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2021-10-01 11:10

今日の10分de1テーマ「ブッダも親鸞もどっちも魅力的だと思う件」について

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。 ※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください。

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はい、というわけで、昨日の続きです。
まあですね、ブッダと診断、ほぼ真逆だよね、という話をしていました。
なかなかね、自分の読んだ本の内容をですね、ちょっと自分の頭の整理をしたいために話そうと思って話したんですが、
めっちゃ長くなるんだなということにですね、今気づいてですね、いやーそっかーと思ったんですけど、
ブッダはですね、その本を読んで、やっぱりすげーなこの人だといろんな面で思ったんですけど、
一つはですね、まず真逆に見えるような診断の考えも含めてですね、
その後の大乗仏教とかですね、ブッダが言ってたこととちょっと違うよね、ということも含めてですね、
全部最初にブッダが言ってたことの中に割とその種みたいなのが全部あるんですよね。
だからですね、全く違うものを言っているのかというとですね、実はそういうわけでもなくて、
やっぱりブッダの言葉から端を走ってですね、全然違うものに発展していってるんですよね。
だからですね、最初にブッダが言ったこととかがですね、いかに豊かかというかですね、
その発展性があったかということがすごいなと思うわけですけど、
なんかですね、その涅槃経というですね、ブッダが入末、死ぬまでのですね、エピソード集みたいな話があってですね、
お経があってですね、それがすごい面白かったんですよね。
でですね、ブッダがどうやって死ぬかというとですね、
なんか結構もう老齢になってですね、不況活動を続けて、ある村に立ち寄った時にですね、
鍛冶屋さんの家にですね、卓発でしに行くんですよね。
そしたら料理振る舞われてですね、あざすって言ってですね、食べるんですけど、
それがですね、どういう料理かというのはですね、
言葉の意味だけ言ったら柔らかい豚っていう意味の料理を食ってですね、
それって一体どういう料理だったんだという議論があるらしいんですけど、
その柔らかい豚というのを振る舞われて食べたら、食中毒になってですね、ひどい下痢になるんですよね。
で、なってですね、これもう死ぬわってなってですね。
で、ちょっとですね、サーラの木、サラソウジュですね、
サーラの木の下まで連れて行ってもらって、もう食中毒でぐったりしてですね、
横になりながら、弟子にですね、なんとかこう、
有意言というか、これからどういうふうにしていくかみたいなことをポツンポツンと語ってですね、
で、最後、下痢で死ぬっていう感じですね。
まずここがすごい、キリスト教とかと比べたらですね、
三日後に復活したのだと比べたらですね、
なんていうか、全く深刻化してないですよね。
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食中毒になって下痢で死ぬっていうですね。
で、それはやっぱりその仏陀自身がですね、深刻化とか、
まあその神秘性をめちゃくちゃ排除するんでですね、
深刻化とかするなよということは普段から言ってるんですよね。
弟子はそれをわかっててですね、やっぱですね、ちょっとこう、
実際はちゃんと食中毒で下痢で死んだんだよね、
それもちゃんとお経に残しておかないとみたいな感じですね。
それを残してると。
でですね、ただですね、一方でちょっと弟子もですね、
なんか多分ちょっと、いやでもすごい人だったんだよって
ちょいアピールしたいみたいな気持ちがあるのかですね、
そのちょっと金色に光ってみたりとかですね、
あとあのサラソウジュっていうね、
サーラの木っていうのがですね、
あの亡くなった時にバッってですね、
花が一斉に咲いたとかですね、
ちょっとそういうファンタジックな演出は入れてるんですけど、
まあその辺もですね、揺れ動きもまあなんか、
その弟子の気持ちの揺れ動きが伝わってきて可愛いなと思うんですけど、
それでですね、なんかこう、とにかく神格化を否定してるわけですよね。
だからそのまま描いてるんですけど、
でですね、その時のですね、
ブッダのその優位言がですね、すごい良いんですよね。
その、なんかですね、あの、
鍛冶屋の人にその料理を振る舞ってもらったら
それで食中毒になっちゃったわけじゃないですか。
でですね、そのブッダはですね、
あの鍛冶屋の人に、
あのこう、なんとこうやって周囲にこう言っといてくれと、
あの鍛冶屋のおかげで私は涅槃に至れると、
もうめちゃくちゃありがとうって言ってたって、
伝えといてくれって言うんですよね。
つまりですね、その鍛冶屋に振る舞われた料理の原因で
食中毒を起こしてですね、
それでお前のせいでブッダは死んだんだって言ってですね、
そのみんなが怒ったりとかですね、
あの鍛冶屋の人がうっつって罪悪感抱くようにならないようにですね、
気を使ってですね、
いやあなたのおかげで涅槃に至れるって言うんで
すごいありがとうって言ってたよって言ってですね、
周囲に言うんですよね。
どんだけ人間できてんねんと思うんですけど、
でですね、さらにその鍛冶屋の人に
なんてあなたには、
あなたはきっとこれからすごい大金持ちになって
イケメンになって、
すごい権威をもらってみんなに尊敬されるようになると思いますって
言っといてって言うんですよね。
で、これでですね、
