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はい、というわけで、昨日の続きです。
まあ、スティーブン・キングは好きでですね、
スティーブン・キングのその、
作劇の特徴みたいな話をいくつか挙げててですね、
で、その中の一つにこの、
キリスト教的な善と悪の戦いがあると。
で、キリスト教的な悪というのは悪魔の悪でですね、
悪魔の悪というのは何かと言ったら、
人を誘惑する悪であると。
その人を悪人に転ばすってですね、
悪をさせるのが悪魔なんですよね。
で、その悪魔のような悪をですね、
まあ、キングは描くんですよ。
で、これがですね、面白い面と残念な面があるって話だったんですけど、
で、そのですね、群蔵劇がその一つのポイントでですね、
まあ、登場人物が全員ギリギリの問題を抱えてギリギリの人物であると。
なんでギリギリの人物なんでですね、
目が離せなくてもう、
お、大丈夫かこの人みたいな感じで読んじゃうわけですけど、
でですね、そのギリギリの人、
もう今にもですね、破滅しそうな人っていうのをですね、
悪に転ばす存在として、
まあ、いろんなものが出てくるんですよね。
例えばザ・スタンドだったらウイルスだし、
えーと、まあ、レイ、シャイニングだったらレイですよね。
で、ドリームキャッチャーだったらまあ、宇宙人ですし、
まあ、あの、キャリーだったら、
あの、突然芽生えた超能力と。
で、まあ、イットだったらまあ、モンスターですよね。
みたいなですね、まあ、悪魔そのもの、ニードフルシングスとかみたいなですね。
あと、まあ、呪われた町もそうかな。
悪魔そのものっていうのもまあ、出てくると。
っていうような感じでですね、
その、そういう存在がですね、
そのギリギリの、もうアメリカの田舎、メイン州で田舎でですね、
ギリギリの状態で生きてる人のところをですね、
で、もうギリギリ社会に踏みとどまってるような人をですね、
まあ、善にギリギリ踏みとどまってる人に、
こういう悪がですね、襲いかかることで、
どんどん人がですね、破滅したり、悪に転がっていくっていうようなものを描いてるんですよね。
で、これはやっぱすごくスリリングなんですよね。
こう、正体不明なものがですね、
こう、ギリギリの人物をですね、襲ってこう、
あの、どんどんですね、
ああ、こいつまた踏み外してしまったみたいな感じですね。
あの、悪に転びたり、転びそうになったりするところを見てるのはですね、
まあ、すごい面白いわけですよね。
で、そこがですね、もう目が離せないところなんですけど、
まあ、それがですね、そのキリスト教的な悪が面白く働いてる、
作劇の中で面白く働いてるところですよね。
なんですけど、一方ですね、キリスト教的な悪がですね、
少なくとも日本の読者にとってですね、
面白くなく働いてる部分もありまして、
何かというとですね、
その正体を表すとですね、
悪魔みたいな、まさに存在でですね、
狂ザメっていうことがあるんですよね。
まあですね、具体的にはもうそのアンチクライストみたいなね、
そのちょっと反キリスト的なキャラクター性だったりとかですね、
まさに呪われた街とかそうですね。
とか、例えばペット攻めたりとかですね、
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邪悪でですね、隠蔽な言葉遣いも汚くてですね、
まあそういう存在であると。
とかですね、あとそのクトゥルー神話的なですね、
太古の邪神みたいなのがですね、
がまあその悪の正体だったりとかもするわけですよね。
なんですけどですね、
つまり邪悪なんですよね。
邪悪って怖くないですよね。
まあ人それぞれ感覚あるかもしれないですけど、
邪悪なものってですね、
まあ嫌だなと思いますよ。
その、身近にいたらまあ嫌だと思いますけど、
怖くない気はするんですよね。
でも怖くないかなあ。
うーん、なんかそうですね、
なんかこうフヒヒヒみたいな感じですね。
あの、俺は悪いことするぜみたいなのがですね、
いやそんな怖くねえなみたいな感じらしいですね。
で、例えばですけど、恨みって怖いですよね。
それは多分人間を連想させるからなんですけど、
だからですね、日本の幽霊って僕は怖いんですけど、
