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2021-09-20 18:49

今日の10分de1テーマ「自分がなれないものになりたいと願うこと〜ゴッホとデュポン氏」について

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。 ※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください。

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はい、というわけで、前回のホックスキャッチャーの話の続きです。
そんな感じでですね、デュポン氏にコーチをすごい給料で壊れてですね、
お兄さんがじゃあ行こうかなって言って行くっていうところで、ちょっと悲劇に繋がったわけですけど、
お兄さんはですね、さっき言ってたような、結構完璧に近いような人物ですね。
家族連れてですね、ほら広大なコーチ、
ちょっとの期間、夏休み期間中ぐらいの気持ちでですね、来てるんですよね。
でも家族とともにですね、ちょっと半分バカンスでしばらくここでコーチ業でもやるか、
お金いっぱいもらえるしみたいな感じで来てるんですけど、
デュポン氏はですね、やっぱりお兄さんすごいなっていう感じもあって、
このお兄さんと友達にもなりたいし、
このお兄さんを雇うことでお兄さんの上にもなりたいみたいな感じでですね、
弟に迫ったのと同じように迫ってくるんですよね。
休日にですね、家族が車か何か洗って庭先で遊んでたらですね、
そこにデュポン氏がですね、
独立戦争の時のワシントンの服装みたいな謎のコスプレでですね、現れて、
今日はどうだろう、一緒に家族と一緒に遊びませんか?みたいなことを言いに来たんですね。
いやいや、僕ら雇い主と雇われ主なんで、そういうんじゃないんでみたいな感じ。
そこをちょっと線引きさせてもらいたいんでみたいな感じですね。
お兄さんが割と正論で断って、
そうですか、分かりましたって言ってですね、デュポン氏が。
ワシントンの格好で去っていくシーンとかがあってですね、
めちゃくちゃこう見てて辛いんですけど、
でですね、そのある日ですね、そのお兄さんのところに、
今デュポン氏のドキュメンタリー番組を作っているんで、
ちょっとインタビューをお願いできますかって言って、
あー分かりましたって言って、
そのドキュメンタリー番組もデュポン氏が自分で作ってるんですよね、もちろん。
でですね、お兄さんに台本を渡されてですね、
ちょっとセリフをお願いしたくて、
デュポン氏は私のメンターですって言ってもらえますかって言ったら、
お兄さんがはーってなって、
いやいやいやいや、え?これやるの?つって、
いや、デュポン氏のお願いですとか言って、
あー分かりました、あーって感じで、
でカメラ回って、
デュポン氏はあなたにとってどういう存在ですかってインタビューを聞かれて、
あーなんつーか、
まあまあ、メンターっすね、みたいな感じですね。
やれやれ感丸出しでですね、言ってるんですよね。
でですね、お弟の方はぬぼーっとしてですね、
流れに流されてですね、
03:01
ある意味はデュポン氏のペースで流されていったわけですけど、
お兄さんはしっかりしてるんでですね、
デュポン氏のペースに巻き込まれないんですよね。
ちゃんとせんびきしてですね、
でまあ本当にそんな感じで、
お金だけちゃんともらってかえろみたいな感じなんですよね。
でですね、そのビデオの、ドキュメンタリー番組ですね、
出来上がったビデオですね、
デュポン氏がすんげーでっかい部屋でですね、
一人でテレビでつけてですね、
その、あーそうっすね、デュポン氏は私のメンターっすねって言ってる映像を、
すごい無表情で見てるんですよね。
すごい怖いんですけど。
でですね、その後ですね、
デュポン氏はですね、銃を持って、
そのお兄さんのとこに行ってですね、
家族の前でお兄さんを射殺すると。
でですね、もちろん警察団になって逮捕されてですね、
でフォックスキャッチャーは、チームは解散になるっていうのが、
この映画の最後だったんですけど、
こういうですね、すごい奇妙で、
物悲しいし、でもちょっと滑稽で笑えるしみたいなですね、
話なんですけど、
これも人事と思えんなと思うんですよね。
自分のことを書かれているような感じがして、
これも前も言ったような、一回見て脳に焼き付いたような映画なんですよね。
でですね、何て言うんですかね、
例えばこの弟の立場になって考えるとですね、
こういうお兄さんみたいな被護者、
すごくよくできた人っていうのがいてですね、
