1. Cra出しRADIO 工芸とカルチャー
  2. S2 ep10 『カムイ伝』というす..
2023-01-24 1:13:38

S2 ep10 『カムイ伝』というすごいマンガと、不自由かもしれない私たち

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一月も半ばを過ぎたというのにクリスマスソングの話題から始まる3人でのリアル収録回最終話。世間的に話題になっている訳でもなく、岩田が今ハマっているという理由だけで持ち込んだ白土三平『カムイ伝』の話題をかわきりに、どこに向かうのか分からず話は転がっていき、Cra出しRADIO史上最長回となりました。(いきなり登場人物の名前を間違えてますが、百姓の少年の名前は「正助」です。)

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パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

00:01
CRA出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメーバーが、
工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
コンクラのしほです。
りわたです。
うみです。
今日もリアル収録でお送りしております。
京都です。
京都です。
京都です。
年明けの配信に。
世間はもう2023年、いい加減経った頃ですけど、我々はまだ2022年にいます。
そうですね。
紅白がどっちか勝ったかもわからない。
わからないし、何ならクリスマスの余韻が、クリスマスって何なんとか言って喧嘩になった余韻が。
どういう喧嘩ですか?
また音楽の話なんですけど、
宗教行事っていうところから始まったクリスマスを肯定的に見るとして、
じゃあ何と捉えればいいかがわからなくなっちゃった人がいて、
それは僕なんですけど。
人がいてみたらお見えだろみたいな。
思って聞いてた自分で言った。
特に日本に住んでるから余計そうなんですけど、
僕別に日曜日教会に行ったりとかしなくて、
今かな信者でもクリスマスの時にミサ行くんだったらまたちょっと違うしなとかぐちゃぐちゃ思ってるところがあって、
それで欧米の人はどう思ってるんだろうなみたいなところで、
前昭和さんのカラオケ行った時にここぞとばかりにクリスマスソングだけひたすら入れてたことがあったんですよね。
しかもまだクリスマスじゃないのに。
ポールマカトニのクリスマスソングがあると思うんですけど、
ここでの。
ワンダフルクリスマスタイムっていう曲があったんですけど、
もはやサーの称号をもらってるポールマカトニ教がどういうクリスマス感を持ってるのかっていうのを言った時に、
シンプルにハビングワンダフルクリスマスタイムっていう風に言ってたんですよ。
要するに深く考えずにクリスマスを楽しめっていうのがポールマカトニ教のメッセージであると。
03:02
シンプリが僕の中で強く入ってきて、
シンプリハビングが強く入ってきて、
お前は考えすぎだとポールマカトニ教に言われたような気がして、
これがさらに考え込んじゃって。
余計考え込んじゃって。
絶対音声からピューリタン革命に行って、
名誉革命を経て、
極端なまでにプロテスタント化した国の人はこうやって言うんだみたいな、
変なまたねじれた解釈を。
ずっとそれを控えで終わらなくて、
クリスマスが終わるまでずっとその話を何時間もするんですよ。
例えばイギリスの女王はプロテスタント化しなきゃって答えられるかとか、
イギリスにいて私にそんな問いを。
なんでそれをわざわざ言ったかというと、
イギリスの市民権か永住権かを取る時に、
ペーパーテストみたいなのをやるらしいじゃないですか。
そういうところに、
しれっと、もう亡くなっちゃいましたけど、
イギリス女王はカトリックかプロテスタントかどっちでしょうという問題が出るという質合い例を聞いたことがあったんですよね。
それって単純に○×とか50-50の選択肢の問題と答えることもできるし、
それはでも名誉革命とかのことを知っていると、
未来英語プロテスタントの有権になる歴史的背景を知っているかどうかを、
吹っかけてきたという問題ともとらえることができるなと思って、
お前はイギリス永住ダメ、いい、みたいなことを言うような意地悪な問題かなと思ったんですよ。
それが本当そうだとしてもだいぶ意地悪だし、
それはやっぱり宗教の問いをするっていうのは本当かなと思った。
質合い例があったらしい。だからライトなんじゃない?
イギリス女王はどっちですか?ぐらいのライトな味付けだったと思うんですよ。
マークシート方式しかない。どっちかしかないみたいな。
どっちかしかない。
ブレーがないみたいな。
イギリス永久では多分なさそうだっていうことですよね。
自由記述だったらとかしたらね。
っていうような話をしていいかどうかわかんないですけど。
やっぱね、クリスマスソングの話になるんですよね。
僕も家で妻と、妻はクリスマスソングを基本的に全部嫌いなんだよね。
誰かと話が合いそうな気がしてきた。
僕は結構好きなクリスマスソングがいくつかあって、
ジョン・レオンと女王子の何だっけ、タイトル忘れた。
06:02
なんとかワーイズオーバーとかしますよね。
ハッピークリスマス、ワーイズオーバーか。
あとユニコーンの雪が降る街をクリスマスソングに入れていいかわかんないですけど。
それわかんないかも。
クルリンの最後のメリークリスマスって曲があるんですけど。
それはちょっと僕も聞いて。
聞いたらわかるかも。
ジョンと女王子の曲が好きなのは、
ベリーメリークリスマス&ハッピーニューイヤーやからなんですよね。
クルリンの最後のメリークリスマスって曲もそうなんですよ。
メリークリスマス&ハッピーニューイヤーなんですよ。
僕はクリスマスの雰囲気も割と好きやし、
その後年末にかけてみんなお休みモードに入って静かになっていく感じが好きやから、
メリークリスマス&ハッピーニューイヤーセットで言われるといいなって話をしたら、
それお前が、
あんたがお坊ちゃんやからやと言われて、
私は年末のギリギリまで家の手伝いをさせられて、
もうのんびりなんかしなかった。
いい思い出じゃないよ。
お家で商売をやられた家庭だった。
