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スピーカー 1
カタラジオ!
スピーカー 2
リスト・企画者がゆるく語らう概念・監督・リアリティ・バッグ
カタラジオの時間が、今週もありました。
フィルシンコー担当のミッドと
スピーカー 1
ベシャリ担当の山上です。
スピーカー 2
はい、よろしくお願いします。
スピーカー 1
はい、お願いします。
スピーカー 2
いやいや、山上さん、なんか、今日、バリトンボイスじゃないですか。
スピーカー 1
今日はね、ちょっと声がかすれ気味だから、かすれないように気を使って、愛語的に喋ってるっていう状態があるんだけど。
スピーカー 2
なるほど、そういうことですね。
風邪ひいたんですか?
スピーカー 1
いや、声をね、使いすぎたのと、お酒をちょっと飲みすぎたのかなっていうところがあって。
酒焼き?
そうそうね、ラジオMCと説明的には、ちょっと本当に何をやってんだって話だけど。
何があったかというと、本職の医者の方で、私、遂に医学博士になりまして。
スピーカー 2
あら、これはもしかしたら論文が受理されたという、つまり。
スピーカー 1
論文自体は、もうちょっと前に受理されてたんだけど。
先週の水曜日に、学理審査って言って、教授たち、お偉い先生方3人の前で、自分の論文に発表をして。
いろいろこう、論文のことを突っ込まれて、それを回答するっていう、1時間ぐらいやる会があって。
それ一応合格して、きのう、小先輩方の100人ぐらいのドクターの前で、論文の内容をわーっと発表するって会がきのうあって。
その後に、飲みすぎたっていう。
スピーカー 2
なるほどなるほど。つまり、腹肺を上げてたっていうことね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
スピーカー 2
いやいや、おめでとうございます。
スピーカー 1
ありがとうございます。
MDか、PhDになりましたよ。
ドクターのフィロソフィーですね。
そう、哲学を持ってね、これから頑張っていかなきゃいけないってことで。
俺の哲学って何だろうって考えたら、研究の哲学もそうだけど、
研究もしつつ、ラジオと料理回しするっていうのは、一つ俺の哲学なのかな、みたいなことは思ったりしております。
スピーカー 2
別に哲学を持ってやれってことじゃない。
もともとドクターの源流はフィロソフィーだよっていうことなんだよ。
そうだね。知識を愛するって。
スピーカー 1
フィロソフィーは知識を愛するね。
料理回ししててよかったなって思ったことがあって。
発表をしたんだけど、すごい先輩方に、すごい堂々とゆっくり喋って、すごい聞きやすい発表だねみたいなことを言われて、
これは結構人に聞かれることを意識して喋ってる方ラジオの影響が出てるんじゃないのかなと思って。
スピーカー 2
あら、それはよかったですね。
発表、プレゼンテーションはよかったっていうこと。
スピーカー 1
そうそう、プレゼンテーション。
昨日デカいホールでプレゼンテーションをしたときに、ゆっくり堂々と喋ると意外と評価が出て、
これはこのラジオ番組やってることは少なからず影響してるのかなと思った所存でございます。
スピーカー 2
ちょっとどこかで中身の話もやりたいってことはあるんですけど。
スピーカー 1
そうだね、どこかで特集か何か組んで、ショート特集でも組んでお話しいたしましょう。
スピーカー 2
ぜひぜひよろしくお願いいたします。
今こそネガティブケイパビリティ。
ハイコーカラー特集でございます。今こそネガティブケイパビリティということですね。
スピーカー 1
今日はシリーズ6回目の収録、そしておそらく最終回になるのではないかと。
スピーカー 2
考え深いね。
考え深いですね、6回目ですね。
これ始まりが1月、ノト自身があったときが始まりだから、約半年くらいこの特集やってたわけですね。
半年、確かに半年っちゃ半年なのか、そうか。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
スピーカー 2
確かに確かに。
なんか初期の更新がさ、YouTubeのログで見るとさ、3ヶ月前で出てるからそんなもんかなと思ってたけど、半年もやってんだ。
スピーカー 1
そう、意外と長くやってるのよこの特集。
スピーカー 2
あー、なるほどな。なんか逆にさ、早くない?時間経つの。
スピーカー 1
そうなんだよ。
いや、本当に。
早いよね。
うん、早い早い。
スピーカー 2
去年の3ヶ月とか6ヶ月とかとちょっとなんかスピード感違くないですか?