そうですね、最後にですね、ずーっとこう人々をですね、
ギリギリの人々をですね、誘惑していたものというかですね、
バーンってですね、正体を表したらですね、
ヒヒヒヒみたいな、
邪悪な俺様だみたいなのが出てきてですね、
うーん、ちょっと違うみたいなですね。
まあそういう、なんか何だろう、
キリスト教系の人これ見て、
ヒー怖いとか思うのかなあみたいな感じの部分が、
ちょっとあるのがですね、
ちょっと少し残念なところなんですけど、
みたいな感じですね。
その、善と悪の戦いのですね、
悪に関しては、まあ良いとこ悪いとこあるんですよね。
じゃあですね、その、善もあるわけですよね。
キリスト教的な善と悪の戦いの善っていうのはじゃあどうなんだっていうとですね、
これが僕はもうその、
スティーブン・キングのですね、小説の最大の美点なんじゃないかと思ってるんですけど、
このですね、あの、人の中の善を描くところがですね、
熱いんですよね、すごく。
とりあえず具体的にそのどういう場面かっていうと、
まあそのギリギリな途上人物がいるわけですよね。
まあ例えばですけど、シャイニングだったらその、
えっと、アルチューの親父ですよね。
アルチューの父親が出てきて、
その過去にですね、あの、
家庭内暴力で子供の腕を折ってしまったことがあってですね、
それ以来断修をしていてですね、
もう絶対そんな悪いことはしないぞと思ってですね。
で、えっと、でもなんとか小説で、
あの、えっと酒をたって小説で身を立てるんだっつってですね、
冬の雪山に籠ると。
でですね、なんだけどその、
部屋のホテルの中のですね、
あの悪霊みたいなのにですね、
どんどん疲れて悩まされていって酒をガブガブ飲んでですね、
あのガキが俺のことをバカにしてやがるみたいなんですね。
なんかそういう怒りに変わられていってですね、
まあ子供を斧持って追っかけ回すっていうのがシャイニングなんですけど、
そのですね、まあつまりそういう悪に転ばされそうな人間、
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弱い人間ですよね。
ああもう酒でなんでこんなことしちゃったんだろう。
絶対もう酒飲まないぞって言っている人がですね、
その、まあ悪が、悪魔のような悪がですね、いる場に行ってですね、
それによってこう、酒を飲む、
そして子供にまた暴力を加えるという、
悪い道に転がされそうになるんですよね。
でですね、実際にそれでこう子供を追いかけ回すわけですけど、
なんですけどその弱い人間がですね、
もうギリッギリのギリギリのところでですね、
その泣けなしの勇気を振り絞って踏み留まって、
こう自分の中にですね、
こう眠る禅っていうのをですね、発揮するっていうのが、
まあだいたいスティーブン・キングの小説の見せ場なんですよね。
それがですね、まあなんでですね、
やっぱりこう落ちに落ちて、もうダメになっている人間がですね、
ギリギリのところで、
ああこれはもう神の似姿である人間がですね、
出せるあの禅だっていうのをですね、
まあ発揮するっていうのが、
まあスティーブン・キングの小説のまあいいところなんですけど、
まあですね、そんな感じなんで、
まあその自己犠牲的なですね、展開とかが多いわけですよね。
まあその、一言で言うと本当に厚い展開が多いんですけど、
でですね、まあそのシャイニングもですね、
そんな感じで子供をですね、追いかけ回して悪霊に取り憑かれて、
あとお酒を飲んでですね、子供を追いかけ回す、
斧持って追いかけ回した親父がですね、
ギリギリのギリギリのところでですね、
その父親の魂っていうのを取り戻してですね、
まあ悪霊を道連れにしてですね、
ホテルを爆発するっていうまあラストに繋がっていくんですけど、
でですね、それをですね、
まあそのシャイニングの小説はそんな風に描いてるんですけど、
このですね、まあ話がちょっとそれると、
そのシャイニングの映画は名作だって言われてるんですけど、
スティーブン・キングがですね、
その映画を見てブチ切れたっていうのもそこのが理由なんですよね。
そのスタンリー・キューブリックはですね、
そのまあ超有名監督で、
スティーブン・キングがまだ駆け出しの小説家だった時に、
