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PitPaのザ・フォーカスへようこそ。この番組は、時事問題やカルチャーに焦点を当て、インタビュー音声をもとにリアリティーあふれる情報を配信していきます。
こんにちは、ライターの宮原 ジェフリー一郎です。
普段は選挙に関する記事を執筆しているほか、アートNPOや美術館学芸員として勤務した経験を生かして、現代美術の企画を行うフリーランスキュレーターとしても活動しています。
近年、全国各地で様々な芸術祭が開催されていることを皆様ご存知でしょうか。
2001年から続いている横浜トリエンナーレや、瀬戸内海の島々が会場になる瀬戸内国際芸術祭といった有名どころのほか、北は北海道から南は沖縄まで、大小様々な規模の芸術祭が開催されています。
昨年、2019年には愛知トリエンナーレ2019をめぐる様々な反応が大きく報じられ、美術ファンに限らず注目を集めたことは記憶に新しいところではないでしょうか。
2005年頃からこうした芸術祭は多くの観光客を呼び込める地域経済に寄与する事業として、地方自治体が積極的に誘致を始めました。
それから15年ほどがたち、芸術祭はどのように変遷をして、現在ではどのような状況にあるのでしょうか。
今回は、その運営主体や芸術祭の内容、来場者の反応を含めて総合的に考えていきたいと思います。
まずは大分県ベップ市の芸術祭、婚欲温泉世界を運営するベッププロジェクトや愛知トリエンナーレなど大規模の国際芸術祭の事務局勤務を経て、現在はフリーランスの立場で様々な企画に関わっている渚萌実さんにお話をお聞きしました。
渚さんは世界的なビッグネームを含めた多くのアーティストの地域社会での発表の場を設ける芸術祭に関わっていましたが、
現在の芸術祭を巡る状況についてどのように考えているのでしょうか。
最初はそこに対する憧れみたいなものがあったと思います。自分には。
それは認めつつの、今はちょっと引いてみているというか、もうこのモデルは限界だなと思っている。
限界とはどのような状況を指すのでしょうか。
もちろん今は全部というわけではないけど、一つはエップってプライベートから始まっていて、自分たちがしたいという人がいて、そこから下高さを持って自治体とかを巻き込んでやっていったものなんですけれど、
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多くのものってもう行政なんですよ。芸術祭って。その動機の違いとかかなり影響しているし、実際はやっぱりコピーして北川さん、南條さんみたいな会社が受注してアーティストを入れていくみたいな。
だから80年代までは箱物行政みたいなものが1回は90年代になってなくなっていったんだけど、今は芸術祭っていうソフトがソフトに慣れきれずに箱物行政みたいな感じで支配を始めていて、
スキームは手元に残らないで、やらなければならない。2年に1回来るからやらなければならない。3年に1回来るからやらなければならないっていうサイクルに入って、それがもう限界に来ていると思います。
他の自治体での成功例を真似て作られた企画を、アートディレクターの北川フラム氏が代表を務めるアートフロントギャラリーや、キュレーターの南條文雄氏が経営する南條&アソシエイツといった実績のある企業が受けようというパターンで芸術祭が量産され、そもそもの動機が不明になっているものも少なくないようです。
ここでは、限界に来ているという表現を使っていますが、収録後のやり取りで芸術祭のモデルは一定の利益をもたらしてきた一方で、ここ10年でその役割を終えたという表現の方が、渚さんの思いに近いと補足をしてもらいました。
より多くの人たちに現代美術に触れる機会を提供したことや、観光資源として地域経済に貢献してきたことは非常に大きな成果であったけれども、芸術祭を支えるシステム自体が時代に合わなくなってきているのではないかという問題意識です。
芸術祭のモデルに無理が生じることによって、その中身が画一化していると渚さんは言います。それはどういうことでしょうか。
自治体が作ったお金の枠に同じ会社がアプライして、自治体も実績があるところを取っていくので、同じ会社が作った芸術祭が地域にいっぱいあるみたいな感じになっていたりとか、
あと今、吉本工業がすごく入り込んできているので、これは演劇の方もそうなんですけれど、指定管理制度っていうのを使って、施設自体をかなり自分の経営方針に近いものにしていったりとか、コンテンツをすごいファインなアートの部分からもうちょっと商業的な部分にうっすらうっすらスライドしていったりとかいうことがあるので、
資本の力でという話ですけど、小さいところはどんどんどんどん下がってきて、既存の大きい企業がどんどん幅を大きくさせているという感じを受けます。