スピーカー 1
なんなんだろうねこれ。やっぱこれ、俺がよく言ってるジャネーの法則に当てはまってしまってるってことなのかな、我々。
スピーカー 2
いや、ジャネージャネーってことですよね。
スピーカー 1
ジャネージャネーってことだよね。
新しい刺激がなくなっていってどんどんどんどんこう、自分の寿命が指数関数的に加速していくっていう、あのジャネーの法則に乗っかってしまってるんじゃないかと。
いや、今日思ったのよ。今日ちょうど思って、あれ?って思って、語られても2周年迎えそうに、2周年迎えそうにやってるはずと言い過ぎだけど。
1周年まで結構長かったけどね、このままじゃ2周年、1周年迎えちゃうじゃんって思った。だってあと半年で2周年だよ。
スピーカー 2
いや、ちょっとまずいねそれはね。
スピーカー 1
ね。
スピーカー 2
ちょっとやり方を、ちょっとなんかもう真摯に取り組まないといけないですね。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
雑談をさておき、本編の方に入っていきたいと思いますけど。
改めましてね、今回のテーマ、今こそネガティブ・ケイパビリティということで、もうね、すでに聞いていただいてる皆さんにお馴染みになってきたかと思いますけど、
ネガティブ・ケイパビリティ、これはですね、答えが出ないことやどうしようもない事態に耐える能力を指しますが、
この概念を獲得すべく、今回ですね、このタイトルそのものですけども、ネガティブ・ケイパビリティ、答えのない事態に耐える力という本を今読みながら進めてきたということでございますね。
はい。ということで、本の紹介はすごい雑にしてしまったけど、改めて何を読むのというところを紹介しますと、
作家であり精神科のドクターでもあるハハキギ・ホウセイさんのネガティブ・ケイパビリティという2017年の本ですね。
なので話題としてはコロナ禍の前、あるいはロシア・クライナーの戦争の前に書かれた内容というところでございますが、
何でそんなふりをするのかというと、今日の内容がねえという話もあったりしますけれどもね。
はい。どうでしょう。6回やってきたわけですけれど、どうですかこれまで振り返って。
スピーカー 1
そうね、なんか、序盤は結構ネガティブ・ケイパビリティという概念をだいぶいい感じにインストールしてきたけど、
なんか前々回、前回あたりから結構このハハキギ・ホウセイ先生のエッセイストとしての性格が発揮され始めたと言えばいいのかな。
随筆的で語らずにとしては結構取り扱いにくくどんどんなっていっている印象でございますが。
スピーカー 2
そうですよね。これはハハキギ先生に対する文句ということでよろしいでしょうか。
スピーカー 1
そうだね。勝手に解釈させていただいているので、まあまあこれは我々の意見ということで。
スピーカー 2
勝手に期待して勝手に落算していただけたので、そこは申し訳ないところではありますけれども。
ちょっと前回までの流れはざっと振り返っておきますと、これ毎度はじめにのところで何で読むのみたいなことをやりましたけれど、
ネガティブ・ケイパビリティという言葉自体がそのなじみのあるものではなかったので、それを僕らの中でインストールして、
1章2章ではこのネガティブ・ケイパビリティという概念をですね、捕まえるトカガリとなるね、
2人の人物、キイツさんという詩人の方と、それからビヨンさんという精神科医のそれぞれの反省にアプローチするという2章がございました。
もはや懐かしい。
懐かしいですよね、そうそう。なんかあれだってもはや別の本だったんじゃないかっていう。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
なんかそんな感覚さえするよね、内容的にも。
スピーカー 1
俺らキイツの電気読んでたっけみたいな。
スピーカー 2
いやそうそう、キイツの電気をね、ワンセクション読みました、ビヨンの電気読みましたみたいな。
スピーカー 1
そう、そんな感覚だよね。
スピーカー 2
その頃からするとまあね、打って変わってじゃないですけど、でその後続く3,4,5章あたりでは比較的ね、
そのなんて言いますか、現場だというか臨床的な観点から、あるいはサイエンティフィックな観点からネガティブ・ケイパビリティとのようにアプローチしてきましたね。
そこから少し転換があって、第6章では希望するノート伝統的治療師ということで、いわゆるメディシンマンと呼ばれている、
近代、現代の医療の提供のあり方とはちょっと考え方が違う方々の治療方法というのを見るにつけて、
実はネガティブ・ケイパがそこに潜んでるんじゃないかみたいなね、話をしてきましたよね。
スピーカー 2
で、そこから前回につながる創造公園とネガティブ・ケイパビリティ、シェイクスピアと紫色部というところで、
少しね、その文芸の中でネガティブ・ケイパビリティがどういうふうに活かされてるのかみたいなところを迫ってみたりとか、
前回はその現地物語の話に続いて教育とネガティブ・ケイパビリティということでね、
教育文脈でどれぐらいネガティブ・ケイパが大事なのかみたいな、その話をしてきましたね。
いやあらためて見るとすごい幅だね。
スピーカー 1
いやあすごい。よく言えばネガティブ・ケイパビリティって概念は、
いろんなところで使えるというか、いろんな場面で発揮されてる概念なんだって言えば、それまでだなとは思うけど。
スピーカー 2
でも逆に言うとネガティブ・ケイパビリティを言い訳にいろんな話題に突っ込んでるという言い方もできなくはない。
スピーカー 1
なるほどなるほど。まあまあ三分的だよね、極めてね。
スピーカー 2
まあまあまあそうですね。ということでございました。
とはいえね、ネガティブ・ケイパを軸にするといろいろ理解する上では役に立ったりとか面白いんじゃないかと思いましたね。
ということでここまで読んできたのは9章というところだったので、今回読んでいく場所を紹介していきたいと思います。
今回はもう最後なので、第10章、これは最後の章になりますけど第10章、寛容とネガティブ・ケイパビリティ。
それからそこに続く終わりに、ここは終章ですね、最後終わりにというところで、再び教館についてということで、
実はこの本、教館から始まったのって覚えてる?
スピーカー 1
いや、それをね覚えてなかったんだけど、教館から始まったんだっけ?
なんかこの終章で、教館で始まり教館で終わるって書いてあって、あれこの本教館で始まったっけ?
ちょっと時間が空き過ぎて忘れたのかもしれないけど、教館で始まってたっけ?
スピーカー 2
いやそうなんですよ、ちょっとその話はね、終章のタイミングでちょこっと触れられるといいかなというところで、
ここではさらっと流しますけど、教館といえばというとね、僕ら前の特集でも教館について扱ってたんですよね、実は。
スピーカー 1
そうね、反教館論でございますよね。
スピーカー 2
そう、反教館論ですよ。そこにね続くこの本では、いやいや教館大事じゃんっていうところになんかもう一回戻ってきたみたいな、
なんかそういう触れ幅もあってですね、面白いかなと思いつつですね。
ちょっとどんな触れられ方をしてたのかっていうのはね、終章の中で、終章か終わりの中でもちょっと触れていければなと。
スピーカー 1
はいはいはいはい。
スピーカー 2
ではそんな感じでやっていきたいと思いますが、早速中身入っていきましょうかね。
はい。
ではまず10章、寛容とネガティブケイパビリティというところですが、これざっくり読めました?どんな感じの内容だったか覚えてます?
