そんな
話の腰下りてえしさ
ブラックジョーク言いてえしさ
これ何なんだろうな
何なんだろうな
ちょっと見えたけどこれは何なんだろうか
っていうのはちょっと考えたいね
でもアリアスターも絶対そういう
感覚を持ってると思うんだけどな
でもやっぱバレないようにしてんじゃない
それこそ
本当に性格悪いから
だって
怖いもん美容によっちゃやっぱ怖いもん
本当に
お母さんの支配の中で
神経症になった人の
ホラーでありスリラーだよね
ホラーでもスリラーでもなくてアフレイドなだけなんだけど
そういう枠から外れることは
天才と言われる人たちがやっていて
っていう価値観なんだと思うわ
アリアスターも天才って
よく言われるし
この棒は恐れている
天才だからねっていうことにされてるけど
やっぱ天才すげえな
そういうことじゃないと思うな
っていう
みんな外れられるのに
そういう才能論みたいなのさ
よく回収されてるのを見るな
っていうのと一緒かな
なるほどな
いやでもそんなこと言ったら
俺本当に詳しくないからわかんないけど
これは恐らく
この棒は恐れているは
精神分析っていう
ミニション心理学のジャンルの
理論をちゃんとインストールして
わかってる人からしたらこれ多分全部
説明できると思うのよ
普通のことだよなっていう
すごいオーソドックスなんだと思うの恐らく
なんか
なんていうのかな
そう考えると別にそんなに天才の
突拍子もないような
突拍子もないことやるのが
天才なわけでもないんだけど
オーソドックスだというふうに
直感的にわかる
だからやっぱ天才だから
っていうふうにするっていうのは
枠を意識しすぎてる
っていうこと
の裏返し
だよねそう見ることで
もう考えないみたいな
感じにも枠の中だから
っていうことにしてる
天才に憧れる人も
多いしな
天才に憧れてる人はね
あのなんか
たぶんそろそろ公開されてると思う
あのドナルドトランプの映画
見ればいいよって俺思ってる
いいらしいよね俺
アプレンティスっていう
なんだっけ
ドナルドトランプの作り方っていう
タイトルの映画
アプレンティスってどういう意味なの
あの弟子みたいな
それを見たらいいと思うわっていう
あの天才とか
天才に憧れてると
トランプみたいになるよっていう
映画だったから
自分は天才なんだっていうね
セールスの天才なんだ
そのこと言ってると
いいことになるぞっていう
つまりあんまりいいことにならんぞ
みたいなことか
見てくださいっていう
ユーモアが足りねえよ
みんな
ユーモアそうね
不謹慎だよねこの映画もね
本当に不謹慎で
苦しんでる人にとってはね
ジョークじゃねえんだからよ
っていうのと一緒だけど
気持ち考えたことがあんのか
論法っていうね
そういう意見は一切見たことないな確かに
だとしたらやっぱジョークすら伝わってない
第一段階から伝わってない
っていうことになるよね
まあちょっと長いんで
あんま好きじゃないですっていうのが俺の
僕はもう全然
知っているということで
見ましたんで大好きですっていう感じで
天才像の再考
次の作品期待したいな
アリアスと
どうなっていくんだろうね
今回でさみそぎを済ましたわけじゃん
大ボケするっていう
言うてみればな
大衆はついて来れねえだろっていう
スタンスを見せたのだから
次はもう本当に
おもろいヒット作をまた作るんじゃないかな
と思ってるけど
そういう期待を裏切りたいのかもしれない
もう一個
ねじれる可能性があるから
わかんないけど
まあそういう意味で天才じゃなくて
非常に人間くさいねそう考えると
来日した時に
言ってたのはすごい覚えてるのが
アメリカとか
世界でコケた後に
日本で公開されてて1年ぐらい経ったのかな
来てた時に
日本の皆さんなら
この映画気に入ってくれるような気がします
って言ってて
アンビバレンスって思ったよね
なんかやっぱ
生民思想じゃないけどこの人たちには
みたいなさ
一部の人に
認められたい
いやでもみんなに認められたい
みたいな2つがあるなっていうのが
おもろいな
おもろい人だな
なるほどな
葛藤してんだね
じゃあ自作は
1時間35分で
あることを祈って
やりそうだな
あえてやりそうだな
あえてね
最後にじゃあボウの
モノマネしてください
おーっ
好きなんだよな
フォトキャスター界のホワイトキーフェニックスでした
ありがとうございました
ありがとうございました
つた
みんなには伝わると思う
52:05

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