その突然ですね、あのキューブリックがキングの家に電話をかけてですね、
キングの奥さんが電話を取って、
あなたスタンリー・キューブリックからよってなって、
電話が出たら、
君は霊を信じるのかね、
死後の世界とか霊を信じるのかねって言ってですね、
でまあスティーブン・キングはキリスト教徒なんで、
はい信じてますって言ったら、
ふーん、なかなかなんか楽観的なんだねって言って、
ガチャって電話切ったみたいなエピソードがあってですね、
でそれはその、まあ原作を読んでですね、
まあ映画にするには面白いんだけど霊とか出てくるけど、
これ作者どういうつもりで書いてんだろうって、
まあスティーブン・キングが、
あのスティーブン・キングじゃない、
スタンリー・キューブリックが確認したわけですよね、
そしたらまあキングは大真面目で霊を書いてたんですけど、
キューブリックは全く霊とか信じてないんで、
死後の世界があるなんて、
楽観的に考えてんなのこの駆け出しの小説家はみたいな感じですね、
俺全然霊とか信じてねえからってなったんですけど、
ただですね、シャイニングに出てくる超能力は信じるっていう謎のバランス感覚があって、
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超能力はあるかなみたいな感じですね、
だからそのシャイニングの映画は、
超能力は描いてるんだけど霊はですね、
全部アルチューの親父の妄想として描かれてるんですよね、
なんでですね、その小説の方だとですね、
まあそのギリギリの善を発揮してですね、
あの自己犠牲でまあ子供の命を守った父親がですね、
映画の方だとですね、
本当もうアルチューのおっさんがですね、
妄想で幽霊見てですね、
最後こう雪山で狂ってのたれ死ぬっていうですね、
もうギャグとしか思えない展開になってですね、
それを見てます、
まあスティーブンキングとしてはまあね、
そこが一番、俺が一番描きたかったのはそこなのにみたいなね、
感じがあってですね、
まあブチ切れたわけですけど、
そんな感じですね、
結構そのスティーブンキングの小説にはすごいこう泣かせる展開が多いんですよね、
で、そのですね、
まあ泣かせる展開というのはその善をギリギリのところで発揮するシーンなんですけど、
そのですね、その時のですね、
文章の冴えがすごいんですよね、
あの悪を描く時の文章もですね、
もうねちっこくてですね、すごいんですけど、
善を描く時の文章はまた冴え渡っててですね、
まあ結構脊髄反射で涙が出るようなすごい良い文章を書くんですけど、
ちょっと僕がですね、
イットのですね、小説のある文章が好きすぎて、
多分ほぼ覚えてる文章があってですね、
ちょっとそれを今空で言うんですけど、
主人公の友達である前足持ちのすごい体弱い子がいて、
まあみんなにちょっといじめられてたんですけど、
主人公は自分の遊び仲間に加えてですね、
ずっと一緒に遊んでるんですよね、
で、遊んでるんですけど、
最後ですね、イットの怪物とですね、戦う時に、
その主人公がですね、気絶かなんかしてですね、
そこにこう怪物が迫ってくる、
もうこのままじゃ絶対絶命だっていうシーンの時にですね、
の文章なんですけど、
その前足を持ってる子供がですね、
俺の友達に触るなって叫ぶんですよね、
そこの字の文がすごい良くて、
このメイン集で一番ひどい、
あの前足に侵されたこの小さな灰から、
バイキングのようなおたけびが響き渡るとは、
ここにいた誰が想像していただろうかっていう文章なんですけど、
そのですね、俺の友達に触るなというですね、
言葉に込められたその力強さみたいなもんですね、
こんな綺麗な文章で書くんだみたいな感じですね、
すごい良いなと思ったんですけど、
好きだなぁなんて思ってたらですね、
ザ・スタンドもですね、読んでたらですね、
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これまたちょっと綺麗な文章だなと思った文章があってですね、
そこをちょっとですね、読むとですね、
これはその状況としては、
望まぬ妊娠をしてしまった娘がいてですね、
その娘が、でも産もうかなと思ってですね、
父親に最初の相談をするんですよね、
父長がそうかって言って、