スピーカー 1
寛容であること、寛容であることにはネガティブケイパビリティの概念が必要なんだってことを、
いろんな戦争だったりとか、ギャンブルだったりとか、エラスムスという歴史をたどったりとかしながら紹介してくれて、そんな章じゃないかなこれね。
スピーカー 2
そうなんですよね。ネガティブケイパビリティと寛容という概念がすごく結びついてるよと、密接に結びついてるんだということをですね、紹介するんでしょうね、というところですね。
スピーカー 2
これ入り口があれなんだよね、ギャンブルの自助グループのお話から始まるんですよね。
これ聞いてしかて面白いなと思ったのが、そうそうギャンブル依存症のね、それこそ某いっぺいさんとかが、
さっき話題のね。
面白いのはね、ギャンブル自助グループで目指すのは、ギャンブルをやめることではなくて寛容を目指すんだみたいなところから始まるのがね、これ結構面白いですよね。
スピーカー 1
確かに確かに。
スピーカー 2
なんかね、自助グループの目指す方向性っていうので、人としての特目っていうのを目指すみたいなことが書いてあって、4つ覚えてます?
思いやり、寛容、正直、謙虚っていうところでね。
スピーカー 1
この中でも特に寛容を失うと、自分を棚にあげて人を責めちゃいますよ、許すことができないんですよみたいな、そういうことが書いてありましたね。
若干言い過ぎだなと思ったのが、この今言った4つがさ、思いやり、寛容、正直、謙虚がギャンブルに宇宙を抜かせるうちにことごとく失われていくって、そんなことあるって思ったけどね。
ギャンブルってそこまで、そこまで人をダメにするのかって。
改めて、でもそうだね、羽賀切先生の元にはそういうギャンブル依存症の患者さんが来てるわけだから、本当にそういう人を見てきてるってことなのかね。
まあそうだよね、それこそなんかチラッとね、触れてましたけども、この言葉でしょうかないとかわかんないですけどね、それこそね、脳の中の返答体がちょっと狂っちゃったりとか、報酬刑みたいなのがぶっ壊れていったりとかすると、なんかね、リターンを短期で求めるみたいな、そういう性格になって、なんかそういうのはあるんだろうね、きっとね。
スピーカー 2
確かにね。
だからその何かを見返りを求めてしまったりとか、それからその人を許すことができなくなっていくとか、なんかそういったことが実はギャンブル依存症を克服する上ではすごい大事なんだというところから入っていくわけですよね。
はい。で、ここで特に寛容っていうのが大事なんだっていう話を、ハワキギさんは少し強調して言うわけですけれども、ここからね、実はちょっとね、歴史的な寛容という概念の背景、執事みたいなものに迫るところにシフトしていくというのがこの本の流れですよね。
寛容のね、土台にあるのはヒューマニズムである、つまり人間尊重の姿勢であるというところから、少しルネサンス期の、それこそキリスト教文化のその変遷みたいなところを追っていく形になるんですけれども、僕知らなかったんですけど、ルネサンス期にユマニストっていうグループがいたんだね。
スピーカー 1
ああみたいね。
知ってた?
いやいや俺もこれ初耳だわここで。
スピーカー 2
ユマニストってフランス語読みだからね、英語読みするとヒューマニストですよねつまりね。Hを発音してないからね、ユマニストってヒューマニストだと思うんですけど、このユマニストっていうまあある種思想というか考え方のグループを牽引してたのがオランダ人のですね、エラスムスさんという方なんですよね。
スピーカー 1
グシンライさんを書いた人だねなんか。
スピーカー 2
そうそうそう。この人は自分自身もカトリック世界の聖職者でありながら、そのカトリックの制度だったりとか聖職者を批判するグシンライさんか愚かな神を雷算してるというようなんです。グシンライさんという本を書いてセンセーショナルな出来事を起こすという、そういった方ですと。
ちょっともう少しだけ紹介すると、この人がさ活躍した背景にはルターさんっていう人がそれこそ宗教改革という文脈で、こう一個ノロシを挙げてたみたいな時代背景ですよね。
彼らもある種の原理主義者みたいな感じでさ、福音が大事なんだみたいなことを盾にいろんな活動してると。だけどその時にこのエラスムスさんがやってたのは、そういう原理主義的に活動しても結局その福音を盾に戦争を起こしてるじゃないか、善意を罵ってるじゃないかということで、
なんかある特定の概念に固執して、そこに向かって原理主義的に動くっていうことが本当にいいんだろうかみたいなことをぶっこむのはこのエラスムスさんのすごいところなんだよね。
その時にこの人が問い出たのがまさにその寛容の精神だったというところなんですよね。この人はあれなんですよね、それこそまさにその旧来的なカトリック世界の世界観にも100%堅いではしないんだけど、出自は明らかにそこですと。
一方でエルターさんが率いてた信教徒側っていうところの考え方っていうのもまあわかるけれどもと言いつつ積極的に堅いではしないんだよね。この態度が寛容的だっていう話なんだけど。ごめんどうぞ。
すごいどっちの側からも嫌われるような覚悟で宗教の世界に飛び込んでいったっていう、これ読んでるとそういうイメージだけどすごいよね。
ちょうど曖昧主義の卑怯者だっていうふうに呼ばれてたと書かれてましたけれどもね。つまりお前は結局どっちの味方なんだいっていうようなそういうポジショニングをあえて取りに行くっていうのがこのエラスムスさんのやってたことなんだよね。
なんでそうしたのかっていうところが少しこの本の中でも紹介されて、例えばどっちかに肩入れしてその考え方が大事だそれがいいよねっていうふうに言うと、その二者の間の競争は激化するということをある種わかってたんだとこの人はね。
だからそういうふうにどちらかの考え方に肩入れするっていうことを拒んだんだよっていうのがこのエラスムスさんのスタンス、寛容の精神の持ち方であるということが紹介されているというところですね。
スピーカー 1
まさにネガティブケイパブリティだね。
スピーカー 2
そうだね。つまり請求に答えを出さないっていうことで、いやこちらも正しいかもしれないけどこちらも正しいかもしれないねみたいなそういうスタンスを取るということですね。
で実はこのアイディアっていうのはそのエラスムスさんっていうのはそんなにそのなんていうか不遇ではないですけれど、じゃあ彼が何か大きな成果を残したかっていうとそういうわけでもなく、それはまあ細々と引き継がれていくことになるわけですけども何人かね、この彼の考え方に共鳴する人々が現れると。