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まるで大型ショッピングセンターが地域の商店街を駆逐するかのように、大資本によって確立化して商業化が進んでしまった芸術祭モデルですが、そんな状況でも、渚さん自身は大規模な芸術祭事務局から離れたとはいえ、地域でのアートプロジェクトに現在まで関わり続けています。
地域に関わらないとダメなのかとか、なぜ地域に関わろうとするのかということは、だんだんとそれがわからなくなって混乱しながらも走っているんですが、やっぱりただただ大切なのは、私は別にアートファンではないのですけれども、やっぱりアートに希望があると思っていて、
そういう選択肢がある世の中であってほしいと思っているんです。
美術に触れたいとか、美術に救われたなあっていう人もいるっていう状況が担保されることかな。
だからアートが人を救う可能性があるってことは絶対だなとして、だからその可能性があるっていう状況を消さない。それがない未来があったら困るなあ、私はちょっと困るかもなあと思っているので、携わり続けている。
なぜ関係あるか説明するとすれば、今ここにいるから大切にしたいなあ。
小さい生活一つ一つが集まって世の中ができているから、いきなり大きいことは言えないので、自分の近くの世紀にそういうものがある。それが自分の生活の潤いにつながるっていうことを思っておりまして。
芸術祭の事務局内での実務という高い能力が求められる一方で、経済的には厳しい仕事を渚さんが続けている。そのモチベーションはどんなところにあるのでしょうか。
でもなんかどうしてもそのアートっていうのを捨てきれないのは、私の意識としては、技術は扉を叩いてくれるというか、何か新しい鍵をくれるものみたいなところがあって、小さい時に何でお月様ってずっとついてくるんだろうと思ってたんですよ。
例えばね、その答えを、私なりの答えもあるかもしれないけど、私と全然違う考え方の答えを教えてくれる人がいっぱいいたら面白いなっていうか、そうするとすごい助かると思っていて、そういうのをやっていると、そういうのに出会えることがあるのがすごい楽しいんだろうなって思います。
だからお金にならないなと思いながらも、ついついやってしまう。
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なんか本当は他の仕事、普通の仕事で稼いで生活しようとか普段すごい思ってるんですよ。この仕事全然やめたい。全然いつでもやめたいと思ってるんですけど、でもやっぱそういう楽しさがあるっていうことを教えられる人が世の中からいなくなってしまったら、すごくそれは世の中にとって損になるかもしれないし、
そのスキルをここまで磨いてきてしまったので、そういう方法で世の中に役に立つってわけではないけど、そういう方法でお金を稼いで生活するのはありだなっていうふうに思っています。
かつての箱物行政のように、似たような企画が乱立してしまった地域の芸術体ですが、独自性を持った企画で地域に根差した取り組みを続けている組織も数多くあります。
横浜市で開催されている小金町バザールもその一つ。横浜駅から京浜線各駅停車で3駅離れた大岡川沿いに位置する小金町は、非合法の売春が行われていた売春街、いわゆる青線地帯として有名な場所でした。
2000年代前半から中盤にかけて売春宿の一斉摘発が行われ、ゴーストタウン化してしまった街を横浜市などが中心となって盛り上げるべく始まったのが小金町バザールです。
そんな小金町バザールが今回のテーマに掲げたのは、アーティストとコミュニティ。
これまでずっとアーティストとコミュニティについて考え続けてきた小金町バザールが、改めてこのテーマを選んだ理由はどんなところにあったのでしょうか。
小金町バザールを運営しているNPO法人、小金町エリアマネジメントセンターでキュレーターを務める宇住淳也さんに話を伺いました。
実際にアーティストとコミュニティという言葉になったのは一転しているんですけど、
もともと小金町バザールの準備を始めるのが例年1月ぐらいで企画書を挙げて、文化庁とか助成金を取るための申請書を出すので、その時に仮のタイトルを付けるんですけど、
その時に付けたのがもともとアーティストインレジデンスとコミュニティの偶和というものなんですよ。
それは今年の場合はディレクターの山野が決定していて、小金町バザール毎年やってるんですけど横本連内の3年に1回は結構大きく来場者数が増えるというのが見込まれているので、
結構テーマ設定とかディレクターがやったりとか、2017年と2014年はデスクキュレーターが入れてやってたりしたんですね。
今年の段階で2019年のバザールが終わった時に、次は自分でやるからってディレクターの強い意思を久しぶりに感じたので、ディレクターに山野に任せようということになっていました。
