CRA出しRADIOは、様々な手法で物を生まれ変わらせるコレクティブ、ConCRAのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAのしほです。
うみです。
岩田です。
よろしくお願いします。
民芸界の2エピソードを終えまして。
そうですね。シーズン4が定常運転化しつつあるというか、別に聴いてる人は関係ないのか。僕らの感覚の感じかもしれないですね。また収録があるライフスタイルだなっていう感じですね。
やっぱりさ、シーズン4になってきて、もう3年目じゃん。この前ふと思ったんだけど、やっぱりお休み中つまんないんだよね。収録休んでる間が。
そういう感覚あるんですね。
実際そのネタを探したりとか調整とかほとんど岩田さんやってもらっちゃってたところが今まであったけど、結局なんかそれで自分が触れたことがないこととか知らなかった人たちとかにやっぱ話を聞けるっていうのはすごいラッキーなことだなって思うんですよ。
本当ですよ。だから僕らもっと岩田さんに感謝しないといけないんですけどね。
知ってるし。今言ってんじゃん。
シーズン4はちょっと違いますからね。
しほさんコネクションの企画も登場してまいります。
楽しみですね。
まだ誰って言えないけど、私が師匠って呼んでる人とかにお願いして楽しみです。
今後期待ということで。
今日は引き続き3人会なんですけど、ちょっと僕の方にバトンを渡してもらって。
しほさんと同じで、倉田白石を休んでると結構インプットの精度が落ちるというか。
そういうのあるんですね。
あるんですけど、その中で話せることというか、めっちゃ話したいことっていうのがあるにはあったんですけど。
これ倉田白石を話す話かなっていう迷いも結構あって。
むしろオフの状態で2人とも脱談で喋るぐらいの話かなとか思ってたんですけど。
何かしらちょっと倉田白石的に話が広げられそうな頭の整理が僕の中でもできたので。
今日はこんなテーマを持ってきました。
ドーンとテーマを発表するみたいな感じでもないんですけど。
安彦よしかず。
って言われてピンとくる人がどれぐらいいるかわからないですけど。
安彦よしかずさん。
誰ですか?
いいですね、しょうさんの素朴な。
一番多くの方に知られている作品で言うと機動戦士ガンダムのキャラクターデザインと作画監督をした方ですね。
すごい人じゃないですか。
すごい人ですよね。
アニメーターもやられてたんですもんね。
アニメーターとして一般にはキャリアが知られている方で。
40代くらいから30代くらいアニメーターをやりながらスタートしているはずなんですけど。
漫画も描いていて、40代以降は専業の漫画家としてやっているという方です。
昔のアニメーターって今みたいに便利な機械とかもないじゃん。
便利な機械とは。
3D CGは少なくともないですよね。
絵の人っていうイメージがあるんだけど。
コンピューターがまずないですよね。
手で描ける人。
手で描ける人。
こういうポッドキャストっていう場で安彦さんのことを喋るのに、いい機械だなっていうのが一つあって。
今ちょうど兵庫県立美術館で、
「描く人安彦義和展」っていうのをやってるんですよ。
タイトルまんまやん。
タイトルまんま。
これきっかけで安彦さんにハマってるとかではなくて、
5月ぐらいにたまたま寄った本屋で、
安彦さんの辞典が置いてるのを見かけて、
別になんの気なしに買ったんですよね。
原点っていう辞典なんですけど、2017年ぐらいかな。
すごく分厚くないですか?今読みたの。
結構分厚いけどね、割と2日ぐらいで読みましたけど。
読書慣れてるんだろう。
面白いんですよ、これが。
これが面白くて。