その中で多分なんかみんなさんもちょっと名前聞いたことあるんじゃないかなっていう方の中にモンテーニュさんっていうね。
出てきましたね。
この考えを引き継いだ人へとしてそのモンテーニュさんがいるということで、このモンテーニュさんが言ってることの中でねこの面白いなと思ったのはさちょうどこのルターさんが出てきてその後はカルバン派でも有名なカルバンさんが出てきたりとかそういう時代ですよね。
その時に世の中で何が起きてたかというと、例えばヨーロッパの人たちがどんどんどんどん大航海時代ですと、海に出ていってアメリカ大陸を見つけましたみたいなそういうことが起きている時代ですよと。
その時になんかアメリカ大陸を見つけてガシガシ潜入していってここは自分たちの土地だって言って旗を立てに行くみたいなことを多分やってたと思うんだけど、その時のスタンスとして実は原住民側の方が有利かなってないっていうことですね。
結構面白いねスタンスの取り方。
スピーカー 1
確かにね確かにね。
ちゃんとこう民族的共感じゃないけど侵略される側の気持ちに立って考えることができてるんだよねモンテーニュさん。
スピーカー 2
そうそうそうモンテーニュさんのところでちょうど何か引用があったんじゃないかしら。
モンテーニュさんは大陸を発見した後、要は原住民を捕虜にしたって言うんだよね。当時のヨーロッパ人は。
だけどヨーロッパ人の主張としては原住民の方が要は食生活だったり文化だったりが野蛮であると。
スピーカー 2
例えば犬食ってんじゃんとか生きた人間の肉を引き裂いてるじゃんみたいな要は原住民の中でのカルチャーみたいなところに対してヨーロッパ人の目からするとそれは野蛮に移ったのだと。
でも一方でこのモンテーニュさんが言ってるのはいやいやその人の土地に勝手に行って旗を立ててここ俺の土地だとか言ってるのはどっちの方が野蛮なんですかみたいなことをですねちょっとひいた目線で冷ややかに言うわけですよね。
スピーカー 1
この時代に多分これをできるのはなかなかすごいよね。
スピーカー 2
そうそうそうだから要はねみんな正しいと思ってやってることに対して逆じゃないって言ってるみたいなそういうことですよね。
というのはこのモンテーニュさんの立場でしたと。
でなんかこの人たちの立場だったりとかをざっと見てみたときにそれがさっきのエラスミスもそうだしモンテーニュもそうだしその間にいた人たちもそうだと思うんですけど
このユマニストいわゆるヒューマニズム系の系譜の人たちだというところなんだけどこの人たちの系譜に共通してるのは物の道理とか人としてとどむ考えでしたりとか。
あるいは角に一方に組みする行為をやらないよとかね。
行き過ぎた行為への警告だったりとか。
まあこれはいずれにも共通してるのはある種静かで大げさではなくてなかなか成果が見えない。
あるいは別の言い方で言うと大きな力を持たない。
まあそういう考え方じゃないかっていうふうにその秘書はまとめてますよと。
ただ何がこの考え方の効果なんだろうか影響なんだろうかってことはなかなか見えづらい一方でこの寛容さという概念がなければ物事は極端な方向に行ってしまっただろうと。
この寛容さを支えてるのがネガティブケーパビリティなんですよということですね。
まあこの彼らの系譜を紹介しながら秘書の母城補正さんはおっしゃってるということでございます。
どうですかここまでの流れでああと思ったところや気になったところはありますか。
スピーカー 1
だいぶネガティブケーパビリティが実践的になってきたわけ。
なんか今までのネガティブケーパビリティって結構芸術だったり音楽だったりで答えが出ない状態に耐えるっていう
すごく抽象的というか概念的なものは使ってたけどようやく寛容っていうところに寛容っていう箱の中にネガティブケーパビリティの魂が移って
ようやくネガティブケーパビリティが実社会とか実世界でどういうふうに機能するかというところがわかってきたって感じじゃない。
スピーカー 2
確かにね確かにねしかもちょっと面白いのはさそのなんていうか特定の考え方が正しいとか間違ってるとかってこと実はあんまり言わないようにしてるところもなんかこう特徴的だなと思ってた。
むしろそれどっちが合ってるとかっていうことさえわかんなくないっていうスタンスを取れよっていうなんかそういう感じなんだよね多分ね。
スピーカー 1
まあまあ結構我々がこの番組でやってるスタンスと似てるっちゃ似てるよね。
スピーカー 2
まあまあそうだね確かにねだから特にだから俺はこういう考え方があってみたいなこと言わないよねあんまりみたいな。
スピーカー 1
そうそうそう。
スピーカー 2
確かにそれもあのこういうふうに考えれば筋が通っているように思えるねっていうまあそういう感じだよね。
いや面白いですね面白いですね。
ここからなかなかちょっと扱い方が難しい話題だなと思いながら入っていくんですが一応本に書いてある内容をざっと舐めておきましょうかと。
スピーカー 2
というところでいくと現代のヒューマニストこのユマニスト系風に属しているのは誰なんだろうかっていうところで紹介されているのはこれはドイツのメルケルさんですね。
メルケル氏これご存知ですかね。
スピーカー 1
女性の方だっけ。
スピーカー 2
そうですそうです。メルケルさんはちょうど2015年のタイムのですね今年の一つ毎年一人選ばれてるんだけどこのタイム氏に29年ぶりに女性として選ばれた方ですということですね。
このメルケルさんは実はもちろんドイツはEU加盟国なんでEU加盟国としてフレマインが求められるというときにちょっとね今の我々の世代からすると少し前な感覚もあるかもしれないですけどギリシャがちょうどね経済破綻してた時期がありました。
財政破綻があったという時があったと思うんですけどその時のEUに含まれている国の首相として比較的目を見張るスタンスを取ったよということが紹介されてますというところですね。
これ何だったかというとギリシャ財政破綻しましたと。
その時に経済的に連帯しているEUの人たちっていうのは要はそれを立て直すために自分たちの税金が使われるんじゃないかとかそういう思いになるわけですよね。
その時に今何をやったかというとまずギリシャを排除EUから排除するのはやめましょうと。