小金町エリアマネジメントセンターのディレクター、山野信吾氏は、1990年代から自宅のあった福岡でアジア各地のアーティストを招き、一定期間滞在して作品を制作する、いわゆるアーティストインレジデンスを先駆的に実践してきた人物です。
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その中で彼が感じていた、やっぱりアーティストとコミュニティっていうのはなかなか結びつかない。レジデンスっていうのがそれの機会になるんじゃないかっていうのでレジデンスをするところですね。
レジデンスの場合は作品だけがあるんじゃなくて、そこで作ったアーティストがいて、アーティストの入り口にアートに触れることができる。
それを街作り、街中でやる展覧会でやることによって、より混ぜていけるんじゃないかっていうボタンがあります。
もともとは横浜トリエンなれば7月の3日から開催で3ヶ月ほどだったので、終わりが10月の11日かわからないですけど、それに合わせて公演場バザール開く予定だったので、
その3ヶ月間の間に応募アーティストと今いるレジデンスアーティストで参加意志のある人たち全員を合わせた展示をやって、
レジデンスで展覧会をやるってどういうことなんだろう、街の中でレジデンスをやるってどういうことなんだろうっていうのを改めて問い直すということをやろうと思っています。
単に美術作品を展示してみせるだけでなく、小金町という街に一定期間滞在したアーティストが住民と交流する中で制作した作品を見せることによって、
作家本人の人間性に触れつつ、作品について制作者本人と語ることができるという環境を生み出すことで、より深い鑑賞体験につなげることが狙いの一つとなっています。
ただし、今年に関しては新型コロナウイルスの感染拡大の影響で海外からアーティストを招いて地域に滞在させるといった取り組みがいつも通りにできるわけではないようです。
小金町バザール今回の場合はあくまで新作を作る、どうにか展示をするということなので、最初はアーティストがレジデンスだとやっぱり来るということが非常に重要なので、アーティストもそれを目指して応募してくれていたんですけど、それが叶わなくなったときに、やっぱりもう何もできないという感じになっていたんです。
そうしたら色々アーティストによって個別にずっと対話を繰り広げて展開していって、今改めて自分たちの場所を見直すというのもいいんじゃないかという。
レジデンスとしては違う文化圏に来たときの刺激とか、今まで触れていないことにも触れるというのがあるとしたら、それ自分たちのところでできないのかというのをまず提案してみて、興味がある、移行できるプランがあればそれをちょっと変える。
例えばアルゼンチンのアーティストが彫刻を作って送るならば、郵送費がすごくかかってしまうので、そういう何が結局レジデンスの成果として重要、見せるとして重要なのか。
向こうで作って送るんだったら、他の展覧会と変わらないし、レジデンスとは言えないと思うんで、それだったらアルゼンチンの中を旅してみるという感じにして、向こうの中でレジデンスみたいなことをして、
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それをどうにか映像にしてこっちで見せるとかっていうのを大体あるとかは今、絶賛作っている。
あと2ヶ月あるので絶賛やり取りしながら作っています。
レジデンスでよく必要があるのかみたいなところからみんなでお話していて。
来ないアーティストinレジデンスという新たな挑戦がどのように可能になったのか、小金町バザールの海外アーティストが出品する第2期での展示を楽しみにしたいと思います。
薙さんのお話にもあったように、芸術祭のモデルはキロを迎えています。
さらに新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、観光資源として機能させるといった考え方についても再考が求められてきているようです。
これからの芸術祭っていうのは、もともとこのコロナが感染拡大するまでにすごい感染拡大のように日本人バンバンと広がっていたわけです。
明らかにそれはもう適正数を超えているような感じがしていて、
とりあえず地方行政が隣がうまくいっているからじゃあうちもやろう。
その目的っていうのは文化を育てるというよりかは観光の収入源になるんですね。
日本でのモデルとなっているのが新潟の大地の芸術祭とか、あとは同じところが仕掛けていますけれども瀬戸芸ですね。
そういうのが今国内の移動でさえ結構厳しくなっている。
小金井町の場合は今回第2位の国内のアーティストのレジデンスで移動もしますけど、
他のレジデンスの全国のミーティングみたいなオンラインのものもやったんですけど、
