2022-03-01 12:17

ヤッホーブルーイング編2|ヤッホーの暗黒時代

発売以降、地ビールブームの勢いも手伝ってか大人気となったよなよなエール。しかし、地ビールブームが一巡したタイミングで、売上は急降下。さらには、せっかくつくったビールを排水溝に流すという事態にまで陥ります。一体彼らに何があったのか?ヤッホーのダークサイドに迫ります。

協力:株式会社ヤッホーブルーイング
ナビゲーター:倉嶋かれん( 東宝芸能)
プロデューサー:富山真明(PitPa)
制作:株式会社PitPa

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よなよなエール
水曜日のネコ
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サマリー

ジビールブーム崩壊後、ヤッホーブルーイングはコンビニからの発注を得ますが、追加注文はありませんでした。そのため、在庫がたくさん残り、売り上げも振るわず倉庫が満杯になりました。この状況により、暗い雰囲気が広がりました。代表の星野義晴は井出直幸に対し、諦めずにもっと頑張ってみましょうと励ましました。さらに、一緒に湯河で釣りをしましょうと提案しました。

ジビールブーム崩壊
時は2000年を過ぎた頃、ジビールブームは完全に崩壊し、多くの醸造所が窮地に立たされました。
星野リゾートの星野義春代表を率いるヤッホーブルーイングも、その例外ではありません。
なんとか既視改正を狙い、様々な策を打ち出す中で、一筋の光が差し込みました。
大手コンビニチェーンから、発注を取り付けたのです。
みんな喜んでたと思います。これはチャンスだなんて、いう感じで、ちょっとこう、なんて言うんでしょうね、危険だとか不安を感じる雰囲気はなかったと思いますね、当時は。
お祝いムードが漂う一方、気がかりな点もありました。
コンビニなどで、欠品はしてはいけない。欠品すると、いろいろペナルティがある。
先方からもわからないなりに重要予測が来ている。その重要予測は作っていかないといけない。
このため、売れたらすぐ発送できる体制を整えるべく、生産設備をフル稼働、在庫を潤沢に用意し、万全の体制で発売の日を迎えます。
ヨナヨナエールは無事、関東のコンビニに陳列となりました。
しかし、追加注文の電話は一向にかかってこないのです。
実際蓋を開けてみると、需要予測が大外れで、全くリピートが来ない。
でも、余ったビールをどこかに持っていくほどの販売力もないので、結果的には在庫のビールが山ほど残り、
あとは、そのコンビニからなのか、そういうタイミングもあったのか、返品とかもかなり返ってきていた記憶があるので、在庫が山のように残ってしまったということですね。
コンビニ各店舗の売り上げは、かんばしいものではありませんでした。
待てど暮らせど、追加注文はやってきません。
倉庫をしている間に、醸造所ではフル稼働で仕込んだビールが完成し、どんどんと倉庫を埋めていきます。
ビールは、酵母によって長い時間かけて作り出される生き物のような存在。
製造は、そう簡単には止められないのです。
倉庫がいっぱいになり、ついには入りきらないビールが野晒しに並べられるようになってしまいました。
これはもう便利に捨てる機械とかもないし、再利用もできないんですよね、ビールって。
缶に詰めたら、一本一本プシュって開けて捨てるしかないんですね。
一本一本プシュって開けて排水口に流して捨て続けるという作業を、仕事の合間に全社、当時10人、10何人いたんですけど、
みんなで手分けしながらビールを排水口に捨てていったという対応をしました。
先頭に立ってビールを捨てていきましたね。非常に虚しいというか悲しい作業でしたね。
これには種税法が大きく関係していました。
酒造メーカーはお酒を醸造すると税金を国に納めます。
製品が売れず廃棄した場合、支払った税金は戻ってくる仕組みになっているのです。
すでに支払った税金を取り返すには、廃棄するより他に方法がありませんでした。
社内の空気はますます悪くなっていきます。
もともと夢とか希望にあふれて入社してきているメンバーばかりなので、
年も近いスタッフが多かったので、とても仲良くて活気もあって、
一緒に冬場もスノーボードによく飲みに行ったりしていたのが以前で、
売れなくなっていったり、売れなくなったので廃棄ビールも出てくると、
それがだんだん険悪な暗い雰囲気になって、長いこと続いたのです。
結局数年間そういうような溜まったビールも空き時間にしていて、
3、4年くらいはビールを忘れ続けていたと思うのですが、
その間に暗い疑心暗鬼になり、製造は営業が売ってこないからこんなことになる。
営業は製造が美味しいビールを作らないから売れない。
社長がそもそもここにいないからダメなんだ、
こんなビールはそもそも日本で売れるはずがないんだ、
みたいなことを正面から言うんじゃなくて、
しかもそういうのを陰口みたいな形で、
自分たちがいないところでうさまらし的に、