その上でじゃあギリシャをオンブに抱っこ、ギリシャがオンブに抱っこみたいな状態になるような支援もやめましょうと。
何をやったかというと具体的な給財策を示しながら改革せよって言って改革案を突きつけたんだよね。
だから要はEUからの切り離しっていうEUの理念違反を避けながらもっと頑張って財政、緊縮財政頑張ってくださいっていうある種努力を強いたと。
そういうスタンスを取ったんだよということが紹介されてます。
同じようなスタンスはちょっと今のロシアでどうなってるかっていう話はあえて言及を避けますけれど、
当時ロシアがクリミア半島に進行したみたいなことがあったりとか。
あとは中東エリアの避難民を受け入れるみたいな似たような事象。
似たような事象というとちょっとおかしいですけれど。
要は自分たちのお金の使われ方みたいなことに対して少し疑義があるような。
そういうことに対しても同じような態度の取り方をしたんだということをこの本では紹介してます。
今ちょうど3つ事例があったけど、
ここに対するこの決断の背景、あるいはそこにあったのは彼女の中の人道主義ではないか。
そういう紹介のされ方をしているというのがベルキルさんですね。
これは何というか、今ロシアはあんなことになってますから。
スピーカー 1
政治の話だしね。
スピーカー 2
隠れしているのは、
異性者のネガティブキャパビリティの欠如ではないかというふうに筆者は言います。
今たまたま直近の話が出てきましたけど、
例えば日本の場合でもね、
満州事変に向かっていくタイミングで、
日本は何をやったかというと、
ある出来事に対する解釈の決めつけみたいなことがあって、
これは中国が悪いんだみたいな決めつけがあって、
その当時の世界的な情勢を無視して、
ある種の交渉から退場していくみたいな。
他の人に意見が聞けない状態になっていくと、
比較的改善にはすぐに至ってしまうんだみたいなね。
そういうことをやっていて、
彼のこれまでの活動の厳選になっている話とかも踏まえると、
基本的には、
いかに戦争的な方向に行かないようにしていくのかみたいなところに、
彼は思い入れがあるというところだったので、
こういったスタンスっていうのを、
異性者だけじゃなくて、
その判断は国民も喜ぶみたいな構造っていうのは、
ネガティブキャパビリティがない状態だよねっていう、
そういうですね、
メッセージを最後に放っていると。
これがですね、
10章の大きな流れでございました。
スピーカー 1
はいはいはいはい。
スピーカー 2
どうでしょう?
スピーカー 1
これまでもあれだよ。
浄土的教科の時と似てるよね。
夏ぐらいに、
去年の夏ぐらいに収録した、
パールハーバーの話をつけると思うんだけど、
あの時の国民全体、
異性者が戦争に向かっていくっていうスタンスと、
すごい似てるから、
ネガティブキャパビリティ、
これ多分最終章、
終わりにでまた話すことになると思うんだけど、
ネガティブキャパビリティっていうのは、
安易な、
浄土的教科に走らないために、
大事なツールなのかなというふうに思いましたね。
スピーカー 2
そうですね。
まさにこの一つ前の特集でね、
浄土的教科を読んでたんですけど、
そこで出てきた二つの概念っていうのがあって、
教科は一つじゃないよって話なんだよね。
一つは浄土的教科。
これつまり、
結構すぐにね、
心で反応してしまうみたいな教科のことを浄土的教科。
もう一つが、
理性的教科じゃないですか。
スピーカー 1
認知的教科。
スピーカー 2
認知的教科。
認知的教科ね。
これはなんかその、
パッて反応してしまうものとは少し距離を置いていて、
もう少し俯瞰してみた時に、
ある状況に対して共感したりとか、
っていうようなことだったと思いますけれども、
この二つでいくと浄土的教科に借り立てられてしまうのが、
このネガティブ・ケイパブリティの欠如じゃないかという。
スピーカー 1
そうそうそう。
戦争とかは結構浄土的教科が、
ガーッと先行しちゃうことによって起こりますよって、
反教科論では紹介されてて、
例えばこう、
真珠湾攻撃が起きた時に、
もうアメリカが悪いっていう、
そういう風潮が、
日本国民全体にバーッと広がるじゃないの。
それが浄土的教科が借り立てられている状態だっていう風に、
反教科論では言ってたけど、
この本で言うと、
ネガティブ・ケイパブリティを失った状態だっていう風に、
言い換えることができるのかなと。
スピーカー 2
なるほどなるほど。
確かにね。
そこは言い換え関係であるよと。
スピーカー 1
そうそうそう思いました。
スピーカー 2
確かにですね。
そうだね。
だからいずれにしても、
なんていうか、
分かりやすい構図。
人のモチベーションに火をつけるための燃料って、
意外とそんなに多くないじゃないですか。
その中の一つに、
あいつが悪いんだ、
あいつのせいでみたいな、
そういう価値観というか、
そういう感情ってすごくあると思うんですけど、
そういうものを一個フックに火をつけていくっていうのが、
それこそ炎上とかもそうだよね。
火をつけようと思うっていう風に書くけどさ。
スピーカー 1
確かに確かに。
スピーカー 2
大元には燃料があるわけじゃない?
その燃料に対してさ、
例えば極端な言動が燃えやすいと思うんだけどさ、
そこに対してどんどんどんどん、
ある種批判を書いた状態で乗っかっていくっていうサイクルだと思うんですけど、
そういうものに至ってしまう背景には、
ネガティブケーパビリティ、
つまり判断を保留にせずに、
物事に決めつけてしまう、決めてかかってしまうみたいなスタンスがあるかもしれないよねっていうことをね、
ハーキーさんはある種危機感を持っているということだよね。
スピーカー 1
ハーキー はい、はい、そうですね。
スピーカー 2
大元 というのが10章でございました。
ということで寛容とネガティブケーパビリティということでしたけど、
つまりこれはね、言いたいのは、
今現在は不寛容になってきてるんじゃないかということだよね、全体的に。
スピーカー 1
ハーキー そういうことですね。また世の中がね。
スピーカー 2
大元 でございました。
ここまで10章を読んできましたけれども、
続いて、もう最後ですね、終章終わりにというところで、
再び教官についてという副題もついてますけれど、
最後はですね、教官を一個の切り口に締めていこうというところでございます。
スピーカー 1
山上くんはちなみに、専門は何会でしたっけ?
