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2024-01-16 16:46

談3 青春18きっぷ 大阪 − 北海道利尻礼文の旅 その①

青春18きっぷ 大阪 − 北海道利尻礼文の旅

気づいたこと、気になってること、突然思い出したこと、忘れないうちにメモっておきたいことなどなど、超ランダムに雑談してます。

ホスト: ちじゅ
🔅オーストラリアでのワーホリを皮切りに、色々な国に住んだり、バックパッカーしたり。今はドイツに落ち着きドイツ企業に勤務。
🔅何処にいても、日本の武士道精神を保つ努力は忘れない、つもり・・。
 
座右の銘: やらずに後悔するよりやって後悔 色々やって色々失敗しましたが、大きすぎる後悔はないです。😆

#ドイツ #人生を豊かに #人生を楽しむ #語学 #外国 #移住 #海外生活 #留学 #旅行 #転職 #LISTEN #Podcast #ポッドキャスト #雑談 #声日記 #世界のトリセツ

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00:05
こんにちは! ちじゅです。 お元気ですか?
先ほどですね、他の方の
音声反芯を聞いていて、その方が18きん…18…18…ん?
青春18きっぷ…そうだ、青春18きっぷを使って
いろんなところに行くのが好きだっていうようなお話をされてて、それで私も
はぁ!と思い出すんですよ。 青春18きっぷといえば!
ということでですね、
私も青春18きっぷっていうのを1回だけ、一生に1回だけなんですけど、使ったことがあるんですね。
それ以前もそれ以後も1回しか使ったことはないんですけど、その時
大阪に住んでましてね、えーとね、歳はね、もう37とか
67とか、もう40手前だったんですけど
その時私、行政処署のね、試験に
試験取るとか言って、急に宣言しちゃってね、なんか行政処署の試験をね
なんか受かりたくて、勉強を始めたんですよ
んで、なんかそういう勉強とかも大っ嫌いだし、全然向いてないのに、なんか
言っちゃったから、やらなく…やらなきゃいけなくなっちゃって
いまだに私も、何だったんだあれ?と思うんですけど
とりあえずね、勉強をね、毎日ね、ちょっとね、しようと思ってたんですけど、私当時住んでた大阪のね、その
アパートがね、もうデラつくてですね、もう貧乏アパートですよ、もう貧乏、貧乏一人暮らしでしたからね
その時、もうね、すっごい狭い部屋でね、クーラーもね、あったのか?
なかったと思いますよ、扇風機が一個、あ、クーラーはついてた、ついてた、ついてたけど
使ってなかったんですよ、なのでなんか図書館とかなんかどっかに行っちゃうね、なんか涼しいところでね
勉強してたりとかしてたんですけど
その時にね、なんかね、急にね、なんかグダグダ家でやっててもね、しょうがねえ
もうこれはね、涼しいところに行くしかない
北海道に行く!って決めたんですよ、なんか、唐突に
もうとりあえず涼しいところは北海道だ!みたいな、北海道当時行ったこともなかったんですけど
もう北海道に行ってみる!とか言って
それまでは私の旅っていうのは
バックパッカーとかね、あの、東南アジアとか一人旅したりとかね、ネパールの方行ったりとか
あの、数ヶ月旅したりとかも、ほんとバックパックを背負ってね
一人きりであちこち行ったりとかっていうのもね
あの、いろんな別の国でやったことがあったんですけど、日本国内のね
旅行っていうのはあんまりしたことがなかったんですよ、一人で
で、当時ですね、もうずいぶん昔の話なんですけどね
あの、なんかね、今みたいにお一人様っていう言葉もなくて、一人でなんか食べに行くとか
一人で旅行するっていうのが、ちょっとなんかこう、はばかられるような時代だったんですよ、当時
ほんで、私がそういうふうに言ってね
ちょっともう暑くてしょうがないから、もう北海道へ行って勉強してくるわ、とか言ったら
もうそんな、おやめなさいと、あなたいい歳して女の子が
女の子じゃないけど、女の人が一人で北の方に向かうなんて
03:02
何かと間違われたら困るでしょう、みたいな、なんかこう、精神のない人がなんか
自分の、うーんと、最後の場所を見つけに行くみたいなイメージが当時はあったんでしょうかね
なんかね、いろんな人がね、止めたんですよ