ということでもないんですけど、
とにかく子供にギリギリまでいろんなことを手伝いさせる家やったから、
年末が、クリスマスの後の年末のあたりの空気がのんびりしてるなんて、
私のそれはお坊ちゃん視点であって。
おもろいなあ。
お坊ちゃん視点。
それもあるし、
僕が聞いたことあるのは、
クリスマスの時の個人とか、
みんなで見る映画として、
ディズニーとかのクリスマス絡みの映画とか、
ディズニーの映画そのものもすごく不人気だって聞いたことがあるんですよね。
宗教批判とかではないんですけど、
ある種の奨励される家族像とかがあって、
こういうふうに過ごしたらハッピーだよねっていうのを、
極端な押し付けに感じる教訓もあるかもしれない。
それでいくと、
ジョンとヨーコのクリスマスの曲って、
家族で過ごすクリスマスみたいなものから、
遠い人に対して、
みんなも無事に何の恐れもなく、
次の年を迎えられたらいいですねっていう曲を歌ってるんですよね。
09:00
そこにクリスマスっていうものをモチーフとして持ってくること自体に、
あるいはちょっとキリスト教的なところの押し付けみたいなのを、
感じ取ろうと思えばそれはそうなんですけど、
ただ、
ホームワロン的な、
家族で過ごすクリスマスが一番幸せみたいなものとは、
ちょっと視点が違うところが好きなのかなっていう気もする。
ジョンは別の曲でね、
キリスト教がないって考えてみたらどうだろうっていうことも言ってますからね。
っていうところからの。
この回はクリスマスが党の党に過ぎ去った後に配信されてる。
そうだ、1月の仲間も過ぎた頃に。
スネガジョの年玉の番号も発表されてるであろうっていうのは、
タイミングだと思うんですけど、
大松ジャンボもね、当たった人は分かる。
お雑煮も食べ終わり。
七草粥ももう食べ終わりっていうところなんでしょうか。
そんな時期でございますが、
また僕がテーマというか持ち込むんですけど、
僕が石川県、福井県に工芸のいろんなの見に行ったっていう話をした回あるじゃないですか、
あの時、神奈川に一泊して行ったんですけど、
泊まったホテルが安くとったんで、
風呂がついてなかって、シャワーしかなかったから、
シャワーだけ嫌やなと思って、
近くセントとかないかなと思って探して、
あったんで、夜中にセント行って入ったんですね。
出てコーヒー切りに飲みながら、
結構漫画がいっぱい置いてある。
結構レトロな感じですね。
昔ながらのセントって感じで、
結構漫画が並んでたんで、
旅行中で時間もあるし、進んでいこうと思って、
そこにあった漫画を読み出したんですけど、
その漫画がですね、すごすぎて、
もうそのセントで、
そんなにずっと読んでるわけにもいかないので、
寒くなっちゃう。
そうそう、体冷えるし。
ちるる感じで手に取った割には、
強烈だったんですか?
ちょっとすごすぎた。
一巻の3分の1くらい読んで、
だいぶ行きましたね。
これはもう読まねばと思って、
ちょっと古い漫画なので、
メルカレリエ全巻セットとかないかなと思って探して、
全21巻なんですけど、
こんなにある漫画?
いやいや、これ長いんですよ。
12:02
今8巻まで読んでるところなんですけど、
タイトルを言うと、
カムイデンっていう漫画。
白人三平っていう人が書いた。
これいつの漫画ですかね?
編載開始が60年代の半ばくらいかな。
ちょうど岩田さんがわざわざ持ってきてくれてるから、
1967年に第一版。
初版ですね。
ぐらいの時に書かれた漫画なんですけど、
僕このぐらいの時代の漫画で言うと、
手塚治虫は僕めちゃくちゃ読んでるんですよね。
この赤目プロって何ですか?
赤目でいいのかな?
白人三平とか結構文行性を確立したというか、
その前の忍者武芸長とかもやってるうちに、
終わり方も唐突だったり、
極端な話、
ストーリーをイニシアチブ撮ってる人すら文行性の中で変わってて、
思わせぶりに振る舞ってたキャラがあっさり死んだりしてくるんですけど、
死ぬ不乱を立てるのに、
今の話で言うと、
日本の超重要漫画誌みたいなところで言うと、
A面に手塚治虫がいるとしたら、
完全にB面か、
ビートルズが手塚治虫だとしたら、
ザ・フーとかなんだろうな。
だんだんわからなくなってきた。
わかりやすい例えを考えるぞ。
知ってる人は知ってる超重要作家みたいな位置づけではある。
ここはやっぱり私わからなすぎて、
一巻目のタイトルの漢字が読めないっていうところからすでに。
これ何の巻きなの?
宿谷ですね。
どういう意味なんですか?
谷の名前なんですけど、
主人公というか、
漢字を見たことない。
そうなんですよ。
ビートルズは聞いてたけど、ザ・フーは聞いてなかったみたいな感じなんですけど、
全然知らず三編の本を読んだことなくて、
セントでたまたま手に取って読み出したら、
本当にすごいんですよ、この本。
8巻でまだ語るなよって話があるんですけど。
まだこれから折り返しと思うんですね。
漢字で読んでないからちょっとあれなんですけど。
僕は手塚治虫のブッタは、
今これブッタに匹敵する雰囲気が。
いや、匹敵っていうかね、完全にこれの影響を受けてました。
そうなんだ。
最初のスタートがそれをパラパラって出てるんですけど。
15:00
手塚治虫ってすごいいろんな作家に対して、
新しく出てきた作家に対して、
常にライバルシーンを燃やして、
新しい書き方を。
ずっと書き方を変えてきた人ですけど、
明らかにブッタはこのカムイデンの影響で書いてるなって感じがして。
倉田氏ラジオでカムイデンの話をするのが、
どこに帰着するのかもわからないまま、
ただ、とりあえず今カムイデンに興奮してるから。
興奮してるから。
とりあえず話を持ってきたとこもあるんですけど。
倉田氏ラジオ的に言うと、
ちなみにカムイデンはね、
舞台は徳川三代、家光の時代の架空の藩、
ひよき藩っていう藩なんです。
何年頃なんですかね。
1650年ぐらい。
何時代?
江戸時代の初期ですね。
だから戦国時代が終わって、徳川の世になったけど、
まだいろんな制度みたいなのがこれから固めていく。
ただ、その中で徳川幕府がうまく日本全国を統治するために、
身分制をそれまでももちろんあったものをガチガチに固めて、
その藩ごとにそれを政策として万着にするっていう、
過渡期の舞台なんですよね。
倉田氏ラジオ的には犬王の話とかしましたけど、
あれは室町時代。
ちょっと似てるっていうか、テーマは共通する?