山上 僕は循環機内会という、心臓の会でございますよ。
スピーカー 1
循環機内会として一番大切なのは何ですか?
山上 循環機内会として一番大切なのは、ガッツだね。本場。
本当に本当に。
その心は?
スピーカー 1
山上 呼び出しがめちゃくちゃ多いし、24時間すでにオンコールみたいな状態になるから、
もうガッツないとダメだし、折れないメンタリティを持ってないと、
多分矢花心じゃなれないってもうすごいハード、こんなこと言って、
もし今医学生が聞いてくれてたら、循環機内会にならなくなっちゃうけど、
まあただ、折れないメンタリティが大事な気がしますね、循環機内会。
スピーカー 2
それは確かにそうですよね。
スピーカー 1
山上 そうね。
スピーカー 2
それからすると何て矢花っていう感じかもしれないんですけど、ちょっとわかんないんですけど。
この本の著者でやる濱木先生は精神科医ですと、自分でクリックも開業されているというところですけれども、
この濱木さんがね、恩師に精神科医として一番大切なのは何でしょうかと聞きましたという話から、
実は最後の収書はうまく分けるんですよね。
この問いに対する回答は親切だというふうにですね、必死の恩師を言うと。
まあこの理由は面白いんだけど、英語で一番の褒め言葉はYou are kindだからだとかって言ってるんですけども、
そんなことは置いといて、
この親切っていうのは目連れにしても彼の経験的にも、教官というキーワードを中心にですね、
彼の医学活動というのか医師活動というのかをやってきた結果、そこに対する入り口、
教官の入り口に立っているのは親切っていう考え方じゃないかというふうに確信しているよということですね。
これはどうなんですか?山上くんとしてはそれこそ共感できるんですか?
スピーカー 1
そうだね、精神科医としてというか、
医者としてもやっぱり患者さんには親切であるべきかなとは常々思ってはいるんだけどね。
ただやっぱり日々暴殺されているとやっぱりそこの、
教官の入り口である親切を忘れてしまうことは多々ありますけど、
ハーキリン先生のおっしゃる通り、おっしゃる通りだと思いますよ。
スピーカー 2
じゃああれですか、循環器内科になるためにはやっぱり親切とガッツが必要だということですね。
スピーカー 2
どっちかっていうと問題の本質はそっちにあるよねっていうのを見抜いていたのが多分前に読んだ前作の反共感論だと思うから、
そこに対する切り口の鋭さみたいなところは、
スピーカー 1
多分前の反共感論を引いた方がいいんだろうなと思うところではありますね。
アメリカとかで災害が起きて100人亡くなるより、
身近な家族1人亡くなった方が自分と機嫌を通じてくるみたいなそういう話だよね。
スピーカー 2
そうそうそう。結局共感は大事なんだが、
共感する対象だったりとか使い方の範囲みたいなことを考えていたときに、
それこそ浄土で共感と呼ばれるような、
安易な共感みたいなところがむしろ帰って、
戦争みたいな悲惨な状況に駆り立てていくみたいな、そういう話だと思うから。
そこはすごい表面的に議論すると結構矛盾するようになっても。
そんな中でね、この恩師の話が一つでしょ。
もう一個のリー先生っていう教授が出てくるんですけど、
この本を書くきっかけになった先生が一人いるよっていうのが出てくるのがリー先生。
このリー先生自体はもう半分リタイア的な感じなのかな。
アメリカに渡ってしまって日本に近くにはいないんだけれども、
人間の最高の財産はエンパシーである、共感であると。
そして動物にもこれは備わっているんだっていうふうに指摘したんだっていうのが結構印象に残ってるよっていうふうに、
弊社のハン・ハッキリ先生は言ってますと。
これ何かというと、要は人間は生物として既に共感というものの土台に恵まれているんだけれども、
これは別に人間しか持っているわけではないものではないんですと。
これをちゃんと深く強いものにしていくためには、教育とか努力とか、
そういう普段の努力が必要なんだということを気づかせてくれたよという話が最後に書いてますけれども。
これ何か面白いなと思ったのが、この動物にもあるんですよっていう話は実は半期オカノにも出てきてたんだよね。
スピーカー 1
書いてあったねそれね。
スピーカー 2
そうそう。
それをどういうふうにちゃんと活かしていくのかみたいなところにこそ、
人間の努力を求められているポイントがありますよねっていうお話だったかなと。
スピーカー 1
その努力に必要なのがネガティブケイパビリティになってきますよっていう話だね。
スピーカー 2
そうなんですよ。
スピーカー 1
このもともとある共感をネガティブケイパビリティと一緒に育てていくっていうのが正しい共感の育て方といいますか、
我々と共感の関わり方なんだなっていうのが、まさにこの半期オカノで勉強した知識が、
このネガティブケイパビリティによってさらに熟成されていくっていうような過程を見れるのかなと思いますね。
スピーカー 2
確かにそういうことだね。
そうですね。
いやー、そうっすね。
なんかこう、共感の話になった時にさ、ちょっと前作が頭をよぎるからさ、
なんていうか、真正面から受け止めづらい部分もあるにはあるじゃない。
でもなんかその時にさ、その認知的共感と浄土的共感を分かつものは何だったのかっていうことをなんか考えると、
それはネガティブケイパビリティ的なスタンスだったんだなっていうところに置いてあるわけですね。
スピーカー 1
そうだね。
この葉劇先生が記載の共感に関してはもう我々結構共感に関しては一回深掘りしてるから、
勝手に頭の中で浄土的共感とか認知的共感って読み換えて読んでるけど、
確かにミンティーが言った通り、ネガティブケイパって概念のおかげで浄土的共感と認知的共感の線引きがはっきりしたよね。
スピーカー 2
そうそうそう。だから前作で僕らが気づいたのは、共感はすべて諸手を挙げて受け入れていいものではないと。
悪い共感もあればいい共感もあると。
悪い共感は浄土的共感で、いい共感は認知的共感だったんだっていうのが前の本で分かったことがすると、
そのいい共感と悪い共感の間にあるギャップっていうのは何かっていうと、ネガティブケイパビリティではないかということになるよね。
そうすると、簡単に共感する対象を決めつけたりとか、判断してしまったりとか、