もうそんな悲しくなるような、その北の方に行く、なんか一人で向かうとかって、もう
おやめなさい、みたいな感じでね、言われたんですけど
もうとりあえず、もう暑くてしょうがない、もう
うーちで勉強なんかしてらんないから、もう北海道へ行くわ、とか言って
ほんで、どうやって行こう、お金もないし
青春18切符っていうのがあるらしいよ、って言って
ほんで、それで、なんだっけな、えーと、5日間使えるんですかね
24時間、チケットが5枚あるみたいな感じの、1枚のチケットの中に
なんか5つか、5つのチケットが、5日券みたいな感じで入ってて
1日がまあ、2000円ぐらいのものだったかな、2500円だか
ぐらいの相当になると思うんだけど、それで24時間で、しやーっと、どこまで乗れるみたいな
やつだったと思うんですよ、当時
で、新幹線とかは乗れないのかな、だから、いわゆる在来線は乗れる、みたいな
ほんで、特急も乗れる
かなんか
それか特急の次の位の
までは乗れるとか、なんかちょっと早めのやつも乗れる
みたいなやつだったと思うんですよ、快速はオッケーとか、そんな感じだったかな
まあ、とりあえずね、そういうの乗れる、新幹線は無理だけど、まあ快速みたいなのは乗れるよって言うんで
ほんでですね、私はもう時刻表
当時、もちろんインターネットもありませんから
私、えーと
時刻表ね、ポケット時刻表、それを私のバイブルとしましてね
それにね、もう線引きまくって、これ乗って、次はこれ乗って
あれ乗ったら、そしたら1日目でここまで行ける、みたいな傾向を立ててね
その青春18切符のみで
北海道に行ってやるって思って、んで、えーと、一回ね、あの
えっとね、フェリーには乗ったんですよ
なので、フェリーはチケットを買いましたよね、いくらかも何にも覚えてないですけど、フェリーは使いました
それ以外はね、その青春18切符と、あと
どうせ行くなら、もうちょっと一番北の方に行っちゃえみたいな、遠くに行こうとかって思って
なんかよくも分からないまま、じゃあリシリ島っていうのとレブン島というのに行くって決めたから
なので、フェリーで、それもね、フェリーでね、行ったんですよ、島なのでね
ご存知ですか?リシリ島とね、レブン島ってね
とってもね、可愛らしい島がね、2つね、ちょこんとあそこにあるんですよ
リシリ島の方が大きくて、レブン島の方がちょっとちっちゃいのかな?
長細いのかな?なんかそんな感じだと思うんですけど
えーと、リシリ島よりもレブンの方がもっと北になるんじゃないかな?と思うんですけど
ちょっとうる覚えで、ごめんなさい、もう何だってずいぶん昔の話なんですけど
まあ、とりあえずそこに行くって決めてですね
で、どうせ泊まるんだったら、まあどっちにしろ私も貧乏旅行に慣れてるので
もうね、バックパッカーでずーっとこう
5ユーロとか10ユーロで渡り歩いてたような人間なので
日本でもそんなにお金をなんかホテルとかに出すっていう感覚がないもんですから
06:01
じゃあユースホステルだー!とか思って
で、リシリの方では
リシリグリーンヒルっていうね
ユースホステルが当時あって
で、レブンの方ではね
桃岩草って
そうだ!桃岩草っていう名前ですよ
っていう名前のね
ユースホステルに泊まることにしたんですよ
で、あのー
えちらこちらね、そのね
在来線に乗ってね
北へ北へと向かうわけなんですよ
で、一気にはね、北海道まで行けませんから
途中でね、青森でね
カプセルホテルっていうのに泊まってみたんですよ
すごい快適でしたよ
へーと思って
カプセルホテルっていうのをね
聞いたことはあったけど泊まったことはなかったから
泊まってみる!とか思って
女の人で泊まる人はあんまりいないので
帰ってね、すごく快適でしたよ
女の人専用の
なんかこう、着替える場所とか
女の人専用のなんかこう
エリアみたいなのがあったりとかして
もう誰もいないんですよ
私だけだったので
すごいなんか快適に
使えたりなんかして
お風呂とかもなんか快適に使えたりなんかしてね
すごくなんか優雅な気持ちで
で、カプセルホテルはもうカプセルですから
あのーちょっとね
直立はできないし
起き上がるっていうか
上半身を上げたら
頭打っちゃうみたいな感じだったんですけど
そのカプセルの中にちっこの
なんかテレビがあったりとかしてね
うん、なんか
快適にね、カーテンもちゃんと閉めてね