その人はもう親切心からですね、
家族として被護しているわけですけど、
一方で、俺はもうあんたの飼い主じゃないんだみたいなですね、
一人でできるんだみたいな感じですね。
そういうところもやっぱりちょっと自分の中にくすぶっているし、
だからデュポン氏から声をかけられたんですね。
そうやって出て行ったわけで、お兄さんの元を離れたわけですけど、
こういうこともありますよね。
で、これってですね、正直映画を見ていてですね、
でもお前にはその性格はないぞとか言ってですね、
思いながら観客を見ているわけですけど、
でも現実にもありますよね。
なんかこう、芸能界とかですね、
例えば僕だったらプロレスとかですね、
とかでもありますし、
もっと本当に現実の会社とか社会の中でもありますけど、
俺はもう一人前なんだ、あんたの飼い主じゃないみたいな感じですね、
出て行くんだけど、周囲はですね、
実はその器じゃないんだよなって分かってたりすると、
いうようなことってありますよね。
でもですね、じゃあその人がですね、
いわば自分以上のものになろうとしてるわけですよね。
今まではこうだったけど、これから俺はこうなるんだ。
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もう今までは俺の、あんな感じだったらおさらばなんだみたいな感じですね。
自分以上のものになろうとしてるわけですけど、
で、それでですね、どこかに行こうとしてるわけですけど、
それがですね、周囲はでも、いや無理だと思うよとか、
無理なのを見て、いやちょっとやっぱ無理でしたかみたいな感じで笑ったりもするんですけど、
それがですね、攻められたりとか笑っていいのかっていう感じがするわけですよね。
一方そのデュポン氏の方なんですけど、
まあですね、金持ってるだけじゃなくてですね、
尊敬されて友達もたくさんいる自分というのをですね、
力強い自分というのにまさに憧れていたわけですけど、
これももうはっきりとその能力はないんですよね。
この映画を見ててですね、まあこの映画はかなり現実にあったことをですね、
ちゃんと忠実に書いてるんですけど、
この映画を見ててですね、あの時もっとこうなっていれば、
あの時ちょっとこういうセリ違いがあったからこんな悲劇にみたいな部分がですね、
まあ全然ないんですよね。
あの、もうですね、デュポン氏はそういう風になろうと思ってるんだろうけど、
その能力はない。
これはですね、金持っているけど尊敬を集められない、
そして友達ができないという人間ですとしか言いようがないって感じなんですよね。
やっぱですね、この明らかにこう、
ヌポー筋肉レッスンしかしてきてないですみたいな人にですね、
真夜中にですね、自分の鳥の本を貸しに行く人っていうのはですね、
じゃあですね、その人に誰かがね、
道についてこう、なんかね、
アドバイスしたりすることでですね、
友達ができるようになるのかって言ったら、
ちょっと難しいんですよね。
やっぱそういう置い立ちなのか何かわかんないですけど、
やっぱりですね、じゃあ友達はできづらい、できない人だろうと思うんですよね。
でですね、ちょっとこのデュポン氏を見てるとですね、
ゴッホの黄色い家の話っていうのを思い出すんですけど、
ゴッホがですね、すごい日本の浮世絵にハマってですね、
浮世絵に影がないのを見てですね、
日本っていうのは南国なんだって勘違いするんですよね。
で、その浮世絵のすごい表現だと、
これは南国で描かれたからこんな描き方になってるんだって、
ちょっと自分で勝手にいろいろ考えちゃってですね。
いつか南の方、南フランスとかにですね、
南仏とかあの辺に移住して、
クリエイターたちで共同生活して、
こういう日本の浮世絵みたいな新しいアートを描こうよみたいな、
描きたいっていう構想を持つようになるんですよね。
で、それをですね、周囲の人が話したりするんですけど、
もうですね、ものすごいウザいキャラクターでですね、
みんなヘキヘキしててですね、絶対行きたくないんだって感じなんですよね。
なんですけど、ごっこがですね、なんかいい物件見つけた!
09:01
なんか忘れましたけど、ついに観光するんですよね。
これからは芸術的な生活を送るぞ!みたいな感じですね。
確か南仏だったような気がするんですけど、
なんかその辺に移住してですね、黄色い家って言われる家を借りてですね、
ここでこれからすごいアーティストたちを呼んで、
みんなで共同で創作活動するんだ!みたいな感じですね。
で、こうあのひまわりの絵を描きながらですね、待ってると。
ひまわりの絵1枚描けたらリビングに描けて!みたいな感じで。
で、黄色い家だからな、いっぱいひまわりの絵を描いといて!