そういうことに対して少し距離感を持って、もう少し引きでみましょうよということが大事なんじゃないのということになるわけですね。
スピーカー 1
反共感論にも引きでみろとか、すぐに反応するなみたいなことが書いてあったけど、それを具体的に持ち起こしするとネガティブケイパビリティを発揮しろってことになるってことだ。
スピーカー 2
そういうことになるね。
言語化できたわけだ。
言語化できましたね。
ここでさっき山上くんに少し振った話じゃないですけど、冒頭で共感ってどうやって出てきたかって覚えてますかって話よね。
せっかく本書の締めくりなんでできたらいいかなと思うわけですけど、
これね冒頭に出てきたのは、ハーキギ先生がこの論文、論文じゃないや、ネガティブケイパビリティという概念に没頭するきっかけになった論文のことが紹介されてたんだよね。
スピーカー 1
あったね。
共感に向けて不思議さの活用っていう。
スピーカー 2
あったね。
それで何が言われてたかっていうと、他社の内なる体験に近接するには、つまり共感を持って探索をするってことだと思うんですけど、
共感を持って他社を探索していくには、探求者側は結論を棚上げする創造的な能力を持っていなければならないっていうのがですね、この論文のアブストラクトに書かれてる。
スピーカー 1
なるほどね、そうありましたね。
スピーカー 2
アブストラクトにこんなこと書くのかっていうぐらいですね、結構ちょっと詩的なというか。
確かに。
一文ではあるんだけれども、ここにまさにね、今ここで言ったようなことが書かれてるんだよね。つまりその共感を持って他社、自分ではない何かの体験を理解しようとするためには、こうじゃないかという決めつけをすぐやるんじゃなくて、
結論を棚上げしてこれどういうことかなっていうふうな創造力をですね、持たないといかんよと。そういうことが書かれてたのがですね、この共感に向けてっていう論文だったと。
ここに最後着地して戻ってきたよねということなんだが、この結論を棚上げする創造的な能力というのがまさにネガティブ・ケーパブリティだったよねっていうね、そういう確認の手法になる。
スピーカー 1
なるほどなるほど。
スピーカー 2
はい。
というところでございまして、
最後のね、ある種問題提起みたいなところが、その共感に対して、その反対の概念じゃないけど、結構その今の世の中は自己中心主義的じゃないのかということがね、最後にちらっと書かれてるわけですけれども。
なんかね、この辺りに対する直接的なそのソリューションというか解っていうのは、この本の中では実は提示されないんだよね。
それはつまりネガティブ・ケーパブリティを持ちなさいよということに留まるわけですけれど、なんかこの辺りがね、この本を読んだ僕らとしての宿題になるんじゃなかったかな。
スピーカー 1
まさにネガティブ・ケーパブリティだね。
スピーカー 2
はい。そんなとこですね。
はい。
ということでネガティブ・ケーパブリティ10章、そして2を読んできたわけですけど、どうですか全体読んでみて。
スピーカー 1
いやー、面白かったのが、我々が一番今までの特集でさ、かなり深掘った共感、反共感論のデータ差、認定的共感と情動的共感という概念が、このネガティブ・ケーパブリティによってさらに就職されたのがすごい考え深かったなって思った。
スピーカー 2
まあ確かに。
そうですよね。
確かにね。
これなんか他の概念とね、この本で表せる概念がこう、やっぱ接点が必ずある。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
スピーカー 2
あとこの、なんていうの、この共感がさ、動物にも備わってるよみたいな話とかさ、それからヒトラーの話とかも出てきましたけど、この辺りって実はさ、結構さ、進化音を読んでた時にちょこっと触れたりとかさ。
あー、はいはい。
それから脳の話、意識の話を読んだ時にもちょこっと触れた概念とか。
ちょっとずつ重なってるところがあるんだよね。
スピーカー 1
ヒトラーはよく出てくるよね。
なんか何かにつけて、我々の特集でどっかでザッと出てくることが多い人物ではあるよね。
スピーカー 2
出てくるね、確かにね。
スピーカー 1
みたいなところもあって、結構重なるところが見つかったんじゃないかなという感じですかね。
概念リンクが起きてよかったね。
スピーカー 2
概念リンク、ハイパーリンクが起きて。
スピーカー 1
ハイパーリンクで起きましたね、今日も。今回も。
スピーカー 2
はい、そんなところでございまして。
何か言っておきたいことないですか?この10章終わりに終えて。
スピーカー 1
いや、それを考えるのはネガティブ・ケイパブリティ。
この本編の間に答え出せよって話だけど。
スピーカー 2
まあまあまあ。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
ということで、本編以上と。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
はい、ありがとうございました。
スピーカー 2
ちょっと待って。
橋爪明さんね。
僕実はこの人の本をずっと敬遠してたんです。
読まないようにしてたんですよ。
スピーカー 1
それなんか理由があるの?
スピーカー 2
どちらかというとさ、
やっぱり新書っていうフォーマットもそうだけど、
結構新書でありがちな煽りっぽいタイトルの本を
めっちゃよく書いてる人だなって思った。
そんなに積極的に読もうと思ってなかったんだけれども、
今回読んみずっとあるんですけど、
この人めちゃくちゃ賢いね。
スピーカー 1
これも一章くらいまで読んだけど、
面白い。話がすごいわかりやすい。
理度整然と。
スピーカー 2
そうなのよ。
このエッセイの後に読むには切れ味が鋭すぎるぐらい明快なので、
これはこれで面白いなと思って。
スピーカー 1
そうだね。小説から論説文になったって感じじゃない?
スピーカー 2
そうそうそう。そうなんですよ。
結構いろんな本を読んでる人からしたら、
国外の電気だったりとか、
スティーブ・ジョブズの電気を書いたウォルター・アイザックソンみたいな人がいますけど、
あの人の書いてる本とかのテイストにすごい似てるなと思って、
アメリカっぽい感じの本だなって思いながら。
スピーカー 1
確かに電気的なのかな?