人がいないときに誰かの悪口を言ったりみたいなのがはびこっていて、
そういうのを人づてに聞くと、
日頃そんなこと言ってないのに裏ではそんなこと言ってるんだ、
みたいなことが前者的に広がっていて、
とても暗い、本当にどん底の雰囲気が数年間続きましたね。
暗い雰囲気と励まし
中堅社員の井出はどんどん追い込まれていきます。
一方、代表の星野義晴は当時リゾート再生の受け負い人として、
テレビや雑誌で華やかに取り上げられるようになり、
ヤッホーのために削る時間は限定的になっていました。
星野は創業社長なんですけど、
ただ本業の星野リゾートの仕事が、
我々が盆族になったときと同じくすごく業績が良くなって、
知名度が上がって全国にいろいろホテルを建てたり買収したりするような時期になっていたので、
ほとんどビール事業には携わらなくなったんですよね。
めったに来ないし、大きい会議のときは会社に送るんですけど。
そういうこともあって、どうしたらいいかわからない。
目の前の仕事を一生懸命やって、
排気ビールも一生懸命頑張って捨ててたんですけど、
なんせスキルも経験もないので、
途方に暮れて、どうしたらいいかわからないけど、
ただやれることは頑張ってやってて、
もう答えがない迷路に入っている、そんな感じでしたね。
星野にどうしていいかわからないで助けてくださいみたいな、
泣きを強烈に入れた、そんなことがありましたよね。
すると、星野代表は、ある一軒のタイ料理レストランを指定してきたのです。
私と星野の家、意外と近かったんで、
近所のタイ料理屋に行ったことないんで、
あそこでお話をいろいろ聞かせてよって言って、
そこに行ったんですよね。
確か他にお客さんがいなかったところで、タイ料理を食べながら、
私がいろいろ不安なことを伝えたり、
思っていることを言うんですけど、
特に星野は、別にそれで解決策を伝えるべく、
何か指示してくれるわけでもなく、
私が言っているのを聞いたり、
あとは世間話をしたりしながら、
それでその回は終わったんですよね。
家に帰って一息ついた井出直幸は、
あることに気がついたと言います。
基本的には、いろいろ不安な思いを星野に聞いてもらったので、
とてもすっきりはしてたんで、
その後思ったのは、
星野から具体的に指示とかあるのかなと思ったらない。
これは私がめいっているんで、
ガス抜きをしてくれたのかなと、
そんなふうに感じましたよね、当時は。
翌日、井出は星野に一本の電話を入れました。
その後、やっぱりどうしたらいいかわからないので、
酒屋さんとかもビル売れないし、
4年なら使わないと言うし、
スタッフもどんどん辞めていくし、
本当にどうしていいかわからないんで、
これはこのままで大丈夫なんでしょうかって、
改めて彼に伝えたんですよね。
まだ骨組みだけの醸造ショー前に、
どんどんと夢が膨らんでいったこと、
スタッフたちと満面の笑みで挨拶をしたこと、
初めてヨナヨナエールを飲んだ時の感激、
星野と電話で話すうち、
ヤッホーとの様々な思い出がよみがえってきます。
すると、星野代表は井出にこんな声をかけてきました。
まだ諦めるのは早いんじゃないかと、
やれることまだあるんじゃないかと、
とことんやってみようよと。
とことんやってそれでもダメなら、
授業をたたんで2人で湯河で釣りをして、
寄生を過ごそうみたいなことを、
そんな趣旨を言ってくれたんですよね。
そこでびっくりしたのは、
こんな状況になっても彼は諦めてないんだと。
当時から優秀だったので、
そんな尊敬する星野が、
これは諦めてないんだと。
しかもとことんやっていいんだと。
まだ確かにとことんと言われると、
そこまでやってないかもしれない。
じゃあとことんやってみるかと。
そして湯河というのは、
星野リゾートを流れている渓流で、
私の一番の趣味が渓流釣りなんですよね。
そして星野は釣りなんか興味ないし、
やったことないんですよね。
そんな言葉をかけてくれたので、
私もこれで腹をくくって、
このビジネスに、
このYahoo!ブルーイングのビールに、
人生を賭けようと思ったんですね。
星野に一緒に釣りをさせるわけにはいかないと。
自分がなんとか、
そこまでとことんやっていいと、
お墨付きをもらったんだったら、
本当に人生を賭けて、
とことんやってみようというふうに、
すごく策があるわけではないんですけど、
気持ち、マインドを前を向くようにしてくれたっていうのが、
その時の星野の言葉をきっかけに、
その後の前向きな行動につながる、
すごくいいきっかけにはなりましたね。
会議室を出ていくときに、
これも絶対ダメだからないってさと思って、
いやいや、そんなこと言ってるから、
世の中の人はこんな手たらくなんだ、
みたいな感情的に、
星野に対してすごく無礼な発言をして、
そしたら彼も人間だと激怒して、
お前なんてこと言ってんだ、
もう一度言ってみろ、みたいな、
そんな子供の喧嘩みたいなことがそこで始まって。
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