そうですね。共通するところもあるなと思う。
共通するところは将軍三代目ってところですね。
地盤がまだ緩いときに、ちょっと混沌とした状況が共通するかもしれないです。
すごくようやくして言うと、
僕は読んだこともなかったから、
カムイ伝ってアイヌの話かなと思ってたんですよ。
カムイって言われたらずっとしもそう思う。
五輪カムイ的なね。
最初に登場する村が花巻村ってところなんで、
花巻か言い訳ってかと思って、
北の方の話かと思ったら、
花巻村っていうのも架空の村なんで、
実際の日置藩っていうもののモデルとしてはおそらくどっちかというと近畿の方。
三重か和歌山かその辺りっぽい感じなんですけど、読んでると。
いわゆる漫画なんで主人公っていうのはいるっちゃいるんですけど、
それが名前がカムイなんですけど、
主人公のカムイは身分制で言うと否認なんですよね。
18:06
なんですけど、じゃあずっとカムイ視点で物語が進むかっていうと、
割とカムイあんまりその主人公っぽくなくて、
まず百姓の中でもグラデーションがあって、
グラデーションというよりははっきりと身分があって、
百姓の中の下人っていう一番百姓の中で身分の低いところの平介っていう若者と、
あと武士のリュウノシンっていう、
割とその日置藩のいいポジションにいる人の息子っていうのが、
大体この3人の主人公を基軸にして物語が進んでいくんですけど、
その中で見えてくるのは、武士が武士の世を統治するために、
百姓と否認っていうのを常に敵対させておくっていう制作ことなんですよね。
だから例えば百姓一揆が起こった時に、その一揆のリーダー、
一番言ったら百姓の中で尊敬を集めてる人を、
処刑で殺す役を否認にさせるんですよ。
それは恨まれますね。
常にそういう百姓から恨みを買うような仕事を、
武士が直接否認に命令をしてさせるっていうことで、
百姓は否認のことを続けるし、
否認は否認でやっぱり基本的に家もないというか、
宿谷っていうさっきの一巻の名前のところは、
否認の村がある谷なんですけど、
百姓のような生活はできない。
基本的に何か生産しちゃダメって言われてるので、
だから百姓が飼ってた牛が死んだら、
死んだ牛を解体しに行って皮をなめすとか、
そういう仕事をしてるということがよく分かるんですけど、
地露市をやっちゃダメってことですね。
もちろん百姓も生産はしてるけど、
その生産は全部管理されてるので、
米は基本的にまず年貢として収めて、
そこから残ったものをようやくありつけるみたいなことなので、
正直どのくらいその時代の一番身分制が敷かれてる中で
再化そうとされた人たちの生活についての記録が残っているかってちょっと分からないんですけど、
ただめちゃくちゃこの時代のこととかを詳細に調べて書かれてるっていうことは、
読んでたら伝わってくるものはあるんですけど、
21:02
昔の日本はこうでしたよ、こういう理不尽なことがありましたよっていう視点で書かれてないんですよね。
そういう社会構造って全く今と変わってないんだよねってこの60年代の読者に向けて語りかけながら物語が進んでいくっていうものなんですけど、
おそらくその構造は60年代で終わっているかと言っても全くそうじゃなくて、
2023年にもおそらくある構造であるっていう話なんですけど、
何の話がしたかったんだかな。
社会主義の真逆ってこと?
カムイ伝の登場人物とその構造を説明してもらったっていうところなんだけど、
ちょっとイデオロギーにどうったらこうったらっていうのは僕もよく分からないです。
僕は読んでないんです。その前の忍着芸長とかを読んでたので、
ここの登場人物たちはその社会の中でどう生きるのかっていうと、
百姓の平助は頭がいいので、基本的に百姓読み書きはさせられないようにされてるんですよね。
そこで知恵を身につけられると困るから。
帳表とか読めるようになっちゃうと、武士が上積みをもらってたりすることがバレちゃうので、
計算とか読み書きとかできないようにしてるんですけど、
平助は隣の村までこっそり読み書きを習いに行って、いろんな生産の仕方を覚えていくわけですよ。
米しか作ってないけど、麺を作ってみようとか、クワを作ってみようとか、
クワを作ってカイコを育てようとか、いろんなことを試す中で、
だんだん平助の周りにいる百姓たちの意識を変えていくみたいなことをする。
竜学生みたいな感じですね。
そんな感じです。
武士の身分であった竜の神は、藩のいざこざの中で父親が失脚することで老人になって、
身を隠すために非人になるみたいなこととか、
平助は下人だったけど、そういう工夫で村に貢献することで信頼を集めて、
下人という絶対にそこから登れへんみたいなことをちょっとずつ意識を変えていくみたいな。
カムイは非人というところの不自由さから逃れるために忍びに忍者になるっていう風に、
24:01
すごい絶対にガラスの天井というか、ここまでしか上がれないよってなってるところを突破したり、
あるいは上の方にいた人がどん底っていうか、身分制の一番下のところまで行ったりとかっていうことが物語の中でどんどん入れ替わっていくみたいなことなんですけど、
ただ、どこに行っても自由はどこにもないみたいな。
忍びになったら忍びの中の掟があるし、
そこから抜けるということは死を意味するみたいな。
非人の中でも非人頭みたいな人がいて、それが統治する上下関係みたいなものがあったりとかして、
どこまで行っても自由を求めていくとヘアラルキーの中でぶつかってしまうみたいな。
そこに今度もう少し物語が進んでいくと、長人っていう人が出てきたりして、
ビジネスで何か身分制によってすごく分断されているものの中を水々泳ぎ回っていくみたいな、
登場人物とかも出てくるっていう、そんな話なんですけど、
カマクラ殿の十三人って見てました?
カマクラ殿?