分かったって言って、じゃあ母親にも話そうかって言うんですけど、
母親はその娘のお兄さんをですね、
小さい頃に亡くして以来ですね、
完全にこうなんていうか、心を閉ざしていてですね、
娘のこととかもですね、
もう興味ないみたいな感じになってるんですよね、
子供に興味を持つとですね、
またどういう目に遭うか分からないみたいな感じで、
冷たく接してるみたいな感じなんですけど、
そのお母さんにですね、
その妊娠したんだよっていうことを告げるとですね、
もうブチ切れまくるんですよね、
で、お前は勝手なことしやがってみたいな感じで、
私はこんな風に頑張ってるのに、
あんたばっかり勝手なことしてみたいな、
何考えてんのみたいなことですね、
バンバンバンバン言ってですね、
で、お父さんはですね、
ずっとそのちょっと半分おかしくなっているお母さんのことですね、
あいつがあの子が亡くなってから、
ずっとこうなんだよなってずっと我慢してたんですけど、
その時はさすがにちょっと、
いや、その言い方はやめようよみたいなこと言うんですけど、
言えば言うほどですね、
火に油でもう本当に手が付けられなくなってですね、
もう本当に娘を罵りまくるんですよね、
娘がですね、もうやめてくれと、
もう母親のこういう境界をもう見たくないんだと、
お父さんもういいから引き下がってって思ってるんですけど、
お父さん引き下がらなくてですね、
もうお母さんがもう狂ったように、
出てけ、出てけ、出てけとか言って、
この家から出ろとか言ってたらですね、
お母さんに父親がビンと出してですね、
まあ説教するんですよね、
お前、お前あの時以来心閉ざしてるのは分かってんだけど、
お前の子供は死んだ息子だけじゃないんだって言ってね、
生きてる娘がまさに生きてる娘なんだぞみたいな、
目の前のこと見ようよみたいなね、
娘の中にしかも新しい命が芽生えてるんだぞと、
死にばっかり目を向けてないで見ようよ、
お前のことずっと俺はほっといたけどよくなかった、
みたいな感じですね、
すごいですね、
母親を説得して、
母親は全然納得いかないんだけど、
引き下がっていくみたいな場面があってですね、
そこでですね、
そのお父さんにギリのギリのところで守ってもらってですね、
その娘の方はそのお父さんに向かって、
ああパパ本当にごめんなさい、
私って本当に親不幸なと父親の胸に顔をうずめたって言ったですね、
そのお父さんが、
さあさあもういいよ、
そう言って彼はフラニーの髪を撫でた、
彼女の頭越しに午後の日差しが張り出し、
あっ午後の日差しが張り出し窓から差し込んでいるのが見てとれた、
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これまでも常にそうだったように、
金色のゴリっぽい動かない光、
博物館や死者の殿堂に差し込む日光のような、
さあさあフラニーもういいんだ、
私はお前を愛してる、
愛してるよっていう文章なんですけど、
もうちょっと読んだ時、
脊髄反射でなめる感じだったんですけど、
すごいですよね、
このお父さんがですね、
ちょっと勇気を出してですね、
ついにお母さんから娘を守った時にですね、
その娘がですね、
そのお父さんの胸に顔をうずめた時に見えた、
見えた光景のですね、
ちょっと目の端に見えた光っていうのをですね、
描写してるわけですけど、
これまでも常にそうだったように、
金色のホコリっぽい動かない光、
博物館や死者の殿堂に差し込む日光のような、
っていう、
すごいですよね、
なんか本当にですね、
こういう光って見たことありますよね、
なんかこう、
なんか、
なんでしょうね、
なんかある心理状態の時にですね、
部屋に差し込む光をですね、
こういう高豪しいもののように見えることってありますよね、
それをですね、
こんな風に描写できるんだと思って、
やっぱすげえなと思いました、
ということでですね、
また10分余裕で越してしまったんですけども、
本日は以上となります、
というわけで、
ありがとうございました、
またご意見ご感想ありましたら、
アルファベットで、
アルファベットじゃないか、
ローマ字で、
heydriantaro at gmail.comまでお便りください、
よろしくお願いします。