安彦さんの漫画、僕、天の結末脈っていう漫画は、
連載時にリアルタイムで読んでたのがあったんですけど。
さっき言うと、天の結末脈っていう漫画が、
めっちゃ大傑作やと思ってめっちゃ興奮して読んでたんですけど、
エンディングが、え?何それ?っていう感じの終わり方で、
あまり詳しくは言わないですけど、
キャプテンアメリカオチみたいなエンディングですね。
それは想像してもらったらいいんですけど。
すんごいがっかりした思い出があって。
あんまりいい思い出じゃないかね。
めっちゃ面白い。なんでこんなとこで終わるの?っていう感じで。
ちょっと分かんないんですけど、なんであの終わり方をしてるのか。
それで結構、それ以外の靖子さんの漫画に手を付けるっていうタイミングがなくきてたんですけど。
結構ダメージでかかったね。
そういうのってダメージでかいですよ。
それが2015、16年かな。
だって漫画家との信頼関係だからね。
たまたま何の気なしに買って読んだらめちゃくちゃ面白かった。
そこから漫画買い集めて読みまくってたところに、
普通にネットで検索したら展示がやると。6月から。
兵庫県でね。
俺ら見習わんといかんのは、岩田さんのお住まいの伏見から兵庫まで行ったるぞっていうところの、
俺ら前々回話してた、歩いて15分の世田谷美術館にめちゃめちゃ腰が重かったっていう。
近すぎた。
そういうフットワークを繰り出したわけですよね。
ちなみにこの展示が6月8日からスタートして9月1日まで。
だからアフロミンゲート終わりと一緒ですね。
アフロミンゲート、串雲。
まだやってるので、このエピソード聞いて興味を持たれた関西近郊の方、関東の方でも行ってみていただくといいかなと思うんですけど。
これって前の話で言うと、いわゆるブロックバスターってことになるんですかね。
毎日放送とかもスポンサードしてる。
それブロックバスター感感じますね。
メディアが共済してるっていうのは山本寛さんの著作によればある強めの条件だった気がしてますね。
そうなんですね。
ブロックバスターかも。
コンテンツを使ってもいいよっていう、そこにお金かかんなくていいってことだよね。
まず一番大きいの。
普通借りたいとか、保険かけたいとか、いろいろ契約したりしなきゃいけない。
そうだけど、一応僕もこの収録にあたって岩田さんからお借りしてる安彦さんの漫画何点かあるんですけど、出版社は結構またいでますよね。
徳間書店だったり、KCDXだったりするんで、高段車だったり。
ライツの話だけで言うと、一社でまとまる感じはしない。
それはそれですかね。
ちなみに原点って本はいつ出たんですか?
これ2017年とかなんですね。別に新刊とかでもなく、たまたま置いてあったっていう感じなんですけど。
たまたまエンカウントで結構ハマるっていうのが、この間のカムイでもそうだったんですけど。
金沢の銭湯でたまたま。
よく覚えてますね、そんな話。
面白いと思った点とか聞きたいけど、いきなりそこに行くんじゃなくて、面白い、どういう人かっていうのを聞いた方がいいなと。
この描く人、安彦義一も見に行ってきたんですけど、6月に。
年齢的には一回り上の友達がいて、その友達が安彦さんの息子さんと小学校の時同級生で。
安彦さんがガンダムまだやってた時に、安彦さんから直接絵描いてもらって持ってるっていう友達がいて。
彼と2018年とか19年にも、実は兵庫県立美術館で富野由悠季展というのをやってて。
ちなみに富野由悠季はガンダムの監督です。
何その兵庫県。
兵庫県の、しかもファースト目のガンダム。
何か理由はあるの?
何でしょうね。
分かんないですけど、ちなみにそのご友人の方って所沢出身とかですか?