タイガドラマです。
何年に一度かの名作と誉れ高いんですけど、
全然、家にテレビがないんで、結構見れてないですよね。
カマクラ殿がめっちゃ面白かったんですけど、
カマクラ時代の話なんですよね。
武士の話ですよ。
カマクラ幕府を建てた源頼朝から始まってっていうところで、
基本的なストーリーラインに登場する人たちは基本的に武士なんですよね。
物語として初めて幕府を作った人たちの朝廷とのやり取りをストーリーとして見せようと思った時に、
早々他の登場人物いっぱい登場させると物語停滞しちゃうので、
基本的にほぼ武士しか出てこないんですけど、
戦の時とかってめちゃくちゃ立派な鎧着てるじゃないですか。
カマクラ時代は特にそうですね。スタイルがそうですね。
装飾がすごいんですよね。
これ誰が作ってるんやろっていうのは見てて思うんですよ。
27:03
鉄を叩いて成形して漆で綺麗に縫って、
そこに組紐とかでいろんな装飾が付いてたりする、
その豪華な鎧を何百人とかが着て戦うわけですよね。
ドラマではせいぜい何百人くらいの規模感でしか見せないですけど何千人みたいな。
壊れるかもしれないものにめちゃくちゃ装飾してどうすんねんっていうのにも関わらずこんなもの着てる状況。
おそらくこれだけの数を作ろうと思ったら相当なそれを作る人たちがいるわけで、
そういう人たちの姿って大河ドラマではほとんど見せられないんですよね。
話の筋を追っていこうとすると。
もし作り手がそういう人たちを登場させたいと思ってたとしても、
やっぱりそこまでのことまではちょっと細部までは描ききれないみたいなことはしょうがないと思うんですけど、
でもやっぱりその時代劇みたいなものって特にそういう大河ドラマみたいな、
その史実としてある程度はっきりしているものを題材にしとったものって、
結局その支配層というか文書に残るような人たちしか登場しないことが多いと思うんですけど、
ある意味その犬王とかって犬王という名前しか残ってないところの想像を膨らました時に、
こういう虐げられた人がいたんじゃないかみたいなところとかの想像から作られたもので、
逆にあの映画って物資ってほぼ出てきてないですよね。
街の人たちと、そのゲイをする人たち。
最初の頃とかですよね。
ちょっと断の裏か何かに追ってきた人とかは。
そうだからなんか、
カムイデンはそれで言うとだからもう、
花からそこを描こうとしないというか、
そこでは絶対に描くことがなかっただろう人たちを主軸にして物語を進めていってるっていう。
むしろ扱いづらいですよね。
扱いづらいっていうのは、こういう人たちの主人公にすることで、
描いてはいかん、語ったら面倒な話になるぞみたいな沼を引き起こすじゃないかとか、
可能性もありますよね。
あとコンプラコンプラ言ってるけど、コンプラにとって大丈夫なのかとか、
30:00
今そういう表現しづらいじゃないですか。
そうなのかな。
今またちょっと変な分断の時代に入りつつあるというか、
その頃に、今のカムイデンの話の60年代70年代とかだった差別的な視点とかとはまた違った、
SNSの時代になった時に、そこは無理くりヘイトが無駄に助長された部分みたいなのがあって、
そこから生まれてる今の分断とはまたちょっと構造が違う気はするんですけど、
カムイデンとかみたいな構造とかって、
例えば小説とかだと大江健三郎とか、
黒人のパラシュート兵が得た否認の村に落ちて、
ヒエイラルキーの構造的にはすごく虐げられてる人たちなんだけど、
いわゆるアメリカに押されてる中で、
アメリカでも若干非差別的な人たちが降りてきて、
そこの主従関係がおかしくなったりする物語とか、
大江健三郎の短編であるんですよ。
それと同じ時期のフォークナーとかの、
アメリカのインディアンの部族に、
むしろ服従を強いている、
本来は権力者である白人の裕福にはなりきれなかった、
パワーホワイトという人たちが、
インディアンにコキ使われている状況からの、
いわゆる主従関係を真っさらにした状況から始まる人間ドラマとかは、
確かに僕はそういう延長線上で、
シアトサンペン作品とかがあったので、
その当時の世の中をガラッと暴力的に変えようとしていた学生運動をやっていた人たちに、
シアトサンペンの辛抱者がすごく多かったというのは、
想像はできるなというのがある。
めちゃめちゃ久しぶりに、
カムイデンというワードを岩田さんから聞いているという状況です。
僕も何かちょっと…
なんでカムイってそもそも名前が、
33:03
主人公になる人はカムイって名前が付いているのか。
作者の意図はまだちょっと八巻で読んでいる時点では分からないんですけど、
物語の数字的には、
片面の巨人みたいな人が森から出てきて、
一貫の表紙になっている人ですね。
その人が悲鳴の村に、祝谷の悲鳴の村に来て、
生まれたばかりの赤ん坊を抱えてカムイって叫んだから、
カムイっていう名前になったっていうところから始まるんですけど、
一方で面白いのが、人間の話ばっかりしなくて、
一番最初、人間全然出てこないんです。
森のシーンから。
動物の中で起きている、
すごい分かりやすい表現でいうと、
弱肉強食みたいなところを、
まず冒頭で見せるんですけど、
その中で、
身体の白い、
身体の白い突然変異って何でしたっけ?