やっぱり地方はもう国内で呼べないっていう感じですね。
やっぱり地域住民の人たちの反応というのが都市と全然違うみたいなところがあって。
その後やっぱり芸術祭を開くと言っても外からのアーティストもそうだし、
お客さんも見込めない中でどう運営していくのかというのはやっぱり問い直されてますよね。
レジデンスもそうです。なんでわざわざ海外のアーティストを呼ばなきゃいけなかったのか。
そのアーティストにとってそれは海外の移動というのはどういうミリットがあるのか。
逆に何を知りたげてしまっているのか。
やっぱりそういうことをアーティストと話して国内に改めて目を向けた方が面白いかもねという話もしたし、
国際交流が何のもとにお金を取っていたりするからやっているんだったら結局中身は何なのか。
そういうものを改めて問い出されて、それはレジデンスもそうだし芸術祭もそうだなとは思って、
去年の時から思っていたことではあったので、逆にいい機会かなと思います。
封印にかけて自分たちがなんでこれをやっているのかというのを問い直す時間でもあるし、
そこからやっぱりこれはやらなきゃいけないよねという風にコンセプトが立ち上がったり、
意思が出てくればそこからまた新しい面白い、この崩壊状態から抜け出したものが出てくるなとは思っています。
これまでは来場者数が芸術祭の成果を評価する大きな指標となっていましたが、
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人を集めることそのものが感染リスクの拡大につながってしまう現状で、
それでも芸術祭をやる意味は何なのでしょうか。
そもそも他の分かりやすい指標みたいなものはない中でやってきた。
改めてそこがまたひっくり返ってしまったということですね。
実際に来場者数がもう測れなくなったという。
だからこいつとしては交通工なんですけどね。
実際のところ小金町では1万人ぐらいしか来ないという感じです。
鳥居なれとか他の美術館が多く来るようなときと比べたら全然少ないんですよ。
そうなったときにやっぱりあそこってしょぼいよねって思われたものが
みんな均一なときにあらあそこって若手アーティストがいろいろやってると面白いものが見れるところだよね
っていうふうな認識に変わってくれるのはすごいメリットだなと思います。
だからやっぱり来場者側もそういうところに足を伸ばしてみようとか
美術館が作った経緯あるこれが美術ですって謳われているものよりかは
もうちょい身近に感じられてよくわかんないことやってるんだけど
でもなんか面白そうとか自分の生活の中に取り入れられそうな視点とか生活の態度とか
やっぱりマスターピースって言われても技術がないとできなかったりするので
そういうのを一気に取り入れようとは思わないんですけど
やっぱりこの作品があって鑑賞者がいて鑑賞者が眺めるっていう感じなんですけど
やっぱりレジェンスでやってる現代アーティストの若手の作品っていうのは
もう少しアーティストの自分たちの手法とかコンセプトとか定まってない状況なので
さぐりさぐりやりながら実験しているのでそういうなんか実験する態度
コロナになってコントロールされているものの美意識みたいなのがすごく強くなっちゃったんですけど
そういうところから少し遊び外していくような
よくわかんないけれどもチャレンジしてみるみたいな精神っていうのを
感じられるで持って帰れるような場所だと思うので
そういう芸術さんの在り方みたいなのを打ち出しながらやって重要だと思ってもらえればと思います
新型コロナウイルスの感染拡大によって芸術祭の内容そのものについて
これまで以上に注目が集まるチャンスにもなり得るというお話でした
アートが人を救う可能性にかけて地域と芸術のより良い関係を模索して
イベントや展覧会の形で様々な現場で新しい芸術祭の在り方を提示する人たちがいます
芸術祭に足を運びの際にはそんな人たちの存在に思いを寄せてみると
より深く作品やイベントを楽しめるのではないでしょうか
小金町バザール2020 アーティストとコミュニティーは
第1部は9月11日から10月11日まで
第2部は11月6日から29日まで開催されています
渚萌実さんが関わっている小川智彦さんの調査企画
木の船の浮かぶ頃 人々が見ていた京都の風景を思う
につきましては小川智彦さんのノートをチェックしてみてください
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今回は地域とアート2020 芸術祭の現在をお送りしました
お相手は宮原ジェフリー一郎でした
The Focus この番組はPodcast Production
ピトパのオリジナルコンテンツです
番組の感想・リクエストは詳細欄のURLよりお待ちしています
それではまた次回お会いしましょう