なんか
プライバシーもちょっと確保されてる
みたいな、そんな感じでしたよ
うん、なのでそこで快適に
寝させてもらって
で、無事に北海道まで行って
で、それからまずはディシリ島に泊まって
それからレブン島ですよ
で、このディシリグリーンヒル
っていうのと
レブンの桃岩層って
ご存知です?
もうね、私ね、行く前から知ってはいたんですけど
もう恐ろ恐ろね
ちょっと泊まってみたんですよ
なんか、ミーティングっていうのがね
60年代とか70年代には
どこのユースホステルでも
やってたんですって
ミーティングっていうのは
みんなで歌ったり、踊ったり
なんか喋ったり、なんかそういう
なんていうの?
ユースホステルが主催する
なんか会ですよ
みんなで集まってミーティングですから
ミーティングって言っても会議をするわけじゃなくて
知らない人同士が
なんか仲良くなるみたいな
そういった場があったらしいんですよね
そういうのがどんどんと廃れていって
もうそのユースホステルで
ミーティングをやってるところっていうのは
当時もだいぶ減ってたんですよ
その中でやっても
ディシリとレブンには
有名なミーティングがある
ということで、それは目当てに来る人も
いるぐらいだったらしいんですよ
で、私はそういうのってちょっと
ちょっと苦手みたいな
私ミュージカルとかが苦手な人間だから
もうなんかコンサートとかも
行ったことないし
あんまりそういうのが
っていうね、タイプではあるんですけど
まあ安いし
09:01
ちょっと怖いものを見たさっていうのかな
うん
で、なんでも挑戦しようっていうところもあるので
なんか
とりあえずそんな食わずぐらい
ギライもね、食わずギライも
良くないので、まあとりあえず
まあ行ってみればいいやと
強制ではないから
今ね、別に参加しなくてもいいし
みたいな感じで
で、まあ嫌だったら部屋にいればいいや
みたいな感じでね、行ったんですよ
ほんでね、ディシリとの方で
まず泊まったら、ミーティングっていうのがあってね
なんかね、みんなでね
60、70年代あたり
80年代以前までの
なんかそういうフォークソングみたいなの
みんなでね、歌ったりとかするんですよ
それがね、意外にね
なんかこう、なんでしょうね
そういうものから離れて
もう2、30年経ってるじゃないですか
30年経ってないか
20年とか経っちゃってるから
ちょっとなんかこう
小学、中学校の時の
なんか感じでね、なんか
ちょっと面白くなっちゃってですね
私も一緒に歌ってね、結構私ノリはいい方なんですよ
もう嫌だなーとか思いながら
やる時はやるみたいなタイプなので
もうちゃんと歌ってね
もう手拍子もつけたりなんかしてね
ほんでね、結構楽しんだりとかしてね
私と人と知り合ったりとか
ほんでその、りっしりグリーンヒルっていうところではね
なんかね、壁にね
なんか紙が貼ってあったんですよ、当時
で、そこにね
鉄人コースとかね
超鉄人とかね、なんか色々書いてあってね
なんだ?と思ったらね
それはね、なんか
あるメニューをこなすと
称号が与えられるらしいんですよ
で、私は
そういうのとかってあんまり興味がない
とか思いつつ
称号が欲しいっていうよりも
なんかその、メニューがね、面白いんですよ
えーとね、私が
興味をそそられたのは
んーと、1日目が
だいたい、んーと
なんだったっけな、誤白しなければいけない
とかね、条件がなんか書いてあるんですよ
で、この条件をクリアすると
称号がもらえるんですよ
なんか手作りのワッペンみたいなのがもらえたりとか
なんかそんなやつだったと思いますよ
ほんでね、えっと
もうほんといい歳した私も、なんなのなと思うんですけど
結構そういうのって触れてないから
もう、何十年と
てか、逆に面白くってね
んで、そこでね
えっとね
えーと、なんだかな
そうそう、1日目がね、メニューが決まってて
1日目が
まずは誤白以上すること、みたいな
で、1日目がリシリ島を
ママチャリで一周する
んで
2日目に
リシリ島っていう島があるんですけど
そこの峠をする
登るってことですね
うん
リシリグリーンヒルがあるところが
大体こう、海抜0メーター
0メーターぐらい、10メーターとか
海岸の近くなので
そこから、そこを出発して
みんなでこう、一気に上まで上がっていく
リシリ島が
どれくらい高かったかな、2600とか
