00:00
英語史つぶやきチャンネルということで、英語史研究者の堀田隆一です。
今日はですね、第4回となりますけれども、文法用語の話題を取り上げたいと思います。
みなさん、仮定法って言いますか?接続法って言いますか?あるいは叙想法と言いますか?
また、第4、第5の言い方を持っている人もいるかもしれません。
ただですね、英語であるとか、フランス語、ドイツ語、ラテン語等の、いわゆる引用語ですよね。
この辺りで、もともとこの仮定法に相当するものがあったわけですが、これを何と呼ぶか。
これがですね、なかなかの宗教戦争みたいになっているんですね。
絶対にこの言い方以外譲らないというようなですね、文法家がいたりするわけです。
みなさんは何と言いますかね、これベースとしている言語が何かによっても異なります。
つまり、英語学をベースにしている人、フランス語学、ラテン語学をベースにしている人はそれぞれ言い方というか、
好んで使う言い方というのが異なるかもしれません。
起源としては、ルーツとしては同じものを指しているっていうのを知識としては持っていても、
いやこの言い方以外譲らないとかですね、こだわりがあるんですよ。用語ってそれ出るので。
そして英語でもですね、時代によって、例えば現代英語ですと、そして一般の英文法ですと仮定法っていうのが非常に通ってますよね。
これ中高の英文法、英文法参考書でも普通に仮定法って出てきてるわけなんですが、私が専門としている英語史ではですね、
例えば、古英語、中英語あたりの今の仮定法に相当するものですよ。
これに相当する昔の形、数百年前の形のことを何と言うかというと、英語の用語としてはサブジャンクティブと言ったりするんです。
これをどう訳すかによってですね、いろいろと考え方の違いが浮き出るんですよ。
現代で仮定法であり、そしてそのルーツなんだから、もうこの際ですね、ずっと仮定法と呼び続ければいいじゃないかという考え方はあります。
古英語でも中英語でも、結局現在の仮定法につながるわけなんで、現代の言い方が定まっている以上、仮定法で定まっている以上、それをそのまま過去にも応用するっていう方が分かりやすいじゃないかっていう考え方です。
これが一理あります。
ただですね、いろいろと変化した、きた結果、今、仮定法と呼ばれる形態になってるんですね。
03:03
例えば、If I were youみたいな時、このはの使い方は仮定法過去だっていう言い方するわけですよ。
これは仮定法じゃなくて、その反対は直接法ですね、普通の方。
直接法、過去だったらわずになるという違いがあるので、対立させる意味があるんですよ。
文法用語上って言いますね。文法解説上、仮定法の過去なのか、直接法の過去なのかっていうことで、わずというふうに、同じね、主語がIなのに変わるっていうところがポイントなので、これは文法用語としても分けておく必要があるっていう発想はとても分かりやすいですね。
例えば、こういうところを基準にして、つまり、現代英語の文法を基準として、一旦、仮定法と定まったんであれば、それは昔の英語、中英語、古英語にも対応するものが確かにあるわけですね。
なので、そのまま現代の見方をそのまま引きずってですね、継続して仮定法と呼び続けようというスタイル、スタンスは一つ分かる立場です。
現代を基準にする。いろいろ変わってきたのは分かります。歴史的な立場も分かります。だけれども、現代を基準にするっていうのはとても分かりやすいでしょうということで、推しているのが仮定法という訳語だろうと思うんですね。
英語の場合ですよ。他の言語だとまた違った事情があったりするので、もっとややこしいんですが、今日はですね、英語に限らせてください。いろいろと他の言語をやっている方はですね、突っ込みたいと思いますが。
このように、現代仮定法と名付けているんだから、これを昔にもそのまま応用しようという立場は一つありですよね。
ですが、厳密さということをですね、重視したい立場からすると、いや、if I were youのように、ifの中で出てくるのは確かに、ifって仮定ですから、もしっていうね、仮定ですから仮定法という名前は確かにフィットすると。
ただ、そこだけに出るわけじゃないですよね、ということがあります。
現代でも、この仮定法というのはあまりいろんなところに使われないんですが、例えばですね、I suggest that he go to see a doctorみたいな時ですね、suggestのような提案を意味する動詞ですね。
この後に続くthat説内では、仮定法現在を使うんだという文法項目がよくですね、参考書に出ています。
これは、thatの後の仮定法現在っていうのは、言ってみれば原型のことなんですよ。
06:02
heなのにgoesとならないで、he go to see a doctor、I suggest that he go to see a doctorみたいな言い方になるわけですけれども、
このような仮定法現在というものがあります。
この場合、別に仮定でもなんでもないんですよね。
suggestですから。
こう、進める、推薦するっていうことですから、別に仮定ということとはちょっと違う感じがするんです。
他に、提案とか要求という動詞ですね。
recommendとか、他に何でしょうね、要求ってリクエストとかrequireとか、こういう動詞を使った後にthat説が来る時も、やっぱりこの原型に相当するものが使われるんですね。
参考書では仮定法現在と言ってるんですが、仮定じゃないですよね、意味的に。
提案とか要求っていう言葉ですよね。
仮定ではない。
だったら要求法とかですね、提案法とかいうことならわかるんですが、ちょっと仮定には合わないだろうというそこの食い違いを指摘してですね。