小学校の時にそこにいたっていう。
所沢は西部ファンですね、たぶん。
なのかな、分かんない。
絶対そうは分かんないけど、今偏見が。
そうですね、名古屋だったらドラゴンファンみたいな、すごい勝手な乱暴な言い方でした。
もう行ったんで、一緒に行きましょうって言ってきたんですけど。
漫画を結構一気に買い集めて、バーッと読んでるのに、
その展示での情報のインプットとかもあって、
なんとなく僕の中で、倉田氏ラジオ的にお二人と話したいなっていう論点が3つぐらい出てきたんですけど。
ちょっと先に言っときますね。
一応僕、ワンエピソードぐらいで終わらせるかなと思って持ってきたんですけど、
なんかちょっと無理そうな気もするんで、ある程度リミッターをお二人にかけてもらうためにも。
この話といえばっていうね、思い出して。
私リミットできない。
まあ確かに。
一応一応。
司法さんに安彦さんってそもそもどういう人みたいなことを紹介するっていう意味合いでも、こういう順番かなと思っているのが、
まずアニメーターから漫画家になった人なんですよね。
僕、シーズン3のちょうど同じタイミングですね。
思いつくのって宮崎駿ぐらいかなっていう。
本当にそういう感じはする。
と言っても宮崎駿を直しか読んでないですけどね。
しかも彼は元々いきなりアニメーターじゃなくて、漫画からじゃなかった?
いや、アニメーターからですね。
じゃあそういうのか。
なるほどね。
だからその辺がどのくらい特殊なことなのかも、あんまりよくわかってない中ではあるんですけど、
何にせよ、蔵出しラジオなんで、産業の中で作るみたいなことのあり方みたいなのの、
そこで見えてくるものとかが、話せたらいいなって感じです。
ちなみに今回の兵庫県立美術館の展示も、もし可能ならお二人もタイミング見つけて9月までに足を運んでいただけるとすごくいいかなとは思うんですけど、
今回の展示が、本当に安彦さんが北海道の縁軽っていうところの出身なんですけど、
そこで中学生の時に書いてた授業の整理ノートみたいなところが始まるんですよ。
授業の整理ノート?
それ超見たいな。
確かに。
それが結構すごいんですけど、そこから。
何の授業の整理ノート?
歴史とか科学とか。
普通に自分が授業を把握するために取ったノートじゃない?
それをほとんど漫画みたいにして、漫画というかイラストとして戦国時代の大名の構図みたいなものを漫画タッチで整理するみたいなことをすでに中学生とかでやってるんですけど。
私もやってたけど、怒られた先生に。
前田利恵と信長が主導の関係にあって。
授業中に絵描くなって怒られた。
それ普通かもしれないけどね。
先生がそれを許容してた。
確かにそうですよね。
お前何やってんだってことがないから、ノートが展示されるに至っている。
それが今に至っている。
本当にまだ何物でもないというか、学生時代の中の展示の中で、結構もうここですでにすごいなっていうのが、
大学、弘前大学というところに行くんですけど。
大学受験中に高校3年生の時に書き始めた長編漫画っていうのがあって。
遥かなる田穂川の流れっていう漫画なんですけど。
スペインのスペイン内覧をテーマにした漫画なんですよ。
マジか。ピカソが戦争と平和じゃない、ゲルニカでテーマにしてるスペインの内戦ですね。
前後編のかなりの長編で、もちろん全部は見れないんですけど、一部のページを紹介してるだけなんですけど。
高校生の時点でスペインの内覧をテーマに漫画を書こうっていうテーマ選びが激渋というか。
激渋ですね。僕も高校の時に漫画を書いてましたけど、
時代もあって普通の自分も知りもしないリーゼントの不良ものを書いてましたもんね。
そういうレベルでしょ。10代が書きそうなことって。
そうですよね。友達に頼まれて恋愛モノマンが書かされたことある。
石尾さんも?
そのクオリティーが、かなり手塚治虫の影響とか横山満輝の影響とか、もちろん先人の影響を受けるのは当然なんですけど、かなり手塚っぽい感じなんですけど。
映画的なコマのコマ運びみたいなものとか、めちゃくちゃ熟練してるっていう感じなんですよ。
漫画的じゃなくて映画的?
