手段と目的の基本的な関係性
では、CS Harmony Radioの番外編を始めていきたいと思います。
前回、ロジックと感情の話をしたんですけど、今回はまた似たような。
お難しいシリーズ好きですね。
今回は、よく言われる手段の目的かみたいなのを語りたいな。
なるほど。
まずは、その手段っていうのは何?目的って何?っていうのが多分大事です。
手段と目的、1個ずつは多分分かりやすくて、目的は手段、何のためにやるものか。
手段は目的を達成するための、よく言われるのはWhatとHowみたいな。
そうですね。
何を目的で、どうやってやるっていうのが手段でって言われますけど。
大事なところは、手段と目的って基本的には2つ以上の事象の関係性で成り立ちます。
AのためにBします。っていうのが文章でするとそういう。
大事なのは、手段と目的、2個の関係で成り立つので、場合によっては手段にもなるし、場合によっては目的でもあったりする。
言わんとしていることは何となくは分かります。
KPIツリーみたいなのが分かりやすいかもしれないですね。
利益を上げるためには売り上げを上げるとコストを下げる。
売り上げを上げるためには、何とか部門の売り上げを上げなきゃいけないとか分解されていく。
見たときに、利益を上げると見たときの売り上げを上げるっていうのは手段ですよね。
売り上げを上げるために、まるまる事業部の売り上げを上げるは、
弊社の売り上げを上げるという目的のために事業部の売り上げを上げるって手段になる。
そのときの売り上げを上げるっていうのは、もともと一番上の利益を上げるから見たときの手段なんですけど、
公社で言ったやつは目的になってますよね。
なので基本的には2個の関係性で必ず成立。
因果関係の重要性
絶対的な目的とか絶対的な手段っていうのは存在してないというのがそもそもあって、
正確に言うと2個必ずあるわけじゃなくて、目的はあるけど手段がない場合があります。
こうなりたいんだけどやり方分かりませんっていう状態が、手段が分かりませんっていう状態は存在するんですけど、
何かの手段があるときに関して言うと必ず目的があります。
他方は絶対目的があるというのが基本関係性かなと思います。
これちょっと余談なんですけど、手段で言うと業務とかプロセスとかってある意味手段なので、
特に処理のとこですね。
どうするみたいなところっていうのは手段、ハウの分も強いので、
必ず処理には目的がありますと。
何かのためにこれしますって絶対何かのためにはありますと。
目的と手段は方眼みたいな関係性があります。
中小と部署の関係みたいな。
さっきの電車の売り上げのために○○事業部の売り上げを上げるっていうのは
中小とが違う。
要は分解できてる感じですね。
電車の中に○○事業部××事業部△△事業部って3つあったとしたらそれぞれ分かれていくので。
単純にミッシーに分かれてきますねっていう分解関係、方眼関係みたいなのが中小との関係があって。
もう1つのが因果関係であります。
これを実行するとこうなるよという、逆巻きに言うと
これを実行するのでこうなるから不穏なっている方が目的。
AのためにBしなければならないならばBの方が原因でAの方が結果ですよね。
はい。
これが因果関係として成り立ちますと。
そのどっちかが基本的に関係性として。
その因果関係があるので基本的には目的は手段よりも時間的に先行しないです。
うん。
当たり前なんですけど、手段をやる前の目的は達成しないので
手段が実行された結果として目的が達成されるっていう場でなきゃいけない。
同時の場合もありますね。手段が実行された結果、瞬間に目的が達成されるという。
目的が先になることはないっていうのが関係性で。
手段の目的化への指摘と資産の問題
今回のテーマ、手段の目的化に関して言うとたまに聞くんですけど
それは手段じゃなくて目的じゃないですよねっていう指摘の方がいると。
結構言ってしまいますね。
僕も言いますけど。
割と言うタイプですね。
それって指摘してる側、自分だったら自分が指摘してるとき
何かの認知に基づいて目的これあるだろうなって想定してるからそう聞くんですね。
だからこれって手段なんじゃないのって言っていて。
まあ確かに。
その人の認知で決まっているので。
指摘してる人じゃなくて、手指摘を受けてる人にしとっては
それが目的とか手段とかの話じゃ多分あんまり意識してないし
何だったら目的と思ってやってるかもしれないっていうのがあって。
