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  2. #15 依存執着との向き合い方
2024-05-17 19:44

#15 依存執着との向き合い方

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スマホ依存の話から始まり、依存や執着に対する向き合い方について深めています。

依存って、コントロールできないものをコントロールしようとしすぎた結果らしい。だからコントロールしようとしないことが鍵になってくるとのこと。

これ、世間の捉え方と逆だと思いませんか?

私は依存や執着に対してこういう捉え方をしてくれるとめちゃくちゃほっとします。

 

依存をこじらせてしまう(そもそも依存という概念も)原因は、厳しすぎる社会の側にあるんじゃないかと話が深まっていっています。

深めがいのある話題。依存や執着気質は少なからず全員にある部分だと思いますが、傾向の強い方はぜひ聞いてほしいお話。

サマリー

スマホ依存執着とは、情報が入ってこない状態に耐えられなくなることと、ぼーっとしている状態に耐えられなくなることです。依存執着に対しては、コントロールしすぎず、自分を許すことが大切です。問題解決のためには、依存や執着と向き合い、自分を許すことが重要です。自己コントロールを保ちつつ、相手との距離も重要です。

00:01
スピーカー 1
なんか、自分が喋らされてる日になってない?
スピーカー 2
確かに、確かに。ちょっと面白いの来たら、「いや、そこを回しましょう!」っていうのが続いてます。
今日さ、自分さ、思想強めだよね。
スピーカー 1
いや、もともと強いですよ。
スマホ依存とは
スピーカー 1
いや、そう、なんか収録外で、依存執着との向き合い方みたいな話で、
なんか、スマホ依存についての話をしてたんですけど、
そう、すごい名言があったんですよね。
スマホ依存執着を、なんでしたっけ?
スピーカー 2
いや、流れで言うと、自分もスマホに執着するっていうか、要はSNSをぼーっと見ちゃう。
ただその、なんだろうな、やっぱり、大前提の話で言うと、
スピーカー 1
情報が入ってこない状態に耐えられなくなってくるよね。
スピーカー 2
これ現代人、我々だとすごく想像するんだけど、
もう基本的にずっと情報量が高い状態に晒されていると、急に情報が何もない。
要はぼーっとしている状態っていうのが、耐えられなくなってくる。
スピーカー 1
いや、そう、それめっちゃ怖くないですか?
なんか、だから脳みそ忙しいし、寝れないし、しんどいんだろうなって思うんですよ。
スピーカー 2
そうそうそうそう。
だから本当は、そういうふうにオンオフ切り替えられたらいいんだけれども、
なかなか不思議なもので、そういうふうになかなかできなかったりするっていうのもあって、
その空いた時間っていう時に、何か不可の低い情報を大量に取りたくなるっていうのが、
そのSNSに吸い込まれていく原因だと思うんだけど、
それをやっちゃうと、私はこれがやりたいとか、あるいはやらなきゃいけないでもいいんだけど、
そういうものに対して手がつかなくなってしまうっていう、
言い尽くされたあるあるがありまして、
自分もご多分に漏れずそういう悩みを持っていたんだけど、
自分は別に完璧にスマホを触らずにやることができるようになりましたっていうつもりは妄当ないんだけど、
スピーカー 1
2,3年前よりかはちょっとマシになったっていう感覚はあって、
スピーカー 2
その時に何が大事かなって振り返って思ったのが、
コントロールとの向き合い方
スピーカー 1
コントロールしようとしすぎないこと。
そうなんですよ。これが名言なんですよ。
ありがとうございます。
さっきも話したんですけど、大学院の時にインタビューしてた薬物依存の人が、
依存症っていうのはコントロールしようとしすぎて陥るものだから、
回復に大事なのはコントロールを手放すことっていう、
世間とは真逆のことを言ってて、もうそれがめっちゃ良かったんですけど、
まさかここで同じ内容が聞けるとはっていう感じですね。