僕は84年生まれですけど、漫画の世代的にはジャンプ前世のスラムダンクとかユーユーハクショとか、
ロクデナシブルースとかが一番ジャンプ売れてたぐらいの時期が小学生とかだったんで、
その辺通る世代ではあるんですけど、小学校の時一番フェイバリット手塚治虫さんもやったんで。
それもだいぶですけどね。岩高いってのがいるんじゃないかって思う。
いや別に大した話出てこないですけど。
だから手塚治虫さんの漫画は結構読んできてるんですけど、手塚治虫さんの書き方自体が結構映画っぽいんですよね。
カメラの位置みたいなものを意識させるっていうと変だな。
あんまりちょっとうまく説明できなさそうなんでやめときますけど。
だから手塚治虫っぽいんですね、たぶん。そういうところも。
カメラ視点のフレーミングができてるってことだよね。
手塚治虫大量に著作があると思うんですけど、どれ?
初期、なんとか太平域とか、地底の街じゃないわ、メトロポリスとか。
学童向けの、あんまりシリアスじゃない学童向けの頃の手塚治虫ですかね。
そうですね。なんですよ。だから喋ってる人をコマに出して、次も喋ってる人をコマに出してみたいなことじゃなくて、
引きの絵があったり、寄りの絵があったりみたいなことをうまくやるみたいな。
だから漫画家志望ではあったわけですよ、もうすでに。それだけの長編を書くぐらいに。
高校生の時の前編後編って書いてあるスペイン内戦の話はどのくらいの長さだったの?
全南平時代なんか、本にしてほしいですけどね、むしろね。
で、弘前大学に行く前が北海道で、弘前大学はダザイ・オサムとかを排出してる大学ですね。
ああ、そうなんですね。
地味に。
地味に行くっていう。
ちょうど大学に進学したタイミングっていうのが、学生運動真っ盛りのタイミングなんですよね。
4回生とかの時に安田孝道とかがあったっていうタイミングになります。
安田孝道は68年?
9年とかですかね。
だから66年入学とかで、60年代後半の一番学生運動が盛り上がってる時に大学生だったみたいな感じ。
そこで弘前大学の全京都のリーダーになるんですよね。
面白いですよね、このエピソード。本当に面白いですよね。
なんですけど、この時点に詳しいんですけど、田舎なんで全京都出ても数人しかいないんですよ。
そうなんですか。
ジグザグ行進みたいなデモやろうとしても、人数少ないからジグザグにならないみたいな。
確かにね。三角形しか作れない。
どっか立てこもるのかな、弘前大学。
この辺の細かい話は事前に読んでもらうとして、逮捕されるんですね。
バリケード封鎖して。
数人でやるんですね。
それもバリケード封鎖したはしたんですけど、別に実は教師との暴力的ないざこざがあったとかは全然なくて、
平和的に解決したけど、流れ上逮捕されたみたいな感じなんですよね。
示しをつけんと。
ただ、仲間うちの中には東京までいて、それこそ東大に籠ってたっていう仲間もいて、
それは結構長い間で拘留されたりとかっていう。
中で自分はそこにはおらず、田舎で何もしてない状態で捕まったみたいなことになったので、
本気で東大に行って捕まった人たちへの後ろめたさみたいなものもあって。
そういえばWikipedia情報ですけど、高校時代に既にご友人というかクラスメイトが、民生の方がいたんですよね。
民生って何?
民生っていうのは、共産党の青年団みたいな。
そこに何か手伝ったりしてるうちに、そんな単純なものじゃないと思うんですけど、
左傾化していったっていうようなことがちょっとチラッとWikipediaでは読みました。
あとそのぐらいのタイミングってやっぱりベトナム戦争があって、
日本の若者として結構リアリティがあったのは、日本の基地から米軍が実際にベトナムに戦闘機が飛んで行ったりとか、物資が運ばれていたりとか、
それでいいのかっていう。だからそのベヘイレンと全共闘ってまたちょっと違うとは思うんですけど、
安彦さんはベヘイランで、事例も内容を忘れかけてるんであれですけど、そっちの流れもあって、
必ずしも医療技的な話ばっかりではなかったんだろうと思うんですけど、
いずれにしても学生の身分で逮捕されちゃったんで、大学退学して。
逮捕されたから逮捕?