全てに共通するのは、仮定とか提案とか要求、全てに共通するのは助走であると。
助走って何かっていうと、助術の情ですね。
そして想像する、イマジネーションの方ですね。
想念の想です。
つまり、事実を述べるんではなくて、頭の中で思い描いていることを述べているんだ。
こういう時に典型的に、いわゆる仮定法と呼ばれている形が使われるんだっていうことです。
これは根強い人気を保っていまして、実はある特定のコーナーではですね、大人気なんです、この用語。
仮定法はやめようと。
そうではなく、この仮定法と一般的に言われているもののポイントは、
頭に思い描いていることを表現する時に使う法であり形式なんだっていうことですね。
これは、実は歴史的にはかなり良い線行ってるんです。
ただですね、それを言うんであれば、I think thatの後に、この形態ですね、仮定法現在みたいなものは使われるんであれば、助走法うまくいく。
他には、I imagine thatの中にも現れるなら言えるんですが、
実際には、I think thatとかI imagine thatの後に、この形は続かないわけですよ。
なので、助走法っていうのは言い過ぎだっていう見方があります。
09:01
これ、歴史的にはかなり良い線行っていまして、I thinkとかI imagineの後でですね、やっぱりこの形が来たんですよ。
いわゆる仮定法の形が。
なので、昔の英語を念頭に置くんであれば、この助走法っていう表現ですね、
頭に思い描いていることを表現する時に使う法、形式なんだというのは、なかなか説得力はあるんですが、
いかんせん、現代ではそれがなくなったので、
現代にまで、過去の場合に通じていた用語を現代にまで引きずっているっていうのは、ある意味時代作語ではないかという、こういう批判はありえますよね。
ただ、エッセンスは結構捉えているかなというふうには私は思うんですね。
なので、これはですね、一部にはなかなか人気です。助走法。
一番聞かれないと思うんですけど、一番マイナーなように思われるかもしれませんが、これは熱狂的なファンがいます。助走法。
最後にですね、接続法という根強いネーミングがあります。
英語以外の言語でこれが残っているっていうこともありますし、これは何なのかというとですね、仮定とか助走っていうのは意味に注目したネーミングなんですよ。
仮定してますよとか助走、思い描いていることを述べています。事実ではなく、あくまで頭の中にあることを述べています、みたいなことで。
意味って言いますかね、機能に注目してるんですが、接続法って意味不明じゃないですか。これは統合的な発想なんです。
何かと言いますと、従属接続詞の後、つまり従属説の中で使うのが一般的だったので、これを従属接続詞にちなんで接続法ということで、これは意味に注目するというよりも統合構造ですよね。
主説があって、それに準ずる立場っていうか、その2段目ですね。2段目の段階の統合構造、これが従属接続詞によって導かれる、いわゆる従説とか従属説というものなんですが、ここに典型的に出るんですよっていうネーミングです。
なので、意味ベースではなくて統合ベース、いわゆる言語学ベースっていうことなんで、一歩近づきにくい用語体系にはなっていますね。接続法というわけなんですけれども、サブジャンクティブですね。これもサブジャンクションっていうのはまさに従属説っていうことなので、英語の用語サブジャンクティブ、これをどう訳すかというところの問題にはなってくるわけです。
さあ、いずれもですね、一長一短ありますね。どれもピタッとはまるパーフェクトな用語はないっていうことで、混乱と言いますか、競合が起こっている。家庭法、接続法、助走法、この辺り3つが出ました。他にも候補はですね、作ろうと思えば作れるのかもしれませんが、
12:19
日本の英語教育、学校英文法では家庭法が独り勝ちしてきたという経緯があります。ただこれをよく思わない方はですね、考え方がありまして、これは助走法にしようと。これが最も歴史的だし、しかも機能面からは不備あるとは言ってもですね、家庭法よりはいいというような考え方がある一方で、
いや、これはむしろですね、歴史的でかつ統合ベース、意味を挟むから厄介になるんだという考え方からするとですね、むしろ接続法みたいな無味乾燥な統合的な用語の方が、かえって間違いはないっていう、こういう考え方もあったりしてですね、これ議論平行線なんですよ。なかなか難しいですね。
で、しかもですね、英語だけじゃなくてフランス語とかラテン語とかドイツ語とか他の言語でもまた独自の用語体系とか監修的な用語っていうのができているもんで、そこが入り混じるとですね、もう収集つかないっていう感じになってですね、これは宗教戦争に近いので。
この問題には立ち入らないことに、最後にもう一つ面白い話題なんですけれどもね、これ日本語の訳語っていう話なんですけれども、東日本と西日本で英語でもですね、これ傾向が違うんですよ、訳し方。
西は家庭法、東は接続法って結構言うっていうんですね。さらに助走法っていうのも東寄りであるとか、これ何なのっていう感じじゃないですか。
面白いですけどね、これ方言っていうんですか、研究者仲間同士の方言っていう、とっても入り込んではいけないような領域があるような気がしてるんですけれども、めちゃくちゃ面白いですよね。
ということでですね、文法用語はとにかく宗教戦争になりますので、あまり立ち入りすぎない方がいいと思います。こだわりはあるかと思いますけれども。ということで、この入りにくい話題についてちらっとお知らせしました。
家庭法か、接続法か、助走法か、皆さんも一度考えてはみていいと思うんですが、一回考えたらあんまりですね、こだわらずに家庭法あたりでいきませんかというところです。ということでまた。