アルビノ。
アルビノの狼が出てきて、
アルビノなので目立つので、
他の兄弟から煙たがられるわけです。
いじめられるんですよね。
自分だけ餌もらえんかったりみたいなことで。
その白い狼のことも、
その片目の巨人はカムイって叫ぶ。
だから、一家の段階ではカムイは2人、
一匹と一人がいて、
狼のカムイと人間のカムイっていうのが、
カム遺伝っていうところで言うと主人公みたいな。
白い狼って神様とか、
アルビノはヘビでも何でも神の使い扱いされやすいですよね。
ただ、特に狼って社会的な群れを作る動物なので、
やっぱりその群れの中で生きていこうと思うと、
見た目が違うこととか、
単純に敵というか目立ちやすいみたいなことによって、
はみ出し者になるみたいなところは。
大江県座部の見たらその名もシークっていうタイトルでした。
買うんですけど、得た金のところにパラシュート兵が落ちてきて、
それは黒人なんでちょうど黒い感じですね。
たまたまネガポジが安定してますけど、
一応異物として、言葉もわからない黒人を、
得た否認とされている人たちが飼育していくっていう話だったんです。
飼育って探すって意味じゃなくて、飼育。育てるって。
36:01
生き物がかりの飼育ですね。
そういうのでした、それは確か。
それと、いわたさんの北陸産圏の工芸機構みたいなところの、
家庭で突然登場したカムイレンズ。
そのエピソードもドラマティックな。
別に工芸と繋がるのかと思いながら持ってきちゃったんで、
落としどころがわからないんですけど。
そうなんですよね。落としどころがわからないというよりは、
でも僕、こんな雑な言い方していいかもわからないですけど、
今カムイレンズの話とかの、僕は読んでないので、
シヘシュラとサンペの取り扱われ方をメタ的に知っていて考えてることなんですけど、
やっぱ民芸界とかを早期させるわけなんですよね。
無名性だとか、そういう人たちが美意識とか秩序みたいなところに対する
なんかある種の批評精神だったり問題意識があったり、
民間運動みたいなことをちょっと思い出しながら、
いわたさんのカムイレンズの話を聞いてたところはあります。
ある意味権威主義とかそういうことを一回どうやって排除するかみたいな、
そういう話とかもあったし。
なんか作っていい権利っていうのがあるっていうのはショッキング。
いわば生産者としてってことですよね。
作っちゃいけない。だから作るってことが逆にパワーだっていう認識だよね。
作れれば、だって作れる人の方が有利だ。
有利っていうか力を持ってるからこそそれを抑えつけるために
学びをやめさせ作らせる権利を奪いっていう。
あと産業とか生産とは何かっていうところもあると思うんですけど、
当然なんか生きてる集団だから山の獣とかを捕らえて、
革を剥いで舐めしたりとかそういうことを産業にはなってなかっただけでしてるわけですよね。
別にそれがじゃあお前らは産業やるなって言われてるだけで、
じゃあそれは作ってないことになるのかっていうのは革細工だったりとかそういうことも
それはちょっと思ったりはしますよね。
結局その藩の能力っていうのは米の取れ高みたいなところで幕府から判断されるので、
39:06
やっぱり米を作るっていうこと自体が一番制限としてはきつく制限されているので、
革を舐めしたりみたいなことはしてるんですけど、
ただやっぱり家畜を飼育するみたいなことはこの漫画の中ではですけどやっぱりできないんですよね。
自分たちでは。
それは百姓の仕事であって、百姓が米を耕したりする、別に牛って食うもんじゃなかったんで、
米を耕したりするために使ってた牛が死んだらそれを解体しに来る、比倫が解体しに来るみたいな。
運業家の感覚。
まあでもオフィシャルではなのかどうかわからないけど。
仕事がはっきりしてじゃん。ユニオン問題とか言ってよく私たちに。
いやでもすごい詐欺すまれながらその仕事をやるんですよ多分。めちゃめちゃ。
だってアメリカで展示会とかの仕事来るとすごい大変なのが掃除とかしちゃいけないとか片付けちゃダメとか怒られるんですよ。
でも日本で展示やってると、作家だろうが何だろうが掃除はするし片付けはするときはするときもある。
それなんでダメなんですか?
人の仕事を奪わないっていう話じゃないですか。
その掃除のユニオンの。
お仕事する権利だからそれを私たちがやっちゃったら掃除する人の仕事を奪うでしょってことで、
なんか部屋から追い出されるんですよ。終わってないのに。
余計プレッシャーですよね。他の作業もできなくなるからこの時間にも出てってくれみたいな。
そうなんだよな。
全部許可取らなきゃいけないんですよ。何人までって決まってるからそういうプレッシャーでことを進めないといけない。
それを逆算してことを進めないといけないっていう。
法律でユニオンの受給とかも決まってるし。
ある意味すごく社会主義的な側面をアメリカに感じる時があるんですよね。ユニオンに関して言うと。
当時ね。
最初意味がわからなかったんだけど。
これなんか今パラパラパラパラちょっと読みたくなってパラパラ見てたけど
なんかやっぱりこう同じ血が流れてるんだみたいな。
人間。
人間だからみんな赤い血が流れてるんだっていうシーンが。
たまたま出てきたんですか。
たまたまバッと出てきてやっぱりなんかそのもともと同じ平等じゃないかっていうところから
でもやっぱり俺は強くなっていくんだっていうセリフに次に行くんですよ。
42:06
なんかあの僕もそのなんだろうな
あの忍者武芸長は読んでカムイ伝になんかこう手を出せてない理由の一つが
なんかもう広大な沼が見えたというのも
21巻で終わるからねご安心を。
この後にガイ伝があるんで。
カムイガイ伝があるんだ。
それでそうなんですよねだから
悠々白書が18巻で終わるよって言われるのの気軽さとは全然違うんですよね。
ドラゴンボール。
この1巻がね長いっていうかね
読むのが結構ねコマも多いし字の分も結構ね。
だから塩田にわかる例えかわかんないですけど
ナウしかたった6巻か7巻だよって言われた感じってどうですか。
それが60巻分くらいあるみたいな。
めちゃめちゃなんかどえらいエネルギー吸い取られるみたいな。
密度もストーリーもっていうのはあるでしょ。
なかなか手がつかずにおりますが
ちょっと読みたくなりましたねやっぱり岩さんの話で。
うんなんかね
うーんとなんだっけなぁ
なんだっけなぁ
いや忘れました。
なんかいろいろ繋がったからこの絵をふくらだしラジオに持ってこようと思ってはいたんですけどね。
なんかあのちょっと全然また違う話なんですけど
ちょっと民芸のその作るさんその日常のものを作るっていうお仕事と
なんか好きだから作品として作るっていうのと違うよとか
まあよく言うじゃないですか。