12:01
そんな感じだったか
いやごめんなさい、1600だったかな
とりあえずね
一気に登れちゃう山なんですよ
で、それに登る
んで、下山する
んで
3番目にね
えっとね
それはね
一気に、毎日やらなくてもいいんですよ
間にね、ちょっとね、休憩入れてもよかったと思います
ほんで、とりあえず私がやったのは
もう一個はね
リシリ島をね
一周歩くってやつなんですよ
たしかね、53キロだったと思うんですよね
一周すると
リシリ島、海外沿いのね
すごく綺麗なね
ところなんですけど、それママチャリで1日目に
こう、待ったじゃないですか
それを今度は徒歩で、かんぽしろっていうやつなんですよ
ほんで私、それやってみようと思ってね
なんでか知らないけど
やっちゃったんですよね
なんでやったのかも、よくわかんないんですけど
ママチャリは行けましたよ
リシリ島に登るのも全然余裕なんですよ
だけどこの歩くのはね
あんなにしんどい思いをしたことないですよね
歩くだけなんですけどね
何がつらいって
当時みんな
携帯っていうものを持ってたんですよ
で、私は古いタイプの人間だからね
携帯とかね、持たないタイプだったんですよ
私、一生で
携帯って持ったことないんですよ、一回も
ちょっと変わった人間なので
携帯も持ってないしね
話す相手がいなくてね
なんかね、つらくなってくるんですよだんだん
しかも雨まで降ったりなんかしてね
ほんでその
鉄人コースっていうのを私はやったんですけど
それって島ではね
有名でね、女が一人
歩いていても誰も声をかけて
こないんですよ
このプログラムやってるなーって
地元の人もわかってるからね
なのでひたすらね、もう
暗くなってね
歩くんですよ
それをね、それ以前にね
やった人たちの出迎えっていうのを
やったことあるんですよ
自分がやる前にね、出迎えっていうのをやって
ほんで、帰ってきたらね
ただいまーって帰って来られるので
その人たちをね、お迎えして
ほんでね、歌をね、いい曲ね、みんなでね
歌ってあげるんですよ、そのね
感想じゃなくて、かんぽした人に対してね
で、結構ね
なんかね、うるっときたりとかね、しててね
ひやーとか思ってたんですよ
でもね、自分がやってみたらね
気持ちがもう
ほんとにわかりましたよ
そんなにつらい思いしたのはね
もう、なんていうの、あまり
鉄の塊が
足の中に
入っちゃってる感じ
たまに夢とかで、こう
歩きたいのに歩けない
足が前に出ないみたいな
もうなんか、つっちゃってるみたいな
そんな感じ
になってね、もうね
一歩一歩がね、もう泣きたくぐらい
しんどくてね、あんなしんどい思いはしたことないんですけど
しかも雨まで降りだしてね
一歩一歩がもう
死ぬほどつらいみたいな
まあね
他の人からしたらね
15:01
50キロぐらい歩けや、と思うかもしれないんですけど
私にとってはね
しんどかったんですよ
んで、かんぽできたときにはね
もうみんなが出てきてくれてね
がんばったねーとか
みんながね、歌を歌ってくれるんですよ
私が歌ったその歌
別の人のために歌った
その同じ歌をみんなが歌ってくれるのを
聴いてたら、ほんとに
涙が出そうになっちゃって
今も涙が出そうになっちゃってるんですけど
もうね、だいたい人前で泣いたりするようなタイプじゃないし
あんまり感動しいじゃないんですよ
その時はもう
ふるっとかなっちゃって
気持ちわかるわー
と思ったんですよね
いやーあれはつらかったですよ
んで、超鉄人とかっていうのが
当時あったと思うんです
それはね、あのね
別の島までね
泳ぐやつだったと思いますよ
で帰ってくる
泳いで帰ってくるとか
私泳ぐのとか全然苦手だし
何も持ってなかったから
それはやらなかったんですよ
なので2番目のランクのやつなんですけど
それで称号をもらいましたよ
手作りのなんか
今も実家にはあるんじゃないかなと思うんですけどね
もうねー
いい歳してね
40歳手前のね
もう
行政書士のね
試験を取りたくてね
勉強したくて行ってるのにね
何やってんだって感じですよね
いやいやいや
ほんで次にレブンですよ
レブンもまた
激しい島でしたよ
ちょっと長くなっちゃったから
一旦終了しまーす
またねー
16:46

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