と、みたいな感じで描いて待ってるんですけど、
誰も来ないんですよね。来なくてですね。
で、手紙をですね、ものすごくこう書いてですね、
早く来いよ!早く!もうね、こんな準備できてて!こんな準備できてて!
みんな行きたくない!ってなってるんですけど。
あの、その弟がですね、確かゴッホの弟が結構その、
賀賞で成功しててですね、お金持っててですね。
で、そのお兄さんがすごいかわいそうだと、不憫だと思ってですね、
あの、ゴーギャンにですね、
どうかちょっとお金渡すから、ちょっとお兄さんのとこ行ってあげてくんないかな?
ちょっとお願いしてですね、ゴーギャンが、えーっつって、
あー、でもお金くれるんだったらわかった!つって言うんですけど、
でも行きたくなくて、のばしのばしにしてたら、
嫌のような最速がですね、手紙で来るんですよね。
早く!なんで来ない!いつ来る!もうね、こんな準備してるよ!
家はこんな風にしてるよ!みたいな。
手紙がゴッホがポンポン届いてですね。
で、もう嫌々言ったらですね、
まあやっぱもう一緒に暮らしてるときついと。
もうですね、なんか、あの、もうすんごい粘着して、
いつもくっついてくるんですよね。
で、なんかちょっと嫌な顔したら、
俺と暮らすの嫌なんだろう?みたいな感じなんですよね。
嫌じゃないですか、そんな人と一緒に暮らすの。
でですね、なんかそのゴーギャンがずっと嫌になってですね、
売春屋とかなんかに逃げたかなんか、一瞬したらですね、
あー逃げたんだ!やっぱ俺が嫌だったんだ!とかつってですね、
で、なんか耳切断して、
で、そのゴーギャンの相手してた売春婦に、
あの、これをゴーギャンに渡してやってくれ!つって耳を渡すみたいですね。
っていうようなのでですね、
まあそれがきっかけでですね、
もう住民がちょっと勘弁してくれ!つって、
あの、施主名に入れられるんですけど、
てか自分から入るんですけど。
でですね、まあこれはですね、
どんだけゴッホが友達が欲しくてもですね、
いや無理だと、これは無理でしょと、
この話ですね、なんか、会社でですね、
あの、まあ、まあちょっと僕の、ちょっと、
あの、今関わってる人ですね、
このゴッホを思い出すキャラクターの人がいてですね、
で、ゴッホを思い出すんだよね!つって、
その、同僚の若い子に言ったらですね、
で、どんな、で、思い出して何でですか?
って言って、
まあさっきの話をかいつまんでしてですね、
したんですね。
そしたらですね、もうゴッホが、
矢のような催促、
手紙の催促して、
ひまわり書いて待ってるとことかですね、
12:00
もうすごい同情してですね、
わ、かわいそう、なんかほんとかわいそうですね、
ね、誰か言ってあげたらいいのに、
って言ってるんですけど、
もう最後のですね、耳下る、切る、下りのところでですね、
完全にドン引きしてるんですよね。
で、いや、これは無理だと。
でですね、まあ当時、
ゴッホの周囲にいた人もそんなだと思うんですよね。
まあ弟はね、憎しんだから、
もう少し粘り強いんですけど、
周りも、わ、なんかちょっとかわいそうだな、
って言って、行くんですけど、
いや、無理だと。
うん、ってなるわけですよね。
なんかですね、このデュポン氏にはやっぱその、
ゴッホ性を感じるんですよね。
もう、デュポンはもう金持ってるけど、
尊敬されたい、友達が欲しい、
もっとこんなことがしたい、
もっとこういうふうにみんなに敬われたい、
って言ってですね、やるんですけどですね、
やっぱそれができる能力とか性格じゃないんですよね。
周りがですね、どんどんわって、
もう無理ってなってくんですよね。
じゃあですね、
まあ仮にそういう性格なんだということですね、
自覚してですね、
まあこういう性格か、
友達もできないし尊敬もされないか、
わかったわかった、って言ってですね、
受け入れられるかっていう話なんですよね。
受け入れられるといいんですけど、
受け入れられないことの方が多いと思うんですよね。
で、それ受け入れられる性格だったらそもそも、
こんなことしてないみたいな感じもするんですよね。
だからですね、こうもう必然性というかですね、
もうこの映画を通してですね、
もっとこうやってればこんなこと起こらなかったね、
みたいな部分が全くないと。
でですね、
じゃあですね、そうやってこう、
今の自分がですね、
なんか違うと、もっとこうなりたいんだ、
っていう風に感じてですね、
ここじゃない、どこかに行きたい、
っていう風にですね、
じゃあ願うことは、
責められるのかとか、
笑われることなのかって言ったらですね、
