声deかく日記。8月20日ですね。8月下旬に入りました。192個目。もうすぐ200。お盆と夏休みの終わりと寂しげな冬一郎と涼しすぎた夏とホモストゥーピドゥスの話というタイトルにしましたが、
最初に声で過去日記ですね。声で過去日記。エピソード9。去年の8月22日。これ実はね、21日の予定が1日遅れちゃったんですね、この時ね。なぜか。電波の届かない支笏湖にキャンプに行ってたんですね。
なので1日遅れで、これ翌日どうしたんだったかな。 このまんま1日遅れで
やっちゃったんだったかな。 あ、違いますね。翌日にやってますね。それはまた次回話すとして。
この時はなんと支笏湖での収録ですね。野外収録
してるんですね。だから、ちょっと前にお散歩音源入れて、ここで支笏湖の音源も入れてということで、こういう
なんだ、外での収録、スマホでのね。こういうのが始まった
記念すべき回って言うと変ですけど。 あとはその説明欄、概要欄。LISTENのやつを使って
支笏湖の写真ね。これいい写真ですね。青空でキャンプ場で、湖が見えて
これ樽前山だっけ、名前忘れちゃった。 それから冬一郎くんがね、もう堂にいってるというか、
キャンプ場の犬を演じてるわけじゃないけど、なりきってるというね。本当にお利口さんのキャンプでしたね。
冬一郎くん初キャンプだったんですけど。 もうちゃんとキャンプを楽しむ冬一郎くんでしたね。
まあそんな様子も。 これはそれこそ文字だけ読んだんじゃ伝わらないっていうか、そこの現場感、臨場感、
含めて伝わるんですね。やっぱここが音声配信のいいとこですね。 あと支笏湖の話もしてるということで。
またキャンプ行きたいなあ。行ってくるかなあ、キャンプ。 まあそんな感じで。冬一郎くんと2人でキャンプ行ってもいいんだけどね。
それでえっと タイトル。お盆と夏休みの終わりとということで、お盆終わっちゃいました。
夏休み終わっちゃいました。 寂しげな冬一郎と涼しすぎた夏ということで、ここは、涼しかったというのと
過ぎてしまった夏と両方かけてるつもりなんですが、どうでもいい話ですが。 涼しかったですね、今年は。4日間ぐらいですね。ちょっと寝苦しいかなっていう夜は。
毎年1週間ぐらいあるんですけど。 今年は本当にもう涼しい。寒いね。
涼しすぎた夏ですね。これ冷害とか大丈夫だったんでしょうかね。そっちの方が心配ですね。お米とか。
まあいいや。お盆はあの実の娘とその同僚。 いい感じでしたね。とてもね。3人来てくれて。
1週間近く泊まってくれて。 また来ますって言って、先ほど帰って行かれましたが、冬一郎くん寂しげでしたね。大好きなお姉ちゃん
行っちゃったし。 あと2人のお姉ちゃんも帰っちゃったし。なんかすごく寂しげな冬一郎。今、玄関先で番犬してますけどね。
ただ諦めっていうか、よく分かってんだよね。帰っちゃうんだなーって分かってて。
なんでしょうね。この理解力。 冬一郎くん。いろんなことを理解して。本当にお利口ちゃんですね。
そんな感じでお盆と夏休みもあっという間に終わっちゃいましたね。 気がつけばね。まあ楽しかったですけどね。いろんな意味で。
ただ、まあ歳とると、もうそのリアルタイムを楽しむっていうかいうよりも、眺めて楽しむっていうか、若い人たちが楽しそうにやってるのを眺めてるだけで満足しちゃうっていうか。自分が一緒になって楽しもうとは思わなくなってくるっていう。
そういうところが出てきちゃうんですね。これ歳とるとね。面白いですね。 まあそんな感じで、涼しすぎた夏。夏は過ぎた。私の人生の夏もとうに過ぎてしまったみたいですね。
サザンを聴きながら夏を満喫していたあの時代は、もうとうに過ぎて、 過ぎた夏ですね。今は人生、
冬に入りかけかなぁ。まだ秋は続くのかなぁ。どうなんでしょうね。そんな札幌の季節は秋、とても良い季節ですよ。
それからホモストゥーピデスの話ということで、これ ホモ・サピエンスじゃなくてホモ・ルーデンスだっていう
話をして、まあそのホモ・ルーデンスはいいんだけど、もう一つ言い方があって、それがホモなんだっけ、これすぐ忘れちゃう。
ホモ・ファベル。ファベルね。ファベル。作る人。 ホモ・サピエンスは、脳みそで、頭よく考える人ね。賢い人類っていう、ホモ・サピエンス。
その前にホモ・エレクトゥスなんていて、ホモ・エレクトゥスっていうのは直立するホモ族、ヒトっていう。直立する人がホモ・エレクトゥスで。
ホモ・サピエンス。我々はね。ホモ・フローレンスなんてのもいたし、いろいろいたんですけども、まあみんな滅んじゃって、ホモ・サピエンスだけが生き残ったんですが。本当にホモ・サピエンスは、ホモ・サピエンスだから生き残ったのか。
って言うと、ちょっとそれでは狭いね。
ホイジンガさんがホモ・ルーデンスっていう。遊ぶ人なんだっていう。 他にもホモ・ファベルね。作る人、道具を作る人なんだ。
まあこれ全部、あるんですけどね。 声deかく日記で語ってどうすんだと思いますが。
脳みそも使うし、手も動かして物も作るし、それこそネアンデルタール人よりも精巧な道具、精密な道具が作れるようになったっていうこと。
それから狩りの仕方もやっぱりネアンデルタール人は長い槍で直接ね、リスクを顧みずに、まあリスクも考えながらやるんだけど、やっぱり
戦って死んじゃう人もいるわけだよね。巨大な動物とね。ホモ・サピエンスは遠くから飛ばす矢を開発したりとかね。
あとは刺さったらもう仕留めれる矢を作ったりとかね。細石器、細かい石器って言いますけど、作ったりとか、そういうやっぱ賢さと、さらに作る人。だからホモ・ファベルとホモ・サピエンスと。やっぱり他の人類が滅んだ中で、
我々だけが生き残ったっていう時の特徴を表す言葉としては、とても大事なんだけど。でもそこにはね、もっと根本的にホモ・ルーデンス、遊ぶ要素っていうね。
遊びを知ってた。遊びっていうのは、余裕というか余地というかな、を知ってた。真剣に遊んだ。真面目に遊んだ。だから考えたし、ものも作ったっていう。
すべてはベースは遊びにあって、だから考えたし、作ったっていうね。いうのがこのホイジンガさんのホモ・ルーデンスなんですけど、今ハマってるんですけどね。
私はだけど最近、もうこのホモ・ルーデンス。人間は遊ばなくなっちゃったし、我々はね。あんまり考えなくなっちゃったし、サピエンスでもなくなっちゃったし、
物も道具も使えなくなっちゃったから、ファベルでもなくなっちゃったと。ホモ・ルーデンスだった我々は、サピエンスでもなくなり、ファベルでもなくなり、遊びも忘れて、何やってんだろうっていうね。
まさに我々はホモ・ストゥーピドゥスになってしまった。そんなストーリーを書こうかなと。ホモ・ストゥーピドゥスになったことで、人類のストーリーを「ホモ・ストゥーピドゥス全史」みたいな話を、どっかでシリーズでもやろうかなとかね。余計なこと考えてますが、どうでもいい声deかく日記でした。
ではまた。