自分で大学を選んだみたいですけどね。
大学じゃなくて一応助手席って書いてあったから。
助手席か。
なんでその違いは?
うちの父親も大学じゃなくて助手席なんで、
違いはよくわかんないんですけど、助手席は学歴にならないってことは聞きました。
中退は学歴にかけるんですけど、助手席はうちの父親も、
学費が払えずに席が取り除かれたとか、そんなような理由によって、
中退は農道的に中退届を出すわけですよね。
そういうような違いだったような認識でした。
でも安彦さん助手席って書いてありましたね。
そこから先の細かいところはあまり話してると先に進まないんで、
そこから上京して、ちょっと印刷工みたいな仕事をしたけど、
ちょっとこういう仕事向いてへんなみたいなことで、
虫プロってとこがアニメーター募集してるらしいと。
アニメとかはほとんど見えへんけど、絵描けるしなんとかなるやろうと思って、
上尺寺かどかその辺の駅まで着いたら、
もう駅から虫プロまで行列ができてると、応募者で。
駅から。
無理かなと思って行ったんですけど、そこで出したのが、
遥かなる太平洋川の流れなんですよね。
高校の時に描いた絵を持ってったって書いてありました。
アニメとかよくわからんけど、こんなの描いてましたみたいなので、
持ってったら合格という感じで、
だから別に何の志もなくアニメーターになったっていうかね。
食いぶちを見つけるために。
虫プロ行こうと思わないよね、まず。
それもなんか、虫プロの球場を探してたっていうよりは、
人から聞いたとかなんか見かけたとかそんなんで応募したっぽいんですよね。
有名だから、一応情報が入りやすかったし、
一旦そこ攻めてみたりとか。
あとは大学もクビになっちゃったし、
とはいってもなんか食っていかなきゃいけないっていうところで、
普通に食探ししてたんじゃないかっていう感じでしたけどね。
だからまあ本当に流れでアニメーターになったっていう感じなんですよね。
虫プロはアニメーションだけなの?漫画とかやってないの?
虫プロは、一応日本のアニメーションで言うと、
1963年の1月1日に鉄音アトムが放映されたのが、
日本のテレビアニメの一番最初なんですよね。
それが手塚治虫プロっていう会社が作ったアニメで、
虫プロはだから、ただ手塚治虫もあんまり再三のことを考えずに、
売れない作品とかバンバン作るんで、
倒産しちゃうんですよね。
72、73年くらいに。
だから安彦さんもそんなに虫プロには長くいなかったんだと思います。
聞きたかったのが、虫プロになんで残んなかったっていうのが気になったんですけど。
それはさておき、とりあえず駆け出しを虫プロで過ごしたってことですね。
最初のアニメーションの作法を虫プロで学びましたっていう感じかね。
その虫プロの先輩にガンダムの監督の富野由志子もいたと。
そこが繋がるんだね。
というか多分今みたいに、そんなにプロダクションの数がないから、
すごい血の濃い世界だとは思うんですけどね、アニメとかもね。
そう考えたとき、手塚治虫の功績すごいね。
まあまあ確かに。
見れない作品いっぱい作ってたときでも。
何に作用するかわかんないですからね。
ちょっとすっ飛ばしますけど、そこからフリーのアニメーターとして、
いろいろヤマトとか宇宙戦艦ヤマトとか関わったりとかして。
マジか。
その後に関わったのがガンダムなんですよね。
私ヤマト大好きで。
あ、そうなんだ。
そこ掘り下げる癒された。
いいです。
大好きっていうぐらいのことって。
ガンダムはあんまり好きになれなかったんですよ、ストーリーが。
ガンダム、お兄ちゃんが見てるから横で見てたんだけど、
なんとなくストーリーが自分の中でスッて入って、
モヤモヤして見てた。
いやいや、チャンネル争いが兄に負けるからしょうがないから見てるみたいな。
そうですね、ヒエラルキが。
ヤマトの方はすごい見ててワクワクした。
どっちかっていうと、でも塩さんあれじゃないですか。
松本玲司で言えば鉄路に似てるって言われる方が、
よく塩さんから聞く松本玲司話ですけど。
そうだね、キャプテンハーロックとかは。
初恋の人なんですよね、確か。
見てるって言われたやっぱり。
メイクじゃなくて、鉄路側の方に女性で似てるって言われちゃうキャラ。
顔はね、自分で言うのなんか似てるなって思うんだけど。
キャラもね。
キャラも似てるって感じですね。
松本玲司のアニメーションの仕事も通過した安彦さんが、
いよいよガンダムに取り組んでいくわけですよね。
すごい人だね。
重要な作品に関わりまくってるじゃん。
その当時の。
そうですね。
その当時は、安彦さんってすごいねっていう感じの、
なんていうの、著名度というか。
その辺結構アニメの産業みたいなところと関わるところなんですけど、
ちなみに機動戦士ガンダムの原作者って誰って言われたら知ってます?