やっぱそうとも思えないわけですよね。
で、この映画はですね、
そんな感じでこう、
弟とですね、
リュポン氏っていう子の、
今の自分がなんか違うなと、
ここじゃない、どこかに行きたいなと思ってたらですね、
あ、こいつとならっていう感じでですね、
出会ったっていう話だと思うんですよね。
で、出会ってですね、
一瞬どこかに行ける気はしたんですけど、
やっぱですね、
それをどこかに、
やっぱそれは幻想でですね、
だったと。
で、一方でですね、
お兄さんの子はですね、
もうおそらく本当に生まれつきに近いぐらいの、
いろんな能力があるわけですよね。
その人から尊敬を集めたりとか、
好かれたりとかする、
レスリングの能力すらあるわけでですね、
で、その人はですね、
ここじゃない、どこかに行きたいなとは思わないわけですよね、
このリュポン氏とか弟のように。
でですね、そうやって堂々と生きてるんですよね。
でですね、
15:01
もうなんで、なんで俺こんなんなんだよ、
こんなんじゃない、
自分になりたい、
どこか違うとこに行きたいって願ってる人がですね、
で、すごい、
この人本当すごい堂々と生きてる、
すごいなっていう人にですね、
近づきたいとか、
って思うんだけど、
拒絶された時、
もうなんていうか、
多分もう運命を呪うような気持ちでですね、
殺人に走ったっていう、
映画なんじゃないかなという風には思うんですよね。
だからすごいですね、
見てても本当にこう、
悲しかったんですけど、
でですね、
最後ですね、
どう終わるかっていうとですね、
実際にそうだったんですけど、
その殺人事件が起こった十数年後くらいですね、
その弟がですね、
最後MMA大会、
総格闘技の大会に出るために、
入場するシーンで終わるんですよ。
でですね、
当時のMMAって昔のMMAなんで、
今みたいなすごいスポーツっぽくなくてですね、
もっと野蛮なものなんですよね。
客とかもですね、
殺せーみたいな、
みたいな感じですね。
反則とかもですね、
ルールも甘くてですね、
目つぶしはダメだけど、
噛みつきはありだったかな、
ぐらいな感じの時代のMMAなんですよね。
でですね、
そういうですね、
すごい野蛮なリングにですね、
最後ですね、
デュポン氏の殺人事件に
兄を巻き込まれた弟の
入場です、元ゴールドメダリストです、
みたいなですね、
すごい戦場的なですね、
入場アナウンスを受けてですね、
ものすごい光を浴びながら、
みんなに殺せーとか
観客にですね、
言われながらですね、
入場していくスローモーションの
映像でですね、最後終わるんですけど、
それがですね、
映画館で見た時にめちゃくちゃ感動したんですよね。
で、
実際にね、
その弟はほんとそんな感じですね、
最後MMAのリングに、
多分お金に困ったんでしょうね、
総合格闘技のリングに上がって、
実際その後負けちゃったのかな、
なんですけど、
そこがラストシーンになってるんですけど、
それがですね、
映画館で見た時にめちゃくちゃ感動したんですけど、
なんで感動したかわからなかったんですよね。
でですね、
今回ちょっとこの話しようと思ってですね、
なんか感想を軽く、
文章でまとめてた時にですね、
あ、そうかと思ったんですよね。
この、あの、
ここじゃないどこかに
行けるってあの時
フォックスキャッチャー誘った時にですね、
思えたわけですよね。
だけどそれはやっぱ幻想だったわけじゃないですか。
でですね、
すごいひどい悲劇の中で終わったわけですけど、
でもやっぱり、
もう一回ここじゃないどこかに
行こうとしてるんですよね。
でですね、
それはですね、
その能力はないかもしれない。
いや、
おそらくないんですけど、
でもですね、
18:01
それを願ってまた行こうとしてるっていう姿で
終わってるんですよね。
それがですね、
なんか呪いのようでもありますし、
でもなんか希望のようでもあるというか、
いうようなですね、
そういう意味合いがあったんだと思ってですね、
だから感動したんだという風に
思いましたね。
ということでですね、
あの、いろいろ話してたら
すごく長くなってしまいましたが、
えー、
僕の大好きなですね、
フォックスキャッチャーという映画についての
話でした。ということでですね、
えー、また、
お便り、お感想と
ありましたら、
エドリアンタロウ
コムまでよろしくお願いします。
失礼します。
18:49

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