これを聞くとですね、え?ってなるんですよね。
その、煩悩丸出しやんって思うわけじゃないですか。
あんなに煩悩をですね、否定してたのに、
いやあんたのおかげで涅槃に至る、
あんたもうイケメンになって金持ちになって、
みんな尊敬されるようになるよとか言うわけですよね。
でですね、この辺がですね、
この二重性がですね、
まさにこのブッダのですね、
前もちょっと話した、
相手の気持ちと立場によってですね、
言う言葉を変えるっていう方便なんですよね。
でですね、
その仏教の信者って、
在家の人と出家してる人がいてですね、
出家してる人には、
割と自分の考えに近いようなですね、
ことをそのまま言うんですけど、
在家の人には、
ちゃんと在家の人の気持ちを、
ちょっと測ってですね、
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ちゃんと言うわけですよね。
だから、ありがとうって言ってた、
感謝の意を示してるよって言う時にですね、
これであなたも涅槃に至りますねって言ってもですね、
ん?涅槃?みたいな感じなんで、
ちゃんとですね、
その世俗の喜びっていうのが起こりますよっていう風に
言ってあげないとみたいな感じなんですよね。
ここもですね、すごいなと思うんですけど、
なんでですね、
釈迦さんと仏陀さんが亡くなった後、
我々どうやって葬ればいいでしょうかって仏陀がですね、
すごい良い感じの布でね、
500回ぐらいぐるぐる巻きにしてですね、
良い香りのする油を巻いてですね、
こういう木で木組みを立てて、
燃やしてくれと。
その骨っていうのはですね、
ストゥーバっていう骨を祀った塔みたいなのに入れて、
4箇所くらいに分けて分骨しといてみたいなこと言うんですよね。
でですね、このストゥーバってちなみに外場の語源なんですけど、
これもですね、絵ってなるわけですよね。
なんかめっちゃ良い感じに振る舞ってもらいたい。
葬ってもらいたいんやって思うわけですけど、
これもですね、二重生徒方便なんですよね。
出家してるお前らは分かってると思うけど、
その骨とか全然意味ないからと。
その辺にホッポッと言って本当はいいんだけど、
出家してない人は供養したいっていう気持ちがあるだろうし、
その時に物があった方がいいと思うから、
そのストゥーバっていうのは作っておこうと。
そしたら供養したら救われるっていう風に思うと思うしと。
そういう立派な葬式をしてればですね、
立派な人になったんだな、信じていいんだなという風に
在家の人は思うだろうから、一応そういう風に葬っておいて、
でもマジで全然意味ないからねみたいなことを言ってるんですよね。
これがですね、本当に気遣いすごいっていうのと、
本当に相手の立場に立って物を言ってて、
さすがに悟ってるっていうか、
なんでできた人間なんだっていう風には思うわけですけど。
相手の立場によって、相手がどうやったら救われるかなっていうのによって、
言い方を変えてですね。
何だったら弟子にはすごい自分の本音を言ってですね、
在家の人にはちょっとごまかしっぽいんだけど、
相手が喜ぶ人のことを言うっていうような感じでも
おそらくなかったんじゃないかと思うんですよね。
弟子は弟子用の言葉、
弟子じゃない人には弟子じゃない人用の言葉を言ってるだけでですね、
ちゃんと単純に響くっていうことを多分重視してるんですよね。
でですね、そう考えると、
信蘭の言ってることとかですね、
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ブッダの弟子とかが聞いたひっくり返るようなことを言ってると思うんですけど、
何言ってんだこいつみたいな感じだと思うんですけど、
ブッダがそのことをですね、
自分こういうふうに考えてるんですって聞いたら、
なんか否定しないんじゃないかなっていう気はするんですよね。
ああそっか、そうじゃないと救われない人いるもんねみたいな感じのですね、
なんかそういうようなことを言うんじゃないかなと思うんですよね。
なんでですね、やっぱこれぐらいですね、
すごいできた人間っていうのにですね、
自分もずいぶん前ですけど、
喫茶店でどんだけ注文間違われてもですね、
ニコニコ待ってですね、
アイスコーヒーっていう注文がちゃんと通ってるといいなというふうに祈ってましたっていうですね、
僧侶のようなですね、できた人間になりたいな、
このブッダみたいな人間になりたいなという気持ちとですね、
ああでもなれねえ、なんでここでまたこんなアホなこととか、
みたいなですね、
でもその時はこの自分の中の信蘭みたいなのがですね、
まあまあまあしょうがないよと、
人間そんなもんだよみたいな感じですね、
慰めてくれるみたいな感じですね。
なんかこう、両極端のですね、
こうありたい、こういうふうになりたいな、
なれない、なれないか、
でもなれなかったら、
なれなくてもこういうものが救ってくれるのかなみたいなですね、
なんかその両極端っていうのがあるなと思っていてですね、
ほんとどっちも魅力的だなというふうには思うんですよね。
ということはですね、
まあなるべくですね、
これからはもうこのなるべくちょっとね、
ブッダのようにできた人間に近づきたいと思いつつできないときはですね、
あんまり悩まずにですね、
もうあの、
診断的なですね、
自分にこう、極限に都合のいいですね、
優しい、自分に優しい妄想を見てですね、
他人にも優しくできるといいなというふうに思いました。
というわけで本日は以上です。
全公開になってしまいましたが、
こんな感じでよろしくお願いします。
失礼します。
11:10

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