だからそれに対してこの人たちはそれすらも選択肢ないって
そんなことできるのかなっていう話やっぱ聞いて思うんですよ。
だってこっそり勝手に岩とか拾ってきて
見つからなきゃいっその辺にいっぱい素材転がってるんだったら作れるわけだし
でもそれが管理されていてすごいなんかすごい管理社会っていうか
それって日本人がなんか例えば未だにマスクを外せないのと同じで
なんか勝手にマインドセットがそういう風に
そうですねだからこの物語に登場する人のほとんどは
その今の状態ってことに疑問を持っていなかったりするわけですよね。
非人に生まれたんやしこういう生活をするのはしょうがないやろうとか
芸人は芸人やから俺らとは違うやろうとかっていう
そこの前提を疑うっていうことが環境的にもできない状態から
45:02
突然変異的にそれっておかしくないっていう人が出てくるっていうところから
転がり出すわけですけど
この突然変異がどう出るかっていうのが今のなんか最近のその
よく言われる出る杭は打たれないからどんどん出ろとか
なんかそれも逆に最近プレッシャーになってちょっと思ったりして
勝手に心配してるんだけど変人であれとか言われちゃうとか
余計なお世話だなと思う
なんかそういう風にね最近依頼が来るからお仕事で
子供たちや学生に変人はいいぞとか言っているのの
会に呼ばれて喋ってる自分が滑稽でしょうがなくて
私自分ごと変人って思ってないし
なんで私を呼ぶんだってちょっとイラついてるところがあるのに
でわざわざそんな変人になれっていうのが不自然にも思えるし
なんかみんな違うんだけどみんなが全員変なんだから
変人ってそんな幻想はないんだよって思う
変人なんていないっていうかそういう意味では
なんか最近見たので言うと
いわゆる日本だと工学歴とされてる
東大とか京大とか和田慶夫みたいなところで
特にやばいことをやってる奴らは奨学金とかサポートするよ
っていうような取り組みを見たときに
なんか一理あるなと思いつつ一方で思い出したのが
それこそ映画のグッドウィルハンティング
僕もこないだなんかね
塩田の娘が見てこれやばいから見ろ的な感じで
ちょっとうっすら見たんだけど
最近子供からこれを見ろの圧がすごい
簡単に言うと別に学歴とか
特に言ったらすごく低所得者層のコミュニティで育った人とかが
突出した何かを発揮してそれが発見されるような
ざっくり言うとそういうストーリーなんですけど
そういう発見のされ方って
現代ってどういう風にされればいいのかなっていうのは
その時同時に思ったんですよね
別にアカデミックを否定したくないし
むしろもっと本来的には奨励されてほしいなと思う
工芸とかで言うと
工芸って言葉がいいかどうかはないですけど
自分が生み出したとんでもない技術で何か作ってる人とかで
別にそういう人も特に売り込んでるわけでもなくて
それを淡々とやってる人をたまに見かけるときに
48:00
そういうめちゃめちゃおせっかい心で
この人がもっと知られたらいいのにとかっていう気持ちとかを
湧いてくる気持ちにもちょっと似てますけどね
ちょっと身近にで発見した異業の存在みたいな
なんかそれをちょっと見てて
何とも言えない気持ちになってくるのが
それは本当サポートするのがいいことっていう風には思うんだけど
でもなんかその異業の人はコミュニケーション能力がないんで
我がサポートしますよっていうのも
なんかその社会にフィットする必要ってあるんだっけ
ってふと思っちゃったりもするから
何とも言えない気持ちになるときがあるんだよね
それがいいことかもどうかもわかんないし
今その人たちが立っている持ち場で普通に活動っていう大げさな
そこで暮らしてることが自然である人にとって
そのおせっかいというよりはただの好奇心で
この人がこういうところと違う世界と
交わったら何が起こるんだろうという
外野の好奇心無責任な
そういうことを思っている自分を発見する時がたまにありますね
だから前回のエピソードで
自分が音声の編集をしてた時の心持ちを振り返った時に
すごい上から目線だなと思ったわけですよ
編集みたいな作業が
この方が聞きやすいからこうしてあげようみたいな
それはもうあくまで僕の思う良い方向であり
別にその場で喋ってる中では
良いも悪いもないわけですけど
そこにこれはあんまり良くない部分だから
カットしようとかっていう視点が入ることの
上から目線な感じっていうのが
そう取ったらですけどね
実際には必要な作業ももちろんあるし
全部そういう編集っていう作業を
上から目線の行為という風に言うわけでもないんですけど
そういうものが本当に
必要でないのにやってしまっている可能性はあるよなっていうのは
思いますよね
コラボレーションの時とかってすごく難しいじゃないですか
こうしたらもっといいじゃんみたいなのが
言いづらくなっちゃうから
私やっぱり結構お話しして
51:02
音声メディアの仕事来て
どれだけ自由に喋っていいですかとか
何分ですかとかすごい気にして聞くと
もう気にしないで話してくださいって言ったら
絶対に延長しちゃうし伸びちゃうって
大丈夫ですかってもう一回聞くんですけど
はっきり言うと向こうから大丈夫ですかって
すごい言われて
実際にすごいカットされるんですよ
なんですけど聞いたら面白くて
変なリミックスになってるから
自分が違う自分を発見するんです
こんな話し方をしてる風な人間になっている私みたいな
面白いからそれはそれで
絶対自分で表現できないから
それはそれで楽しくなってきちゃったんだよね
それでそういうのが上手い人の仕事に
もう依頼来たら断らないし
楽しいからワクワクその日くん楽しみにして
お話しする時もなんかだんだん話しやすくなる
そういうパターンもありますよね
難しいな
編集者みたいな人が
編集者の人とかがよくやっぱり
岩井さんのおっしゃるようなことのカットを
おっしゃることをよく聞いた気がするんですよね
やっぱり紹介なのか批評なのか
ある特殊があってその対象を取り上げてインタビューして
それを編集方針というある種の暴力性でカットしていいんだっけ
それは自分としては編集者という立場でありながら
紹介をしたいのかあるいはそういうことと別の視点とかを
生み出しながら批評したいのかとか
いう中であるヒップホップのライターとかが
すごく最近たまたま聞いたのかあれは
要はライティングとか編集とかと
その界隈のコミュニティが狭すぎると
その紹介者がもうそのコミュニティの一部とかになってしまうと
何かを第三者に伝えるときに紹介に留まって
批評まで踏み込めないって話を聞いたんですよね
僕全然違う立場だし
そんな使命を追っているようなことって
なくはないけどちょっとわかるなと思って
その人の言っていることがある