なのでどちらかというと流度感とかの認知の違いというのが大きく出るんじゃないかなと。
そうですね、なるほど。
で、注意しなきゃいけないのは資産の問題が結構ついてくるんですよ。
その抽象度の高さとか因果関係とか先が見えてるかどうかで
全然見えてる範囲が違うじゃないですか。
こちら側で指摘しようとしたときに
それ手段じゃないのって言ってるときって
ちょっと資材がこちらの方が高かったりするんですよね。
その人からするとそれは目的なんだけど
僕らからの視点から見ちゃうと
それってちょっと手段っぽいねみたいな見え方をしてるから
これ手段じゃないって言っちゃうんだと。
なので指摘する側として気にならなきゃいけないのは
基本的に手段と目的でセットなので
自分にとってそれが手段だと思うんだとすると
多分何か目的を認知しているので
その辺の話は意識しながら指摘をしてあげたりとか
指摘を受けてる方に関して見ると
それを目的だと思ってやってるとすると
そのために何か手段を取ってる可能性があるので
そこのセットをちゃんと聞いてあげて
それってもう少し上位の目的がいるんじゃないっていう話とか
そういう話をしてあげると業務的にはうまくいくかなというので
ちょっと今日話したいなと思って
個人的にはそんなしっかりした話じゃないのが多い気がしますけどね
目的が予測するっていうのは確かにあるんですけど
話聞いてて一切説明ないパターンもあるじゃないですか
もちろんもちろん
だからこういうことしますっていう話が永遠と続いて
結局やることだけの説明になっちゃってるから
やることが目的になってませんかみたいな話はあるかな
あと資産の話は
個人的にお願いしたこととかに対して
うまくできてない時とかは
結構そこがバグってることが多い気がしますけどね
目的は共有してるはずなんですよ最初に
お願いする時とか
基本的になんでやるんですかみたいなことって
ちゃんと説明するのが筋だと思うので
説明するじゃないですか
それってでも繰り返さないんですよね
例えば仕事として振るタイミングが3回あったとしたら
初回は言うけど
2回目3回目って話の流れの中での
次のステップだから
もう目的分かってるよねと思ってやってると
あれなんか全然違うことになってないみたいな話の時に
手段と目的が混同しているというか
1回目の目的達成のための手段やったら
なぜかその手段が目的化して
全然違う方向にいってるとか
そういうことはあって
その時は静山の話はあるなとは思ったりはしますけど
読めんっていう方が多いですね個人的には
聞いててそうだなとは思います
気にしてるのが2個あって
指摘する側からした時に
手段の目的化警察にならないようにっていう
そんなに見くじら立ててないけど
そういう人いるじゃないですか
います?
彼見たこと
何がしたいのかわからない
それこそその人の目的なんですかって聞きたくなるけど
ヤギさんのそういうところで出てくる
人物例がかなりバイアスがかかってる気がする
それはそうかもしれない
悪い例に当たりすぎなんじゃないかって気持ち
なくもないですけど
でも確かに話の本筋とは違うところで
込み入れる人はいるんですけど
手段の目的化をオウム返しというか
テンプレのように指摘する人っていうのは
僕はあんまり見たことないですね
その指摘って結構辛いじゃないですか
例えば目的セットで語ってるのに
それ言うとしたら外してることですし
目的こうですよって言った時に
自分がそれらが理解できてないと
露呈してる話にもなるんで
安易に使えないような話かなって気がしますけどね
多分別の目的あるんですよね
ってことは自分の目的と違う目的をセットしてるとか
そういう話になっちゃうんじゃないですか
そういう話とかだと思うんですよ
それはありえますけど
目的が何でそれなんだっけって確認をすればいいのを
手段となってるだろうってとこまで
言わんでもええじゃないかっていう感じですかね
それはそうですね
手段と目的の関係性
堀さん言ってくれたのも全然あると思うんですよ
目的見失っちゃってるやつ
そっちの方が多い気がしますけどね
そっちの方が個人的には多いと思います
なのでちゃんとセットで考えようねって
若干指摘する側の話に振っちゃったんですけど
意識的には2個ちゃんと考えようねだと思って
結構多いですよね
多いのとあと抽象度のコントロールはちゃんとした方がいいですね
売上を上げるためにAIを売れるんだみたいな
飛び方されちゃうと何でやるってなるので