知らなかったんですよね。
八立はじめっていうことになってます。
知らない。
知らなかった。
これね、機動戦士ガンダムシリーズでずっと今まで続いてるじゃないですか。
原作者のところ必ず八立はじめって書いてあるんですよ。
これ、実在しない人です。
そうなんですか。
実質的に機動戦士ガンダムの細かいストーリーとか設定とかって、
全部富野監督が作ったものなんですよ。
そこに、当然毎週毎週1年間50話作り続けないといけないので、
その中の細かいストーリーとかって、当然チームで作っていったりするじゃないですか。
例えばガンダムで言うと、メカニックデザインは大河原邦夫さんという人だし、
キャラクターデザインは安彦さんだし、
全体のストーリーラインは富野由悠季という、
ざっくりとそういう編成ではあるけど、
一応原作者は八立はじめっていういない人になってる。
これってどういうことかって言ったら、
この著作権が、この著作物の印税が入ってくる人が、
3人にも誰にも入らないんですよね。
えー、どうなってんの?
それは今、バンダイの子会社みたいな。
だから安彦さんも大河原邦夫くんみたいなもんやって言ってましたけど、
だから売り切りなんですよ。
だからほら、アニメの作家って先生って呼ばれないじゃないですか。
漫画の作家って先生って呼ばれるけど。
これでもあれ、コンクラ的に言うと、
すごい職人がすごい仕事してても前に出ないし、
そういうもんでもないみたいな。
だからアニメのオタクみたいなものがカルチャーとして成長するまでは、
多分そこに誰も注目してないっていうか、
今回の脚本この人だなとか、
作画監督安彦さんだなとか、
多分それこそガンダムぐらいから、
それが視聴者の、特に若年層よりちょっとハイティーンというか、
その後オタクになっていく人たちから、
作り手が注目されるっていう流れができると思うんですけど。
ちなみに今話してるので、同時代で、
それこそ宮崎駿とか高畑勲とかっていう人たちが。
同時並行して仕事してました。
僕はガンダム作ってるサンライズって会社ですけど、
東映動画からの流れで、
アルプスの少女ハイズとか作ってる。
未来少年コナンとかやってるんですよね。
だから宮崎駿もやっぱり監督ですもんね。宮崎監督って言うんですもんね。
確かに。作家というよりは監督という呼ばれ方しますもんね。
今回兵庫県の展示でスペース割いてやってる中であったのが、
ガンダムの絵コンテとか原画の展示なんですけど。
ちなみにアニメの絵コンテとレイアウトと原画と動画って分かります?
絵コンテと原画と動画が分かんないんですよね。
絵コンテと原画の違いぐらいは分かるんですけど。
昔広告の仕事してた時にアニメーションプロダクションをやった時に。
ストーリーラインとかは下書きみたいなのを絵コンテ。
原画は適当に書いた丸とか三角、人この辺みたいなのからちょっと書き込みしたのを原画。
それをセル側にする原画と次のシーンの間を埋める絵を描く。
アニメーションを描くってこと?