スピーカー 2
電気的っていうか、説明だったりとか話の展開がすごいね。
スピーカー 1
最初の2、3ページで結構心がグッと掴まれて、
ちょっと先がすると、
すごい飛行機に乗ったことあるでしょ?ミニティモーション。
スピーカー 2
飛行機でめちゃくちゃ揺れることあるじゃん。
スピーカー 1
怖くない?
スピーカー 2
怖いですね。
スピーカー 1
死ぬって思わない?
スピーカー 2
死ぬって思うかもしれないですね。
スピーカー 1
俺とも結構怖くて揺れると、
特に海外旅行とかだと、
あれなんかずさんな感じされてたのかな?
やべえ、俺死んだって結構思うんだけど。
スピーカー 2
それ思ってる山上くんのことは僕は容易に想像できますね。
やべえ死ぬってすぐ言うもんね。
そうそうそうそう。
スピーカー 1
すげえ焦って、
やべえやべえ、俺死ぬぞ、こんなところ死にたくねえって。
iPhoneのメモ帳出して、
衣装とか書いたりとかそんなことしたこともあるけど、
スピーカー 2
すげえ揺れた時さ、一回。
スピーカー 1
やりそうですね。
やっちゃうのよ。
非常に。
なんか残さなきゃと思って。
その時に、でも実際に墜落する可能性っていうのは、
0.0000何パーセントだから安心しろっていうのが、
数学的には正解なんだけど、
それを瞬時にベイズの定義っていう、
数学の定義を頭にポンと思いついて、
計算して、じゃあ大丈夫だって思える、
スピーカー 2
瞬時に思える人たちが世の中にはいるの。
スピーカー 1
それをテクノリバタリアンというふうに、
特殊な人種がテクノリバタリアンって言うんだけど、
俺はテクノリバタリアンじゃないからこうやって焦ってるわけだけど、
そういう天才たちの思考回路を追っかけていきましょうっていう本なんだよね。
スピーカー 2
まだ冒頭しか読んでない感じがいいですね。
スピーカー 1
間違ってる。
間違ってる。
スピーカー 2
間違ってるわけではないと思うけど、
スピーカー 1
そうだね、そういうことですね。
スピーカー 2
要はさっき終章の最後に出てきた、
自己中心的な考え方が云々みたいな話をしてたと思うんですが、
一方で実際に今の世の中の中で、
それこそ大きな影響力を持っていたりとか、
あるいは実際に企業を動かしていたりとか、
するようなポジションの一つか、
どういう思想的な背景を持って動いているか、
みたいなところを改めて整理していくと、
今実はすごく自由を重視する、
あるいは裏返すと、
自己責任を非常に重視するような考え方の人たちというのが、
今めちゃくちゃ力を持っているわけだよね。
なぜならそういう世界で、
自分の力で状況を切り開くことができる人たちなわけだから、
そういうスタンスを持っている人たちが、
非常に強力な影響力を持っているのが、
この現在であるというときに、
それをリードしている人たちが、
どういう発想を持っているんですかねっていうのを、
ある種ギガ的に描いたというか、
捉えた本というのがこの本なんだよね。
というところで、
ちょっと次回以降、
どんな進め方しようかなみたいなところがありつつ、
この本をテーマに読んでいけると、
おもろいんじゃないかな。
スピーカー 1
あまり扱ってこなかったタイプの本だよね。楽しみだね。
スピーカー 2
そうね、そうね。
扱ってこなかったタイプの本かもしれない。
確かに。
スピーカー 1
テクノリボタリアン。
スピーカー 2
そうだね。
ちょっと思想的な背景に迫るみたいなところも含めて、
これまだ扱ってこなかったタイプの本かもしれないな。
でも一方で、
この本の中の話題としては、
クリプトアナキズムみたいな、
それこそ暗号通貨もしくは暗号システムの話題とかが出てきたりとか、
それを克服していく話題だったりとか、
あるいはなんでイーラン・マスクが火星に脱出しようとしているのかみたいな、
そういったアイデアの背景を少し深掘っていくと。
そんな感じの旅になるかもしれない。
そうだね。
スピーカー 1
俺も1章まで読んだけど、
すごい棚取ってる人いたよね、途中で。
スピーカー 2
棚取ってる人もいた。
棚取ってる人もいたんですよ。
だからその棚取りもあるんだよね。
例えばめちゃくちゃ焦ってるとか、
イーラン・マスクはね。
このまま死んじゃったらやばいみたいな、
スピーカー 1
ずっと思ってるみたいな。
スピーカー 2
いいね。
その結果何をするかっていうところが、
スピーカー 1
結構この本の面白いところにもあるんだけど。
棚取りの概念と、
今度リンクしていくかもしれないね、もしかすると。
ナチュラルに棚取ってる人たちがいるわけだからさ。
スピーカー 2
でも結構山上くんの発想とすごく親和性が高い気がするんだよね。
たとえばさ棚取りの時にさ、
自分の脳みそを取り出してどっか保管しといたらさ、
スピーカー 1
してたじゃない。
言うてた言うてた。
スピーカー 2
かつその原理はエディソンがそういうことやってたとかさ、
スピーカー 1
そういう話もしてたじゃない。
してたしてたしてた。
スピーカー 2
でも多分その流れにプロットできる人たちだと思うんだよね。
いいねいいね。
ともするとさっきのユマニストとは真逆の人たちだと思うんですよ。
発想の立脚点というかさ。
そうだねそうだね。
その動きというか。
これがだからちょっと対比として面白くなるという感じはありますね。
というところで今回は改めましてネガティブ・ケイパビリティ。
今こそネガティブ・ケイパビリティという特集で6回やってきましたが今回で最終。
次回ちょっとすぐに本に入るのかどうかというところも含めて、
まだちょっとネガティブ・ケイパビリティ中ではあるんですけれども。
また次回楽しみにお待ちいただければと思います。
ではでは今日はこの辺で。
スピーカー 1
おやすみなさい。
スピーカー 2
おやすみなさい。