それはロジックジャンプしてるってやつですよね
2個の関係性で成り立つのは事実なんですけど
距離が遠すぎるとよく分からないっていう状態になる
これは抽象度コントロール的に
いきなりすごい細かい話に落ちてるから
え?みたいになるやつですね
それもありますね
急激に目的をすごい抽象度高いことを
言う人いるじゃないですか
そのやり方とか段取りとか
細かいことを説明したりとかすると
そういう話になりがちかもしれんですね
本当に目的考えてるって思うのはたまに
それはありますよ
目的を与えられてる場合は
そういうことは多いかもしれないですよね
あと目的が抽象度すごい高いやつ
それもありますね
成果物の目的の一意性
利益を上げるためですとか
それはそうでしょうけど
NOって言えないような大目的
急にドンって言ってきて
そのためにこれやる
そこの間は飛んでるよねみたいな
新事業とかもそうじゃないですか
新しい事業の柱を作らなきゃいけない
それを作るぞっていう話で
新事業やるって時に
例えばビジネスコンテストだみたいな話になると
それが手段としていいんだっけみたいな話とか
ありますよね
そこは結局丁寧に落としていかなきゃいけない部分なんですけど
その辺りって
何でしょう
自分なりの言語化してない場合は
結構そういうことは起きるかもしれないです
確かにこれもありますね
指摘受けて
その指摘のことを学面通りとか
そのまま受け止めちゃうと
それが目的になるんですけど
その目的自分で腹打ちしてないから
どういう手段とくっつけるかっていうのも
言われたことじゃないと不安になっちゃうとか
それで正解を求めに行く行動に近いと思うんですけど
その手の話って正解ないから
納得回を作りに行こうがいいんじゃないかなと思います
そうすると言われた目的にひも付いた
自分なりの目的があり
それに対するアプローチを取れば
そんな変なことにならんかなって気がしますけど
そうですね
話してて思ったのは
目的側の認知をしっかり持つ方が大事ですよね
おっしゃる通りで
手段なんて別にいっぱいあるんで
それがいいかどうかは
多分好みもあるじゃないですか
そもそも議論が進まないのって
目的ずれてる方が進まないじゃないですか
そうするとなんだっけって話で
潰れちゃうんですけど
手段がずれてる分には
それが本当にいいのみたいな話とか
こういうこと考えたとかはあって
じゃあそれで違う方向に行きましょう
っていうのだと進んでるとは思うので
目的ずれると結構辛い
若干ずれるかもしれないですけど
プロセスも目的が必ずあるっていう
話をしたんですけど
表裏一体で成果物も基本必ず目的を持っている
アウトプットされるものですよね
そうですね
実際業務やってるときに
その成果物の目的が
途中で変わったりする場合が
あったりするじゃないですか
誰向けの資料をまとめさせられてたりとか
販売向けの資料とか
それはそうですね
そもそも何でしたっけこの資料とか
途中から変わって
これにも使う客にも持ってくとか
急にあれそもそも客に持ってくものでしたっけとか
いや迷子になってるパターンもよくありますけど
個人的に良くないなと思うのは
これで持ってきますみたいな完成形で
社内の人とか関係者に見せるっていうのは
好きじゃないんですって
完成形をこういう設計図で作りますっていう
社内で合意すべき内容を
本当は目的として作って
そこから本当に持ってく人
相手の内容を想定して作るっていう方が
いいなと思うんですけど
そこを端折っていくことが多いので
なんかずれるなっていうのを言うなと思います
業務プロセス設計の観点から言うと
基本的にそれってこの成果物は
こっちにもあっちにも使えるよねって
言ってる方が起こる
そうですね
基本的には一つの成果物は
一つの目的にしたほうがいいんです
そうですね
それが理想ですよね
わかります
一個のものに複数の目的を与えてしまうと
ずれるんですよ大体
だからその辺はプロセスを作るときに
気にしなきゃいけないポイントかなと
よく業務とかでもこれはあれにも使えるから
こっちに持ってこみたいな話し始めると
なんかわけわかんない
そうですよね
盛り盛りの資料ができて
いろんなことが丸まっちゃって
シャープなメッセージがなくなっちゃうとか
はよくありますね
そうですね
そこは気をつけなきゃなと思う感じの
資料の話になっちゃいましたけど
まあまあよかったかなと思います
この辺で今日はと思います
ありがとうございます
ありがとうございます