54:00
なるほどね
そうそうそれは思った
割り切ってやるっていうのはもう必要な時は
あるでしょうね
ほとんどそれは必要とされているし
役割っていう風に思って割り切ってやるか
逆にあえて任せて
こちらも任せるみたいな相手に
音楽で言うと何だろう楽譜があって
それを好きに解釈してやっていいよっていう関係性なのか
お互いちゃんとパートは決まってて
はいちゃんとぴったりやりましょうっていうのだと
また全然違うじゃないですか
立場上的にも
自分の作品とかの話ですごく恐縮だなと思うんだけど
いわゆる暴走族のコールっていう
アクセルミュージックっていう
空吹かしの弟とドラマーの人のコラボレーションっていうのを
一つの作品でやったことがあった時に
その当事者たちは
多少なりやったことのない種類のコラボレーターに興味があって
一緒に参加してくれたんですけど
特にドラムとかまだあれなんですけど
いわゆるアクセルミュージックとかコールとかって言われてるものの中には
それこそ伝統的なスタイルがあって
その中でちょっとずつそれにのっとって
アップデートしてとかそういうような中で
それこそ全くの異業みたいな人がたまにいるんですよね
全然違う文法とか
とんでもないその人にしか思いつかないようなやり方をする人とかが
それがさっき言ってた
どこにも属さないような
こっちの世界とかに引き合わせると面白いかもってのが
おせっかいに思えるような存在というか
そういう人を見かけた時は
こっそり自分だけが一ファンでいようと思って
こっそり自分だけ?誰のためになってんだそれを
誰のために何かしようとかって
いわゆる変なことも思わなくなっちゃうんですよ
応援しようって気持ちはあった
応援も下手したらおせっかいなんですよ
別にそれによって何かを得たいと思ってもない人
これ面白くない?こういうやり方とか
最近新しい勉強し始めたいって
やっぱり気持ちがどうしてか知らないけど
たぶん仕事休んでるから
湧いてきちゃって止まらなくなって困ってるんですよ
もう学校に戻ろうとか思い出して
57:02
学生になりたい欲が出てきちゃって
最近入試の要項とか
大学院卒業してるのに大学院にもう一回問い合わせて
私の卒業した証明の資料を下さいと
こんなクリスマスの時に返事もちろん来てないですけど
出しちゃったりとかしちゃってて
行動を出し始めちゃって止まらなくて
なんでかなって思ったら
自分がもう知らないことたくさんもちろんあるんだけど
怖いんですよそれをチャレンジすることが
昔はそういうこと全くなかったのに
新しいことを知る恐怖っていう
謎の恐怖を知ってしまったから逆に
それに対するダブル恐怖っていう
なんで勉強することも実は
自分が知っていることをもっと深く知るっていうのが
博士課程だったりとか研究員課程じゃないですか
全然違うことをやりたいと思うようになっちゃったんですよ
絶対そうしたとしても自分は
今までもやってきたことを学んできた方に
どうしても振り戻されてしまうから
離れれば離れた方が
どっちに転んでもいいようになる気がするなっていう
何かに対する足掻きが今出てきている
何の足掻きなんでしょうね
わかんないけど最近だからいきなり農業とか
最近やけに私林業の勉強し始めたりとか
全然違うじゃないですかやってきたことと
デジタルとかインターネットとか
ウェアラブルだとか再生端とか言われているのが
何か知らないけどそっちの方に
なんか興味がすごいってしまっている
これは何から出てきているんだろうっていう
多分恐怖心です
知っていることだけを突き詰めていく恐れっていう
逃げているんですよ何かから
野生の世界だったら恐怖があって逃げるって
めちゃめちゃ普通の行動なので
因果関係としてはちょっと興味深いですね
何か思い出せないでしょ原因がだから
ただ単に暇だからかとか思ったりする
暇がいかに豊かな状態であるかということですか
暇って怖い
暇が怖いから哲学とかが発達するみたいな
ギリシャ人的なアレですか
1:00:01
わからないですよね
それはねって答え教えてくれる人募集中です
スキャンダラッパーで暇についてって曲があるんですけど
それ聞くとちょっとわかる
その頃も多分仕事復帰して暇じゃなくなっている可能性大
そんなこと言ってたとか言い出しそうだけど
新しいことを覚えたい欲とまたちょっと違う気がする
新しいことを知りたい欲求ってあるじゃないですか
それとちょっと違うんですよ自分から離れたい欲求
知っていることから離れていきたい欲求
知っていることから離れていきたい欲求
例えばスポーツ選手が同じスポーツをし続けて練習していてそれでいいのかって言って
他のやるとかあって
それはでも元々いつもやっている筋肉と違う筋肉をつけるためにちゃんと目標が発見してるんですけど
私の場合それすらもっと離れたい
全く役に立たない
今のやっていることに関係全くしなくても全く役に立たないことに行きたい
だから若野原とか力士の人がアメフトを目指しましたではなくて
ダイヤモンドバックスのランディ・ジョンソンというピッチャーがカメラマンになったみたいなことですね
人に分かんない
離れすぎ
離れすぎ
離れ方として
すっごい離れたところを突き詰め出したみたいな
突き詰めるか分からないけどそっちに行く興味
それがさっきのカムイデンでいろんなことに隣の村行って学びましたとか聞いてた時に
ああなんかその気持ちそうしたくなる気持ちなんとなく分かる
まだまだこれまだあるだろうまだあるだろうどっかにどっかにとか言っている欲求にちょっと近いし
同じことをそこの場でずっとやってたらあかんっていう変な恐怖心が分かるなと思って聞いてた
いずれにしてもちょっとカムイデン読まないとなって
そしたら私もしかしたら地球にいられませんとか言い出して宇宙行くとか言い出す可能性も
っていうのがイーロン・マスクの気持ちかも分からない
それは分からないですけど
それってなんか終わりがないしそれがなんか遠くに行けばいいわけではないから
ちょっと分かんなくないですけどここではないどこかっていうのをひたすら求め続けるっていう
確かにそれにドライブがかかり始めちゃっててまずいんですよ
面白いと言ったらいいのか
ダメです
ダメなのかな
1:03:01
どうなんだろうなんか目標がはっきりしないのにただその逃げだけでやってて
収集つかなくなったらなんか後悔しそうだしそれはそれで
時間を無駄にしてしまったみたいな
時間を無駄に
時間を無駄にはないか
目標をはっきりしてないことって悪いことじゃない気がしますけどね
私そんなこと言ったこともないし考えたこともないんですよ今まで
今まで目標を立てたことなく留学だってその場その場で決めて
じゃなかったらいきなりフランス行ってイギリス行ってまたフランス行ってやらないと