それが動画ですね。
僕が思い出す限りはシーンの数の背景画をまず作ってたんですよね。
何シーンって決めて背景をちょっとデカめに。
確かに塩さんが言う通りそこの上にキャラを乗っけていくっていう。
そんな工程でしたね。
当時だったら何フレームだろう?24フレームも撮ってないっけ?
17フレームかな?
いや、ちょっと待って。そこ大事。
お金かかるからフレーム数を減らす。テレビのアニメーションを減らさないといけない。
口だけ動いてるやつ。
これも鉄顔サムなんですけど、一番大元はリミテッドアニメーションっていうのを、鉄腕アトムをテレビ放映するときに採用したんですよね。
ディズニーとかが作ってるのはフルアニメーション。1秒24コマですけど、それを8枚。
1秒当たり8枚にしたっていうのが鉄顔サムがやりだしたこと。
脳の補完能力にすごい挑戦的な。
だから口パクパクさせてるだけみたいな。
セリフ当ててるだけみたいな。
このリミテッドアニメーションの中でいかに人をリアルに動かすかみたいなことなんですよね。
安彦さんは絵コンテだけ担当してる回もあれば、原画描いてる回もあって、みたいなことなんですけど。
ショウさんがおっしゃった通り、絵コンテはざっととがきと合わせてカメラの動きとかを指示するもので、そこから一つ一つの原画を描くっていうところ。
原画と原画の間の動きをつなぐのが動画マンで。
動画マンが一番下っ端で、とにかくトレースして少しずつ動かすっていう絵を描いていくっていう流れ作業ですけど。
それのいくつか展示でもあったんですけど、特にハクビだったのが、アムロとシャアが、あれ結構最後の方かな。
宇宙服の状態で、たまたま騎士の鎧とかがいっぱい置いてある部屋にバーッと入って、そこにあったサーベルを持って二人でフェンシングみたいに戦うみたいな。
無重力なんで、ちょっと当たって飛ばされるみたいな感じの動きの原画が展示されてたんですけど、アニメーターだったらできるんだろうって話なのかもしれないんですけど。
シミュレーションできないじゃないですか。無重力空間の人がぶつかり合う時の動きみたいなのって、それのリアリティを脳内で保管して動きを。
しかも、リミテッドアニメーションの少ないコマで出すみたいなのの、すごさみたいなのが、コンテンツ動画の原画にあって。
アニメーター時代もこの後、まだ長いので。ガンダムは実はファーストガンダムしか関わってないんですけど、絵コンテとか原画としては。キャラクターデザインでゼータガンダムとか次の作品でいくつか関わってるけど。
本人の段からすると、これ地獄だなと、この後関わり続けたら。ヤマトの時にそれを体験したみたいな。作品が大ヒットしたら、絶対に次回作要求されるし、それに関わり続けないといけないのは嫌だっていうので。
ずっと同じことを続けることが嫌だったってことかな。
そこから離れて、自分の企画の作品とかを作っていくっていう流れになるんですけど。
ちなみにキャラクターデザインって、人の顔とか、体つきとか、洋服とか、着てるものとか、そういうのも全部。
名前とか?
名前とかもやるの。
名前はね、多分富野監督が主に考えてるんじゃないかな。
ロボット、モビルスーツとかは違う人だね。
モビルスーツは大河原さんですね。
ハロー?
ハロー?
ハローは安彦さんっぽい気がするな。
確かにちょっと境目ですね。モビルスーツでもないし、キャラクターかもしれないしっていう。
服とか結構ガンダムで唯一私がお兄ちゃん見て横でワクワクしてみたのが、着てる服がかっこいいって思ってるんですよ。
服ですか?
連邦軍の?
みんなが着てる連邦軍の。
連邦軍の制服?