スピーカー 2
ネットで調べると、いかにコントロールするかっていう発想になって、
それでやると、要は挫折が非常にはっきりしてしまう。
要は何だろうな、例えばスマホを裏向きに置いて、
それを裏向きに置くっていうことを決めたときに、
その裏向いたスマホが表を向いた瞬間に失敗したっていうのが明確になるわけですよ。
それをやると、要は考え方として0-100になってしまう。
例えば30分勉強するって言ったときに、30分裏向けていられたら成功100。
25分で表を向けてしまったら失敗ゼロっていう、
スピーカー 1
その途中のプロセスの25分が無視された状態で失敗って捉えてしまう人が結構多い。
スピーカー 2
ただ、それで25分の苦労とか、あるいは5分でも2分でも1分でもいいんだけど、
その分のやりましたっていうことに多分目を向けた方が良くて、
だからあんまりこういう風にやるっていうのを決めすぎず、
スマホが見たければ見てはいいやんと。
で、また満足したら戻ってきたらいいと思うんですよ、自分はね。
で、やっていってると勉強してるのが、
スピーカー 1
スマホより勉強の瞬間が2,3分くらい来たりする。
スピーカー 2
5分くらい来たりする。
スピーカー 1
慣れてくるとそれが10分とか2,30分になってきたような感覚が自分はあって、
スピーカー 2
なんかそういう風な克服の仕方のような気がする。
スピーカー 1
いやー、なんかその考え方すごい救われるんですよ。
なんだろうな。
スピーカー 2
これも前から何度か言ってるけど、単純化しない方が良くて、
成功失敗の2分法ではなくて、もうちょっとその中身を複雑に、
スピーカー 1
ちゃんとビジネスっぽい言葉を使うのであれば、解像度高く捉えてあげた方がいい。
スピーカー 2
そういうちょっとこう、できるようにならなきゃできる状態であらねばって思ってる人は、
そこができないところばっかり大きく捉えちゃう。
できてるところをちっちゃく捉えちゃうっていう人が結構今の社会多いと思うので、
そこにそういう自分がいるって気づいたら、そこに意識を向けながらやった方がいいと思います。
スピーカー 1
確かに。
なんかあれでしょうね、その感覚って依存してたとか、
そういう経験がある人から出た言葉だからすごい響くんだろうなって思うんですよ。
感覚がわかるというか。
なんかこう上からこうすればいいんじゃって言われてる感じが全然ないんですよね。
なんか体験から出た感じがあるんですよ。
依存っていう言葉自体が多分異常なものとして捉えられている気がしていて、
スピーカー 2
依存って普通のことだし、多分みんながみんなやっていることだし、
その依存がない状態で生きている人間とか、生きている自分みたいなものを想像できたら
それに向かってやっていただいたらいいんだけれども、少なくとも自分は想像できないので。
だからなんて言うんだろうな、そうなると依存を、今日まで依存してたものを、
明日から一発でバスッとやめるっていうイメージは当たり前のように持てないし、
それこそグラデーション、ちょっとずつっていう感覚でやっていく。
スマホよりも楽しいもの、楽しい瞬間っていうものを見つけられたらいいよねぐらいでやるのが一番いい気がする。
スピーカー 1
見つけられたらもそうだし、今の時点で多分あるんでしょうね。
そこに目が向いてないだけで。
なんか存在してるんだろうなぁと思って。
それを代わりにやんなきゃ、見つけなきゃ、埋めなきゃみたいな。
もう脅迫関連になっちゃうから、今の時点であるものを肥大化させていくみたいな感覚はすごい大事やなと思って。
スピーカー 2
そういうとやっぱりできたらいいなぁぐらいの感じ。
言葉にすると結構つまんないんですけど、
スピーカー 1
実際やるときにその感覚を自分のイントネーションで心で唱えると結構いいんじゃないかなと思いますけどね。
理想って基本的にできたらいいなぁぐらいで留めておきたいんですよね。
スピーカー 2
そう。
スピーカー 1
わかる。
自分を許すことの重要性
スピーカー 1
なんか私も去年かな、すごい依存系で言うと、恋愛にまつわることでめっちゃしんどかった時とかは、