もっと要領力をねやりますよちゃんと
でも例えばですけど後藤さんが今言ってるのは
Aって分野があったとしてAに疲りすぎたのでちょっと
BなりCなりに行きたいっていう欲求って考えた時に
BかCかなBではA以外のところを目指すっていうところでAが意識されてるから
なんかどこに行ってもAとの関係性のもとに何か思考がある気がするんですよね
例えばですけど仮説ですよ何か今思いつきで言ってる
例えばバイオバイオバイオアーティストって言われてもすごい嫌なんですよもう
断ることに言ってますけどね
全然だってバイオだけじゃないし
10年URL続けて今テキスターの仕事開発者としてもう8年目なのに
なんか全然そのつながりは全く違うからバイオって引き戻されちゃう
よくよく考えた私の思考はやっぱりその生命感とか
なんかこう物とか質感とか
何かこうなんか人間がコントロールしきれないものに関しての
なんか好奇心がやっぱり前提にあるんですよね
それはバイオだけじゃないだろうって言いたい
だからバイオに押し込められるのが窮屈
しおさんの場合は特にそういう社会的な
そのしおさんに向けられる目線みたいなものっていうのが
僕なんかパンピーだからないのでそういうのが
パンピーじゃない
でも例えばステージの棚の中で違いって考えた時に
例えば僕が岩田さんのお仕事のお客さんだとしたら
基本的にはもう印刷のこと何でも知ってる専門家っていう目線で
全然一般人とかじゃない
1:06:00
専門家じゃん
全然違うところであった時に
全然違う文脈からの岩田さんが登場した時に
言っても岩田さんはやっぱり印刷の人やなっていう感じで
僕がお客さんだったら混乱をするかもしれない
僕の場合はそういう身近な人で言うと
倉田シラジオをこうやってやってるような姿を
知らない人の方が多いわけで
そういうふうな付き合いをしてる人から見たら
そんなことやってるのってなるわけですけど
パブリックイメージみたいなものとしてのバイオアーティストとか
全然そうじゃないよっていうところとの
ギャップを感じる
それこそ一個前のエピソードの
どもってる自分が本当なのに
どもってない自分を本当って思わないでほしいみたいなものから
逃れたいみたいなのが
世の中の一要素としてあったりするのかな
しゃっくりみたいなものなんだろうね
苦しいよしゃっくりは本人も
ヒックアップって英語圏で
ちょっとした間違いじゃないんだけど
何か歯車が一瞬パコって外れたっていうのを
ヒックアップって言うんですよ
何かエラーが起きたみたいな
でもそれネガティブじゃないんですよ
戻った状態がまた違う状態になって良くなるっていう意味で
割とポジティブな意味性があるんだけど
そもそもヒックアップって
しゃっくりって何で起きるんだろうっていうのと
共通点はある気がする
しゃっくりは起きやすい人もおるしね
すぐ起きちゃう人とかね
医学的に言うとオオハクマックな経験です
何でその痙攣が起きるんだってばっていう
その痙攣の元では緊張なのか
何かの要因があるのか知らないけど
それが今私に起きている
何かのしゃっくりが起きている感じ
まあでもなんかやっぱり悪いことじゃなさそうな気がしますけどね
ちなみなんですけど
自分は例えばそういう
まあわからないです
印刷屋さんとしての顔と
倉田商売場の顔がある程で
それが実生活で何かコンフリクトするような瞬間ってあるものなんですか?
コンフリクトしないですね
ただ別にあえて言ったりしてないだけで
でもコンフリクトしないのは
うまいこと嘘ついてるからっていうことなのかもしれない
1:09:04
自分にストレスがかからない程度の
そういう嘘をつき続けてるのかもしれない
なんかめっちゃ手伝ってきた
バランス感覚
だってほらそれこそゴミの話とかね
の時にも出ましたけど
自分がビジネスの中でやってることと
神格調の話の中で
こうなった方がいいよねっていう話とかって
そのお客さんの前ではできない話だったりする場合もあるじゃないですか
っていうのは
でも両方目の前に相手がいる時には
そこに対して精一杯やってるし
でも実際こうの方がいいよねって
社会とか世界こうなってた方がいいよねって思ってることも真実だし
そこは明らかに矛盾する部分を抱えてるんですけど
でもそれをあまり矛盾と思わずに生きてるっていうところで言うと
薄く嘘ついてる感じ
でもそれ分かりやすいですね
市産業に携わってる人と
ゴミの分別っていうのが
自分の意思とは関係なく直面してる人の
切迫感みたいなのは
僕すら嘘ついて仕事に携わってたなって思った瞬間は何個かあります
そう言われたら分かる
クリスマスソングの話ってこのエピソードでしたっけ
クリスマスソング
そうかもしれないです
スタートから
クリスマスソングに始まり
カムイ伝を挟み
こういうエピソードとかって説明すればいいんだこれ
自分への正直さは何なんだ
タイトルって言うのが一番大変かもしれない
よくこのタイトルにできたなって
という感じの今回のエピソードですけど
1年のスタートとしていきなりここから
反省会みたいな話になっちゃってるけど
反省会というよりは
僕やみんなはどこへ行くんだろうみたいな
そういう話ですよね
ちょっとした助走みたいな感じですね
2023年のクラシックから知られた
方向づけを考える上での
1年後にもう一回聞き直したら
こんなこと言ってやがったって全然思う気がする
いいですねそういう記録としてね
って感じでいろいろとまだ
2023年も倉田氏ラジオの企画としては
いろいろと仕込み中ですよね
面白くなってきますよ
1:12:01
楽しみです
雑学ばっかり学んで
その話たくさん出てくるみたいな
雑学とか無駄こそ素敵なことはないですからね
豊かな時代に生きてるなって思いますよ僕は
というわけで年明けから3エピソード
3人でリアル収録でお送りしましたが
次回からまたゲスト回が待ってますので
これも楽しみなんですよね
ゲスト回いつも楽しい
予告はしていい?
まだやめてください
次回はやめておきましょうか
楽しみにしていて
来週も火曜日に配信しますので
ぜひ毎週お聞きください
自分もこんな葛藤を抱えているというのを
ハッシュタグCOMCLAでお願いします
っていうのはめちゃめちゃツイートしにくいと思うので
感想のフォームも匿名でやれるように設けております
ついでにこいつら誰やねんっていうのは
COMCLAのコレクティブを参照いただければと思います
今回も長い時間お付き合いいただきまして
ありがとうございました
また来週お会いしましょう
ありがとうございました
01:13:38

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