色合いとか、ラインがかっこいいなって。
それはでもやっぱり安彦さんの立ち姿みたいなののスマートさですかね。
あとは、あれ結構時代的に重要なのは、セイラさんのお風呂シーンとか、お色気を入れちゃう感じの。
それキャラクターデザインと関係ないよ。
キャラクターでもあれ作画とかのセンス。安彦さんの。
色っぽさを出すみたいな。
寺田 もうちょっと話したいのは、今の最後の話につながりますけど、漫画の中でどういうテーマで物を描いているのかっていうことと、描き方の話。
岡田 次回? 前半とかでいうと、職人が作品を作り出すまでみたいな、コンクラ的に読み解くと、そんな感じの反省というか、キャリアっていう捉え方もできるなと思って聞いてました。
寺田 だから多分、アニメの環境、僕知らないんでわからないですけど、毎週絶対に放映しないといけない。まずスポンサーからお金を引っ張ってこないといけないので、スポンサーが納得する企画を出さないといけない。
寺田 それで走り出したら、1年間ずっと毎週続けないといけない。だからもうとにかくスピードを速く、絵を描き続けて物語を紡ぎ続けないといけないっていうのが、会社全体の、チーム全体の目標で、終わることのない目標みたいなものでずっと走り続けるみたいな。
寺田 漫画家で、多分その技能的な部分で、もう洗練させざるを得なかったみたいな感じなんでしょうね。もちろん漫画作家もね、週刊連載となれば、状況的には似たようなことでしょうけど。
寺田 漫画家をアシスタントを増やすとか、分業させるとかだけどさ。
寺田 その師匠さんと作ってる、某大学の教材用にちょっと洗ってたんですけど、大正時代ぐらいから紙芝居みたいなのがあったりとかして、その黄金バットとか、新宿とかがクソ田舎みたいなところの時代に高層ビルとかSFみたいな高専とか書いてるのがあったんですけど、
寺田 戦後に歌詞本っていう、なんでかって言ったらみんなが本買えないから借りるんだったらやっと読めるみたいな時代に、歌詞本用に紙芝居作家が漫画をちょっと職業替えしてやっていくような感じの頃を見てると、
寺田 そういうプロダクション体制で作って、産業として作っていくっていうよりは、個人技をどうこうなんて言うんですかね。ちょっとメディアを回していくかみたいな、そんなような、要は個人発信に近い温度感があんまり持ってない。
寺田 あと浦沢直樹さんが言ってたのは、漫画家は基本的に個人事業主なんで、アシスタントを雇うっていうのは、個人事業主として現行料で稼ぐだけなので、現行料でペイできるぐらいなら何人雇えるかみたいなこと、自分で考えて雇わないといけないみたいなことは言ってたんで。
寺田 それはやっぱり会社としてまず成立しているアニメーションの業界ともまた、作家の考え方も違うでしょうしね。
寺田 だからすごくインディペンデントなもんなんだなとは思いますよね。漫画家っていう職業の方が。
寺田 さらにブラックジャックによろしくって書いてた漫画家さん、名前忘れちゃいましたけど、倉田瀬ラジオにも出てた金工作家の須藤さんから借りた、その人の漫画ってどのくらいお金を儲けないとペイできないのかっていう細かく計算した本があるんですよ。
寺田 それって結構工芸につながるんじゃないかみたいな話が、そういう話題で確かりをした話があって。後で調べておこう、それ。名前忘れちゃったな。
寺田 佐藤 須藤さんって方ですかね。本当にお金をちょっとどろくさーく計算する本が確かにあって、工芸家もそういうところに目が向けにくいから、経営っていう視点でもちょっとこういう、なんか計算って大事だよねみたいな話を、倉田瀬ラジオ的に言うと。
寺田 何ですかね、でも前半の。
寺田 そうですね、はい。案の定長くなりました、前半だけでも。
寺田 というわけで、来週もヤスイ子3回をちょっと続けさせてもらおうと思いますので、来週も火曜日配信しますので、続けてお聞きいただければと思います。
寺田 感想は、フォームもあるし、ハッシュタグCONCRAで絡んでもらえたら嬉しいです。
寺田 言おうとしてたことを言われた。
寺田 じゃあ終わりましょうか。
寺田 ではまた来週。
寺田 はい。さよならー。