本当に。
そんな理想なんですか?
スピーカー 2
いや、始まったと思って。
スピーカー 1
始まった。私の依存執着系の話は基本的にこのルートをたどるんですけど。
それがすごいしんどかった時も、考えるのやめなきゃとか、とりあえず他のことしなきゃとか思ってたんですけど、
でも基本的に、その時は日記書いてたんですけど、ずっとアプリつけてるんですけど、やるパターンやってるんですよね。
ご飯も食べてるし、仕事にも行ってるし、散歩もしたなぁみたいな。
なんかそれはすごいしんどいんですけど、しんどい状態の中でもやってるんですよね。
だからなんかまぁええかって思う時がちょっとあって、
なんだろう、このしんどい状態でもいろいろ生活できてる自分がえらいわと思って。
そう思った時すごい楽になったので、それはヒントな気はしてて。
依存執着ある状態でもできてることってすごい大事じゃないですか。
スピーカー 2
自分が大事なのは、依存とかも含めて、生きる上で大事だと思っていることだけど、自分を許すこと。
たぶんこれね、たびさこのテーマの一つでもあるけど、
スピーカー 1
確かに。
スピーカー 2
今のね、また社会の話をするけれども、やっぱりその、なんていうんだろうな、
自分を許せないっていう、自分のこういう部分が許せないっていう人が多すぎるし、
そういう人を再生産する仕組みになりすぎている。
依存に関しても、依存したらいいんですよ。極端な話。
薬物依存したってダメですけど、しちゃったものは仕方ないじゃないですか。
それをすぐやめれるかって言ったら、やめれませんっていうのは、
もう科学的に証明されてるんです。ほぼ間違いなくね。
で、それをやめれない自分っていうので、いたずらに責めてしまうから、
二次災害的にメンタルの調子を崩すのであって、
それを自分を責めても責めなくても、依存なのはすぐには変わらないのは一緒なんですよ。
スピーカー 1
逆に責めることが引き金になっているというか、よりひどくなっている。
スピーカー 2
で、それを助長するような社会のあり方になっている。
関わり方になっているっていうところがまず問題っていうところをはっきり言いつつも、
依存で困っているっていう人ができることとしては、いかに自分を許せるか。
要は、社会から言われるような甘えみたいなことを、当然のように自分にそういう言葉書きをしてあげられるか。
やっぱり、社会が甘いって言っているのが正しいのではなくて、社会が厳しすぎるんだっていうことを、
自分は小裸に言っていきたいなという思いですね。
依存と罪悪感
スピーカー 1
そうですね。本当にそれを負に落とすというか、腹落ちするのが結構難しくて、
自分を許すとは頭では分かりつつ、感覚的にまだまだ自分と喧嘩しているなという感じはありますね。
スピーカー 2
まあね、依存の形にもよるよね。
例えば、薬物依存の人とかも、その依存が長引くことによって、
例えば家族に迷惑をかけるっていうこともあるだろうし、
例えば、入院が続いているとか、単純に気持ち的にも悲しませているみたいなとか、
そういう要因が自分の外にあったときに、
なんとかしなきゃっていう焦りみたいなものとか、脅迫関連的なものになってしまうっていうのはあると思う。
そこはそこでやっぱり別に存在するわけだし、
今度はその感情はあっていいんだよっていう許しを与えてあげないといけないと思う。
やっぱりここも人の複雑さの話で、
自分に許しを与えるってなったら、全てに許しを与えるっていうのもそういう意味だそうなんだけど、
スピーカー 1
完全に自分を責めないようにしなければならないわけでもない。
調子のいいときはできるけど、調子の悪いときは、
スピーカー 2
なんで自分はいつもこうねみたいになって、全部崩れてリセットみたいな感じがあるので。
それは自分のことを責めちゃう自分っていうのを許してあげるべきだと思う。自分の感覚で言えばね。
僕の言葉に専門性はないので。
僕の考え的には、それはそれで一つの自分で自分のことを責めちゃうっていう、
頭ではわかってるけど、なかなか自分の中で内面化してしまったものじゃないですか。
それもやっぱりすぐには変わらないわけで、その意味で依存と構造は一緒なんですよ。
そういう自分っていうのが今自分の中にあるっていうことに意識を向けてあげて、
しゃあないね、よしよしと。ここまでは自分を責めちゃうけど、
これ以上はやめとこうかなみたいなものを自分の中で持って、
そういう意味では余裕を持って自分を責める。
スピーカー 1
余裕を持って薬物依存する。
余裕を持って自分を責める。
スピーカー 2
だからもう極端な話、自信を持って自分を責めたらいいし、
過食する人はここまでって決めた分って言ったらあれだけど、
ある種自信を持って過食してしまえばいいと思うし、
スピーカー 1
自信を持って迷惑すればいいと思うんですよ。
依存への対応
スピーカー 2
確かに。
でも依存はそれで必要な要素があるっていうわけじゃないですか。
そこに論理的な裏付けを持って、すぐに変わらないっていうベースを持って、
一種放り投げてしまう部分。
ただ命に関わることはしないようにしようねとか、
自分の中でそこの部分は多分感情にあるじゃないですか。
そこのところをやっぱり自分で調整してあげるというか、
みたいなことができるっていうのが、
本当の意味での自己コントロールなのかもしれないですけどね。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
僕の言葉に専門性はない。
スピーカー 1
説得力はある。
余裕を持って自分を責める。いいですね。
そうですね。
やってはいけないことをやってる感覚が不安になるんですよね。
足元からグラグラするみたいな不安。
やってはいけないことをやってるみたいな。
飲み込まれちゃうので。
スピーカー 2
それはいいなって思いましたね。
そこがまたね、やっぱり人に迷惑かかるとか、
そういう関わるようなことだと話がもちろん変わってくる。
自信を持って、あの人殴っていいよみたいな。
極端な話ね。
スピーカー 1
でもなんかそれとこれとは違いますよね。
なんか違う気がするんですよ。
なんかよく言う、自分を許そうとかで、
薬物やってる人を許すのかみたいな批判とかあると思うんですけど、
それとこれとは全然違う話じゃないですか。
と思うので、その批判は違う気がします。
スピーカー 2
例えばあれなのよ、脅威ゾーンとか、
その辺だと必ずしもそうとは言えないかもしれないかなって今ちょっと思った。
自信を持って、ここからここまでのラインで自信を持って脅威ゾーンしてくださいは、
逆効果の可能性があるので、相手があることなので。
それはあるけど、状況によるから、
はっきり、距離取った方がいいこともあり得るだろうから、
はっきり言えないですけど、人が絡んでくるとね。
スピーカー 1
なんかあれですかね、一人で悩むとすごいしんどいじゃないですか。
一人で悩むと極端な考えに行きがちじゃないですか、ぐるぐるして。
それが脅威ゾーンっていうと、相手と自分が同一化してるから、
一人と同じ状態なんですかね。
この辺はね、うちのパーソナーにゲスト出演してもらって、
スピーカー 2
じっくり語ってもらわないと何とも言えないけれども。
脅威ゾーンってなんだ?
スピーカー 1
いろんなパターンがある気がします。
同一化してるパターンと、DVとかも脅威ゾーンじゃないですか。
スピーカー 2
だからいろんなパターンはあるかな。
確かに同一化っていう意味ではね、
そういうあまり気にしなくていい部分もあるのかもしれない。
依存しちゃっていい部分もね、もちろん。
スピーカー 1
もちろん人になって誰しもみんな依存しながら生きているので。
こんな話で良かったですか。
依存執着についての明るい兆しというか、
どうすればいいのかみたいな話をしたかったので。
スピーカー 2
自分結構そういうね、実践的な、プラクティカルな、
知見みたいなのはないことないっていう感じなんですけど、
参考になったら嬉しいなと思います。
スピーカー 1
そうですね。ありがとうございます。
スピーカー 2
一旦じゃあこの辺で。
19:44

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